君の激情に恋をして 作:考える人
『俺たちは皆、腹ん中に炎を宿している!! これは外に出さねぇとやべぇもんだ! さぁ始めようか!! 殺し合いだ!!』
羅刹女が、孫悟空が、猪八戒が、沙悟浄が。
その全員が役にのめりこみ、戦いの中に喜びを感じている。
敵も味方も一歩も引かない勝負。それが観客の心を惹きつけていた。
景や王賀美さん、ベテランの白石さんは言うまでもない。
最初は芝居の小さかった武光さんや朝野さんまで、人が変わったかのような演技を見せている。
舞台袖にいた僕には、それが景の影響を受けたものだとわかっていた。
「やっぱりすごいな、景は」
つい先ほど、正面で向かい合っていた景が遠くに感じる。
舞台の終わりが、僕と景の関係の終わり。
それは決意とか義務とかそういったものではなく、確信めいた予感だった。
どちらかが望む望まないにかかわらず、自然とそうなるのだろうと。
舞台のこの後の展開は、羅刹女が死闘の末、すべてを許し自ら
『許し』とも『諦念』とも取れる感情の変化が求められるシーン。
狂気に身を委ねた今の景が演じるのは、簡単なことではないと僕でも理解できる。
でも、きっと景なら大丈夫だ。
怒りの炎に呪われようとも、景ならその先に行けると確信しているからこそ、花子さんの話を受け入れたのだから。
そう考えていた僕は、この時あることに気づく。
「……ああ、そうか。この羅刹女は、花子さんなんだ」
僕のその言葉に、花子さんは目を見開いて驚くが、すぐに納得するような表情を浮かべる。
「そうですね。私の事情を全て知っている光さんなら、それにたどり着いてもおかしくはない」
「あの日の――いや、あの日からの続きを、景にたくしたんですか?」
「……ええ、まったくその通りです。羅刹女を演じるということは、私を演じるということだから」
花子さんは目を細め、舞台で戦いに身を委ねる景を鋭く見つめる。
「私には描けなかった景色を、もう一度羅刹女の手によって。たとえ何を犠牲にしても、もう一度」
花子さんのその発言は、舞台を私物化しているともとれる発言だが、僕にそれをどうこう言う権利はない。
僕だってその私物化に一枚かんだ共犯者なのだから。
『私は恐ろしかったのだ!! この怒りを失えば一体、私に何が残るのかと』
そのセリフを告げる
怒り続けることで自意識を保ち、もはやそれが自身の
きっと花子さんほど極端じゃなくても、そんな人間はどこにでもいる。
そんな平凡な人間が、羅刹女であり花子さんなんだ。
だからこそ、怒りを失うことを無意識に恐れる。
自分がなくなってしまうかもしれないと、そう思っているから。
景が今日まで花子さんのようにならなかったのは、ただ目を逸らしていたからにすぎない。
今この日この時、初めて景は自身の怒りと向き合い、乗り越えようとしている。
がんばれ――なんて言う資格は僕にはない。
だから、せめて心の中だけで願うのを許してほしい。
君が前に進めることを。そして、僕と決別することを。
ーーーーーー
『許せるものなら、許してごらんよ』
孫悟空たちとの戦闘を終え、舞台袖から出てきた三蔵法師を私は睨む。
その三蔵法師の先には、舞台袖に立つ光の姿があった。
許す……こいつを、何のために?
裏切られて、嘘をつかれて、笑われて。
それでも許すのは、お芝居のため?
ああ……
「…………っ!」
その瞬間、私の頭から羅刹女や舞台のことが全て消えた。
理性が衝動的な怒りに飲み込まれ、持っていた
さらにそのまま舞台袖へと走り出し、光の胸ぐらを掴んでそのまま押し倒す。
かつての日のように、倒れた光の上にまたがるが、今度は止めない。
まるであの日の続きをするように、私は光を――――
――――今、何をしようとした私。
私の手には芭蕉扇がある。
立ってる場所も舞台袖ではなく、ちゃんと舞台の中央に立ったまま。
私はどのくらいの間、あんな事を考えていた?
急げ、立て直せ、今すぐ、私は羅刹女だ。
――そうやって、みんなが望むまま動くの? 人形みたいに――
『私を許せるのか!』
許さないといけない。
――許せるわけがない――
『私を許してみろ!』
許す必要がある。
――許すわけがない――
『私を許すと言ってみろ!!』
言わなきゃいけない。
――言うわけがない――
光と過ごした10年間の全てが、憎しみと怒りであふれかえっている。
それをどうして許せるなどと言えるのか。
許さない、許さない、許さない。
皆が私の芝居を楽しんでいる。私がどんな想いをしているかも知らずに。
私は役者である前に、夜凪景なのに。
誰かがずっと怒っていてあげないと、お母さんが報われない!
絶対に私は――――!
