駆逐艦雪風の業務日誌   作:りふぃ

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なーんか時雨戦あたりから描写がきわどくなってきた自覚があるので残酷描写タグを追加しました。


戦艦の見る夢

それは海の中に佇む孤島の一つ。

人の世に深海棲艦と呼ばれる悪鬼が二隻駐留していた。

その見た目は長身の美女と小さな少女。

しかし長身の美女の額には二本の角が生えており、少女は長い尻尾を持っている。

 

「……イタイ」

「結構撃チ込マレテタネ。大丈夫?」

「オ前ダッテ似タヨウナモンダッタジャネーカ」

「鍛エ方ガ違ウモノ」

「……ッチ」

 

海上で四隻の艦娘と交戦した深海戦艦コンビ。

この二隻は深海棲艦全体の中でも只管強い部類に入る。

数の上では不利なれど、負ける心算など全く無かった。

実際に互いの被害で言うならば、確認出来ただけでも敵空母は中破させていたし重巡洋艦は大破させている。

こちらの被害は小さな戦艦の小破と、長身の姫が小破にも満たないかすり傷。

ダメージレースでは明らかに勝利と言えるのだが、二隻の表情は明るくなかった。

 

「ネェ水マフ」

「何ダヨネグリジェ」

「貴女装甲整備二手、抜イタ?」

「……抜イテネェ」

「飛ビ魚ノ爆弾二誘爆……」

「シテナイ。キッチリ撃チ抜イテキヤガッタ」

「……ナラ、私ノ装甲モ抜イタカモ知レナイネ」

「バーカ。オ前ノ贅肉ガ抜ケル訳ナイジャン」

 

小さな戦艦少女は皮肉の中に信頼を口にし、姫も苦笑して頷きかけ……自らの腹部を手で擦る。

そんなに肉はついていない。

一瞬拳骨をくれてやろうかと思ったが、相手は一応の怪我人であった。

なりは小さくても、この少女は一流の戦艦である。

その装甲は並みの戦艦の比ではなく、また耐久力も桁が違う。

そんな少女に二発の命中弾を出し、中破寸前に追い込んだのは敵方の戦艦だった。

こちらの攻撃は比較的落としやすい空母と巡洋艦に集中させたために耐久こそ分からないが、コレほどの火力を誇る艦が脆いはずが無い。

戦艦とは基本的に、自分の砲撃に耐えられる事を基本として防御設計を組むものだ。

この二隻にとって、単艦でコレほどの強打を示す相手と出くわしたのは初めてだった。

 

「オ前アソコ落トシタッテ言ッテタジャン。アンナ精鋭残ッテルジャン!」

「オカシイナァ……」

「オ前部下カラ騙サレテナイ?」

「ソ、ソンナコトナイ……筈ッ」

「向カッタノ誰ヨ?」

「リボン姉妹……」

「ア、ソリャ間違イネェワ。皆殺シダワ」

 

戦艦棲姫を護衛する虎の子、装甲空母の鬼と姫。

この姉妹は戦艦棲姫至上主義者であり、虚偽報告など在りえない。

愛する主君の久しぶりの殲滅命令に嬉々として出撃し、あらゆる命を根こそぎ刈り取ってその通りの報告を上げただろう。

少女は犠牲となった連中の冥福を祈った。

無論、皮肉の当てこすりである。

 

「アッチノ泊地二新シイ部隊ガ駐留始メタノカモ」

「ソノ可能性ハ高イカモシレナイ。ムゥ……正確ナ位置マデハ判ッテ居ナイノガ痛イ。セメテ場所知ッテルリボンズガ居レバナァ……」

「アノ子達ガ居タラ、見敵必殺以外出来ナイワヨ?」

「デスヨネー」

 

この期に及んでたった二隻で来たことを後悔するが、自分達以外に好奇心を戦闘本能に優先させる仲間が思いつかないのだから仕方ない。

今一人、二隻が縦セタと呼ぶ仲間なら連れてこれたが、その深海棲艦は陸上基地タイプの為に長距離の移動に恐ろしく手間がかかるのだ。

更に自分達の戦力が、並みの深海棲艦に換算すれば一地域分に匹敵するという自負もある。

たった一戦で目に見えた損傷を負う等、正直考えても居なかった。

 

「アイツラ、良イ部隊ダッタヨネ」

「昼ノ損害カラ夜戦ノ構エヲ見セツツ、闇二乗ジテ二手二分カレテ撤収シテタ。ネェ水マフ……アイツラ、ドッチガ囮ダッタト思ウ?」

「ソリャ巡洋艦共ダロ。普通戦艦ト空母ヲ逃ガスッテ」

「……ソウネ。デモ、私ハ逆ダト思ウ」

「何デ?」

「私ナラ、ソウシタカラ」

「世界ガオマエヲ基準二動イテイルト思ウナヨ」

「フフ……ソウネ。デモ私ハ、ヤッパリソウ思ッテル」

 

発言が自分本位になっている事を指摘され、思わず苦笑した戦艦棲姫。

しかし根拠のない発言ではないので撤回する心算も無い。

あの敵戦艦は夜戦の先頭に立って向かってきた。

その行為に敵部隊の戦意を感じたため、こちらは交戦を続行した。

敵の巡洋艦はこの間に戦線を離脱しているのだ。

ほぼ自力では動けなかったであろう重巡洋艦を、軽巡洋艦が曳航して。

あの戦艦は突進攻勢の先頭ではなく、味方撤収の殿を務めていた。

そして、それはかつて自分もやったことだ。

その先も同じだとすれば泊地に戻ったのはあの巡洋艦達であり、戦艦と空母こそが囮として別方面に誘導しようとしたのではないか。

 

「脚ノ遅イ戦艦ト空母ガ囮二ナッテ如何スルヨ?」

「アノ状況、自分デ動ケナイ重巡ヲ曳航スル軽巡ト、一応ハ自力航行ガ出来ル戦艦ト空母……ドチラノ脚ガ遅イカシラ?」

「仮二巡洋艦ガ本命二向カッタトシテ、大シタ脅威二ナラナイジャン。潰スナラ当タリデモ外レデモ戦艦ト空母ダロ?」

「……ネェ、貴女ハアノ四隻ノ中デ、誰ガ一番強イト見タ?」

「ハ? ソリャ戦艦二決マッテ――」

「私ハ軽巡洋艦ガ怖イヨ」

「……エ?」

「私ハ、アノ軽巡洋艦ガ、一番強イト感ジタワ」

 

小さな戦艦は隣の姫の顔を覗き込むが、冗談を言っている風ではない。

真剣そのものの表情でそう語る戦艦棲姫だが、少女はいま一つ実感が持てなかった。

特に射程が長いわけでもない。

艦砲が強力なわけでもない。

確かに足は速かったが、ソレは軽い艦なら当たり前である。

少女が海戦の様子を一つ一つ思い出そうとしたとき、風に乗った雨粒が目に入った。

不快気に舌打ちをして瞼をこする。

しかし急に振り出した雨は徐々に勢いを増して行った。

 

