『あたしがジュリアでいるうちは』   作:撫音

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 前回の更新の際に、大変嬉しい評価コメントをくださった方がいらっしゃったはずなのですが、消されてしまったのか、アカウントを削除されてしまったのか、感謝を伝えられず仕舞いでしたので、この場を借りてお礼申し上げます。
 長々とお付き合いくださり、本当にありがとうございます。



     『アイル』(2)

 

 

 

 

 ――普通じゃないことって、そんなに悪いことかな。

 

 憶えているだろうか。いろいろな場所でそうだった。

 古い記憶で言えば、幼少期。同年代の少女たちがお人形さんや可愛いアニメに目を輝かせている傍ら、段ボールを切り抜いて造ったギターが宝物だったあたし。大事にしているぬいぐるみがカンガルーだというのも、変わってると言われたりして。

 それから、昨日思い出すまですっかり忘れていたけど中学時代。

 ――コラ! そのメイクをどうにかろ! ギターを背負って廊下を走るな!

 生活指導の教師によく怒られていたっけ。ああ、回想の中でもあたしの本名はナイショな。

 別に、とんでもなくひねくれ者だったとか、いわゆる不良生徒だったワケじゃないと思う。

 ただ……あたしにはずっと疑問だったんだ。

 

 

    ☆☆

 

 照明の眩しさがまだ瞼の裏に残っている。

 お気に入りの楽屋の片隅で、ジュリアはソファに深く腰掛けたまま、浅い眠りに沈みかけていた。シャワーは短く済ませた。どこか急いていたのは、ステージの興奮がまだ身体の芯に残っていたからかもしれない。

 もたれたまま、ゆっくりと目を閉じる。喉の奥にほんのわずか残る熱気と、髪の毛に残るシャンプーの香り。意識は浮いたり沈んだりを繰り返し、時間の感覚も曖昧だった。

「あー……」

 小さく吐いた息は、まるで舞台を降りた自分自身へのささやかな労いのようだった。指先はまだ弦の感触を覚えているし、耳の奥には客席の歓声がかすかに残っていた。けれどそれすら、波が引くように少しずつ遠ざかっていく。代わりに押し寄せてくるのは充実感と、空白のような睡魔。

 

 …………それから、弾むような足音。

 次の瞬間、その均衡が乱暴に破られた。

「ジュリア~~っ! いたーっ!」

 案の定、ノックという名の前置きは省略された。バンッ――と勢いよく扉が開かれ、元気そのものみたいな気配が雪崩れ込んでくる。静けさに溶けかけていた空気が一気に弾け飛んだ。まどろみの淵にいたジュリアの肩も、びくり。ソファの脚が床を擦り、無意識に踏ん張った足先に力が入った。

 興奮と歓喜を隠せぬ様子で駆け込んできたのは――

「お疲れさまっ! すごかったよ!」

「昨日できた曲って、一体どういうことだよ~」

 シアターの同期、高坂(こうさか)海美(うみ)と舞浜歩だった。

 

 ジュリアは口を「びっくりした」の「び」の形で留めてから、ふっと表情を崩した。それからどこか照れくさそうに頬を指で掻いて。

「二人ともサンキュ。観てくれてたのか」

「イエス! すごく良かったよ

 はにかむような笑顔で「ジュリアに直接伝えたくって」と歩。こちらを数秒見て、少しだけ申し訳なさそうな顔を作った。

「……って、もしかして寝てた?」

「平気。うたた寝くらいさ」

 無造作に跳ねた前髪を手でかき上げながら答える。

「そんなジュリアに……はいっ、これ!」

 ひときわ明るい声とともに、海美が冷えた炭酸ジュースの缶を差し出してきた。指先には微かな結露がにじみ、キラリと楽屋の照明を反射する。

「飲みたいかなと思って! ……といっても、そこに売ってるやつだけど」

「くれるの?」

「もちろん! お疲れ様の一本ってことで♪ お茶もあるけど、どっちがいい?」

「ジュースがいいな。ちょうどそういうのが飲みたかったんだ。この部屋、コーヒーサーバーしかないからさ」

 小さな冷蔵庫が設置されている部屋もあるが、ここはそうではない。楽屋の隅を一瞥してから受け取った。指先に伝わるひんやりとした感触に思わずほっとする。

「ありがたく頂くよ。実のところ自販機まで行くほどの気力がまだなくって」

「どういたしまして」

「あの様子じゃ無理もないね。ライブ、すごい迫力だったもん」

 どちらともなく笑みを浮かべながら、丸いテーブルを挟んだ向かいに二人が腰を下ろす。ジュリアもただ小さく頷いた。プルタブに指をかけると、喉の奥がまるでそれを待っていたように反応していた。

