『愛』   作:撫音

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     対峙した果てに(4)

 

 千波が提案したのは、一つ隣の町にある楽器店だった。

 学校から一番近いギターショップがそこにある。電車に乗ること十分弱。駅を出て住宅街を抜けた通りに面しているその店は、新品から中古、ビンテージも取り扱っていて、評判も良い。

 千波と共に何度もお世話になった場所だった。が、今の晶也にとってはしばらくぶりに足を向ける場所だった。改札を出ると、思わず「懐かしいなあ」と口を衝く。どこか、古い友人に会いに来たような気分。

「避けてただけだろ」

 千波は図星だろ、という目で晶也を射た。「お前のそういう分かりやすいところ、変わらねえなあ」

「身にも、記憶にも覚えがありません」

 テレビで観た政治家のように淡々と。それから彼の言葉を吟味する。

 確かに、初めは避けていた。自分とその世界を切り離してしまいたかった。でも、今は、全くといっていい程そんな気持ちが湧いていない。……というか、分かりやすいってなんだよ。

「そう言うが、お前の音は馬鹿みたいに正直だったからなあ」

 千波は、ニヤリと笑う。今度も訳知り顔だ。「そっちはどうだ?」

「まあ……心当たりは沢山ある」

 ――晶也の音からは絶え間なく『楽しい』という思いが伝わってきて、どこまでも気持ちが良い。

 ある時祖父が口にした言葉だ。まだ晶也が福岡に住んでいた頃のことだ。直接言われたわけではなく、居間で祖母に話していただけだったが、とても嬉しかったことを憶えている。楽器なんて、出てきた音が全てだと思っていたので、大変驚いたことも。

 

「気分は音に出るって、よく言うもんな」

 ――それもつい最近、思い知らされたばかりだよ。

 一人含み笑いながら「気分、ねえ」と曖昧に返す。

 けらけら笑いながら千波は続けた。

「そうそう俺の兄貴がさ……ああ、前に言ったっけ、大学の管弦楽団にいるんだけど。この前先生に『彼女でもできたか』って言われて帰ってきた。ああいうのってバレるんだな」

「へえ、それは面白いな」

「でも俺も最近分かるようになってきたんだぜ? あーこいつ昨日セックスしたな、とか、逆に溜まってんな、とか」

 晶也は吹き出しそうになった。

「……変わらねえな、千波も」

 こっちは半分皮肉っぽく。すると千波は「いやいや」と首を振った。まさかそのまま「セックス&ドラッグズ&ロック&ロール」イコール、自由の象徴でも熱っぽく語り始めるかと思いきや、今日の彼は至って冷静だった。

「色恋沙汰も馬鹿にできねえよ。そもそも、今の俺らみたいな素人に解る範囲なんて、そんくらい起伏の激しい感情くらいじゃねーの」

 だから晶也は、興味を覚えたのである。「……良いこと言うね」

 

 音色で、奏者の人となり全てが解る。性格の細部が解る、歩んできた人生までが解る……なんてことはないと思う。

 でも、ジュリアの音色から、歌声からはくっきりと澄んで、身体の隅々まで染み通るものがあった。

 ――それはきっと、俺の感受性が優れているんじゃなくて、ジュリアにそれだけの『伝える力』があるんだよな。

 感情の起伏。それを素直に反映させることのできる、卓越した表現力。今はそれが濁ってしまっているけれど……。

 

 こいつには……千波には、ジュリアのことを話してみてもいいかもしれないな。彼は信頼に足る人物だし、何か、特別なヒントをくれるかもしれない。

 晶也がそんなことを考えていた矢先だった。

 千波の口から、その名前が飛び出したのである。

 

「あ、ジュリアじゃん」

 ――――は?

 

 咄嗟に、即座に、反射的に、ぎょっとして千波を見た。待てよ? どうして千波が? そんなことより、ジュリア?