「潰セル敵カラ潰スノハ、基本ヨネ?」

「ソウダネ。ダカラ僕ッテバモテルンダヨ……」

「見タ目弱ソウダカラネ。ダケド、ダカラ私達モ巡洋艦カラ潰シニ掛カッタワネ」

「ウン」

「……ジャア何デ、アノ子ハ無傷デ逃ゲラレタノ?」

「ッ!?」

「装甲ヤ耐久ハ硬ク造レバ生マレ持テル。デモ回避能力ハ経験ト慣レヨ。アノ軽巡二粘ラレタカラ、戦艦ハ貴女ヲ狙エタシ空母モ重巡モ沈メ切レナカッタ」

「舐メタ真似シテクレルジャン……」

「ソレ二気付カナイ自分ノ未熟モ忘レナイデネ? コレダカラ最近ノ若イ子ハ……」

「……ウッセーガミガミババ――ッグハァ!?」

 

突如姫の右手が霞む。

同時に額の中央に衝撃が走り、後屈気味に吹き飛ぶ小さな戦艦。

中空で機敏に身体を丸め、回転しつつ重い尻尾を一つ振るう。

驚異的な対空感覚で自分の高度を算出し、地面スレスレながら何とか足から着地した少女。

しかし陸上の軽い体躯では衝撃を殺す摩擦は持てず、数歩分の距離をスライドする。

離れた姫に目を凝らせば、右手を真っ直ぐ突き出して微笑んでいた。

親指を折り、他の四指は真っ直ぐに立っている。

掌底?

違う。

掌底突きなら折った親指は邪魔になる。

技後に手の形がああなるというのは……

 

「10㍍吹ッ飛バスでこぴんッテ暴力ジャネェ?」

「怪我人二暴力ナンテシナイ。愛ノ鞭ヨ」

 

朗らかに微笑むお姫様に、深いため息を吐く小さな戦艦。

最早生物としての規格が違うとしか言いようがないのだが、他の仲間から見ればこの少女も明らかにそちら側の住人である。

 

「シカシコウナルト、海域カラ全軍ノカセタノッテ悪手ダッタワ……」

「全クダ。艦娘共ノ物資ナンザ不味クテ食エタモンジャナイシ、補給出来ネェジャン」

「修復モネ」

「オ前ニシテハ、手際ガ悪イナ。アノ日カ?」

「下品ナネタッテ嫌イヨ。別二大シタ理由ジャナイノダケレド……」

「ド忘レ?」

「イヤ。単純二、貴女ガモット早ク飽キテ帰レルト思ッテ……此処デ長居スル可能性ヲ考エテイナカッタ」

「ヒドイッ、僕ヲ信ジテイナイノ!?」

「少シダケハ信ジテ期待シテルカラ、コウシテ付キ合ッテモイルンジャナイ……」

「面倒見ノ良イネグリジェ、僕大好キダヨ」

「エッ……ソ、ソゥ?」

「……オ前、チョロイッテ言ワレタ事ネェ?」

「……昔、ゴスロリニ」

「アァ、アイツニモ構ッテルンダ……面倒見ノ良イ事デ」

 

半眼で呟く小さな戦艦。

その尻尾が戦意の高ぶりに合わせて小さく揺れる。

自分がこの姫を使うのも泣かせるのも良い。

しかしそれを他の誰かがするのは絶対に許さない。

最も、あの引き篭もりも全く同じ心算に違いなかった。

少女は心の中の何時か決着をつける相手リストに、赤字でゴスロリと書き込んだ。

 

「スグニ戻セル?」

「実ハ夜戦シナガラ呼ビ戻シハ始メテイタノ……皆楽シソウ二遊ンデテ、中々戻ッテ来ナイケド」

「……人望ネェノ」

「ガ、頑張ッテ召集掛ケルカラッ」

「ウン。ヨロシク」

 

肩を落としてしょぼくれる姫に、半眼をくれる小さな戦艦。

事の発端は自分であり、戦艦棲姫の判断も自身の飽きっぽさが招いたことではある。

自覚もしているだけに、此処で大っぴらに責める事も出来なかった。

協議の末、二隻はお目当ての空母の探索を続行する。

確かにあの部隊は強かったが、半壊させている事もまた事実。

あんな艦隊が早々湧いてくるはずもなく、それが撤収した今こそ最も安全に探索が可能であろう。

生き残った連中が増援を呼んでくるだろうが、その時は先頭集団を叩き潰して撤退すればいいのである。

戦艦棲姫としてはこの若者がやっとやる気を出してくれた事が純粋に嬉しかった。

この子が自分の才能と真剣に向き合って鍛えこめば、必ず自分よりも強くなる。

気長に待つ心算であった少女の覚醒の時が、やっと見えてきたのだ。

 

「ネェ、水マフ……」

「アン?」

「良カッタネ、戦ウ理由ガ見ツカッテ」

「アー……自分ジャ分カラナイネ」

「フフ」

 

少女は自分が話した空母に拘っている。

しかし既にその戦い方はイメージが出来ているはずだった。

其処に向かって修練を積めば必ず結果はついてくる。

何せこいつは姫たる自分が初めて見つけた天才なのだ。

寧ろ実物など見ず、少女の中の理想に向かって邁進するほうが良いという気さえする。

そう言った所で聞き分けはしないだろうが。

 

「ヨシ、例ノ泊地ヲ探シテ、其処デモ痕跡無カッタラ撤収シヨウカ」

「ン、付キ合イマショウ」

 

こうしてこの海域はたった二隻ながら、強力な戦艦が跋扈する危険海域に変貌するのであった。

 

 

§

 

 

二隻の深海棲艦が今後の方針を話し合っていた頃の事。

大和と赤城はその島から遠い、別の孤島に停泊していた。

 

「大丈夫ですか、赤城さん」

「はい。航行に支障はありません」

「本当に、貴女までお付き合いくださらなくても……」

「私まであちらに行けば、貴女が囮と露見しますよ」

「ですが……」

「あら、貴女はご自身を捨て身になさった心算ですか?」

「むっ。そんな心算はありませんとも」

「なら、大丈夫でしょう。帰るのが少し、遠回りになっただけですよ」

 

温和に微笑む赤城。

その艤装はかなりの被害を受けており、飛行甲板は真っ二つにへし折れて前半分が消失している。

黒髪の戦艦が解き放った、たった一発の砲弾によって。

 

「……とんでもない相手でしたね」

「はい。あの二隻、見たことのない艦形でした」

「タ級やル級とも全く違った強力な戦艦種……、アレが鬼や姫なのでしょうか?」

「おそらくそうでしょう。奴らの出現が、この海域の深海棲艦消滅に何らかの関係があると思います」

「黒髪の主砲と装甲……私でも多分、届きませんよ」

「私としては、あの小さな航空戦艦が脅威に感じました。あの体躯と艤装で百機以上の爆戦です……対策がなかったらと思うとゾッとしますね」

 

