駆逐艦雪風の業務日誌   作:りふぃ

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少し長いです。ごめんなさい。
でも少しだけです。ごめんなさい。


佐世保の時雨

第三艦隊が帰港し、雪風達が工廠にて艤装の最終調整を行っている頃……

第一艦隊旗艦の大和は羽黒だけを伴い、自軍鎮守府に帰港していた。

一方で赤城、足柄、五十鈴は工廠部の妖精三割と共に現地に駐留を始めている。

放置した設備の再整備は急務であったし、物資も段階的に運び込まねばならない。

既に第三艦隊の調整が最終段階に入っていると言う事もあり、二箇所の拠点を維持するための準備はそれぞれの部署で進められているのである。

この時大和が帰ってきたのは第二艦隊に羽黒を返し、秘書艦の加賀に中間報告を上げる為だった。

尤も、この時は丁度司令官も第三艦隊の演習先から戻っていたため、報告は直接届けられた。

 

「ふむ……現状例の鎮守府跡の近海に敵勢は見られず、こちらの近海の方が活動が活発と」

「はい。此処か活発というよりも、あちらが静か過ぎるだけでこちらは変わらずと言った所ですが」

「……あ号作戦で掃討した影響でしょうか?」

「あの鎮守府を放棄して、再奪取するまで一月近くが過ぎています。影も形も見当たらないのは不自然に感じますが……」

「ですよね。全く、居なければいない、居ればいたで面倒な事です」

 

大和から受け取った報告書を読み、所々口頭で意見を交換する彼女。

深海棲艦の遭遇率は自軍鎮守府近海が尤も多く、前線基地にした鎮守府跡に近づく程少なくなった。

これが掃討作戦の成果だとすれば喜ぶべきことだろう。

しかし新米提督たる彼女から見ても、深海棲艦の反応の鈍さは不自然に感じた。

あ号作戦時、両鎮守府を結ぶ海路を調べつくした羽黒が案内についていたとしてもである。

 

「羽黒さんは、何か言っていましたか?」

「広い海で偵察機を闇雲に飛ばしても標的を見つけることは出来ない。自分の偵察もあくまで航路沿いを中心として行ったため、海域全体の深海棲艦の密度を測るには時間も偵察機も足らないそうです」

「ふむ」

「ただ、それでも敵が全く見当たらないというのは不気味だと言っていましたね」

「貴女の予想は?」

「何が起こっているかは、大和にも分かりませんが……海域から敵が退いたと言う事は、そんな命令を通せるモノがあるという事です。それもヲ級やタ級まで徹底させることが出来る存在が」

「鬼か姫の発生が予想されると?」

「可能性はあります」

 

深海棲艦は陸上拠点を滅多なことでは作らない。

しかし何事も例外はあるもので、海辺に泊地を築いて駐留部隊を作る場合もあるのだ。

其処はまるで深海棲艦の鎮守府の様になり、多くの場合強力な鬼種、姫種の深海棲艦が発生している。

 

「しかし、その場合って寧ろ深海棲艦は集まってくるんですよねぇ」

「その通りです。鬼や姫が泊地を作るなら、その海域全体に強力な護衛部隊が跋扈する……らしいです。これはまだ、大和には実体験の無い知識ですが」

「かつての海戦記録にもその現象は残っています。逆に敵が退く場合ってなんなんでしょうね……」

 

確保する価値なしとみて放棄したという事だろうか。

そもそも人間と艦娘から見た場合、深海棲艦の価値基準が殆どの場合理解出来ない。

既に深海棲艦が出現して数世代が経過しているが、人類側の利害でその行動原理を推し量るのは不可能と言われていた。

 

「そもそも深海棲艦に、支配とか確保という概念があるんだかないんだか……」

「海で遭遇する相手を沈める……それ以外に共通点と言えるモノが殆ど見当たらないんですよね」

「哨戒部隊を敷いて丁寧に海域を守ってくる場合もあれば、一個艦隊で暴れまわるような連中も多い。今回は司令塔の存在を感じますが、偶々敵の分布に穴が開いただけだったとしても不思議ではありません。可能性としては低いですが」

「不安要素有り……ですが、敵が居るというなら兎も角、居ない事を理由に作戦を中止にする事も出来ないのではありませんか?」

「その通りです。現状不気味ではありますが、私としては此処で決行する選択肢しか取れません」

「了解です。戦艦大和、推して参ります」

 

そう応えた大和に一つ頷き、彼女は提出された報告書に処理済みの印を押して専用のラックに閉じる。

其処で一つ息を入れると、やや居住まいを正して第一艦隊旗艦に向き直った。

 

「大和さん、今回うちの鎮守府に課せられた拠点確保は、規模から考えればやや荷の重い任務でした」

「……」

「そんな命令が通されるのは、陸にいると実感が薄い為です」

「実感……ですか?」

「はい。貴女達艦娘が海上で、弾薬と燃料と血を撒き散らして戦っているという実感です」

「……」

「かく言う私もその感覚を持てたのは、貴女に曳航される大破した雪風を見た後なので、偉そうな事は言えませんが……」

「提督……」

「貴女の仰るとおり、現状敵が居ない事を理由に任務の放棄は出来ません。ですが、不安要素込みの出発になるのは確かです。常にお互いの連絡は絶やさず、危険を感じたら直ちに増援を要請してください。いよいよとなった時は、撤退も許可しますので」

「この拠点確保は、あちらからすれば難易度の高い命令だと思っていない節があります。大和が逃げ帰ったら、提督さん困っちゃいませんか?」

 

肩を竦めて言う大和に苦笑した彼女は、何でも無いように大事を口に出していた。

 

「その時は、私が恥をかけば済む事です。念を押しますが、退き時は貴女ではなく貴女より弱い艦を基準に考えてください」

「っ!? 承知いたしました」

 

彼女の確認は大和の意識の外にあった。

自身は大和型の一番艦として、おそらく全艦娘の中でも最高位の装甲と耐久がある。

だからこそ此処を基準に退き際を探せば味方が誰も残っていない、等と言うことにもなりかねないのだ。

その辺りの確認を双方が済ませたとき、彼女の手元の端末に加賀から通信が入る。

演習海域の使用準備が整った旨の連絡である。

 

「お、始まりそうですね」

「今日は何かあるのですか?」

「第三艦隊の最終調整です。お相手は第二艦隊の駆逐艦三人組……折角ですから、貴女も観て行っては?」

「是非ご一緒させてくださいっ」

 

白磁の頬を紅潮させて身を乗り出した大和に頷いた彼女。

一人と一隻はそれぞれを伴って演習観察のモニタールームに向かうのだった。

 

 

§

 

 

場所は工廠から直接海に繋がる港。

島風と夕立が艤装をまとい、海に繰り出そうとしている。

島風は10㌢連装高角砲の連装砲ちゃん三基に加え、五連装酸素魚雷発射管三基に魚雷十五本。

夕立が10㌢連装高角砲二基に、四連装酸素魚雷発射管二基と酸素魚雷十六本。

二隻を率いる雪風は、まだ準備が出来ていない。

今の雪風はそれ所ではなく、三角座りで床に『の』の字を書いている羽黒に謝っていた。

 

「羽黒さーん。どうか、どうかご機嫌直してくださいよぅ……」

「良いんです。寂しいなんて思っていないです。はぶられちゃったなんて思ってないです……皆さん仲よろしくて良いですよね……ぐすっ」

「は、羽黒さんだって大好きですよ! でも何時戻られるか分からない状態でしたし、駆逐イ級対策って言っちゃったもんだから、今更こっちの戦力増やすわけにも……」

「あー雪風が羽黒泣かせたー」

「島風うるさいです! ってか羽黒さんが居ない時に演習って言い出したのは島風じゃないですかっ」

「あたしはする? って聞いただけだもーん。あんただって乗り気だったし、実際申請したのは旗艦じゃん」

「こ、このっ……あぁ、羽黒さん本当にごめんなさい。埋め合わせは雪風に出来ることでしたら何でも! もし足らなければそのウサギも、旗艦権限で強制的に使いますので」

「はぁ!?」

 

強権を発動させた雪風に食って掛かる島風だが、後ろから夕立に抑えられる。

島風は不満そうにしながらも一応は大人しくなった。

程度の差こそあるものの、、羽黒が居ない時に演習を決めてしまった事への罪悪感は共通している。

羽黒は座ったまま肩越しに振り向き、さらに器用に小首を傾げて雪風と目を合わせた。

 

「いま、何でもっていいました?」

「あ……えっと……」

「言いました?」

「あ、あい、言っちゃったと……あ、だけど今減俸中な上に大和さんのお見舞いとかで出費が……あまりお財布に苦しい事ですと……島風が泣くだけだから良いんですが」

「待って! 幾らなんでも旗艦に部下の財布まで徴収する権限はっ……」

「まぁまぁ島ちゃん。あたしも半分出すから大人しくしてるっぽい」

「あの……別に皆さんにたかるつもりって無いんですけど……」

 

深いため息と共に立ち上がる羽黒。

それだけで目線の上下は簡単に入れ替わる。

駆逐艦トリオは羽黒の肩程までしか身長が無い。

妹が出来たみたいだとは、前から内心思っていた。

元が末っ子の羽黒にとって、それは胸を内側から暖めてくれる思いである。

 

「それじゃあ、私に悪いって思うなら、皆さんの格好いいところを見せてくださいね?」

「も、勿論です。羽黒さんが思わず惚れそうなくらい格好いい砲雷撃戦をお見せしますっ」

「五連装酸素魚雷を取り戻したこの島風に敵は無いわ! 見てなよ羽黒。全員あたしが吹っ飛ばして来るんだから」

「他の二隻は良いけど、時雨姉だけは夕立にまわすっぽい」

「まぁ、基本方針は山城さんに仕事をさせない事です。瑞雲と35.6㌢砲は回避に徹してやり過ごし、時雨と矢矧さんを先に潰します」

「山城は夜戦?」

「はい。ぽいぬちゃんの火力で軽い艦を昼間に落とし、こちらが二隻以上残して夜戦に入れれば勝ち確定です」

「っぽい」

 

この期に及んで雪風は揮下の艦隊に区々たる戦術を指示するつもりはない。

方針を伝えておけば、その様に持っていくために尽力してくれるとの信頼がある。

 

「そういえば、あんたさっさと準備しなよ?」

「むぅ……何持ち込むか迷ってるんですが……まぁ、コレにしましょうかねぇ」

 

雪風が選んだ艤装は、10㌢連装高角砲に四連装酸素魚雷発射管二基と酸素魚雷十六本。

そして探照灯という、本気の夜戦装備である。

 

「さて、それではちょっと着替えてきますね」

「あん?」

「ほら、雪風の服って白じゃないですか。コレより陽炎型の正装の方が夜戦向きなんですよ」

 

雪風の言葉に顔を見合わせた夕立と島風。

雪風が同じような服を何着も揃えている事は知っているが、柄を変えたことは無い。

任務中でも曲げなかった服装を初めて変えた。

たったその程度の差すら結果を左右しかねないと考えるほど、雪風は相手を警戒している。

二隻の駆逐艦が気持ちを新たにした所で、港には第三艦隊のメンバーがやってきた。

 

「やぁ雪風。君は今から準備かい?」

「どうもです時雨。演習、連戦になって悪かったですねぇ。補給は大丈夫です?」

「うん。問題ないよ」

「そうですか。ちょっと雪風は着替えていきますので、お先にどうぞ」

 

そう言った雪風は、一旦自室に向かうために歩き出した。

二隻の旗艦がすれ違う。

 

「雪風」

「ん?」

 

背後から呼び止められ、肩越しに振り向いた雪風。

時雨も同じように肩越しに振り向いていた。

お互いに、目が全く笑っていない。

 

