君の激情に恋をして 作:考える人
side夜凪景
サイド甲初日の上演は無事にとは言えないものの、なんとか終わりを迎えることができた。
しかし主演である夜凪に晴れ晴れとした様子はなく、共演者たちに対し、申し訳ないといった表情を浮かべている。
「皆…私――」
「良い芝居だったよ、景」
謝罪しようとした夜凪を遮るようにして、王賀美が夜凪の演技を褒める。
他の共演者の三人にも、夜凪を責める様子はない。
「でも、王賀美さんにあんなことをさせてしまって、舞台も――」
「あれは俺たち皆の選択で、俺たち皆の全力だった」
再度王賀美は夜凪の言葉を遮り、そしてその視線を舞台袖へと向ける。
「無論あんたもいれてな、花子さん」
王賀美の言葉に誘導されるようにして、全員が舞台袖にいる山野上へと目を向ける。
しかしそこには、先ほどまでいたはずの少年の姿はない。
夜凪は山野上へと近づき、その行方を問いかける。
「花子さん……光は?」
「……」
「花子さん?」
「……わかりません。いつの間にかいなくなっていましたから」
この時、夜凪には山野上の表情が今にも泣きだしそうなほど悲し気に見えた。
「花子さん、私……色々と聞きたいことがあるの。光のことで……花子さんが知ってることを教えて欲しい」
「わかりました。私も、景さんに話さないといけないことがありますから」
山野上は夜凪の提案を了承し、周囲の心配はあったものの、二人きりで話す約束を取り付ける。
そしてその日の夕方――
夜凪の自宅にて、夜凪と山野上はテーブルをはさみ、向かい合うようにして座っていた。
しかし向かい合ってから数分、二人の間に会話はない。
「……」
「……」
思っていた以上の気まずさに、夜凪は自分から話を聞きたいと言ったものの、なにから聞けばいいかわからないというのもあり、なかなか話を切り出せないでいた。
それを察してか、先に山野上が口を開く。
「……光さんからは全てが終わった後、もし景さんが話を聞きたいと言ってきたら、私が光さんについて知っていることを全て話してほしいと言われています」
「っ! じゃあ――」
幼なじみの名が出たことで動揺しつつも、当然聞くつもりの夜凪は思わず身を乗り出すが、山野上はそれに待ったをかける。
「ただ、光さんの話をするとなると、必然的に私の
「聞くわ」
ためらうことなく、力強く発せられた返答の言葉。
その迷いのない夜凪の表情を見て、山野上は自分が惨めになるのを感じていた。
「わかりました。では告白させてください」
「?」
「私はあなたのお父さんとお付き合いしていました」
「――」
それは不倫の告白だった。
それを聞いた夜凪は思わず立ち上がり、再び羅刹女の怒りが再燃する。
勢いよく振り上げた手を山野上へと伸ばしたその時、自分を送り出してくれた共演者の顔が夜凪の頭に浮かんだ。
すると冷静に――とまではいかないが、わずかに理性を取り戻せた夜凪は、全身を震わせながらもまた腰を下ろす。
怒りに飲み込まれる夜凪の姿は、そこにはなかった。
「……意外でした。てっきり叩かれるものだとばかり」
「…………今は、話が聞きたい。続きを聞かせて、花子さん」
握った拳からは血が流れながらも、夜凪は続きを促す。
その覚悟受けて山野上も、自身の過去を語る。
自分がどういう人間なのか。
どういうふうに夜凪の父親と出会ったのか。
さらに夜凪の父親としばらく一緒に暮らしていたこと。
そして最後には裏切られたこと。
山野上が自身の全てを語り、そしてようやく園山光の名がその口から語られる。
「――私がまだ彼と暮らしていた時、その住んでいた部屋を訪れた人間が一人だけいます」
「それって……」
「はい、お察しの通り光さんです。とても容姿の整った少年だったので、他人に興味のなかった私でも記憶に残ったほどです。私が見たのは、光さんが彼と玄関先で話をしているところでした」
「……じゃあ、光があいつと連絡を取り合ってたのは本当なのね」