 

 ジュースが身体を巡ると、同時に頭が冴えてくる。彼女らの仕事について思い出すのに時間は要さなかった。

「今日って、たしかツアー組は仕事じゃなかったか?」

 この二人、例のバックダンサーオーディションの合格者である。同じくツアーメンバーである北上麗華から、仕事があるから出演を見送る――そのようなこと聞いていた。それとなく腕時計に目を落とす。『アイル』を披露したのは前半。反応してくれたということは、ほとんど開演のタイミングには間に合っていたということになるが、果たして。

「予定よりも早く終わったの! だから、間に合うかな~って!」

 と、海美が屈託なく笑って答える。その明るさの中に、どこか子どもみたいな誇らしさも滲んでいた。

「それでね、走ってきちゃった♪」

「は、走ってきたぁ!?」

 ジュリアが驚いて声を上げると、隣で歩が苦笑いしながら宥めるように言った。

「こら海美。……ウソウソ。先輩たちと一緒に、タクシーで来たんだよ」

 シアターのあるこの港町は、都心から少し離れている。ちょっと考えれば冗談と分かるはずなのに、どこか本気にしかけてしまったのはひとえに彼女らの体力を侮れないためである。

「まったく……脅かすなよ……」

 ジュリアは口をへの字にして、呆れたような顔をしてみせた。海美はイタズラっぽく目を細めて笑う。

「ごめんねー。でもね、驚かされたのは私たちも同じなんだよ?」

「ホントホント」歩も軽く頷き、手元でクッションをそっと揉みながら共感を示した。「大胆なことしたなぁ」

 新曲を披露したことを言っているのだと分かったが、返答には困った。

「まあ……色々とあってね」

 ジュリアは眉のあたりを掻く。すべての経緯を説明するには、あまりにも心の変化が入り組んでいて。簡単に語れるようなことじゃない――そう思っていたところに、歩がふっと柔らかな声で口を開く。

「翼とだいぶ揉めてたんだって? 静香から聞いたよ」

「ああ、知ってるんだな」

 もう一度苦笑いをして、肩を竦めるような仕草でそれを肯定するのだ。

 

 歩の言葉からも伺えるように、静香はずっと二人の関係を案じてくれていた。数日間に渡って続いた小さな衝突とすれ違い。その間ジュリアを落ち着かせてくれたのは瑞希であり、同じように翼を支えてくれたのが静香だった。出演の予定がなかったにもかかわらず、一つ隣の楽屋で居残り練習に励んでいた彼女。

「皆さんの倍は頑張らないといけませんから」なんて言っていたが、きっちりこちらと同じ時間に切り上げていたところを見るに相当気を揉んでいたのだろう。帰路に交わされる雑談で、どれだけ翼の気が紛れたか。心底頭が上がらない。

「きっとシズだけじゃなくて……シアターのみんなに、心配かけちまったよな」

「そう思う。だって歌い始める直前まで、見学組はみんなソワソワしてたもん。……琴葉なんてずっと祈るような顔してたから、さすがのアタシも釣られて緊張しちゃった」

 歩が目を伏せるようにして笑い、ジュリアも思わず肩の力を抜いた。海美が優しく言い添える。

「私たち、翼のことも心配だったしね。オーディションであんなことがあったから」

「……だね。翼のダンスってかなり彼女の気分、テンションに左右されるところがある。……だからこそ今日のパフォーマンスは衝撃だったよ。もちろん、いい意味で」

「だよねっ。感動した! だって今日のジュリアたち、すっごく息が合ってたもん!」

 海美が勢いよく身を乗り出しながら、言った。ふわりと暖かい風がジュリアの心に入り込んできた。

「息が合ってた……か」

 実際に、その手ごたえがあった。披露したのは『アイル』と『流星群』の二曲。時間にして十分余りのステージは地下でいう新人バンドに与えられる時間とそう変わらない。だが、二人と通じる瞬間なら……ごまんとあったから。

 歩がにっこり笑って、

「一体どんな手品を使ったのかな」

「はははっ。そんなんじゃないよ。ミズキじゃないんだ」

 ジュリアはソファにもたれた。

 目を軽く閉じると、ステージ上での激しいパフォーマンスが、刻まれた証のように今もなお熱く鮮烈に心に残っている。

 

