【朗報】修羅場系パーティーに入った俺♀だったが、勇者とフラグの立たない男友達ポジションに落ち着く   作:まさきたま(サンキューカッス)

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14話「猿仮面VSマントヒヒ 類人猿最強決定戦!!」

 その怪物は、間違いなく喜んでいた。

 

 見失った敵を捕捉し、彼らを血祭りにあげられる幸福に酔いしれていた。

 

 奴はもう、難しいことを考える必要はない。

 

 いつものように、先程までのように。大地ごと彼らを蹂躙すれば良いだけだ。

 

 

「……れろ」

 

 怪物はその場で跳躍する。

 

 獲物(オレ達)が隠れ込んだその穴の真上で、両拳を握り合わせ、喜色満面に跳躍する。

 

「みんなこの場から離れろぉぉぉ!!」

 

 

 俺の半ば悲鳴のような絶叫の直後、サクラの用意していた地下通路は大地の亀裂と共に崩壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、はっ、はっ」

 

 他の皆を、庇う余裕はなかった。

 

 俺はがむしゃらに地下通路の天井を蹴り壊し、その勢いのまま地上に脱出した。

 

「嘘だろ、おい、本当に!」

 

 あの化け物は何なんだ。ちょっと牽制みたいなノリで、上級魔法並の威力の打撃を繰り出してきやがって。

 

 駄目だ、早くここから逃げなければ。このままだと、本当に死んでしまう。

 

 そうだ、実家に逃げ帰ろう。そしてこの魔族の脅威を両親に伝え、きちんとした戦力を編成して迎え撃とう。

 

 魔族は、俺一人の手に負える存在じゃなかった。俺は自らの筋肉に自惚れていただけの、無力で知的で可憐な美少女お嬢様に過ぎなかったのだ。

 

 怖い、恐ろしい、吐き気がする。自分の大切な何もかもを根こそぎ否定された気分だ。

 

「ヴぼぉぉヴぉっ!!」

 

 怪物と、目が合う。

 

 何をしても届かない実力の差が、そこには存在している。捕食者と、獲物の悲しいまでの生態格差。

 

 逃げなければ。何もかもを投げ捨てて、なりふり構わずここから離れなければ────

 

 

 

 

 

「待ちなさい!」

 

 誰かの、制止する声が聞こえる。

 

 うるさい、誰が待つものか。

 

 自分の命より大切なモノは、この世に存在しないのだから。俺が死んだら、哀しむ人がいると知っているんだ。

 

 何だかんだいって、仲の良い妹。俺を溺愛してくれている両親。アレコレと教えてくれた魔法教師に、一緒に茶を囲んだ屋敷のメイドさん達。

 

 俺は、俺のためにも誰かのためにも、死ぬわけにはいかない。どんなに無様だろうと情けなかろうと、生き延びねばならない。

 

 過呼吸になりながら、這う様に俺は怪物に背を向けて逃げ出して────

 

 

「お前の相手は、このサクラ・フォン・テンドーですわ!!」

 

 

 その言葉に、思わず俺は立ち止まった。そのまま呆けるように、俺は背後へと振り返ると。

 

 

 そこに、彼女は立っていた。

 

 

 半ば涙目になりながら、四つん這いで転げるように逃げる無様な俺の後ろで。

 

 一人の少女が、腕を組んで怪物に相対していた。

 

「これ以上は、一般人を巻き込むつもりは無いわ。貴方は早く逃げなさい、お猿さん」

 

 それは、いかなる蛮勇か。

 

 何の攻撃力も持たない齡10代半ばのそのお嬢様は、自分の数十倍の体積の敵を相手に、不敵に微笑んでいた。

 

「後は私が、あの化け物に落とし前をつけてあげるから」

 

 

 ああ、何てことだろう。

 

 今の、このサクラの後ろ姿は。

 

 ろくな衣服も纏わず、ボロボロの体躯を晒しなお、爛々と目に光を灯して立つその女の背は。

 

 

 ────俺が目指した、漢の背中だった。

 

 

 

『ただ、ギャングの元締めという自分の立場に誠実であろうとしているだけの、普通のお嬢様なんだよ』

 

 マスターのそんな言葉が、俺の脳裏を過る。

 

 そうだ。サクラは、彼女は生まれついてのギャングなどではない。

 

『幼い頃、お嬢は俺達の稼業がどんなものか知って、顔を青くしながらも受け入れた』

 

 彼女は、彼女なりに受け入れたのだ。自分の出自を、その家の宿命を。

 