「君と競えるなんて嬉しいよ……アリガトウ」

「……ドウイタシマシテ」

 

硬い声を交し合う二隻。

着替えてくると言った雪風の意図は、時雨には直ぐ理解できた。

おそらく暗色で闇に溶け込めるモノを着てくるのだろう。

時雨の謝礼は演習相手になった件ではない。

雪風が本気で戦う事を選択した事に対して口をついた言葉だった。

艦娘として二度目の生を受けて以来、初めて自分の限界を試される程の戦いが出来る。

雪風が再び歩みだし、羽黒も一礼して雪風について鎮守府内部に向かう。

第三艦隊のメンバーと島風も、海に出るために次々と入水していく。

 

「時雨姉……」

「夕立。君は可愛い妹だけれど、今回は一敗を覚悟しておいて」

「……今のあたしに勝てると思う?」

「ん? もしかして、君は僕に勝てるほど強くなった心算なのかい……まぁ、どうでもいいけれど」

 

気負うでもなく、急くでもなく、ただ眼中に無いことを淡々と告げる時雨。

その態度は夕立の癇に障ったが、演習が始まってしまえば存分に戦える。

姉の澄ました態度と舐めきった認識を、強制的に修正してやるだけの力はつけたつもりの夕立だった。

 

「それじゃあ、僕達も行こうか。始まる前に話せて良かったよ」

「あたしはカチンと来ただけっぽい」

「ふふ、ごめんね夕立。じゃあ、そんなお姫様のご機嫌を直して差し上げようか」

「っぽい?」

「良い事を二つ教えてあげる。一つは白露姉さんに会った事。夕立の事を話したけれど、息災と活躍を喜んでいたよ」

「っぽい!」

 

白露の名を聞いた夕立の表情が明るく輝く。

そんな妹の頭をぽんぽんと撫で、穏やかに笑った時雨。

続けて二つ目を告げる。

固まった夕立に対して片目をつむり、時雨はさっさと海にでる。

完全武装の艦娘が海に入るとき、自重と艤装の重さの変化を体幹でしっかりと捉えてからでなければ動けない。

前世の様な広い船底ではなく、二本の足で海に立つ艦娘は転覆のリスクが嘗ての比ではないのである。

しかし時雨は港の先から入水する際、静止する所か歩幅すら変えず、何事もない様に歩き続けた。

それがあまりに自然だった為に、夕立はその異常性をこの時認識出来なかった。

 

 

§

 

 

演習海域に集まった時雨達第三艦隊と、雪風を除く駆逐艦トリオ。

既に両軍は自軍陣地に待機し、取るべき戦術を纏めていた。

尤も夕立と島風は既に雪風に方針が示されているため、主に話し合っているのは第三艦隊である。

 

「旗艦殿。基本戦術はどうなさいます?」

「駆逐艦の弱点は装甲と、積める艤装の制限からくる射程の短さだよ。其処を突かない手は無いね」

「瑞雲で先制して、山城さんの主砲で勝負……って所?」

「あぁ。山城の砲撃を掻い潜っても、今度は矢矧の主砲が先に届く。一方的に撃ち込める間合いをどれだけ長く確保出来るかが、勝負所になるんじゃないかな」

 

時雨は口には出さなかったが、射程に付随して火力不足という弱点もある。

駆逐艦の砲撃で戦艦山城の装甲を撃ち抜けるとも思えないが……

この時、時雨は妹の姿を思い出していた。

先程の夕立は明らかに雰囲気が違っていた気がする。

海の上で敵として向き合ったことはまだ無いが、時雨の危険信号は尋常では無い警戒を要求して来た。

艦娘は小さな艦種ほど、相手の違和感に敏感になる。

これは山城や矢矧がどれ程注意を払ったとしても気付かない事かもしれない。

同じ人型をしているとはいえ、巡洋艦や戦艦から見れば駆逐艦とは基本性能が違う。

しかしそんな小船の中に、異常体が紛れ込んでいる場合があった。

 

「瑞雲の運用もそこそこ慣れてきたし、砲撃もコツが分かってきた……もう、欠陥戦艦とか言わせないしっ」

「それは結構だね。だけど雪風達と戦う時、瑞雲は夕立以外に向けないで」

「え? なんでよ」

「意味が無いからさ」

 

山城が運用する瑞雲は二十機。

駆逐艦を倒すには十分な爆撃が出来る数だが、当たらなければ意味が無い。

島風にしろ雪風にしろ、時雨にはたった二十機の瑞雲に捕まって被弾するイメージが全く沸いて来ないのだ。

 

「でも、島風は四十ノットの化け物よ? 艦載機以外であれを捉えるなんて無理じゃない?」

「そんな事はないよ? たった四十ノットじゃないか」

「……は?」

「たった四十ノット……時速74㌔強だって言ったのさ」

 

驚いたように時雨のほうに顔を向ける山城。

苦笑した時雨は、山城の勘違いを修正する。

 

「島風は、確かに速いよ。でもそれは船速ならの話さ。あれより早いものなんて幾らでもある。機銃、砲弾……酸素魚雷だって島風より十ノット以上の速度が出るよ。決して捉えきれない速さではないんだ」

「……」

「納得が行かない?」

「……ええ」

「島風は実際に四十ノットで避けている訳じゃないんだよ。あれの本領は巧みな操船と、変速さ」

「あ、そうか……そうよね」

「しかし旗艦殿。島風は無視するの?」

「いや、実際戦域を走り回ってかき回されるのは厄介だ。大口叩いた責任を取って、昼間は僕が抑える。矢矧は雪風を任せて良いかな?」

「了解しました」

「すると、あたしが夕立相手?」

「あぁ、僕と矢矧が入れ替わることがあっても君の相手だけは絶対に変えられない。山城と夕立が接敵出来るかどうかで僕達の勝敗が決まると考えてくれて良いよ」

 

山城と矢矧はこの鎮守府に赴任して以来、慌しく演習をこなして来た。

しかしあ号作戦中に建造された時雨は、鎮守府に蓄積された様々な資料を閲覧する時間があったのだ。

その中には第一艦隊と第二艦隊の演習記録も含まれている。

時雨は妹が最後の一戦で見せた砲戦火力を警戒しないわけには行かない。

雪風も、夕立の火力は活かしたいと思う筈だった。

夕立が尤も力を発揮するのは、先手必勝と一発必中と一撃必殺が噛み合った場合である。

軽巡洋艦以下の艦に対して先制からの一発大破、轟沈を繰り返し続ける時にこそあの火力が活かされる。

其処まで考えたとき、時雨には雪風が取るべき戦術が読めた。

 

「おそらく雪風は日中に僕と矢矧を夕立に掃除させ、山城を夜戦で落とそうとするだろうね」

 

護衛艦を砲戦で潰して、夜戦で本命の戦艦を仕留める。

成功すれば絵に描いたような砲撃、水雷戦が展開されるだろう。

しかし改めて時雨が戦慄するのは、雪風の描く展開を実際に阻止する手段が思いつかない事だった。

第三艦隊は装甲と火力において圧倒的な航空戦艦山城を擁しているが、その反面で艦隊速度は非常に遅い。

艦隊として連動を図るなら山城の速度に合わせなければならないし、その場合艦隊の行動速度は最大で二十四ノット程度。

対する雪風達は尤も遅い夕立すら三四ノット。

誰が誰に接敵するかと言う選択肢は相手に与えられていた。

 

「……参ったね」

 

相手の取る戦術は読めるのに、有効な対処法が無い。

雪風と島風は第三艦隊三隻が同時に襲い掛かってもそうそう被弾などしてくれない。

夕立を囲もうとしても、残り二隻が阻止してくる。

単艦でなら夕立を捕らえられる時雨と矢矧では、夕立の火力が尤も効果的に発揮される。

やはり山城に夕立を抑えてもらうしかないのだが、雪風は絶対にこの対決は許さないだろう。

射程距離の優位性にモノを言わせて雪風達を寄せ付けないと言う当初のプランも、結局相手が向かってこなければ意味が無い。

時間を稼がせる訳にも行かなかった。

両艦隊に損害がなく、全員無傷のまま夜戦に突入してしまえば不利なのは時雨達である。

何しろ山城は艦娘になってからは夜戦の経験が一度も無い。

その点は時雨も同様だが、艦娘として生まれた時の知識と前世の実戦経験。

そしてこの生身の身体の動かし方の延長線上に、夜戦の動きも織り込まれている。

染み付いていると言ってもいい。

 

「こちらが纏まって行動していれば、速度で勝る雪風達に選択肢を与え続ける事になるよ。だから先ず、僕と矢矧で雪風と島風を抑える。そして夕立を瑞雲で切り離して、山城と一対一に持ち込んで邪魔は入れさせない。此処まで出来て、やっと五分の勝率……と言える状況が作れるんだ」

「……随分都合良く行かないと苦しいのね」

「其処まで上手くいくでしょうか……」

「僕達がやれる事を全て完璧に出来たとしても、まだ勝ち目の薄い相手と言う事さ。この上は、相手が何処かで失敗してくれるのを祈るしかないね」

 

……もしくは、失敗させるかである。

時雨はなるべく自然を装って山城と向かい合う。

そして視界の端ギリギリで夕立の姿も収め、こちらを見ていることも確認した。

内心げんなりしながらも、時雨は一つ覚悟を決める。

今この瞬間、この場に雪風が居ないのは最大の幸運だった。

 

「山城」

「ん……痛っ!?」

 

時雨は山城の髪を掴むと、やや乱暴に自分の顔に引き寄せた。

頬と唇が接触しそうなほどに近い距離。

それは遠くから見た時どう映ったか。

 

「しぐっ――」

「三つ数えて、その後嫌がって突き放して」

「……え?」

「ほら早く」

「っ!」

 

半ば本気で、半ば言われるままに時雨を突き飛ばした山城。

離れた時雨は満足そうに微笑むと、大げさに自分の唇を袖で拭う仕草を見せた。

 

「ありがとう山城。コレで多少は楽になるよ。多分だけど」

「時雨……私は貴女が何を考えているのか、偶に本気で分からなくなるの……」

「何時もは君が扶桑と再会を果たして幸せになってくれる事ばかり想っているよ。だけどごめん。今はこの勝負で善戦する事しか考えていない。この鎮守府で僕たちの居場所を作るために、これは絶対に必要なことさ」

 

山城と矢矧は顔を見合わせ、お互いの顔の中に疑問の表情を見出した。

演習の実践面では成果の上がらないように見える時雨。

しかし前段階の戦術立案は非常に的確であり、その点は既に山城も矢矧も信頼している。

実際に二隻は雪風の戦闘プランを予測するには至らなかったし、こうして説明されても対処法が思いつかない。

時雨に考えがあるというなら、それに従うしか無い事も分かっている。

しかし今回のように、時雨の言葉と行動が全く噛み合っていないと感じる事も多いのだ。

そこに小さな不審を芽生えさせ、山城は時雨に身を寄せる事を躊躇する。

山城は無意識に時雨に引っ張られた髪を手で抑えた。

 

「……」

 

自分にとても優しい時雨。

自分にとても怖い時雨。

矛盾しているようだが、最近気づいた事がある。

どちらの時雨も、山城に嘘を吐いたことが無い。

言動に矛盾を孕みながらも嘘を感じられないからこそ、何を考えているのか分からないのだ。

第三艦隊の中に気まずい空気が流れる中、最後の一隻が演習海域にやってきた。

 

『みなさーん。お待たせいたしましたー』

 