二隻は顔を見合わせ、肺が空になるほどの息を吐いた。

あ号作戦時、大和達は多くの深海棲艦と戦い、その殆どを海の藻屑と化して来た。

しかしある時、敵空母ヲ級部隊の時差をおいた艦攻爆機の波状攻撃に大損害を受けてしまった事がある。

それは苦い記憶だが、戦訓は得た。

この海域の主力部隊は、深海棲艦の正規空母。

その事を学んでいた大和達は、赤城の艦載機に強力な戦闘機を積んできたのである。

敵空母の艦載機さえ叩き潰してしまえば、この海域で遭遇する水上艦は重巡洋艦がせいぜいであった。

それも過去形になったのだが。

 

「紫電改二を五十二機積み込んで、制空権はほぼ互角とかおかしいでしょう……」

「認めたくはありませんが……ほんの僅か、押し込まれた部分があります」

「うわぁ……」

 

赤城は敵戦力を過大にも過小にも見積もらない。

自身が戦闘中に肌で感じた主観と、現実の結果からなる客観の落差を出来るだけ埋めてありのままに話してくれる。

それは戦術を立案する上では非常に重要な情報だが、あまりに絶望的な話となるとげんなりするのは仕方ない所だろう。

赤城としても自分で言っていて嫌になった部分がある。

どうして自分は、たった一人で飛ばしているのか。

海上で肩越しに振り向いて、其処に加賀が居ない事に違和感が消えない。

ずっと、ずっと探していた相棒は、遠い自軍鎮守府にいる。

それでも、同じ海の果てにその存在を感じられた。

無いものねだりだとは思う。

今無理をさせてはいけない事は分かっている。

しかし赤城の自分勝手な部分がどうしても訴えかけてくる。

一緒に戦って欲しいなんて、贅沢は言わないから。

傍にいて、自分を見ていて欲しい。

それだけで今度こそ、自分は負けたりしないから……

本当に無いものねだりである。

生きていてくれただけで良いと、あの時加賀に言った自分は何処へ行ったのか。

欲深い自身に嫌悪感すら抱きながら、赤城の聴覚は大和の呟きを拾い上げた。

 

「五十鈴さん達、無事に戻れたかなぁ」

「単純な直線航路で戻ったりはしないでしょう。少し迂回して戻るとして……明日か明後日の帰港になると思います」

「他の深海棲艦と再遭遇している可能性が低い事が唯一の救いですね」

「全くです」

「遭遇戦から、今日で二日。五十鈴さんと足柄さんから提督に報告が届くのが、あと三日程掛かりますかねぇ……」

「早ければそれくらいになるでしょう。加えて、予定では明日辺りで第三艦隊が到着予定でした。なんとか合流できていれば良いのですが……」

「そうですね……まず第一艦隊の損傷を回復して、その上で全軍を一旦前線に集結させて対策を練りたい所です」

 

特に自軍鎮守府には加賀と雪風がいる。

この二隻と合流して対策が取れれば、姫種と思われる二隻との再戦も勝ち筋がある。

加賀はこの鎮守府に来てから艦隊行動をした事はないが、最近では単艦で艤装をまとって近海を流す姿も見られている。

その実力は未知数だが、艦娘の戦闘経験では間違いなく鎮守府一の場数があった。

勿論この時、鎮守府で加賀の魔改造計画が進められている事は全く知らない二隻である。

 

「加賀に申し訳ないわ……」

「ほぇ?」

「もう少し、傷を癒して欲しかった。だけど駄目……私が損傷して所在不明になった以上必ず来る。来てくれる、来てしまう……そして、私はそれを内心で……喜んでもいます。度し難いわ……」

「其処までお相手が分かっているのですね。素敵な絆だと思います」

「お互いに面倒だって、思うこともあるのですよ? 私から見れば、貴女と雪風さんの方が余程綺麗で、純粋な絆を育んでいる様に見えますよ」

「そう……でしょうか? 私は、雪風の事を信じていますが……分かってはいませんから」

「雪風さんは、来ないとお考えですか?」

「……だから、分からないのです。来てくれる気もするのだけれど……来てくれなかったとしても、私はきっと納得する」

「大和さん……貴女はもう少し欲をかいても良いと思いますよ?」

「んぅ……大和はとても欲張りですよ?」

 

大和は首を傾げて少しの間考え込んだ。

雪風の事、提督の事、そして仲間達の事。

その一つ一つが、大和が現世で手に入れた宝物である。

いまだ短い時間だが、それらとの思い出を掘り起こせば大和の心は満たされてゆく。

しかし罅割れた心は満たされても直ぐに零れてしまう。

結局いつも最後に残るのは、自分の罅より唯一大きい雪風への想いと……誰にも向ける当ての無い世界への憎悪だった。

 

「ねぇ、赤城さん。貴女はご自身が沈んだ時、何を思いました?」

「……ただ、熱くて……加賀が居なくて、行かなきゃって」

「す、凄いですね……でも羨ましいです。其処まで、誰かを想えるのは」

「大和さんは、どうなのです?」

「良くぞ聞いてくれました!」

 

大和は満面の笑みでそういうと、赤城の両肩を掴む。

陸上とはいえ戦艦の握力で捕まれるのは苦痛だったが、振りほどく気にはなれなかった。

笑みのまま瞳から溢れる涙がほろほろと零れ、赤城の目の前で静かに俯く様をただ見ていた。

 

「大和は…………口惜しかった」

「……」

「巨額の国費を費やし、民の暮らしを押し潰し、そうやって生まれておきながら、うすらでかい図体で何一つ守れず、成せず、変えられず……自分が沈む事になんの意味も見出せなかった事が悔しくて憎くて口惜しかったんですっ」

「大和さん……」

「ど、どうして大和みたいな役立たずが作られてしまったの!? 戦艦じゃ海は守れても空は守れないって、手の届かない上から押し潰すほうが強いって……赤城さん達が教えてくれたのに!」

 

感情のベクトルが定まらず、思いの丈が大和の口から勝手に溢れて吐いて出る。

最強の戦艦という肩書きが。

掛けられた期待と失望が。

戦艦の艦娘としての長身すら、全てが大和の心を押し潰してきた。

一度其処に罅が入れば、決壊した心は溜め込んだ涙の全てが干上がるまで止まらなかった。

 

「戦艦になんか成れなくて良かった。私の鉄が人の営みになるならそれで……鍋でも包丁でも、何かの役に立ちたかった! 重いタービンを回す貴重な重油なんて要らないっ。人が、誰かが暖を取る、ほんの僅かな油になりたかった。だけどっだけど私はぁ……壊して、殺す為に作られて……結局大和が壊したのは、私に乗った三千人以上の人生じゃないですかぁ……」

