「ジュリアーノ~~~~っ!」
「ぐえっ」
定期公演への出演を決めてから、二日。
午後三時。ここは楽屋エリア。静かで集中のしやすい三階の一室。金色の陽射しが射し込む部屋の戸をジュリアが開くと、伊吹翼が突進――もとい抱き着いてきた。お決りの挨拶だったが、翼がいるとは知らず、彼女の体重を正面から受け止め呻きを上げるジュリア。楽器あるんだから気をつけろっ!!!
「それからジュリアーノじゃねえ。ジュリアだ!」
「どっちでもいいじゃないですかぁ」
度重なる訂正に、こともなげに返され「よくねえよ」とジュリアは長い溜息。しっかり呼ばれた記憶は……ない。
「じゃあ、本当の名前教えてくださいよ~」
「イヤだっつの」
「ねっ、瑞希ちゃんも気になりますよね?」
翼の声につられてジュリアもソファの方へ視線をやった。そこにはラベンダーを彷彿させる髪色。どこか穏やかな表情をしていた真壁瑞希が、トランプを片付ける手を止め、頷いた。
「たしかに、気になります。ジュリアさんの本名」
「お、教えないぞ?」
ミズキまで……と、ジュリアは苦い顔をした。翼が「ですよね~」と悪戯っぽく笑う。
「だってジュリアーノってば、ジュリアーノになった理由すら教えてくれないんだもん」
「なっ……だからっ! あたしがジュリアーノになった覚えはなーいっ!」
傍からはコントにでも思えたのか、見ると瑞希が声を我慢するような顔をしていた。おや、とジュリアが思うのもつかの間、彼女はすぐにいつものポーカーフェイスに戻ってしまい、「ところで」と人差し指で顎に触れる。
「ジュリアさん、何か御用でしょうか」
「ん、そうだった。翼がいるとついついペースを持っていかれちまうぜ……。ミズキ、よく分かったな」
「ジュリアさんがこの部屋に来るのは珍しいので」
「まっ、ミズキならここに居ると思ってな」
視線を外すと大きな観葉植物が目に映る。ここは三階の最北端。瑞希が手品の練習にこの部屋を好んでいるのを知っての訪問だった。
手品。それはプロフィールに記されている通り彼女の趣味だと聞いていた。幼い頃からピアノを習い、中学時代はバトントワーリングを学んだという、多彩な特技を持ち合わせているのが真壁瑞希というアイドル。物心つく時期から音楽に触れていた彼女にもまた、独特の世界観が広がっているのだろう。一度じっくり話し合ってみたい。が、今日はもっと大事な用件がある。それはというと――。
「じゃあジュリアーノも一緒に遊ぼ~! わたし、ちょっと上手になったんですよ!」
「……あたしの話聞いてたか?」
ぽきりと折られる話の腰。おおかた先ほどまでトランプタワーのコツでも教えてもらっていたのだろう。床にまで散乱したカードを一枚拾い上げる。ハートのクイーン。女王様ね……。
ジュリアの知る限り伊吹翼とは、さながら好奇心に塗れたプリンセスといったところだ。ころころと変わる調子と表情。甘え上手というか、ちょっぴり小悪魔的というか……。皆が甘やかしてしまう存在。この覗き込むような上目遣いに将来骨抜きにされる男性は少なくないだろう。
――あたしよりも背は高いハズなんだけどな……。
心中で嘆息してから頭を切り替える。翼の肩に手を置き、ソファへと誘導した。「オマエにも関係のある話なんだ」それから自身も向かいに腰を下ろす。
「私にも?」
「そ。翼のことも探してた。というのも今日は二人に相談というか、お願いがあるんだよ」
すると、「相談……。何でしょうか」瑞希が頭上にはてなを浮かべて、
「なになに? 恋バナですかぁ?」翼の顔に、ぱあっと好奇が降りる。
「ンなわけないだろ」
いつの話引っ張ってるんだ。これもまた吐息交じりに切り捨てて、ようやくジュリアは告げるのだ。
二週間後に控えた定期公演。ジュリアが披露するは『流星群』。その舞台で、翼と瑞希、二人にはバックコーラスを頼みたいということを――。
765プロライブ劇場における定期公演は、基本的にユニット曲・ソロ曲の両方から成る。
現時点でジュリアの持ち歌は限られたものだが、他のユニットに参加して登壇することもあった。ジュリアに限らずそのようなケースは少なくない。
そんな公演の曲目は各々プロデューサーと相談しながら決めているが、基本的に
――ソロ曲……って、あんたまさか新曲を用意しろだなんて言わないだろうな。
――そんなわけないだろ。また、『流星群』を聴きたいんだ。
そんな『流星群』を高く評価してくれている彼の言葉には、続きがあった。
――ただ、そうだなジュリア。次は少しだけ前と
――違うこと?