 色々口から飛び出そうになったのをぐっ……と止めることに成功する。千波は晶也のぎくしゃくした反応に気がつかなかったのか、「あれあれ」と、声色そのままに奥の方を顎で指した。

 ――あれ……って。

 存分に泳いだ視線を奥に遣る――と、ちょっとしたスペースだが、『765プロダクション・ジュリア』のコーナーが設けられていることに気がついた。彼女のギターの紹介と、練習中に愛用するピックと、これもまた驚いた、彼女のサインが飾られている。……あいつ、いつの間に。

「いいねえジュリアちゃん」

 妙におっさん臭い。にこやかに歩み寄って、千波は歌うような声で言う。

「レス・ポールのスペシャル。ギブソンの本物だ。いいの持ってるよなあ、やっぱ儲かんのかな」

「どう、だろうなあ」

 収入教えてもらったことないし。

 

 

 胸を撫で下ろしつつ、レス・ポールを見る。ジュリアの楽器についても思うことがあった。

 ジュリアのギターというと、ファンは皆黄色いボディのそれを想像することだろう。しかし晶也が思い浮かべるのは、別のモデルのギターである。彼女の上京前の知人もそのはずだ。なぜなら、ジュリアがレス・ポールを買ったのはアイドルデビュー後のことだから。

 それ以前の彼女はストラトキャスターを弾いていた。あの日博多駅で出会ったときも。

 つまり、レス・ポールは二本目だ。

 

 レス・ポールとストラトキャスター。いずれもエレキギターの代名詞たる王道モデルで、それぞれにある長所短所から、どちらを選ぶかは最終的に好みに拠ることが多い。

 もっともジュリアはどちらも気に入っているのだろう。

 家で鳴らしているときは、どちらのギターにも等しく出番があるのだ。

 だが、しかし。ここからが問題だ。

 ジュリアは765プロのステージに立つとき、決まってレス・ポールを構えている。

 密かに疑念を抱いていることだった。ストラトキャスターに年季が入っていることは一目で分かる。モデルの特徴から、彼女にとって弾きづらいギターであることも知っている。しかし彼女はそれを尊敬する人と同じモデルだと言い、大切にしていきている。それこそ航空券を用意するほどに。

 なにより、バンド時代はずっとストラトが相棒だったはずだ。

 ――それなのに、リハに行くときも本番も、必ずレス・ポールだもんな……。

 

 二本のモデルのフレットの間隔や弦間ピッチの違いから、一方だけを馴染ませていた方が本番、些細なミスへの予防には繋がるかもしれない。でもそれでは、疑問の半分にしか説明がつかない。軽いのはストラトだしな。

 感覚的なことに過ぎないけれど、二本の使い分けにはどこか違和感を覚えていた。何かしらの拘りがある、と。そこで晶也が辿り着いた答えは――気持ちの切り替え。

 アイドルとしてギターを弾く時は、レス・ポール。

 ――じゃあ、その対になるのは……ロックンローラー?

 実のところ先日美希と意識を共有したおかげで、一つの可能性が浮かんでいた。

 アイドルのステージでは極力ロックを出さないようにしている……そんな雰囲気。

 だとしたら、ギターは音の問題かもしれないな。立ち上がりが滑らかなレス・ポール。比較的暖かな音だと評されることもあるほどで、硬派かつ攻撃的な鋭さを持ったストラトキャスターよりもアイドルには向いている。

 

 自分の大部分を占めるロックを封印してアイドルをやっているジュリア。

 だから、あんなにも彼女は苦しそうに見える。

 だったら、ロックを前面に押し出したって、いいんじゃないのかな――。

 

 考え始めるとキリがないのが、晶也の悪い癖だ。

 レス・ポールを眺めていると不意に、形状なのかもしれないという念が湧いた。ボディの話だ。レス・ポールのボディは緩やかなカーブを描いた、弦楽器らしい形状をしている。それに対してネックの付け根部分が二本の角のように削られたストラトキャスターは、燃え盛る炎のような、いかにもロックな形状をしたギターである。

 ――いや、それは流石に考えすぎか。

 とにかくどちらも彼女に似合う楽器であることにかわりはないのだから。強引に落としどころをつける。

 

 

 沸き起こった幾つもの考えをかみ砕くのに、随分と時間がかかってしまったようだ。沈黙に耐えかねたか、サインとギターを見飽きたか、気が付くと千波がこちらを見ていた。「反応(うっす)いな。知らねえの?」

