どうしてあたしたち人間は、思ったことをそのまま言葉にできないんだろう。
だからこそジュリアは思う。そのために、音楽があるのだと。
「翼。ちょっと付き合ってほしい。リハーサルの仕切り直しといこうぜ。『流星群』……いけるか?」
「カラオケですか?」
半分予想できていた返事に、「いんや」と大きく首を振る。辺りを見回すと、ざわついた広間。丁度いい喧騒だ。
一日の締めくくり。
「それよりもハマる、最っ高のアソビを教えてやるよ――」
――ストリートライブってヤツさ。オマエのやりたいこと、全部あたしにぶつけてくれ。
『流星群』
それはあたしの歌。
歌いながら、視界が開けていく感覚があった。
詞をヒトツヒトツ噛みしめていると、沢山溢れてくる想い。この歌はあたしの心だ。不安をも超える未来への溢れんばかりの期待。文字通り夢見る瞳で語った、変化をも恐れぬ物語。希望という名の
夏に無人島でかき上げた曲だ。『生っすか!?』の収録で、料理を通じて何事もひるまずに挑戦するべきだと学んだ自分が綴った前向きな想い。ある意味、その時得た無鉄砲さのおかげと言っても差し支えない。
――違う。
学んだわけじゃなかった。昔のあたしはそれが出来ていた。だって、無理に背伸びをせず基礎から地道に覚えてゆくことは、ギターにも共通することなのだから。
星を眺めることは、自分の心に耳を傾けること。それを一時でも思い出したからこそ、あの夏に『流星群』は完成したのだ。あの時だからこそ。びっしりと貼り付いた星を浴び、あの瞬間、確かにあたしは過去を振り返った。
――
最後に添えたその歌詞は、前向きな姿勢を紡いだものだった。否。紡いだ
今なら分かる。ここにも表れていたんだなあって。――――本音が。
変化を恐れない? 違う。あたしは、ただ、振り返ることができなかっただけだ。歩んでいる道が正しいものなのかも、どちらがプラスになるのかも分からずに、立ち止まることを恐れて進み続けていただけなのだ。
歌詞は一種の自己暗示だったのかもしれない。それでも今日まで、あたしは懸命に走り続けることができた。なまじ可能性を秘めているだけに到達した世界。一〇〇日目のプロデューサーの言葉が彷彿とされる。
進まなければならなかった。進み続ければ、
そして、足を止めてしまったら、再び走りだせる自信がなかったから――。
馬鹿だなぁ、あたし。振り返らないってことは、すなわち過去の自分を見ないってことにもなるじゃないか。
あたしの過去も沢山ある。それはもう語りつくせないほどに。バンド時代の自分。アイドルになると決めた時の自分。もっと昔の――初めて楽器を手にしたときの、自分。結局、『流星群』を歌ったあたしはそれを綴った時の気持ちを一度として歌声に反映させることができていなかったに違いない。
そんな始まりすら見失っていたのであれば、到達点も見えるはずがないだろう。
自分のビジョン。自分がどこに行きつくのか、どこに行きたいのかを知って人は初めて正しく進むことができる。どうしてアイドルをやっているのか、という根本的な質問にさえ答えることのできなかったあたしに、そりゃあ完成させられるハズがない
――
晶也なら、シアターの皆なら、あるいはファンの皆でさえ気が付いていることだろう。ジュリアが異様なほど、その
星は希望の象徴である。広い世界を求める。そんな、人として当たり前の欲求。希望とは夢である。
眠るときに見ている夢の先にあるのは、そりゃあ現実だよな。
なぜ夢は忘れてしまうのか……。その答えは、あたしの帰る場所じゃないからだ。
ああ、あたしは、自分の目がつくづくちゃんと開いていなかったことを思い知ったよ。夢は、持っていなければ絶対に叶えられない。夢は、目を開いてみるものなんだなって……あたしは気が付かなかった。
本来最も至高とされるべきは、ただ純粋な、溢れんばかりの『好き』が高じて、目指したいという衝動に駆られることなんだな――。
それはきっと、きれいごとだ。だけど――そんな見るもの、触れるもの、感じるもの。すべてが新鮮で、がむしゃらに無我夢中に何をやっても前に進めているという実感があって、自分の考えや信じるものこそが世界の常識だと驕ることなく、身の回りの全てを吸収しようとするその姿勢は……そんな生き方は、きっと楽しい。そんな衝動が、苦しいはずがない。
翼を見ることで、自由を想った。本当の音楽ってのは、そんな自由な魂からしか生まれないのかもしれない……と。
ああ、ひょっとしたら、それがこどもの特権なのかもしれない。
