765プロライブ劇場。
公演に誘われるのは初めてのことだった。もっと言えば、晶也がジュリアのステージを観ること自体初めてである。デビュー当時から応援している身としては、彼女が出演する全てのライブに参加したかったのだが、いずれも彼女に反対されていた。
――関係者席とか貰えないの?
――ヤダ。観たいなら自分でチケット買って。破り捨てとくけど。
そんなことを言っていた彼女が、ようやく「観に来て欲しい」と言ってくれたのである。
今までだって恥ずかしかったわけではないと思う。まだ披露できる段階ではなかったのだろうか。父に認めさせなければならないという彼女の背景事情は理解しているが、自分まで断られる理由は分からない。そのたびに晶也はつまらない顔をしてみせた。
「……いつも話は聞いてたけど、いざ実物を見るのは初めてだな」
半透明にぼやける海。水面での光の反射は結構強い。いい場所だな。晶也は瞼の上に手を乗せたりしていた。
すでに開場しているはずだが、辿り着いたシアターの周りにはいくつもの人だかりが出来ている。その多さに圧倒され、思わず「すげえな」と呟く。ミリオンスターズを過小評価していたわけではないが、いかんせん初めてのことで戸惑いが隠せない。自分が広い海の入り口に紛れ込んだ川魚になったかのような心地がした。
海原の中には名刺交換を行う者らの姿があった。何のための名刺かは分からないが、初対面なのだろう。共通のアイドルを応援――いわゆる
一方で、開演までまだまだ時間はあるにもかかわらず入り口付近も行列だ。更には館内の込み具合もなかなかで、これはトイレのことも考えないとな……って、こっちもすごい行列!
自由席でもあるまいし、皆してこんなに早く入場しなくたって……と首を傾げていた晶也。会場に入ってすぐにその答えに直面した。
「え……っと、開演前だよな?」
なんだよこの盛り上がり方は。
足を踏み入れたその瞬間、通路の両サイドから歓声が吹き付けた。
抜けてるのかってくらい高い天井までこだまするざわめきと、響き渡る楽曲。そのリズムに合わせて揺れるペンライト。サビに突入するとその輝きは一層増していて。なんだか分からないけれど、物凄くエネルギーがみなぎった空間がそこにはあった。
「なるほど」呟いて、上手い言葉が見つからなくて、晶也はもう一度「なるほど」と口にした。
ジュリアに渡されたチケットに記載されている座席は、ステージから近いとはいえない二階席。恐らくその一帯が関係者用の座席になっているのだろう。アリーナや一階席は一般に応募した人たちのためのもの。特に不満はない。ステージ背部には大きなモニターもあることだ。
目当ての席に支障なく辿り着き、入場口にて渡されたチラシに目を落とす。簡単なアイドルの紹介がされている。
予めジュリアから説明された公演の概要によると、本日出演するのはジュリアを含めて十三人のアイドルたちだ。フェアリースターズと呼ばれる彼女たちが披露するは新曲。彼女たちのテーマソングである。その名も『FairyTaleじゃいられない』
もちろんそれだけじゃない。本日の公演には、ミリオンスターズの主題歌となる『Brand New Theater!』に始まり、各々のソロ曲までもがセットリストに組み込まれている。そしてその内に、ジュリアの『流星群』も含まれていると聞いた。
――え? 『流星群』歌うの?
