駆逐艦雪風の業務日誌   作:りふぃ

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希望

天津風は自分の半生を振り返ったとき、幸福なのか不幸なのか分からない。

生まれた時は多分、不幸だった。

其処は悪徳鎮守府の工廠。

当時はまだやる気のあった妖精達が消耗の激しい鎮守府の為に作り上げた、沈みにくい駆逐艦が天津風だった。

生まれながらに備わっていた、他の陽炎型よりも厚い装甲と高い回避能力。

しかしそんな天津風も、あの司令官に掛かれば消耗品の駆逐艦一隻に過ぎなかった。

天津風としても駆逐艦なんてそんなものだろうと納得してしまっていた。

他の鎮守府の事など知らない彼女は、かつての自分達の使い方とそう変わらないモノだと受け入れる。

それでも死にたかった訳ではない。

彼女には海底の汚泥を啜ってでも生き延びる目的があった。

かつての第十六駆逐隊のメンバーと再会する事。

天津風は前世における十六駆の解隊に納得していなかった。

戦力としては瓦解していたかもしれない。

それでも雪風は健在であり、戦える状態ではなかったが、天津風も尚海上に在ったのだ。

しかし現実として十六駆は解体され、雪風は第十七駆逐隊へ編入された。

雪風は其処で、五隻編成の駆逐隊など例が無いと言われたそうだ。

うちに来なくても良いのでは……とも。

その通り。

そんな所に行く必要は無い。

雪風の組む本当の相手は、十六駆にはまだ自分が居るのだ。

時津風を見失っても、初風が帰って来られなくても、雪風と自分が居れば十六駆は終わらない。

絶対に終わらすまいと、死に物狂いで故国に帰ろうとした天津風。

凄絶な執念は、確かに天津風に力を与えていたのかもしれない。

彼女が力尽きたのは、坊ノ岬で十七駆が雪風を残して壊滅した後である。

天津風は今生において、未だ十六駆の仲間と出会っていない。

再会を果たすまで決して沈まぬと決意した天津風は、使い捨ての駒として僚艦が沈む凄惨な海で生き延びた。

やがてしぶとい天津風は司令官の目に留まった様で、鎮守府最強の航空母艦の護衛艦として共に運用される事になる。

その空母……加賀はどれ程の地獄を見て来たのだろう。

天津風と組み始めたときから彼女は虚ろな瞳で淡々と敵を沈め、帰港する度に嘔吐を繰り返すような艦娘だった。

生まれた時からの性だろうか。

生来世話焼きだった天津風は、そんな加賀を何かと構うようになる。

相手はなかなか自分の事を覚えてくれなかったが、なんとか固体識別させるまでにはなった。

傍で見る加賀は、圧倒的としか言いようの無い強さだった。

たった一隻で戦局を左右できる艦娘。

かつての艦と違い性能に個人差がある艦娘は、横並びに使うよりも強い固体を集中運用する方が戦果に繋がりやすい。

逆に言えば加賀が居たために悪徳鎮守府が生き延びてしまった側面もあるのだが、現場で戦う自分達にそんな理屈は意味が無かった。

とにかく加賀を無傷で送る。

それこそ過酷な任務を完了させ、自分達が生き残る最善にして唯一の方法なのだから。

しかし上には上がいた。

自分達の最後の出撃。

それは今までどの鎮守府でも成功した例の無い、戦艦棲姫討伐任務だった。

旗艦の加賀すら、途上で僚艦に離脱を勧める程見込みの無い作戦。

果たして、結果は惨敗だった。

当時は見たことの無かった装甲空母が二隻掛りで加賀を抑え、次々と沈められる仲間達。

それは戦闘と呼べるものではない、一方的な虐殺だった。

天津風自身この海戦の敗北は必至と見切り脱出路を探り始めた。

そんな地獄のような海に現れたのが戦艦棲姫。

天津風にとって最初の飼い主が鎮守府の司令官だとしたら、彼女は二人目の飼い主という事になるだろう。

殺しに来た自分達である。

殺されたとしても文句など言えるはずは無い。

しかし戦艦棲姫は仲間達の虐殺行為を止めさせた。

その時点で生きていたのは自分と加賀しかいなかったが、とにかく止めさせたのである。

戦艦棲姫は生き残った自分達とたった一隻で戦い、撃破した。

天津風が二度と戻れぬと覚悟して落ちた昏睡から醒めた時、武装を解除されはしたものの生かされていた。

そして数ヶ月、天津風はこの奇妙な姫に飼われて暮らす事になる。

戦艦棲姫は司令官より優しかった。

保障された生活は当然制限もされたが、それまでの環境よりも遥かにまともなものだった。

鎮守府と戦場しか知らぬ天津風にとって、最も自分を丁重に扱ったのが敵の姫だった事は皮肉としか言いようが無い。

元々戦艦棲姫に個人的な恨みも無かった天津風は、彼女と様々な会話をしたものだ。

そんな戦艦棲姫が水マフと呼ぶ戦艦と共に、旅に出ると言って来たのは二ヶ月ほど前の事だったか。

一月もすれば戻ると言っていた姫は、期限を過ぎても戻ってこなかった。

拘束されている訳ではないが、探しに行く事は出来なかった。

姫の住処を出てしまえば、其処は無数の深海棲艦がたむろす危険地帯。

戦艦棲姫の庇護する地から出てしまえば、問答無用で撃たれるのは間違いない。

気をもみながら姫を待っていた天津風。

しかし今日、突然彼女は戻ってきたのだ。

その雰囲気はまるで別人だったが、姿形は確かに戦艦棲姫のもの。

安心半分、警戒半分で声を掛ける。

そして……

返答は砲撃によって示された。

自分の中で何か貴重なものが壊れた音を聞いた気がする。

自分で考えていたより、戦艦棲姫に気を許していたのだろう。

半ば無駄だと気付いていながら、訴える事を止められない。

気に入らなかった。

以前は絶対にしなかった薄気味悪い笑みを浮かべる姫も。

少し苦手だと言っていた装甲空母二隻を侍らせているその姿も。

裏切られたという事だろうか。

そもそも自分は彼女の捕虜であり、即座に処刑されても文句は言えなかった。

おかしかった関係が元に戻っただけなのかもしれない。

しかしそれでも、天津風は言葉を尽くす。

自分自身の為ではない。

今の状況が、あの優しかった奇妙な姫の望みとはかけ離れていると感じたからだ。

やがて装甲空母の雷撃を受け、足回りの艤装を破壊された。

納得が行かなかった。

こんな所で沈みかけている自分にも、変わってしまった姫にも、腹の立つ笑みを浮かべている装甲空母共も。

全てがたまらなく悔しくて、双眸に滲む涙が止まらなかった。

歯をすり潰さんばかりに食いしめ、うつむいた天津風。

何も成せない自分の非力を憎みながら死を待つ彼女は、覚えの在る声を聞く。

 

『ソイツハ先代ガ鹵獲シタ先代ノ遺産ダロ? 誰ノ許可ガアッテ汚イ砲身向ケテンダ……アバズレガ』

 

遺産。

戦艦棲姫に水マフと呼ばれていた少女は、確かに自分をそう言った。

あの戦艦棲姫が沈んだ?

加賀すら寄せ付けずに一蹴した、あの戦艦が。

ならば先程まで自分を狙っていた姫は別人なのだろうか。

確かに深海棲艦は見た目の固体識別が難しく、艦種別に一括りにされているが……

混乱する天津風を他所に、深海棲艦の同士討ちが始まった。

それは悪徳鎮守府に所属し、数多の修羅場を潜り抜けてきた彼女をして戦慄する領域の戦い。

青く光る瞳の空母が、装甲空母の鬼姫達と互角の航空戦を演じている。

戦艦棲姫と戦艦少女が、大口径の主砲を交換する。

響き渡る轟音。

空気を震わせ、海を陥没させるような衝撃。

深海棲艦双方が振るう破壊力は尋常ではない。

自分達がこれまで戦っていた存在の中でも、最上位にあるモノ達の激突が目の前で起こっていた。

 

 

§

 

 

『コノ程度モ避ケラレナイノ? ソレデ、ヨクモ大口ガ叩ケタモノネ』

『コノ程度ダカラ避ケル必要ガネェンダヨ。オマエハ随分チョコマカ動クナ? ソンナニ僕ガ怖イノカイ』

 

戦艦棲姫は主砲と副砲で少女を狙う。

それに対し、少女は砲弾を中空で狙い打つという離れ業で対応している。

信じがたい光景に、天津風が目を見開いた。

少女の狙いはかなり正確だが、撃ち洩らしも当然存在する。

まして砲塔の数は明らかに戦艦棲姫の方が多かった。

少しずつ少女の周りに降り注ぐ砲弾が増え、その艤装に直撃するものも在る。

しかし姫には及ばぬものの、少女の装甲と耐久も並みの戦艦と桁が違う。

戦艦棲姫は直撃弾から感じる手応えに眉をしかめた。

効いていないわけではない。

しかし致命からも程遠い。

そうしていると、少女も唐突に相殺から直撃狙いに切り替えてきた。

砲撃は初弾にも関わらず命中コースに乗っている。

舌打しつつ回頭し、少女の砲撃を回避する。

その先で照準を修正し、全砲門を解き放つ。

戦艦棲姫の視線の先で薄ら笑う少女。

姫の旋回に対応して艦首だけは正面で捕らえ、撃ち込まれる砲撃には中空相殺を狙っている。

今度の砲撃では命中弾が全て叩き落された。

そして一度砲撃してから次弾装填の速度は少女の方が遥かに速い。

反撃で撃ち込まれる少女の砲撃。

回避運動で位置が常に変わっているにも関わらず先程よりも遥かに早く、そして正確に自分の位置に降って来る。

動力の急制動と旋回を織り交ぜて回避する戦艦棲姫。

 

『アハハッ! ホント良ク避ケルジャン。スゲェスゲェ! マルデ駆逐艦ミタイダヨオ姫様』

『……黙レ』

『聞キ流セヨー、可愛イ負ケ惜シミダロ? 僕ハ被弾シテ、オ前ハ無傷サ。オメデトウ、ダメージレースハ優勢ダヨー?』

 

小馬鹿にしたような少女の声が非常に癇に障る。

砲戦開始から少女は一歩も動いていない。

腕を組み、口元に笑みを浮かべ、砲撃精度のみで戦闘を継続させている。

戦艦棲姫が撃てば少女は命中弾を撃ち落す。

少女の反撃は戦艦棲姫が回避する。

一見五分の攻防は、やがて少女の優位に傾いていく。

撃ち落しの精度は試行回数が増えるほどに向上し、反撃の速度と精度も徐々に姫の回避能力を超えてきた。

 

『ナ、何故初弾カラ此処マデ狙エルノッ』

『初弾ジャネェヨ。オ前ノ居ル位置カラ撃ッタ砲弾ヲ撃チ落トシテルジャン』

『……アッ』

 

戦艦少女は姫の砲撃を相殺し、その時の砲弾の角度で反撃の距離と砲軸を調整していたのである。

戦艦棲姫はついに避けえず、被弾しながら少女の技量に戦慄した。

 