つまり前回のそれはお気に召さなかったということだろうか……。一体なぜそんな要求を? その魂胆をプロデューサーが明かすことはなかったが、ジュリアは彼の要求を吟味した。
違うこと……ね。真っ先に浮かんだのはバンドよろしくステージング、ビジュアル面の演出に凝ってみたいという想い。かねてから興味があった。だけど、求められているのはそうじゃないだろうな。あたしにとっても久々のライブだ。歌に……表現に関係することがいい――――。
瑞希がひとつ、瞬きをした。「バックコーラス……ですか」
ジュリアは強く頷く。そう、バックコーラスだったのだ。自分のニーズとも併せて考えた末のこたえは。
直前までバックダンサーについて話していたせいかもしれないけれど、あたしはそれを提案した。その一方でプロデューサーに一瞬戸惑ったような間があったことははっきり憶えている。
――メンバーは、俺が指定してもいいか?
――ああ、構わないさ。
すなわち伊吹翼と真壁瑞希、この二名をバックコーラスに選んだのはジュリア自身ではない。プロデューサーというわけだ。
「二人とも、次の出演決まってるんだろ?」
「うん!」
メンバーが二日後の今日伝えられたのには理由がある。あの日、時を同じくしてバックダンサーの選考が行われていたからだ。合格者はツアーに向けてのスケジュールが組まれるため、次回の公演は見送らざるを得ないと聞かされていた。
――要するに二人は落選したわけで。
ジュリアは少しだけ陰鬱とした気持ちで扉を叩いていたのだ。プロデューサーがもつ強制力に頼りたくなかったから、彼の名は出さない。二人の負担にはなりたくなかった。すでにレッスンのスケジュールは組まれ始めている。
「忙しくなるだろうけど、引き受けてくれると助かるよ」
が、そこで一旦息を吐いた。二日前からジュリアは憂いていた。それは新たな試みへの不安でもなければ、落選報告を待っていた時の言いようのない気持ち悪さでもない。
――肝心なのはバックコーラスに抵抗がないか、だよなあ。
言ってしまえば終始引き立て役に徹するようなものだから。……あたしなら迷わず跳びつける。
ここはアイドルの世界だからな……。
全員が主役たる舞台。そこで据えられる補助的な役割に抵抗を覚えはしないだろうか。拭えぬ不安。登壇する以上はどんな楽曲にもそれぞれがメインで歌うフレーズが用意されているミリオンスターズにとって――。
「わたし、オッケーでーす♪」
気が付けば、幾度も巡った思考を分断するかのように、翼が威勢の良い答えと共に手を上げていた。
ジュリアが目をぱちくりさせていると、躊躇いなく瑞希の声が続く。「私もやります。とても興味深いので」
「二人とも……ホントにいのか!? バックコーラスだぞ?」
「うん! ジュリアーノの曲好きだし!」
「そっか……! サンキューな!」
はーっと胸を撫で下ろす。格好つけてはいたものの、断られたらどうしようかと考えていたのだ。我ながら損な性格である。
「バックコーラス。初めての経験だぞ。どきどき」
食い入るような瑞希の言葉に、途端に高揚が胸に渦を巻いた。その熱が伝わったのか翼が勢いよく立ち上がって笑った。そのエアリー感を纏った金色の髪が、ふわり。
「ライブですよね! ちょうど今パーっと歌いたかったし♪」
ジュリアはずっこけそうになった。
「おいおい……。人のステージをカラオケみたいに言うんじゃねえよ」
でも、気を張りすぎない方が声も自然に出るというもの。
「頼りにしてるぜ、二人とも」
「頑張りましょう、伊吹さん」
「は~い♪」
「そうだな、今度飯でも奢るよ。お礼にさ」
「ホント!? 今度っていつですか? 今日がいいな~」
「気が早いっつの。無事に公演が済んだらな」
「じゃあ私、ステーキが食べたいで~す!」
「では、私はイタリアンを」
やれやれ。遠慮のないヤツらだなあ。親指を立ててグッドの合図をすると、翼は笑顔を見せた。益々充実しそうな日々を目の前に、弾みをつけて椅子から立ちあがるジュリア。よし……っ!
