……すっかり桜も散った、4月下旬。
漁を終えて鳥白島へと戻る漁船から、今日も鳥白島を眺める。
所々薄桃色をしていた島は、今やすっかり若草色に染まっていた。
「サワラが獲れる時期になったかー。すっかり春だなー」
船に備え付けられた生け簀を見ながら、良一がそう頷く。
最近はトローリング……いわゆる流し釣りでサワラを獲っている。
サワラは顎の力が強く、普通の仕掛けだと簡単に切られてしまうんだとかで、俺たちはじーさんが用意してくれた特殊な仕掛けを使っていた。
「サワラって確か、魚へんに春って書くんだっけ?」
「ああ、この辺じゃ春を告げる魚ってことになってる。今の時期のはちょうど卵を持ってるし、うまいんだぜ」
処理をされて、氷水の入った生け簀に浮かぶ無数のサワラを見ながら良一は笑顔だ。
釣れたサワラは、これまたじーさん直伝の方法ですぐに処理をされていた。なんでも、釣ってすぐに締めないと鮮度が落ちるらしい。
「そういや羽依里……最近、蒼との関係はどうだ?」
「え? これ以上ないくらい良好だけど。どうかしたのか?」
じーさんから教えてもらった方法を頭の中で反芻していると、横腹を小突かれながら、唐突にそう聞かれた。
「つまり、デートしまくってるわけだ……当然、本土デートしたんだよな?」
「いや、してないけど」
「マジかよ! なんで本土に行かない!?」
「いや、もう島で満足してるっているか、あいつと一緒に居られればどこでも……」
「ったく……元シティーボーイが聞いて呆れるぜー」
……そんなこと言われても。今の俺は新米フィッシャーマンだし。
「せっかく、本土のおススメデートスポットでも教えてもらおうと思ったのによー」
いや、元からそんな場所は知らない。もし本土デートでそんな場所に行こうものなら、蒼の妄想が止まらなくなるじゃないか。
「……って良一、お前も誰かとデートするのか?」
「……へっ? い、いや。妹がだよ。妹がデートするらしいから、教えてやろうと思ってさ」
そういえば、良一には妹がいた気がする。でも、もうそんな年頃になったっけ?
頭を掻いて笑う良一は、明らかに誤魔化そうとしている気もするし。これは怪しい。良一、誰とデートするんだろう。
「……お前たち、もうすぐ港に着くぞ。仕分けの準備に取りかかれ」
「「は、はい!」」
その時、船を操縦していたじーさんから指示が飛んだ。良一のデート相手も気になったけど、今は仕事に戻らないと。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……仕分けてみると、ことのほかサゴシが多いな。大した金にならんが、まぁ、そういう日もあるだろう」
鳥白島の漁港で魚の仕分け作業をしていると、その様子を見ながらじーさんがぼやいていた。
どうやら、サワラは大きさによって名前が変わる出世魚らしく、大きさによって値段が全く違うらしい。
その作業も終盤に差し掛かると、頃合いを合わせたようにしろはがやってきた。
「……おはよう」
「ああ。おはよう、しろは。今日も早いな」
「……仕事だから。それより、今日の魚はなに?」
「これだよ」
「あ、サワラだね」
俺は氷水につけられたサワラをしろはに見せる。さすが、すぐにわかったみたいだ。
「じゃあ、二匹貰おうかな」
「ああ、ちょっと待ってくれよ」
俺はその氷水ごとサワラをバケツに入れて、しろはに手渡す。
「ところで、また教えてほしいんだけど……このサワラはどうやって食べるのがいいのかな」
「……今の時期なら臭いも少ないし、なんでもいけるよ」
「え、なんでも?」
「うん。お刺身に塩焼き、お寿司。あとは海苔やネギ、卵を乗せて漬け丼にしても美味しいよ」
「へぇ、万能な魚なんだな」
「うん。覚えてね。それじゃ」
俺に魚の代金を手渡した後、しろはは挨拶もそこそこに、漁港から去っていった。
普段、しろはとはあまり喋らないんだけど……漁港で会うこの時だけは、しろはも饒舌になる。
それにしても、しろはの口からは俺が知ってる西京焼きという言葉は出なかった。新鮮な魚が手に入る島では、わざわざ西京焼きなんて作らないんだろうか。あれ、結構好きなんだけど。