『オ前馬鹿ダロ? 自分ノ性能考エテ戦闘組ミ立テロヨ』

『……五月蝿イ、黙レッ』

 

戦艦棲姫は耐久、装甲、火力の全てで少女を遥かに上回る。

ならば戦艦らしく、堂々と押しつぶせば良い。

少女の砲撃を受け止め、その代わりに自分の弾丸を同じ回数当てれば、先に力尽きるのは少女の方だった。

それなのに、姫は回避を選択した。

確かに避けれるものを態々食らう必要は無いだろう。

しかし戦艦が、砲撃精度を犠牲にしてまで格下の射撃から逃げ回ってどうするのか。

少女が真似事ながら弾丸相殺など出来るのは、自分の座標を完全に固定しているからだ。

それによって海上とは言え足場を定め、縦揺れや横振りを極力排除しているからこそ命中精度を確保出来る。

 

「ネグリジェト同ジ艤装ダガ……モシカシテ腕ノ操作ニ自信ガナイノカ? 戻ッタバッカダシ、仕方ナイト言エバソノ通リダケド」

 

戦艦棲姫は自分の砲撃に耐えうる装甲を持っているのに、当てるよりも避ける事を優先している。

最初に放った副砲を避けたときから思っていた事だ。

この姫は戦艦としての怖さが無い。

敵艦のどんな砲雷撃をもってしても倒せぬ絶望と、たった一発の被弾で粉砕される恐怖の象徴こそ戦艦ではなかったか。

少なくとも、少女にとって先代の戦艦棲姫はそれを体言する存在だった。

こいつはそれが分かっていない。

だからどれ程圧倒的な火力と装甲を誇ろうと、少女には目の前の姫から全く怖さを感じないのだ。

精神的に気圧されかけている事を、戦艦棲姫自身感じていた。

海上で交わされる砲撃の遥か高空では、青目と装甲空母達の艦載機が戦っている。

満月を背景に無数の艦載機が入り乱れる空は、天津風の目に奇妙な非現実感を持って写っていた。

何が起きているのか、正直もう分からない。

とにかく、仲間に会いたかった。

 

「オーイ」

「ひっ!?」

 

真後ろから掛けられた肉声に、天津風は首だけで振り向いた。

手が届く距離にいるのは、深海棲艦の航空母艦。

薄い黄金の波動と青く輝く左目。

駆逐艦たる天津風よりもかなりの長身であり、帽子部分を含めて見下ろされるときの圧迫感は凄まじい。

そんな存在が、のっそりと右手を伸ばしてくる。

とっさに身構えるが、足回りを損傷している天津風に出来る抵抗といえば睨み返すのみ。

勇ましい小船に苦笑した青目は、天津風を小脇に抱え込んだ。

 

「ちょっ!?」

『確保ォ!』

『ソノママ持ッテテ。今一寸手ガ離セナイカラ』

『承知。存分ニ成スガヨイ』

 

天津風は青目の空母を見上げると、その視線の先には戦艦棲姫と少女の戦場があった。

会話をしつつも空の戦いは途切れる頃なく続いている。

青目の艦載機は徐々に空を制し、装甲空母姉妹の艦載機を主戦場から少しずつ押し出していく。

 

『化ケモノ?』

『化ケモノ!』

『ホザケ戯ケ共。理不尽ノ権化タル鬼姫ニ言ワレタクナイワ』

 

装甲空母達の悲鳴が夜空に響く。

航空戦を優位に進める青目は更に爆、攻撃機の牽制によって敵空母すら徐々に主戦場からはじき出す。

最初に宣言した通り、正に捌いて見せていた。

 

「ノウ、艦娘ヤ」

「何よ」

「ヌシハ……前ノ姫ノ知リ合イカ?」

「……捕虜よ」

「成ル程」

「……戦艦棲姫は、死んだのね?」

「死……フム。ヌシヲ捕ラエタ姫ノ事ナラ、死ンダト言エル。戦艦ノ姫ハ、アノ通リ滅ンデオラヌガナ」

「あのチビ戦艦……アイツは姫種か何かなわけ?」

「違ウ。アレハ……希望カナ」

「希望……」

「前ノ姫ト在リ方ガ似テイル。元々ソウナノカ継承シタノカ……マァ奴ハ嫌ガルダロウガ、アノ背ヲ追ウモノハコレカラモット増エテ行クゾ」

 

心底楽しそうに先を語る青目の空母。

彼女が見守る戦場では、尚も戦艦棲姫と少女の死闘が続いている。

戦艦棲姫は此処へ来て少女の言葉の意味を悟ったらしい。

遅まきながら足を止め、回避を捨てても確実に当てていく戦闘へシフトした。

姫から受ける圧力が増した事を承知しながら、少女も真っ向から受けてたつ。

姫種と相対し、怖気も怯みも無いままに堂々と戦う戦艦少女。

この時には戦艦棲姫も気付いていた。

自分の前に立ち塞がったこの少女は、きっと希少な存在なのだと。

 

『オ前ハ、前ノ姫ノ僚艦カ?』

『前ノオ前ニ惚レテタンダヨ』

『……ソウ』

 

少女はその能力においても気概においても、清々しいまでに戦艦だった。

それは以前の戦艦棲姫を見て来た故の事であるが、それを知らない今の姫には少女自身が眩しく思う。

それぞれの内心とは裏腹に激しさを増す砲撃戦。

一発の破壊力と砲門の数では戦艦棲姫が上回り、砲撃速度と命中精度は少女に分がある。

両者共に被弾と損傷が蓄積し、中破に届く傷になる。

その中で姫が放った一発の主砲が少女の肩に直撃した。

衝撃はついに少女の足を水面から引き抜き、小さな体がよろめいた。

千載一遇の勝機を得た戦艦棲姫は、少女が損傷確認と誘爆阻止のダメージコントロールを行う隙に次の弾丸を装填する。

狙い、定め、撃つ。

感傷はあれど反逆した同胞を撃つ事に躊躇う事の無い戦艦棲姫は、必殺の意思を篭めて主砲を放つ。

少女は海上で片膝をついたまま相殺射撃の為に照準を修正する。

しかし撃てなかった。

目の前に割り込み、海面から跳ね上がった何かが目に入ったのだ。

 

「エ……?」

「ンナ!?」

 

飛び込んできたのは駆逐艦。

人間達からイ級と呼ばれる存在は、戦艦棲姫の射線に飛び込んで被弾した。

訳がわからないのは、姫も少女も同様だった。

しかし居合わせた十隻程の駆逐艦達は半数が姫に向かって突っ込み、もう半分は少女を囲む。

砲を向けての包囲ではない。

駆逐艦達は艦首と砲塔を戦艦棲姫に向け、あたかも輪形陣を組むが如く少女を取り囲んだのだ。

 

『オ前ラ何ヤッテンノ?』

『キュー?』

『……駆逐ガ会話ナンザ無理カ』

『キュー!』

 

言葉は通じずとも、駆逐艦の士気が高い事は少女にも分かった。

彼女は知らない事だが、此処に居た駆逐艦は全員が先代の姫に救われた事がある。

かつて姫の戯れで渦潮乗りに繰り出し、艦娘達の精鋭部隊と遭遇した駆逐艦達。

あの時守ろうとした姫に逆に庇われて以来、彼女の周囲には懐いた彼らがついて回る事があった。

eliteやflagshipであろうと、所詮は駆逐艦の思考力。

戦艦棲姫に起こった戦没や、代替りを正確に理解しているものは居ない。

彼らは単に姫が不在の間は寂しがり、今夜急に戻った姫に喜んで会いに来た。

それはある意味で装甲空母達と同じ。

しかし彼らは単純であるが故に違和感に敏感だった。

艦娘の駆逐艦を嬲り、嫌な笑みを浮かべる彼女が『違うモノ』だと直感する。

姿形は同じでありながら、本能が違うと訴えてくる相手にどうすれば良いか分からなかった。

其処に現れた戦艦少女。

姫と同じだが違うモノを撃ち、そのまま戦い始めた少女を見た時、単純な彼らは理解する。

姿形が全く違うこの少女と自分達の姫は『似ているモノ』だと。

同じだけれど違うモノと、違うけれど似ているモノ。

両者を見比べた駆逐艦達は装甲空母と違うモノを選んだのだ。

戦艦棲姫に突入を開始した五隻の駆逐艦達は近接距離から砲雷撃戦を開始する。

駆逐艦の主砲でまともな傷など入る筈がない。

頼みの魚雷すら、殆ど効果が上がらない。

両者の間には精神論では覆しようの無い絶望的な差があった。

纏わりつく小船に苛立つ姫の反撃。

たった一発の副砲で沈む赤い駆逐艦。

更に主砲で少女を狙うが、前面に展開した駆逐艦が跳ね上がってカットする。

少女の盾になりながら沈んでゆく黄金の駆逐艦。

 

「……マジデ何ヤッテヤガル」

 

何故か割り込んできた駆逐艦達の行動に半眼になる戦艦少女。

まさかこいつらは、自分を守っている心算なのだろうか。

姫に纏わりついては消し飛ばされているあいつらは、援護でもしている心算なのだろうか。

苛立つ少女の前面には沈んだ駆逐艦の変わりに別の一隻が入る。

駆逐艦達が何を考えているかは分からないが、何をしようとしているかは分かってしまう。

少女は息を吐きつつ組んでいた腕を解く。

空気を引き裂く音と共に降って来る弾丸。

合わせて跳ね上がろうとした駆逐艦の頭を掴み、海面に押し付ける。

同時に掴んだ駆逐艦を自分ごと尻尾に巻き込み、姫の砲撃をまともに食らう。

 

「キュー……」

「オ前ラ、本当ニ、マジデ、ウザイ」

 

尻尾で抱き込んだ駆逐艦を開放しつつ、傷ついた身体で立ち上がる。

突入組みは既にニ隻まで撃ち減らされ、無謀な攻勢のツケを正当な轟沈によって贖っていた。

全滅は時間の問題だろう。

新たな弾丸を装填しつつ、姫に向かって呼びかける。

 

『オイ、アバズレ』

『何カシラ、チビ』

『今日ハ見逃シテヤルカラ、サッサト失セナ』

『何ヲ言イ出スカト思エバ……コイツラノ数ヲ獲テ勝テルトデモ踏ンダノカシラ?』

『ナマ言ッテナイデ、見逃シテヤルッテ言ッテンダカラ素直ニ消エレバイインダヨ』

『ソレデ気ノ効イタ命乞イノ心算? 見苦シイワヨ』

『……アァ、ソウカイ』

 

両者の会話の間でも駆逐艦達の猛攻は続いている。

ある一隻は密着からの砲撃を試みようと、副砲を掻い潜って接近した。

命がけで獲った姫の懐だが、艤装の腕はかすり傷一つついていない。

そのまま巨大な腕に掴み上げられ、即座に握り潰される。

赤い雫が腕から伝い、姫の頬に滴った。

その光景は少女にある意味での敗北を飲み込む決意を促した。

 