どこかでまだ幼なじみを信じたいと思っていた気持ちが、完全に崩れていくのを夜凪は自覚する。
この時の夜凪は、怒りよりも悲しみの感情に心が支配されていた。
「そうですね。ただ記憶にある限りだと、光さんと彼の仲はとても円満と思えるようなものではありませんでした。会話をしている時は、いつも光さんが怒りを見せているといった印象だったので。今思えば、あれは彼を景さんのもとへ戻るよう説得していたのではないかと思います」
「っ! ならどうして光は私にそのことを教えてくれなかったの!? そもそもどうしてあいつは光にだけ自分の居場所を――――!」
「光さんがそのことを話さなかった理由は私にもわかりません。しかしもう一つの疑問――彼が光さんにだけ自分の居場所を教えた理由はなんとなくわかります」
山野上のその言葉に息をのみ、今まで以上に耳を傾ける夜凪だが、次に飛んできた言葉は予想外のものだった。
「景さんは光さんのどこを好きになったんですか?」
「…………え?」
夜凪は意味が分からなかった。
話の続きはどうしたのか。
なぜ今そんなことを聞くのか。
「ごめんなさい花子さん、それって光の話と関係あるの?」
「ええ、あります」
そう告げる山野上の表情はどこまでも真剣だったため、理解できないながらも夜凪は質問に答えていく。
優しくしてくれたこと。
隣にいてくれたこと。
味方でいてくれたこと。
一緒にいるだけで幸せな気持ちになれること。
優しい笑顔で見つめてくれたこと。
上げればいくらでも思い浮かぶ幼なじみへの想い。
もはや言い訳のしようもなく、自分は光のことが好きだったのだと自覚する夜凪。
関係が完全に変わりきったことで、少女はようやくその気持ちに気づくことができた。
気づいたことで泣きそうになる夜凪だったが、必死に涙をこらえながら山野上を見つめる。
「でもやっぱり一番は、辛かった時期に傍で励ましてくれたことだと思う。今となっては、光がどういう気持ちでそうしたのかわからないけど……」
「優しくしてくれたから――それは、人を好きになる理由としてとても正しいことだと思います。他にも、顔や性格がいいから、一緒にいて楽しいから、趣味が合うから。人を好きになる一般的な理由はこういったところでしょう。しかし、そうでない人間もいる」
「…………どういうこと?」
「怒り、嫌悪、恐怖、嫉妬、軽蔑、不安――それらは本来、人が本能的に忌避する感情です。しかし世の中にはそんな負の感情を好み、それがきっかけで誰かを好きになる人間も存在します」
「…………それが光だって言うの?」
「その通りです。彼が光さんとだけ連絡をとっていたのも、光さんの人間性に興味を持ったからでしょう」
「そんなわけないじゃない!」
夜凪は思わず声を荒げて立ち上がる。
それは怒りというよりも、驚きの感情が大きいゆえの行動だった。
「光は一度だってそんな様子見せたことないのに――!」
「本当にそうですか?」
夜凪の言葉を遮った山野上は、夜凪の目を真っすぐ見つめて問いかける。
「忘れようとはしていませんか? 目を逸らそうとはしていませんか? 自分を騙そうとしていませんか? 光さんは言っていましたよ。景さんは気づかないフリをしているだけだ、と」
「……あ」
山野上の言葉を受けて夜凪がまず一番最初に思い出したのは、幼なじみと初めてケンカをした幼き日の記憶。
『もう知らない! 光なんて大っ嫌い!!』
そう叫びながら本気で怒るかつての自分に対し、申し訳なさそうにするどころか、どこか嬉しそうな笑顔を浮かべる幼なじみ。
さらに怒れば怒るほど、その笑みも深まっていく。
もはやケンカの理由も覚えていないが、その幼なじみの表情だけは鮮明に思い出すことができた。
いつも浮かべるような優しい笑みではなく、本能のままに浮かべる獰猛な笑み。
それは数時間前に見た幼なじみの笑みと同種のものだった。
そんなかつての記憶を思い出した時、夜凪の中で何かが腑に落ちる。
「ああ……、そうだったのね」