――もちろん。ようやくご対面だな。
ジュリアからことごとく突っぱねられていた晶也は、未だに直の『流星群』に触れたことがない。当然収録されたCDは発売しているし、ラジオでも流れている。曲自体は知っている。ただ、イヤホン越しに聴くそれと、生のそれとじゃ天地の隔たり、雲泥の差だ。
家でもよく、ギターをヘッドフォンアンプに繋いで弦にピックを叩きつけているジュリア。しょっちゅう流行りの曲や晶也の知らない古そうな曲、色々と口ずさんでいるはずなのに、完成から二か月半『流星群』を奏くことは一度もなかった。
その理由はなんとなく分かる。
――悪かったな。もちろんあんたがリクエストしてくれたら、歌っても良かったんだけど。
――いや。客席で聴けるまで我慢する。
特に、あの曲は。
ジュリアの紡いだ『流星群』は、アイドルという未知の世界への意気込み。そのステージの上でこそ真価を発揮するものだと思う。
だから、いいんだ。
記憶の蓋を緩めていると、BGMがフェードアウトしてゆく。照明が消え、会場が暗闇に染まる。たちまち場の空気が揺れた。事務員と思しき女性の声のアナウンスが流れ始めると、いよいよ晶也は心臓の高鳴りを覚えた。まるで示し合わせているかのように会場は緑色になり、特別な高揚感が、観客の声と共に晶也を包む。
伝染する熱気と振動。無意識的に口角が上がって、仕方がない。
『とびらあけて さあ 行こうよ――――』
スポットライトの光が、十三人を照らした。
ブレイビングフェアリアル。彼女らの纏う衣装の名前だ。所々に施されたモノトーンストライプは、シックで彼女らの大人びた雰囲気を助長する。アンシンメトリーなレースの蒼きフレアスカートはさながら情熱の炎。散りばめられたラメが火花のように、ライトの光を反射する。
『私たちの Brand New Theater Live――――』
ライブが始まった。じわりと胸が熱くなる。
この時の理屈を超えた感覚を、毎回味わうことができていたファンたちを、ずるい、とさえ思った。
『みなさーんっ! 盛り上がってますかーーーーっ!』
歓声。
『アタシも気合入ってきた! 本気のアタシたちを見せつけちゃうから、ファンのみんな、覚悟してなよ~?』
歓声。
『それじゃ早速、新曲のお披露目といこう♪』
『ま、待ってくださいジュリアさん。ちゃんと皆さんにご説明しないと……』
『あ、ごめん。気が逸っちゃって』
笑い声。
茶番にも思える掛け合いが終わると、再び歓声が弾ける。
『それでは聴いてください――――』
『FairyTaleじゃいられない』
時に掛け合い、時に重なる少女たちの歌声は情熱的に応え、共鳴していた。
歌声を、一音を、その余韻を最後の一滴まで会場に染み込ませて、彼女らのテーマソングの初披露は幕を閉じた。
向けられる地鳴りのような歓声。ひび割れて聞こえるほどで、吹き飛ばされそうになる。
「これが……。なるほどね、化け物揃いだな」
全身が粟立っていた。熱波のように全身を包む歌声、雪崩れる喝采。負けじと拍手をした。関係者席には若者の姿はほとんど見当たらず、声を出すのは恥ずかしかったのだ。だから代わりに、手のひらが真っ赤になるくらい叩いた。
それから予感。すでに感じ取っていた。
間違いなくこの日を境に、フェアリースターズの名が、世界に轟き始める。
ジュリアをスカウトしたプロデューサーの『39プロジェクト』も、上手くいくに違いない――と。
――ステージから見る光は、まるで星みたいなんだ。
天から降り注ぐような光輝。ジュリアの言葉が鼓膜の奥で蘇っていた。
――こっちから見えるお前も、星みたいに輝いているよ。
と、思うはずだった。
ソロ曲五番手。黄色いレス・ポールを構えたジュリアが、ステージの中央で旋律を手繰る。
事件だった。
それはこの会場にいる大多数にとって気にも留めないことだっただろう。しかし晶也にとっては、水を浴びせられたような出来事だった。
晶也は混乱していた。息をするのを忘れていた。それが、感動や興奮に因るものであればどれほどよかったことか。これは夢か? 悪い幻覚か?
呆然と立ち尽つくすことしかできなかった。金縛りにあったかのように、指先一つ動かすこともできない。足元から這い上がってくる冷気のような何かの正体は――ジュリアの歌声によるだった。
「あれ――? こんなんだったっけ……?」
それが率直な、一番初めの感想だ。
期待外れとは似て非なる。決して質が低いわけではなかった。巧拙で語れば間違いなく上手い。ジュリアの前にソロ曲を披露していた他のアイドルたちも相当のレッスンを積んできていることが伺えたが、抜きん出ている腕前。やっぱり彼女は、歌が上手い。
ギターも同様だ。踏み間違えもなければ濁りもない。手元を意識しすぎている様子もない。765プロがジュリアのために惜し気なく良い機材を用意してくれていることも分かる。
なのに、この違和感は何だ。
何だろう。この感じ……。モヤモヤする。厭な音で心臓が鳴っている。
晶也の知るジュリアの歌声とは、鋭いメッセージ性を込めた歌詞を攻撃的に発する歌い方のことだった。他を寄せ付けないほど圧倒的なまでの気迫。底の知れないからこその不気味な可能性。歌がひとりでに喉から迸り出て、唇から零れ出しているかにも思える純朴さ。焼けつくほどに鮮烈で、爆発的という言葉がよく似合う――。
いや、柔らかくなっているのだったらそれはそれでいい。それは衰退ではない。彼女に何かしらの心境の変化があった、という点に於いての成長だ。
ただ、ここでの彼女はそうじゃなくて……。
歌声がギターに負けているような……。いや、
ギターを弾いて歌うこと。それは声を受け取ったマイクと、弦をまさぐる指からの信号を受け取ったエフェクターがハーモニーを見つけ出すことだ。別々の方向を向いているのなら、それは共鳴でも何でもない。
楽器は必ずしも自分の味方とは限らない。ただし、何よりも素直な存在だ。自分がそれを身近だと思えば思う程、それは親しいものとなる。彼女にとってのそれは……同じ高みにあるものだった。
そのはずなのに、何かが足りない。足りないじゃなくて、出し切れていない……?
