君の激情に恋をして 作:考える人
舞台「羅刹女」は本番まで2ヶ月を切ろうとしていた。
羅刹女は活劇であり
全体は殺陣師の指導の下、立ち稽古を始めていた。
そんな中で、サイド甲の主演である夜凪は――
「…はぁ」
怒りで燃え盛る羅刹女を上手く表現できず、役作りの壁にぶつかっていた。
「いっそ結婚してしまおうかと思ったのだけど、相手がいなくて…ごめんなさい」
床に倒れ、わかりやすく落ち込みながら夜凪はつぶやく。
それを聞いた猪八戒役の武光は、ある疑問を覚えた。
「ん? でも確か夜凪、仲のいい幼馴染がいるんじゃなかったか? デスアイランドの撮影の時もよく口にしていた」
「光は…………」
もちろん、夜凪も光を牛魔王に見立てて羅刹女を演じてみたことはある。
最初はピッタリだと思った。牛魔王が
むしろこれ以上というはまり役は無いように思えた、が――
予想と反して、燃え盛るような怒りの炎が夜凪の中で生まれることはなかった。
「なんでかしら……」
役作りとは別の悩みが増え、必死に解決策を考えていたその時、部屋の入り口からノックする音が夜凪の耳に入る。
「あのー、休憩中すいません。けいちゃん、ちょっといいかな?」
倒れていた夜凪に声をかけたのは、夜凪の所属するスタジオ大黒天で働く柊だった。
「黒山さんが私を?」
「うん、どうしても連れて来いって。ごめんね」
柊が夜凪に声をかけた理由は、夜凪にサイド乙の稽古を見せるためだった。
そのため、柊は夜凪
「私もぜひそちらの稽古を見学してみたかったので」
「敵情視察ってやつですね。ワクワクだ」
なぜかサイド甲の出演者全員がついてくることになり、大所帯での移動となっていた。
予定外ではあったものの、生・王賀美陸を拝めたしまあいっか――などと柊が考えている間に、サイド乙の稽古場の扉の前へとたどり着く。
そしてその扉の前には、一人の少年が待機するように立っている。
その少年も夜凪同様、柊が稽古を見せるために呼び出した人物だった。
「あ、こんにちは光くん。ごめんね、呼び出したのに案内もできなくて。迷わずにこれた?」
「こんにちは雪さん。はい、特に問題なく。雪さんがあらかじめ細かい道順を送ってくれていたので」
さも当たり前のように親し気な会話を交わす柊と少年――園山光。
その光景を見た夜凪はただただ戸惑っていた。
なぜなら光は役者でもなんでもなく、本来この場にいるような人物ではないからだ。
「光!? どうしてこんなところにいるの!?」
「やあ景、雪さんから稽古を見に来ないかって誘われたんだ」
光は普段通りの笑顔を浮かべて答える。
その答えを聞いた夜凪はすぐに質問の矛先を柊へと変えた。
「どうして光まで呼んだの?」
「いや~、それに関してはほんと私もわからないんだけど、墨字さんが『二人そろってた方が都合がいい』って言うから」
「…………?」
柊の答えに夜凪はますます疑問を深める。
「光はなんで呼ばれたか知ってるの?」
「ううん、僕もさっぱり。なんならその黒山さんと会うのもこれが初めてだし」
「あ、そういえばそうだったね。いつも私が墨字さんのメッセンジャーみたいな形で連絡とってるから」
「わりと急なことが多いですよね。今回もいきなりでしたし」
「ごめんね~、ヒゲが迷惑かけて」
笑いながら楽しそうに自分の知らない話題で盛り上がる柊と光。
それを見た夜凪はなんとも言えない感情が湧き上がる。
「………………ねえ光、いつのまに雪ちゃんとそんなに仲良くなったの?」
夜凪は光にジト目を向けながら尋ねるが、それに対して慌てたように反応したのは柊の方だった。
「あ、まずっ、けいちゃん違うの。これはそういうのじゃなくて……けいちゃん繋がりみたいなもので……ねっ! 光くん!」
「……」
「あれ……? 光くん?」