空を見上げた翼の顔が脳裏に蘇った。知りたいことが、知らないことが、山という程、海という程にある世界を映していた。瑞希の言葉に込められた想いが分かる。彼女を見て欲しい、と言われた意味が。
――翼のヤツ、こんな気持ちよさそうに歌うんだな。
現代っ子の代名詞のような少女。跳ぶように踊り、カラオケみたいに自由に歌う。
それが翼らしさだ。これが伊吹翼だ。それこそが翼の魅力なんだ。「どんな曲でも翼は
翼にとっての大切なものが、衝動に従うことならば、あたしはその歩みを止めてはならない。
これでいいのだと、あたしは思った。皆が自分を貫いている。これでいいのだと。心に響いて、記憶を揺り動かされた。見ることは、こんなにも素晴らしいことなんだってあたしは知らなかった。あんなに厄介だったはずの歌い方によって、溶け込んでゆく。
愉しそうな彼女の横顔を見ながら、その高らかな歌声を聴いているうちに、あたしの心はある一つのことを決めていた。
――彼女に『未完成の曲』を、贈ろう。
今なら……いや、今だからこそ完成させられる気がする。頭の中で、星が閃いていた。価値観が異なる者の能力を引き出していくのは至難なことかもしれない。だけど翼はジュリアと同じタイプの熱を持っている。そして何よりも。
――昔のあたしと、同じ瞳をした少女。翼にならきっと、似合うだろう。
「765プロの伊吹翼でーす! 明日のライブ、みんな来て下さ~い! チケットまだまだ販売中でーす♪」
「たくましいな、オマエ」
ジュリアは、まいった、と言わんばかりに頭を左右に振った。楽しかったかと尋ねると、やはり満面の笑みが返ってくる。だからジュリアは提案した。
「ちょっとイイこと思いついたんだけど、あと一か所付き合ってくれないか?」
「いいですけど、どこですか?」
昨日までとは違い、翼は「まだあるの?」とは言わなかった。彼女の顔は、ジュリアなら更なる楽しいを提供してくれると確信しているかのようだった。
「シアター。明日の公演に、嵐を起こすんだ」
こんなに純粋な輝きを目の当たりにすると、さすがに自分の瞳が濁ってしまったことを実感する。その正体はきっと自分がおとなになっている証拠なのだろう。ジュリアは思った。
あたしたち人間の瞳に、視力とはまた違った、光度・彩度のようなものがあるとしたら、それは年を経るごとに濁りを増してゆくのかもしれない。
――でも、本当にこどもだけなのか……?
あたしにだってまだ、こどもみたいに『好き』を信じる力があるんじゃないかな――――。
歩道橋の階段を一段ずつ下りていく翼の背を見つめ、言った。
「ありがとうな、翼」
「どうして? えへへ、やっぱりよく分かんないですね、ジュリアーノって」
振り向いた翼の無邪気な表情。
そうかもなあ。あたしの声は白い息になって冬の空に消える。ジュリアはもう一度、広間の方角を見つめた。風に吹かれて木々がさざめいていた。今夜は星が見えるだろうか。
「――でも、これがあたしなんだ」
今なら、胸を張れる。
☆☆
「マジかよ!? ……シアターって徹夜禁止なのか!?」
はてさて、冷や水を浴びせられるとはこのことをいうのだろう。
燃ゆる炎に急き立てられるようにシアターに戻ったジュリアと翼は、はじめに瑞希との合流を果たしていた。楽屋の扉を開いて仰天。二人が戻ってくることを確信していたかのような顔つきで本を読んでいた彼女に事情を伝えると、共にプロデューサーの元へ向かった。公演の前日、彼は決まって舞台袖に居ることをジュリアは知っている。ほら、寝不足気味な顔が見えた。
「……お疲れ。どうしたんだ? 三人揃って」
それでもアイドルの姿を視界にとらえるや否や、彼から疲労がその姿を隠した。こういうのも大人ってものなのかな。「あんたもお疲れ」と、労いの言葉をかける。
「そんでさ、プロデューサー。今日シアターに泊ってもいいよな? どうしても、やりたいことがあるんだ」
「泊りだって?」
果たし状でも突き付けるかのような意気込みを前に落とされた声は、どうにもこうにも予期していない回答だったわけである。
当然だろ、とプロデューサーの声が静かなホールに響いた。出来ると思っていたことに驚いている様子だった。劇場のウワサ『徹夜ができるらしい』なんて、他のアイドルらにも取り沙汰されていないだろうか……と軽く頭を抱えてみせる次第だ。
だが、引けない。そんな彼に向ってジュリアは前のめりになりながら懇願することになる。
「頼むよプロデューサー。この歌は今カタチにしなきゃダメなんだ!」
「この歌……?」
ギターケースの中から、縒れた楽譜を取り出し突き付けた。挑むような視線で、