短くそうつぶやいた夜凪は、少しうつむいてそれ以降口を開かない。
その姿が怒りを抱いているように見えた山野上は、弁明するように補足する。
「誤解のないよう言っておきますが、負の感情を好むからといって、光さんはあなたを傷つけようとしてあなたの傍にいたわけではありません。むしろ――」
「大丈夫よ花子さん。光が何を考えて、どんな思いで私の傍にいてくれたのか、多分だけどなんとなくわかるから」
見えないフリをしていたものが明らかになり、ついに幼なじみの秘密を理解した夜凪。
それによって今まで積み重ねてきた幼なじみとの記憶も、必然的に見え方が変わる。
不幸を望むのなら、いくらでもその機会はあった。
しかし結果的に、光は私利私欲のために夜凪を傷つけることはなかった。
ついその想いがこぼれだしてしまうことはあっても、最後の一線だけは絶対に越えなかった。
わかりあっているつもりだった。
同じ時を過ごして、一緒に笑って、悲しみも共有して。
しかしそれは自分だけの一方通行な想い。
その優しさの裏に、どれだけの葛藤があったのだろうか。
その笑顔の裏に、どれだけの辛さがあったのだろうか。
自分の存在が光を不幸にしていたのかもしれない――そう考えたとき、夜凪の心は悲しみで覆われ、その目には涙がたまる。
「……いつかこんな日が来ることは想像できたはずなのに、私は覚悟すらできないで、舞台も最後まで演じ切れなかった」
どうにもならない後悔を口にした夜凪は、顔を上げて山野上にも後悔と謝罪の言葉を口にする。
「ごめんなさい」
「……どうしてあなたが謝るんですか。普通…逆でしょう」
「あいつは……お母さんが生きていた頃から滅多にうちには帰ってこなくて、だから花子さんみたいな人が現れる日が、いつか来るとは思っていたの」
「…………」
夜凪から謝罪の言葉とその理由を投げかけられた山野上は、さらに自分が惨めになるのを実感していた。
本来なら真っ先に謝らなければいけないはずの立場にありながら、傷つけた相手に逆に謝られ、自身は未だ何を謝ればいいのかすら分かっていなかったからだ。
「ごめんなさい。花子さん
さらに追加で告げられた謝罪に、山野上の惨めに思う気持ちはさらに強くなっていく。
焚きつけ、放棄し、期待し、取り残され、理解され、泣かせて、一体何をしているんだと自身に問いかけるも、その答えは見つからない。
「謝らないといけないことだらけなの。光に、花子さんに、皆に。次からの舞台…私、自信ない。私にはもう羅刹女の怒りが、光に向けるべき感情が、分からなくなってしまったから」
少女は少年の秘密を知った。
知ってしまったからこそ、その感情はぐちゃぐちゃになり、着地点を見つけることができない。
そこには自分の過ちもあって、それでも裏切られていたのは確かで。
いっそ心の底から嫌えてしまえば楽だったのだろう。
しかし少女の心から、少年を想う気持ちは消えない。
光への振り切れた怒りで羅刹女を演じた夜凪にとって、それは致命的だった。
舞台は初日の公演が終わったばかり。
まだ先は長いにもかかわらず、演出家と主演女優には、二日目以降の展望を全くと言っていいほど見据えることができないでいた。
ーーーーーー
side百城千世子
サイド甲 初日公演終了直後――
「配信動画には初日のものが使われるときいている。つまり僕たちの勝ちは決まったようなもんだ」
舞台が幕を閉じ、サイド乙の出演者が集まる控室では、そんな発言が飛び出る。
しかしその言葉とは裏腹に、部屋の中を流れる空気はどこか重苦しい。
その中でも特に重々しい空気と、険しい表情を浮かべていたのは、サイド乙の主演である百城千世子だった。
そんな千世子は急に立ち上がったかと思うと、走るようにして突然控室を飛び出す。
「え! ちょっ、千世子ちゃん!?」
柊が驚いて声を上げるも、千世子は止まらない。
千世子が控室を飛び出した理由は、とある人物に会うため。
その人物が来ていることを、千世子が知るよしもない。
