「この場所なんだけどさ、どこで乗り換えるのが正解?」
「――いや。お前そういうところあるんだな」
ジュリアから召集がかかったのは、それから一週間後の金曜日のことだった。場所は羽田空港第1旅客ターミナル。『出会いの広場』という名の到着ロビーと併設された待ち合わせ所で、晶也は堪えきれない苦笑を洩らすことになる。
あの日はあのままベンチで小一時間程喋り、連絡先を交換して、「また会えるといいな」と握手を交わして解散した。ギターをやっていたことを伏せていても、すぐに打ち解け話題もどんどん拡がった。
法要を終え東京に戻り日常を取り戻していた晶也の前で気が付けば、おーい、とジュリアは手を振っていた。会えるといいな、どころの話じゃない。早すぎる再会だった。
もっともジュリアには、れっきとした目的がある。例のスカウトマンの所属する事務所がこちらにあるというのだ。
ギターケースを背負った彼女。スマートフォンに駅名を表示させながら、「だって、
「
「い、いいだろ。知らない土地で一人だと不安なんだよ……」
わかってるって。晶也は暢気な口調で応えた。
「目的地までしっかり案内するさ」
「ああ、助かるよ」
「住所とかってわかる? 俺も地図アプリで確認したいんだけど」
「それなら確か、貰った名刺に」
ジュリアをスカウトしたという人物の名刺。晶也はそれを受け取って目を通し、通してその社名に――ぎょっとした。
――『株式会社765プロダクション』
ちょっと待てよ?
咄嗟に口を開く。
「なあジュリア。お前が目指してるのって、ロックシンガーだよな?」
「今更何言ってるんだよ。この前にも言っただろ?」
真顔で返事をされてしまい、どう答えたものか分からず「そうだよな」と曖昧に返した晶也。
もう一度、舐めるように視線を上下させる。空港のロビーは天井が高いから、ついでにかざしてみる。透かしなどはない。しかし、見間違いなどでもなかった。ヘンなヤツ。今度は頬を崩しながら、ジュリアが言った。
765プロダクションといえば、現在最も勢いのあると云われる
似たように数字を捩った読み方をする社名の企業がある。例えば『346プロダクション』や『283プロダクション』がそれに当るが、やはりいずれもアイドル事務所である。
ジュリアがまったく気にしていないところ見ると
様々に巡らせた思考を携えたまま彼女と一緒に乗った京急線。
「……まあ、着けばわかる話か」
ボックス席の一角で、ひとつ呟いて晶也は窓の外へと視線を奔らせた。地下から抜けたばかりの列車は、穴守稲荷駅に差し掛かるところだった。
静かに揺れる木々なんて存在しない。初めは二階建ての民家、次第に高層ビルばかりが目に映るようになる。
「……来ちゃったな。東京」
何気なく口を開いた彼女の横顔に、憂いの色を探す。
しかし、その口元には余裕すら滲ませているのだ。
☆☆ ☆☆
「あ…………」
「あ?」
「アイドル事務所だった…………」
そんなジュリアの口から小さなあえぎが漏れたのは、三時間後。事務所の向かいの通りにある喫茶店でのことだった。
話が終わったら合流しようと、ジュリアが指定した場所だった。窓際の二人席。傾いた太陽の光が、大きなガラス窓から射し込んでいる。
ジュリアが注文したカプチーノが運ばれてきて、彼女はそれを一口啜る。ことん、とカップがソーサーの上に置かれると、晶也もため込んだ息を吐いた。
微かに翳ったように見える表情のジュリアに向かって、「やっぱり」などとはさすがに口にできたものではない。代わりに「アイドルか」と、呟くように言った。彼女は「ああ」と頷く。
短い応答の仕方は落胆のせいかと気にかかって、晶也はジュリアの顔をまじまじと見つめた。
顔立ちは整っていて、化粧は薄い。何よりも鮮やかな
「意外と、向いてるかもな」
ジュリアはふざけ調子で飲んでいたカップを「ぶはっ」と口から外した。それから「ヘンなこと言うなよ」と、じとじと睨むような目を向けてくる。大袈裟な奴だな……。
「別に冗談で言ってないよ」
「あ、あんなヒラヒラした衣装なんか着て踊れるかっての……」
どうやら彼女はその手の格好が得意ではないらしい。
祖父の告別式の際は高校の制服に身を包んでいた彼女だったが、確かに私服ではここ二回ともスカートではなくスキニーパンツを履いている。だけど、男勝りっぽい気質はあるものの、似合わないかと言われればそうでもない気がする。
背もたれにぐっ、と身体を預けて口を開いた。
「……でも、その割には遅かったじゃないか」
