――まさか、この場所で会えるとはね。
彼の姿を見つけた途端、幻かと思って瞬きをした。胸の鼓動が早くなるのを感じた。
福岡市中央区天神。警固公園。……そうだ、彼の祖父と出会ったのもこの場所だった。
ベンチに座ったまま、こちらを見上げるようにしている
――やっぱり、血は争えないというか、裏切らないというか……。
そんな思いが心をよぎった。
ジュリアの音に、歌声には嬉しさが滲む。
☆☆ ☆☆
「隣いい?」
「もちろん」
水銀灯の下のベンチで、快く返事をした晶也は一人分の空間を作ってくれた。
差し入れ、と渡された五〇〇ミリリットルのスポーツ飲料。受け取ると火照った身体には水滴さえも気持ちが良い。蓋を開けて呷ると中身が一気に半分ほど減った。ぷはっ。
「また会えるとは思ってなかったよ」
偶然? と訊くと、彼は笑顔のままもう一度頷いてくれた。
「墓参りをして帰る途中だったんだ。そしたら歌声が聴こえてきて……つい、な」
「……そっか、嬉しいな」
ジュリアが一息置いて切り出したのは、彼の祖父との出会いについてである。
あれは高校入学を目前に控える春の日。葬儀からおよそ、三か月前のことだった。その日もジュリアはここでギターを弾き、歌っていた。
「……実はさ、あんたのお爺ちゃんともこの場所で出会ったんだ」
ジュリアはここ福岡で生まれ育った。ジュリアというのは本名ではなく、あだ名でもなく、芸名みたいなもの。……アマチュアだけど。
今年の九月で十七歳。自身の大部分を構成するのは音楽。その中でも、ロックミュージックが一番好きだ。髪をかき上げパンクメイクを施すのは気合を入れる時。そして、音楽に触れる時。
――歌が先だったか。音楽が先だったか。
それはいつの時代にあってもその詩が、メロディが、リズムが人々の心へ強く働き掛ける。初めて楽器を持った瞬間から、ジュリアはその世界にどんどんのめり込んでいった。音楽が持つ奥深さ、面白さに、夢中になっていった。
まっすぐに好きだった。ギターを弾くことが。音楽に触れることが。そして、
「昔から歌うことが好きでさ。今までもよく、こうやって路上で歌ってたんだ。ギターさえあれば、どこへだって行ける。そう思ってた」
晶也が一瞬返答に迷い、その隙に言い添えた。「ああいや、昔はヘタクソだったぜ? すごく」
はじめたてなんて、上手く指も動かなかったことも憶えている。
日常生活の中で意識せずとも器用に動いていたはずの指が、いきなり自分のものでなくなったかのように、ぎこちない。もどかしいとは思った。しかし嫌な気はしなかった。その難しさが癖になるようだった。
タブ譜との睨めっこを何度も繰り返すうちに、簡単な曲のワンフレーズが弾けるようになる。あの時の嬉しさは、他に例を見ないくらいの心地よさだ。その日はずっとそればかり奏いたっけ。
ピックの持ち方、ピッキングの種類。それからコード。覚えることがたくさんあったが、理解するごとに景色が見違える。質が上がるごとに世界が変わる。
ジュリアは一日たりとも絶やすことなく、心を焦がし続けていた。
しかし、その時は唐突に訪れたのである。
「でも、物事はそんな上手くいかないよな」
声色が落ちたのが、自分でも分かる。晶也が不思議そうにジュリアの顔を見直した。
「誰にでも、壁にぶち当たることはあるだろ?」
「……そうだな」
――でも……あの時のあたしは、その壁を越えることができなかった。
ジュリアは
今でも、時に思いだすことがある。かつてジュリアは同じく音楽が好きな友人らと組んだバンドで、ギターボーカルを務めていた。
井の中の蛙だった。もっとも解散理由を音楽性の違いなどという安っぽい言葉で語るつもりはない。自分に非のない衝突でもなかった。だけど、
「それでも真剣に自分たちの可能性に夢を見ていた時期があったんだ」
しかし、夢を追い続けた果てにあったのは現実だった。
仲間を失ったジュリア。その日から「自分たちの夢」は自分一人の夢になる。
志を同じくする仲間と音色を結ぶことの楽しさを知ってしまっただけに挫折に近い心情でいた。しかし幼い自分には、それをどうこうする算段を考えつかなかったのだ。
かくして、ジュリアは歌った。独りでも。それしか自分にはなかったから。その選択こそが正しかったのだと信じさせてくれる光が射すまで。
「あんたのおじいちゃんと出会ったのは、そんな時」
「……全く、知らなかったよ」彼の瞳には驚きの色が滲んでいだ。
じいちゃん、そんなこと一度も言ってなかったから、と変わらぬ声色で言う。
「タイミングの問題じゃないか? あんた、住まいは東京なんだろ?」
「なんだ……。そんなことまで話してたのか」
「ああ。東京に、あたしと同い年の孫がいるってさ」
晶也は、今度は口の端を歪めた苦笑いを浮かべる。それを認めてジュリアは「それ以外は何も聞いてないよ」と、言い繕うようなことを言った。
まだ。と、思った。今も彼は祖父の影に囚われている――。
幾つもの感情を宿した深い眼差しで、ジュリアを見ていた晶也の祖父。
芯のある声は、一年の時を超えても鮮明に蘇る。
「驚いたね」だったか「不思議だね」だったか。初めの言葉の記憶は曖昧だ。ただ、その独特な息遣い。言葉のタイミングの取り方。何かに精通している人だとすぐに分かったことを憶えている。
――何か、悩み事でも?
