君の激情に恋をして 作:考える人
いつもより少し遅くなってしまった学校からの帰り道。
日もすっかり沈んでしまった中で、まだ寒さを感じながら歩いていたその時――
僕は拉致された。
急に白のバンが隣に停車したかと思うと、扉が開いて中に引きずり込まれるという、お手本のような拉致をされたというわけだ。
いや拉致のお手本ってなんだ。
どうやらまだ少し動揺しているらしい。
しかし逆に言えば、この程度の動揺ですんでいるとも言える。
理由としては、車の中にいた人たちが僕の知っている顔だったからだ。
「さすがにこれはやばいでしょ、黒山さん」
運転席に座る首謀者の可能性が高い人物に対して、僕は不満の声をぶつける。
「しゃあねえだろ。看板役者にへそ曲げられちゃ困るからな。多少のわがままは聞いてやらねえと」
後部座席で身柄を拘束されているため、運転席にいる黒山さんの顔は見えないが、その声はどこか楽し気だった。
「じゃあ……
そう言って僕は後部座席にいる人たちを改めて確認する。
まず僕を車の中へと引っ張り込んだ張本人であり、現在も片腕で僕の体を拘束している王賀美さん。
さらに烏山武光さん、白石宗さん、朝野市子さんと、サイド甲の役者が景を除いて勢ぞろいしていた。
いやほんと何してんのこの人たち。
「はっ、ちげえよ。俺たちはお前への借りを返しに来ただけだ」
王賀美さんは好戦的な笑みを浮かべたままそう告げる。
それを見て僕は、お礼参りをされるのだと考えた。
「劇をグチャグチャにした僕への報復ってことですか」
「いえ、それも違います。僕たちはあなたに感謝しているんですよ」
僕の勘違いに対し、白石さんが穏やかな笑顔で僕の考えを否定する。
正直言って、僕は白石さんのその言葉の意味を理解できなかった。
実際に僕がやったことは、景の怒りを焚きつけるという、彼らに迷惑がかかるようなことだ。
恨まれこそすれ、感謝されるいわれはない。
「園山くん、君がどんな考えを持っていたとしても、あの日の劇がより良いものになったのは確かだ」
「そうですよ。私だって最初は腹が立ちましたけど、彼女は私に同情されるほど弱くなかった。それにその後、私もしっかり殻を破れたので今は感謝しかありません」
烏山さんも朝野さんも、白石さんの言葉に同調するようにして、僕の目を真っすぐとらえる。
どうやら全員の共通認識であることは確からしい。
「これは俺たちからのお礼だよ。景と会ってないのは知ってるぜ。初日の公演以降、ずっとそのことで怒ってたからな。どうせ合わせる顔がねぇとでも思ってんだろ」
「……」
王賀美さんの言葉は図星だった。
だからこそ僕は何も言い返すことができない。
「そういうわけで、こうして言い訳できねえよう無理やり連れて行ってやってんだ。感謝しろよ」
お礼なのに?
どちらかというと、仇で返されてる気がするんだけど。
「大丈夫です。きっと悪いようにはなりませんから」
その声は後部座席にいた誰のものでもなく、助手席から聞こえてきたものだった。
そして僕は、この声をよく知っている。
「花子さん……」
「はい、お久しぶりです。光さん」
今まで座席シートの影になって隠れていた花子さんが、振り返るようにして僕と顔を合わせる。
「初日の公演が終わった後、私も景さんに全て話しました。私が光さんに協力を申し出たことも、私がもともと仕組んでいたことも、そして……私がかつてあの男とお付き合いしていたことも」
そうか……、花子さんはすべて打ち明けたのか。
自身の後悔と罪の記憶、そして怒りの源となった過去を景に話したと告げる花子さん。
それで僕は理解した。花子さんも僕と同様に、自分の怒りに折り合いをつけることができたのだと。
「それを聞いたときの景は……、どんな様子でした?」
「やはり動揺していました。もちろん怒りもありました。ただ、すぐに彼女は悲し気な顔を浮かべて、逆に謝罪したんです。『ごめんなさい。花子さんたちが一人きりだったことに気づけなくて』と」
花子さんの話す景の姿は、僕の想像通りのものだった。
改めて僕は景の心の強さを実感する。
「景さんは、主犯者である私を責めようとはしませんでした。ですから、共犯者でしかない光さんが責められる道理はありません」