「その分しっかり働いてもらうぜ? 改めてよろしくなっ♪」
ギターをエフェクターに繋ぐと、輪郭の尖った音色が、響く。
☆☆
ジュリアの曲、すなわち『流星群』を好きだと言ってくれた翼。カラオケで歌ってくれたこともあるのだろう、歌詞とメロディがおおよそ頭に入っている様子でさらりと歌った。はじめに瑞希がキーボードで確認してくれたコーラスパートの呑み込みも早かった。少し走りがちなリズムはすぐに修正できるだろう。
一方で瑞希に関しては、すでにタイプ別公演で把握しているところもある。繊細な歌唱力と、不意に見せる底の知れない力強さ。彼女がコーラスを担ってくれることはこの上なく頼もしい。
この二人なら練習次第ですぐマッチするだろうな……。
ジュリアにはどこか上手くいく確信があった。うずうずと逸る心。難航なんて単語など無縁だと信じて疑わなかったあたしは今……頭を抱えている。
幸か不幸かその原因ははっきりとしているのだ。
「……っ。ストップストップ!」
「え~。またですかぁ?」
「またもなにも、お前だよ翼」
カラオケみたいだと一笑に付した翼の戯れ言。パーっと歌いたかった。
――あれ、ただ
まんざら冗談でもなさげな彼女の歌い方はジュリアをひどく唸らせることとなった。不要な箇所でのビブラート。アクセントにもオリジナルと異なる部分がちらほら。ジュリアの眉間には皺が寄る。指摘しても直らないのは想定外だ。当の本人はというと「イイ感じで歌えてたじゃないですか~」と、悪びれる様子もなければ気に留めている様子でもない。
だから中断に続く中断。ジュリアはみたび首を振る羽目になる。「バックコーラスってものをちゃんと理解してくれ」と。
直らない、というにはやや語弊がある。不思議なことに一つ修正すれば、また別の箇所にアレンジが加わるのだ。こう、一つだけネジの締まりが緩いというか。このもどかしさはなんだかギターのフレットの磨り減りを感じた瞬間に似ている。
「確かに聴き手にとっちゃイイ感じかもしれない。だけどな翼、それじゃダメなんだ」
「……ダメ?」
「そ。役割って言うのかな。メインボーカルはあたしなんだ。コーラスの翼は出しゃばらないで、きっちり合わせてくれ。オーケーか?」
すると翼は「う~ん……」と、首を捻って二、三秒。「よくわからないですけど、おっけ!」左手でまるを作った。
「だからっ」と、ジュリアは軽く苛立つ。「『おっけ!』……じゃねーよ! 頭で理解しないと、同じことの繰り返しになるだろ」
それは本当に小さな違和感。それほど難しい要求だろうか。直感的なタイプではある翼だが、それ故に音楽的なセンスは高い。かつて行われた和音を聞き分けるテストは難なく満点だったことも覚えている。
「さっきも確認しただろ? その通りにやってくれればいいんだ」
「えー……。だって、本当に何言われてるか分からなかったんだもん……」
それでも向けられる困惑のまなざし。分かんないってどういうことだよ、こっちが分かんないよ。勝手にアレンジさえ加えなければいいだけなのに。
「オマエさ……普段のレッスン……どうやってんだ?」
眉をハの字に歪めた翼を見ていると、脳を掠めたそんな疑念がふと口を衝いていた。
シアターではダンスレッスンは勿論のこと、ボイストレーナーの指導も生易しいものではない。このぶんでは先月のエンジェルスターズのお披露目公演でのレッスンも推して知るべしだろう。
だけどさ……
「普段?」ここでも翼は可愛らしく首を傾げた。きょとんと、目を見開いて、とても素朴に一言。
「わたし、いつも歌う時は
言葉がぽたりと落ちたように感じられた。
途端、肌が粟立った。汗が蒸発するアルコールのようにすうっとひいていく。――ちょっと待て。
「いや、いやいやいや」
なんつった?