 

縋りつく事すら出来ず、大和の手が赤城の肩から滑り落ちる。

目の前にあった大和の顔が、自身の腹部まで下がっていた。

最早立っている事もままならず膝を着いた大和の頭を、赤城は無意識に抱きしめていた。

凄まじい罪悪感が赤城の心をすり潰そうとしている。

赤城の中には常に大和に対して引け目があった。

大戦艦巨砲主義が横行していた時代に、航空母艦集中編成による機動部隊の強さを知らしめた事。

自分達の勝利と栄光の引き換えとして、大和達が主役として在れた時代を押し流した。

ならばせめて、最後まで勝ちきってやる事が出来たなら……

元々無謀な戦力差があった。

こちらは一度でも負ければ換えがきかず、相手は何処かで一度でも勝てば逆転出来てしまえたのだ。

戦い続ければ、何時かは負ける。

永遠に勝ち続けるなど出来るはずが無い。

しかし今の赤城が、この若い戦艦の頭を抱き寄せながら痛切に思う事は勝ちたかったと言う後悔だった。

そうすることが出来ていれば、大和は戦わなくてすんだかもしれない。

赤城と違い以前の自分に何の意義も見出せず、後悔と罪悪感ばかりを抱いてしまった大和にとって、戦場に出ることは苦痛を伴うものだったろう。

それでも、大和はずっと言っていた。

自分はホテルじゃないと。

戦艦なんだと。

ずっと、ずっと自分に言い聞かせていたのだろう。

かつて長門が持った印象を、赤城も此処で共感した。

この大和は本当に、戦う事に向いていない。

赤城はこの時自身の頬をぬらすモノに気がついた。

ぼんやりと上を見上げれば、いつの間にか雲が出て、雨天へと移り変わっていた。

 

「深海棲艦を沈めるたびに、私の胸がほんの僅か、暖かくなります……赤城さんには、そういうのってありません?」

「敵を沈める事に、特別な思いはありませんね」

「そっかぁ。私は、敵を沈めるとね? 心に小さな灯火がつくんです。それが暖かくて、気持ちいいの。そしてその火に照らされて、昔のことを……思い出すの」

「……」

「大和の中に綺麗な想いなんて無かった。狂うほど恨んでいた。思い出したくも無い自分自身。だけど、色んな人の思考が私の中に混ざり合って、最近はもう……どれが当時の大和の気持ちなのかすら、分からなくなって来ています。ただ、無性に悔しくて、憎いんですっ」

 

感情と共に荒々しい息を吐き出した大和。

多少は落ち着いたらしく、数度激しく肩を上下させると、更に肺のすべてを使って深呼吸した。

胸元に手を当て、紐で首に下げた二つの鍵の存在を確認する。

大和が自分の中にあるどす黒いモノを始めて自覚したのは、司令官と雪風の信頼関係を目の当たりにした時だ。

生まれて始めて経験する妬み。

兵器が感情を持つことの行き着く先にあるものがなんなのか……

漠然と意識して怖くなった。

そして一度でも自分の中に黒い感情を自覚すると、最早歯止めが利かなかった。

かつての自分に出来なかった、敵艦船を沈める行為。

現世でそれを成す度に疼くかつての無念。

憎んだ相手は自分自身と、当時の世界と時代そのものだった。

たった一人、提督への嫉妬に右往左往していた自分はなんと可愛らしく無知蒙昧だった事か。

それ所の話ではなく、戦艦大和は世界の適応不全者だった。

だけどあの時自覚したのは、妬み辛みだけではなかった筈だ。

自分の中で一番大切なものがなんなのか、相手の前ではっきりと口にしたのもその時だった。

雪風を慕っていると。

大好きだって伝えた時の自分は、この憎らしい世界の中で一番綺麗なモノを掴んでもいた筈だった。

 

「私は、雪風が大好きです」

「えぇ。存じています」

「大好きで、信じています。だから私は、雪風が望むことを叶えたい。雪風が描く大きな絵の中の線の一本になれるなら、大和は沈んだって構わない……」

 

ベクトルは大分異なるが、大和は今なら提督の気持ちが分かる気がしていた。

あ号作戦の時、司令官は雪風の独断専横の先に、大きな目的がある事を信じていた。

自分にはそれを見通すことが出来なくても、雪風の見据えるものに賭け、そして勝ったのだ。

雪風は、自分を助けには来てくれないかもしれない。

その結果自分は沈むかもしれないが、雪風がそうするとすれば、それは大和一隻よりももっと大きなモノを、もっと広い何かを守るために必要な事なのだ。

心からそう信じているから、大和は今も戦える。

 

「雪風なら絶対に私の死を無駄にしない。私が沈んだ海の上で最終的な勝者になって、私達を勝たせてくれる。そう信じているから、雪風は此処に来なくても良いのです。あの子がいてくれる限り、艦娘大和は自身の生も死も肯定してやれるんです。今の私は、雪風によって生かされて……生きていることを許されているんです」

「……健気ね」

 

一歩間違えれば狂気に落ちるギリギリの所で、大和は雪風に救われていた。

共依存にもなれていない一方的な慕情だが、当人にとっては掛け替えのない大切な想いなのは認められる。

考えてみれば、自分と加賀の絆だって外から見れば理解不能な事だろう。

今更人の事など言える筈も無かった。

赤城は大和を離し、一歩退いて雨空を見上げた。

 

「だけど、そうやって頼られる雪風には、迷惑な押し付けになってしまうじゃないですか」

「そうかもしれませんね……」

「だから、大和は簡単には諦めません。何時か雪風と同じ高みで同じものを見るために。何時までも、負けっぱなしで居られるものではありませんっ。大和は、負けず嫌いです。あの澄ました小さな駆逐艦が、絶対に手放せないって思えるくらい、強くなるって決めたんです」

「大和さん……」

「相手が鬼ならば、鬼すら砕ける火力を……相手が姫であっても、その砲火に耐え抜く装甲を……」

 

感情の高ぶりが顔の筋肉を強張らせ、震える歯がぶつかってかちかちと音を鳴らす。

降りしきる雨の中、41㌢連装砲を一度だけ空に解き放つ。

至近距離で戦艦主砲を発砲された赤城は音と衝撃に顔を歪めるが、大和自身は小揺るぎもしていない。

 

「一隻で世界だって、覆せるモノになる……そう、あの黒髪の姫みたいに。雪風がどんな苦境にあっても大和だけは失えないって、そう思うくらい……強くっ」

 

