『あたしがジュリアでいるうちは』   作:撫音

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分割する必要なかったかもしれませんね、少し短めです。


     夢を照らす愛(5)

 

 石像のように、一瞬固まった。

「『ジュリア』って名前の花があるんだ。……なんて、あんたが知ってるハズないよな。品種名さ、薔薇の」

「…………薔薇…………?」

「そっ。薔薇の名前。花言葉ってあるだろ?」

 よどみなく声を繋げながら、ジュリアは言った。

 花言葉。晶也は小さな声で繰り返す。花や実に象徴的な意味を持たせたものだ。その由来は色や香り、特徴に留まらず、神話や風習にも根差すことがある。だが、薔薇に充てられたそれくらい、晶也も知っている。

「薔薇は有名だよな。愛情とか……」

「ああ。赤い薔薇なら108本で『Marry me』、プロポーズの言葉になるよね」

 声を差し挟むと、滑らかなイントネーションで応じるジュリア。プロポーズ……。晶也にはやはりそれが目の前の彼女とは今一つ結びつかない。「でも……それが?」注意深くジュリアを見つめ、尋ねる。

「言っただろ? 品種が違うって」

 ジュリアは、目を細めて小さく首を横に振った。「あんたの言う通り」

 本来なら、薔薇の花言葉は『恋』と『愛』と『美』。指折り彼女はそう告げる。そして、少しだけ微笑んだ。

「でも、『ジュリア』はそうじゃない」

 晶也の目をしっかりと見つめながら、

 

 

「『ジュリア』の花言葉は、『努力の人』」

 

 ぞくり。電流のような熱いものが、全身に流れ込んだ。

 努力の人。頭の中で反響し続けるその言葉に、瞬き一つ、すぐにはできなかった。

 ――努力の人。

 晶也は口の中で二回繰り返し、三回目でようやく声に出す。のどがからからに乾いている。それまで息を吸うのも忘れていた。

「努力の人…………。そうか……いい、名前だな」

「だろ? 『ジュリア』はあたしにとってかけがえのない存在で、あたしの一部なんだ。この名前を掲げている限り、あたしは頑張れるような、勇気を貰える気がして」

 好きなんだ。と括った彼女の顔をまじまじと見つめる。意味を知るとますます似合うよ、その名前。そう言いかけて――ハッとした。…………だって彼女が()()と言ったから。

 見えない何かが自分を呼んでいるような気がして、寒空の下、背筋が伸びた。脳裏には祖父が眠っている墓石の前で手を合わせているジュリアの姿が鮮明に浮かんでいた。彼女は静かに頭を下げ、故人への哀悼の意を捧げていた。

 おかしいな、と思う。おかしいのだ。だってそんな景色など一度として目にしたことがない。でも確かに去来したのはそんな映像だった。

 

 ――見慣れない色だな。

 

 閃き。回路が、繋がる。ああそうか、そうだったのか。

 頭の中で、薔薇が咲いた。

 一般に想像しうる薔薇。マゼンタのように冴えた赤紫もあれば、白桜のように淡々しいものもある。真紅や深紫といった大人っぽい色味のものも有名だし、近年は青薔薇をモチーフにした商品を見かけることもある。だが、晶也の脳裡で花びらを華やかに広げ、優美な姿を見せていた薔薇の、その―――色は。

「……その薔薇、橙をしてるよな」

「なんだ、知ってたの?」

 ジュリアが驚きよりも、ちょっぴりつまらないという気配を放つものだから、晶也は柔らかく苦笑する。知らなかったと首を振って見せると、「どういうこと?」と、彼女はもっともな質問をした。長い睫に疑問の色を滲ませる。

「分からない?」

「だってあたし」

 瞳が怪訝に細められる。首が、縦とも横ともつかぬ、曖昧な動きをした。

 どう言おうか、と少し言葉を選ぶ素振りをした。でも、そのまま伝えた。

 腑に落ちないとでも言いたげな表情を浮かべている彼女……彼女こそが。

「じいちゃんのお墓に、花を供えてくれたじゃないか。……あれなんだろ? ジュリア」

 憶えている。季節の花の中に一つだけ異彩を放つ花が、それも情熱的な美しさを兼ね備えた薔薇があったことを。ジュリアは微笑んだ。

「そっか……。憶えてたんだな」

「それだけ強烈だったんだよ」

 ふうん、とジュリアが風に流れる髪を押さえながら言った。そう、その透き通った真朱をも忘れられるはずがない。胸の奥からふくれあがるような気持ちが晶也を包み込んだ。まるで色とりどりの風船が空高く舞い上がるように、込み上げてくる感情があった。喜び、興奮、それから。

 

 ――何て名前だっけな、あの子。

「あははっ。……まさかな。あれが…………あれは、どっちも……ジュリアだったなんてなぁ」

 晶也は笑った。可笑しくてたまらない、というように。肩を震わせ、声を上げて。

「お、おい晶也? 急に怖いよ、大丈夫?」

 背中に添えられる手の感触。晶也が突然狂ってしまったのかと心配するような声色が、余計に可笑しかった。

 運命だとしか言いようがない。目に滲んだ涙を人差し指の先で拭うと、晶也は告白する。

「二年に渡って、俺は『見慣れない色』に目を奪われてるんだよ。葬儀の日に初めて見たジュリアの髪色。それから――」

 一年後。墓前であの薔薇を見て、朱い髪の少女を想起したこと。思い出そうとしても、名前を思い出せなかったこと。説明をすると、彼女も身体を折り曲げるようにして笑った。

「なんか照れるよ、ソレ」

「どっちもため息が出るくらいの美しさだったよ」

「もうっ、やめろって。恥ずかしい」

「……再会できたのは偶然だった。でも、惹き合わせてくれたのかもな」

 晶也は考え込むように空を見上げて、ぽつりと言った。

 