衝撃なのは、彼女にとぼけた様子がないこと。
――いや。この事務所で、このプロの世界でそれが許されていることにさえ……ほとんど戦慄した。
「わたし、あんまり繰り返しって好きじゃないんですよねー」
当たり前のように笑った翼に対し、ジュリアは一切笑えずに押し黙る。いや、確かに……。その
唖然とした。あれからちっとも意識が変ってないなんて……そんな……。
激しい動悸に襲われたジュリアの指の隙間からピックが床へ滑り落ちた。かっと小さな音を鳴らして跳ね、倒れる。
翼は、銀色の文字がプリントされたそれをしばらく見つめていた。理由までは分からずとも、ジュリアの空気が変わったことは察した様子だった。何か言われるのを厭うかのように扉の方向へと身を向けると、眠たげな声を出した。
「ねえジュリアーノ。わたしちょっと疲れてきちゃった。休憩にしない?」
「――疲れたってオマエなあ」
せめて一度でも通しで歌えるようになってから言えよ。進まないのは自分のせいだって、分かってるのか?
言いかけて、噤む。瑞希が、何か言いたそうに口の端を動かすのが見えたからだ。じわじわと乱れる気持ち。苛立ちと動揺が混じった色だ。
ジュリアの呆れたような声色を背に、振り向いた翼は「むう」と頬を膨らませていた。枝毛でも探すように髪を触る彼女は、やはりさして申し訳なさそうな様子でもなく、まるでおあずけをくらった時の犬のような表情にみえる。見え透くは、飽きてきた――つまらないといった気配。ああ、本当に、ただ気ままに歌えると思ったから
あたしの危惧したバックコーラスの問題など考えもせず。
やがて、ジュリアはこう思う。
「あっ、そうだ♪ 琴葉さんのお土産があったんだっけ! 下でおやつ食べてきまーっす」
――あまりに
子供。
頭に浮かんだその一語。我侭ではなく、無神経でもなく、なぜかそんな言葉がやってきた。
顔色を窺う。空気を読む。芸能活動をすれば……いや、生きているだけで誰しもが知らず知らずのうちに備えてしまうそれが無いんだな、コイツには。奇妙な理屈だが、強引な結論付けでもなかった。彼女の気ままさが、育ってきた環境を物語っているようで。
今も口うるさいジュリアから逃げようとしているだけだ。きっとそこには悪気も意趣も傲岸不遜もない、ただただ自らの想いに従う姿のみがあるのだろう。
「――待てよ翼」
でも……それは、
ぶすっとした顔で振り向いた翼。まだ何かあるのと言いたげな色をたたえた瞳。そんな彼女を正面から捉えて、飛び出したのは対となる言葉。
「もうちょっと大人になろうぜ」
「……大人に?」
「コーラスやるって決めたのは自分だろ? だったら――」
アイドルとして、プロとして、通さなければならない筋があるだろう。
「だったら、
ぐっとギターのネックを握りしめて、ジュリアは言った。バックコーラスをよく分かってなかった? 主役たりえないからつまらない?