『僕ハ最後ノチャンスヲヤッタノニナァ……本当ニ、救エネェヨ』

 

少女は右手を一度海面に翳し、それからひらりと裏返す。

そして空を向いた掌を手首から起こし、招くように手を振った。

瞬間、海面が泡立った。

その変化を目視で捕らえた姫は、状況を確認する為に目を凝らす。

異変の正体は直ぐに分かった。

水面を持ち上げ、跳ね上がってきたのは百に近い数の艦載機。

戦艦棲姫の背筋に冷たい汗が滴った。

 

『ナッ!?』

『見逃シテヤルッテ言ッタ。素直ニ退クナラ、ソノ駆逐艦共ダッテ僕ガ止メテヤル心算ダッタ……ダケドオ前、逃ゲナカッタナ』

 

同じように左手を海面に翳し、裏返して手招きする。

先程と同じ現象が水面に起こり、飛び出してきた飛び魚艦爆。

その数は先代との最後の旅の時を遥かに上回る百八十機。

あの時、敵の化け物空母を相手に制空権を守れなかった少女は、魚雷の遠当てと一緒にこちらも改造していたのだ。

 

『戦艦トシテノ勝負ハ、僕ノ負ケサ。認メルヨ……ヤッパリ姫ハ凄イヤ。ダカラ、此処カラハ僕モ本気デ行クヨ』

『ッ……』

 

飛び魚達はその場で一つ、二つと跳ね上がり、三回目で着水する事無く舞い上がった。

青目の空母すら上回る数の艦載機群。

それらが一斉に垂直上昇する様子は、戦艦棲姫のみならずその場にいた全員の目を釘付けにした。

空を埋め尽くす艦載機に戦艦棲姫の全身が悪寒で震える。

これ程の航空戦力を持っていながら、艦砲射撃だけで戦っていた。

その気になれば何時でも勝負を決められたのに、自分に合わせて戦っていたのだろうか。

少女は先程までの薄笑いを浮かべていない。

心底つまらなそうに、興の醒めた顔で冷たく姫を見下していた。

姫は自分が少女にとって、敵として見限られた事を知る。

最早少女は自分に対し、競う価値すら見出していないのだ。

凄まじい屈辱と怒りが全身を駆け巡り、新たな震えとなって姫を襲う。

 

『卑怯ッテ罵ルカ? 悪辣ダッテ吼エルカ? 何トデモ言エヨ。ソシテ満足シタラ今此処デ、僕ヲ倒シテ見セテミロ』

 

少女が右手を掲げ、無造作に振り下ろす。

飛び魚艦爆は二隊に分かれて戦艦棲姫の爆撃と青目の加勢に入る。

既に青目に傾いていた制空権は完全に少女達の手に落ちた。

装甲空母は自分達の頭上を守る事も出来なくなり、瞬く間に被弾を重ねる。

僅か十分の猛攻で鬼は沈み、その五分後に姫も同じく後を追った。

 

「何んだってのよこれ……」

「時代ハ航空戦艦カノ……」

 

そちらの結果を見もせずに戦艦棲姫と向き合う少女。

飛び魚艦爆の最初の爆撃は、唯一隻残った駆逐艦の撤退支援。

振り払うような対空砲火に砲塔を割いた姫の前面から、駆逐艦が撤収する。

少女が何かを言ったわけではない。

しかし自分が退かなければ少女の邪魔になるだろう。

少女もコレで退かなければ、第二次爆撃は躊躇なく巻き込む心算だった。

 

「クゥッ……何……何ナノコレハァ!」

 

無数の艦載機に取り付かれながら、その身に起きた理不尽を呪う戦艦棲姫。

最強の戦艦として生まれた筈が、生誕したその日に自分より遥かに強いナニカに沈められようとしている。

凄絶な憎しみを湛えた形相で元凶たる少女を睨む。

そんな戦艦棲姫を無感動に見据え、砲撃を重ねる少女。

流石というべきか、被弾を重ねながらも戦艦棲姫は簡単に沈む気配を見せない。

姫に壊滅的な損傷を与えるならば、もう一つ強力な札を切る必要があった。

 

「コイツノ実戦初投入ガ姫ッテノモ皮肉ダネ……見テテヨ、ネグリジェ……ソレカラアバズレ、オマエモナ」

 

少女の尻尾が蠕動し、艤装の中から特殊な弾丸を抽出する。

それは内部で16inch三連装砲に装填され、狙点固定と同時に撃ちだされた。

三つの砲塔から放たれた三発の弾丸。

対峙する戦艦棲姫は、その奇妙な弾に眉をしかめた。

形状は羽の無い矢の様であり、烏賊の足を取り払った様でもある。

色は無色透明で、中には何かが埋め込まれている。

戦艦棲姫はその正体を看破して戦慄した。

少女が放った無色の砲弾が運ぶのは、小型化された魚雷である。

 

「多弾頭烏賊魚雷弾。瞬間衝撃ニ強イジェル状ノ弾丸ニ、小型魚雷ヲ搭載シテミタンダ。発射ト着水ノ衝撃ハ殆ド表面デ吸収シテ、海水ニ溶ケル新素材……結構苦労シタンダヨコレ」

 

烏賊型の頭はジャイロ回転する時に風切りの役目を果たし、射線を山形よりもやや水平方向に伸ばしている。

それによって着水の角度をなだらかにして弾丸が深く沈みこむのを抑制していた。

砲弾一発に詰める魚雷は五本。

三連装砲全てで放ったときは十五射線の雷撃になる。

魚雷搭載の砲弾の射程距離は20000㍍には届かず、極限まで小型化させた魚雷の射程は5000㍍程しかない。

しかし砲撃の速度で20000㍍を稼いだ先でばら撒かれる十五射線の雷撃である。

砲撃の要領で狙いを定める事が出来る故、着弾地点からは多少アバウトに広がってもどれか一つは刺さるのだ。

これが砲撃戦を主戦場にする少女が出した遠距離雷撃の回答だった。

頭上から投下される通常の爆撃と海面を跳ねる反跳爆撃。

更に少女から撃ち込まれる砲撃に加え、海面下から襲い来る魚雷。

この多角的な攻撃は防御や回避を許さず、戦艦棲姫は瞬く間に撃ち崩された。

 

「グッ……カハッ」

 

苦痛と衝撃が姫の全身を駆け巡る。

最早平衡感覚すらまともに働いておらず、戦艦棲姫は自分が立っているのか寝ているのかすら分からない。

ただ、早く終わって欲しかった。

何時の間にか仰向けで海に浮かんでいる。

夜空の色が薄れていた。

殆ど動かなくなった身体から、顎だけ引いて視線を下げる。

虚ろな瞳が写すのは、暁の水平線と勝者たる戦艦の少女だった。

戦いの中で時は過ぎ、夜の帳は朝の光に変わろうとしていた。

少女の元に青目の空母がやって来て、ハイタッチを交わしている。

その周囲では生き残った駆逐艦達が跳ね回っていた。

 

「……イイナァ」

 

自分でも気付かぬうちに洩れていた呟き。

発してから気付いた姫は、羞恥心から死にたくなった。

その呟きを聞く者が自分しか居なかった事は慈悲だろうか。

生誕の日の祝福としてはあまりにもささやかな世界の慈悲は、姫の双眸湿らせた。

 

「シカシマァ……見事ニ大破シテオルノゥ」

「姫ト殴リアッタンダカラ仕方ネェダロ」

 

苦笑する青目に対し、満面の笑みを返す少女。

悪童の悪戯にしては大事をやらかしたが、見事勝ちきった少女の笑みは青目の瞳を細めさせた。

 

「満足シタカ?」

「ウン」

「デハ……帰ロウカノ」

「ン、ソレハ良インダケド……」

 

少女は青目が脇に抱える天津風を見る。

最早抵抗もせずに捕まっている天津風は困ったように頬をかく。

 

「青目、ソレ如何スルノサ」

「イヤ、コレハヌシノ戦利品ダロウテ。扱イハヌシニ一任スルゾ?」

「エ? 僕ノナノカコレ……」

「これとかそれとか勘弁してよ……私は陽炎型駆逐艦九番艦、天津風よ」

「細ケェコタァイインダヨ。ダケド……参ッタナァ」

 

この艦娘を先代の遺産と言ったのは少女自身である。

それを確保しておいて、今更沈めなおすのはどうも気が咎めた。

 

「ソノ辺ニ放リ出シテ置ケバ帰ルカノゥ?」

「イヤ……ソイツノ根拠地ハ壊滅シテルッテネグリジェガ言ッテタヨ」

「あの、足回り壊されてるから放置は止めて欲しいんだけど……」

 

面倒な荷物を抱え込んだ二隻は相談し、何処かの泊地に押し付ける事に決定した。

 

「縦セタニ押シ付ケヨウゼ? アイツナラ取ッテ食イハシナイダロ」

「名案カモシレンナ。少シ遠イガ……」

「先ズハ近イ所デ北ニ帰ロウ。其処デ損傷直シテ艦載機補充シテカラネ……アァ、ホッポニ借リガ増エテイク……面倒クセェ」

「致シ方アルマイ。奴ハマダ素直ダカラ大分マシダゾ」

「デスヨネー」

 

息を吐いた少女と笑う青目が並び、夜明けの海を往く。

その後ろからついて来るのは生き残った駆逐艦達だった。

ごく自然に一団となった少女達は大破漂流中の姫の傍を抜ける。

少女は肩越しに振り向くと、魂の抜けたような戦艦棲姫と目が合った。

かつて少女は姫から多くの恩恵を受け、それを糧に此処まで来た。

先代から受け取ったものは形の無いものだが、それは確実に少女の中に息づいている。

少しだけ変わった少女は、海上を漂う姫に声を掛けた。

 

『……艦娘ノ百隻モ沈メテカラ出直シテ来イ』

『……シタラ、ドウダッテ言ウノ……』

『ソウダネ、オマエナンカニハ無理ダロウケド……ダケドモシ、出来タナラ――』

 

――その時は、また相手になってやる

 

勝者である少女から敗者たる姫に送られたのは再戦の道標。

余りに物騒なやり取りに頬を引きつらせる天津風。

そんな天津風を抱えた青目は、遠い目をして姫を見ている。

数秒の葛藤。

やがて青目の中の天秤が一方に傾き、導き出した答えを少女に告げる。

 

「ノウ、水マフヤ……」

「ン? 如何シタ」

「……ワシハ、チト野暮用ガ出来タヨウダ」

「アー……何トナク、分カルヨ」

 

少女はこの青目の空母が、歳若い自分の事を心配して構ってきた事を忘れていない。

今青目が必要なのは前を向いて歩みだした少女より、心を折られた姫なのだろう。

青目は言外に残ることを告げ、少女は笑って送り出した。

 

「スマヌナ……イマ少シ、ヌシガ歩ム道ノ先ヲ見タカッタガ……」

「別ニ今生ノ別レデモネェダロ。湿ッポインダヨババァ」

「……フム、小娘ノ言葉ナラバ捻ッテヤルガ、若人ニ言ワレル分ニハ致シ方アルマイテ」

 