多くのモノを、そして何より自分自身を憎む大和が、思いの丈を篭めて放った主砲はどれ程の火力に変わるのか。

そんな事を考えながら砲身と、その向く先を見つめる赤城。

個にして世界を覆す……

赤城は目の前で泣きながら空を睨む艦娘が、間違いなく大和の化身だと改めて感じる。

そんな夢みたいな絵空事こそ、人が大和型に託した願いなのだから。

かつて誰かが大和に篭めた想いを、今度は大和自身が口にした。

この若い戦艦は気付いているだろうか。

その発言は世界の、多くの存在が共有する常識への宣戦布告だと言う事に。

海の片隅の小さな島から産声を上げた復讐者。

かつて時代に背かれた戦艦大和が放った最初の砲火は、航空母艦赤城によって見届けられた。

次さえ与えられれば、大和はきっと強くなる。

今までだって恐ろしく強かったけれど、今より更に。

蛹が蝶へと羽化する瞬間を見たような気分だった。

赤城は大和に手を差し伸べる。

大和はぼんやりとその手を取ると、穏やかに引き上げられた。

 

「強く……おなりなさい。我が、旗艦殿」

「赤城さん……」

「長門さんより、武蔵さんより、あの黒い戦艦より……そして世界より。誰よりも何よりも強くおなりなさい。貴女の傍で、貴女の往く道を私が開きましょう。雪風さんより近くで、貴女が強くなっていく所が見れる。年甲斐も無く、高揚してまいりました」

 

大和は必ず生かして返す。

それこそ自分を盾にしてでも。

大和は雪風なら自分の死を無駄にしないと信じている。

しかし今なら赤城も信じられる。

例え此処で沈もうとも、この大和なら自分の死すら糧に強くなってくれると。

 

「まぁ……加賀を残して逝く気もありませんが」

「ん? すいません、雨でよく……」

「何でもありませんよ。それより、今のうちに移動しましょう。視界も悪く電探も使いづらい雨天の方が動きやすいです」

「あ、そうですね……連中はこの海域は不慣れに見えました。ならば悪路であるほうが、地理に強い私達が有利!」

「はい。それでは……」

「ん……第一艦隊、抜錨! 目標は維持任務を受けた第二鎮守府。あの二隻を除く敵はいないと思いますが、索敵を怠らずに参りましょう」

「了解。一航戦赤城、出ます」

 

あの化け物は戦いに来たというより、何かを探しに来ているという印象だった。

深海棲艦が此処から姿を消した今、可能性として最も高いのは第二鎮守府だろう。

陥落させた鎮守府を放置してもう一度来る理由は分からないが、それでも相手はたったの二隻。

この広い海で敵が二隻しかいないなら、遭遇せずに戻れる可能性のほうが高いだろう。

大和と赤城は揃って海へと繰り出した。

一隻は必ず来るであろう相棒を迎えるため、もう一隻は来るかどうかも分からない相手の所へ自力で帰り着くために。

 

 

§

 

 

その司令室には提督たる彼女と、予備役に回された雪風。

そして秘書艦の加賀が集まっていた。

話し合いの内容は、勿論加賀の魔改造計画。

もう一人の当事者たる工廠部部長は、加賀に積む艦砲の開発に取り組んでいた。

 

「しれぇー。電文ってなんだったんですか?」

「ふむ。大本営からの通信ですね。深海棲艦の勢力拡大に伴い、各鎮守府のノルマ増量と期限の切り上げの可能性があるから備えておけと」

「うちの鎮守府に問題は無いでしょう。提督が集めてくださった資材が各種五千以上。第二艦隊が集め、第二鎮守府に持ち込んだ資材か各種二千五百。当面は急な戦闘にも十分対応可能です」

「うちはしれぇが軍規に多少遊びを持たせてくださいますからねー」

 

加賀の魔改造計画は関わったメンバーが私財を投じて実行したため、鎮守府の財政には影響が無い。

しかし一般的には軍の装備に私財を投じて勝手な強化などさせてもらえない。

その辺りは司令官の運用方針一つなのが、現在の鎮守府の仕様である。

今回は提督すらノリノリで投資している為、何処からも文句は出なかった。

しかも今回の計画の副産物で、戦艦の主砲を筆頭に様々な艤装が開発されている。

加賀の強化に当てはまらずに外れ扱いされた様々な装備も、他のメンバーなら使いこなせるものがあるだろう。

 

「搭載する艦砲は、結局何にしたのです?」

「38㌢連装砲が最終候補に挙がっています」

「ほぅ……」

「性能的に前向きな所を申し上げますと、加賀さんは艦載機と誘導魚雷で超遠距離から中間距離までの攻撃手段が豊富という事です。其処を掻い潜って来る相手に対し、初速が速く近接戦に強い38㌢砲を叩きつける……というオールレンジ対応型に作りこんでいこうと思います」

「性能的に後ろ向きな所を申し上げますと、実際に背負ったとき、41㌢、46㌢砲だと重すぎました。41㌢砲ならまだ扱えない事は無いのだけれど、46㌢砲だと完全に私がバランスを失うわ。一方35.6㌢砲なら違和感無く扱えたので、その中間を試してみようと言う事です」

「38㌢砲で使いづらい時は、如何なさいます?」

 

加賀は少し考えたが、性能としては既に一定の結果を出している。

この上は理想最大値を取るか実戦の挙動を取るかであった。

 

「35.6㌢砲になるかしら」

「そうですねぇ……雪風としましては41㌢砲を推したい所ですが、完全に浪漫思考だって分かってますので……」

 

やや残念そうに俯く雪風に苦笑する司令官。

 

「なんにせよ……コレでまた、私が一人寂しく執務をする日々が近づいてきたのですね……」

「し、しれぇ?」

「ふふ、良いのです雪風。覚悟はしていたの。加賀さんは何時か、青い海の彼方へ旅立っていくって。だって其処に赤城さんがいるんですもの。思う所もあって改造計画に乗ってしまいましたが、戦力なんて強化したら前線に行くに決まってますよね……私、何を調子に乗ってはしゃいでいたんだろう。自分の首が絞まる事まで考えてもいなかった」

「そろそろ誰か秘書専門の艦娘を入れましょう。提督が激務を為さっている事は、秘書艦をさせていただいて私も痛感したわ」

「元軍艦で戦う為に生まれてくるような子達が、秘書専門なんてやってくださいますか……?」

 

やってくれるかではない。

彼女は命令してさせて良いのだ。

その発想が出てこないのは雪風としても加賀としても好印象だが、それで彼女が潰れたら目も当てられない。

 

「雪風がこのままやっても良いのですが、はっきり申しまして一番貢献出来ない立ち位置なんですよねぇ……」

「何事も向き不向きがあるわ。気にしないで」

「……本音は?」

「出来る出来ないの話じゃないの。やるのよ」

「えうぅー……」

「まぁ、秘書艦として仕事が出来るかどうかは別にして……雪風が居てくれるならそれはそれで有りなんですよね。貴女がいると、色々と楽なんですよ」

「ええ。話し手としても聞き手としても……貴女と話していると考えが纏まりやすいわ」

 