「あっ、すいません。ちょっとボーっとしちゃってて」
夜凪を見つめながらどこか上の空だった光は、申し訳なさそうに謝罪する。
「ほら、景が一時期役者の仕事を休んでた時とか、山に荷物を持っていった時の準備とか、そういうので何回か話す機会があったんだよ。それよりいいの? 稽古を見に来たんでしょ?」
少し露骨な話題逸らしではあったものの、夜凪は光との会話を打ち切り、稽古場の方へと意識を向ける。
もともと夜凪は扉の前へとたどり着いた時点で、扉の中からわずかに聞こえてくる声に、意識の大半を既に持っていかれていた。
知っている人物の声のはずなのに、それにしては低く潰れたような声に戸惑いを隠せない。
「どうした景」
「あっ、うん」
夜凪は王賀美に促されるようにして扉を開ける。そこには――
『羅刹女よ! 寂しいな! 悔しいな! あんた、なぜ今一人で戦っているんだ!?』
『黙れ猿!!!』
孫悟空役の明神阿良也と、天使の面影など一切なくなった百城千世子の姿があった。
顔立ちや雰囲気だけでなく、声まで変わった千世子のその姿は、それが本人であることすら疑ってしまうほど。
夜凪が役作りに悩んでいるその間、千世子は明らかにその数歩先を行っていた。
「待て百城」
サイド乙の演出である黒山によって演技が止められ、千世子に対して演技指導が入る。
「お前の敵は誰だ?」
指導する中で黒山が千世子にそう尋ねた時、千世子はゆっくりと振り返り、夜凪の顔を見つめた。
もはやそれは睨みつけると言っても過言ではなく、妬み、愛情、憎しみ、それら全てを混ぜ合わせた
ぞくりと、全身に冷たさが襲うほどの恐怖を夜凪は身に受ける。
すごい――素直にそう思うと同時に、友達からそのような眼を向けられることに悲しみを感じていた。
「ご、ごめんね、けいちゃん。でも、けいちゃんのためにもなると思うから」
千世子にとっても夜凪にとっても必要なことだとは理解しつつ、夜凪の心情を理解できた柊は申し訳なさそうに謝罪する。
優しさを履き違えるな――正しくも厳しい黒山の言葉を柊が思い出していたその時、
ゾワリと、思わず凍りついてしまうような寒気を、柊は背中に感じた。
そしてそれを感じたのは柊だけではなかったようで、全員がその場で声と動きを止めていた。
「な、なに?」
恐る恐るといった様子で、柊は寒気の感じた方を振り向く。
そこにいたのは、不機嫌な表情を浮かべて佇む王賀美だった。
それを見た柊は納得する。
さっきの、恐怖を感じるほどの
なにか千世子の演技に思うところがあったのだろう――柊やこの場にいた何人かはそう結論付ける。
わずかな中断の後、何事もなかったかのように稽古は再開された。
荒々しいオーラ、王賀美のものに似ているがどこか違う。
しかしどこか懐かしい――それが夜凪の感じた素直な思いだった。
「……光?」
いつの間にかその場から消えていた幼馴染の名を、夜凪は無意識に口に出していた。
「あいつ……俺を変わり身にしやがった」
あれだけのオーラを放ちつつ、自らモブを演じようとする気にくわない奴。
それが王賀美の、園山光という少年に対する初対面での評価だった。
「なるほど。あれが光くんとやらか。夜凪や百城が興味もつのもわかるな」
名前だけは何度も耳にしたことのある少年。
それを初めて直接見た黒山の感想は、想像以上にヤバい奴。
夜凪景を初めて見つけた時に勝るとも劣らないほどの衝撃だった。
「もう……ダメだな」
自身がやらかしたことを自覚する少年は、スマホで一人の少女にメッセージを送る。
『今夜、僕から会いに行く』
まるで恋人に送るような甘い言葉だが、少年の思いは真逆のもの。
メッセージを送った少女との関係を完全に断ち切るためのものだった。
曇らせはじっくり煮込みたいタイプ。
煮込んでる時間が一番楽しいまである。