これがあの『流星群』なのか……? あんなに前向きだったはずの想いがどこにも見えない。いや、まさかこれを紡いだ時の彼女の気持ちが嘘だったなんて思えない。思いたくもない。
だけど今、ステージで光を浴びているジュリアは苦しそうな顔をしている。かつて歌うことが好きだと語った瞳が深く濁っている。もちろん、そう見えただけだ。前列とはいえ二階席から伺えるものなんてたかが知れている。
――ただ、分かるんだよな。
時として音楽は、言葉をいくら並べても届けられない何かを伝えてしまう。
――今の俺がギターを弾いたら、きっとあんな音になる。
あれは、
それを認めた途端、胸の中が窮屈になった。締め付けられるみたいに。なんでお前、そんな顔して歌ってるんだよ。音楽が、歌うことが好きなんだろ? どこ行ったんだよ。
そう簡単に慣れることもないだろう、バンド時代よりも遥かに大きな舞台。表情に緊張が走るのは分かる。でも、そんな顔じゃない。だって彼女はいつも、むしろ挑むようなスタイルで臨むのだ。
……いつも。
いつも……って、いつだよ。見ていない俺はそれを知らない。喉の奥が震える。
――俺が知らなかっただけで、アイドルのジュリアはずっと、こうだったのではないか。
悪寒が背中を這い上がる。あの景色はもう戻ってこないんじゃないか。まるで世界そのものにひびが走ったような心地がして、酷い眩暈に襲われる。
逃げるように見回した視線の先では、間奏ごとに沸き立つ会場。ジュリアの歌声に疑問を持つ者は誰一人としていないように感じた。
しかし、その予感はおそらく正しい。少なくとも今、この会場に於いて晶也と同じ心境の観客はいない。ギターを奏する彼女の物珍しさや、歌の上手さに誤魔化されているわけでもなさそうだ。これが意味することは――
――たぶん、この人たちはジュリアのアイドル性を見ているんだろうな。
と、思ってからついに晶也は自分自身にも疑いを抱き始めた。
ん……?
それが正解なんじゃないか?
だってジュリアはアイドルだよな。
俺が間違っているのだろうか。俺は……今日ここに、何をしに来たんだろう。あいつのアーティスト性を見に来たのか? あいつの歌を聴きに来たのか……? それとも――。
ああもう、わけわかんねえ。
耳を塞ぎたい。その正体を突き止めたいというより、この場から逃げ出したいという思いの方が強かった。熱気を増す観客に反比例するように晶也の心は冷静さを欠いていった。焦燥。狼狽。それから深憂。
ただ、こんな俺にも一つだけ分かること。
彼女が本当に見せたかったものは、こんなものじゃなかったはずだ……ってことだ。
アイドルのステージに立つジュリアの頬に、青く輝く星は無かった。
開演前のBGM、いいですよね。
いつでしたっけ、『ゆくM@S くるM@S』さんで、最近はその選曲や音量にも意識をしていると仰ってましたね。たぶん一昨日のだった気がします。
サビに突入したときのぶわっって感じが好きなのですが、個人的にははちぽちの『紅白応援V』、行けていないので味わいたくて溜まりません。
はちぽちと言えばXsリリイベで平田宏美さんがはちぽち2やりたい、って言ってくださったので私はずっと待ちます。
協賛の読み上げ、たまに知らない企業名でもごもごになるのが私です。