広域無線で雪風の声が響く。

演習海域に集った艦隊。

そしてモニター室の大和達。

その誰もが声の主に注目する。

白のブラウスと手袋に黒のベスト。

そしてベストと同色のスカートは、陽炎型駆逐艦の正装である。

雪風は急いで島風達と合流し、艦列に加わった。

 

『やーまとさん。雪風は、何処かおかしく無いです?』

『とても、とても可愛らしいですよ』

『良かったです。予備があるので今度ペアルックでお散歩行きましょう』

『ふぁっ!? さ、さいずは……』

『もちろん雪風の予備ですからこのサイズですよー』

『それぱっつんぱっつんになりますよねぇ!?』

『……大和さんは、雪風と一緒はお嫌いですか?』

『すっごい魅力的ですけどっ、分かっててしょんぼりして見せるのはずるっこでしょう!?』

『あははー』

 

雪風は大和をからかいながら、視線と首の仕草で島風と配置を決めていく。

雪風は右翼。

夕立を中央に配置し、島風を左翼に据える単横陣。

対する第三艦隊は、前衛から時雨、山城、矢矧の順で並んだ単縦陣だった。

 

「開幕で両翼が三十五ノットで前進して接敵します。ぽいぬちゃんはどちらの脇を通ってもいいので、山城さんを避けて時雨と矢矧さんをしばいて下さい」

「……っぽい」

 

雪風は僚艦に違和感を覚えたが、自分の後着によって演習を待たせていた事から突っ込むのを止めた。

夕立は時雨しか見ていないが、夕立と時雨が接敵するのは基本戦術に織り込んだ過程である。

多少熱くなったとしても、時雨を無視して山城に突っかかったりしない限り不利にはならない。

両艦隊は所定の位置に就き、旗艦からモニタールームに編成完了の合図を送る。

 

『それでは、始めてください』

 

司令官の声が無線に響く。

雪風と時雨。

二隻の幸運艦に率いられた艦隊が動き出した。

 

 

§

 

 

この鎮守府が指定している演習海域は、半径約五万㍍にして直系十万㍍程の円形に近い区域である。

あまり広く取ると深海棲艦の活動域に寄り過ぎてしまう。

演習海域は確実に安全で無ければならず、広さとしては不満でもこの中で戦うしかない。

時雨達は北側から南下する形で進撃している。

その速度は山城に合わせた二十二ノット程。

一糸乱れぬ行動で前進する第三艦隊。

それに対し、北上する雪風達の艦列は混乱していた。

 

『っちょ!? 夕立早いってぇ!』

『え……え? 雪風が追いつけないって……ちょっとぽいぬちゃん! 無理しないでっ』

 

白露型駆逐艦。

それは雪風達陽炎型や島風型と比べて旧型であり、その速度スペックは三十四ノット程。

しかしそれはあくまで安全に出せる最大速度であり、艤装と動力機関の消耗を無視した速度はもっと速い。

夕立は三十五ノットで前進する両翼を置き去りにし、無心で海を駆け抜ける。

徐々に遠くなる夕立の背中を見ながら、自身も急いで海を往く雪風。

不意にその脳裏にある可能性が過ぎり、思いついた瞬間にそれが正解だと確信した。

 

『しぐれええぇっ! おまっ、うちのモンに何吹き込みましたかぁっ!?』

『山城に心無い暴力を振るってしまったけれど、それはこちらの問題だよね』

『はぁ!?』

『あ、後は僕が先陣を切るってうっかり教えてしまったね。可愛い妹が知りたがっている気がしたから……本当に姉妹の情とは、厄介だよ』

『このっ』

『……この程度で足を取られてくれるなよ雪風。相手の弱い所から崩すなんて当たり前じゃないか』

 

言いたい事が多すぎ、とっさに言葉に詰まった雪風。

内心では時雨の発言が敵として正論なのは理解した。

勿論納得などしていないが。

 

「……やってくれましたねぇ」

 

総合的な戦力の部分で、雪風達は第三艦隊に及ばない。

其処を覆すのは三隻の効率的な連係であり、夕立を釣り出された瞬間に雪風の描いた勝算は崩壊する。

第三艦隊は時雨、矢矧が最大速度に加速し、山城から瑞雲が解き放たれる。

雪風は島風に指示を出そうとし……止めた。

島風は雪風の無言の要求を感じ取り、既に夕立の暴走速度を更に上回る速度で追いかけている。

 

「……三十七.五ノットって所? 良い足してんじゃないぽいぬの癖にっ」

 

無線に乗せず呟いた島風は、瞬く間に先行する夕立に追いついた。

そのまま抜き去り、さらに進路をやや右寄りにとって夕立の進路に被せる。

夕立の前進を押し留めると同時に、その盾になるために。

追いかける雪風がやや安堵して息をつく。

夕立は高火力の反面で防御と回避は熟練駆逐艦の域を出ず、援護なしで第三艦隊とぶつかれば一蹴される恐れがあったのだ。

最初に接敵するのが島風ならば、敵も簡単には落とせない。

しかし時雨は苦心して築いた優位を簡単に手放す心算はなかった。

 

「ねぇ島風……気付いているかい?」

 

元から先頭に位置し、さらに最大速度で前進してきた時雨が、敵先頭の島風と接敵する。

双方が駆逐艦であり、主砲の射程はほぼ同じ。

お互い前進しつつ向き合って砲火を交える反航戦。

10000㍍を切った所でこの演習最初の砲火が放たれる。

 

「弱点と呼ぶのもためらう様な、小さな小さな君の癖……」

 

初弾にも関わらず、常識外の正確さでお互いの座標に吸い込まれる砲弾。

島風は何も考えずに軽々と回避する。

時雨の予想した通り、夕立から離れて本来の航路に戻る方向の左旋回によって。

間髪居れずに時雨は右旋回で島風の砲撃を回避した。

反航戦で向き合って、左右に回避すれば航路が重なる。

 

「おぅっ!?」

 

実戦ならいざ知らず、演習の島風は最初の回避方向に癖がある。

誰よりも早く海を翔る事を愛する島風は、演習海域の外枠に寄ろうとするのだ。

より長い距離を走るために。

時雨は過去四回の第二艦隊の演習記録から、その癖を知っていた。

 

「っちぃ!」

 

衝突を回避するため、島風は驚異的なボディバランスでさらに加重を左に寄せる。

敵前回頭は危険だったが、この時は時雨も衝突回避の為に動力全開でブレーキを掛ける事に手一杯。

さらに時雨は減速しながら左舷に進路を修正する。

島風が自身に出来る最小半径の回頭と砲雷撃を警戒した回避運動を同時に成立させた時、時雨はその側面5000㍍の位置についていた。

島風は演習海域の外円から中を見る。

夕立に二十機の瑞雲が群がり、60㌔爆弾による第一次爆撃が展開されていた。

雪風が追いついて割って入ろうとするが、速度ではほぼ互角の矢矧がカットする。

そして瑞雲の攻撃で小破した夕立の前面に、とうとう航空戦艦山城が立ち塞がった。

接敵は、第三艦隊の望む形で完成される。

島風が中の戦場に参加するには、時雨を突破して切り込まなければならない。

しかし演習海域の外側に押し付けられる形の島風は、内側の時雨より長い距離を駆け無ければ振り切れなかった。

そして島風は最速の四十ノットで走る続けることも出来ない。

時雨と砲撃戦を展開するなら、速度に変化をつけてその照準を少しでも狂わせなければ簡単に命中を取られるだろう。

 

「こりゃ……雪風がガチで警戒するわけだ」

 

ほろ苦く呟いた島風。

何時もは軽口を叩き、喧嘩もする相棒の実力は誰よりも認めている。

そして今、嘗てそんな雪風と同列に扱われた相手が目の前にいた。

思えば雪風は時雨を好いているようには見えなかったが、その実力は欠片も疑っていなかった。

雪風からの強さへの絶対的な信頼こそ、今の島風が最も欲しいもの。

正直羨ましかった。

そして、気に入らなかった。

 

『さぁ、君の大好きな駆けっこと行こうじゃないか』

『……上等じゃない。来れるもんならついてこい!』

 

島風と時雨。

二隻の駆逐艦は同時に水面を蹴りつけて加速する。

双方を射程に捉えつつ、平行して動く同航戦。

駆逐艦としてのオーバースペックを地の利と駆け引きで縛られた島風だが、この点はあまり気にならない。

前世では自分の知っている戦いなんて、皆こんな感じだった。

やりたかった事が存分に出来た記憶など殆ど無い。

他人が聞けば意外に感じるかもしれないが、島風は辛抱する事には慣れている。

 

『雪風ぇ! 指示は!?』

『強く当たって、後は流れでお願いします』

『了解!』

『……なんだいそれは』

 

互いに砲火を交換しつつ、そんな会話を交わす雪島コンビ。

多くのものにとって意味不明のやり取りだったが、島風には通じている。

雪風は、時雨を縫い止めて引きずり回せ、中の戦闘は何とかするからお前は夜戦まで持ち堪えろと言ったのだ。

同航戦を展開する二隻の砲火は、時間と距離に比例してその激しさを増していった。

 

 

§

 

 

演習をモニターで見ていた加賀は、感心したように呟いた。

 

「この状況、演出が第三艦隊旗艦の指示だとすればお見事ね」

「これってやはり雪風達が不利なんですか?」

「えぇ。第二艦隊にとって絶対に避けたかった組み合わせだと思われます」

 

彼女の疑問にそう答えた加賀は、改めてモニターを見る。

夕立は足が止まった所を山城に捕まり、援護に行った雪風は矢矧と交戦。

島風と時雨は演習海域の縁を沿う様に同航戦を展開している。

無線を使った声も拾っているため、加賀が言ったように時雨の描いた構図なのは間違いないと思われた。

加賀の隣で同様にモニターを観ている羽黒は、やや心配そうに両の手を胸元に組んでいる。

そして羽黒の隣では大和が食い入るように画面に見入っていた。

 

「嬉しそうね、大和さん」

「……嬉しそうに見えました?」

「ええ。苦戦しているのは、貴女の好きな子だけれど……」

「んー……嬉しいっていうかですねぇ」

 

考え込むように天井を見つめる大和。。

モニターでは矢矧の主砲の射程に押し込まれ、徐々に後退する雪風が居る。

再びモニターに視線を落とし、大和は雪風達が追い込まれる状況を確認する。

 

「状況からどうやって逆転決めてくれるのかなーって、気になるじゃないですか」

「このまま押し切られて終わり……そんな可能性が一番高いと思うわよ」

「加賀さん。同数の艦隊戦で雪風の部隊に勝つって、ものっっっっ凄い大変なんですよ……」

 

雪風がこのまま負ける可能性を欠片も考えていない大和。

しかし同艦隊の羽黒すら、此処から挽回するのは苦しいと思っている。

形勢とは一度傾いたら簡単には戻せない。

一度劣勢に陥れば、その坂はますます傾斜を深めていくものである。

此処から第二艦隊が状況を逆転する手があるのだろうか。

少なくとも、加賀と羽黒には思いつかなかった。

 

「私も、大和さんと同意見なんですよね」

「提督?」

「私は海戦の機微とか分からないんですが……やっぱり雪風が指揮する部隊って簡単に負ける所が想像出来ないんですよ」

 

彼女が思い出すのは、第一艦隊と第二艦隊の最後の演習。

旗艦が羽黒から雪風に戻った第二艦隊は、見違える程の働きを示して第一艦隊を追い詰めた。

彼女はソレまで一度も自軍の演習を直接観察したことは無かったが、あの演習は観ていて胸が躍る戦いだった。

その時のイメージが強かったせいもあるかもしれない。

そんな大和や彼女の期待とは裏腹に、戦っている当人達はそれどころではなかった。

特に夕立は全身を包む倦怠感に常の艤装すら重く感じ、山城から撃ち込まれる砲弾の回避にも精彩を欠いていた。

 