青目は脇に抱えた天津風を手近の駆逐艦に乗せた。

道を違えた二隻は再会を期して歩みだす。

少女達は北へ向かい、青目は幼い姫の下へ。

戦艦棲姫は青目の空母に抱き起こされ、朝焼けの中に去り行く少女の背を見つめていた。

生まれたばかりの戦艦棲姫にとって、その光景は余りにも眩しく遠かった。

羨望と悔しさと……他にも名状さえ出来ない様々な感情が瞳からあふれ出して来る。

この日の敗北と心に刻んだ遠い光景。

そして少女との約束は、多くの艦娘にとって不幸な事に彼女を強くする事になる。

 

 

§

 

 

雪風と時雨は工廠に引き篭もって艤装の整備に精を出していた。

二隻が篭ったのが前日の夕刻からであり、既に朝日が昇る時間。

小口径の主砲や酸素魚雷は言うに及ばず、小型の電探や探照灯等、駆逐艦として搭載できる様々な装備を入念にチェックしている。

既にあらかたの作業は済み、後は如何にしてコレを生かすかを考えるのみ。

雪風は隣で連装砲を分解、掃除している時雨に声を掛ける。

 

「時雨から見た時、大和さんってどんなです?」

「規格外。非常識に強いけれど、まだ当人に自覚が無いから立ち上がりはもたつくと思うよ。たぶん彼女は今、成長期なんじゃないかな? 昨日より今日、今日より明日と強くなるから自分自身の力を正確に把握出来ていない」

「そんなにですか……頼もしいんですが、敵に回すと厄介ですね」

「曲りなりにも戦艦棲姫と真っ向から殴り合って耐え切ったんだ……君の知っている頃の彼女とは別物だと思ったほうが良いよ」

 

大演習を数時間後に控え、それぞれの旗艦は戦力分析に余念が無い。

五十鈴が記録上在籍できる最後の演習。

第一艦隊に華を持たせるのも良いが、五十鈴は水雷戦隊の指揮官である。

どちらかと言えば、駆逐艦によって大物を仕留める方が喜びそうではあった。

 

「兎に角、僕達には大和を撃ち抜く火力が無い。加賀の欠場が、痛いね」

「加賀さんの燃費がおっそろしく悪くなった所に、翔鶴さんとの演習が余計に入ってしまいましたからね……しかも一撃必殺に傾注し過ぎて制空権全部持っていかれたからボーキサイトも大損失です。下手すれば今日のお祭りの資材すら消し飛ぶ所でしたよ……」

「そうなると、火力も航空戦力も要になるのは山城だけど……」

「其処は山城さんがどうと言うより、比較対象があんまりです。航空戦で赤城さん、砲撃戦で大和さんのどっちかに勝てとかイジメと同じでしょう?」

「そうだよね。逆に考えれば、そのどちらかを落せれば話は随分変わってくる。最初から勝ち続ける必要は無いんだしね」

「ですね、瑞雲は最初温存して頂きましょう。後は羽黒さんの火力頼みですが……足柄さんが抑えてくるだろうなぁ」

「羽黒は単体戦力なら足柄を超えるんじゃないかな?」

「条件互角なら羽黒さんが勝つでしょうが、制空権無いんですよ……大和さんも足柄さんも、弾着観測やり放題じゃないですか……」

「あぁ、そうか……唯でさえ劣勢な火力は更に差が開くね」

 

演習の内訳は第一艦隊三隻の所、第二、第三艦隊は七隻の勝負。

数の上では雪風達に分があるが、大和達が正規空母を要しているのに対し雪風達は加賀が不参加。

戦艦と重巡洋艦が観測機を飛ばし放題になる事を考えると、数の優位も心もとない。

ましてその半数以上は駆逐艦なのである。

 

「艦隊の編成を弄らないなら、僕達が大和を抑える……しかないだろうね」

「そして羽黒さんと夕立に足柄さんを抑えてもらって、島風と雪風で可能な限り早急に赤城さんを落しますか……」

「赤城さえいなければ、山城の瑞雲で制空権を奪い返せるしね」

「はい。大和さんの装甲と耐久を抜くには、山城さんと羽黒さんの弾着観測で急所狙いしかありません。同時に相手の偵察機封じも出来ますから、狙わない手は無いですね」

「……うん、狙わない手は無い。だからこそ、あっちも赤城の防衛は幾重も線を引くだろうね」

「むぅ……逆手にとって赤城さんを囮にして、大和さんと足柄さんの十字砲火網に吸い出されたりしそうですねぇ……」

「それでも行くしかないよ。島風はなるべく戦域を迂回して、君と二正面で迫れればまだ……」

「赤城さんだって無抵抗で突っ立ってたりしませんよ。しかも艦載機だって昔と今では錬度も性能も比較になりません。下手すると雪風と島風が赤城さんご本人に一蹴される可能性だってあるんです」

「しかし、短期決戦にはこれしかないよ? 夜戦なら流石にこちらが優位だろうけど、赤城を崩さずに第一艦隊から昼戦を凌ぐのは無理だ。大和がど真ん中に陣取れば、演習海域のほぼ全域が射程に入ってしまう」

「あっちって足回りもとろくないんですよね……大和さんだって死ぬ気で走れば三十ノットくらい出してしまいそうな気がしますし。強引に出られたら押し返すなんて出来ません。中央取られたら本当に面倒ですけど、海域制圧力は逆立ちしたって勝てませんからねぇ」

「戦闘部隊の名は伊達ではないね」

 

双方の戦力を比較して、対抗手段を模索する両艦隊旗艦。

正面からまともにぶつかれば火力と装甲で不利になる。

其処を覆すための手段としての航空戦力潰しや夜戦等、様々な案を交換する。

しかしどの策も雪風や時雨が見た時に返し手が思いついてしまう。

自分達が一方的に優位になる戦術が構築出来ない。

 

「結局どんな手で攻め込んでも一長一短か……」

「そうなりますねぇ……参ったなー。前に演習したときは、あの艦隊を押さえ込む手は二つ三つ在ったんですけどね。しかも五十鈴さんが居る時に、第二艦隊だけで実行できるやつ……それがたった数ヶ月で、もう雪風の手に負えなくなりつつありますよ」

「成長著しい若い旗艦の艦隊は、これだから怖いよ」

 

苦笑した雪風は傍らの書類を手に取った。

そして最後に整備の終わった電探を妖精に預けると、時雨に断って工廠を後にする。

専用の大型扉を抜けると、待っていたのは第二艦隊のメンバー達。

こうして全員が揃うのは本当に久しぶりだった。

 

「ゆーきちゃん、考えはまとまった?」

「ちょーっと厳しい演習になりそうです。勝ち目ゼロではありませんが、多くも無い戦いになるでしょう」

「何時もの事よね。やるっきゃないわ」

「大丈夫……雪風ちゃんの作戦を実行できれば、きっと何とかなりますから」

「あっちの対応によっては、その作戦実行が大変困難になるのですよぅ……兎に角大和さんを落す火力が無いんです。魚雷の十本くらいなら耐えちゃいそうな雰囲気ありますもん」

「まぁ、耐えるかもしれないわね。夜戦は?」

「基本は全戦力を挙げて短期決戦に持ち込む心算です。受けに回ったら夜を待たずに殲滅されそうなんで」

「ん、了解」

「っぽい」

「分かりました」

 

雪風が僚艦と共に歩いていくと、廊下の向こうから矢矧と山城の姿が見えた。

あちらも雪風を達を見つけたらしい。

矢矧は片手を挙げて挨拶しつつ声を掛け、山城は無言で会釈する。

 

「あ、雪風……うちの旗艦見なかった?」

「あいつでしたら工廠で、連装砲ばらして遊んでますよ」

「了解、行ってみるわ。今日はよろしくね」

「はい! 今日はお仲間ですね。頑張って大和さんを涙目にしてやりましょう」

「良いわね! あれ可愛いのよねぇ」

「ほほぅ……矢矧さんもいけるクチでありましたかぁ」

「勿論。くっくっく、雪風屋……ヌシも悪よのう」

「いえいえ、お代官様程では」

 

小芝居を演じる二隻をそれぞれの僚艦が見つめていた。

第二艦隊のメンバーは程度の差こそあるものの笑っているが、山城のみ無表情。

彼女は低血圧の為朝に弱く、後に今の事を話しても雪風達に出会ったことすら覚えているのか怪しいほどである。

矢矧は改めて雪風達に挨拶すると、半ば意識の無い山城を伴って工廠に続く廊下に消えていった。

 

「矢矧さん……意識の無い山城さん連れて時雨に会いに行くとか、お肉もってワニの檻に入るのと一緒じゃないですかねぇ?」

 

雪風の感想に誰も反論出来ない仲間達。

特に夕立は身内であるが故に無関心ではいられず、矢矧が消えた廊下気にしていた。

 

「夕立、気になるなら行って来ても大丈夫ですよ?」

「んー……お互い子供じゃないんだから良いっぽい。下手に手を出すと馬に蹴られそう?」

「いい判断だわぽいぬ。それにどうせ、時雨の奴は最後の一線でヘタレそうだし」

「矢矧さんもいらっしゃいますから、そうそう皆さんが心配されるような事は……」

「甘いですよ羽黒さん。矢矧さんは優等生ぶってますけど素の乗りはさっきの感じですからね。椿の花が落ちるような事が無ければいいのですが……」

「はぅ……」

 

雪風の反応に顔を真っ赤に染める羽黒。

思考がオーバーヒートしているらしく、足取りもややふらついている。

島風は羽黒が転ばぬように手を引きながら満面の笑みで止めを刺す。

 

「大丈夫だって」

「し、島風ちゃん?」

「山城が食われちゃったとして、その時は時雨がキラキラするだろうから戦力的にはトントンよ!」

「その場合は山城さんもキラキラしてくれるかもしれませんね。夕立の見立てだと満更じゃないんでしょう?」

「っぽい。寧ろ食われるのは時雨姉な気がする」

「あ、あぁああああああぁ~……」

 

駆逐艦達の下ネタに崩れそうになる羽黒。

その逞しい想像力で何を見たのかは知らないが、これ以上弄るのは危険と判断した鬼畜艦トリオだった。

 

「はぁ……この初々しい反応が堪りませんよぅ。夕立や島風ではこうは行きません」

「羽黒さん大丈夫? 頭から湯気が立ってるっぽい」

「だ、大丈夫でしゅ……」

「……あんたもたまに脳みそ茹っちゃうわねぇ」

「あはは。演習までもう少し時間ありますから、休んでてください。雪風は形式上ですが、演習申請書出してきますから」

「じゃあ羽黒、仮眠室行こ。ぽいぬはどうする?」

「雪ちゃんの顔も見たし、演習までちょっと走ってくるっぽい」

「おぅ! 私も混ぜて。 羽黒送ったらすぐ行くわ!」

「っぽい!」

 

第二艦隊のメンバーと別れた雪風は、司令室に到着する。

其処には提督たる彼女と、実質の秘書を勤める加賀が待っていた。

 

