『あたしがジュリアでいるうちは』   作:撫音

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    珈琲よりも苦い(2)

 ――桜並木につつまれた神社の石段に、()()は腰かけていた。

 その少女は一人だったが、独りではなかった。

 彼女は、楽器を抱きしめている。サンバーストカラーのギターだ。買ってもらったばかりなのだろうか、ボディは陽の光を反射するほどで、傷一つない。しかし一日中触っていたのか、手の油と指紋がべっとりくっ付いていた。彼女がそれを気に入っている証拠でもある。

 ()()()は今、その少女を俯瞰している。彼女には、前向きで真っ当で、穢れさえ知らないような雰囲気があった。

 そして彼女もまた、じっとわたしを観察しているようだった。ひしひしとそれを感じる。わたしを見つめるその瞳は碧くて、澄んでいて。

 ちくり、と何かが胸を刺した。感覚的なもの。

 わたしはあの瞳を知っている……?

 知っているのになぜだろう、思い出すことができない。記憶を遡ろうとすると、やはり知っているという事実ばかりが想起された。惜しいところで途切れるというより、すっぽり抜け落ちているような。もどかしいけど、同時に寂しく感じるのも、なぜだろう。

「        」

 彼女が何かを言っていた。目に宿る光さえ見える距離にいるはずなのに、聞こえない。耳に届くのは自然の音だけ。それらも意識して初めて届くものだった。鬱蒼とした木々が悶える音。

 不思議な感覚がある。なんだろう、このざわざわした感じ。――これは、夢か。

 

 すると――場面は一転し、わたしが知っている部屋になった。ここなら、知っている。わたしはこの場所で育った。彼女が学習机の引き出しを開けるのを、わたしは黙って見つめる。わたしより一回り小さい身体。

 振り返った彼女の、私より小さい手には――手書きの楽譜が二枚。それらは別の曲らしい。一つは新しく書き込みが多いものだった。消しゴムを使った痕跡が幾つもある。曲名はないけれど、

 二枚目は折りたたまれたらしく十字の跡がある紙で、十六小節しかないコード譜。続きはまっさらだったが、上部に丁寧な字で何かが書いてあることを認めた途端、わたしは(むせ)た。

 こんなのはおかしい。どうしてこんなにも苦しいのだろう。

 

 彼女は悲しそうな顔を見せた。わたしを見て、翳を顰めた表情で。

 本当は、分かっているんでしょ?

 彼女の声がわたしの鼓膜に重たく響いた。分かっているって、何を。

 じぶんを一番『アイドルじゃない』と思っているのはじぶんなんだって。

 違う。

 違わない。

 違う!

 違わないだろ! だったら、今のじぶんを否定するために、わたしまで否定するな!

 わたしははっとした。

 わたしから目を逸らすの? 逸らせるとでも思ってるの? 今のおまえの基礎となるのはわたしなのに?

 

 そうか。彼女は気づいているんだ。今のわたしの醜さに。

 ああ。これは、夢なんだ。

 それじゃあ、この夢の主人公は誰だろう?

 彼女は誰だ。

 彼女は……あの、透き通った瞳を持った少女は。

 そうだ。あれは。

 

 ――――ジュリア(あたし)だ。

 

 

 …………

 ……

 

 それに気が付くことで、ようやくジュリアは目覚めることを許された。

 

 悪夢を見ていた……らしい。というのも、一瞬で思い出せないくらい、その内容は薄れてしまうからだ。歯がゆいものがある。何か、大切なことを説いていたような気もするのに、霞がかかったみたいに、どんどんどんどん。直前の辛うじて覚えている範囲だって、遠い昔のようなセピア色。

 ふっ、と我知らずの苦笑が滲んだ。ほらな。心の中で呟く。

 ――所詮、夢ってのは、そんなもんだよな。

 目が覚めれば消えてしまう。瞼を開けば、そこにあるのは現実だ。

 ああ。だけど、一つだけ分かることがあるな。その夢がとても苦しく、そしてもの悲しい夢だったということだ。だってほら。頬に残るは涙の跡。髪の毛が束になって張り付いている。

 それを認めると、また、苦いものが浮いて出た。……弱いな、あたし。

 泣いていたのか、あたしは。

 

 明瞭になってくる視界。シアターの医務室の天井を意識するのは初めてのことだった。清潔感のある白で統一された部屋。学校にあったような細長い蛍光灯が何本も並んでいる。今、何時だろう。遅い時間だったら、晶也に連絡しないと――。

 肩肘をついて起き上がろうとすると、

「……もう少し横になってなよ」

 温かい声がした。――え?

 ベッドの脇、背もたれのない丸椅子に座っていた晶也の存在に、ジュリアはようやく気がつくのだった。

 

 

 戸惑いをたっぷり溜めた目で彼を見る。

「憶えてないか?」優しい声で晶也は言った。「レッスン中に急に倒れたんだってさ」

 憶えている。突然、瞼の上から目をぎゅっと押さえつけられたような圧迫感に襲われたと思ったら、視界の奥で赤や緑の閃光が弾けて、それから――。

 いや、意識はすぐに戻った。ただ、視覚も聴覚もうまく機能していないような感じがあった。水中でずうっと息を止めていた時のような……。

 ヘンな倒れ方でもしたかな。先ほどから左肩に鈍い痛み。記憶と共にどっと疲労が浮いて出る。ここに寝かされるまでのいきさつを反芻すると、たしか傍らには美咲と風花(ふうか)の姿があったはずだ。続きを促すと晶也は、

