君の激情に恋をして 作:考える人
『映画を観ることによって忘れたあいつへの憎しみを、映画を観ることによって思い出す』
『この家はとても良い。あいつの思い出ばかりだから』
千世子さんの演技を見て以来、景さんは役作りに悩んでいた。
羅刹女は私の作品にも関わらず、実際に私の羅刹女のように感じたのは千世子さんの方であり、私は苛立ちを隠せなかった。
壁に当たっていたサイド甲に光明が差したのは、私が景さんの家を訪れた時のこと。
実の父親への憎しみを思い出すことによって、景さんは羅刹女を演じると決めた。
必死に忘れたはずの忌まわしい記憶を使う――それは並大抵の覚悟ではないはず。
しかしそれ故に、効果は大きかった。
景さんの芝居はその日を境に一変。
王賀美さんは歓喜し、しかしその修羅のような芝居に戸惑いを見せる者もあった。
それを見て私は確信する――――景さんは絶対に負けないと。
その上で、舞台をより良いものにするために、景さんには限界を超えてもらうつもりでいる。
そのための“仕掛け”を用意するために、今日はある人間を呼び出した。
場所は喫茶店。最初はBarに呼び出そうとしていたが、相手が未成年だったことを思い出し喫茶店に変えた。
約束した喫茶店に先に到着し、席に座って呼び出した相手を待つ。
そう長い時間待つこともなく、相手は約束の時間前に喫茶店へとたどり着き、店の中へと入ってくる。
きょろきょろと店内を見渡し、私を見つけた
「お久しぶりです。光さん」
「ええ、お久しぶりです。花子さん」
仕掛けを用意するにあたって、一番重要なピースである彼――――園山光が微笑むような表情でこちらを見つめる。
芸能人顔負けの整ったその表情は、言葉にするなら
一切威圧感を与えることなく、相手から一番よく見られる角度で、それでいて嫌味がない。
この笑顔だけでコロッといってしまう人間は多いだろう。
昔から変わることなく――いや、昔以上に磨き上げられている。
大切な相手の傍にいるために、何年も自身を偽り続けたが故に身に着けた力。
大したものだと、私は感心してしまう。
「花子さん? どうかしました?」
「……いえ、なんでもありません」
少しまじまじと見過ぎてしまったらしい。
「そういえば、少し意外でした。まだ僕の番号、登録したままだったんですね。てっきり消したものだと思ってましたよ」
「……あの時は
「でも、日が経つにつれてその繋がりも消えていったじゃないですか」
「無駄だと気づいたからです。私はすっかり怒りに呪われ、描けば描くほど現実への怒りが燃え盛る。戻れなくなる――そう思っていたのは間違いで、もうとっくに戻れなくなっていることに気づいてしまいましたから」
創る以外の人生を知らないから、私の人生は創り続けるしかない。
どれだけ怒りに飲まれても、どれだけ自分の作品が嫌いでも、人でなしと言われようとも。
「今回、光さんを呼び出したのは――」
「景を怒らせるためですか?」
「っ!?」
まるで私の思考を読んだかのように、光さんは私の言いたいことを先に口にする。
「だと思いました」
思い人を傷つけるような提案であることを理解していながら、光さんの柔らかく微笑む表情は変わらない。
最低だと罵られることも想定していた私にとって、その反応は少し拍子抜けでもあった。
「景から聞いたんです。芝居のために、
「…………」
「だから、花子さんが僕を呼び出した時点で、その目的も大体察しがついてたんです。景の
光さんはこちらを見つめたまま淡々と口にする。
一切ブレることのない仮面が、内面を微塵も悟らせようとしない。
そのため、光さんが今どんな感情を持って話しているのか見当もつかなかった。
笑っているのに何も感じない。
ここまでくると、もはやそれが不気味にも思えてくる。
「きれいごとは言いません。これは間違いなく景さんを追い詰めることに繋がります。ですが、舞台をより良いものにするためには絶対に必要なことなんです。どうか引き受けてもらえませんか?」
正直に言うと、景さんを心の底から怒らせるだけならば、そのきっかけが光さんである必要はない。
きっと私でも景さんの感情を底上げする爆弾になれる。
ただ、私がそうなるよりも、光さんが爆弾となる方が、景さんの心身はより羅刹女へと近づく。
それこそ、舞台が無事に終わる保証ができなくなるほどに。
それは想像ではなく確信。
私が言うべきことは言った。
後は光さんの返事を待つ。
「…………」
光さんは視線を私から外し、うつむくようにして止まった。
そこから三十秒ほど固まった後、ようやく口を開く。
「最近、自分の意識が遠くに感じることがよくあるんです」
それは返事ではなかった。
独白のようなそれは、まるで罪の告白のようにも聞こえる。
「僕が笑って、僕が歩いて、僕が話して……なのに、それをまるで遠くから見ているような。僕はそこにいないような…………だから、これは想像でしかないんですけど、僕は消えるんだと思います」
その瞬間、光さんをまとう
人畜無害だったはずの目の前の少年が、こちらを捕食する肉食動物に変化する――そんな絵が頭の中で浮かぶ。
王賀美さんが人を飲み込むような荘厳な景色だとするならば、目の前の少年は全てを焼き尽くす炎だ。
それこそまさに、私が描いてしまう炎そのもの。
近づけば火傷では済まないのが分かっていても、どうしようもなく目が離せない。
私はこのとき初めて理解する。
これが本物の園山光なのだと。
「花子さんの話、受けますよ。いずれ消えるであろう僕が生まれたのは、きっとその時のためだから」
仮面を脱ぎ捨てた光さんの見せる笑顔は、最初に見せた笑顔とは似ても似つかないもの。
体が身震いするほどのそれを正面から受けながら、それでも私は光さんから目を逸らせない。
きっと一度でも彼と関わってしまった人間は、灰になるまで離れることはできないのだろう。それが自分自身であっても。
「私が言えたことではないのかもしれませんが…………あなたは、関わる人間すべてを傷つけながら生きることしか、できないのかもしれませんね」
「ええ、それは僕が一番よくわかってます。間違いなく、誰よりも…………。そう言えば昔、花子さんに言われたことがありましたね。僕と景の関係は、どちらかが不幸になることでしか成立しないって。でも、それは違った」
話しながら、いつの間にか仮面を被り直していた光さんは、どこか悲し気に笑いながらつぶやいた。
「どっちも不幸になって終わる――それが、僕と景の結末ですから」
宝石のように綺麗な顔をしていながら、腹の中に禍々しい炎を宿す
それに負けない禍々しい炎を宿す一人の少年。
不謹慎なのは分かっていても、面白いと、そう思ってしまう私がいた。
役者の純粋な意地と意地がぶつかり合う舞台『羅刹女』。
人として外れた道を選ぼうとも、舞台をより良いものに仕上げようとする演出家。
恩人の残した劇団を守るために演じる役者。
好みの役者のステップアップを企てるプロデューサー。
10年という長い年月の付き合いに、終止符を打とうとする一人の少年。
様々な人間の、様々な思いが混じり合い、舞台はついに上演をむかえる――――
お互い別に好きな人とか恋人とかがいるため、恋愛関係には一切ならないけど相棒感のすごい男女の関係が好き(ない)。