病院の待合室で、ぶらぶらと足を振る。何をするという訳でもなく、暇を潰すアテもなければそうなるのは自然なことだ。
そんなエミリアに近づく影があった。
「こ、こんにちはエミリア」
「うん。こんにちは、ネビル」
横からかけられた声に振り向いたエミリアは、ここ最近知り合ったお見舞い仲間のネビルの姿を認めて顔を綻ばせた。
とんとんと隣の椅子を勧めるエミリアに、勧められるまま座ったネビルは少し居心地悪そうに膝を擦り合わせる。まるでそこに興味を引くものがあるみたいに足の指先の方を凝視しながら、エミリアに向けて口を開く。そこには恐怖に似た緊張が存在していた。
「そ、その……どう、だった?」
「うーん、いつもどおり、だったよ」
「今日はもう帰るの?」
「うん。いまガウンがてつづきしてくれてるから、それおわったら、かえるよ」
「あー、君んちも屋敷下僕妖精がいるんだっけ……」
「ガウンは、もともとはホグワーツのようせいだから、いつまでもうちにいるわけじゃ、ないけどね。ところで、きみのおばあちゃんは?」
「あっちにいるよ……今向こうで友達とお喋りしてるんだ。僕がいなくなったってビックリしちゃう前に戻らないと」
そうこうしているとエミリアの代わりに職員と話をしていた屋敷下僕妖精のガウンが彼女らの方に小走りでやってきた。彼はネビルの姿を目に止め、恭しく礼をするとエミリアの方に向き直って微笑む。「全て済みましたよ、お嬢様」
エミリアは頷き立ち上がる。
「またねネビル。あー……おかあさんたち、なおるといいね」
「うん。君もね」
永遠に叶わないと知っていることを口にして曖昧に笑ったエミリアは、母の入院する聖マンゴ魔法疾患傷害病院に背を向けて、ネビルに手を振りながら早足でその場を去った。
真剣に両親の回復を祈るネビル・ロングボトムという少年に、エミリア少し後ろめたさを感じていた。彼女は正直、母親にはできるだけ長いこと入院していて欲しいと思っている。
それに、エミリアはネビル・ロングボトムの両親が二度と正気に戻ることは無いと知っていた。知っていて見舞いの言葉を口にした。ネビルの両親が、彼らの息子を息子として愛する日は二度と来ない。それほどまでに彼らに遺された傷は大きく、酷い。
だからネビルとおしゃべりすると、どうしても申し訳ないような気分になる。
同じ病棟。近い部屋。同じ歳。
仲良くなるのはほとんど必然だった。彼とここで接触出来たのは、トンクス同様幸運だったかもしれない。けれどやりきれない感情が真綿のように首を絞める。
早足で歩いても罪悪感は振り切れなかった。
▽
あの楽しいホグワーツの日々から一ヶ月弱。なんだかんだ言って、エミリアとあの完璧主義者……こほん、クィリナスとの交流は続いている。
どちらからともなく始めた文通は大体二日で往復し、内容は無難な日常でのあれこれに加えて、文末に『b1のナイトをc3へ』といった具合にチェスの勝負が添えられている。
なお当然のようにエミリアは負け越している。
「ぜったいあいつ、せいかくがねじまがってる……ぞうきんしぼりみたいに、ねじまがってる……」
彼からのクリスマスプレゼントに贈られてきたマグル用の新品チェスに、今回の手紙で送られてきた相手の一手を打ち込む。クィリナスのクイーンは相変わらず縛りをつけているものの、エミリアの希望で彼のルークは落ちていない。つまり、クィリナスのハンデが緩くなった分実力差が更に浮き彫りになるわけで。
クィリナスへの悪態が尽きることは無い。
半分くらい嫌がらせで、クリスマスにはふかふかのウサギのぬいぐるみをプレゼントしたのはいい思い出だ。
成人男性の部屋にふかふかピンクのファンシーなうさちゃんがいる光景を想像して、エミリアは口元を綻ばせた。
「ガウン、かみとペンもってきて、ください」
「どうぞお嬢様!」
「ありがとう」
当然のように秒もかからず手元にやってきた手紙用の紙とペンにも慣れた。キーキー声にも慣れた。