「……よし、今日も始めるぞ」
そんなことを考えていると、しろはのじーさんから声がかかった。今日も四天王スクワットの時間がやってきた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「それじゃ、お疲れ様でしたー!」
四天王スクワットを堪能した後、本日の報酬を受け取り、加藤家へと帰宅する。
それからシャワーを浴び、遅めの朝食を済ませた後、少しだけ仮眠をとって、お昼過ぎに駄菓子屋へと向かう。
最近はこの流れが日常になっている。
理由は簡単。退院した蒼と藍が、最近駄菓子屋でバイトを始めたからだ。
姉妹揃ってのバイトには当然意味があって、碧さん曰く、藍にとって良い社会勉強になるだろうとのことだった。
いくら蒼から睡眠学習を受けていたと言っても、藍は10年間眠り続けていたんだし。知識だけより、実際に経験してこそ身につくことも多いだろうし。
「くーださーいなー」
買い物目的で来たわけじゃないんだけど、駄菓子屋につくと反射的にこう言ってしまう。慣れって恐ろしい。
「あ、いらっしゃーい」
「やっぱり、今日も来ましたね」
がらがらとガラス戸を開けると、カウンターのところに蒼、奥の座敷の入口に藍が座っているのが目に入った。
蒼はいつもの見慣れた髪型、一方の藍はポニーテールだった。
「それじゃ蒼ちゃん、羽依里さんも来たことですし、そろそろ交代しますよ」
「ありがとー。それじゃ、お願いねー」
藍がぴょんと立ち上がってカウンターの方へ向かう。蒼はその藍と入れ替わるようにして、俺の方にやってくる。
「わざわざ休憩取ってもらって悪いな」
「藍はああ言ってるけど、いつもお昼からは藍が店番なの。だから、気にしなくていいわ」
「そっか。それじゃ……」
「……あと、いつも言ってますが」
自然に蒼と手を繋いだところで、カウンター席の藍が睨みを利かせてきた。
「蒼ちゃんといちゃいちゃするときは、私の目の届く範囲で! これだけは守ってくださいね!」
「わ、わかってるよ」
これまたいつものように釘を刺されてしまった。うう、過保護すぎる姉にも困ったもんだ。
「じゃ、じゃあ、ベンチに座って休むか?」
「そ、そうねー」
せめてもの抵抗で、カウンターからできるだけ離れたベンチへ向かう。先にそう言われてしまうと、どこかに行くわけにもいかないし。
「そうだ藍、ホームランアイス、一本もらうわねー?」
その向かう途中できびすを返し、蒼はアイスクリームストッカーから有名なアイスバーを取り出す。
「はい。100円ですよ」
「藍、俺も同じの貰うからな」
代金を払う蒼に続いて、俺も同じアイスを選んでカウンターへと向かう。
「蒼ちゃんと同じアイス選ぶなんて、こんな時まで恋人アピールですか? そんな羽依里さんからは100万円いただきますよ」
お約束もしっかりできていた。この辺りは駄菓子屋のおばーちゃんの教育だろうか。
蒼と二人でアイスを買ったあと、そのまま並んでベンチに腰を落ち着ける。
お昼過ぎに駄菓子屋前の道を歩く人はおらず、そよぐ風は心地いい。
一方で、陽射しもそれなりにあって、アイスが美味しくなる時期だ。
「それじゃ、いただきます」
俺はさっそくアイスの包みを開けて、一口かじる。
「……うん。子供の頃から変わらないこの味。不思議と安心するんだよなー」
俺はそんな感想を口にしながら、隣の蒼を見る。
「はむっ……くちゅ、はふっ……」
……喉が渇いてたんだろうか。文字通り、むしゃぶりついていた。
「んくっ……れろっ、くちゅ」
夢中になるのはわかるけど……その、食べ方がえろい。本人は意識してないと思うけど、俺は意識しちゃう。冷静にならないと。
「……あれ? 羽依里、食べないと溶けちゃうわよー」
「え?」
煩悩を追い払うため、頭の中で般若心経を唱えていたら、蒼にそう言われた。
「うわっ、やばい!」
危うくズボンの上にアイスが垂れてしまうところだった。俺は慌ててアイスを口に含む。
「……でもさ、こうやって一緒にベンチに座ってると、あの夏を思い出すわねー」
「ん、そうだな」