 いや、知ってるさ。でもこのタイミングでは言いづらいな……。口の中で呟いてから、

「まあ」

 曖昧な表情で返事をする。すると千波はピックを一枚摘まみ上げながら少し誇らしげにはにかんだ。ティアドロップ型。0.8ミリ。

「最近デビューしたアイドルなんだけどさ、ステージの上でギター弾いて歌うんだぜ? しかも、俺らとタメ」

 半年前を最近と言い張る彼の定義に密かに苦笑しながら、言った。

「千波、そういうの詳しかったんだ」

「別に。つーか同年代でバンドやってる奴なら皆知ってると思う」

「――そうなのか」

 そして、唾を呑む。それは考えたこともなかった。アイドルのファン以外の人たちも、ジュリアを――。

 

 自分が意図的にバンドを取り扱った記事を避けていたからだろうか。晶也は黙って再びサインに目を向けた。一筆書きの星がとても印象的。晶也の無言を、促されたと勘違いしたか涼し気なまなざしがこちらを向いた。

「帰ったらネットにあるから動画観てみろよ。同年代で、あのレベルまで弾ける奴を俺は見たことねえ」

 それは演奏の巧拙を語ったものだった。晶也は再び思いを巡らせることとなる。

 一般に、学生バンドのライブハウスへの出演というのは、そうハードルの高いものではない。基本的にお金さえ払えばいいからだ。かつては主催者が初心者に厳しかった時代もあったというが、今や親身になってくれる場所も少なくない。

 違う方向から見てみよう。大抵は、お金さえ払えばいいところにしか出演できないのだ。

 審査のあるレベルの高いライブハウスになんてまず通らないのだから、実際に見る他のバンドグループは、自分たちと似たり寄ったりだ。とりわけ巧いのがいたとしても、()()()()までは至らない。

 だからハイレベルな演奏スキルを持つジュリアに興味が湧くのも頷ける。でもそれは――

「……つまりアーティストとして、ギタリストとして彼女を見てるってことか?」

 晶也は気になったことを素直に問い質した。確かに千波は、初めにもレス・ポールに注目している。

 しかし、先ほどの考察に則れば、ジュリアはアイドルとしての自分を見てもらいたがっているはずだ。

 

「おかしいか?」

「いや……」

 しかし、晶也は口ごもる。なぜなら自分も、初めはそうだったから。まあ、そもそも出会った頃はアイドルでもなかったけれど、彼女の魅力というのは演奏技術とは別のところにある気がする。

 

 それでもそこを見てしまうのは。俺が、俺たちがギターを弾いていたからであり、

 

「そう見るのはやっぱり、アイドルっぽくはないから?」

 途端に、千波の細い眉は一文字になった。予想外の反応だ。頬が薄く痙攣する。

 なんだよ、お前。

 そう言うと、晶也の目を静かに見つめてくる。やがて真意のほどを探るような瞳で、

「そういう肩書気にしてんの?」

 と言った。失望したと言わんばかりの声色に思わず慄き、そして恥じた。

 なぜなら彼の見解は九十度どころじゃない……百八十度まるまる違ったからである。

 

「アーティストだろうと、アイドルだろうと、変わらねえよ。()()()()()()()()()()()()さ」

 

 今日一番の誠実な響きがあった。ジュリアの歌声と同じくらい、すうっと言葉が透明に流れ込んでくる。

 そしてこの瞬間まで、晶也はアーティストのジュリアとアイドルのジュリアを分けて考えていた。恐らく彼女もそうだったに違いない。そうでなければ『転向』なんて言葉を用いるはずがないのだから。

 俺も、間違っていたのか。

 彼女は、アイドルとしての自分を推した。

 俺は、アーティストとしての彼女を推した。

 ――そのどちらでもなかったんだ。

 