「やらかしたっぽいー……」

 

演習が始まったら時雨を殴る。

夕立はそれしか考えていなかった。

一応雪風の作戦も聞こえていたが、自分の考えとも相反する所はなかった。

自分が時雨を殴る事こそ、旗艦が示す戦術とも一致する。

しかし蓋を開けてみれば自分は何故か山城と向き合ってしまっていた。

夕立が正気に戻ったのは、進路に割り込んできた島風の遠い背中を見たときだ。

その時やっと夕立は先行するはずの雪風すら追い越して突っ込んだ事を知った。

夕立は自分がスペックを超える無理をしている事に気付いていなかったのだ。

自分がどんなに頑張った所で雪風や島風に追いつけるはずが無い。

だから全力で突っ込めば良いと思っていた。

夕立にとって不運だったのは、自分がテンションによるコンディションへの影響を受けやすい事を自覚していなかった事だろう。

夕立は自分がやりたい事をやれる時、その強い精神が比較的簡単に身体を凌駕出来てしまう。

そして今、身体の性能の限界を超える速さを無意味に発揮してしまった夕立は、その代償を疲労によって償う事になった。

 

「うー……うぅー……っ」

 

山城の砲撃は、夕立から見ても狙いが甘い。

五十鈴と一対一の演習を散々やり込んだ経験もある。

しかし疲労は夕立から集中力を奪い去り、発射からの着弾予測と回避までの判断を遅らせる。

結果余裕を持って避けられる筈の砲撃が何度も身体の近くを掠め、損傷の判定が蓄積していく。

戦艦の主砲は五十鈴の20.3㌢砲より着弾の攻撃範囲が遥かに広く、この点も夕立の不利に働いた。

 

『夕立、粘ってくださいっ』

『っぽい!』

 

簡潔な広域無線で呼びかける雪風。

その声を聞いた夕立の瞳に生気が戻る。

既に挽回しようの無い失態を見せているが、このまま落ちたら本当に良い所が無い。

山城は第三艦隊の最大戦力。

それを自分が足止めしている。

一分でも一秒でも長く持ちこたえれば……

 

『雪ちゃんがまた、えろい事考えるっぽい!』

『おいぃ! その発言は誤解呼びますよっ』

 

夕立は重い身体に鞭打って顔を上げ、山城の砲撃を大きく避ける。

撒き散らす衝撃波の破壊力が届かない位置までの回避。

夕立が駆逐艦の小回りと反応の速さから成立する回避を取り戻したのを見て、雪風は一先ず安堵する。

しかしその雪風も、射程外から一方的に撃ち込まれる矢矧の主砲に辟易していた。

雪風の射程距離は15000㍍も無く、矢矧の射程は20000㍍を上回る。

艦種の性能差で押し込まれるのは理不尽だが、生まれに文句を言っても仕方ない。

雪風は自分の射程に矢矧を捕らえるために前進しようとするが、火力の壁に押し返されるように後退を繰り返す。

夕立と島風の戦闘を見ながら、少しずつ……少しずつ……

 

『いい加減落ちなさいよ!』

『冗談! 夕立は簡単に負けないっぽいっ』

 

砲撃でダメージが取れなくなってきた山城は、上空に旋回待機させていた瑞雲に第二次爆撃の指示を出す。

再び夕立に殺到する瑞雲。

ソレをみた雪風は、矢矧の砲撃に押し込まれる様に潰走を始めた。

 

『逃がさないわよ雪風!』

『弱いもの苛め反対ですよぅ』

『お黙りっ』

 

矢矧は最大船速で雪風を追尾しつつ、その進路を妨害するように回りこんだ。

これは潰走に見せかけた転進であり、島風と一緒に時雨を挟み込む動きと読んだ為。

実際このまま雪風が走り続ければそうなっていただろう。

事前にその事を読み取り、時雨への進路を遮るように動いた矢矧。

しかし後ろから追い抜いた後に距離を取り直すことは出来ず、今度は双方の主砲が届く距離で向かい合う事になった。

 

『お見事ですねぇ』

『……ありがとう』

『じゃあ、ご褒美に手品をご覧にいれましょう』

『手品……っ!?』

 

雪風の10㌢連装高角砲が立て続けに発射される。

その砲撃精度は矢矧の回避能力の限界を超え、二発の被弾を許し小破判定を下される。

矢矧も15.2㌢連装砲を撃ち返しているが、雪風は全く被弾しない。

嫌な感覚が矢矧を襲う。

自分が艦であった頃に感情など無かったが、艦娘になった後で当時を思い出す事はある。

坊ノ岬で被弾し、遅れる自分。

無数の敵機と戦う大和と、歴戦の駆逐艦達。

圧倒的な錬度を誇る武勲艦との力の差は、何も出来ずに被弾していく自分と相まって矢矧の心に影を落とした。

現世において艦娘となり、そんな嘗ての自分を乗り越えて今度こそ全てを守りたい。

その為の力が欲しくて、矢矧は必死に戦ってきた。

そうやって積み上げてきたものが、雪風に通じないのではないか……

背中に嫌な汗を自覚する。

矢矧が怯んだ数秒の空白。

雪風は手にした10㌢砲を掲げると、遥か真上に向けて一発放つ。

その意味が分からない矢矧は威嚇かと身構えたが、直ぐに横合いから旗艦の声が響いた。

 

『山城っ、瑞雲!』

『え……あっ!?』

 

演習の開幕において、第二艦隊はほぼ全速で北上して来た。

対する第三艦隊は、最初の移動は二十二ノットである。

その為演習海域をより多く進んだのは第二艦隊であり、その背後には広い空間が出来ている。

山城は瑞雲の第二次爆撃と抱き合わせて着水地点をその海域に指定していた。

今だ航空管制に万全の自信が無い山城は、瑞雲をなるべく広い場所に降ろしたかったのだ。

しかし今、山城が指示した場所は潰走する雪風と、それを追い駆けた矢矧による戦場と化している。

雪風が無造作に見える仕草で空に放った対空砲火は、一機の瑞雲に命中して墜落させた。

大破判定の瑞雲は封印された妖精ごと山城の艤装に戻される。

 

「引きずり……こまれたの?」

 

呆然と呟く矢矧。

しかし追い駆けなければ雪風は島風と時雨を挟み撃ちにしていたろう。

行かないわけにはいかなかった。

一方、瑞雲の呼び戻しと着水地点再指定に手間取る山城。

その間隙に夕立が猛然と踏み込むと、遂に彼我の距離を12000㍍まで詰める事に成功した。

たった一つの甘い判断を雪風に利用され、夕立に立て直す隙を与えてしまった。

既に中破判定を受けた夕立だが、やっと反撃できる距離に入れた事が気持ちを弾ませている。

10㌢連装高角砲を両手に二つ。

背筋に冷たいものを感じた山城は避け切れないと判断し、盾を構えて受け止める。

腕に伝わるのは重巡洋艦の主砲に匹敵する衝撃。

一発で飛行甲板を中破させられた山城は陰鬱な声を、しかし上気した顔で絞り出す。

 

「何よこれぇ、駆逐艦? 腕が痺れたじゃない……不幸だわ。不幸……だけどさぁ!」

 

この飛行甲板は、工廠部部長が苦心して作った盾である。

耐久テストでは山城の元からの艤装に匹敵する強度があった。

そんなものを一発の砲撃で、駆逐艦が中破させてしまった。

化け物である。

しかし、そんな化け物が時雨や矢矧の所に行かないで済んだ。

それは結構悪くない気がする山城だった。

相手の最大火力を装甲で耐え、こちらの最大火力で粉砕する事こそ大戦艦巨砲主義の華だろう。

今自分がやっている事こそ正にそれだ。

何だかんだ言って、時雨は何時も海戦では自分に華を持たせてくれる。

山城に搭載されたあらん限りの35.6㌢連装砲と、15.2㌢単装砲が夕立に向けられた。

 

「……身体か艤装に当てられればなぁ……あの甲板邪魔っぽい」

 

そう呟いた夕立だが、その顔に諦めの色は無い。

自身も10㌢連装高角砲を構え、真っ直ぐに山城と向かい合う。

一つの局面で決着が近いことが予感され、モニターで観戦している殆どがこの対決に注目する。

更には戦闘中の両艦隊のメンバーも、一瞬其方に視線を送った。

今雪風を見ているのは、モニタールームの大和のみ。

 

「だから手品を見せて差し上げるって言いましたのにぃ」

 

観ていてくれないんだから。

雪風は口元だけで微笑すると、その身をくらりと傾けた。

眩暈でも起したように小さく仰け反り……

背負った艤装の重心を背面に滑らせ、手にした主砲の振るう事で体幹の重心を回転させる。

同時に膝を脱力させ、身体の中で浮いた重さが足に落ちるまでの半瞬で身を翻した雪風。

それは人間が陸上で行うのであれば難しい事など何も無い。

しかし完全装備の艦娘が海上でやるのは至難である。

重い艦が、予備動作も殆ど無いままその場で180度回頭したのだ。

 

「え?」

 

矢矧は視界から雪風を逃していない。

その焦点を一瞬、夕立と山城の戦場に合わせただけだ。

視界の中で雪風が僅かに揺れ、即座に意識は雪風に戻した。

その時には、既に雪風は矢矧に対して海面に座り込むように背を向けていた。

 

『―――――っ!』

 

矢矧が広域無線で山城を警告を発す。

しかし全砲門の一斉射を敢行していた山城の周囲は轟音が鳴り響き、その耳には届かなかった。

同時に夕立の10㌢連装高角砲も発射される。

二隻の佇む海上の座標で大きな水柱が上がり、モニタールームでは夕立の大破判定と山城の小破判定が確認された。

 

「勝った……ぁ?」

 

呟いた山城の表情が引きつった。

夕立に着弾した練習弾が上げた水柱。

その水のカーテンを切り裂き、喜色満面で突っ込んで来る駆逐艦が一隻。

はっきり言って怖かった。

 

『さぁ山城さん。だぁい好きな魚雷さんですよぉー』

『ひぃっ!?』

 

雪風が宣言通り、四連装酸素魚雷発射管から四射線の魚雷を泳がせる。

その魚雷を追い駆けるように襲い掛かかる雪風。

 

「……化け物か?」

 

遠くなる背を追い駆けながら、呆然と呟く矢矧。

戦闘開始当初、時雨が作った状況は完全に自分達を優位にしたはずだった。

これ以上無いと言える程、必勝の体勢に持ち込めた。

その優勢がどんどん削られていくのが分かる。

自分が雪風を抑えきれなかった為に。

奥歯を噛んだ矢矧は、それでも主砲を放ちながら雪風を追う。

自身だけでは落とせなくとも、山城と挟み込めば可能性がある。

一方、山城は迫る魚雷と雪風自身を見つめながら妙な既視感に捕らわれていた。

その感覚に急き立てられるように山城は水面を蹴りつける。

魚雷を盾に向かってくる小賢しい駆逐艦に、身体ごとぶつかる進路を取って。

 

「へぇ……」

 

その判断に感嘆の息を吐く雪風。

山城は既に自身の艤装を小破している。

それは飛行甲板が盾としての機能を失っているという事だ。

更に夕立に対して装填済みの弾薬を使い切っている山城は、次弾装填するまでの数秒~数十秒に攻撃能力が殆ど無い。

弾薬装填と標準合わせを同時に行うのは、どんな艦娘でも難しい。

はっきり言えばこの状況から山城を撃ちもらす心算は無い雪風だった。

しかし同じ敗北でも、リスク無しで討ち取らせるのと一矢を返すのとでは状況が全く変わってくる。

背後から矢矧が追い立てて来る以上、山城が立ち塞がる事には十分な意味があった。

 