「765プロさんから電話が来たんだ」と、足を組み替えた。

「ジュリアが倒れたって聞いて、可能ならシアターに来てほしいって。……青葉さん、驚いてたぜ? てっきり親御さんが出ると思いきや、こんな爽やか青少年だもんな」

「……えっと?」否定はしないけど……。

「お前が続柄のとこ、記入していなかったから」

 どことなく責め立てるようなニュアンス。続柄。そこまで言われてジュリアは気づいた。「思い出したか?」とでも言いたげな嘆息に、こくこくと頷く。

「……お前、緊急連絡先を俺の携帯番号にしてるんだってな。俺も滅茶苦茶ビビった。急に知らない『東京都』表示の電話かかってきて」

 そういえば……そうだった。

「事情は分かってるからいいけどさ。家には固定回線引いてないもんな」

 

 晶也はふと、ジュリアから視線を逸らす。

 少なくとも765プロとの契約時、ジュリアは福岡の自宅を登録するつもりはなかった。両親のもとに、アイドル事務所からの電話が届くことは極力避けたい。気まずさを声にすると、彼の肩からほっと力が抜けたのが分かった。「怒ってはいないけど、教えてほしかった」

「ごめん。すっかり忘れてたんだ。その欄は飾りだとばかり思ってたからさ」

「……だったら、使わなくていいように努めような」

「あはは、ぐうの音も出ない」

 ジュリアが力なく笑い返したあと、晶也は「あ、そうそう」と思い出したように続けた。

「俺、咄嗟に『きょうだい』名乗っちゃったけど、平気?」

 すかさず答えた。「もちろん。入寮断った時に、ちゃんと」

 入寮、と口にして、彼との生活が始まってからすでに五か月が経過していることに思い当たる。色々なことがさあっと掠めた。時間が経つのって、本当に早い。

「ボロは出さなかっただろうな」

「どうだろ……たぶん」

 ほんのり苦い感じの笑い方をした晶也を見つめる。

 揃って沈黙した。バレるのも時間の問題かもしれない、とも思った。

 

「でも、結果的には正解だったな。今回に限っては、俺に連絡が来てよかったよ」

「わざわざ駆けつけてくれたんだもんな、その、サンキュ」

「いや。……俺も、ジュリアがここまで無理してたことに気が付かなかったから。ごめんな」

 ジュリアが「ありがとう」を言ったのに、晶也は少し寂しそうな顔をして「ごめん」と言った。晶也の腕が伸びてきて、大きな手のひらでジュリアの頭を撫でる。首を振り、ううん、と口の中で呟いた。気にしなくていいのに。それを隠したのはあたしなのに。

 あの日、ジュリアは激しく動揺した。そして何度も何度も自問自答を繰り返した。四六時中頭から離れず、レッスンにも集中できなかった。とぐろを巻いた思考は、必ず元の場所に戻ってくる。

 美希の言葉が、今もはっきりと耳に残っている。でも、違う。

『ジュリアは、アイドルじゃないから』

 ――あたしはあの時、そうだよな……って思ってしまったんだ。

 ショックだったのは、そんなことを美希に言われたからだけでなく、自身の心根に気づいてしまったからだった。

 自分の中にある、迷いと、疑い……のような何かに――。

 

 少し顔を上げて、晶也を見る。にわかに空気が湿っぽくなっているのは、彼も気がついているはずだ。それなのに――。

「その、何があったか、訊かないんだな」

「……話せるようになってからでいいよ」

 晶也は少し考えこむ素振りをしたが、すぐに穏やかな口調と表情になってそう言った。力が解かれたような微笑み。どことない遠慮があるようにも見える。

「よく言うだろ。明けない夜はないって」

「そうかもな――」

 ジュリアの視線は虚空を彷徨った。確かにそうかもしれない。

 

 

 明けない夜はない……か。

 誰かを励ますときによく使われる文句だ。辛いことにもいつか必ず終わりが来る。時間が解決してくれることもある、永続することはない――と。

 だけどもジュリアはふと思うのだ。

 朝の到来の後にはやがて再び暗い夜がやってくることを、誰も言わないのはどうしてなんだろう。

 

 でも、晶也がいる限りは、一人じゃない。あたしのこれも、悪くない。

 ジュリアは彼の温もりに身をゆだねる。ほっとする。

 

 ――でもな、晶也。あたしは知っているんだよ。

 




 以前の後書きでも少しお話ししましたが、ジュリアのリスペクトしているギタリストはジミヘンなんだろうなあ、とぼんやり思います。

 親愛度200より、「あたしのギター、リスペクトしてるギタリストと同モデルなんだ」とのことですが、流石にCustom Shopのジミヘンモデルは新品で60万。いやいやいや。何よりあのラインは白と黒しかなかった気がします。というのも『パンクロックの魂』ジュリアのストラトは別の色。
 ということで、2015年に発売した『Jimi Hendrix Stratocaster』に、2018年に追加されたカラー・サンバーストのギターを――ということにしています。10万ちょいで買えるしね。
 設定段階ではどうだったんだろうね。そうじゃないと1998-99に米国で製造されたジミヘンモデルとかになってしまいそうだ。


 余談ですが、私その『パックロックの魂』のカード、滅茶苦茶嫌いだったんです。もっと言うと、興味ないアイドルを除いて、ジュリアというキャラクターが当初一番嫌いでした。純粋に外見、ガシャからやたら調子乗った顔で出てきたからなんだけど……。
 何があるか分かりませんね。今や胸を張って好きと言えます。

 2020/5/16 撫音

 
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