それはいくら何でも暴論だ。
だって僕の裏切りは、花子さんの裏切りと違って、10年にも及ぶ積み重ねからのものなんだから。
許されるはずがないし、なにより僕自身が許されたいと思っていない。
罪には罰を――僕はこの罪悪感を、手放すつもりは微塵もない。
「なんなら不倫のことよりも、むしろ昔に光さんと会っていたことの方が、厳しく問い詰められたくらいです。景さんと会ったら伝えておいてくださいね。私と光さんは何もなかったと」
それは知らないです。
「おい、ごちゃごちゃ考えてねえで、とりあえず景と会ってこい。男が追ってくる女から逃げんじゃねえ」
王賀美さんがそう言うと同時に走っていた車が止まり、ドアが開いて僕は車外に放り出される。
乱暴すぎる扱いに文句を言ってやろうと王賀美さんを睨みつけると、王賀美さんは笑いながら僕に告げた。
「早く
「…………」
最近やたら勧誘されることが多いなと考えていると、車はそのまま走り去ってしまう。
改めて辺りを確認してみると、目の前に公園があった。
そしてその公園は、僕にとって思い出深いものであり、絶対に忘れられない場所。
「懐かしいな……」
僕は公園内に足を踏み入れる。
ここは小さいころよく遊んでいた公園で、大切な幼なじみと初めて大喧嘩をした場所。
それと同時に、初めて誰かを好きになった場所だ。
喧嘩の理由は、もう覚えていない。
それでも、喧嘩をした相手の表情は忘れたことがない。
公園内のどこで喧嘩をしたのかも、はっきりと覚えている。
それなりに広さのある公園で、僕は確信を持ってその場所へと向かう。
きっと彼女も、そこにいると信じて。
案の定、彼女はそこに立っていた。
彼女は僕の姿を認識するが、声をかけてくることはない。
まるで僕が所定の位置に立つのを、彼女は待っているようだった。
そのため僕は、彼女が求めているであろう場所に立つ。
あの日あの時と同じ場所で、僕と景は向かいあった。
すると、景は僕の目を真っすぐとらえ、ゆっくりその口を開く。
「『もう知らない。光なんて大っ嫌い』」
僕に向かってそう告げる景の姿が、かつての姿と重なった。
まだ小さかったあのころ、僕たちはこうして向かい合い、喧嘩していたんだ。
10年の月日が経ったことでお互い成長し、その在り方も大きく変わっている。
ただの近所の知り合いだったころから、関係性も大きく変化した。
だからこそ、景は僕をここに呼び出したんだ。
間違いなくここが、僕と景の原点だから。
「……花子さんから光のことを聞くまで、すっかり忘れていたわ。ここが、初めて光に対して怒りを持った場所だったってこと」
花子さんから話を聞いたという景の言葉に、僕はそれほど驚かない。
花子さんにはあらかじめ、初日の舞台が終わって景から色々聞かれたら、隠さずにすべて話してほしいとお願いしていたからだ。
だからおそらく、僕のずっと隠してきた感情のことも含め、今の景は全てを知っている。
その上で、景は僕に会いに来たということだ。
「光のこと、全部聞かせて欲しい」
「花子さんから聞いたんでしょ」
「うん。でも、私は光の口から聞きたい」
「……わかった」
ここまできたら、さすがの僕も逃げようとは思わない。
僕は全てを、景に打ち明ける覚悟を決める。
「長い話になるから、移動しようか」
といっても、移動した場所は同じ公園内で、ブランコに二人とも腰を掛けただけ。
「じゃあ最初から話すよ。僕はあの日、この公園で、君に恋をした――」
そうして、僕は話し始める。
ずっと隠してきた事実を、ずっと秘めていた感情を。
時折、景からの疑問にも答えつつ、全てを打ち明けていく。
「あの男が出ていく前日、何故か僕にだけ連絡先を渡してきたんだ。最初は意味が分からなかったけど、僕に自覚させるためだったんだと、後になって気づいた」
「どうして、そのことを伝えてくれなかったの?」
「連絡先を渡された時に言われたんだ。もし景たちにこのことを話したら、連絡先を変えて、今度こそ誰も知らない場所に行ってしまうって」
今となっては、色々とやりようがあったように思う。
でも当時の僕には、全てを上手く解決させる方法が思いつかなかった。
いや、考えなかっただけかもしれない。