 絡まった糸が音もなく解けていく感覚。

 そうだよな……そもそもギターが巧いことだって、ジュリアの魅力だ。だからこうしてバンドの世界からも彼女を見てくれている人がいるわけで。

「そうだな……。悪い、俺が間違ってた」

 へえ、と千波が珍しそうな声を上げた。笑みがこぼれている。

「素直に認めた記念だ。何でも好きなもの奢ってやるよ」

 記念も何もない。「ここ、楽器屋なんだけど」

「まあまあ、色々あるぜ? ピック? 安すぎる。エフェクター? 高すぎる。ああ、弦がいい。もし弾きたくなったときに死んでたら嫌だからな」

 自問自答で進めていく。誰も弾くなんて――と、止めたところで聞く耳を持たないのは今更だ。代わりに聞き流す術を持っているのが七里千波という男。「ゲージ(太さ)幾つだっけ? スーパーライト?」ため息をついた。それであってるよバカ。

 

 

        ☆☆ ☆☆

 

 

 カラオケを出ると午後六時。

 気がつけば、胸の中を荒らしていた砂塵はすっかり収まっている。不思議なことに。

 いや、不思議でも何でもない。

「今日はありがとな、千波。気ぃ遣ってくれたんだろ?」

 なぜならこの軽い友人のお陰だからだ。いやあ歌った歌った、と小気味いい音で首を鳴らしている千波を見た。まさか、サボりをその手段に選ぶとは思わなかったけど。笑いながら言うと、「なあに」といつもの腑抜けた声。

「お前があの時と似たような顔してたから、気になっただけさ」

「……おっと」

 最後の最後まで、千波は馬鹿正直な男だった。あの時、とは退部を伝えた日のことを指しているに違いない。それさえこんな涼し気に言われたら、もう何も返せない。代わりに笑みを浮かべる。嬉しい気持ちがあったから。

 我ながら現金なものだと、呆れるやら笑いたくなるやら。いずれにしても――。

「お前と話せてよかったよ」

「だから分かりやすいって言ってんだよ、晶也は」

 いい仕事をやり遂げたような人の顔になって視線を、陽光が恋しそうに遠くへ送っていた。

 

 別れる直前、ふと思い立ったことがある。

「そうだ千波。お礼と言っちゃなんだけど、今度お前が喜びそうなものを見せてやるよ」

「俺が? 月曜の反省文手伝ってくれんの? それとも期末の答案?」

「そんな()()()なものじゃねえよ……」

 嫌なものを二つも同時に思い出させないでほしい。後者は俺も欲しいわ。

「じゃあなんだよ」と、千波は訝しんだように続けて「お前がまた楽器を手に取る以上に俺が喜ぶことはねえけど」と腕を組んだ。今でもそう思ってくれていることに、再び胸が熱くなる。でも違う。

「――それ以上に凄いものがあるんだ」

「そうか」

 と千波は思案顔をした。

「よく分からねえけど、あれやこれやと利子は高くついてるからな。期待してるぜ」

 

 やはり彼にはジュリアのことを伝えてもいいと思った。

 千波には彼女のステージを観て欲しい。エンターテイナーたるジュリアの姿を。

 

 ――アイツはお前が知るよりも、俺にも語りきることができないくらいに、ずっと凄いヤツなんだ。

 それこそ、百万の言葉を費やしたって。

 

 

 心を決めたら、妙にすっきりした。

 まずは、ジュリアと話をしよう。話がしたい。

 そして、あるはずだ。俺にできるたったひとつのことが――。

 

 





 作中では触れないとか言っておきながら、ギターについて少しだけ触れさせていただきました。
 ジュリアには二本ギターがある、ということを明記したかったためです。当初のカードイラストではストラトキャスターだったで矛盾はない、程度にお考えいただければと思います。
 あれこれ使い分けについて本作の構成にブレない理由付けをさせていただきましたが、あれは考察でもなんでもないです。楽器の馴染ませ方こそ人それぞれですから。

 なにより、ジュリアがレス・ポールを構えるようになった経緯は、愛美さんからの逆輸入に過ぎないのだと思います。愛美さんがライブで弾いたものと同じギターを構えたジュリアが登場し、以降定着した説が有力でしょう。初出は雛ロックでしたっけ。


 私もジュリア担当としていつかレス・ポール スペシャルを買う実績を解除したい、そんな想いがあったりなかったり。
 先ほどアソビストア様から7th公演のジュリアちゃんグッズが届きました。ロックだね。

 2020/5/28 撫音

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