君の激情に恋をして 作:考える人
夢のような、時間だった。
夢にまでみた、時間だった。
ずっと望んでいた、瞬間だった。
景がその激情を僕だけに向ける。
抑えきれない怒りを宿し、僕と向き合う。
もはや何度頭の中で想像したかわからない妄想が、現実となって叶ったんだ。
本当なら、僕は申し訳なさそうな顔を作らないといけないのに、俺は笑ってしまう。
本当なら、僕は罪悪感を持たなければいけないのに、俺は歓喜してしまう。
――僕は? ――俺は?
ああ、そんなのもうどうだっていい。
今はただ、この幸福な時間を余すことなく享受しよう。
きっとこの先の人生で、今日以上の喜びを感じることは絶対にないのだから。
舞台は進んでいく。
今にも壊れてしまいそうな綱渡り状態ではあるが、素晴らしい舞台であることは確かだった。
怒りに燃え盛る景と、互角に渡り合う王賀美さん。
しかしそれは王賀美さん演じる孫悟空が、牛魔王に変身したことで失速する――かと思いきや、自ら悪役を演じることで、羅刹女を主人公へと昇華させる。
景のその怒りを、悲しみを、観客が理解したところで舞台の前半が幕を閉じた。
本当に素晴らしい舞台だと思う。
それを舞台袖から見れる機会なんて、もう一生訪れることはないはずだ。
けど今は、そんな
前半の幕が下りたことで、舞台袖へと下がってくる景と王賀美さん。
「夜凪…!」
「夜凪さん」
景の共演者の人たちが、心配そうに景へと声をかけるが、王賀美さんがそれを制する。
「大丈夫だよあいつは」
そう言って共演者たちに声をかけた後、王賀美さんの視線は僕に向いた。
「だがお前は外にいろ。あいつを刺激する。ギリギリのところで演じているんだ、あいつは」
外にいろ?――――ハハ、そんなもったいないこと、できるわけがない。
動かない僕を見て、王賀美さんは力づくで外に出そうと近づいてくるも、花子さんが間に入ることでそれを阻止する。
「おい」
「ダメです。まだこの舞台に、彼は必要ですから」
王賀美さんと花子さんが言い争っている間に、景は僕の目の前まで近づいていた。
怒りの炎を宿したその瞳が、僕だけに向けられる。
さらに景は僕を目の前にしたことで、その怒りが加速度的に激しくなっていくのを感じる。
僕と景が向かい合ったことで、舞台袖は静まり返り、王賀美さんと花子さんも言い争いを辞め、僕たちに視線を向けていた。
景は僕を睨みつけながら、ゆっくりとその口を開く。
「ねえ、教えて光。どんなつもりで私に告白したの?」
ドクンと、心臓が跳ねるのを自覚する。
「どんなつもりで、私の味方だなんて口にしたの?」
景の一挙手一投足が、景の口から紡がれる一言一言が、そのまばたきさえもが、僕の心を躍らせる。
「どんなつもりで、ずっと私の隣にいたの?」
かつてこっちに向けて欲しいと望んだ瞳が、たしかに僕に向いていることで、歓喜の感情に飲み込まれていく。
ダメだ、こんなもの、我慢できるわけがない。
僕は自身の欲を抑えきれず、花子さんとの打ち合わせになかった言葉を口にしてしまう。
「どんな答えだったら、景は満足するの? 景が望む言葉をかけてあげるよ。僕は景の味方だから」
満面の笑みでそう告げると、ギシリという歯ぎしりの音がハッキリと僕の耳に届く。
「フーーッ、フーーッ、フーーッ……!」
息が荒くなり、握ったその拳は震えている。
「落ち着け景、心を乱すな。せっかくここまできたんだ」
王賀美さんは景に心を静めるよう促すが、景は僕から目を逸らさない。
大好きな、10年間思い続けた相手が、僕だけにあふれんばかりの感情をぶつけている。
殺してやると言わんばかりのその表情を見て、笑顔を隠しきれない。
好きだ。大好きだ。どうしようもなく愛してる。
異常だとか、歪んでいるとか、そんなことはどうだっていい。
これが僕だ。これが俺だ。それを偽る必要もない。
解放されるとは、きっとこういうことを言うのだろう。
自分にとっていい事をしてもらえたら、その喜びを伝えるのは当たり前のことだ。
だから僕も、このこらえきれない喜びを君に伝えよう。
それがきっと、人間らしいってことなのだから。
ーーーーーー
正直なところ、共演者たちは詳しい状況を完全につかめてはいなかった。
