君の激情に恋をして   作:考える人

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羅刹女 サイド甲①

 

 

 お母さんがまだ生きていたころ、いつの日だったか、めったに怒りを見せることのない光が、声を荒げて怒っていたことがあった。

 スマホに耳を当て、誰かと通話しながらイラついた表情を浮かべる光の姿があまりにも珍しくて、今でも鮮明に思い出せる。

 

「――はずっと帰ってくるのを待ってる! あんたはいつになったら――――!」

 

「光?」

 

「っ!?」

 

 私が話しかけたことで、あからさまに焦った表情を浮かべた光は、すぐさまスマホをポケットへとしまう。

 

「誰と話してたの?」

 

「友達だよ。遅刻癖のすごい友達でさ、つい大声出しちゃった」

 

 そう言って笑う光は、すでにいつもの優しい光だった。

 私は特に追及することもなく、光の説明に納得してしまう。

 

 今思えば、あの時に目を逸らさずちゃんと話せていたら、結果は変わっていたのかもしれない。

 

 その時だけじゃない。私は今まで何度も目を逸らしてきた。

 

 

 

 初めて千世子ちゃんの映像を見た時、なぜか優し気に笑う光の姿と重なった。

 けど、私はそれを深く考えなかった。

 

 何度か本当の表情(・・・・・)を見た時、気のせいだと自分に思い込ませた。

 

 幼いころと今の光の違いを、成長だと考えて向き合わなかった。

 

 光が何かを隠していることは、心のどこかで気づいていた。

 でも私はそれを指摘できなかった。

 指摘してしまえば、光が私の隣からいなくなってしまうような気がしたから。

 

 

 

 けれど、その考えが間違っていたからこそ、私と光の関係は決定的に変わってしまった。

 変えたくても変えられない過去を後悔と呼ぶのなら、それらは間違いなく後悔の記憶――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『景さん、心中お察しします。でも勝ちたいんでしょう?』

 

 花子さんに煽られるようにして私は楽屋を飛び出し、舞台へと足を進める。

 私の心を占めるのは、抑えようのない幼なじみへの強い怒り。

 今すぐにでも戻って問い詰めてやりたい。

 それでも、心の奥底にある千世子ちゃんに勝ちたいという思いが、私の足を前へと進ませる。

 

 なんで、なんで、なんで、どうして――――!

 

 信じられない。信じたくない。あんなの光じゃない。

 私は必死に光の言動を否定できる理由を探す。

 そんな中で私はあることを思い出した。

 それは、光を連れてきたのは花子さんだということ。

 

 そうよ! きっと光は花子さんにお願いされて、私を怒らせるようなことを――

 

『いつまで、目を逸らすつもり?」

 

 ――違う。

 

『本当は気づいてるんでしょ? 自分が、ずっと見えないフリをしてきたことに』

 

 違う違う違う!!!

 

 光の言った言葉が、私の中で何度も繰り返される。

 怒りで思考がまとまらない。

 

 

 落ち着け、夜凪景。

 光の言葉が事実かどうか、それは今どうでもいい。

 大切なのは一つだけ(・・・・・・・・・)

 

 

 

 

『おとーさんすぐ帰ってくるから! だから大丈夫だよ!』

 

『…景、ごめんね』

 

 ふと、病院のベッドで無理して笑顔をつくり、私に謝るお母さんの姿を思い出す。

 

 

 

 

 

『景のお母さんが亡くなったことも、葬式のことも、全部僕があの人に伝えたんだ』

 

「っ……!」

 

 落ち着け。大切なのは一つだけ(・・・・・・・・・)

 

 この“怒り”を羅刹女に使うこと。

 飲まれるな。利用しろ。私は役者だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ああ、腹が立つ。腹が立つ』

 

 それ(・・)が現れたことで、観客は思わず息をのみ、目を合わせないように顔を背けた。

 暗闇と静寂の中で、ライトアップされたその姿と、異様に響くその足音が、観客を恐怖で支配する。

 まるで心臓を直接握られているような、生死がかかった生物の根源的な恐怖。

 