『あなたを、許します』
「――――」
怒りに顔をゆがめた三蔵法師が、私を許すと告げる。
この時の私は、演技などではなく、本気でその言葉と表情に動揺していた。
『立ちなさい3人共。倒されたふりをし、彼女を殺めるつもりでしたね…。それは許しません』
その言葉に倒れていた孫悟空たちが立ち上がる。
終演まであとわずか。それでも私は、心の底から許せるとは到底思えない。
『火焔山の炎を鎮めてくれ、後生だ』
語り掛けるように観客を惹きつけ、孫悟空が言う。
『オイラはまだ負けてねぇぞ! かかって来い羅刹女!!』
床を踏みしめ、舞台袖の光の姿を遮るように、猪八戒が言う。
『さあ羅刹女』
孫悟空が私の肩を掴み、目を合わせて必死に懇願する。
孫悟空だけじゃない。三蔵法師が、猪八戒が、沙悟浄が、私を本気で見つめている。
そして、今日この日のために集まった観客が――――
ああ、そうか。これは私一人の舞台じゃない。
皆、私を待っている。
私が光を許すことを。
まだ、許し方はわからない。
許せるとも思えない。たとえそれが口先だけであったとしても。
だから、私は
嘘偽りの自分を演じることでしか、この舞台は終幕へとたどり着けない。
私は舞台の中央へと、その終わりに向かって足を進める。
皆、繋ぎ止めようとしてくれている。
所定の位置に着き、私は顔を上げて観客を見渡す。
この時の私には、いつも以上に観客の顔がはっきりと見えた。
そして持っていた芭蕉扇を天に掲げ、最後のセリフを口にする。
『分かったわ』
ーーーーーー
『分かったわ』
そう言って芭蕉扇を掲げる景は、完全に芝居が解けていた。
きっとそれは、僕でなくともわかるほど。
心ない嘘偽りの芝居で景は乗り切ろうとしている。
そんな景を見て、僕はつい考えてしまう。
もし僕が役者として生きていたら、芭蕉扇を振り下ろすあの手を止めていたのだろうかと。
おかしな話だ。そもそも僕が役者の道を選んでいたら、こんな状況にすらなっていないのだから。
それでも僕は、思わずにはいられない。
景がオーディションを受けたあの日、スカウトの言葉にうなずいていたら。
銀河鉄道の舞台を見たとき、アリサさんに俳優になると伝えていたら。
僕たちの運命は変わっていたのだろうかと。
それよりももっと早く、何か別の行動を起こしていれば、景に真実を打ち明けることができていれば、もっとましな結末を迎えることができたのだろうか。
例えば、普通の学生として何も気負うことなく、同級生として笑いあったりだとか。
例えば、二人でトップ俳優を目指しながら、同じ作品で共演したりだとか。
そんなあったかもしれない未来を想像して――――僕は考えることをやめた。
そうはならなかったからこそ、今の僕と景があって、こうして道を
それ以外の未来を想像するなんて、今の僕には現実逃避でしかない。
そんな現実逃避をしてしまうほど、芝居の解けた景の姿を僕は見たくなかったんだろう。
もしこのまま芭蕉扇を振り下ろしてしまえば、もう二度とさっきまでの芝居ができなくなることは明白だったから。
でも、大丈夫だよ景。
きっとそうはならない。
君の演技は多くの人から愛されて、多くの人から守られている。
もう君は、あの日のように
ほら――――
まさに振り下ろされようとする景の手を、王賀美さんがその手で止める。
看過できない台本無視。直前のアイコンタクトからすれば、王賀美さんの独断ではなく、共演者たち全員での判断だったに違いない。
彼らは舞台を捨てたんだ。舞台を捨ててまで、君の芝居を守ったんだ。
おそらく景は、そのことに気づいたのだろう。
その場で泣き崩れるように、芭蕉扇を手離して膝をつく。
君は役者の夜凪景だ。
君は昔の君じゃないし、ましてや花子さんの描いた羅刹女でもない。
だって君は今、多くの人に囲まれて、そんなにも幸せだから。
怒りも悲しみも、もう過去のことだから。
そこに僕の好きになった、かわいそうな景は存在しない。
君という物語の主人公に、僕は必要なんてなかった。
僕が味方になる必要なんかなくて、ましてやそんな僕に依存する必要なんてあるわけがない。
きっと僕は、君の一ファンとして応援しているくらいが、自然な形だったんだ。
学校で友達と君が出ていたドラマの話をして、大きい作品にキャスティングされたことを喜んで、熱愛報道が流れると勝手にショックを受けて。
幼なじみでもなんでもない。君は、液晶の奥にいる遠い人。
それが、それこそが、正しい道であるべきなんだ。だから――――
今なら、演じられるよね?
うん――
聞こえないはずの声が聞こえたかと思うと、景は涙をぬぐいながら立ち上がる。
そしてもちろん、その手には芭蕉扇が握られており、その場で半回転するようにして芭蕉扇をあおぐ。
それによって必然的に景の視線が、舞台袖にいた僕を捉え、僕と景の目が合う。
時間にして1秒にも満たないその瞬間は、永遠にも感じられるほど、ゆっくりと流れていく。
さよなら、光――
景は口を開かなかった。
けれど今度は間違いなく、僕にはハッキリとそう聞こえた。
僕は景のいる舞台に背を向けて、そのまま歩き出す。
景はきっと、これからも前に進んでいく。
過去の怒りと悲しみに囚われたことで、今持ってるものの豊かさに気づいた君に、くべる薪はもうない。
たとえ嫌悪の感情であっても、君は僕にそれを向けることはないだろう。
これで終わったんだ。僕と景の全てが。
「さよなら、景」
さよなら、僕の初恋。
間違っていたかもしれない。
歪んでいたかもしれない。
それでも僕は、君の激情に恋をして――――幸せだった。
泣くつもりがないのに、必死に抑えてもボロボロと涙がこぼれ落ちていってしまうのが好き。こっちまで泣いてしまう。
あと大泣きする際にセリフや音声が消えるのもいいですよね。