テレビで見かけたことのある三階建てのビル。紛うことなき『たるき亭』の上に位置していたその事務所へと彼女を送り届けてから、一人で潰すにはなかなか骨のいる時間が経過していた。高円寺まで歩いて商店街をふらつき、本屋に寄って、また戻ってきて一時間半ジャスト。丁度いいだろうと高を括っていたが、もう一時間待つ羽目になったのだ。
指摘をすると「怒ってる?」と、ジュリアが申し訳なさそうな顔つきになる。
「まさか。気になっただけさ」
「……実はさ。話をした後に、練習の見学をさせてもらったんだ。少しでも興味を持ってもらえれば、って」
「へえ」と短く相槌を打って続きを促す。スカウトした人材をむざむざ手放すつもりはないといったところか。
「そのダンススタジオっていうのかな……が、別の場所にあるっていうからあっちこっち移動してさ」
「なるほど、その移動時間も相まっての三時間か」
「そ」
頷いたジュリアがまたカプチーノに口を付けたので、晶也も二杯目に頼んだアイスミルクティーの残りを緑のストローで一気に啜る。ずごごっ、とリコーダーと同じ原理の音。溶けた氷で、ほとんど水の味がした。
それからもう一度ジュリアの顔を見た。
「どうだった?」ためしに尋ねると、大仰な言葉と共に彼女はゆっくりまばたきをする。
「……あたしの、全く知らない世界がそこにはあった」
「……世界ね」
ちょっと迷ってから、晶也は返事をした。彼女がやけに神妙な面持ちで言ったからだ。もう僅かも残っていないグラスをつい持ち上げたのは、妙な予感が走ったせい。
正直びっくりしたよ。と、そんな晶也をよそに、彼女は真剣な表情で言葉を紡いだ。
「みんな本気な目をしていて、それでも楽しそうだった。歌だけじゃない――ダンスも指先の動きまで綺麗に揃っててさ、それから目線も。全身を使って、全員で一つの曲を作り上げてた」
「…………びっくりだね」
アイドル、と聞いた時に晶也が思ったこと。
歌って、踊る。アイドルという存在と関わることが無ければ、それに対する評価なんてそんなものだ。
極論だが、顔が可愛くてスタイルが良ければ、それだけでも一定数のファンの獲得は容易いのではないだろうか。世間一般はなんとなく、アイドルという存在を歌手やアーティストよりも軽視しがちだ。
それは歌手が己の歌声一本で勝負をするのに対し、アイドルは様々な自分の長所を活かして勝負ができるところにあるように思う。歌が苦手であればダンスで。演技が苦手であればトーク力で、というように。
別にそれが悪いことだとは思わない。色々こなす分大変なことも多いはずだ。どんな業界にも苦労や悩みも必ずある。
だけど、そんなことには意外と気が付かないものだ。なぜなら特にアイドルは、テレビに映る華やかな衣装を纏ったアイドルたちは、常に笑顔で輝いて見える。楽しそうに見える。
「だろ?」
「ああいや。……俺が驚いたのはそういうことじゃない」
ジュリアが、それをひっくるめたものがアイドルだと……ほんの一度の見学で見抜いたということに対してだ。
ダンスや歌の練習に励む。そんな普通の人と変わらない日常の一つ一つの積み重ねが、その裏の苦悩を悟らせない、幻想的なまでの偶像性を可能にしている。
もしそれがアイドルの本質だとしたら――
「意外と、じゃなくて本当に向いてたかもな」
心から思った。
ジュリアが裏を読むように間を空けて言う。「おだてたって、何も出ないからな」
「持ち上げちゃいないさ」
すでに、顔の造作やら佇まいやらで判断はしていない。
そしてあの日ジュリアに声をかけた765プロダクションのプロデューサーの目に狂いなど微塵もなかったと、晶也も信じている。あの事務所にはジュリアを磨き上げるだけの力もあると思う。
――だけど。
アーティストとして世界中に歌を届ける。そんな夢に向かって一直線に駆け出すつもりでいた彼女にとって、アイドルという選択はないんだろうな。
やたらとメランコリックな店内BGMが、やけに大きく聴こえた。
「ま、向いてるかは分からないけど頑張るよ。あたし」
「――――は?」
その僅か十秒後、逡巡する晶也の前に落とされた言葉は、更に予想だにしていないものだった。
「断って……ないのか?」
「ああ」
「保留にしたわけでも……?」
「ないさ」
そのどちらにもけろりと答えられる。
心密かに動揺はしていた。ジュリアが真剣な顔つきになった段階で微かに違和感はあったのだ。悩む余地があるらしい、と。
それだけでも十分驚くべきことなのに――
「違うよ。あたしさ……決めたんだよ、アイドルになるって」
ジュリアは言っているのだ。