まだ陽射しは夏のそれとは程遠いけど、数年前の、あっと言う間に過ぎていったあの夏を思い出す。
「ちょうどあの辺だっけ。蒼とかき氷のかけあいっこしたよな」
「あははー。そんなこともあったわねー」
「……ちょっと。どういう状況ですかそれ」
蒼に話しかけたのに、背後から藍の声が飛んできた。せっかく二人の世界に入ってたのに。
「あの時は……羽依里があたしの着替えを覗いたのがきっかけだったわよね?」
ちょっと蒼さん、正直に答えないで。
「は? 聞き捨てならないんですけど」
ほらほら、背後から足音が近づいてきた。藍は明らかに怒ってる。
「羽依里さん、ちょっと取り調べ良いですか?」
「嫌だ」
「誰が蒼ちゃんの着替えを覗いたんです?」
……嫌だって言ってるのに。ちょっと。背後から両肩を掴まないで。
「ずるいです! 私だって蒼ちゃんと、かき氷かけあいっこしたい!」
「ちょっと藍、心の声が漏れてるわよ!?」
どんな状況を想像してるんだろう。あの不毛な戦いの果てに、得るものなんて……いや、色々とあった気もするけど。だってほら、スッケスケだったし。
「……はぁ。私の知らないところで、色々やってるんですから」
藍はひと思いに俺の両肩を揺すった後、疲れたような表情で俺の前を横切り、蒼の隣に腰を下ろす。
そんな、心の底から残念そうに言われても……あれは藍が起きる前の話だし。
「夏になったら、絶対私も蒼ちゃんにかき氷かけてもらいます……あむ」
そういう藍は手にきなこ棒を持っていた。確かに全くお客さん来ないけど、藍も休憩するのかな。
「ところで、藍ってきなこ棒好きなのか?」
「むぐ。だって、おいしーじゃないですか」
「そりゃ、美味しいけどさ。どっちかっていうと懐かしさの方が強いような……」
「……あの、三人で楽しそうにしてるところ悪いんだけど」
はむはむと、まるでリスのようにきなこ棒をかじる藍を蒼越しに見ていると、そう声をかけられた。
思わず振り返ってみると、しろはが立っていた。
「あれ、しろは?」
「スイカバー、そろそろ入荷してるんじゃないかと思って」
「え、スイカバーですか?」
藍が手元に残っていたきなこ棒を口に放り込んで立ち上がり、しろはと一緒にアイスクリームストッカーを覗き込む。
「えーっと、まだ入荷されてないみたいですね」
「本土のスーパーには、もう入荷したって聞いたんだけど……」
「え?」
「あー、この店の入荷は早くて梅雨明けじゃない? それか、七夕の頃ねー」
なんとなく困惑している藍に、蒼がそう助け舟を出していた。特段気にしたことないけど、スイカバーはもっと夏が近くならないと売り出されない気がする。
「そ、そうなんだ……おつかれさまでした」
駄菓子屋にスイカバーがないと知ったしろはは、肩を落としながら帰っていった。
……ところで、しろはは誰から本土でスイカバーが売り出されたって聞いたんだろう。今の時期、本土から島に来る人なんてそこまで居ないはずだけど。
「くーださーいな」
「あ、いらっしゃい。えっと……」
そんなことを考えていると、また別のお客さんが来た。どこかで聞いたことある声だったけど、対応した藍はさっき以上に戸惑っている気がする。
「あれ、もしかして静久?」
「あら、パイリ君?」
そんな声の主を確認してみると、静久だった。髪を結っていないせいか、一瞬わからなかった。
「あ、羽依里さんの知り合いなんですか?」
なんとなく、藍は救いを求めるような目をしていた。そういえば静久と藍は初対面な気がする。
「静久、紹介するよ。蒼の双子の姉、藍だよ。紬から話を聞いてないか?」
「あ。貴女が藍さんなのね。始めまして。水織静久です」
「空門藍です。よろしくお願いします」
二人がそう挨拶を済ませる。静久は紬と文通をしてると聞いていたけど、どうやら藍のことも話していたみたいだ。
「静久は紬の親友で、蒼と同じ学校の先輩になるんだぞ」
「……あ、もしかして、蒼ちゃんが言っていた、おっぱいがふわっ、ふわっしてる先輩ですか?」
「ちょ、ちょっと藍!?」
その話題、たぶんまだ藍が寝てる時に話したんだろう。それを覚えてる藍もすごいけど。