 そしてその恐怖を生み出しているのは、飲み込まれそうになるほどの怒りを必死に抑えつけ、その怒りを利用することで羅刹女を演じる夜凪景。

 自分が神だと言わんばかりの芝居は、観客が役者から目を背ける異常事態を生み出していた。

 

『ああ、この怒りどうしてくれよう』

 

 客席から始まったその歩みは舞台へと到達し、ついにその幕が上がる。

 幕が上がると、そこには山野上によって描かれた燃え盛る炎の絵。

 暴力的なまでに荒々しく燃えるその炎は、まさに今の夜凪の心情を表しているようだった。

 

 

 

 

 そんな夜凪を、舞台裏からモニターで見つめるサイド甲の関係者。

 反応は様々だったが、ほとんどが不安と戸惑い。

 しかしその中で、王賀美と光だけが嬉しそうに笑っている。

 

「見事だな。あの精神状態でよく演じられている」

 

 抱く感情は違えど、王賀美のその言葉と思いはみな同じ。

 怒りに飲み込まれそうなギリギリの精神状態で、なんとか芝居をコントロールする夜凪を共演者たちは称賛する。

 

 しかしこのままでは限界が近いことも当然理解している。

 沙悟浄役である朝野市子は、夜凪をそのような状態にした張本人たち(・・)を今すぐ糾弾してやりたい気分だった。

 

 ところがその張本人たちは、まるで慌てることなく舞台の成り行きを見守っている。

 

「正直、意外でした」

 

 己の怒りの体現する夜凪を見て、山野上は隣にいる光へと語り掛ける。

 

「光さんに向ける景さんの信頼は相当なものでした。だからこそ、用意した爆弾が不発に終わるのではないかと考えていたんです。光さんの言葉を冗談だと考え、本気にしないのではないか、と」

 

 山野上はずっと頭の中にあった懸念を光に告げる。

 

「しかし景さんは疑うことなく光さんの言葉を信じた。今回の策を考えるとき、言葉だけでいい――そう言ったのは光さんです。光さんは、こうなるとわかっていたんですか?」

 

「ええ、まあ……」

 

 目線はモニターに向けたまま、光は山野上の質問に答える。

 

「景は……ぬけてるところはありますけど、それほど鈍いわけじゃないんです。だからきっと……僕の欺瞞にも気づいていたんだと思います。無意識に気づかないフリをしていただけで」

 

 光がそのことに気づいたのは、百城千世子のマンションを訪れ、その帰り道で告白したあの日。

 お互いが歪んでしまっていることに気づいたあの日から、光は覚悟を決めていた。

 大切な幼なじみと決別する覚悟を。

 

「おそらく今、景さんは父親への怒りと同時に、光さんへの怒りも強く持っているはずです。その怒りのほどは、正直私にも想像できません。ですが、私が用意した仕掛けで生じるはずだった怒りよりも、激しく燃え盛っているのは確かです」

 

 モニター越しでもその怒りが伝わってくる夜凪の姿を見て、山野上は冷や汗を流しながら告げる。

 山野上のその言葉通り、夜凪の怒りは本来(・・)得るはずだったそれよりも激しいものだった。

 

 

 

 

 

 

『愛する子をも奪われ…、それでも夫は帰って来ぬ…。ああ、腹が立つ。腹が立つ』

 

 信じていた。

 頼りにしていた。

 好きだった。

 

 積もりに積もった幼なじみへの好意が、嫌悪へとひっくり返っていく――10年分の記憶と共に。

 ふとした表情が、かけられた言葉が、ささいな優しさが、その全てが怒りに繋がる。全てが怒りに導かれていく。

 

 ――あの時も、あの時も、あの時も!!!