「おはようございます、しれぇ。加賀さんも。お早いですねー」

「おはよう雪風。今日明日は内輪のお祭りですからね……お仕事の早出とは訳が違います」

「おはよう雪風さん。昨日からずっと工廠にいたみたいだけれど……体調は?」

「今更一徹ニ徹でどうにかなる雪風ではありません! 体調はすこぶる何時もどおりですよ」

「特に良いわけではないのね」

「はい。どうしても自己制御は平坦の方がやりやすいのです。大きな振れ幅がありながら平均以上を維持できる夕立が特別なんですよ」

 

雪風は前日のうちに羽黒に代筆してもらった演習希望申請書を提出する。

思えば羽黒は就任初日から本当に良く雪風に尽くしてくれる。

何時か必ず、羽黒に対して何らかの形で報いたい。

雪風が身内のフォローを考えている間に、彼女は申請書に必要事項を記入して了承の印を押す。

こうして演習の事前準備は整った。

 

「ごめんなさいね……少し後先を考えずに、むきになってしまったわ」

「御気になさらず。加賀さんの欠場は痛手ですが……翔鶴さんとの決着は、きっと必要な事だったと思います」

「そう言って頂けると助かるわ。あっちで出会った赤城さんの話だと、あの子も思ったよりへこんでしまって……少し薬が効きすぎたのかと心配にもなったけれど」

「翔鶴さんなら多分、大丈夫だと思いますよ? あの人ってやられて泣き寝入る様な方じゃないですもん。絶対先に手を出さないだけで、殴られたら殴り返しますよ」

「そうなのよね……先に予防線を張っておいて良かったわ」

「再戦拒否は、上手いなーって雪風も思いました。まぁ……その分、今後は赤城さんがいっぱい絡まれるかもしれませんけど」

「それなら良いの。南雲機動部隊の一航戦なら赤城さんこそカシラだもの。頑張って相手をしていただきましょう」

「……加賀さんの見立てでは、どっちが強いんです?」

「……今なら九対一で翔鶴」

「マジですか……」

「あの子はたぶん、尻上がりに調子を上げてくるのよ。競り合ったら今の私でも危なかった」

 

傍目に圧勝だった翔鶴との演習。

それが薄氷の勝利だった事は加賀自身分かっていた。

恐らくあの翔鶴は、演習では真価を表せない。

これは当人の性格もそうだが、ルール上の弱点でもある。

加賀は翔鶴が爆撃を身体で受けて飛行甲板を守ったのを知っている。

しかし演習用の爆弾に被弾し、その衝撃が大破相当の破壊力であったと判定されれば艤装はロックされて機能が停止してしまう。

もしもこれが実戦であり、耐久力の限界まで戦闘続行されていればどうなっていた事か。

 

「……だけど、だからこそ赤城さんの良い相手になるわ。私だと……どうしても赤城さんに甘いから」

 

嘆息した加賀は、上司から決済した書類を受け取った。

 

「兎に角、これで演習自体は実行できますね。貴女がなかなか演習願い出してくれないから少し心配してしまいましたよ」

「すいませんしれぇ……ぎりっぎりまで参加メンバー絞らないで資材調達して加賀さん投入したかったんですが、間に合わなかったのです……」

 

苦笑した司令官にしょぼくれる雪風。

加賀は既に一隻で戦況を左右する存在であり、その参加の可能性はギリギリまで模索していた。

しかし結局資材が足りず、参戦を諦めたのは昨日の事であった。

最も、大和達にしてみればこれでやっと戦力互角だと思っている。

第二、弾三艦隊連合に加賀が入ったらただのイジメだというのが、第一艦隊に共通する見解である。

 

「しれぇー、大和さん何処にいらっしゃるかご存知ないです?」

「大和さんなら食堂の厨房に篭っていますよ。演習後の打ち上げのため、仕込みをやるって言っていました」

「おぉ! ではつまみ食いし放題ではありませんかっ」

 

雪風は既に用は済んだとばかりに司令室を飛び出した。

その様子を苦笑して見送る司令官。

 

「それでは、私はモニター室の機材を見てきます」

「あぁ、私も行きます。本日最後の仕事も、今片付きましたしね」

 

彼女と加賀が連れ立って司令室を後にした頃……

雪風は鎮守府の廊下を爆走していた。

小柄な体躯に許される限界のストライドと最速のピッチ。

いわゆる全力疾走で食堂に隣接する厨房にたどり着いた雪風。

其処から溢れてくるのは、まさに食欲を幸せに刺激する様々な気配である。

 

「艦娘は燃料飲んでれば死にはしませんが、どうせなら楽しまなければ損ですからねー」

 

思い切りスライド式の扉を開け放った雪風。

調理関係者以外立ち入り禁止の札は、その前進を阻むのに何の役にも立たなかった。

入ってしまえばこちらのものだ。

大和は雪風が哀願すれば、必ずお味見させてくれるだろう。

一足先に味覚を幸せにしておこうと、厨房に侵入した雪風。

しかし踏み入った瞬間、周囲警戒を怠った雪風を抱えあげたモノがある。

 

「はい、取ったー」

「ふぁっ!?」

 

側背から忍び寄り、小柄な身体を持ち上げたのは重巡洋艦の足柄だった。

 

「網に獲物が掛かったようですね」

「あ、赤城さん……これは、これはどういうことですかっ」

「あら? 既にご存知の事を態々説明させるのは、迂遠というものでしょう」

「くぅ、雪風が来ることは織り込み済みと言う事ですか……」

「いやね? 雪風ちゃんと言うより、島風ちゃんが来そうだなぁって思っていたんだけど……まぁ、同じよねー」

 

陸上でも有効らしい航空母艦の索敵と、空気に溶け込むような摺り足で音もなく雪風を捕獲した足柄。

最早諦めたのか、背後から抱え上げられた雪風はがくりと身体を脱力させる。

 

「無念です……大和さんの手料理の数々……せめて最後につまみ食いしたかったですよぅ……」

「んなこの世の終わりみたいな絶望漂わせて言う事でもないっしょ?」

「この後の打ち上げで食べられるではありませんか」

「つまみ食いとお味見は、普通に食べる時とはまた違った味わいがあるのですっ」

「確かに分からないではありませんが。美味しかったですし」

「あ、赤城ちゃんそれ禁句」

「赤城さんぅううぅうううっ」

 

既に先を越していたらしい赤城に、内心で血涙を流して詰め寄ろうとする雪風。

しかし両脇から足柄に抱えあげられた体は中空でばたつくのみである。

口元を手で隠し、上品に微笑む南雲の姫。

気品という言葉の見本のような姿だが、それすら雪風の癪に障った。

 

「おのれっ、おのれこの美巨乳めっ!」

「それは貶しているのですか? それとも褒めてくれているのですか?」

「どっちもですよぅ! 足柄さん離してくださいっ。あのおっぱいお化け、せめて一揉みしてやらねば気がすみません!」

「堂々とセクハラ宣言されといて離せるわけ無いでしょ……」

「うふふ」

 

雪風は自分を抱える足柄の腕を解こうともがく。

全身筋力では足柄が勝るはずだったが、執念の雪風を抑えるには渾身の力を必要とした。

 

「もう……何をやっているんですか?」

 

自重するわけでもなく大騒ぎする仲間達の様子に、奥から出てきた戦艦大和。

煙るような笑みを浮かべ、ピンクのひよこがあしらわれたエプロンを身につけている。

大和は雪風が工廠に篭る前から仕込みに入っており、こちらも篭りっぱなしであったらしい。

 

「雪風も、つまみ食いですか?」

「そうなのです。お菓子か悪戯か、どちらかを選ぶがよいー」

「随分時期を逸していますが……では、悪戯でお願いします」

「……言うと思いましたけど空気読んでくださいよぅ」

「ふふ。ですが、こうなってはどうぞとは言えません。二人きりの所ならばナイショで……とは思いますが」

「ですよね……こんな張り込みにあっさり捕捉されるとは陽炎型駆逐艦の名折れです。此処は反省するとしましょう……」

 

深い息をついて再び脱力した雪風。

その様子を苦笑して見守った大和は、足柄に一つ頷いてみせる。

足柄も微笑むと、吊り上げていた雪風を開放した。

 

「軽くですが、朝餉を用意しております。宜しければ如何ですか?」

「ん、それでは厚かましいですが、ご一緒させて頂きます」

 

つまみ食いに来たものが朝食のお誘いに厚かましいも無いのだが、赤城と足柄は顔を合わせて苦笑するのみ。

雪風はエプロンを外して畳む大和の横に着く。

 

「それじゃ、お姉さん達はお暇しちゃおっか」

「そうですね。大和さん、雪風さん、ごゆっくり……あ、朝食ご馳走様でした」

 

またねと手を振る足柄と、丁寧にお辞儀して厨房から出て行く大和の僚艦達。

見送った大和は雪風を伴って隣接する食堂に向かう。

 

「皆さんの朝ごはん作ってたみたいですが……」

「はい」

「雪風が来るって、ご存知だったんです?」

「いいえ? 知りませんでしたよ」

「ですよねぇ。思いつきで来たんですし」

「ん……来て欲しいなって。来てくれたら嬉しいなって……そう思って、待っていました」

「むぅ……」

「ですから今、大和はとっても幸せですよ」

 

いじらしい大和の好意だが、何処か雪風には納得しがたいものがある。

不快に顔が歪んだが、それを口に乗せる寸前で躊躇った。

以前これと似た感情を持った時は、自制出来ずに大喧嘩して泣かせてしまったのだ。

 

「んー……まぁ、大和さんが其れで良いなら別に……」

「雪風?」

「あ、駄目ですね。うん。こういう所が駄目なんですよ雪風は」

「一体どうしました……?」

「大和さん、そういうの不気味だから止めた方がいいと思います」

「ぶ、不気味って酷くないですか……」

「だって気持ち悪いんですもん。それに腹が立つじゃないですか。大和さんって雪風と一緒に朝御飯食べるより、一人で来るか来ないかも分からない雪風を待ってニヤニヤしてる方がお好きなんですか?」

「む……」

「誰にも気付かれないように決心だけ胸に秘めて、自分の信じる善を成す……ごんぎつねですか? 雪風はそんな独りよがりされるより、一緒に食べよってお誘い頂ける方が嬉しいなぁ」

「……そうですね。御免なさい。雪風に手を止めて頂ける自信が無くて……拒絶された時傷つくのが怖くて、こんな一人遊びに興じてしまいました」

 

済まなそうに。

そして何処か恥ずかしげに息を吐く大和。

しかしその一言が雪風に与えた衝撃は小さくない。

結局の所、雪風の日ごろの行いが無意識に大和を追い詰めていたと言う事だ。

 

「それでは、少し温めなおしてきます。其処に座って、お待ちくださいね」

「あ、はーい」

 

貸切のため誰もいない食堂の一席に座った雪風は、軽快に身を翻す大和の背中を見送った。

 

 

§

 

 

食堂で一人、大和を待つ雪風。

その脳裏を占めるのは、先程の大和の姿と言葉。

 

「……」

 