「いいのよ。でも藍さんも、なかなか立派なものを持ってるわね。ちょっと服がきつそうなくらい」
「こ、この服は蒼ちゃんのお下がりなので、その……」
「ああ……」
俺と静久は思わず姉妹の胸を見比べてしまう。
「その、双子でも全部同じとはいかないわよね。個性よ」
「どーせあたしは藍に負けてます―――!」
静久がフォローをしていたけど、蒼は頭を抱えて唸っていた。俺としてはすごく反応に困るし、無理矢理話題を変えることにした。
「と、ところで、静久は何か買いに来たのか?」
「そうそう。これから灯台に行こうと思ってたんだけど、紬にお土産を買い忘れてね」
「え、その袋は違うのか?」
静久は天使キャラクターが描かれたビニール袋を持っていた。あれって、宇都港近くのスーパーの袋じゃなかったっけ。
「今日は灯台にお泊りの予定だから、本土のスーパーで食材は買ってきたんだけど、一番大事なパリングルスを忘れてしまったの。あるかしら」
「ああ、ありますよ。こっちです」
商品名を聞いて、藍が静久を商品棚の方へ案内する。
ところで、しろはがスイカバーについて教えてもらったのって、やっぱり静久なのかな。
「パリングルスは甘エビ味と、新春梅味が出てますよ。どっちにしますか?」
「じゃあ、一つずつ貰おうかしら」
「全部で200万円ですよ」
「はい。200円。足りない分はおっぱいで支払うわ」
「は!?」
藍が素っ頓狂な声を上げている間に、品物を受け取った静久は足早に去っていった。
……それにしても静久、灯台に泊まるって言ってたけど、今日も明日も平日のはずだけど。
まぁ、大学生だし、講義時間の関係でちょうど時間ができたのかな。
その後は、特にお客さんが来ることもなく、俺と蒼はベンチに座って過ごしていた。
どこからか鳥のさえずりも聞こえるし、今が一番いい気候かもしれない。
背後を見てみると、店番の藍も暇なのか、カウンターに頬杖をつきながらあくびをしていた。
「……あふ。風は気持ちいいし、眠くなっちゃうわねー」
隣の蒼も俺に半分身体を預けながら、あくびをかみ殺していた。
「蒼、眠たかったら俺の膝貸してやるぞ?」
「は?」
うう、だから藍おねーちゃん、背後から無言の圧力かけてこないでください……。
……やがて夕方近くになると、おばーちゃんが帰ってきた。
本日の売り上げの確認が行われた後、二人はバイト代をもらって、家路に就くことになった。
ちょうど通り道だし、俺も二人を送ろうと一緒に空門家へと向かうことにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……あら、おかえりなさい」
空門家に到着すると、ちょうど碧さんが庭先で洗濯物を取り込んでいた。
普段は夜まで本土でパートしてるんだけど、今日はたまたま早く帰って来たらしい。
「おかーさん、ただいまです。今日のバイト代はおばーちゃんが漬けた、にんじんのぬか漬けです」
「美味しそうね。さっそく今日の夕飯にでも使わせてもらいましょうか」
「おとーさん、このぬか漬け好きなのにねー。食べられないなんて残念」
「そうねぇ。今頃、東京じゃないかしら」
「……あれ、樹さんいないんですか?」
確か、昨日の夕方までは間違いなく島に居たはずだけど。
「そうなのよ。今度はヨーロッパで学会があるらしくてね。またしばらく帰れそうにないの」
「そうなんですか。大変ですね」
それにしても、グアテマラの次はヨーロッパなのか。樹さんも大変だろうけど、碧さんたちも寂しくないんだろうか。
「ヨーロッパなら、今度はオシャレなお土産を貰えるかもしれませんね」
「あー、今回の織物はちょっとねー。コーヒー豆は嬉しかったけど」
「二人とも、そう言わないの。おとーさんなりに気を使ってくれてるんだから」
口ではそう言っていたけど、三人とも笑顔だった。なんだかんだで、この家族の絆って強いんだな。
「……そうだ。羽依里君。ちょっとお願いがあるんだけど」
「え、お願いですか?」
そんな三人の様子を眺めていると、碧さんがニコニコ顔で俺の方を見てきた。笑顔なんだけど、何か企んでいる時の藍と表情が重なる。