それでも、夜凪の演技を見た千世子は心のどこかで確信していた。
絶対に
そして予感がしていた。今、彼に会わないと取り返しのつかないことになるのではないかと。
控室を出て、関係者通路を半ば走るように移動していると、目の前からその彼が姿を現す。
「光くん」
うつむき気味に歩くその少年――園山光に声をかけるも、光は何の反応も示さない。
「あっ――」
触れ合えるほどの距離まで近づいて、千世子は気づく。
少しずつ、少しずつ心の距離を縮めてきたその少年との距離が、初めて会った時よりも遠いことに。
それは明確に感じる拒絶の意志。
少年は千世子を
以前会った時、やっと見えたと思ったその顔は、また見えなかった。
その日の夜
千世子は公園のブランコで、何をするわけでもなく、ただ一人座っている。
そんな千世子の心を埋め尽くすのは、夜凪に対する敗北感。
勝てない――
認めたくない。それでも認めるしかない。
千世子から見た夜凪の演技は、その感情を抱かせるには十分なものだった。
そしてそれと同時に抱く、光へ向けられた複雑な感情。
自分の芝居では、夜凪には勝てない。
自分の芝居では、光は見てくれない。
千世子は悔しくてたまらなかった。
自分が負けを認めてしまっていること。
夜凪が自分のことを想いながら演じてくれなかったこと。
光が夜凪の演技中に一度も自分のことを思い出してくれなかったこと。
勝ちたいと思った相手は、勝てる姿が想像できないほど遠くに行ってしまった。
ファンにしてみせると宣言した相手は、一瞥すらしてくれなかった。
明日のサイド乙の講演まで、既に20時間を切っている。
その短い時間で夜凪を超えられるとは、今の千世子には到底思えない。
そんな自信を失った千世子を、車のライトが照らす。
「おう」
車から出てきたのは、サイド乙の演出家である黒山墨字だった。
「……稽古はないんじゃなかったの?」
「ああ、でも気が変わった。ついて来い」
黒山はそう告げるが、千世子はその言葉に対して素直にうなずけない。
「どういうつもりか知らないけど、遅すぎたんだよ。造花は生花には勝てない。本物の良さを知っている人は、偽物に目を向けたりしない」
「ごちゃごちゃ言ってねえで、とりあえず車に乗れ。俺はこう見えてケンカに負けんのが大嫌いなんだよ。誰が見ても文句なしの圧倒的な芝居にしてやる」
「…………」
勝たせてやる――そんな力強い言葉も、千世子には届かない。
めんどくさくなった黒山は、もう無理やり連れて行こうかと考えたその時、ある人物の名を口にする。
「そういえばさっき、お前が気にしてた光くんに会ってきたぞ」
光の名前が出た瞬間、千世子の体がピクリと揺れる。
「ちょっと話してみてわかったが、あの年であそこまで拗らせたやつはそういない。夜凪やお前らが振り回されるのも無理はねえ」
「………………」
「とりあえず、明日の舞台は絶対見に来るよう伝えてある。来る気が無いなら、柊に無理やりにでも連れてこさせる」
「……意味ないよ。どうせ、光くんの目に私は映らない」
半ば拗ねるような状態でつぶやく千世子。
そんな千世子を、黒山は肩に抱える形で背負い、無理やり車へと運ぶ。
「ちょっと」
「いいから大人しくついて来い。何が造花は生花に勝てねぇだよ、くだらねぇ。お前にはしばらく夜凪の一歩先を歩いてもらわなきゃならねえんだ。公演までまだ19時間もある。他のキャスト含め必要な人間は全員集めた。文句なしの圧勝の舞台にするには、十分な時間と面子だ」
車に乗り込んだ黒山は、不安など微塵も感じさせない言葉で告げる。
そしてその言葉通り、黒山の手によって、千世子の羅刹女は大きな変化をとげることになる。
そんな変化をとげた千世子には、迷いや不安といった感情は無くなっていた。
彼女は演じる。
ライバルに勝つために。
思い人を振り向かせるために。
隣にいた味方よりも、正面から向き合い続けた敵が一番の理解者みたいなの好き。