『サクラお嬢は誠実すぎて、俺らみたいなチンピラにまで仁義を通そうとして下さる』

 

 そして彼女は今も、自分の家業を呪わずに受け止めて立っている。

 

 チラリと見えたサクラの表情は余裕に満ちていたが、その足先はガクガクと震えていて。相手を見下すように笑っているその唇は、真っ青に染まっている。

 

 

 

 ────何処にでもいる普通のお嬢様(サクラ)は、その恐怖を表出することなく噛み殺し、堂々とそこに君臨していた。

 

 

 

 

 ……。ああ、何でだろう。

 

 そんなサクラを見て、俺の体から震えが引いていった。

 

 

 

「生き延びてたんだな、お嬢様」

「これでも土系統の魔術師よ。生き埋めになるわけないでしょぉ?」

「そっか。目が覚めたわ、俺にもやらせてくれ」

 

 これは、どういう心境の変化なのか。先程まで恐怖でパニックに陥っていた俺の精神は、サクラによって一瞬で建て直されてしまった。

 

 今も彼女がそこにいるだけで、何故か恐怖が和らいでいくのだ。

 

「落とし前をつけるにしろ、あんたが魔法使いである以上は前衛が要るだろ」

 

 あのマスターは、人を見る目がないらしい。

 

 いや、彼女に近すぎて目が曇っていたのかもしれない。

 

「もう少し付き合う事にする。前衛は任せろ」

「……ありがと。心強いわ」

 

 この娘が、サクラ・フォン・テンドーが、普通のお嬢様だって?

 

 サクラは、目の前の半裸の少女はギャングがまったく性に合っていないだって?

 

「安心しなさい、猿仮面。貴方の後ろは、このサクラ・フォン・テンドーが確かに預かりましたわ」

「ありがたい」

 

 冗談ではない、この安心感はなんだ。彼女が共に戦ってくれる、この頼もしさはどういう事だ。

 

 人を惹き付け、戦意を沸き上がらせるカリスマ性を持ち。誇り高く、恐怖に負けず、怪物に相対せる勇気があり。

 

 配下全員が命賭けてでも守ろうとする、圧倒的な人望を持っている。

 

「サクラお嬢様。あんた、漢だな」

「……ん?」

 

 とんでもない。この娘は、ギャングの家に生まれた可哀想な『普通のお嬢様』なんかじゃない。

 

 生まれながらに王気を放つ、チンピラ達を纏め街を治めるに足る『王の器』を持った漢だ。

 

「ちょっと!? 私は女の子なんだけど!?」

「謙遜するな。俺は、お前の薄い胸の内に秘めたハートに惚れた。お前を漢と認めよう」

「それは私に胸がないと言う侮蔑かしら!? あの化け物の相手が終わったら、貴方に落とし前つけさせるわよ猿仮面!」

 

 こうして俺は、頼もしい後衛を得て。

 

 先程のマスターとのタッグとは違い、前衛として魔族に突っ込んでいく事にしたのだった。

 

「気合いをいれろよ、お嬢様。俺が全力で隙を作るから、何とかしてアイツを仕留めろ」

「それはいいけど、さっきの侮蔑は訂正しなさいよ! 私だって男の子よりは胸あるんだから!」

 

 うむ? 何をさっきから、サクラは激昂してるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大いなる精霊の加護は、その身に宿る────」

 

 

 俺は地面を蹴って、体勢を低く怪物目がけて突進した。

 

 レヴちゃんに教わった、あの近接戦闘技法を思い出せ。俺は、レヴちゃんに何と教えられたっけか。

 

『……イリーネ。貴女は技を回避する動きが得意ではない』

 

 そうだ。俺は、レヴちゃんの変幻自在の足技に翻弄され、ロクに回避もままならなかった。

 

『それはきっと、貴方の心の持ちように起因していると思う。イリーネは攻撃された時、「怖いから技を避けよう」と考えず「怖いから早く倒してしまおう」と考えている』

 

 だから俺は、多少のダメージは我慢出来るように攻撃をブロックし、攻めに転じるカウンターを教えられた。

 

 

「古の戦士の魂よ、我が肉体に恩恵を────」

 

 

 このデカブツ相手に、少しでも攻撃が掠ったらアウトだ。だが、俺にレヴの様な華麗な体捌きでヤツを翻弄することなどできる筈もない。

 

 だったら話は単純だ。

 

 

「────肉体強化(ブート)!!!」

 

 

 詠唱を終えた瞬間、全身に力が満ち溢れてきた。

 

 筋肉が躍動し、体に暖かな魔力が纏いつき、足に羽が生えたように軽くなる。

 