自覚の無い部分をべた褒めされた雪風はきょとんと小首を傾げてしまう。

卓上のお茶請けである最中等をかじって見せる仕草は、歴戦の武勲艦である事を全く感じさせない愛らしさがあった。

島風の言葉を借りるなら、ハムスターっぽい可愛さになる。

 

「所で、第三艦隊の哨戒帰りと定時連絡って明日でしたっけ?」

「そうですね。こちらも電文を使えればいいのですが、内陸から来る大本営と違って海近くから送る電文って届いたり届かなかったりするんですよね……」

「今の海は奴らの領域だから、仕方ないわね。確実に伝えたい事は直接行き来するしかない。迂遠だけど、致し方ないわ」

「ふむぅ……雪風は少し思ったのですが……」

「なんですか?」

「ほら、今何故かあっちの領海に敵が居ないみたいじゃないですか」

「はい。だから、資材の消耗も最小限です。それでもこちらは全力で集めていますから、備蓄も右肩上がりですね」

「その上で、あっちの鎮守府に引継ぎにくる提督さんも決まりそうなんですよね?」

「そうですね。人事としてはほぼ人が決まったみたいですよ」

「資材の潤沢な備蓄に、こちらの損害も無い……ならばその資材と戦力をもって次に行うのは、とうとうこの鎮守府正面の危険海域の制圧ですね!」

「ええ。実は私が加賀さんの改造を推したのは、その作戦を睨んでの事です」

「おぉ、しれぇが、しれぇっぽい事を……」

「貴女から学んだ考え方です。いや、余所様ではこういう事って提督が考えると聞いたときは本当に……ヤバイって思いましたよ」

「うちだと目的を定めた後、達成方法は大抵第二艦隊旗艦が示してくれるようですからね」

「雪風が無い頭で考えた事を、しれぇがお許し下さるから出来ることです。権限が無ければ雪風に出来ることなんて、駆逐艦一隻分の力しかないんですから」

「ダウト」

「面白い冗談ですよ、雪風さん」

「な、何故ですかっ」

「よう、楽しそうじゃねぇか」

 

最後に割り込んできたのは、改造計画に携わった最後の一人。

工廠部部長のベネットである。

彼は扉を開けずにすり抜けて入室すると、一枚の紙を虚空から呼び寄せ司令官に手渡した。

 

「これは……」

「書いてある通り、現状こっちの技術で38㌢砲ってつくれねぇわ」

「なんと……」

「元々海の向こうで主に使われていた主砲だからな。空気が合わねぇんだかどうなんだか……おれっちの腕じゃあ、資材どんだけ費やしてもまぐれ当たり以外じゃ引けそうもねぇ」

「フェアリーテクノロジーって妖精さん自身にも未知数な部分があるようですからね。作れないと言うなら致し方ありません」

 

そう言った彼女は卓上の端末を操作する。

其処にやってきた雪風と加賀。

彼女の指が幾つものキーを操作し、最後に送信して完了する。

 

「此処まで来て、主砲に妥協なんてありえません。大本営に在庫がないか問い合わせました。あったらそのまま送るように頼んであります」

「……お幾らでしょう?」

「まぁ、提督職って月給は高いけれど使う時間がありませんから。私達三人で返上した賞与の残りに加えて、私がローンを組めば何とかなります。生活だけなら此処に篭ればいい事ですし」

「そっか、しれぇは此処から出なければお金なくても生活できましたねぇ」

「はい。お高い装飾等にも興味がありませんし、今回のお祭りは楽しかったので最後まで納得の行くものにしたい所です」

「ありがとうございます」

 

魔改造の当事者が静かに頭を下げると、雪風はその背を叩き彼女も一つ頷いた。

後は主砲の在庫があれば、それを積み込む。

無ければ手に入るまで35.6㌢砲で様子を見ればいいだろう。

司令室に穏やかな空気が流れかけた時、急な警報が鳴り響いた。

音の種類から敵襲ではなく、艦娘の緊急入港要請だと知れる。

要請してきたのは第二艦隊所属駆逐艦、島風であった。

 

『緊急連絡よ! 司令官との面会を請うわ』

『そのまま司令室にいらしてください。雪風も加賀さんも揃っています』

『良いわね、話が早いわっ』

 

既に近海まで来ている島風の無線でそれだけ打ち合わせると、司令室にも緊張が走る。

 

「……あいつ、単艦で来ていましたか?」

「余程の事が起こったと見るべきでしょう。部長、私の艤装は?」

「後は加賀っちゃんが身に着けるだけさ」

 

部長の言葉に頷く加賀。

雪風は何時でも出撃出来る準備は調えてある。

やがて司令室に顔を出した島風がもたらした情報は、その場に居た全員の心に霜を降らせた。

 

「第一艦隊は大和さんと赤城さんが所在不明……」

「五十鈴さんと足柄さんが第三艦隊と合流して第二鎮守府へ帰港ですか」

「そう。そして第二艦隊も、羽黒が損傷大よっ」

 

島風達第二艦隊は、前線の第二鎮守府から遠征して物資を集めていた。

何せ其処には深海棲艦など居ないのだから、態々自軍鎮守府まで戻ってくる必要もない。

資材を集めては第二鎮守府に溜め込み、また遠征を繰り返す日々。

そして今から数日前、羽黒の索敵機が二隻の敵影を発見。

艦形は見たことが無かったが速力からして戦艦と判断した羽黒は、収集した物資を捨てて撤退を選択した。

夕立の三四ノットに合わせたとしても、戦艦相手なら逃げ切れる筈。

それは半分は正解であり、もう半分は見事に外れる事となった。

二隻のうちの一隻、若しくは二隻ともが航空戦艦だったらしく、百機程の艦爆に襲われた羽黒達。

それでも最初から荷物を捨てて逃げていた事もあり、何とか羽黒の大破と夕立が小破の損害を出しながらも第二鎮守府に引き上げる事に成功する。

敵戦艦と思われる二隻は、艦爆で襲ってきた以外は特に追撃をかけて来る様子は無かったらしい。

 

「で、逃げ帰って直ぐに第三艦隊も入ってきた訳よ。足柄は大破して自力で動けず。五十鈴はほぼ無傷みたいだけど、大和達は殿から囮になってまだ戻っていなかった。最低でも赤城は中破状態だったって」

「あっちは入渠ライン二本でしたよね……」

「うん。ぽいぬが直ぐに出られたから、入れ替わりでなんとかね。だけど、うちの戦力のツートップが不在のままで化け物戦艦が迫ってきてるの。なんか、真っ直ぐじゃなくていろいろ手探りみたいなんだけど……だんだん第二鎮守府方面に向かっているって羽黒が言ってた。至急増援を送らないとヤバイわよ!」

「増援と申されましても……」

 

雪風と加賀は互いを見合わせる。

此処で残った艦娘は、最早雪風と加賀しかいない。

雪風は島風が持ってきた情報を頭の中で整理しつつ、司令官に許可を得て幾つかの確認を済ませる。

 