「良い判断ですよ山城さん……実戦経験乏しいのに、覚悟だけは決めちゃってるみたいですねぇ」

 

最大船速で突進する戦艦と駆逐艦。

その距離が5000㍍を切った時、一本の魚雷が山城の足元から水面を食い破って襲い掛かる

回避し得ずに被雷し、中破判定が下される山城。

艦娘としての怪我にはならないとは言え、痛いものは痛い。

しかし痛覚と恐怖が絶妙に交じり合ったこの時、山城の記憶が既視感の正体を突き止めた。

 

「神通っ……」

 

練習艦として多くの訓練に参加した山城は、雪風の師である神通とも手合わせした事がある。

あの華の二水戦の旗艦を尤も長く勤め上げた、訓練で殺しに来る軽巡洋艦。

第十六駆逐隊として神通の元にあり、積み上げた経験こそが雪風の原点である。

どれだけの時を経たとしても、雪風が雪風である限りそこが変わることはない。

ここ一番で二隻が似るのも不思議は無かった。

 

「……不幸だわ」

 

半眼で呟く山城。

雪風と山城は僅か50㍍の距離ですれ違った。

雪風は弾薬装填を完了した砲塔から順に狙い撃つという離れ業によって山城の攻撃能力を削ぎ落とす。

更によろめいた山城から離れつつも四本の魚雷を撃ち込み、そのうち二本に被弾した山城は今度こそ大破の判定を受けて沈黙した。

しかし背後から矢矧に打ち込まれた砲撃までは回避しきれず、遂に雪風も小破の判定を下される。

演習開始から、約三時間の事である。

陽光は最後の残照を水平線下に沈めようとしていた。

両艦隊旗艦からモニタールームに同じ電信が入れられる。

 

『我、夜戦二突入ス』

 

 

§

 

 

時雨は山城が落とされた瞬間に島風の攻囲を解いた。

それは夜戦への移行準備の為でもあるが、単純にこれ以上島風を抑え続ける事が困難だという事情もある。

そもそも時雨は速力のみならず、火力や装甲でも島風に及ばない。

スペックの違う相手を封殺して来た技量は尋常なものではなかったが、それも限界だった。

 

『あっれー、もう終わりー? つまんなーい』

『……っ』

 

挑発的な無線に言い返す労力すら惜しむように荒い息を整える時雨。

本当に理不尽な三時間だった。

自分の全力航行が島風にとっては余力十分の伴走に過ぎず、更に加速していく相手に追従するために身体が軋むような負荷に耐えねばならない。

同じ駆逐艦であるにもかかわらず、恵まれた身体を与えられた島風を羨む気持ちを自覚する。

 

『……言う割には、君の攻勢も後半は大したことが無かったよね?』

『あ? 自分が抑えてた心算? 私が弄ってただけだよ』

 

島風は強引な突破を殆どかけてこなかった。

それは意味不明だった、雪風の指示の中身だったのだろう。

時雨は雪風が矢矧の手に負えない事は予想していた。

だから出来れば自分が島風を早期に潰し、フォローに回りたかったのが本音である。

雪風は、そんな時雨の内心など読みきっていた。

一番やりたくなかった、最速の風との持久戦。

その中で時雨自身は小破判定を受け、島風はほぼ無傷である。

二隻の駆逐艦は一旦砲火を収めると、僚艦の元に合流した。

 

「……疲れた」

「……申し訳ありません、旗艦殿」

「ん? 矢矧は、良くやってくれたと……思うけれど」

「私が、雪風を抑え切れれば山城さんも……」

「雪風を抑える自信は、僕にだって……無いよ。でももしかしたら、相手を……取り替えたほうが、良かったかも知れない。僕のミスだね」

「……」

 

まだ会話の中に荒い息を織り交ぜる時雨。

そんな自分の旗艦を見つめる矢矧は、無力感と一緒に歯を食いしばっていた。

相手を変わってもらったところで、矢矧には島風をこれほど上手く封じられる自信がない。

少なくとも矢矧は開戦前、時雨が此処まで島風を戦場から弾き出してくれるとは思っていなかった。

それは時雨と雪風の駆け引きによる膠着状態だった事もあるのだが、直接対峙した島風が温いと感じればさっさと押し切って来ただろう。

島風は弄ったと言っていた。

それは一面の事実だが、裏返せば付け入る隙も見出せなかったと言う事なのだ。

 

「なんだろう。矢矧って、結構脆い所があるよね。最新鋭で、軽巡なら最高位のスペックがあるのに」

「……旗艦殿は、強いですね。演習の結果一つで一喜一憂していた私達が、貴女の目にどう映っていたのですか?」

「それは少し卑屈だよ矢矧。僕だって無私の権化じゃないんだ。戦う以上勝ちたいし、競う以上は活躍したいさ。功労艦として賞される君や山城は眩しかったし、羨ましいとも思ったよ」

「ですが、本気を出せば何時でも取れる。その確固たる実力と自信が貴女の芯を支えているんです」

「そんな自覚は無いんだけど……君にそう言って貰えるのは、嬉しいかな。僕の株も随分上がったものだよ」

「……申し訳ありません。今だから正直に言いますと、私は旗艦殿を……時雨さんを下に見ていました」

「事実、駆逐艦なんて菊の御紋章すら貰えない格下なんだから、下で良いんだけどね」

 

かつて帝国海軍において、駆逐艦と潜水艦は軍艦として数えられなかった。

しかし矢矧にとってはそれすら重く感じる。

雪風も時雨も、そんな飾りなど無くても自分の力で立てるのだから。

気落ちしている矢矧の様子に苦笑する時雨。

 

「あのね矢矧……火力と装甲で押し潰せるなら兎も角、艦対艦の技術戦をやって、雪風に勝てる艦なんて片手の指もないんだよ? そんな相手と戦って負けない君は、自分が思うよりずっと強い」

「強くなんか……」

「僕を強いと思うなら、君だって強いはずさ。だって、僕達は同じ魂の一部を分け合った姉妹なんだから」

「……は?」

「かつて鉄の塊だった僕らが、その記憶を持って艦娘になった。無機物に魂があったなんて信じられないけれど、もし似たものが宿ったとすれば、それは繰り手たる人間が吹き込んだものだと思うんだ」

「……ぁ!」

「……彼は僕との経験を全部君に届けた筈だよ。思い出して矢矧。君がかつて何であって、今なんなのかをね」

 

時雨が左手で拳を作り、矢矧に向けて差し出した。

矢矧は右手で拳を作り、やや躊躇ったが時雨のそれと打ち合わす。

 

「じゃあ、山城の仇を討ちに行こう。此処からは僕達、軽い艦の時間だよ」

「えぇ! まだ二対二。旗艦殿、勝算は?」

「んー……そうだ。矢矧は何かやりたい事ってある?」

「やりたい事ですか……」

「うん。折角の機会だからね。狂ったように撃ちまくりたいとか只管魚雷ばら撒きたいとか、なんでもいいよ?」

「それなら、私は一度でいいからやってみたい事がね……」

「……なるほど、じゃあそれで行こうか」

「はい!」

 

一方合流した雪島コンビも、夜戦に向けた調整を行っている。

 

「どうでした? 時雨の奴は」

「やば過ぎるでしょあいつ? 缶一基止まってんじゃないかってくらい自分が鈍く感じるの。あれ、位置取りが上手いのかなぁ……」

「でも、あっち小破してましたよね。島風無傷じゃないですか」

「速度装甲火力で全部私が上なのよ? 寧ろ押し切れなきゃいけなかった。私が戻れればさぁ……」

「……ぽいぬちゃん、守れませんでしたね」

「あいつは自業自得! でも、悔しいわ」

「矢矧さんに粘られちゃいましたからね……中の戦闘は雪風の失敗でした」

 

ため息を吐く雪風だが、島風はほほを引きつらせる。

戦いに慣れた軽巡洋艦と五分の勝負を演じつつ、航空戦艦に行動妨害をかけた挙句撃破までしておいて、まだ満足していないらしい。

うな垂れたように見えた雪風が急に顔を上げると、その腕を島風の後ろ首にからめて引き寄せた。

 

「おぅ?」

「時雨が妙なこと言っていましたね、後半手緩かったって」

「うっ」

「……弾薬、後どれだけ残ってます?」

「うー……連装砲ちゃんが後十発ずつも撃ったら終わっちゃう……かなぁ?」

「おいぃっ、夜戦までもたせって言ったじゃないですかぁ」

「わ、悪かったって! でも魚雷は一発も撃ってないから大丈夫っ」

「もう……」

「連装砲ちゃんが三基だから瞬間火力はあるんだけど、詰める弾薬が三倍もあるわけじゃないのよね……多少は多いんだけど」

「半自律連装砲って面白い武器なんですけど、親が抑える所押さえないと勝手に撃っちゃう所がありますからね。扱いが難しい武器ですよ」

「ま、まぁ私の事は良いって! 今はこの勝負に勝たないとっ」

「そうですね。島風後で追加特訓です。効率的な弾薬の使い方と連装砲ちゃんの制御はおさらいして貰いますから」

「……分かったわよ」

「ぽいぬちゃんの改善点も見えてきましたし、良い収穫でしたよ」

「おぉ……そういうのは良く分かんないけど」

 

雪風は夕立の不安定な火力を何とか高い方に持っていく為、身体的精神的なコンディションの運び方に腐心してきた。

加えて夕立自身の錬度向上も目覚しく、此処最近は高火力を安定的に出せるようになったのだ。

しかし今日の一戦はメンタルの過剰な干渉が夕立の身体を蝕み、あっという間のガス欠に繋がった。

それが表面化したのは速力によってだが、同じことが火力でも起こらない保証は無い。

雪風が見たとき、夕立の火力は駆逐艦としては異常なものだ。

今日の夕立を見たとき確信した。

おそらく今の夕立に、あの爆発的な火力を初戦から連戦を経て最後まで続ける体力は無い。

演習の一戦ならば十分かもしれないが、そんな一瞬の煌きのような攻撃力を振るった後に息切れを起こすなら、夕立が生き残る為には寧ろ不安要素になりかねない。

必要な時に必要な火力を引っ張り出す自己制御と、出来るだけ長く高火力を維持出来る持久力。

それは艤装に頼らず夕立自身が鍛えこまねばならない部分であるだけに、長く地道な鍛錬が必要になるだろう。

 

「まぁ、そっちは後でミーティングです。とりあえず今は……島風、この演習勝ちたいですか?」

「当たり前じゃない。ってかさ、あんた勝ちたくないわけ?」

「勝ちたいのはあるんですけど……相手が時雨だと手の内を見せたくないというか……」

「それって仮想敵への対応よね? 前から思ってたんだけど、あんたなんで時雨にきついの?」

「……あいつは、裏切り者ですから」

「裏切る?」

「えぇ。雪風と同じだって、不沈艦だって言われてたのに……雪風のいない所でさっさと沈んじゃいました」

「……」

「雪風は当時……あいつと長門さんだけは絶対に沈まないって信じていたんですよ。今にして思えば……ですけどね」

「内心複雑なわけだ。それは解った。だけど、あんたは羽黒に良い所を見せるって約束したでしょ。今はそっちを守れっての!」

「っは! そうでした」

「分かったらさっさと作戦考える! あんたの仕事でしょうが」

「あ、それでしたらとっくに考えています」

「さっすがぁ」

「先ずですねぇ」

 

雪風は島風の肩から手を離すと、その場にしゃがみ込む。

そして目の前にある島風のスカート……には短すぎる布の端をつまむと、無造作に捲り上げた。

 