「猿仮面、尖った岩の前に小さな落とし穴を作ってみます。詠唱が終わったら教えるから、暫くその化け物の気を引いていて頂戴」

「承知したぜ、お嬢!」

「詠唱は急に切り替えられないから、被弾するんじゃないわよ。回復魔法が間に合わないかもしれないんだから」

 

 全身を落とすような大きな落とし穴は作れない、と先程お嬢様は言っていた。

 

 裏を返せば、踏み抜いたら躓く程度の小さな落とし穴は作れるらしい。

 

「お猿さん、前ぇ!」

「おう、分かってるさ!」

 

 魔族は既に間合いを詰めて、牙を剥きながら俺目がけて鋭利な爪を振りぬいて来ていた。

 

 先程までのように横っ飛びで避けることは出来るだろうが、そんなことをして距離が離れたら標的がお嬢に変わるかもしれない。

 

 だったら、壁役として俺に出来ることは────。

 

 

「痛ってぇ!!」

「猿!?」

 

 

 避けずに、奴の顔面目掛けて跳躍する事!

 

「顔面に一発くれてやるよ!」

「ヴァぁァガぁっ!!」

 

 魔族の爪は空振ったが、剛毛に覆われた前腕が俺の腹を掠った。おろし金のように、腹の肉が抉られる。

 

 だが、その傷を代償として。俺は、奴の顔面鼻先に躍り出ることが出来た。

 

 空中で腰を捻り、全身のバネを右足に集約し、俺はヤツのでっぱった頬骨目掛けて真っ直ぐに蹴りを放つ。

 

「調子コいてんじゃねぇデカブツがぁ!!」

 

 

 ────その一撃は、微かに怪物の顔を揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土蜘蛛の巣(アースパイド・ウェブ)

 

 やがて、令嬢サクラは罠を張り終えた。

 

 アジトの残骸の深く尖った支柱の前に、奴の片足がすっぽり入る程度の落とし穴を作成した。

 

「アイツ、でたらめだわ。時間を稼げとは言ったけど、誰が殴り合えって言ったのよ」

 

 目の前の猿は、見事に敵を引き付ける任務をやり遂げた。

 

 あとは、どの方向からどの向きに敵を誘導すれば罠が成就するかを計算し、猿に誘導して貰うだけである。

 

 右の足を引っかけるとするなら、体勢を崩した怪物はそのまま右前方向に倒れ込む。となると、誘導する角度は少し左に寄せなければならない。

 

「こんなものかしらね」

 

 猿に分かりやすい様に、彼女は地面に大きな矢印を引いた。その向きに怪物を誘導すれば、怪物のその顔面を尖った支柱で串刺しに出来る筈である。

 

 いくらあの化け物が頑丈だとしても、数トンはありそうな自分の体重で顔面をくり貫いてしまえば万事休すだろう。

 

「準備は出来たわ。猿仮面、地面の矢印の通りに誘導しなさい!」

「ガッテンだ! 手際がいいじゃねぇかお嬢様」

 

 その声は、怪物の噛みつきを真上に跳んで避けながら、ムンサルトの要領で踵落としを決めていた不審者から返ってくる。

 

 目前の魔族が化け物過ぎて感覚がマヒしていたが、あの猿の仮面も十分におかしい。自力で数メートルは跳躍し、自分の何十倍もの体積の化け物相手に正面から殴り合っているのだから。

 

 きまぐれで雇ってみた男だったが、端金で仲間になるにはお買い得過ぎる男だ。

 

「私はいったん、距離を取っておく。後は任せたわ」

「任せとけぇ!」

 

 いつまでも近くに居て、戦闘の余波で負傷してはたまらない。サクラは猿仮面の謎の戦闘力の高さを信じつつ、付近に自分で作成した隠れ穴へと撤退した。

 

 先ほどまで重傷だったマスターや、酔い潰れたカールもその穴に収容している。彼女には、重症だったマスターの様子を見に行く必要もあった。

 

 こうして、その戦いの結末は猿仮面(イリーネ)に任された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サクラの用意した地面の矢印は、分かりやすく俺の目に映った。

 

「じゃあ、出来るだけ不自然にならないようにあの方向へ飛びますかね」

 

 既に、俺は満身創痍だ。

 

 さっきから何度も何度も奴の顔面に渾身の一撃をヒットさせているのに、この化け物はどこ吹く風である。

 

 一瞬顔を顰めはするが、本当にその程度だ。多分、デコピンくらいにしかダメージが通っていないんじゃないかと思う。

 