「ねぇ島ノ字や」

「なんですかな雪ノ字や」

「……大和さん達が交戦した敵と、島風達を艦爆で襲った敵……同じ敵だと思いますか?」

「長身黒髪と銀髪のチビ。五十鈴と容姿の確認は済んでいるわ。服っぽいモノも同じ、そして今までの等級で類似がない艦形……それが全く別物の可能性は逆より低いと思うわね」

「なるほど、分かりました。次に第二艦隊が撤収する時、その二隻以外の深海棲艦を見ましたか?」

「いや……爆撃掻い潜って逃げるのに手一杯だったけど、少なくとも第二艦隊では見ていないわ」

「第一艦隊は?」

「ん……ごめん、其処は確認していなかった。でも五十鈴達と合流して来た第三艦隊は、第二鎮守府近海で一回軽空母共と戦った見たい」

「…………なるほど」

 

そういった雪風は俯いて考え込んだ。

万全の状態の第一艦隊を半壊させる敵がいる。

それも、たった二隻で。

状況はかなり厳しい。

 

「……強行な出撃をする理由が無かった。故にバケツの備蓄が無い……ライン二本は重巡洋艦で埋まっているから赤城さんが戻っても直ぐに入れない……か」

 

そもそも、大和と赤城が既に沈んでいる可能性だってある。

この場では絶対に言えないことだが、全員が考えてはいるはずだった。

大和達が生死不明の現状が不味い。

もし既に沈んでいるとすれば、もう第二鎮守府等放置して撤収すべきだろう。

しかしまだ生き延びていてくれるなら、置き去りにして撤退は出来ない。

現状では、雪風はまだ生き延びてくれている可能性が高いと思う。

これは決して希望的観測ではない。

その理由は……

 

「雪風……」

「はい、しれぇ?」

「現状、我々が取るべき行動はなんだと考えますか?」

「んー……不思議なんですよ。現状敵の強さが桁外れすぎて、かなり一方的に損害を被っています。でも……こっちが敵に対応出来ないだけで状況が不利じゃないんです」

「それはつまり……」

「はい。此処で応手を違えなければ、巻き返せると思います」

「なるほど。教えてください」

「はい」

 

応えた雪風は説明を始める前に、一度島風を見た。

視線に気付いた島風も真っ直ぐに見つめ返す。

其処にあったのは、不安と期待の入り混じった雪風の瞳。

これから自分が言い出すことが、受け入れられるか自信がないのだろう。

 

「うー……とりあえず何でも言ってみてよ」

「はい、では……増援は加賀さんと、ベネット部長で行って下さい。雪風はまだ、此処ですることが出来ました」

「まぁ……何となくそう言い出すのかなぁとは思ったんだけど……」

 

島風は半眼で相棒を見つめる。

たじろいだ様にやや上体を反らせるが、それでも気圧されない様に見つめ返す。

雪風が島風を怖がったことなど一度も無い。

今精神的に劣勢なのは後ろめたいからだ。

足柄と羽黒が大破し、赤城は中破して大和と共に行方知れず。

鎮守府には強大な敵が迫っており、味方の探索と防衛を同時に行わなければならない。

苦境であるからこそ、雪風は前線に向かう事の意味は大きい。

今の提督の下で最先任であり、多くの実績を積み上げてきた指揮官が、居るのと居ないのでは士気が全く変わるだろう。

行けるのに行かなかったとすれば、雪風への信頼だって揺れるかもしれない。

しかしそれでも、雪風が必要だと思うのならば……

 

「あんた、何を考えているの?」

「皆さんが此処に帰ってこれるように」

「その為に、必要なのね」

「はい」

「時間は?」

「多くはありません」

「ん……分かった」

 

島風は自分達のやり取りを見守っていた司令官に視線を向ける。

彼女は一つ頷くと、雪風の提案に沿った指示を出した。

 

「島風さんと加賀さんは、ベネット部長と共に第二鎮守府へ向かってください。大和さんと赤城さんを探して、可能であれば敵戦艦の撃破を。無理だと判断したら、あんな所さっさと引き払ってくれて構いません。撤退の判断は、加賀さんにお任せします」

「了解。出撃します」

「あ、しれぇー。ちょっと第二艦隊の編成を弄っていいですかー?」

「ん? まぁ、構いませんが……」

「ありがとうございます。では……島風」

「何よ?」

「雪風が行けず、羽黒さんが負傷した以上、第二艦隊の存続は島風と夕立に掛かっています。お願いしますから、雪風達が帰る所を潰さないでくださいよー?」

「当たり前でしょ。任せておいて。でもさっさと帰って来い!」

「こっちの面倒ごとが片付いたら、直ぐにでも駆けつけます。だから……第二艦隊暫定旗艦、よろしくです」

「うん……分かった。預かるわ」

「戦闘回避も撤退も出来ない時は、五十鈴さんに預かってもらってください。現有戦力だとそれしか活路って無いですから」

「い、五十鈴っ、あいつの下かぁ……」

「ものっそいガチガチで厳しいと思いますけれど、こういう時はすっごい頼りになる方ですよぅ」

「お、おぅ……分かった。そうする」

 

心底嫌そうではあるが、一応承知した島風である。

この駆逐艦は根が素直なため、一度口にだした事は守るだろう。

島風と加賀は揃って提督に敬礼し、第二鎮守府へ向かうために退室した。

 

 

§

 

 

司令室に残った二人。

しばらくは声も無く黙っていたが、ふと雪風が呟いた。

 

「しれぇー」

「なんですか」

「……鎮守府正面の危険域の制圧、遠くなっちゃいますね」

「そんなもの、皆さんが無事なら何時でも出来ますよ」

「……そうですね。雪風も頑張らないといけません!」

 

雪風はこれからの自分が取るべき行動を定めるため、確かめなければならない事がある。

それは提督たる彼女が居なければ出来ない事だ。

 

「それで、雪風は何を成す為に残ったのですか?」

「もっと早く気付ければ良かったんですが……深海棲艦の勢力図が変わっている可能性があったんです」

「……は?」

「第二鎮守府の領海から深海棲艦が消えました。そして入れ替わって現れた、姫種と思われる戦艦です。他の深海棲艦は、そいつの命令で何処かに移ったと考えるのが自然ですよね。だとすれば……」

「あ……つまりあちらの鎮守府の隣接か、そう遠くない所で深海棲艦の密度が倍になった海域があるっ」

「その通りです。苦労していると思いますよ? 何せ連合鎮守府からまだ三ヶ月、あ号作戦ならたった二ヶ月……吐き出した資材を集めなおす時期ですから。其処に対し、うちは資材に余裕があります。上手にお話を持ちかけて……」