――いや。……その、バンドが解散することになって、独りになっちゃってさ。
照れくささと後ろめたさのようなものがあって、初めは視線を合わせられなかった。
――君は独りじゃない。君には、音楽があるじゃないか。
そして音楽が、たとえ物理的に離れ離れになったとしても、君と彼らとを結んでくれるよ。
「……あの時おじいちゃんは、君のような若い芽がこれからの音楽を支えていくのだろう、って嬉しそうにしてた」
め、と晶也が訳知り顔で呟いた。
ジュリアは黙って肯定する。
自分の中に眠っている音楽的才能でも褒められたのだろうか。あるいは、純粋な若さを。当時ジュリアは言葉の意味を一生懸命吟味した。
「おかしいよな。……よく解らないまま歌ってたのにさ」
あの時のジュリアの音は、何かを必死に拭おうとする音だった。「怒り」とも「哀しみ」ともつかない想いを、ただひたすら、八つ当たりなんじゃないかってくらいぶつけていた。ただそれだけなのに。
ましてや、そんな自分の歌が誰かに衝撃を与えるものだとは予想だにしていなかった。
でも、なぜだかその言葉が無性に嬉しかった。
音楽は素晴らしい。絶対的な真実だ。
ただ、自分が音楽を支える――というのは、考えたこともなかったジュリア。自分にも務まるのだろうか。純粋な疑問として浮かび上がったそれを、即座に尋ねていた。
「だから……その時あたしは訊いたんだ。『あたしでも大丈夫か』って」
その時の答えは今もジュリアの胸の奥底で燃え続けている。
不意に晶也が考え込むような表情になった。瞼を閉じ、そこからたっぷり五秒は黙っていたと思う。ジュリアもなんとなく何も言わないような気がして、彼の言葉を待つと、
「何度失敗しようと、
彼は静かに、しかし身を乗り出すようにして言ったのだ。
わざと印象付けるためにそうしたわけでもなさげな、彼の口調。それを彼の祖父に言われた時と寸分たがわぬ衝撃がジュリアを駆け抜ける。
ああ、と粟立った腕をさすりつつ応えた。
でも一体、彼はどうしてこの言葉を……。
そんなジュリアの心の内を肯定するように、「俺も言われたことがあるだけさ」と彼は声を和らげた。
「まあ、単純に言えば努力は裏切らない。諦めなければいつか必ず叶う……ってことなんだけどさ」
「いや……。
「諦めない」ではなく「もう一度」
その言葉に、どれほど助けられただろう。
前を向く力をくれた人。彼とは音楽に限らず様々な話をした。晶也の話になった時、ジュリアは特に神妙な顔で説明を聞いた。
しかし彼に会ったのはその一度きりだった。
「……ホントは恩返しをしたかったんだけどな」
次にその顔を見たのはそれから三か月後になる。重々しく光を反射する淵に囲われた彼の顔は、ジュリアが出会ったときよりも一回り若々しく思えた。
「……さっきじいちゃんのお墓参にさ、花が添えてあってさ」
ちょうどその時思い出したように晶也が口を開く。「もしかして」と言い含む声。ジュリアは頷いた。
「気付いてくれてたのか。あたしだ」
「そりゃあね」
「……あの花なんだけどさ」
薔薇を献花したジュリア。棘のある花が、供花に相応しい花ではないことを、知らないなんてことはなかった。
――ごめん、敢えてあの薔薇なんだ。
喉元寸前で飲み込んで、ジュリアは慌てて言い繕った。「……あ、えっと、そっか。あんたも花、用意してたよな。出過ぎた真似したかな」
晶也は気にせずか、「まさか。ありがとうな」と笑みを浮かべてくれた。「それだけで十分だ」
「いつもここで弾いてるのか?」
「基本的にはな。さっき言っただろ? 一人になってからはもっぱら――」
口にしてから、あれ、と燻りが脳を掠める。何か……この質問、さっきもされたような――――。
晶也は少し考えているようだったが、うまい言葉が見つからなかったのか、結局「そういえば」と話題を変えた。奇しくもそれがジュリアの記憶を掘り起こすことになる。
「俺の前に話してた黒スーツは何だったんだ?」
「はっ! それだ!」
そうだ、あの男だ。すっかり忘れていたというか、晶也との再会に気を取られていたよ。
――実は俺、プロデューサーをやっているんだ。
その男は見た目と声の感じから二十代後半だったように思う。
やや細身で頼りなさげな雰囲気はあったが、誠実で仕事ができそうな印象を覚えた。ジュリアの顔を見ながらしばらく押し黙っていた彼に対し、
「ヘンなヤツ」
焦れて声を掛けたのはジュリアだ。
――なんだよ、さっきから人のこと、もの珍しそうに見て。