「オォヴォオオぉ、うヴォォォっ!!!」

「分かったっての」

 

 ダメージは通ってなかろうが、怪物の怒りは明らかに高まってきている。

 

 格下の生物に纏わりつかれながら、チクチクと地味な攻撃を受け続けたのだ。そりゃあ、イライラするのも道理だろう。

 

「こっからが本命だ。今度こそ、ぶっ殺してやるよ」

 

 俺は信じる。サクラの罠の完成度を、この化け物の頭の悪さを、そして俺自身の能力を。

 

 卑屈になるな。俺は確かに弱い存在だ。だが、どんなに弱い存在だろうと『勝てない』理由にはならない。

 

 俺が負けを認めたレヴちゃんを思い出せ。彼女は、俺なんかより明らかに貧弱なマッスルだ。なのに、彼女は俺より強かった。

 

 つまりいくら生物として格下だろうと、それは敗北を意味するわけではないのだ。

 

「やーいこの類人猿! お前の顔面マントヒヒ!」

 

 適当な煽り文句で魔族を挑発しながら、俺はサクラの描いた地面の上を真っすぐに走り抜ける。魔族は逃さじと俺目がけて飛びついてきて、時折爪を振るってきている。

 

 よし、釣れた。

 

 

「そのまま、あと五歩で思いっきり跳躍しなさい!! 貴方が落とし穴を踏んでは台無しよ!」

「分かった!」

 

 

 あとは、お嬢様の指示通りに。

 

 背後から迫る怪物の気配から逃れるように、俺は五歩目で大きく大地を蹴って、空中へと避難した。

 

「うォ、ヴォ、ヴぉォォっ!!!」

 

 空に逃げた俺を叩き落とすべく、怪物は半立ちになって爪を振り上げる。

 

 大丈夫、この距離ならば俺に爪は届かない。

 

 さあ、振り下ろせ。その高く振り上げた前腕を、大地へと叩きつけろ。

 

 そこには────

 

 

「かかった!」

 

 

 彼女が用意した、罠がある!

 

「ヴぉ?」

 

 怪物が、困惑した鳴き声を上げる。

 

 その化け物の右足が地面へと陥没し、ズルリと滑って体勢を保てなくなる。

 

 その怪物が倒れ込んだ先にあるのは、割れて鋭利に尖った鉄製の建造物の支柱。

 

「死ね────」

 

 ブシュ、と怪物の血が大地に飛び散る。

 

 鋭利に尖ったその鉄柱は、怪物の肉を串刺しにした。

 

 

「……オオォォォ、ヴォォォォォォォォっ!!!」

 

 

 だが、その怪物は死んでいない。

 

 なんと転倒しながらも、その魔族は咄嗟に左の前腕で顔面を庇ったのだ。

 

「ぐ、失敗────」

「いや、十分だサクラお嬢」

 

 激痛に身悶えしながら、腕に突き刺さった鉄の柱を抜こうと怪物はも掻き苦しんでいる。

 

 この好機を、俺は逃すつもりはない。

 

 

「────炎の精霊、風神炎破」

 

 

 今度は、至近距離で。

 

 胴体ではなく、顔面に狙いを定めて俺は上級魔法の詠唱を始めた。

 

 この怪物に、人類最強の火力を改めて届けよう。

 

 

「……え? それって、まさか上級魔法」

「────錦の螺旋渦、爆連地割の大明封殺」

 

 

 同じ魔法使いであるサクラは、この魔法を知っていた。まぁ、有名な魔法だしな。

 

 『精霊砲』は習得できれば、それだけで軍人として最高待遇で迎えて貰える。攻撃魔法使いにとっては、まさに憧れの大魔法だ。

 

 そして、軍人家系の名門ヴェルムンド家の代名詞でもある。

 

 流石に、正体ばれたかなぁ。

 

「────来たれ粉塵、飛び散れ岩炎」

 

 だが、そんな些細な事はどうでもいい。この一撃で、絶対にこの化け物を────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────詠唱の最中、怪物と目が合った。

 

 鉄の柱を引きちぎり、顔面を紅潮させ、血涙を流して牙を剥く魔族が俺の目前で唸っていた。

 

 

 ……ああ。もう、抜け出してしまったのか。

 

 

「集積を成すは黒鉄の克己────」

「ヴォォ────」

 

 

 くそったれ、間に合わない。

 

 どれだけ早く詠唱しようと、奴の爪より先に呪文を完成させられない。

 

 

 

 ────黒い衝撃と共に、一瞬、耳が聞こえなくなる。

 

