君の激情に恋をして 作:考える人
嫌いで仕方がなかった。
憎くて仕方がなかった。
いつも殺してしまいかった。
だから偽った。
心優しい自分を。
大人しい自分を。
迷惑をかけない自分を。
理想の姿を想像し、そうなりたいと願い、そうあるように努めた。
すると、みんなが認めてくれた。
君は本当に優しい子だねと。
君は本当に優秀な子だねと。
君は本当に欠点がない子だねと。
一番近くにいた幼なじみですら、あなたにはいつも助けられていると、そう言ってくれる。
なのに、自分の中にいる怪物が消えることはなかった。
消えてしまえと叫んでも、死んでくれと願っても、目を逸らして見えないフリをしても、怪物は
怪物はふとした拍子に顔を出し、感情の全てを支配するように、偽った自分を塗りつぶしていく。
それが怖くて仕方なかった。
まるで、自分が自分じゃなくなるみたいで。
まるで、自分が別人へと置き換えられていくようで。
優しい笑顔を浮かべながら、いつも何かに怯えながら生きる自分。
人が傷つくのを平気で是とする、本能に忠実な自分。
誰が見ても好ましい理想の姿は偽物で。
誰が見てもおぞましい醜悪な姿が本物で。
そんな自分が、世界中の誰よりも嫌いだ。
頭の中では、いつだって
ああ、腹が立つ、腹が立つ――と。
ーーーーーー
「光くん連れてきましたよ」
柊さんに連れられ、僕がたどり着いたのは、見るからに関係者以外立ち入りが禁止されているような部屋。
設備的な面もそうなのだが、なにより舞台が一番いい位置で見られる場所にあり、ここからガラス越しに鑑賞するだけで、満足度が上がるのは容易に想像できる。
そしてその部屋には、黒山さんが僕を待っていたかのように一人で佇んでいた。
「じゃ、じゃあ私はカメラ席の方に行くんで~」
そう言って柊さんは出ていき、部屋には僕と黒山さんの二人きり。
気まずいというほどではないが、何とも言えない空気が部屋の中に流れている。
そんな空気の中、先に口を開いたのは黒山さんだった。
「あー……、そういやお前の名字ってなんだっけ? 夜凪も百城も柊も下の名前でしか読ばねえから、なんなら聞いたことなかったわ」
黒山さんのその質問に、僕は思わず肩の力が抜ける。
何を言われるかと思えば、想像以上にマヌケな問いかけだったからだ。
「園山です」
「そうか。じゃあ園山、お前役者やる気ないか?」
「……え?」
文面で見れば何も難しいことではないのだが、その意味を理解するのに僕はかなりの時間を要した。
「まんまの意味だよ。事務所に所属して役者やらねえかって話だ。なんならうちで面倒見てやる。もっと大手の事務所がいいってんなら、俺からスターズに紹介してやってもいい」
それはこちらの意志を最大限尊重する、役者を目指すものなら信じられないくらい破格の提案。
もちろん黒山さんに冗談を言っているような雰囲気はない。
「まあ今すぐ決めろとは言わねぇよ。お前自身がやる気になったらでいい」
そう言って黒山さんは僕から顔を背け、舞台の方へとその視線を向ける。
その視線の先では、まさに舞台の幕が上がろうとしていた。
「とりあえず今は舞台を見ていけ。昨日も言ったが、お前に本当に必要なものをこの舞台で見せてやる。覚悟しとけよ。ふっきれた女はマジで怖ぇぞ」
ふっきれた女――それが誰のことを指しているか、僕はすぐに思い至ることができた。
そして、まるで停電したかのように、会場内全ての照明が消える。
『ああ、腹が立つ。腹が立つ』
静寂の中で透き通るように響く百城さんの声。
それが舞台の始まりを告げる合図となり、サイド乙の羅刹女は幕を開ける。
結論から言うと、百城さんの演技は圧巻だった。
遠くて近く、近くて遠い。
誰もが見惚れる天使のような美しい表情。
誰もがおののく悪魔のような恐ろしい表情。
その二つの表情を延々と繰り返す百城さんの表情から、僕は目を離すことができない。
「すごい」
そんな言葉が、僕の口から無意識に漏れる。
好みだとか、技術だとか、そういうものを越えて出た言葉だった。
もちろん百城さん以外の役者も素晴らしく、共演者が景色として強くなることで、さらに百城さんに目が行き、その存在感が際立っていく。
『最高の演技で、夜凪さんに勝ってみせるから』――そんな百城さんの言葉に偽りはなく、完成度という点では圧倒的に上だと、素人の僕でも理解できた。
そしてサイド乙の舞台は高い完成度を保ったまま、ついに終盤へと差し掛かる。
羅刹女が孫悟空たちとの殺し合いに身を委ねる場面。
激しい動きがメインとなる派手なシーンなのだが、そのせいか百城さんの姿が一瞬ブレたように見えた。
「あれ――?」
いや、あれはブレたというよりも、羅刹女の姿が別の誰かと重なったような――――