猪八戒役の烏山武光もそうだ。
わかっているのは、突如現れた光という少年に対し、夜凪が並々ならぬ怒りを抱いているということ。
その怒りを景が必死に、羅刹女に利用していること。
しかしそんな景の限界が近いこと。
そして最後に、近くにいるだけで震えるほどの圧を放っている夜凪相手に、光という少年が正面から対峙していること。
これが王賀美なら武光も納得できただろう。
しかし光はただの一般人。そんな一般人が夜凪と対等に向かい合っているという事実が、武光には信じられなかった。
その王賀美ですら、夜凪を前にして限界ギリギリで演じているのだから。
そのため武光は、光を連れてきた張本人である山野上にその正体を尋ねる。
「花子さん、彼は一体……」
「そうですね。王賀美さんは、自分が自分であり続けながら、プライドを持って自分を愛している怪物です。一方で光さんはまさにその真逆。自分であることを押し殺し、誰よりも自分を嫌う怪物です。きっと、今の夜凪さんと本当の意味で向き合うことができるのは、この世で光さんただ一人でしょう」
無名の、それも俳優ですらない少年を、王賀美と同列のように語る山野上。
それを聞いた武光は、光に対する疑問をさらに深めただけだった。
ーーーーーー
『どうして我慢するの?』
あの日の私が、私に語り掛ける。
人生で一番悲しくて、人生で一番怒りを抱いた日の私。
忘れたくて忘れていた、お母さんの葬式に出ていた時の私。
『あいつが、あの男とその男が、お母さんを悲しませたのよ』
私は振り返って、かつての私を見つめる。
いや、これはかつての私なんかじゃない。
今も確かに、私の中にいる私だ。
『何もかも壊したい。そう思ったから私を呼んだんでしょう。せっかく忘れていた私を』
「……違うよ」
私の言葉を、私はハッキリと否定する。
「私はもう役者だから、お芝居のためにあなたを呼んだの。激情に身を任せるためじゃない」
『…………でもきっと思っているよ、お母さんも。腹が立つ、腹が立つ――って』
怒りに染まったその眼は、真っすぐ私を捉えている。
言い訳などさせるものかと、私を見据えている。
『こんな舞台どうでもいいじゃない。全部投げ出して、あんな男滅茶苦茶にすればいい。私の悲しみを誰よりも知っているくせに、今もヘラヘラ笑ってるんだよ?』
「っ……!」
『ほら、我慢できないんでしょ? 許せないんでしょ? それとも、この期に及んでまだ信じるつもりなの? まだ味方だと思ってるの? まだ、愛する気持ちが残ってるの?』
かつての私の言葉に、私は言い返すことができない。
憎くて仕方がないはずなのに、まだ私の心の奥底には、光を好きだという気持ちが残っていたから。
そんな未練がましい自分にすらも、嫌というほど腹が立つ。
『衝動に身を任せればいい。激情に身を委ねて、全部壊してしまえばいい』
「私は役者なの! 言うこときいて!」
『知らないよそんなの!!!』
ーーーーーー
夜凪は光との距離を詰め、その胸ぐらを掴み上げる。
「夜凪……!! やめ…!」
手を出すと考えた武光は止めようとするも、その声は途中で途切れる。
夜凪は掴み上げただけで、手を出そうとはしなかったからだ。
掴み上げた手は震え、いまにも暴走しそうな怒りを役者というプライドで抑えつける夜凪。
顔を合わせれば嫌でも思い出してしまう二人の記憶も、今はただ利用するだけ。
二人の顔が触れ合いそうになるほど近づき、その状態で夜凪は光に対しハッキリと宣言する。
「引っ込んでいて。
そう言い切ると夜凪は手を離し、光の隣を通り過ぎていく。
共演者たちのいる位置からは、二人の表情は見えない。
しかしこの夜凪の行動が、共演者たちの心を一つにした。
怒りに抗い、演技を止めない夜凪の強さに全員で報いようと――
そして舞台は、全てのキャストが登場する後半を迎える。
次でサイド甲はラストです。
世界を救う英雄レベルの活躍をした主人公が、後世ではまったくその活躍が語られていないみたいなの好き。仲間は出世してたり、語り継がれてたりするとなお好き。○○にはただ一人信頼する親友がいたと有名だが、その親友の名はどの歴史書にも記されていない、的な。