「何しやがるげっ歯類!?」

「っふぁ!? 前蹴りすんなし!」

「避けんなっ。時と場所考えろ!」

「艤装部分で顔狙うとか殺意高すぎでしょう! どう考えても犯罪です!」

「スカートめくるのが犯罪じゃないとでも言うつもりか、このエロハムスターがっ」

「未だにその腰布がスカートだと言う島風の主張には異議があるのですが……別にセクハラじゃなくて、勝つために必要な確認なのですよぅ……」

 

ため息を吐いた雪風は、自身の左腿に装着された探照灯を取り外す。

普通は簡単に外せるようなものではないが、其処は島風も突っ込まない。

 

「コレを外してですねぇ」

「……ほう?」

「先程確認した島風のおみ足に括りつけてぇ」

「……ほうほう」

「夜戦開始からピカー! って光るだけの、簡単なお仕事よろしくです」

「っちょ、おまっ」

「囮頑張ってくださいね! 出来るだけ長くもたせるために魚雷捨ててもらおうかとも思いましたが、雪風は天使の如き慈悲を備えたメインヒロイン目指してますので、それだけは勘弁してやります」

 

島風は満面の笑みで雪風の胸倉を掴む。

雪風も同様の笑みを浮かべで相棒と向かい合っていた。

 

「鬼? あんた鬼なの?」

「弾薬が尽きかけてる島風が、他になに出来るって言うんですか」

「うぐっ」

「こっちの艤装から弾薬抜いて入れてやるだけの時間も無いですよね」

「……ふん。分かったわよ!」

「ありがとうです島風。雪風も夜戦は人並みだと自負していますので、これで勝てると思います」

「人並みぃ?」

「う……すいません大口叩きました」

「いや、そうじゃ無くて……まぁいいか」

 

いろいろと面倒になった島風は、雪風につけて貰った探照灯を指でなぞる。

探照灯を夜戦でつければ当然ながら目立つ。

それを行う艦は囮として、敵の位置を味方に知らせて攻撃回避もしなければならない。

雪風が探照灯を持ってきたのは、当然最初は自分でそれをするつもりだったのだ。

それは水雷戦隊の旗艦の役目。

弾薬不足ゆえの適材適所の結果とはいえ、そんな重要な役目を信頼無しに回せるものではない。

 

「ねぇ雪風」

「なんです?」

「いや、囮になるのは良いけどさ……別に、あいつら倒しちゃっても良いんでしょ?」

「……良いんですけど。雪風は今、島風が地雷を踏んだと確信しましたよ」

「なんでよ! ちょっと格好つけただけじゃない」

「世の中にはほんの些細な事で死亡フラッグが立つのです。島風も、大人になれば解ります」

「いや、訳分からんし」

 

二隻は自然と拳を打ち合わせて散開した。

闇に包まれた海の上。

夜戦が静かに幕を開けた。

 

 

§

 

 

開戦の合図など特に無いまま始まる夜戦。

しかし両艦隊からほぼ同時、申し合わせたように眩い光線が放たれた。

第二艦隊から島風、第三艦隊から矢矧。

それぞれは照明を照らしながら、光源の無い闇に隠れる雪風と時雨を探す。

 

『二水戦旗艦の本領発揮? 面白いじゃない矢矧!』

『っち、外れか……まぁいいわ! あんたを落とせば、後は時雨が楽になるっ』

『時雨が居るからなんだっての? うちの旗艦は雪風よ!』

 

矢矧が以前所属していた鎮守府は規模の大きな部署であり、その戦力は安定していた。

そんな鎮守府では危険を冒してまで夜戦を行う必要が殆ど無い。

しかし矢矧は栄光の、華の二水戦最後の旗艦。

何時か夜戦で探照灯を用いて僚艦を支援し、囮として役を全うしたいとの想いがあった。

それを時雨に打ち明け、受け入れられた時、矢矧はこの艦隊の居場所を見つけた気がした。

夜の海を疾駆する矢矧と島風。

島風から遂に十五射線の演習用魚雷が放たれる。

対する矢矧が同時に放てる魚雷は八射線。

重雷装駆逐艦としての本領を取り戻した島風の雷撃を回避しきれず、三本に被雷した矢矧は中破の判定を下される。

一方で島風は八本の魚雷を余裕で避ける。

最初の接敵は島風の優位で展開した。

 

「まだよ……私を沈めるなら、魚雷は五、六本当てないとダメよ!」

「じゃあ後二本ですね。お疲れ様でした」

「……え?」

 

肉声に肉声を返された矢矧は一瞬思考が停止した。

声は間違いなく雪風だ。

探照灯をつけているのだから、自分が見えているのは当たり前だろう。

しかし島風との戦闘に気を取られた部分があるにしても、此処まで接近されて気取られない穏行は感嘆を通り越して不気味だった。

 

「今日雪風がやったこと、多分時雨も出来ますから後で聞いてみてください。矢矧さんなら、全部出来ると思います」

「ありがと、雪風。でも……勝つのは私達よ!」

 

左舷後方の雪風から放たれた八射線の魚雷。

その三本が命中し、大破判定を受けた矢矧の艤装がロックされる。

光を失う寸前の探照灯が照らしていたのは、自分と同じように暗殺される島風の姿だった。

島風は言っていた。

自分達の旗艦は雪風だと。

それが如何したというのか。

第二艦隊に雪風がいるのなら、自分達には時雨がいる。

おそらく初めて見せるだろう時雨の本気を、此処からは存分に観戦出来るのは幸運だと思う矢矧だった。

 

『だから言ったんです島風……妙なフラグを立てるから……』

『艤装の音が聞こえなかったのよ……』

『途中から動力を切って、惰性に加えて艤装の浮力で波を蹴って移動して駆動音を抑えるんだよ。二足歩行で海に立つ、艦娘ならではの移動だね』

『……ふん。私だって出来るもん』

『それは失礼したね』

 

雪風が矢矧に忍び寄ったのと全く同じ技法で島風を討ち取った時雨。

これで残ったのは双方の旗艦ただ一隻。

それぞれに小破の判定を背負っており、総合ダメージはほぼ互角。

 

『まさか時雨と一対一の夜戦とか……運命の女神様も空気読んでくれるものです』

『そうだね。でも、君の魚雷発射管は随分と寂しそうだ。その有様で僕に勝てるのかな?』

『あっはっは。島風に引きづられて青い顔してる駆逐艦一隻沈めるのに魚雷? それってご自分を過大評価しています? それとも雪風、舐められてます?』

 

海域にあり、大破判定を受けている僚艦達は空気が軋んでいくのが良く解った。

それはモニタールームで会話を拾っているメンバーも同じである。

 

「大和さん」

「……なんでしょうか、提督」

「あの二隻は第二、第三艦隊の旗艦と言う事になるわけですが……」

「はぁ……」

「何かあったら、貴女が緩衝材になってくださいね」

「や、大和に、あの間に割って入れとっ!?」

「うちの艦娘であそこに入れるのは立場上、貴女か加賀さんしかいないのですよ」

「え……えうぅ……」

 

胃の辺りを押さえてデスクに突っ伏した大戦艦。

加賀はその背中を擦りつつ、自前の水無しで飲める胃薬をわけてやった。

モニタールームで滑稽だが深刻な会話が交わされている中、画面の中で二隻の駆逐艦が揃って移動を開始した。

観ている全員にとって意外なことに両者は砲雷撃を伴わず、連れ立つように動き出す。

双方4000㍍程の距離を保って北へ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『今日は半月でうす曇の朧月。星明かり無し……時雨、ちゃんと見えてます?』

『教える義理は無いけれど隠しても意味は無いからね。君が今、白い手袋を外した事くらいは見えているよ』

『それは良かったです。羽黒さんに格好良い所をお見せするって約束しました。簡単に終わっちゃったら面白くないですから』

『大きく出たね。だけど、僕も君に必勝を許すほど鈍っていない心算だよ』

『時雨……正直雪風としましては、強い事は認めても勝てないと思ったことは無いのですよ……昔も今も』

『……正しい認識だろうね。じゃあ、参考までに君が勝てないと思う駆逐艦を教えてくれないか?』

『……一戦に限れば、坊ノ岬の初霜には勝てなかったかもしれませんね』

『彼女か……是非、僕も傍で見たかったよ。でもね雪風。あの大戦を生き抜いた君でも、知らない事があるんだよ』

 

そんな事は時雨に言われるまでも無く自覚している雪風だが、直接は何も答えなかった。

沈黙によって続きを促した雪風。

両者は演習海域の最北に辿り着く。

距離4000㍍を維持したまま並び立つ二隻の駆逐艦。

 

『僕は坊ノ岬の戦いを知らない。でも、君も……レイテの僕を知らないだろう?』

『……なら、見せてみやがれ……です!』

『言われなくても! 行くよ雪風っ』

 

二隻が同時に水面を蹴って南下を開始し、無言のうちに示し合わせた同航戦が始まった。

静止状態からの最大加速。

そのまま先手を取ったのは雪風。

時雨も撃ち込まれる10㌢連装高角砲を回避し、同種の砲撃を撃ち返す。

最大速度にやや余裕のある雪風も時雨の砲撃を回避した。

初手の命中など双方共に期待していない。

問題は此処から。

どの角度で撃ったとき何処に着弾したか。

落ちた砲弾から相手の距離はどのくらいか。

その時の速度は幾つだったか……

勘と計算を緻密に織り交ぜ、次々と照準を修正していく。

側から見れば乱射にも見える砲撃の交換。

その全てが一つ前の砲弾よりも相手の近くに着弾していた。

しかし同時に加速と減速、直進と蛇行を不規則に交えて相手の狙いを狂わせている。

両者の砲撃と回避の錬度は、傍目から観てほぼ互角。

共に砲撃よりも回避を得意としているらしく、互いの防御を突破出来ずに命中弾が出ていない。

 

「……さすが雪風っ」

「……当たらないっ」

 

散々大口を叩いた雪風だが、それが虚勢に属する発言だった事は自分が一番良く知っている。

実際には時雨を含む周りはそう見ていなかったのだが、そんな事を雪風が知る由も無い。

この鎮守府の全員が思っているほど、雪風は自分に自信があるわけではなかった。

ただ、一対一の勝負で怖気づいたら絶対に勝てない。

雪風から見た時雨が自然体に見えたため、背伸びをしてでも自分を大きく演じなければならなかったのだ。

そして、それは時雨にとっても全く同じ事情である。

普段の態度そのままに演習をこなしている風の雪風。

時雨は彼女がどんな死地に赴いても、いつもと同じように飄々と生還してくるのだと思っている。

双方がお互いの影に、自身の敗北を予感して怯える気持ちはあった。

しかしもう一つ共通して抱く思いがある。

雪風も時雨も、お互いにだけは負けたくない。

両者共に意地を張り、自身が想定していた限界領域を超えたパフォーマンスを展開していた。

急加速と大減速を繰り返す動力機関は熱を孕み、それを身に着ける二隻は肝を冷やす。

直進から蛇行を織り交ぜる都度、艦娘としての身体が艤装の重さに悲鳴を上げる。

耐久力を含めた艤装の総スペックでは雪風が上。

それに対し、時雨は唯一の優位である艤装の軽さを武器に雪風の運動性に追従する。

 

『あっははー。なんだか楽しくなってきちゃいましたねぇ時雨!』

『こっちはいっぱいいっぱいなんだよっ。楽しんでる余裕は無いね』

『時雨ってばうそつきです。コレに乗ってこないのは駆逐艦じゃありません!』

『……そうだね。うん、認めるさ! こんな素敵な時間が終わってしまうなら、勝利すら無粋に思えるよっ』

『勝利すら? 勝つのは雪風なのでご心配なく!』

『冗談じゃない。最後に笑うのは僕だよ雪風!』

『加速の出足が鈍ってますよ? お疲れみたいじゃないですかぁ!』

『之の字運動が膨らんでいるよ? 艤装の重さが響いてきてるね!』

 