大和に好意を示されてから今日まで、決して少なくない時を経ている。

それは雪風が保留にしていた時間であり、大和にとってはひたすら我慢していた時間でもある。

何時までも先延ばしに出来る話ではない。

年貢の納め時なのかもしれなかった。

戦艦棲姫との死闘から一月、ずっと考えていた事の一つ。

その中で雪風が痛切に思い知ったのは、自分にまともな恋愛など出来そうもないという事実である。

 

「お待たせいたしました」

 

大和は両手でお盆を支えて戻ってきた。

雪風の前に並べられたのは、俵型の塩握り三つと青菜の漬物。

そして花麩の浮いたお吸い物と、軽く炙った海苔だった。

配膳が済んだ大和は、雪風の隣に座る。

 

「召し上がれ」

「いただきます」

 

少し考え込んだ雪風は、先ず俵型のお握りを一口。

塩のみの簡素な味付けだが、その味は何処をかじっても均一でありむらが無い。

 

「……」

 

次のお握りは焼き海苔を巻いてみる。

ぱりぱりの焼き海苔はお握りの水気と溶け合うように絡みつく。

食感が変わると共に海苔の風味を増したお握りは、単純な塩のみの味付けとはまた違った顔を見せていた。

 

「ねぇ、大和さん」

「はいぃ?」

 

黙々とお握りを頬張る雪風の横顔を見ていた大和は、不意に掛けられた声に返答がやや上擦った。

いま少し凝ったものを作るべきだったかと後悔もしていた大和。

身長の関係上どうしても見下ろす形になってしまうが、気持ちとしては上目遣いで顔色を伺っていたのである。

 

「大和さんってぇ……浮気って許容できますか?」

「うわき……浮気ぃ!?」

「はい、浮気」

 

突拍子も無い雪風の発言だが、真剣に議題を吟味し始めた大和。

その間に雪風は三つ目のお握りを青菜と共にいただいた。

歯ごたえの良い漬物と塩握りが雪風の口を幸せにしてくれる。

しかしやや口の中が塩辛い。

其処でお吸い物の存在を思い出した雪風が一口含むと、出汁のかすかな甘みが口の中を癒してくれる。

再び味覚の鋭さを取り戻した雪風が青菜とお握りを完食した頃、隣の大和はおずおずと切り出してきた。

 

「あの……もう少し情報をいただけないと想像がつかないのですが……」

「んー……と……やっぱり雪風が駄目だって言うか、自分がゴミ虫だなぁって思い知ったんですけどね……」

 

雪風は大和が自分にとって貴重であり、大切な存在である事は感じている。

この方面での情緒を自分の中に育んだのは大和自身であり、その過程で得た経験や知識は雪風に多くの影響を与えてくれた。

大和が自分を好きだと言ってくれたのと同じ意味で、雪風も大和が好きだと思う。

しかし……

 

「雪風は、なるべく特別なモノを作らないように考えてきました。だってどうせ、皆いなくなるんですから」

「……」

「否定しないのです?」

「……出来ません。かつて不甲斐なく沈んだ私には……」

「まぁ、そうですよね。だけど次に雪風がこんな事を言ったら、もう少し自信持って否定しちゃってくださいね。其処で止まった雪風の価値観を揺らしたの、大和さんなんですから」

「私ですか……?」

「はい。誰かと一緒に歩ける事……これって素敵な事だったんじゃないかって、一人ぼっちは寂しかった様な気がするって、雪風に思い出させてくれました」

 

空になったお吸い物の椀に視線を落し、ぽつぽつと呟く雪風。

その声は独り言のように小さかった事と、自分の心臓が早鐘を打つ音がうるさくて、大和は聞き逃すまいと必至に意識を傾ける。

何時の間にか雪風の腕を抱き込んで縋っていたが、雪風は咎めなかった。

 

「雪風は、大和さんが……好きです。適う事なら、これからも一緒にいたいって思います」

「それこそ……それこそ、大和の望む所ですよ」

「では、晴れて両想いですね」

「はいっ」

「で…………その上で最初に戻りましょう。大和さんは雪風の浮気って許せますか?」

「……え?」

「ずっと……ずっと考えてきました。ほら……艦娘って頭おかしいの多いじゃないですか。時雨然り比叡さん然り翔鶴さん然り。自分はまるっきり関係ないと思っていたんですけどね……そうじゃなかった。やっぱり雪風もおかしかったみたいです。雪風は……特別視が出来ないんですよ」

 

雪風は特定の個人を特別に扱えない。

大和と情を通わせる事が出来たとしても、それを理由に誰かを拒む自分が想像出来なかったのだ。

最初は自分が大和に対し、本気になっていないからだと思っていた。

しかし今は違う。

大和の想いを受け止め、その貴重さを理解した上で好ましいと思っている。

誰かに渡したくないと言う独占欲もある。

大和が大切だと思うなら、雪風は態度で示さなければならない。

大和だけを見つめ、その絆を育む事。

難しい事ではないはずだった。

世間一般で、普通と呼ばれる価値観さえ持っていれば。

 

「雪風は大和さんが好きです。傍にいたいです。誰かに取られたくありません。だけど……だけどね? 雪風は……大和さんとどんな関係になったとしても、大和さんをたった一つの特別な扱いをして差し上げる事が……出来ないんです。別の誰かから、同じ種類の好意を向けて頂いたとき……大和さんが居るからと言う理由で拒む事が……雪風には多分、出来ません」

 

それは血を吐くような思いで語られた自己分析だった。

雪風が誰の事を言っているのか大和には分かってしまう。

妙高型重巡洋艦、四番艦羽黒。

この鎮守府で雪風と同じ日に生まれ、ずっと雪風を支えてくれた天使の事だろう。

羽黒は自分の好意を外から悟られる様な真似はしなかった。

大和がそれを察したのは、水面下で同じものを求める同類だったからに過ぎない。

そして雪風が気付いたのは、たった一言彼女が洩らした失言からだった。

 

――羽黒さんが思わず惚れそうなくらい格好いい砲雷撃戦をお見せしますっ

 

――さすが雪風ちゃん。惚れ直しました

 

それは時雨達との演習の後、雪風の意識が途切れる間際の言葉。

二人きりになったとき、ほんの一瞬綻んだ自制心から溢れた本音だったろう。

胸の内に秘めたまま沈めようとした、羽黒の心があげた悲鳴。

彼女の献身がそういうものだと意識して見れば、雪風にもその下の熱い好意を感じる事が出来た。

本当に、嬉しかった。

しかし同時に気付いてしまった。

雪風は自分の中の対人感情が欠乏している。

大和への好意も羽黒への好意も、全ては相手から向けてくれた感情を鏡のように返しているだけである。

司令官たる彼女に対してはどうだったか。

雪風は最初、彼女の事を信じられずに越権と独断で行動した。

それが今では胸襟を開いて様々な相談が出来ている。

切欠は、全て彼女の方から向けてくれた信頼であった。

雪風は自分から誰かを信じたことがない。

愛したこともなければ、嫌いになったこともない。

愛したものがいなくなったら淋しいから。

嫌いなものがいなくなったら虚しいから。

そして雪風は自分以外の全員が、何時かいなくなった事を覚えている。

知りたくもなければ信じたくも無い事を、実体験として理解しているのだ。

 

「島風の言っていた事って、結局何処までも正解だったんです。雪風には自分の心がありません。自分からは決して光れずに浮かんでいる、お月様と同じなんです。しれぇが信頼を向けてくれれば同じ信頼を返すでしょう。大和さんや羽黒さんが愛情で照らしてくれれば、同じ愛情で光るでしょう。雪風は……大和さんがいても、羽黒さんがいても、誰かが心から愛してくれればその色に染まる節操無しなんですよ……。ここの皆さんは、本当に雪風に良くしてくださいました。だから雪風は、自分がおかしいって気付かないでいられたんです。こんなに幸せな所にいるくせに……雪風に出来た事は、精々嫌われないように愛想を振って、相手に任せたお付き合いでやり過ごす事だけでした。島風はそんな雪風の事見抜いてて……だけど雪風は、そんな自分を変えられなかった」

 

自分自身と向き合った答えを大和に伝える前に、そんな自分を変えておきたかった。

一切の好意を隠さず、傷つく事をも覚悟の上で雪風を好きでいてくれた大和。

熱い思慕を飲み干し、自分自身の心だけを焼きながら傍で支えてくれた羽黒。

雪風の乏しい対人能力で優劣など付けられるモノではなかった。

 

「雪風の気持ちが自発的なものじゃなくて、反射的なものである事を棚上げするとしても……雪風は大和さんが大好きで、同じくらい羽黒さんも大好きなんです……此処が、雪風のいっぱいいっぱいでした」

「……」

「大和さんに好いて頂いた何ヶ月かは、本当に幸せでした。雪風自身見えていなかった自分の事が沢山分かりました。だけど、そろそろ…………大和さんも羽黒さんも、自由にしてあげないとダメですよね。本当に今まで……ありがとうございました」

「……待ってちょっと……ちょっと、待ってくださいね?」

 

大和は雪風の腕を抱きこんだまま、必死にその言葉を反芻していた。

自分がされたものが最後通告である事は分かってしまったが、前後が上手く繋がらない。

だけど今この腕を離して雪風が立ち上がってしまったら、大切なものが決定的に壊れてしまう。

その恐怖は大和の思考をかき回して暴れそうになる。

パニック寸前の思考回路をどうにか宥め、大和は一つ一つ確認していった。

 

「あの……雪風は、大和がお嫌いになりましたか?」

「いいえ、寧ろ好きかと」

「それでは、羽黒さんがお嫌いになりましたか?」

「いいえ……大好きですよ」

「雪風は先程、私達が両想いだって仰いました。それと……羽黒さんの件は一先ず別に出来ますよね?」

「え? いや、出来ないと思ったんですが……こうやって直球を投げてくるのが大和さんですから先にお話しましたけど、雪風は羽黒さんだって同じくらい好きですし……お二方のどちらに対しても誠実なお付き合いが出来ないなら、それは不貞ですから」

「待ってね、本当に、ちょっと待ってくださいね。雪風の言っている事、一つ一つは正しいと思うんです。だけど全部並べると支離滅裂なの。納得行かない」

 

大和はずっと雪風を慕い、今日やっと答えを聞けた。

雪風は自分達が両想いだと伝えてくれた。

しかしその口から、同じように羽黒の事も好きだと告げられた。

雪風の最初の問いは、自分の不貞を許せるかだった筈だ。

問題となるのはこの一点。

自分を見ながら他の艦娘も見る事を許容する事が出来るかどうか。

大和は雪風と二人きりの楽園を作りたいわけではない。

二人は世界を構成する全ての要素ではなく、その中で生きていく上では様々な繋がりが絶対に必要なのだ。

全てを断ち切って自分だけを見て欲しいなど、破滅願望と変わらない。

そんなものを求めているわけではなかった。

だが全く同じ立ち位置に羽黒が存在するというのは、確かに雪風が言う通り状況が変わってくる。

 

「大和さん?」

「えっと……大和は雪風が好きで、雪風も応えてくれた。後は……羽黒さんと折り合いがつけば良い。羽黒さん……羽黒さんは……あの人だと……」

 