「なめんなよ。あたしはな、筋を通さないヤツが一番嫌いなんだ」
信念。自分の言葉が他人の言葉のように冷めて聞こえる。が、ジュリアの呼吸は荒くなった。中途半端なんて、あたしが美希に言われた言葉だったはずだ。だけど止まらない。
「なんで他の連中がそれを許してるのか知らないけど、あたしはそれを認めないからな」
「別に、ジュリアーノの許可なんていらないでしょ」
素っ気ない答え。潜む敵意。少なからぬ反抗心が込められている声色で。
「これでも……あたしの言ってる意味、分からないか?」
「ぜんっぜん分からない」
あまりに予想通りの返事だったので、つい苦笑した。ああ、そうだよな。彼女が胸に宿すはモテモテになりたいという純真らしからぬ動機。そんな皮肉を吐きかけそうになりながら、すんでのところで何とか堪える。
――いや……たとえ一見不純であっても。
「より良いものにしたい。って気持ちは翼も知ってるものだろ? ……頼む。少しでもいいものにしたいんだ」
三つの音が響き合う巧緻なものにしたい。そのためには、共有したい。理解してほしい。
今までよりも強い語気でジュリアは言った。翼を、それから瑞希を見据えて。
「次のステージではミズキと翼があたしのチームメイトだ。だから二人にも分かってほしいんだよ」
『流星群』の意味を。
――あたしが歌に、
「言い出しっぺはあたしなんだ。責任もってトコトン付き合うからさ」
今はダメでも、練習すればできるようになる。分かってもらえるまで伝える。諦めない限り、何度でも――。道を示してくれた人の言葉を、あたしは信じているのだから。
だが、しかし。
翼が聞く耳を持つことはなかった。不快な内心を示すかのように歪んだままの唇。そこからやがて、音のないため息が落ちる。
「
うまく、聞こえなかったその言葉。このときあたしは、もう少し慎重であるべきだったのだろう。翼の横顔には降りだしそうな空の色が滲んでいた。初めてだったはずなのに。……彼女に、そんな翳を見るのは。
「もう……いいよね。休憩いってきまーす」
「おい! まだ話の途中だろ!?」
結局ジュリアは、自分の気持ちをまるっきり無視されたような態度に顔がかあっと熱くなるだけだった。「何勝手に――」
二人の目の前に、瑞希の右手が突き出されたのはその瞬間だ。
それは正拳突きかってくらい勢いがよく、隙間から薄紫色のハンカチが猫じゃらしのように揺れている。一呼吸あって、えいっ、という掛け声とともに、ぽんっ。……どこかユーモラスを含んだ音が鳴った。開かれたハンカチからは、一輪の薔薇と、赤や黄色、水色のリボンと紙吹雪とがはらはらと生まれ、床に零れ落ちる。……なんだこれ。
「マジックです、じゃじゃーん」
瑞希はぴんと指を立てて言った。それは分かるんだけど、一体……。
「わーっ」と瞳を光らせる翼。そんな彼女へ薔薇を手渡しながら硬い表情を解いた瑞希は、こう告げる。
「ジュリアさん。とりあえず今日はこの辺りで休憩しませんか? 伊吹さん、先日のオーディションで疲れてるんだと思います」
「…………ミズキ」
「なんでしょう」
分かっているでしょう、と言わんばかりの笑みだった。一体も全体もない、随分と手の込んだ仲裁だ。
あの伊吹翼が。遊び盛りの十五歳が。運動神経も抜群な彼女が、二日も前の疲労を引きずっていないことなど重々承知の上での発言だった。それなのに動じたところのない瑞希の忠告は丸々正しいものだと肌を圧迫してくる。それはきっと、彼女の声の調子によるものなのだろう。瑞希の低く落ち着いた声色は注意を惹きつけるのだ。
彼女と視線を突き合わせて二、三秒。乾き気味の唇を舐めてから、頷いた。「一時間休憩にしよう」
あたしの声は少し震えていた。頷くしかなかった。分かっていたからだ。この先に成功などないと。乱れた心で発した歌声は、聞くに堪えないものとなるだろう。舞台上でそれは観客へと伝播する。ああ、みんなの困惑した
その景色が瑞希には一足早く見えていたということになる。だからこそ彼女は収拾に乗り出したのだ。確実に空気を変えるために、思い切った手段で。……そうするのがさも当然だといった表情で。ジュリアは自分の頭を叩きたい気がした。
「……助けられたな」
一人になった楽屋で、ジュリアはもう一度、床に目を落とした。紙吹雪とピックを見つめていると、声にならない吐息が落ちた。
ペットボトルを手に取り乱暴に水を口に含む。やけに温い。それを飲み込んだところで形のないモヤモヤがなくなることはないのだけど。むきになって、キレて。あたしこそ…………。
手のひらが油でべっとり汚れているような気持ちだった。暗澹とした気分でかぶるヘッドホン。
――ミズキは……大人だ。
爆音が鳴り響く中、あたしは、そう呟いていた。
すみません。お久しぶりです……。