「そう、この歌だ」
「……成程。仮に、あと一時間レッスンルームを解放すればどうにかなるか?」
その一言でジュリアは悟る。彼は新曲を披露すること自体に反対をしていないのだと。覚えているんだ。半年前、ジュリアの作曲を認めることとなった決め手が、この『未完成の曲』だということを。ジュリアは腕を組み、考える素振りをした。嘘は吐きたくなかった。
「……気合いでなんとかする、って言いたいところだけど、正直厳しいかな」
中核となるメロディがあっても、一つの作品にするには足りないパーツが多すぎる。歌詞すらないのだ。命を吹き込んだところで、翼に伝え、彼女がそれを解釈するまで。その全てを一時間でこなすのはとても無理なことだ。
「ジュリアのその素直なところ、嫌いじゃないよ」
「それで済むなら、徹夜させてくれなんて頼んでないだろ」
尤もだ。プロデューサーは笑った。そのやわらかい表情に誘われジュリアの口角が上がりかけたが、今日は負けないと決めている。
一部のアイドルに肩入れするような真似はしたくないんだろうな。ジュリアがそう考えた矢先、一度許可してみんなの深夜の帰宅が常態化なんてしたら、と彼は不安をあらわにした。翼がまだ中学生だということもあるんだろうけど……。
「でもほら! 合宿とかあるだろ? 外出じゃなくて外泊なんだからいいんじゃないのか?」
それでもすかさず反論をするジュリア。無人島でサバイバル生活なんて真似ができたほどだ。765プロと交わした専属マネジメント契約。グレーゾーンを攻めれば不可能ではないはず。ジュリアはさらに
「それに、シアターにも損はないはずだぜ」
明日の公演をより良いものにする試みでもある。少しくらい融通を利かせてくれたっていいじゃないか。かわい子ぶって頬でも膨らませてやろうか。気持ちが大きくなっている今なら、どんなことでもできる気がしてくるジュリア。
その一方で、毅然とした態度のままプロデューサーは首を縦に振ろうとはしなかった。
「良し悪しの話じゃないんだ。そもそも、公演の前日はしっかり休むのが約束だろ」
「……なんだよ。あいっ変わらず固いなあ」
ジュリアは、いまいちど両隣を見た。三人一緒じゃなきゃダメなんだ、と強く訴えかける。すると、瑞希が色々察した様子で頷いた。
「ジュリアさん。つまり責任者がいないと駄目、だということだと思います」
「瑞希ちゃん頭いい! じゃあ、プロデューサーさんが泊ってくれたらいいんですね~? ねえねえプロデューサーさん、ダメぇ?」
「そうだ、いいぞ翼! もっと言ってやれ!」
「おいおいお前たち一体どうしたんだ……」
ほんの半日前までピリピリしていたはずのユニットを、彼はさぞかし不信に感じたことだろう。団結してくれるのは嬉しいことだが、と頭の後ろを掻いていた。その表情はどこか、ホッとしたような色をたたえていた。
それでも、本当の大人という壁を前に子供は無力だった。なし崩し的に……などという都合の良い展開はなく、三人(主に二人)の努力の結果虚しく、最後までプロデューサーの首を縦に振らせることは叶わなかった。万引きを警戒する警備員のように鋭い目つきで出口まで見送られ、何度も念を押される。そのたびジュリアは舌を出して見せるのだ。
「……ったく、もう分かったっつーの」
「それから翼。今日みたいな遅刻は厳禁だからな」
「は~い。つまんないの。べーっ」
翼もジュリアの真似をした。
「瑞希もこの二人にくれぐれも目を光らせておいてくれ。頼んだぞ」
「はい、了解です」
「おいバカP、なんかミズキにだけ対応が違くないか……?」
なんか腑に落ちないぜ。肩で息をついた。
☆☆
駅へと続く一本道に、重い足取りと沈黙が続く。希望の燈火を失ったジュリアは、少年のように石ころを蹴った。
「ん……参ったね。三人で揃って完成させようと思ったんだけど」
やむなくカラオケで一晩……と考えたが、それこそ青少年の深夜外出に敏感だ。
たまらなくなって、天を仰ぐ。白い息が視界を曇らせる。師走の陽は短く、そこには冬の星座がきれいな光を放ち始めていた。野宿なんてもってのほかだよなあ。考えながら一歩二歩。改札口を照らしている外灯は、時間切れを意味してした。
――残念だけど、仕方ないな。
「あっ!」
急に、翼が大きな声を出して立ち止まった。
「ねえねえ、じゃあさ!」
「ん?」
「ジュリアーノのお家、みんなで行こうよ!」
翼が良いことを思いついた、といった様子で身を乗り出すと、
「おお……。伊吹さん、いいアイデアです」
瑞希が両腕を組んだまま微笑んだ。
――――へ?