 薔薇は、静かな墓地に生命を添えていた。あの薔薇はただの花ではなく、努力の象徴であると同時に、彼女を構成する奇跡の一部だったのだ。

「ふふん♪ 満足したようで何よりだよ。あたしの本名を知るよりも有意義な時間だっただろ?」

「ああ、刻み込まれたよ」

 まんざらでもない顔を見せた彼女。

 ジュリアは、まさに自分の名前ぴったりの人生を歩んでいる。

 

 

 やがてジュリアの視線が、懐かしいものを想う、遠い目つきになった。

「おじいちゃんには、感謝してもしきれないよ」

 だが、その声はいまいち弾まなかった。

「あれさ、あたしの決意表明みたいなもんだったんだ」

「あれって?」

 献花のことね、と答える彼女の声量が少し落ちている。妙に改まった声だった。彼女を見ると、時折見せる慮深いまなざしがこちらを見つめていた。そんな彼女には晶也と同じくらい、いやそれ以上に祖父に伝えたいことがあるように思えた。

「感謝もそうだけど、あたしは、おじいちゃんの言葉に今でも支えられてるよって。もう一度の勇気を胸に努力をし続ける……この名前と共に生きていくって」

 その言葉に、ジュリアは自分の名が持った美しい言葉以上の意味を生前の祖父に伝えられなかったのだと気づいた。

「ジュリアを……あの薔薇を手向けたのには、それを伝えるためでもあったんだ」

 彼女の顔から拭ったように笑みが抜ける。

「でも本当は少し。……あの花、おじいちゃんには悪いことしたなって思ってる」

「悪いこと?」

 訊き返す。花を手向けてくれたのに? 

「棘のある花はマナー的に良くないからさ。礼儀知らずな真似して」

「なんだ、そんなことか」

「そんなこと、って……晶也」

「……じいちゃんはそんなの気にしないさ」

 晶也は浸る。たとえ意味を知らなくても、祖父はきっとその薔薇を気に入ったに違いない。彼女が意図して選んだその花に込められた心を感じたに違いない。なぜなら――。

 

「あの人は、()()()()()()()といえる人だったからな」

 晶也は笑いかける。静かな声で、この声がジュリアの胸に響くように。

「だから大丈夫」

「……そう、だったな」

 ややあって、ジュリアは熱の籠った笑顔で頷いた。そんな彼女もまた、良いものを真っ当に評価できる芯の強い人。

 待ち受ける困難に臆することのない表情をして、星のような輝きをたたえた瞳で語ってくれたことを晶也は一刻も忘れてはいない。

 自分が良いと思ったことを、他人にも同じように良いと思ってもらうのって簡単なことじゃないだろ? だから、今のあたしにピッタリなんだよ。アイドルって。

 良いものを、良いといえる人。

 ――願わくば、俺もそう在りたい。

 

 晶也は広々と空を仰いだ。祖父と、それからジュリアの夢を想っていた。きっと世界には叶わなかった夢がたくさんある。それはたぶんこの空の星の数よりもずっと多い。ジュリアの夢――それは世界中に自分の歌を届けること。容易いことではないだろう。けれども、彼女は成し遂げるはずだ。まばゆい星明りを見ながら、祖父の言葉が過っていた。

 ――()()()()()()()さえ失わなければいい。

 晶也は目を閉じた。祈りに近い気持ちで深呼吸する。何かが通り過ぎるのを待つかのように。努力、努力の人。

「ジュリアの夢は、必ず叶うよ」

 自分の呟く声が聞こえた。彼女がくすりと零す笑いも。

「あんた、必ずとか絶対とか、苦手じゃなかった?」

 確かにそうだ。風が頬を撫でると、無意識に彼女を拒んだファミレスでの光景が浮かび上がってきた。あの頃の自分は、再び音楽に向き合う自信がないからと彼女から持ち掛けられた同居生活を拒んだはずだった。情けないこともたくさん言った気がする。そんな自分に、ジュリアは確かにこう言ってくれた。動けないなら、あたしがあんたの手を引いてあげる――。

「いいんだよ。少なくとも一人、お前の歌に救われたヤツがいるんだしさ」

 とん、と晶也は、自分の胸を拳で叩いてみせた。こんな自分でも自信をもって『良い』といえるものがある、そんな喜びに満ちていた。

 

 過去を打ち明けた夜に贈ってくれた『流星群』はあれからずっと、最後のひと時まで自分のことを励ましてくれる――そんな予感があった。思い返しても奇妙だが、ジュリアの吸い込まれるような清らかな歌声に光を見たのだ。あの光の正体は今でもわからないが、きっとジュリアの言うところの「高い純度の表現」の第一歩、まさに新星だったのだと思う。その輝きは人々の目を……心を惹きつける。

 聴き手は、単なる音楽の受け手ではない。アイドルのステージでは、人々もまた、彼女に光を送り返すことができる。いつだか彼女が言っていたサイリウムの光。彼女に向けられている光がその証拠だ。人々が、ジュリアの歌声を求めている。

 

 彼女の声にはそういう力がある。

 

「そっか……。ありがとな、晶也」

 いつしか瞼を閉じていたジュリアから、真剣な話の気配がした。

「あんたが、ホントに訊きたかったこと。話そうか」

 

 

 心音が、鳴った。

 

 

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