雪風はきっと、この後そう遠くないうちに羽黒に今と同じ話をするだろう。

羽黒の事は好きだが、大和も好きな自分では誠意を通せないと詫びるのだろう。

その時彼女はどうするか。

 

「……ずるい、羽黒さんずるい。あの人絶対受け入れるじゃないですか。あー……あの天使が相手って時点で楽には行かないと覚悟していましたけど……いや、でも同点で折り返せたんですよねこれって……うん。いけるいける」

「大和さーん?」

「雪風、少しお静かに。今大事な所なのです」

「あ、はい……」

 

羽黒は雪風が自分を見てくれるなら、他の誰かへ目を向ける事を許すだろう。

それは羽黒の望みが自分の満足ではなく、雪風の幸福にあるからだ。

この点に置いて、羽黒と大和は目的を同じに出来る筈だった。

そう考えたとき、雪風の傍に羽黒がいてくれる事は決して悪い事ではない気がする。

大和自身はこの鎮守府で第一艦隊の旗艦として就任しており、雪風は第二艦隊の旗艦である。

任地が遠く離れればこの手で雪風を守る事など出来ない。

雪風が心を許し、そして自分も信頼できるものがついていてくれると言うのは、大和にとっても助かる。

逆に此処で雪風を拒んだ場合、どうなるだろう。

雪風は自分をたった一隻の駆逐艦と考えている節があり、戦術立案の段階で最初に犠牲の計算に入れる。

それを長門の前でやったからこそ、先達は大和に離すなと命じたのだ。

此処で雪風を離せば、彼女の重石が一つ減る。

彼女は軽くなった分、さらに躊躇無く自分自身を使い潰すだろう。

更にこの一件を気にした雪風が、羽黒とまで平等に距離をあけようと考えれば……

 

「選択の余地なんて、最初からありませんでしたね」

「……その通りです。考えがまとまりました?」

「はい。羽黒さん共々、よろしくお願いしますね」

「はい……はぃ?」

「あ、だけど一つだけ約束してくださいね? 誰を囲ってもまぁ……頑張ってみますけれど、隠れてこっそりは心が乾くから堪忍してください。本当にそれだけは……」

「あの、大和さん何を言っていらっしゃいます?」

「何って……浮気の公認?」

「……い、意味分かっておられます?」

「う、うん……多分」

 

雪風は顔をあげて大和と視線を合わせると、何処か照れたように目を逸らされた。

大和が先程からどんな脳内会議の末に結論をだしたか、無論雪風には分からない。

ただ、付き合う前から他の花に目移りもすると宣言されて許容するものがいるだろうか。

 

「……お付き合いする前から浮気するよって宣言する馬鹿野郎の、何処がそんなに気に入ったんですか? もしかして大和さんって特殊な性癖でも持っていらっしゃいました? 例えば自分の好きな人を他人に取られる事に興奮を覚えるとか……」

「如何して雪風が取られるんです?」

「いや、ですから……雪風は大和さんをたった一つの特別にはして差し上げられないって言ったじゃないですか」

「特別視が出来ない……成程。ですがそれ、大和だけではありませんよね?」

「はい」

「つまり羽黒さんも、これから雪風が歩む道の先で貴女を愛する誰であっても、特別な一番の席は無い……そうですよね?」

「……その通りです。そんなもの作って亡くしたら、今度の雪風は絶対に耐えられません」

「今は……それでも良い。前世の貴女を一人にしたのは、周りの私達ですから。ですが、その上で貴女は自分が薄いから……貴女を愛するモノに対して同じ好意を返してくださるのですよね」

「…………今までの雪風を振り返ると、そうなりますね。あはは、人の口から改めて聞くと本当に軽薄な屑ですよ。他人の事なら絶対に関わりたくありません。まして自分の事なんだから……なんで生きてるんでしょうこの屑……」

「そうご自分を卑下なさるものではありませんよ? でもそっか……大和は貴女から、愚痴をぶつけて頂ける所まで来れたのですね」

「なんで嬉しそうなんですか……」

「これが喜ばずにいられますか」

 

以前は受け流されてばかりだった。

大和自身にしても、自分の気持ちを伝えたいばかりに空回る事が多かった。

それが今や、雪風から愚痴や弱音を洩らせる存在になれたのだ。

 

「羽黒さんは私から見ても大変素晴らしい、魅力的な方だと思います。ですが……大和はそんな羽黒さんにも、絶対に負けないと自負するものがあるのです」

「おぉ?」

「雪風が好き。これだけは絶対に、彼女にも負けません。羽黒さんもきっと同じ思いでいるでしょうが、其処だけは譲りません。羽黒さん以外の方も、同様です」

「……」

「貴女が月だとすれば最も明るく照らすモノに染まり、その輝きを返すでしょう? ならば問題ありません。特別扱いなどして頂かなくとも、大和は一番貴女を愛して一番愛されるモノになりましょう」

「凄い自信ですね……」

「私の覚悟なんて告白した時から、ずっと決まっていましたから」

 

大和は誇らしげに微笑して雪風の顔を真っ直ぐに見返す。

その顔に照れたように視線を逸らしたのは、今度は雪風のほうだった。

既に大和は雪風の腕を開放している。

もう、雪風が席を立つ事は無いと知っている大和であった。

一つ息を吐いた大和は、表情を改める。

 

「ですが……貴女は少し軽すぎる。大和一人では……もしかすれば羽黒さんと一緒だって、貴女を今に執着させる事が出来ない……かもしれない。貴女が惜しいと感じるものが、失くしたくないと思うものが……今は一人でも多く欲しい。放って置けば勝手に水底に飛び込んでしまいそうな程危うい貴女の手を掴める腕は、一本でも多い方が良い」

「あ、何となく分かりましたよ? そうやって大切なモノが増えた所で、雪風以外皆沈むんですよ。今までずっとそうでした」

「今度はそうはなりませんよ。大和は沈みません」

「……何を根拠に断言しますか」

「これは異な事を……断言出来なかった私に、貴女が教えてくれたんです。次に言ったら自信を持って否定しろって。雪風の一番不安な事は、もう大和には通じませんよ」

 

大和の言葉に眉を寄せる雪風。

顔をしかめたのは揚げ足を取られたと感じたからではない。

さっきの今で言質を取られる程に自分が追い詰められている事を自覚したからだ。

漠然とした不安は五十鈴を失って明確な形として雪風に迫っている。

僚艦が沈むのが怖い。

仲間を失うのが怖い。

とっくの昔に慣れきっている筈の事が今更怖いのだ。

かつて大和が自分の中の憎悪や思慕に振り回されて来た様に、雪風も艦娘として得た心に戸惑っている。

 

「……雪風は、大和さんの気持ちに応える前に自分のおかしな所を治しておきたいって思ってました」

「うん」

「でも、やっぱり待たせている間に大和さん傷ついてて……もう引き伸ばせないって覚悟した今日の雪風では……大和さんに見限られる事を覚悟していました」

「そもそも其処の順番が違うのですよ……私はとっくに雪風に気持ちを示しているのですから、後は貴女が私を選ぶかどうか……其処で更に私に選択肢を寄越されても正直その……困ります」

「大和さんも、羽黒さんも雪風には勿体無さ過ぎるのですよぅ……」

「ん……その理由で突き放されたら、私も羽黒さんも納得出来ません。それを決めるのは、私達自身です。私が選び、選ばれたいと望んだものを価値の低いものと見なす発言に当たります。傍からみた他人が無責任にそう断ずる事があっても、雪風だけはそんな事言っちゃ駄目なんですよ? ……勿論、私たちの事をなんとも思っていらっしゃらないなら、その限りではないのですが……」

「むうぅ……そんな自信も資格も、雪風には……」

「ふむ……」

 

雪風がその能力やかつての武勲に対し、自分への自信が無い事は常々大和も感じていたし、当人もそう言っている。

艦娘として生まれた当初からの性格として考えれば、其処は人それぞれなのだろうと言うしかなかった。

しかし今始めてその口から資格という言葉を聞いた大和。

誰かを好きになる事に資格が必要なのだろうか。

其れが無ければ誰かを想う事も、想われたときに応える事も出来ないと、雪風はそう考えているのだろうか。

大和の腹から沸々と煮立ったモノがせり上がる

そんな資格など関係ないと、それは選択から逃げる言い訳だろうと爆発しそうになりながら、喉の手前で飲み下した

雪風は存在すらしない資格を在るものとして捉え、しかも自分には其れが無いのだと考えている。

それは大和にとっては腹立たしいが、この病根は非常に深く厄介なものだと言う事も知っていた。

大和の中に理不尽な憎悪があるのと同じように、雪風の中には澄み切った空虚がある。

形は違えど歪な心を抱えた二隻の艦娘は、身体的には傍に寄りながら心の距離を測りかねていた。

 

「難しく考えれば、入り口も出口も拗れてしまいます。少し単純に整理して見ましょう?」

「単純に……ですか?」

「はい。雪風は私達が好きで、私達も雪風が好き。今は、それで良いじゃないですか」

「う……うん……では……雪風も、もっと頑張ってみます。今の雪風ってこんなですけど、大和さんが雪風を選んでくれるなら、大切に、幸せにします。羽黒さんが受け入れてくれるかは、分かりませんけど……」

「あの人はどちらかと言えば私と立場が近いので分かるんですが……受け入れちゃうと思いますよ? その後は、寧ろ雪風より私が羽黒さんと話し合う事になるでしょうねぇ……」

「何か不穏な事考えていらっしゃいません?」

「まぁ? 何を根拠に仰るのやら……」

「間違っていたら御免なさいなんですけど……顔に『まけねぇぞこんにゃろうっ』って書いてあるように感じたもので」

「うふふふ……まけねぇぞこんにゃろう」

「言った!?」

「……あぁ、これを言ったのは赤城さんにだったか。雪風も覚えておいてくださいね? 大和は結構、負けず嫌いなんですよ」

 

薄く微笑んで宣言する大和に、呼吸すら忘れて見入った雪風。

彼女の此処までの発言に虚構があったとは思っていない。

しかし大和は本当に誰より雪風を愛し、愛される心算でいる。

自分以外の他人に対し、其処まで自身を預ける事は雪風にとって信じがたい事だった。

 

「前から思っていたんですが……大和さんって、どうしてそんなにノーガードになれるんです? 傷つかない訳じゃないし、怖くない訳じゃない事も分かっているだけに……本当に不思議だったんですが」

「ん……こういう事は、言葉で説明って出来ないんですよ」

「そういうものです?」

「はい。そういうものなのです」

 

自分がどれほど雪風に救われたか。

どれほど沢山のものを貰っているか。

それは当人に口頭で伝えきれるものではなかった。

雪風にそれが分からないとすれば、それは自分が未だに貰ったものを返せていないからだ。

無論其処で歩みを止める心算もないが、一朝一夕で叶う事でも無い。

だからこそ、今代わりに伝えるのは感謝であり、愛情である。

せめて此処だけは、いくら怖かろうと痛かろうと躊躇する心算の無い大和だった。

 