あの男の思惑通り、僕は確かに、悲しみに暮れる景の表情を楽しんでいたから。
「僕があの男と連絡が取れなくなったのは、花子さんがあの男に捨てられたのと同じタイミングだったんだ。その時に花子さんとは知り合った」
その後も、あの時なにを考えていたのか、あの時なにを感じていたのか、そういった細かい感情まで詳細に伝え続けた。
そんな僕の懺悔にも近い告白を、景は感情を荒げることなく聞き続ける。
時間にしてどのくらい経っただろうか。
「――それで、景との関係を絶つために、僕は花子さんの話に乗った。後は景も知っている通りだ」
僕は言いたかったこと、隠していたことの全てを話し終える。
景に話すことなんて一生ないと思っていた話を、包み隠さず全て打ち明けた。
それが僕には、なんだか信じられない気分だった。
「今でも、光は私との関係を絶ちたいと思ってるの?」
「……うん」
「どうして?」
「だって、僕のこの想いは、景の不幸を望むものなんだ。このまま僕が一緒にいても、景は不幸になるだけ――」
「ふざけないで!!!」
景は急に大声を上げたかと思うと、勢いよく立ち上がり、僕の方へと詰め寄る。
僕の目の前まできた景は、座っている僕を見下ろすようにして、怒りの表情を見せていた。
その表情は、初めて喧嘩をしたあの日のものとそっくりで、僕はただただ見惚れてしまう。
「なんでそうやって不幸になるだなんて決めつけるの!?」
「……でも、僕は実際に舞台で――」
「確かにその時は私も傷ついたけど、結局は私の演技のため、私のための行動だったじゃない!」
「ちがっ――」
「違わない!!!」
景は僕の言葉を遮るようにして叫び、さらに僕の胸ぐらを掴むようにして顔を近づける。
「光はずっと私に優しくしてくれた! いつも味方になってくれた! 落ち込んでるときは励ましてくれた! いつだって隣にいてくれた! よく野菜もお裾分けしてくれたし、ルイとレイの面倒も見てくれたし、杉北祭では停学になってまで映画の上映を手伝ってくれた!」
僕の反論など許さないとばかりに、景はまくしたてる。
そんな自分の気持ちを正面から感情のままぶつけてくるその姿は、羅刹女の時など比べ物にならないくらい、今までで一番きれいに思えた。
そして景は、僕に
「私は光に好きになってもらえて幸せだった!!! この気持ちは光にだって否定させないんだから!!!」
「――――」
信じられない気持ちだった。
その言葉は、僕が絶対に言われるはずないと思っていた。
でも確かに、景はその言葉を口にした。
幸せだった――と。
ずっと不幸にしていると思っていた。
僕は景の疫病神で、不幸にするしかできない存在なんだと。
僕だけじゃない。周りの人間だってそう思っていた。
『夜凪のことが大切なら、君は夜凪から離れた方がいいよ。君の抱える
『君は劇薬です。私ですら使うのをためらうほどの。その存在はどうあがいても毒にしかなり得ない』
『光さんと景さんの関係は、どちらかが不幸になることでしか成立しない』
僕の正体を知った人間は、みんな決まってそう言った。
そのたびに、僕が一番わかっていると心の中で吐き出したのを覚えている。
それを景は否定した。
僕じゃない、他の誰でもない、景自身が否定したんだ。
その上、景は幸せだったとまで言ってくれた。
こんなに――こんなにも幸せなことが、あっていいのだろうか。
好きになった相手が、その好意を肯定してくれる。
誰もが否定する中で、景だけが認めてくれる。
歪んだ僕には、絶対に訪れないと思っていた未来が、今ここにある。
僕の頬には、いつの間にか涙が流れていた。
今なら言える。
強がりでもなく、虚勢を張るわけでもなく、心の底から。
間違っていたかもしれない。
歪んでいたかもしれない。
それでも僕は、君の激情に恋をして――――本当に幸せだった。
悩んで、迷って、目を逸らして、間違え続けた少年が、それでも最後にはその抗い続けた行動に救われる話。
好きな相手(過去形でもよし)の結婚式に出て、複雑な感情を抱えながらも、その気持ちに折り合いを付けて、笑顔で祝福の言葉をかけるシチュエーションが好き。というか自分がそうなりたい…………って話をしたらたいてい引かれます。