雪風は山城と矢矧を撃墜するため、魚雷を使い切っている。

一方で時雨にはまだ八本の魚雷が残されていた。

一撃必殺の武器を持った相手と近い間合いで撃ち合うのは精神的な疲労を招く。

雪風は時雨の魚雷を警戒するため、攻撃よりも回避に比重を置かねばならなかった。

しかし攻撃能力の全てで時雨が優位かと言えばそうでも無い。

間合いの外から多く撃たれる側だった雪風と違い、時雨は島風と同じ射程で撃ち合っていたのだ。

島風を抑えるためにはどうしても一定以上の火力で牽制をかける必要があったため、弾薬の消耗は雪風よりも嵩んでいた。

即座に尽きるというほど枯渇しているわけではないが、雪風の回避能力を見ていると撃ちつくすまでに命中が取れない可能性も脳裏を過ぎる。

先に弾が尽きたとすれば、雪風はたった八射線の魚雷などものともせずに詰めて来る。

時雨としては今少し砲撃のペースを落としたいのだが、その意図を持って手控えれば雪風は即座に看破してくるだろう。

二隻の艦は演習海域最南端に到達した。

そのまま左右に反転し、今度は東西からすれ違う反航戦へ移行する。

 

「勝負所だね……」

 

時雨は今の砲戦を維持出来るうちに早期決着を決意する。

駆逐艦娘の主砲はハンドガンタイプが多い為、昔と違い側面に比して正面火力も低くない。

さらに視界も人間と同様前方に開けている以上、狙うのも前方の方が見えやすく、魚雷だって狙いやすい。

時雨は此処で雪風を落とすべく、速度を犠牲にしながら狙いを定める。

交換される砲弾。

着弾するのは海面。

十分に至近弾と呼べる砲撃をそれぞれが回避してしまう。

すれ違う間際、その動きを観察した時雨はほぼ無意識に呟いていた。

 

「……無理だ」

 

時雨が減速した時、逆に加速した雪風。

動きの中でアレを魚雷で捕らえるのは至難。

何とかして一度静止させなければまず当たらない。

一方で時雨の横っ面に10㌢砲を向けつつ、その魚雷を警戒して少し大きく周った雪風。

 

「今……当てられました?」 

 

時雨が回避を捨てて当てに来たのは見て取れた。

その攻撃力を殺すため、自身は回避に力を入れた。

しかし今、こちらも防御を捨てて撃てば当てられた筈だ。

自分も被弾したろうが、駆逐艦が夜戦で被弾を怖がってどうするのか。

雪風の中に自身に向いた羞恥と怒りの感情が芽生える。

なんと手緩い。

攻撃を当てる機会を得たのに、我が身可愛さに逸するとは!

 

「……旗艦やってる弊害かなぁ」

 

旗艦とは最後まで沈んではいけない艦である。

しかしそんな感情が雪風を甘くした。

沸騰する血潮に思考を全て委ねればいい。

練習弾だろうと構うものか。

夜戦における駆逐艦の本領。

それは敵を沈めることだ。

後のことなど知ったことか。

駆逐艦の、自分の換えなんて幾らでも――

 

「あ……ぐぅっ」

 

かつて雪風が、乗員達の目を通して見た地獄が甦る。

使い捨ての様に無理な作戦に駆り出され、案の定沈んでゆく仲間達。

敗北と轟沈が確定しているかのような海の上、そういう時はどうしていたっけ……?

旗艦の理性が駆逐艦の本能に塗りつぶされ、雪風の口元に笑みが浮かぶ。

それは誰も見たことの無い笑みだった。

鋭敏になった五感と、何となく解ってしまう五感以外の何か。

後ろを向いたまま、雪風は音と何かで時雨の反転と魚雷発射を確認した。

耳障りなほど響き渡る波の音に混じって、魚雷の駆動音が聞こえてくる。

雪風は避けなかった。

正確には避ける必要を感じていなかった。

 

「よっと」

 

矢矧を振り切ったときよりも更に洗練された加重移動で振り向いた雪風。

時雨が息を呑む音まで聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。

足元から魚雷が水面を突き破って来る。

それは実弾ではない為に、被雷した所で爆発する事は無い。

しかし水面下で標的をロックしてから突き上げてくる速度は、実物と全く変わらない練習弾でもある。

 

「……」

 

今の雪風には遅すぎて避けるのも面倒なソレを、軽く仰け反り身を捻って回避する。

魚雷はベストの一部を引き裂き、月に向かって吸い込まれてゆく。

驚いたような時雨が、やはり遅すぎる動作で主砲を向ける。

薄く笑った雪風は、仰け反った姿勢のまま確実に当たる確信を持って引き金を引いた。

その瞬間、轟音と共に目の前が爆発し、雪風の意識は途絶えた。

 

 

§

 

 

「……笑って下さい」

「……いや、無理だろう?」

「え、えうぅー……」

 

場所は鎮守府内のドック。

培養液に放り込まれているのは雪風であり、傍に控えているのは各艦隊の旗艦と羽黒のみ。

他のメンバーは未だ演習の後始末に奔走していた。

雪風は左腕に自身の顔を伏せ、右腕は肩下から身体ごと溶液に浸かっている。

右手首から先は、綺麗さっぱり吹っ飛んでいた。

 

「大和さん。お酒」

「あ、はい……」

 

酒枡になみなみと日本酒が注ぎ、手渡す大和。

ややぎこちなく左手で受け取った雪風は、一息もせずに飲み干してまた伏せた。

 

「羽黒さーん」

「は、はいっ」

「罵って」

「はい! ……はい?」

「罵ってください。大法螺吹きで役立たずなゴミ虫の雪風を口汚く。雪風の人格が灰になって消えてしまうくらい。きついのお願いします」

「え、えーと……」

「早くする!」

「うっ……ゆ、雪風ちゃん!」

「……」

「お、お疲れ様でした!」

「ちきしょう! 天使めっ」

 

雪風はまた酒枡を差し出すと、大和が無言で酌をする。

雪風の意識が戻るまで、その身体に縋りついて泣いていたらしい。

心配をかけて申し訳ない気持ちは、勿論ある。

だからこそ、そんな失態を犯した自分への羞恥心が雪風の精神を荒廃させた。

酒でも飲まなければやっていられない。

 

「……整備不良で主砲が暴発? 自滅で負け? 失神して沈みかけた所を敵だった時雨に曳航された? あー……大和さん!」

「はいっ」

「コレをお持ちください」

 

雪風が左手で服のポケットから取り出したのは二つの鍵。

両方とも大きくは無いが、明らかにサイズと形が違っていた。

 

「大きいほうが雪風の私室の鍵のスペアです」

「え!?! い、頂いていいのですか!」

「それで部屋に入って。小さい鍵で机の上から四つ目の引き出しを開けてください」

「……は?」

「中に雪風の遺書がありますから、実行してくださいね大和さん」

「嫌ですよっ! 何言ってるんですか雪風は」

「少し落ち着こう雪風。いや、立場が逆だったらそうなるのは僕だからよく解るんだけどね」

「時雨さん、解っちゃうんだ……」

「いや、君は解ろうよ大和。旗艦なんだから」

 

雪風も時雨も、自分の艦隊を勝たせるために尽力した。

揮下の僚艦達も本当に良く頑張ってくれた。

最後に残ったのは雪風と時雨だが、二隻は仲間によって生かされたからこそあの場に立つ資格を得たのである。

その自覚がある雪風は、必勝の瞬間に自滅した自分がどうしても許容出来なかった。

 

「あー……鬱です。大和さん、赤城さんって今いらっしゃいません? 後お酒ください」

「赤城さんは今、あっちの鎮守府の再整備の指揮を取る為に駐留を開始しているのですが……」

「そうですか……この哀しみを癒せるのはあの美巨乳しかないのですがいらっしゃいませんか……」

「あの……胸でしたら、大和が何時でも……」

「……だって大和さん、偽装済みじゃないですかぁ」

「ちゃ、ちゃんと自前部分だって結構あるんですからね!? ちょ、ちょっと待っていなさい雪風」

「や、大和さん、こんなところで脱いじゃだめですっ」

「離して、離して羽黒さんっ……」

 

安い挑発に乗って肌蹴だした大和を全力で止める常識人の羽黒。

酌の前に大和が羽黒に捕まったため、雪風は自ら一升瓶を取ろうとし……先に時雨にさらわれる。

睨み付けた雪風に涼しい視線を向けると、片手で瓶の口を向けてきた。

雪風が枡を差し出すと、七分目まで注がれる酒。

今度は一息にあおる事はせず、酒枡の中に揺れる中身に視線を落とす雪風。

 

「時雨……」

「なんだい?」

「今すぐでもいいので、もう一回雪風と遊びませんか?」

「……断るよ」

「……怖いんですか?」

「ああ、怖い。僕は殆ど手札を晒してしまったのに、最後の君は測れなかった。悪いけど、今は勝ち逃げさせてもらうから」

「……ですよね」

 

決着の寸前。

最後の接敵の時、雪風は空が低く、狭く感じた。

その中で自分が少しだけ浮き上がったような感覚と共に、演習海域を上から見下ろす意識を持てたのだ。

ただ見下ろすだけではない。

海面下を走る魚雷まで、はっきり知覚する事が出来た。

それまで全く当たる気がしなかった時雨にも、外す気がしなかった。

狙い、定め、撃つ。

その動作はほぼ同時に行えた。

そして一瞬遅れ、手にした10㌢連装高角砲が暴発したのだ。

誰が見ても整備不良の事故だった為、雪風の自爆による演習の決着となった。

違和感を持ったのは、第二艦隊のメンバーと時雨である。

 

「大きなお世話かもしれないけれどね雪風。君は一回全艤装を工廠でオーバーホールすべきだよ」

「あ? 本当に余計なお世話ですよ」

「君が艤装の整備を怠るなんて信じられない。原因が別所にあるとしたら、今日のような事故は何度でも起こるんだよ?」

「そうならないように頑張って整備します。判定は整備不良であり雪風の慢心です。だから……雪風が負けたんです。島風や夕立にまで勝ったと思わないで下さい」

「……あぁ、分かった。肝に銘じておくよ」

 

今の雪風に言っても無駄と判断した時雨は、この後で羽黒の口から勧めて貰う事にした。

ショックだったろうと思う。

仲間と共に掴みかけた勝利を寸での所で逃してしまった。

自己嫌悪に落ち込む気持ちは時雨にも良く分かる。

しかしその自己嫌悪は一つ間違えば次の判断を狂わせる。

それが分からない雪風とも思えないのだが……

時雨が今一声かけようと口を開きかけたその時、雪風の頭が後ろに倒れた。

 

「お?」

 

誰もが不思議に思う中、第二艦隊旗艦は自分の額を思い切りドックの縁打ち付けた。

 

「だめですね。頭が回っていません」

「君は何を……」

「雪風がこうしていれば結果は違った……こっちの考えの方が慢心ですよね。少なくとも、雪風は自分で過失だと分かる過失はした心算がありません」

「お? 起きたみたいだね雪風」

「まだ頭の中も胸の中も不純物でごちゃごちゃですよぅ。だから取り合えず……羽黒さーん……何してるんです?」

「い、いや……大和さんともつれ合ってる間に絡まっちゃって」

「い、痛い! 痛いです羽黒さんっ。足がねじ切れそうな程痛い!」

「うん。見事な四ノ字固めだね。完全に極まっているから、羽黒が解かないと抜けられないよ?」

「あの……どうやって絡んでいるのか良く分からなくて……こ、こうでしょうか」

「ヒギィイイイイイイイイイイイイ!?」

 

断末魔の悲鳴を上げて悶絶する大和。

そんな大和を哀れんだのか、時雨がゆっくりと両者の足を解いてやった。

解放された大和は立ち上がろうとし、足首に走った激痛に再度悶絶する。

 

「関節技貰ったあと急に極められた部位を使う動作をするとか、アホですか大和さん」

「うぅー……えうぅー。雪風ぇ、羽黒さんがいじめるの……」

「ち、ちがっ!? あぁ、御免なさい、御免なさい大和さん」

「こんな所で脱ぎだす痴女を成敗したと思えば、羽黒の英断は十分な情状酌量の余地が認められると思うよ?」

「まぁまぁ。ほら、よしよしです、痛いの痛いのー……飛んでか無いよー」

「実際飛んでいったりしないし痛いので間違って無いんですけど、なんだか釈然としない掛け声だなぁ……」

 

ドックの縁まで這いずってきた大和の頭を左手で撫でる。

幸せそうに脱力する大和。

擬音で記すとすれば『ほにゃ』だろうか?