「あのね。二人も退院して、それなりに生活も落ち着いてきたでしょう? そろそろ身の回りの品を揃えたいと思っていたの。服とかね」
「は、はぁ……」
「島じゃ手に入らないものがほとんどなんだけど、今月は私もなかなか休みが取れなくて。でも、まだ二人だけで本土に行かせるのも心許ないし」
なんとなく、話が読めてきた気がする。この流れはもしかして。
「そこで羽依里君に、藍や蒼と一緒に本土へお買い物に行ってほしいの」
「え、本土ですか?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
その時、藍が耐えかねたように俺と碧さんの間に割って入った。
「お買い物なら、蒼ちゃんと羽依里さん、二人で行ってきたらいいじゃないですか。私はお邪魔虫ですよ」
本当に行きたくないのか、俺たちに気を使ってくれてるのかわからないけど、何故か藍が焦っていた。
「駄目よ。藍も行きなさい。藍も年頃の女の子なんだから、自分の服は自分で選ぶの」
「べ、別に服は蒼ちゃんのお下がりでも……」
母親から少しきつめに言われて、藍が少ししゅんとなった。確かに藍もずっと入院していたし、今の身体に合った服は持ってなさそうだ。
「そういうわけにはいかないの。それに、島の外を見るのも勉強よ?」
碧さんは続けて、そう藍を論する。何年眠っていたとか、そういうので区別しない。それが碧さんの教育方針らしい。
「むむむ……」
正論を述べられて、あの藍がぐうの音も出ないでいる。さすが、おかーさんだ。
「いいじゃない。せっかくだし、あたしも藍と一緒にお出かけしたいしさ」
「え?」
その様子を見て、蒼がそう口を挟む。これは本心から出た言葉なんだろう。
「あ、蒼ちゃんがそう言うんでしたら……」
「うんうん。この際、三人でデート気分でお出かけしなさいな。羽依里君、お願いね?」
「わ、わかりました」
そして藍の気持ちが少し揺らいだ瞬間を碧さんは見逃さず、一気にそう取りまとめてしまった。さすがの手腕だ。
この流れだと、俺も頷くしかなかった。それにしてもおかーさん、ちょっと楽観的すぎませんか。
「羽依里が一緒なら、心強いわねー」
「そ、そうですね。シティーボーイさんですから、本土のお店も色々詳しいでしょうし」
「うんうん。二人とも、しっかりエスコートしてもらいなさい。それで羽依里君、次のお休みはいつかしら」
「えっと、次の休みはですね……」
そんな碧さんによって、俺たちの予定は着々と決められていった。
結局、明々後日の日曜日。朝9時過ぎの船で出発することになった。
急転直下で決まった外出だけど、せっかく三人で本土に行くんだし、これは開き直るしかないよな。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
……そして、あっという間に日曜日がやってきた。
「えーっと、財布は持ったし、寝癖もないし」
朝食を済ませた後、俺は身支度を整えて、洗面所の鏡の前に立っていた。
島に移住してから、そこまでおしゃれを意識したことないし。ありきたりな服しか持ってない。
漁師という仕事柄、日中も汚れてもいいように雨ガッパや長靴を着ていることも多いし。
「うーん、こんな格好で大丈夫かな……?」
「うん。大丈夫と思うよ?」
「うわっ」
鏡の中の自分とにらめっこしていると、なんの前触れもなく鏡子さんが現れた。
「ああ、すみません。洗面所を独占してしまって」
「ううん、いいんだよ。それより、蒼ちゃんたちとハーレムデート行くんだって?」
「はい!?」
俺は思わず振り返る。鏡子さんは笑顔だった。
「そんなんじゃないですよ。いったい誰からの情報なんです?」
「駄菓子屋のおばーちゃん」
「おばーちゃん!?」
ちょっと。俺の知らないところで、また妙な噂が流されてるんだけど。
「蒼ちゃんが嬉しそうに話してたって」
「そ、そうですか……」
大方、バイトを休む理由を聞かれて、にへーとしながら、ぺらぺらと喋ってしまったんだろう。まったく、可愛いやつめ。
でも考えてみれば、三人揃って本土に行くのはこれが初めてな気もする。浮かれる気持ちもわかるかも。