――ああ、ごめん。君の歌と雰囲気にすっかり惹きつけられてしまって。
「あの人な、あたしをスカウトしに来たんだって!」
「スカウト……?」
「ああっ!」
自然と声が弾んでしまう。
プロデューサーを名乗るあの男は、音楽関係の事務所の者に違いない。あたしの歌と雰囲気だろ? それ以外にあり得ない。
まさに夢のような心地。痺れるくらいの幸福感だ。
事務所の本拠地は東京で、今回は遠征中だという男。上京は免れないが、と少しばかり顔色を窺うように言った。
全然! ジュリアは即答した。つまり所属アーティストが全国を飛び回れるほどの大手ってことだ。経理回りの知識に乏しい現状、創作のみに集中できるといった意味でも、事務所というのは強力な後ろ楯になる。
――それに、今のあたしにとって東京というのは都合がいい。
晶也を見て、口を開く。
紡ぐは己の夢。
「あたしの夢はさ、いつかアーティストとして、世界中にあたしの歌を届けることなんだ」
音楽で生きていくと決めて、それが叶わない人は山ほどにいる。皆あらゆるコンテストに応募し、オーディションを受け、数え切れないほどの路上ライブをこなして。あるいはレコード会社に自作の楽曲を送り続ける。
それでも日の目を見ることができるのはほんの一握りだ。
だけど、今日、自分を見つけてくれる人がいた。自分の歌で、チャンスをつかみ取ることができた。
ジュリアは目の奥に、久しく忘れていたライブハウスの煌きが見えた気がした。
「……歌を、届ける」
――そう、歌で。
「あたしはあたしの歌で世界を魅了するんだ」
「世界か。大きいな――」
「だろ! 最高にロックだと思わないか?」
笑顔で言うと、晶也も調子を合わせて笑ってくれた。
リスクなんて二の次で、ひたすら自分の道を突き進む。
自分で探して、見つけて、足掻いてでも食らいついて、掴み取ることができたなら、それが最高にロックな生き方だ。
「『夢を語ろう、夢を実現するために』」
「なんだよ、それ」
「あたしの好きなロックシンガーの言葉さ」
バンドを解散してから一年。しがないストリートミュージシャンだった自分に、巡り巡ってきたチャンスだ。
――情熱を失わなければ、道は拓ける。
まさに、これが
辺りは夜の様相を呈し始めていた。それなのに身体は熱い。
「そういえばさ」
「ん?」
「…………ん。やっぱ何でもない。それより連絡先、教えてよ」
――あんたも、あたしの歌で足を留めてくれたんだもんな。血は争えないのかもしれないよ、本当に。
「夢を語ろう、夢を実現するために」
作中で取り扱いましたこの台詞。原文は「Talk about a dream, try to make it real.」アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、ブルース・スプリングスティーンさんの台詞になります。
SonyMusicさんからの抜粋になりますが、「自分の道を切り開いていこうとする意志の大切さをいつも教えてくれる」のが彼の歌です。そして内省的なんですよね。と、まあ響くものがあり、本作には敢えてこの台詞を採用させていただきました。
『BORN IN THE U.S.A.』のアルバムが最も有名だと思います。どこかでお聴きになった方もいらっしゃるかもしれませんね。
私は「I'm Goin' Down」や「Cover Me」とか好きです。ぞわぞわするので。
もっとも、ジュリアの尊敬するとされるアーティストはジミヘンの説が最も有力だと思います。もちろん実在の人物を作中には持ち出しませんので、このあたりは聞き流していただいて構いません。
右用のちょい弾きにくいギター。『あこがれのセッション』カードで明かされたアフロのギタリスト。
それからギター。ストラトとレスポールについては思うところがあるので中盤で少しだけ触れる予定です。
それ以外のギター例えば『あこがれのセッション』でジュリアの構えているギター、ES-345だと思うんですけどこれ、滅茶苦茶カッコいいし彼女に似合うと思いませんか。
ビグスビー含む全てのパーツが金色ってのもそうだけど、何よりもそのボディの色味。生産中止になる終盤にはかなり深い赤なんですが、発売当初はその淡々しさたるや。
これも本作の構成中には持たせてあげたいな、って考えていたんですけど今のところ登場予定は無さそうです……。それでは。
2020/4/24
4/26 傍点ミスを修正いたしました。