 『自由』

 

 それが、最後に翼へ渡した、一ピース。

 手品なんかじゃない。たった一言、ジュリアは彼女に告げたのだ。好きに歌え――と。

 翼を主役に迎え、『未完成の曲』は羽ばたいた。彼女に、想いが届いた確信があった。ステージの上、翼の歌声は天井まで弾け飛ぶように広がり、溢れんばかりの「楽しい」が花火のように降り注いでいたから。

 音楽は時として言葉以上に気持ちを伝えてくれる。本当に不思議だよ。翼の考えてることが、あんなに分からなかったのにな――。

 彼女の歌声のひとつひとつ、所作の一挙一動の中に、興奮と感動、そして……あたたかな感情があることに気づいていた。

 それは信頼。

 ジュリアと瑞希がそばにいてくれる。だから自分は安心して、思いきり前を向くことができる。そんなふうに、翼は感じてくれていた――。そのことが、ジュリアにはたまらなく嬉しかった。紛うことなき愛だった。

 

 心の結びつきという目に見えないものが、演奏技術と同じくらい――ひょっとしたらそれ以上に音楽を形づくる力になるのだと、肌で感じた。さらにはこうして感動したと言ってもらえるステージになったんだから、最高の気分。

 ――なぁんて、まだ自分の手柄ってワケじゃないか。

 ジュリアは頭の中で訂正した。今は触れさせてもらっただけだ。あたしが理想とする表現の世界の一端に。

 

「あたしはホントに何もしてないんだ。むしろ、あの二人に色々と気づかせてもらってばかりでさ。今回のことも……喧嘩っつーか、その、あたしが翼を認めていなかっただけなんだと思う。昨日のリハのあと、アイツと正面からぶつかって……やっと、視界が開けた」

「その結果が、新曲なんだね?」

 海美がやわらかく声を添える。ジュリアは得意げに答えていた。

「ああ。()()で……徹夜して作った」そこにほんの僅かの含みを持たせて。「完成したのは……今朝」

「ウソっ!?」

「け、今朝ぁ!?」

「ライブトークでは昨日仕上げたって言ったけど、実はね。……そのせいでプロデューサーにこっぴどく叱られてさ」

「あははははははっ」

 歩が大きく笑った。まるで喝采のように。そして――。

 

「さっすが、ジュリアだね。()()()()()()()()()()()()

 

 このような言葉は一点の曇りもない笑みとともに届けられた。

 瞬間。ジュリアの胸の奥で、何かがぽろりと落ちる。

 

 普通じゃない。これが誉め言葉にあたるものだと、なぜかこのとき理解できた。

 ――ああ。…………ああ、そうだったのか。

 

 

 人は大人になるにつれてつまらなくなっていく。昨晩、そんなことを晶也に話した。

 ジュリアはこう考えている。子供は成長の過程で「普通」になっていくのだと。

 いや、正確に言えば、「普通」を身につけていくのだ。親や教師といった大人たちから教えられ、強制されずとも自然と、あるいは望んで、その振る舞いや考え方を自分のものにしていく。きっと不思議なことではない。そうした「普通」は社会性や協調性のことであり、それを持っていれば大人に褒められたり、日々の生活がうまく運んだりするのだから。

 ただ一方で、ジュリアはずっと胸の裡にある疑問を宿し続けてきた。

 憶えているだろうか。どこでもそうだった。言動も、性格も、髪の色も、格好も。目立つ人は敬遠される。

 

 ――普通じゃないことって、そんなに悪いことかな。

 ずっとモヤモヤしていた。

 そうした形にならなかった感情が、くっきりしてくる。

 アートの世界では「普通」こそ褒め言葉じゃない。

 それは、()()()()()って意味でしかないのだ。

 だから、そうした疑問を持ち続けていられたあたしは、周りからすればちょっぴり痛い子だったのかもしれないけど、一本筋の通ったロックな生き方を遂げられていたのではないか。だってパンクロックの本質は、自己表現への強い欲求と既存の価値観への挑戦。

 

「…………へへっ。あたしらしくて、最高だろ?」

 

 ジュリアの返事は、長い疑問にそれを認める首肯でもあった。

 こうして笑うことができるあたしはまた一歩、近づけたのだろう。子供みたいな大人に。

 

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