戦闘力もかつての威厳も幸福の中に溶かされ、へたれきった顔が其処にあった。

 

「取り合えず羽黒さん」

「はい?」

「雪風がこんなですので、第二艦隊の臨時旗艦をお願いします。正式にはこれから雪風がしれぇに上申いたしまして、決定待ちになりますが」

「了解です。多分、司令官さんは無理はさせないと思います」

「雪風も、そう思います。後は、大和さん。ベネット部長ってあっちに行ってます?」

「ほへ……?」

「……」

「あ! 肘の逆間接極めないで!? 痛いから痛いから痛いからぁ!」

「お願いですから、雪風のお話聞いてくださいよぅ」

「行ってます! 整備自体は居なくても何とかなるってお話だったんですけど、正式な駐留も近いから一回自分の目で確認するって言ってましたっ」

「ふーむ……」

 

雪風としては自分の艤装を誰かに見せるとしたら、一番信頼できる技術屋に預けたいとの思いがある。

性格はアレだが、あの妖精の腕は安心できる。

しかしここに居ないのなら、居残り組みに任せるべきだろうか。

 

「ベネット部長は本来、こっちに待機する組です。目的も視察ですからそれほど掛からずにお帰りになると思いますよ?」

「第三艦隊はおそらく、この後大和をあっちに護衛すると共に物資搬送に行くだろうね。その帰り道は部長も一緒に帰ってくるんじゃないかな」

「……その辺りはしれぇに予定を聞いて調整しましょうか。あまり長いようならこっちの妖精さんにオーバーホールお願いします」

 

雪風は大和の頭を撫で、ほっぺたをつつき、みみたぶを弄ったりしながら吹き飛んだ右手を見つめる。

怪我自体は溶液が勝手に治してくれる。

駆逐艦は使う鋼材や燃料の消費も少ないし、完治に掛かる時間も短い。

しかし雪風が艦娘になってからこちら、沈みかけたのはコレで二回になる。

まして実戦だった一回目と違い、今回は安全なはずの演習でだ。

 

「もしかして、雪風って運が悪いんでしょうか……」

「その判断は早計だよ。今回の件が君の不運か、不注意か……若しくはまったく別の要因かは、これから分かってくることさ」

「そうですね」

「少なくとも、僕には君が不運とは思えないね」

「なんでです?」

「そこでだらしなくのぼせている最強戦艦に懐かれて、良い僚艦にも恵まれて、悪くない司令官がいる。君が当たり前の様に持っているその全てが、本当なら貴重なモノの筈だろう?」

「む……それは反論の余地が無いですねぇ」

「ふふ。じゃあ、僕は業務に戻るよ。だから、最後に一つだけ」

「ん?」

「夕立の事、頼んだよ。君と君の仲間になら、安心して預けられる」

「……お前に言われるまでも無いしお前だと不安なんですけど……矢矧さんの事、お願いしますね?」

「ああ。彼女は僕達の大切な仲間だよ」

 

二隻の駆逐艦はそれぞれの目を見て頷いた。

時雨は踵を返し、ドックから出て行く。

ソレを見送った雪風は、左手が無意識に弄り回していた大和に気がついた。

その表情は何処か陶然としており、心は此処に無い様だった。

 

「大和さん?」

「んぅ……」

「さっきの鍵の事なんですけど」

「……はっ!? あ、あれは大和が頂いたものですっ。もう大和のです!」

「別に取り上げたりしませんよぅ。ソレ使って、ちょっと雪風の普段着取ってきていただけません? 第一艦隊の旗艦様に雑用を頼んで申し訳ないのですが」

「あ、はい。受け賜りました」

 

嬉しそうに立ち上がった大和。

立った瞬間に顔が引きつったので、まだ足が痛いのかもしれない。

それでも何とか堪えると、大和は一礼して去っていった。

残ったのは羽黒だけ。

二隻だけになった時、雪風は不安そうに羽黒に声を掛けた。

 

「羽黒さん……」

「なんですか?」

「本当に、ごめんなさいです」

「……どうして?」

「格好いいところ見せるって言いましたのに……凄い格好悪い所見せちゃいました」

「そうかなぁ」

 

落ち込む雪風に寄り添い、その頭に手を置いた羽黒。

撫でることは無く、ただ手を置いただけ。

しかし其処から伝わる羽黒の体温は不思議と雪風を慰めてくれた。

羽黒自身が意識しているかどうかは分からないが、この重巡洋艦は触れた部分から自分の思いを伝えるのがとても上手い。

 

「相手に先手を取られながらも互角に戦って、戦艦と軽巡洋艦を撃破。最後の一騎打ちだって、凄い格好良かったですよ」

「……」

「さすが雪風ちゃん。惚れ直しました」

「ほんとう?」

「本当」

「ご満足いただけました?」

「お腹いっぱいです。皆、凄かったですよ」

「……ありがとうございます」

「はい。お疲れ様でした。我が旗艦殿」

 

その声に心底安堵した雪風は、強い睡魔に襲われた。

人間と同じ睡眠ではない。

損傷を溶液が癒す際に失う体力が一定を超えると、全身機能が一時的にダウンするのだ。

酒が入っていることもあり、元からの疲労も軽くない。

何かあれば羽黒が起してくれるだろう。

隣に寄り添う天使に後事を委ね、雪風はまどろみに落ちていった。

 

 

§

 

 

――雪風の業務日誌(代行羽黒)

 

第二艦隊(以下『甲』表記)及ビ第三艦隊(以下『乙』表記)演習記録

 

本日1600開戦。

乙旗艦時雨ノ策ニヨリ甲ハ艦列ヲ大イニ乱ス。

甲ハ戦列ヲ二分サレルモ、旗艦雪風ノ機転ト駆逐艦夕立奮戦。

1820航空戦艦山城ノ砲撃ニ拠リ駆逐艦夕立大破判定。

1825甲旗艦雪風、乙所属軽巡洋艦矢矧正面ヨリ反転。

1850甲旗艦雪風ノ雷撃ニ拠リ、乙所属航空戦艦山城ニ大破判定。

1855乙旗艦時雨、甲所属駆逐艦島風、二隻ハ交戦ヲ中止ス。

1900甲、乙両旗艦ヨリ夜戦申請アリ。同時刻受理。

1920夜戦開始。甲所属島風、乙所属矢矧ニ拠ル探照灯ノ索敵開始。

1950乙所属矢矧、甲所属島風ヨリ雷撃ヲ受ケル。三本ノ被雷ヲ確認、中破判定。

1955甲旗艦雪風ニ拠ル奇襲。矢矧、左舷後方ヨリ雷撃ヲ受ケル。三本二被雷。大破判定ニテ戦線脱落。

同時刻、乙旗艦時雨二拠ル雷撃アリ、甲所属島風四本ノ雷撃ヲ受ケル。大破判定二ヨリ脱落。

2020甲旗艦雪風及ビ乙旗艦時雨同航戦二突入ス。命中弾無シ。

2140反航戦へ移行。命中弾無シ。

2210第二次反航戦開始。命中弾無シ

2220甲旗艦雪風ノ主砲塔爆発。本体ノ損傷激シク意識不明。

2230乙旗艦時雨二テ甲旗艦雪風曳航ス。

同時刻、演習終了。甲戦闘続行艦艇無シ。乙ノ勝利トス。

2400甲旗艦雪風入渠。

 

 

甲旗艦雪風負傷二ヨリ、甲所属重巡洋艦羽黒ニテ一部業務ヲ代行ス。

雪風ハ全艤装ノ入念ナ検査ノ要アリト認ム。

演習結果及ビ対策ハ旗艦雪風ノ復帰後、雪風ヨリ報告ス。

 

 

 

――提督評価

 

久しぶりに羽黒さんの日誌を読ませていただきました。

雪風と足して二で割った日誌を書いてくださらないものでしょうかね……

 

雪風の一時予備役編入と、艤装のオーバーホールは了解いたしました。

第二艦隊旗艦代理は、羽黒さんがこのまま引き継いでください。

第三艦隊は実戦に耐えうる錬度だと判断し、このまま大和さんを前線まで護衛していただきます。

大和さんが駐留部隊に合流された後、第三艦隊は工廠部部長と共に帰還予定です。

部長には雪風の砲塔暴発の原因調査をお願いする事になるでしょう。

私は調査に使う演習資料と映像をまとめておきます。

雪風が戦線に復帰するまで、大変かとは思いますが宜しくお願いします。

 

 

 

 

――極秘資料

 

No1.航空戦艦山城

 

工廠部より大型建造。

その際、部長のベネットによって大改修が施される。

 

・飛行甲板改

 

機能1.飛行甲板。各種水上機の発艦が可能です。

機能2.防御機構。耐久45装甲70の強度として扱われます。

機能3.攻撃障害。飛行甲板の耐久がある限り、山城本体に砲撃と爆撃のダメージが通りません。ただし足元から来る雷撃を止める能力はありません。

 

 

 




あとがき

お久しぶりです。
なんでしょうね。
何でこんなことになってるんでしょう。
一話が無駄に長すぎてPV伸びないのかなぁとか。
いやいやお前が書いてるもんがダメだからのびねぇんだろとか。
内なる声に葛藤していた矢先にコレですよ奥様……
書きたい事を全部書き込んだらこの量になっていました。
今回は感想で時雨戦楽しみにしてるといって下さった方が多くいらっしゃいましたので、全く自重しなかったですw
サービス回の心算で必死に書きましたぉー……
もう……しばらくお休みしたいかも^^;
しかし瑞鶴と加賀さんと赤城さんを絡めるまでは……

今回からSS内で明らかに性能の異なる魔改造されてる子達の設定を上げていこうと思います。
基本的にSS内でその性能は既に使っている事が多いので、読まなくても大丈夫だと思います。
原作のゲーム的にこの鎮守府の子達の性能を記すなら……という私の自己満足なので。


原作は現在停滞中です。
イベントで燃え尽きて、今回のSSで灰も残さず風に溶けました。
デイリーとキラキラ遠征と大和、矢矧狙って資材が轟沈する平和な日々が続いております。
でも羽黒さんがまさかの改2!いやっほう!
もう少し運があると嬉しかったけど、いやーこの羽黒さん強いですね!
2-5の突破でも主力として働いてくれました。
今のところソレくらいか……
通常海域は5-1で止まってるからそろそろ進めないとかなぁ。
5-4はいければいろいろ出来るって噂だし、レ級ちゃんにも会いたいですw


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