屋敷下僕妖精というのは……本当に特権階級の特権なのだなぁと再確認して、そしてそれを易々と……かは分からないが人に貸すだけの余裕があるホグワーツは本当に規格外だと感嘆する。あの学校はやっぱりちょっとおかしい。創られた時からそうだけれど。
そう。エミリアはあの事件以降、魔法省での手続きを介してではあるが校長ダンブルドアから『エミリアの母親が社会的に復帰するまで』という期限付きで屋敷下僕妖精を一人貸してもらっていた。
その名をガウンと言う。
エミリアは白紙の手紙とにらめっこして、ペンを手に取り空中で何度か試し書きしてから書き出した。
「うーん……
『親愛なるクィリナスへ。あけましておめでとうございます。今日は病院に行って、偶然ネビルと会いました』
ぶっちゃけ、それいがいにかくことないな……
『ネビルというのは、以前も書いたかもしれませんが病院で出来た友達です。親のお見舞い仲間です』
……うん
『君とトンクスと同じくらい仲の良い友達だと思います』
ともだちすくなすぎだな、わたし……かいこうして、わだいをかえよう。
『クィリナスは新年をどうお過ごしでしょうか。授業の準備でしょうか』
いやみっぽいかなぁ……
『良いお年を。g2のポーンをg3へ。エミリア』」
もう新年。不思議な気分だ。描き終わって、そういえばクィリナスの誕生日って何時だろうと気になり始める。友達の誕生日を知ってないとなんだかムズムズする。もっとも聞いたとしてもメモしておかないとすぐ忘れてしまうのだけれど。
『追伸。そういえば、君の誕生日っていつですか』
今度はふかふかのファンシーな鴉のぬいぐるみでも贈ってやろうとエミリアは口元に笑みを浮かべる。レイブンクローの生徒で喜ばない人はいない……と思う。たぶん。確かレイブンクローだったよな、クィリナス。
二日後。『9月26日。ところで君の誕生日は?』を文頭に帰ってきた返事にまずはチェスの動向を確認して、返しの手紙に『私がホグワーツに行った日です』と返したら、更に二日後『トロールでも分かるチェス入門書』と『トロールだと少し難しいチェス指南書』が贈られてきた。「遅れたけれど誕生日プレゼントです」という文言と色鮮やかな押し花の栞を添えて。
喧嘩売ってんのかな、とエミリアは思った。
しかし悔しいことにそれが実に分かりやすいのだった。正直なところ、トロールが読んでも理解できないであろう暗記必須の戦術が多数載っていたので、タイトル詐欺だと思うのだが。
「なにかおかえししたほうがいいのかな」
エミリアはちらりと母親の鏡台を見る。そこには一式の裁縫セットが置いてあり、触っていないにも関わらず箱から飛び出そうとばかりにガタガタと鳴っている。マグルが見たら軽くホラーだろう。
エミリアは裁縫セットに近づいて、それを押しとどめていた蓋を取った。びゅんと飛んできた断ち切りハサミが蓋に当たってエミリアは思わず蓋を取り落とす。途端、ハサミは人に危害を加えそうになった事を恥じたようにひゅるひゅると箱の中に収まってピクリとも動かなくなった。
代わりに糸切りハサミがチャキチャキと刃を鳴らして「何か御用?」と尋ねてくる。エミリアは微笑んで、「からす、ぬいぐるみ」とだけ言った。
張り切った針達が飛び出してきて、エミリアの頬を掠めた。エミリアは慌てない。以前うさちゃんのぬいぐるみを作ってもらった時もこうだったからだ。
「9がつ26にちに、まにあえばそれでいいんだけどなぁ……」
エミリアの呟きは完全に無視され、数時間後に見事に完成した鴉のぬいぐるみにとりあえず"牛若丸"と名をつけた。牛若丸は自分のものにすることにしたのだった。
母親の裁縫セットを撫でて思う。
色々あったが、魔法界って楽しい。
……その「色々」の部分が無いならば、きっともっと楽しくなったのだろうが。
▽
「やっほークィリナスおひさ」
「ああ……久しぶりだね」
週末のダイアゴン横丁露店。特に何をするでもなく髪飾りを冷やかしていた時に、ふと外にいた特徴のこれといってない男性が目に止まった。本屋に入っていく姿にもしやと思って尾けてみれば、案の定それはクィリナスだった。
「なーにしてるの?」
「……見ての通り本を探しているけれど」
