君の激情に恋をして 作:考える人
『ここにきて』
そう表示されたメッセージの下には、百城さんから送られてきた位置情報がのっていた。
その位置情報を頼りにたどり着いたのは、見るからに富裕層が住んでそうな超高層マンション。
「うわぁ、すごいな」
僕は驚きのあまり思わず声を出してしまうが、生まれも育ちも生粋の庶民なのだから仕方ない。
マンションの中へと入り、オートロックの玄関を通ってエレベーターへと乗り込む。
百城さんの住んでいる階のボタンを押し、長いようで短い移動が始まる。
日はすっかり落ち、エレベーターから見える街の明かりがまぶしく輝いていた。
思えば、偶然のような出会いをしてから、たった数ヶ月で信じられないほど親密な仲になったと思う。
連絡先を交換して、ドラマの感想を送って、深夜の公園で会って、隣の席で一緒に演劇を見て。
もし百城さんのファンに知られれば、殺されてもおかしくないような経験をしてきた気がする。
最初は戸惑いの方が大きかったし、振り回されるようなこともあった。それでも、
楽しかった――――それが、僕の嘘偽りない素直な感想だった。
その関係を、今から終わらせに行く。
目的の階へとたどり着き、エレベーターの扉が開かれる。
これから芸能人の部屋を訪れるという事実に、どこかフワフワした感情と、信じられないくらい冷静な感情が同居していた。
部屋の前まで移動すると、ガチャリと鍵の外れる音が鳴り、扉が開かれて百城さんが姿を現す。
「こんばんは、光くん」
「こんばんは、百城さん」
のどがつぶれているせいか、百城さんの声は低く
「さ、入って」
百城さんに促されるまま、僕は部屋の中へと入り、着ていたコートを脱ぐ。
「貸して、コート掛けといてあげる」
「別に大丈夫だよ。持っておくから」
「いいから」
有無を言わさぬ百城さんの圧力に、簡単に屈した僕は素直にコートを手渡す。
その接触の際、僕はあることに気づいた。
それはいつも付けていた香水の匂いが、百城さんからしなかったこと。
まあ口に出したら気持ち悪がられそうだし言わないけど。
「そこ座ってて」
百城さんの指示通り、僕はソファに腰を下ろす。
隣の部屋からガサゴソと何かが動く音が聞こえているが、あえて聞こえないふりをする。
きっと以前、百城さんが話していた虫たちに違いない。
コートを掛け終えた百城さんは対面のソファに腰を下ろしたため、僕と百城さんは向かい合って座る形になる。
初めて画面の向こう側でその姿を見たときから、何一つ変わらない宝石のように綺麗な顔。
でも、今はその腹の中に
その炎に対して、もはや言い訳のしようがないほどに、僕は
正直、景以外の女性にこの感情を抱いたのが今でも信じられない。
今日の百城さんが演じる羅刹女を見て、もうダメだと悟った。
だからこそ、僕はこうして百城さんに会いに来たんだ。
おそらく
「それで、光くんから会いに来てくれたってことは……そういうことでいいんだよね?」
「うん」
「今日の演技を見て、決心してくれたの?」
「うん」
前に公園で会った時に交わした約束――僕の全てを百城さんに伝えること。
もちろん、最初は話す気なんてなかった。
こんな醜いもの、見せるはずがなかった。
けど、百城さんの羅刹女を見て思い直した。
このままダラダラと関係を続けてしまい、今の僕と景のようになってしまうくらいなら、全てをさらけ出して、関係を断ち切ってしまおうと。
「話すよ。僕が仮面の奥に隠す、その全てを」
どうか
どうか呆れて欲しい。
どうか興味を無くして欲しい。
それがお互いのためなのだから。
「最初にそれを感じたのは、小学生の時だった――――」
僕は全てを話す。
どうすることもできない僕の醜い内面を。
僕がどれだけひどい人間であるかということを――――
全てを話し終えた僕は、一度深く呼吸をする。
心臓の鼓動が早くなっているのがわかる。
一方で全てを聞き終えた百城さんは、
「…………?」
想像とは違うその表情に、僕は困惑する。
「光くんは、夜凪さんのことが好き?」
……もう今さら、隠すようなことはないか。
「好きだよ。小学生のころから、ずっと」
たとえ歪んでいたとしても、好きという気持ちだけは、どうしようもなく本物だ。
「いいなあ。そんなふうに思われるなんて」
「……え?」
「なんでこんなにも光くんのことが気になるのか……なんとなくわかってはいたけど、今はっきりと理解できた」
そう言うと、百城さんは顔を上げて、僕の眼を真っすぐ見つめる。
「私は、光くんみたいな人に好きになって欲しかった」
「…………」
信じられないセリフだった。
でも、ふざけている様子は一切ない。百城さんは本気だ。
「偶像には一切興味を持たずに、本物だけを心の底から愛するあなたのような人に……」
まるで泣いているような悲痛の叫び。
そんな印象を僕は抱く。
「夜凪さんは天才だけど、私はそうじゃない。私は人より少し器用なだけ。女優だって憧れてた人におだてられて始めただけ。この世界に選ばれた主人公じゃない。分かってる。でも――――