「其処を基点に連合を組むのですね」

「はい。その姫がどうして僚艦を退かせたのかは分かりませんが、第一艦隊と交戦して第二艦隊とも接触しました。第三艦隊は他の深海棲艦と戦ったようですし、おそらく呼び戻しが掛かっています。現状こっちに確定の犠牲者が居ないのは、あそこに二隻しか敵が居ないからです。だけどその二隻に加えて、元からあそこにいた連中まで戻って来たら……奴らは出先で殲滅し、絶対に第二鎮守府の領海に戻らせる訳にはいきません」

 

他にも雪風には思案が有ったが、とりあえず長々と説明している時間が惜しかった。

雪風は司令室の窓から海を見る。

それほど時間を置かず、島風と加賀が出撃していくだろう。

本当は、雪風も一緒に行きたかった。

居なくなった大和を自分の手で探したい。

雪風が見つけ出したとき、大和は心底喜ぶ筈だ。

あの大和が、喜んでくれる……

自分は簡単に出来るから気付かなかった。

大和にとって心から喜べる事が、自分に関わることしかなかったなんて。

雪風は自分の手で医務室に送り込んだ大和を見舞いに行った事がある。

雪風の姿を見て震え上がり、ベッド上の土下座から始まった面会。

笑って謝罪を受け、水に流して逆に怪我をさせた事を謝った雪風。

その後の礼節に乗っ取った、型通りの見舞いの言葉のやり取り。

しかし一通りが済み、退出しようとした雪風に大和がぽつりと呟いた。

 

――大和にはそれでも良いですけれど……それを第二艦隊でやったら、そろそろ嫌われてしまいますよ?

 

ソレは残念ですが、そうなったら仕方ありませんよ……

頭の中に浮かんだその模範解答を、雪風はこの時言えなかった。

既に第二艦隊は雪風にとって大切な居場所だったからだ。

簡単に切り捨てられる絆ではなかった。

その後も二、三言のやり取りがあったが、兎に角突っかかって来たのは大和だった筈である。

そして始まったのは、互いに本音の殴り合い。

それはスパナで頭を殴ったことなど可愛く思えるほど、苛烈な口喧嘩になった。

双方に感情の制御が利かず、雪風はいつの間にか大和を泣かせてしまっていた。

かなりえげつない言葉を投げた気がするのだが、激昂していた雪風は正直覚えていなかった。

覚えているのは大和の事。

大和は雪風に、自分の中で雪の様に降り積もる憎悪がある事を打ち明けた。

前世の憎しみを思い出していく大和にとって、雪風を想う気持ちだけが前を向いて歩みだした証だった。

それほど必死に雪風を慕っていた。

自分の中でたった一つ、綺麗だと思える感情だったから……

ベッドの上で、シーツを握り締めながら泣いていた大和。

雪風はこの時、自分が今まで大和の何も見ず、聞いてこなかった事を痛感する。

泣きやんで欲しくて、慰めたくて、無意識に手を伸ばして大和に触れようとしたが、寸での所で自制した。

今の自分には大和に触れる資格など無いのだと思ったから。

触れれば喜んでくれる事は知っていたが、不誠実だった今の自分に大和の好意は眩しすぎた。

それほど真剣だったから、雪風も真剣に向き合う決意を持ったのだ。

こっちだって本気になったのだから、勝手にいなくなるなど絶対に許さない。

大和は必ず帰ってくる。

 

「大和さんは雪風を信じてくれる。雪風も大和さんの強さを信じてる……もうあ号作戦の時みたいに、雪風はぶれませんよ」

 

好き放題やらかしてくれた深海棲艦へ反撃の決意を固める雪風。

その口元に浮かぶ笑みは、時雨との演習で見せたソレに酷似していた……

 

 

―――――to be continued

 

 

 

 

 

――極秘資料

 

No3.駆逐艦夕立

 

鎮守府で三番目に建造された、白露型駆逐艦。

興奮すると目が紅くなる仕組みは謎。

通称ぽいぬ

 

 

・覚醒

 

機能1.瞳が真紅に染まります。中二病患者には永遠の浪漫です。

機能2.高い錬度を得るか、コンディション値60以上でこの状態に入る事を選択出来ます。

機能3.艦砲射撃に大火力を付加し、その他の戦闘行動にも上方修正が入ります。

機能4.コンディション値減少速度が増加します。

 

・共感

 

機能1.艤装に宿ると言い伝えられる、目に見えない妖精さんと感応出来ます。

機能2.艤装の限界半歩手前を感性で見極めて踏み止まれます。艤装の製造過程で生まれる誤差のレベルまで対応出来ます。

 

 

 

 




後書き

どうも、何時もの遅筆駄文メイカーでござーい。
最初の頃は二、三日で一つ投稿していたのになぁ……まぁあの頃は仕事してなかったけどw

今回とうとう大和さんを内側から侵食しているものが出てきました。
原作で大和さん、ホテルって言われると否定しているんですけど、ホテルしてる時はとても楽しそうに感じるんですよね。
自分でもホテルって言っちゃってますし、とってもぶれを感じます。
この辺りになんか……出雲丸に近いというか……。
大和さんって豪華客船やってたほうが幸せだったんじゃないかなぁって思いがあって、この性格になっていきました。
むっちゃんメインの時さらっと書きましたが、あの時の大和さんは幸薄いどころか幸せ絶頂期だったんです。
もっとも大和さんを出したときにはウィキの文字だけのイメージでした。
でも実際に大和さんを弄り回して声を聞いていると、あぁ、うちの大和はこれでいいやと今は納得もしています。
それとこのSSを書いていく上で物凄い悩んでいたキャラクター設定も、なんとか此処で固まりました。
殆どのキャラは性格も対他キャラとの好感度も頭の中にあるんですが、一つどうしても決めきれない部分がありました。
それが、大和と赤城の関係です。
この二隻の間に負の感情を持たせるか否かは、私の中でかなり長い間葛藤してきた部分です。
どちらであっても美味しい調味料になりえる要素でした。
しかし自分の腕には勝ちすぎる、調理しきれない魅惑の劇薬でもありましたorz
このSSでは赤城さんに一歩譲っていただき、このような形になりました。
それにしても、艦娘達が平和な鎮守府でキャッキャウフフするストーリーの筈がどうしてこうなったんだか……
あと今回日誌がありません。
遂にタイトル詐欺まで入りましたよ奥様orz
雪風の戦場が徐々に後方に移ってきましたが、前線はどうしようかな……そろそろこっちも覚悟を決めないと。
っていうか、前線で戦わない前線指揮官系主人公ってどうなんだろうとは思うんですが……
雪風には雪風にしか出来ない戦いをしていただきたいと思います。



現在二航戦と綾波と忍者のレベルを上げています。
でも追いつきません。無理ですorz
5-3も捕鯨もやってる時間がない;;
執筆とながら作業でやれるのがオリョクルしかないんですよね自分……
もっと高性能な頭と手がほすぃですorz

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