「ねぇ雪風、……一つ賭けをしませんか?」

「賭けですか……運試しでしたら、一昨日来る事をお勧めいたしますよ?」

「……誰がそんな自虐に走るものですか。賭けるのは演習の勝敗です」

「何かおねだりがあるのでしたら、今の大和さんなら大抵の事でしたら無碍にはいたしませんが……」

「与えられたいのではありません。皆と一緒に、勝ち取りたいのです」

「なるほどぅ……では定番ですが、勝った方の言う事を一つ聞く……こんな所で、如何です?」

「良いですねぇ。俄然やる気が出てきましたよ」

 

お互いに何をさせる心算なのかは聞かなかった。

聞いてしまったら勝敗以前の緊張感が削がれるだろう。

更には賭けを持ちかけた大和は兎も角、受けた雪風に明確な展望など考えてもいなかった。

どうしようかと思案し始めたところで、雪風は大切な事を思い出す。

雪風は一人ではない。

第二艦隊のメンバーに相談すれば、きっとやる気を増してくれるだろう。

特に羽黒に先程の件と一緒に話せば、全力で阻止に協力してくれるかもしれない。

一対一の勝負ならば他人に口外する気はないが、これは艦隊決戦演習の勝敗を掛けたもの。

勝敗に絡むのが参加者全員である以上、仲間と相談させて貰う事にする。

 

「それでは……なんか気疲れしてしまいましたが、雪風は羽黒さんに筋を通しに行ってきます」

「手酷く振られたら、是非いらしてくださいね? これでもかと言うほど甘やかして差し上げます」

「……演習が終わるまでは敵同士です。終わったら、そうさせて頂きますよ。朝御飯、ご馳走様でした」

「はい。お粗末様でした」

 

息を吐きながら席を立つ雪風。

食器を厨房に返そうとしたが、それは自分がすると大和が止める。

特に遠慮する理由も無い雪風は後片付けを任せることにした。

去り際に大和に対し、何かするべきかと迷った雪風。

しばし逡巡し、不器用に右手を差し出した。

きょとんとした大和が反射的に右手で握る。

いつもは意識せずとも行えた、手を繋ぐこと。

結局それが今の雪風に出来る精一杯のスキンシップだった。

 

「次は海上でお会いしましょう。あ、そうだ……勝敗に関わらず、大和さんが雪風に大破判定つけたらおねだりもう一個追加して良いですよ」

「……それにかまけて戦線崩したら、怒られちゃうなぁ。一応、覚えておきますね」

「……ちぇ、食いついてくれれば、たっぷり逆手に取る心算でしたのにぃ」

「本当に油断も隙も可愛げも無いですねこの鬼畜艦は……」

 

ややぎこちなく握手して別れた二隻。

大和は雪風の背を見送った。

直ぐに食堂の扉に遮られ、その姿は見えなくなる。

一人になった大和は服の胸元を握り締め、内側で爆発しそうになる感情の奔流に耐えた。

すばしっこい駆逐艦を、やっと捕まえた。

先程躊躇いながら、ぶっきらぼうに差し出された手。

握り返した瞬間に吹き零れた記憶がある。

未だ艦だったかつての事。

足回りを破損した駆逐艦が、自分に寄り添う光景。

それは何時の事だったろう。

あれは誰だったのだろう。

遠い情景に思いを馳せても、霞が掛かったようにぼやけてしまう。

その記憶が自分のものか、それとも自分に乗った誰かのものか……

大和には、もう分からなかった。

 

「……大丈夫。私は、大和。戦艦大和は、此処にいます。雪風がいて、赤城さんがいて、足柄さんがいて……皆が、いる。私は……大和です」

 

誰もいなくなった食堂に響く呟き。

大きく息を吸い込み、感情と共にゆっくりと吐き出していく大和。

意識して下腹に力を篭め、気持ちと身体を強張らせる。

心の表面を少しだけ硬く鎧った大和は、雪風の使った食器を纏めていった。

 

 

§

 

――雪風の業務日誌

 

やまとさんとはぐろさんにじゅんぐりでこくはくしました。

ゆきかぜはわんぱんでじべたをなめるかくごだけはしていました。

だけどどっちもいいよっていってくれました。

はぐろさんはまじなきさせてしまいましたが、いっぱいぎゅってしてくれました。

おおきすぎず、ちいさすぎず。

なにもたさず、なにもひかず。

まさにげんてんにしてちょうてんというにふさわしいかんしょくでした。

あとはぐろさんいいにおいでした。

ゆきかぜはうんがよすぎるとおもいましす。

こうなってしまっては、もはやはーれむるーとしかありません。

ぶちょうからきいたおはなしによりますと、ふくすうのかんむすとふかいきずなでむすばれたていとくさんのおはなしがありました。

『じゅうこんかっこかり』っていうらしいです。

これってしれぇともできるんでしょうかね?

もしごぞんじでしたらおしえてください。

えんしゅうはすごいたのしかったです。

みんながんばってくれたとおもいますし、ゆきかぜもいっぱいがんばったっていいはります。

さいごにのこったやまとさんとはぐろさんのやせんは、じんがいまきょうのおてほんみたいだったですね。

そういえばはぐろさんってかみかぜからあしゅらっていわれていたなっておもいだしました。

ゆきかぜも、やせんだったらそこそこやれるとおもっていたんですけどねぇ……

 

 

 

――提督評価

 

遥か昔の提督と艦娘は、今の私達には無い不思議な力で結ばれる事があったらしいという事は、私も文献で読みました。

才能に恵まれ、高い錬度を誇った艦娘が自分の限界に行きついた時、なんらかの儀式と共にその限界を乗り越えていったとか……

私が大本営にいた時からその方法は研究されていましたが、実用化には至っておりませんでしたね。

いや、その技術を指輪の形に封入する事には成功していたのですが、適合する提督と艦娘が現れなかったのです。

理論的には成功しているにも関わらず、それを確かめるすべも無くお蔵入りしているのが現状です。

今は比較的容易な任務の報酬として大本営から送ってくれる、勲章のような扱いになっています。

その『じゅうこんかっこかり』という単語は私の知識にはありませんでしたが、まだまだ艦娘や妖精、果ては深海棲艦に至るまで研究と理解が不足しているという事なのでしょうね。

 

演習は見応えがありましたね。

敵味方が入り乱れすぎてどちらが優位なのか、私には全く分かりませんでした。

珍しいものがたくさん見れたので私としては満足していますけれど。

開幕で大和さんが雪風の切り返しを真似して転覆したり、調子に乗った島風さんと矢矧さんが演習海域をオーバーラインして失格になったり、夕立さんの流れ弾に被弾した時雨さんが同士打ちはじめたり、山城さんが逆落とし仕掛けて赤城さんに体当たりしたり……

赤城さんと山城さんの件は、隣で加賀さんも唖然としていましたね。

こんな海戦が実戦であったら両軍共に全滅しているとも言っていました。

まぁ……今日くらいは皆さんが楽しめれば、それで良いんじゃないでしょうかね。

ともあれ、お疲れ様でした雪風。

 

 

 

――極秘資料

 

No10.駆逐艦雪風

 

現提督の初期艦にして最先任の駆逐艦。

現在は第二艦隊の旗艦として補給遠征業務に従事している。

 

 

・指揮統率(全)

 

機能1.部隊を指揮するセンスです。

機能2.あらゆる艦隊に対して効果を発揮します。

機能3.揮下の艦隊のコンディション値を最大で15上昇させます。

機能4.上昇値は揮下の艦艇から得られる信頼によって増減します。

機能5.出撃帰投後に減少するコンディション値は元値から引かれます。

機能6.この効果は雪風自身には作用しません。

 

・戦禍の記憶

 

機能1.多くの仲間を看取った記憶です

機能2.常時、コンディション値に-5の補正を受けます。

機能3.上昇、下降問わずコンディション値の変動を抑制します。

 

幸運判定

 

機能1.定まった未来に干渉する運気です。

機能2.結果の出た判定の目を一度だけ振りなおせます。

機能3.発動は幸運に属するものであり、当人はこの力を認識する事は出来ません。

 

・覚醒(仮)

 

機能1.瞳が赤く染まることはありません。

機能2.コンディション値60以上でこの状態に入ります。

機能3.艦砲射撃に大火力を付加し、その他の戦闘行動にも上方修正が入ります。

機能4.コンディション値減少速度が増加します。

 

・孤高

 

機能1.独りでいる事にも独りになる事にも慣れており、そうある自分を自然に受け入れています。

機能2.単艦行動時、装甲・耐久・火力・雷装以外全てのステータスに上昇補正がかかります。

 

・生存経験則

 

機能1.戦場において生き残るための経験則です。

機能2.判定に成功すると、敵スキルの初見属性を打ち消します。

機能3.海戦で味方艦艇が戦没した時、雪風の索敵、回避に上方修正がかかります。

機能4.この効果は三回(つまり味方三隻撃沈)まで累積します。

機能5.味方戦没の効果は海戦終了と同時に解消されます。

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがき

こんにちわ、りふぃです。
駆逐艦雪風の業務日誌21話、そして最終話、此処にお届けいたします。
あ号作戦終了時のただいま、おかえりを一部の〆だとすると、演習一つはさんで始めた第二部の〆が今回って事になるのかな……
雪風達の前途多難な鎮守府運営はこれからも続いていきますが、私が書き起こすのはとりあえず此処まで。
次章のヒロインたる天津風や、業務日誌数年後の世界でヒロイン予定の翔鶴姉は、本当に出落ちになってしまいました。
一応続けられるネタも仕込んであるために中途半端になった感じもありますが、其処はいい加減な私のすることと諦めて頂けると幸いですw

この後は日誌世界の設定資料集、兼総合後書きを一つ書いてご挨拶しておしまいになります。
ただ、設定資料と後書きのみの投稿ってハーメルンさんだと禁則事項になっちゃうのかな?
規約読んだんですけど良く分からなかったんで、出すのはアルカディアさんとピクシブさんになるのかな……
良く知ってる方いらっしゃいましたら教えて頂けると嬉しいです。
最悪読みきり一本書いて抱き合わせれば良いのかも知れませんが、正直力尽きてますのですorz

其れにしても、此処でこうして艦これのプレイ報告するのも最後になるんですね……
いもT鎮守府で唯一リアルで持っていなかった祈りの象徴、矢矧さんがついに着任いたしました。
12月6日の事でした。
矢矧の初登場が4月13日だから……8ヶ月かかったね!
書けば出るって本当ですね!
いつかは出るんだね!
我ながらテンションおかしくなりそうでした。
だけど、声も台詞もとってもお気に入りです。
坊ノ岬二水戦で艦隊組んで放置とかしています。
今更自慢にはならないですが、飾っておきたいのですw


本当に、此処までお付き合いくださった読者の皆さんには感謝の言葉もありません。
読んでくださった方の反応や感想あってこそ、此処まで続ける事が出来たものだと思います。
実際、感想からは多くのネタや呼称などを拾わせて頂きました。
皆様本当にありがとうございました。

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