やっぱり負けるのは悔しいんだよ。悔しい…!」
百城さんの内側に宿る炎が、内面にとどまらず外側にまで燃え広がる。
怒りと悔しさに歪んだ表情には、天使の面影など一切存在しない。
それでも、今まで見たどんな表情よりも美しいと感じてしまう。
「負けてないよ」
ほとんど、無意識に出た言葉だった。
「百城さんの
心の底から感じた本気の言葉を百城さんにぶつける。
もしかしたら余計なお世話だったのかもしれない。でも、それでも……口に出して言いたかったんだ。
この時の僕は、百城さんとの関係を断ち切るなんてこと完全に忘れてしまっていた。
「励ましてくれてるの?」
「本気だよ」
「そっか……ごめんね」
「なんで百城さんが謝るの?」
「だって、せっかく光くんが秘密を打ち明けてくれたのに、今の私は光くんを励ます言葉を持ってない。それどころか、私の方が励まされちゃったから」
ああなんだ、そんなことか。
別に気にしなくていいのに。
僕は救いを求めるために話したわけじゃない。
「僕が百城さんにこの話をしたのは――」
「私との関係を絶つため?」
「っ……!」
僕の話そうとしていた言葉を、まるで見透かしたように百城さんは告げる。
思わず言葉に詰まった僕を、面白そうに百城さんが見つめていた。
「やっぱり。そうだと思った」
そう言いながら百城さんは立ち上がり、僕の方へと歩き出す。
「光くんの話し方、まるで自分を嫌ってくれーって言ってるみたいだったもん」
「……百城さん?」
僕の前まで近づくと、座っている僕へ倒れるように覆いかぶさってくる。
「ちょっ!?」
その一連の流れがあまりにも自然だったため、とっさに反応することができなかった。
百城さんは僕の両ひざを足で挟み込むように腰を下ろし、僕の首を巻き込むように両腕を回してくる。
まるで恋人同士のようなシチュエーションだが、僕の中にあるのは恐怖だった。
「な、なにして……」
「逃がさないから」
獲物を狙うような目とは、きっとこんな目のことを言うのだろう。
「前に言ったよね。光くんを私のファンにしてみせるって」
前回公園で会った時、確かにそんなことを言っていた。
「その気持ちは、光くんの全部を知った今でも変わってない」
「なんで……」
「楽しかった――――それだけの理由じゃダメ?」
「あ――」
同じ気持ちだったんだ。
百城さんも、僕と同じように楽しいと感じていた。
「あなたと会えるのが楽しみだった。あなたから演技の感想が送られてくるたびに一喜一憂した。夜凪さんとの関係を知った時はすごく腹が立った。あなたと関わっている時の私は、まるで恋する乙女のような気分になれるの」
「……僕は、そんなふうに思われていい人間じゃない」
「あなたがどう思ってようと関係ない。私がその感情を持つ相手は、あなただけだから」
「でも僕は、その感情すら利用して踏みにじるかもしれない――そんな人間なんだ」
「やってみせてよ。踏みにじる行為は、あなたにとっての愛情表現なんでしょ? ぶつけてみせてよ。若手トップ女優の百城千世子が、全部受け止めてみせるから」
僕の戸惑いごと貫くような輝く瞳。
あまりにも強くてたくましいその言葉に、僕は以前のように何も言うことができなかった。
「舞台、ちゃんと見に来てね。最高の演技で、夜凪さんに勝ってみせるから」
最後にそれだけ言うと、やっと百城さんは僕の傍から離れる。
だというのに、ごちゃごちゃになりすぎた僕の感情は、百城さんが離れても落ち着かない。
僕が何を感じているのか。一体何を望んでいるのか。
自分のことのはずなのに、まるでわからない。
それどころか、どこか他人事のように感じている僕がいた。
想像以上の長い滞在になってしまった百城さんの部屋を出て、エレベーターに乗り込む。
スマホを確認してみると、母親からの不在着信がいくつか来ていた。
帰るのが遅くなることは元々伝えていたので、不思議に思い母親に電話する。
「どうしたの? 母さん」
『あ、やっと携帯見たの? ずっと電話してたのに』
「ごめんごめん、それよりどうかしたの?」
『ああそうそう、さっきまで景ちゃん来てたわよ』
「景が?」
『ええ』
何か用があったのだろうか?
少なくとも約束とかはしてなかったはずだ。
『光と話したいっていうから、光の部屋で待っててもらったんだけど。ちょっと前に急に帰っちゃったのよね』
「……わかった。後で景に連絡してみるよ」
そう言って僕は通話を終わらせる。
ちょうどエレベーターも1階に着いたところで、開いた扉から外へと向かう。
季節はすっかり冬で、マンションの外に出ると、吐息が白くはっきりと見える。
なんとなく、本当になんとなく思っていた。
根拠なんてないし、可能性としてもかなり低かった。
でも、僕の勘は正しかったのだと、目の前の光景が告げている。
「やっぱり、ここにいたのね。光」
誰よりも大切な幼馴染が、笑顔で僕を見つめていた。
ヒロインがニコッじゃなくてニヤッて笑うのが好き。特にそういう印象のないキャラがたまにするとゾクッとする。