 

 ずっと笑顔で騙していた。

 ずっと隣で裏切っていた。

 ずっとあざ笑っていた。

 

 一度そう考えてしまえば、もう止まらない。

 とめどない怒りがあふれ出し、その心をドス黒く覆っていく。

 怒りのその奥底で、涙を流しながら。

 

 ほんの数十分前まで、この世でもっとも信頼していた愛しい人物は、この世でもっとも憎い存在へと変貌していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 禍々しい目をした女が、舞台を楽しみにきた人々に、恐怖と不安を与える異常事態。

 そんな夜凪のホラーショーと化していた舞台は、王賀美(ヒーロー)の登場によって転機を迎える。

 

『おい! 俺だ! 孫悟空だ!』

 

 羅刹女(夜凪)が凍り付かせた空気を一変させるほどの存在感。

 それが観客の恐怖をとばし、高揚をうえつける。

 王賀美演じる孫悟空は、恐ろしい存在感を放つ羅刹女と渡り合っていた。

 しかし羅刹女が動きを見せれば、またすぐに高揚から恐怖へと引き戻される。

 例えるなら、夜凪と王賀美による観客の奪い合い。

 

 作品を味方に付けて戦う夜凪と、観客を味方に付けて戦う王賀美。

 休む間もない正の芝居と負の芝居は、まさに手に汗握る攻防。

 

 天才二人による贅沢な舞台に、観客の心は完全に引き込まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな観客を含めた舞台のできを見て、プロデューサーの天知は感心するようにつぶやく。

 

「感慨深いものがあるんじゃないですか社長」

 

「……そうね」

 

 その言葉に反応するのは、天知の隣で舞台を見つめるスターズ社長の星アリサ。

 彼女は天知の言葉に同調しつつも、どこか悲し気で複雑な表情を見せていた。

 

「……夜凪景。恐ろしいのはもはやあの芝居だけじゃない。迫真の芝居、強い存在感、そして驚くべきは我を保ち、芝居をコントロールしている強い精神力。少し前までの彼女なら考えられない。並の技術じゃないわ――」

 

 そこで一度言葉を切り、わずかに声のトーンを落とした状態で続ける。

 

「このまま終幕まで演じられれば……だけど。今の状態は余りにも危険すぎる。一体何があればあそこまで……」

 

「……先ほど、部下から連絡がありました。サイド甲の控室に、とある少年が入っていった、と」

 

「……?」

 

 会話の流れを無視したような天知の突然の言葉。

 星アリサにはその言葉が、自身の口にした疑問の解答になっているとはとても思えなかった。その少年の名を聞くまでは――

 

「少年の名は園山光。夜凪さんの幼なじみです」

 

「……そう、あの子が来てるのね」

 

「おや、ご存知でしたか」

 

 アリサの脳裏に思い浮かぶのは、全てを焼き尽くすようなオーラを持つ少年の姿。

 少年のことは、千世子から軽く話を聞いただけ。

 それでも、アリサの記憶には強く刻まれている。

 

「あの少年は劇薬です。私ですら使うのをためらうほどの」

 

「それを、山野上花子は使ったと」

 

「ええ、私の嫌いなアーティストは、ためらいなくその劇薬を使ってしまう。その先で待ち受けるリスクなど考えもせず」

 

「……不安になる気持ちもわかるけど、こうして舞台が始まってしまった以上、私たちにできる事はその結末を見守ることだけよ」

 

「ですね」

 

 アリサの言葉に、天知は笑顔のまま肯定し、舞台の行方を見守る。

 最悪の状況――舞台が台無しになってしまうことも、視野に入れながら。

 

 




積み上げたからこそ、崩れた時の衝撃は大きい。



いつもおちゃらけながら主人公に接するキャラが、実は主人公の親や兄弟に自分の家族を殺されてたみたいな過去を持ってると一気に好きになる。闇落ちしてもおかしくないなかで、そんなふうに接してたんだみたいな。その過去を主人公に悟らせないように行動してるとなお好き。
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