煌々と光る碧い瞳が、少しも動かなかった。宿した輝きを失わず、まっすぐに晶也を捉えたままで。挑戦的で、歌声と同じようなを熱情を秘めている。すっと背中が冷えるような感覚があった。
「ちょ、ちょっと待てよ」
気が付けば、あっさりと言い切るジュリアに食い下がっていた。
慌てて腰を浮かしたその時、晶也の脳裏をちらついたのは、祖父の言葉だった。
――君のような若い『め』がこれからの音楽を支えていくのだろう。
先日彼女がどのような意味で『め』という単語を引用したのか定かではないが――祖父はそれを『愛』と詠んでいた。
それは純粋で、透き通った、『好きな気持ち』という意味だった。
歌うことが好き。音楽が好き。
あの日、それを澱みのない瞳で言ってのけた彼女から受けた衝撃をまだ容易に思い出すことができる。
――だけどそれは、あまりにも美しすぎる意見だ。
大好きな祖父の言葉ながらも、時に晶也は不思議に思うことがあった。
人は、
楽しさというのは常に過酷さと背中合わせのように思う。これはなにも音楽に限った話ではない。魅せられたものにはとことん向き合ってしまう人間は、それらに対し「もっと先」を無意識のうちに視てしまう。
例えば、それを『夢』と言ってしまえば聞こえはいいが、業績欲は名誉欲と比べると決して快適なものではない。
もっと言えば、業績欲というのは休ませてくれないからだ。結果を残さねばならない。そんな重圧が伸し掛かる。――その時点で『愛』だけでは『夢』を語れなくなる。
――どこもかしこも、そんなことばかりだ。
やってみなければ分からないこと。そんなもの、この世界には沢山存在している。きっと、いや、確かにそうだ。
自分では良いか悪いか判断できなくても人から言われたことをやっていれば結果上手くいくことだってあるはずだ。形から入って心がこもることだってきっと。…だけど、その反対だってあるじゃないか。
だから鋭く囁いた。
「……理由を、聞かせてくれないか」
知りたい。ジュリアが胸の裡に宿す想いを。
まさか断りづらかったなどという生ぬるいものではあるまい。
確かにアイドルは、音楽や歌に全く関係が無いわけじゃない。だけど本来志向していた歌手とは似て非なるものだということは明白だ。
そんな道に懸ける意味があるのだろうか。分からない。それこそ本来の夢を投げうつほどの――覚悟?
何の覚悟だ。なに、考えてるんだよ。勝算ひとつないはずなのに……どうして、そんな顔して言えるんだ。
覆い難いほどの混乱を覚えていた晶也に対し、ジュリアは今度も変わらなかった。出会ったときと同じ、子供みたいな表情のままで。
理由は簡単さ。ニッと笑うのだ。
「アイドルにも、
即答だった。ぞっとした。
晶也の身体を、得体の知れない突風が吹き抜けた。畏れにも近い衝撃だった。一瞬で手の内側に汗をかいてしまった。
「とはいえ……あんたの言う通り、最初は断ろうと思ってたんだ。アイドルなんて、あたしの目指す道とはあまりにもかけ離れているって」
やっぱり、とおでこを押さえる。ここで寄り道をしている場合ではないはずだ。
「そう思ってたんだけど、同じものがあったんだ」
「同じもの……ね」
「……あたしの信じるロックはいかなる時もブレないまっすぐな熱いハート。それがさ……それが、アイドルの世界にも確かにあったんだよ」
彼女は、唇の端をきゅっと引き締め、笑った。
でも、その目は真剣だった。
「だから今はさ……アイドルの世界に潜むロック。それを人に伝えていくのが、あたしの役目なんじゃないかって思った」
それまでの強気な口調ではなく、自分の中で咀嚼するような声色だったように思う。それでも晶也はジュリアの声をかわすことができなかった。
彼女にとってアイドルは寄り道ではなく、必要な道だというのか。
「まあ単純にさ、一度やるって決めたことを曲げるのが性に合わないだけなんだけどな」
最後まで、あくまでクールなまなざしのまま彼女はきっぱりと言い放った。その表情は少しだけ和らいでいたが、それでも不気味なほどに底が知れない。
「……っていうかあんた、アイドル事務所だって気付いてたんだったら教えてくれよな」
「む、無茶言うなよ……」
そこでようやく晶也は声を出すことができた。口の中がからからに乾いている。二杯も飲んだはずなのに。
「何ヘンな顔してんだよ」と、そんな晶也に向かってジュリアはけらけら笑った。「ロクに話も聞かずに来たあたしの責任だってば」
「……本当に、気付いてなかったんだな」
「あはは、恥ずかしながら。……でも、あながち筋違いな道でもないんだ。あたしは別にアーティストになる夢を捨てたワケじゃない。それにアイドルやってたって機会さえあればギターと一緒にステージに立ちたいし、自作の曲を披露したいって考えてる」