「羅刹女は牛魔王を愛している。どんなにひどい扱いを受けようと、別の女のところに行こうと、恨むことができない。恨み切れないでいるんだ」
ちょうど僕が戸惑いを感じたその瞬間に、隣にいる黒山さんが補足するように説明する。
「…………その想いを、殺し合いに身を委ねることで忘れようとしている――そういうことですか」
「ああ、そういうことだ。なあ園山、百城の羅刹女――お前にはどう見える?」
そうか……。そういうことか…………。
僕は黒山さんの言葉を受け、二つのことを理解した。
一つは、昨日のサイド甲と比べ、サイド乙の方がより羅刹女と向き合い、話の筋が通っているということ。
そして二つ目は、先ほど羅刹女とかぶって見えた人物の正体。
そうだ。あれは――
「僕だ」
何かから目を背けるように、狂気を前面に出して殺し合う羅刹女の姿。
それが僕の姿と重なっていた。
どこへも向けることのできない怒り。
どこへも吐き出すことのできない苛立ち。
それこそが、僕と羅刹女の持つ同じ思い。
そこに至るまでの過程はまったく違えども、たどり着いた場所が同じだからこそ、こんなにも羅刹女にシンパシーを感じているのだろう。
思えば、花子さんと一時期よく会っていたのも、彼女にシンパシーを感じていたのが原因だったのかもしれない。
羅刹女の怒りは、花子さんの怒りだから。
でも、羅刹女は救われる。
『なぁ羅刹女よ、火焔山の炎を鎮めてくれ、後生だ』
『分かったわ』
最後のセリフが告げられ、百城さんの手に持った芭蕉扇が高々と掲げられる。
殺し合いに溺れることで、羅刹女は救いを覚えた。
最後に火焔山の炎を鎮めて、舞台は終幕する。
なら――殺し合いでも救いを見いだせなかった僕はどうすればいい?
我慢してもダメだった。
思いを爆発させてもダメだった。
どうあがいても醜い魂が消えないのなら、それが源泉である僕の怒りは消えるはずがない。
救いなんてあるわけがないんだ。
僕と羅刹女は違う。
百城さんの掲げた芭蕉扇はゆっくりと振り下ろされ――
「え――?」
振り下ろされかけた芭蕉扇。
それは孫悟空――いや、牛魔王によって阻止される。
予定外の動きだったサイド甲と、まるで同じように。
「あれって、脚本になかったはずじゃ……」
「園山、お前ならもう気づいてるはずだ。10年以上自分の怒りと向き合い続けたお前なら、惚れた相手への想いが、殺し合いなんかで忘れられるわけねぇってな」
「…………」
舞台に目を向けながら言葉を紡ぐ黒山さん。
サイド甲と同じように泣き崩れる百城さん。
それにより、トラブルではなく演出であることを理解する。
「園山、お前が向き合うべきだったのは、もう一人の自分とやらでもなく、惚れた相手との決別でもねぇんだよ」
「…………」
「お前が本当に必要だったのは、どうしても
「あ――」
僕の目の前には、もう一人の俺がいた。
嫌いで仕方がなかった。
憎くて仕方がなかった。
いつも殺してしまいかった。
だからずっと思っていた。
どちらかが消えるしかないんだと。
でも、違った。
消せるわけないんだ。
嫌いでも、憎くても、殺したくても、その存在を認めないことなんてできなんだ。
僕は俺で、俺は僕なんだから。
そんな簡単なことに、どうして気づけなかったんだろうか。
いや、そんなの分かりきっている。
ずっと目を逸らしていたからだ。
幸せになることを否定していたのは、他の誰でもなく、僕自身でしかなかった。
「もっと早く、ちゃんと向き合っていればよかった」
つい漏れたのは後悔の言葉。
僕は俺に向かって手を伸ばす。
俺も僕に向かって手を伸ばす。
その手が重なり合った時、もう一人の自分は消えていた。
僕と俺の境目は、もうわからない。
「“羅刹女”は“怒り”の物語じゃねぇ。
黒山さんのその言葉と同時に、舞台では羅刹女により芭蕉扇が振り下ろされる。
遠く離れた客席、それもガラス越しだったにもかかわらず、僕は確かに風を感じた。
「どうだった?」
「もう一度……、もう一度みたいです」
「そうか」
僕のその感想に満足したのか、黒山さんは舞台に背を向け、部屋から出ていこうと歩き出す。
「まだ舞台は初日だ。明日以降もっと完成度を上げていく。だからまた見に来い」
「……はい」
僕は舞台に目を向けたまま、力なく肯定の言葉を告げた。
舞台は既に幕を下ろしている。
客席からもチラホラと立ち上がる姿が見られ、惜しみない拍手の音も既にやんだ。
それでも、僕はまだ目を逸らしたくなくて、脳裏に焼き付いた役者たちの姿を映しながら、ずっと舞台を見つめ続けている。
ああ、腹が立つ、腹が立つ――――その囁きは、もう聞こえない。
普段チャランポランでとても尊敬できない大人が、ここぞというときにそのすごさを見せつけるのが好き。
積み上げてきたものの圧倒的な違いを感じさせるのよき。