 激痛が、体を焼くように走り回る。

 

 

 

 ……ああ、致命傷。

 

 魔力の制御に集中していたせいで回避行動がとれなかった俺は、とうとう怪物の一撃を綺麗に貰ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……鼓動の音がうるさい。

 

 土の味が、血と混じって舌に染みこむ。

 

「さ、猿仮面っ!?」

 

 遠くで、お嬢様の叫び声がする。

 

 足が動かない。腹に力が入らない。微かに、腕が動かせる程度か。

 

 ああ、血が足りない。目が、だんだんと霞んでくる。

 

「ガァぁぁ……」

 

 そんな、俺の瀕死の様を見た怪物は鼻息をフンスと鳴らした。ようやく俺を仕留められて、腹の虫がおさまったらしい。

 

 ……どうやら、勝った気でいるなアイツ。まだ、俺は諦めてねぇぞオイ。

 

 

 

 激痛、意識朦朧、呼吸苦、眼前暗黒感。これらのクソみたいなコンディションでなお俺は。

 

 いまだに詠唱途中の『精霊砲』の術式を維持しているのだから。

 

 

 さぁ、もっと近づいてこい。俺に、その顔面を無防備に近づけろ。

 

 究極の魔法を、俺の切り札を、お前にお見舞してやる。

 

 

 

 ────それまで、俺の命が持てばであるが。

 

「……」

 

 息が苦しい、さっきから呼吸が出来ていない。

 

 腕の感覚がない、どうなってるのかと目線を落としてみたらもう右半身が無くなっていた。

 

 息を吸い込もうと頑張ってみるも、聞こえてくるのはヒューヒューという空気の漏れる音。胸が抉られて、肺も破れているらしい。

 

 

 怪物が近づいてくる。奴はようやく笑顔を見せて、俺の身体を摘まみ上げる。

 

 

 ────そして、奴は俺の体を口元へと運んでいった。

 

 

 チャンスだ。今こそ精霊砲を、俺の究極の魔法を、コイツにお見舞いしてやるんだ。

 

 

「……ぁ」

 

 むむ? 声が、出せない。何故だ、どういうことだ。

 

 もう、撃っても問題ないのに。むしろ、今撃たないと間に合わないのに。

 

 どうして、声が出ない────?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ああ、そっか。

 

 俺はもう、息が出来ないんだった。

 

「逃げて、猿仮面────」

「……」

 

 

 諦めず声を出そうと頑張ってみるも、空気は肺から零れていくばかり。

 

 呼吸機能を破壊された時点で、精霊砲はもう封じられたも同然だった。

 

 あと一節なのになぁ。最後に、一言だけ言葉が出せれば、この化け物の顔面を消し飛ばすことが出来たのにな。

 

 ……無念だ。

 

 

「うヴぁぁー」

 

 俺は、抵抗する力も残っていないまま、怪物の口腔内へと投げ込まれた。

 

 そして人肉と血で汚れた牙に、全身を細切れに噛み砕かれ殺されるのだろう。

 

 何て、結末だ。

 

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

 どうせ、噛み砕かれるなら。

 

 ちょっとくらい無茶しても構わんよな。

 

 

 

 

 

 ────激痛。

 

「……ぇれ、め」

 

 内臓を弄られる不快感が、嘔吐中枢を刺激する。

 

 自ら傷口を広げる痛みが、カラカラに乾いた目を涙で潤す。

 

「ぇれめん、たる……」

 

 俺は、無事だった左手を動かした。

 

 ぽっかり大穴が開いている右胸の傷口へ、強引に左手をねじ込んだ。

 

 ヌメリ、と血が手に纏わりつき。生まれて初めて触る生温かい臓器に、優しく手を触れて。

 

 肺の空気が漏れているだろう場所を見つけ出し、漏れ穴を塞ぐ為に『肺を握り込んだ』。

 

 

 ────こうして、気が遠くなるほどの激痛と引き換えに、俺は再び発声機能を取り戻した。

 

 

 

 化け物の口腔内、その舌の上。

 

 魔族の硬い外皮も鱗も存在しない、脆弱な喉元に向けて。

 

 

 

「『精霊砲(ぇれめんたるヴぁすたぁ)』ぁ……っ!!」 

 

 

 俺はかろうじて吐き出した空気を、何とか言葉に変換した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、直後の事である。

 

 目がつぶれそうになるほどの熱量を持った光が、怪物の頭を消し飛ばしたのは。

 

 

 

 

 

 この日、初めて。

 

 人類は、魔族に勝利した。


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