「ギター?」晶也が問うと、
「固定観念って言うのかな」と、ジュリアは目を閉じた。
「アイドルって、まあ、ひらひらした衣装を着て可愛く踊って……。あたしもよくわかんないんだけどさ、あるだろ? そういうの」
黙って頷く。確かに華々しさの象徴であるそれに、晶也も知らないなりの印象を抱いている。
「その根本を覆したい、ってワケじゃないんだけど、あたしはそれとは違ったものを届けられると思う」
アーティストとしての顔を持つアイドル。ここまでくると半分くらいは腑に落ちていた。
「それにさ」
ジュリアはコーヒースプーンをカップの中で小さく鳴らす。
彼女は
それを見計らったかのように形のいい唇が開いて。
「アイドルも、
先の、
――歌うことって、つまり表現することでもあると思う。
そのうえで、高い純度の表現をあたしは求めてる。彼女は言った。
「……あたしがアイドルになる理由はもう一つ、アーティストを目指すうえで大事なことを学べる気がしたからなんだ」
そして、朗々と語った。
「自分が
夜の警固公園で「あたしの歌で
ロックを伝えるアイドル。アイドル界にとって新しい切り口。新しい舞台で新しいスタイルを創り出す。ゼロを一にすることだ。それが、どれだけ難しいことなのか。晶也には想像もつかない。
だからついに眩暈を感じ、「そっか」とただ短い掠れ声が我知らず零れる。
だけど、同時に、すべてが分かった。
晶也はそれまで感じていた混乱が嘘のように消えるのを感じていた。ジュリアがアイドルを選ぶことに何一つとして不思議なことはなかったのだ。
なぜなら、彼女は何も変わっていないのだから。
『好き』という気持ち。今なら祖父が、なぜにジュリアに声をかけたのかが分かる。なんたって、それを語る彼女が、こんだけ輝いて見えるんだ。情熱を燃やさずにはいられない少女。好きだから、頑張れる――か。
夢があって、そのために具体的な道筋を立てている。正しい努力をしている。
確固たる夢を持ち、それに向けて高いモチベーションを保ち続けることの難しさなら晶也にでも分かる。なぜなら子供の頃には誰しもが夢を持っていたからだ。
でもその時でさえ、叶う可能性と叶わない可能性を、同時に意識していたと思う。漠然と、無意識ながら、朧気に。
だけど、ジュリアは違った。こうと決めたら曲げない烈しさ。それが彼女にはあった。自分が夢を叶えられることを本気で信じている。そんな魂。「やる」と決めたことを貫く心と、夢を語ることのできる揺るがない瞳を持っていた。
その根源となっているものが、歌。歌であり、それを愛する心。
――すげえよ
本当にすげえ。
一生を賭して光を追い続ける覚悟。それが彼女の強さなのだろう。晶也は思わず自分の腕をさすった。
「……かっこいいな、ジュリアは」
「ふふん。今頃気が付いたのか?」
不敵な笑みで彼女は鼻を鳴らす。
飾らず、率直な少女。なぜジュリアと話していて心地がいいのか分かったような気がした。
こんなの、魅了されるなって方が無理だろ。彼女と、彼女が秘める無限大な可能性に。
ふと、そんなことを思った。
ここでタイトルの回収ですね。『愛』これは『め』と読んでいただけると嬉しです!
ここだけの話、題目には色々と候補がありまして
「あたしがジュリアでいるうちは」とか「君はいつも夢を語っていた」だとか、一目でジュリアSSだと瞭然たるものにしようと思っていたんですけど、以前友人と話した際に「内容に沿ったものにしている」と言われて、じゃあこれしかないと。
ただこれ肝心なことにTwitterとかのサーチ引っ掛かんないんですね。まずい。
ちょっと元ネタを拾います。
ジュリアの信じるロック。これはミリシタで制服のジュリアが実装された際に公開された四コマ漫画にて彼女が言っていた台詞だったと記憶しています。
晶也が「アイドル」を考えた時の、「苦労や悩みが無いわけじゃない」の発想はゲッサンミリオンから頂きました。私自身思うところがありましたので、ちょっと長ったらしかったかもです。
最後にジュリアがアイドルになる理由。公式でも中途半端が嫌だ、それから件の「歌で感動させること」が理由だとされていますが、それを個人的に深めてみた次第です。いかがだったでしょうか。
少しでも腑に落ちていただけると、書いた甲斐があるというものです。
歌で誰かを感動させることに違いはない。
とっても好きな言葉です。
2020/4/24 撫音
/26 傍点・ルビのミスの修正を行いました。