「てつだおうか?」
「いいや?」
「あっそう」
普段おどおどしているくせに断られた。まぁ別に構わない。クィリナスは予想外に現れた顔見知りに動揺したらしく、視線をさ迷わせた。彼は、たぶんあれだ。予め人に会う予定を立てておかないと人に会うことができない人種だ。
にまにましながらエミリアはクィリナスの後ろを雛鳥のようについていった。久しぶりに友達に会えたので、気分が跳ね上がる。
「……なんだい?」
「いーやなーんも?」
呆れるような、訝しげな声を跳ね除けてエミリアはこれ以上できないほどの笑みを顔に浮かべる。その顔に何を思ったのか、クィリナスは「楽しいことは何も無いよ」と子供に諭すように言った。
チェスは手加減しないくせにこういう時だけ子供扱いするのは本当に卑怯だ、とエミリアは思ったが、それを表現するほどの英語力はなかったので何も言わなかった。
「みてるだけでたのしいよ」
「……私を?」
「うんそうかも。ところであとでチェスしない?」
クィリナスは眉を寄せてうーんと唸った。即答しないということはこの後の予定は無いのだろう。けれどチェスはそこまでしたくないらしい。
それを見て、エミリアの自分の要求を押し通そうとしていた気持ちがしゅるしゅると萎んでいった。友達の嫌がることを強要する趣味はない。
ホグワーツでは躁だったためにそういう所を無視していたが、別に困らせたいわけじゃない。
「じゃ、いいや。ばいばい」
「え、あ、ああ……」
「こんど、きみのきがむいたらまたやろうね」
「あー……うん」
そんな申し訳なさそうにしなくてもいいのに。ハキハキと喋らないところは彼の良いところでもあるけれど、悪いところでもある。
これほど教職に向いていない教員も居ないよなぁと思ったけれどもちろんこれも口には出さなかった。
しばらく口をもごもごさせていたクィリナスは、やっと決心がついたように口を開いた。
「その……チェス盤は?」
「? もってるけど?」
「……持ち歩いているのかい?」
「うん。ほら」
エミリアが懐からチェス盤取り出すとクィリナスは頬を引き攣らせた。
「どうなってるんだそれ」
「えっ? ふつーに、ふくのしゅうのう、ポケット……」
「あ、あぁーなるほどそういう……それ、誰にも言っては駄目だよ」
「え? うん」
例の襟が伸びる服を母から買い与えられて、空間拡張魔法がかかっているらしいとエミリアが気がついたのはすぐだった。何時だったか、ハーマイオニーがバッグにかけていたものと同じ魔法だ。
某国民的アニメの猫型ロボットのポケットの如くものが入る。おかげでこれまで手に荷物を持ったまま移動したことがない。
なお、魔法省の許可の出ていないものにこの魔法をかけるのは違法なのでエミリアは今クィリナスに盛大に弱みを握らせたのだが、肝心のエミリアはそのことにまったく気がついていない。
クィリナスは当然気がつき頬をピクピクと痙攣させたが、結局口止め以外には何も言わなかった。
「あー、チェスだが、いいよ。あとでやろう」
「いいの?」
「とりあえず本を見ても?」
「いいよ。わーい。じゃ、あとで『もれなべ』いこ」
「ああ」
ほとんど隠遁生活と言って相違ないエミリアの生活はもはや一定のリズムを刻むことしか出来ず、エミリアは退屈に殺されそうになっていた。母のお見舞いに行くのも、母の身を案じてというよりは暇つぶしの度合いが大きい。娘としては落第点もいいとこだ。
暇を潰すと言わずとも、共に時間を過ごすならやっぱり気の置けない友達の方がいい。
ネビルとは友達だが何となく後ろめたさを感じるし、ドーラとたまに手紙は交わすもののそれほど筆まめな性格ではないようでまともに返事が返ってきた事はあまりない。ガウンは友達と言うには恭し過ぎる。
つまるところ、エミリアにとってクィリナスとはほとんど唯一の友達なのだった。
もしかして、私寂しい人間なのでは?
エミリアは悲しい事実に少なくないショックを受けながら、漏れ鍋で何を頼もうかと頭を悩ませることに集中した。
次回更新は5/22 20:00です。