「じゃあ、私も寄合に行ってくるから。羽依里君も道中気を付けてね」
「ありがとうございます。それじゃ、俺も出かけます」
最後にもう一度持ち物をチェックして、鏡子さんに続くように加藤家を出る。
その鏡子さんとも門の前で別れて、俺は港へと向かって歩き出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「えーっと」
……乗船予定の船がやってくるのが、9時20分。
……二人との待ち合わせの時間が、9時。
……そして今の時刻が、8時45分。
デートの時は男が約束の時間より早く来て待っているのが当然のルール……と、男子校時代に友人から習った気がするんだけど。
「どうして二人とも、俺より先に来てるんだ……?」
一瞬、時間間違えたっけ? と思って時計を見たけど、合ってる。
「あ、あははー。それがねー」
春物らしい薄桃色のセーターを着て、いつものように髪を結った蒼は、そのトンボ玉に朝日を反射させながら、誤魔化すように頭をかく。
「蒼ちゃん、朝早くに目が覚めちゃって、眠れなかったそうですよ」
「え、そうなの?」
「うう、そうです……」
隣で青色のワンピースを着た藍にそうバラされて、蒼はがっくりと肩を落としていた。
「今日のデート、それだけ楽しみだったんじゃないですか」
「そうですーーー!」
……次は開き直ったのか、叫んじゃってた。
「ちょっと蒼、声大きいから!」
まだ人も少ないからいいけど、港で作業してる人が何事かと俺たちの方を見てる。うう、恥ずかしい。
「羽依里さんも、それだけ蒼ちゃんに愛されているということです。まったく羨ましいですね」
そう言う割には、藍は俺をジト目で見てくる。
「なぁ藍、その服って……」
その時、藍の着ている服が気になった。どこかで見たことあるような。
「蒼ちゃんのを借りてます。羽依里さんはどう頑張っても蒼ちゃんの服は着れないですし、羨ましいでしょう?」
「いや、羨ましいとかそういう問題じゃない気がするけど……」
見たことあると思ったら、藍が着てるのは先日蒼が着ていた服だった。碧さんの言う通り、本当に服がないんだな。
でも正直、藍の方が蒼よりスタイル良いし、少し動きにくそうだった。その、胸とかさ。
「……羽依里さん、どこ見てるんですか」
「み、見てないから」
視線に気付かれてしまった。やましい気持ちはないんだけど、思わず目をそらしてしまう。
「い、いいのよ……羽依里も男の子だし、大きい方がいいわよね……」
そのやりとりを見て、蒼が遠い目をする。いや、蒼、これは違うんだ。俺はお前のサイズがジャストフィットだから。
「うう、どーして寝てるだけなのに、胸は育つの―――!?」
再び叫んでいた。そんな俺たちを、港の皆が温かい目で見守ってくれていた。
「水織式マッサージ、侮れないわ……」
何かつぶやきながら、今度は膝をついてしまった。どうしよう。俺も藍もかける言葉が見つからず、顔を見合わせる。
「……って、あれ? 藍、いつもと雰囲気が違わないか?」
「は? 服装以外はいつも通りですけど?」
「いや、うまく説明できないけどさ。柔らかいというか」
「あ。ほら、やっぱり少しでもお化粧して良かったでしょー?」
その話を聞いて、蒼が嬉しそうに立ち上がる。
「なるほど、お化粧してたのか」
「蒼ちゃんにしてもらったんです。いいでしょう?」
藍は自分の頬に手を当てながら、心底嬉しそうだった。これだけ嬉しそうな顔、初めて見るかも。
「確かに良い感じだよな」
化粧品とか全くわからないけど、自然な感じがする。
「……別に羽依里さんから見つめられても、嬉しくないんですけど」
……褒めたら睨み返された。うう、どうしてこうなるんだろう。
「でも、あたしの持ってる化粧品じゃ藍に合わないのとかあったし、やっぱり今日、藍の化粧品も買いましょー?」
「え、別にいらないですよ。蒼ちゃんのでいいです」
「だから、肌に合わないって言ってるでしょー。あって困るものでもないし、ね?」
「わ、わかりました……」
……いつの間にか、蒼が藍をリードしていた。一瞬、蒼の方が姉に見えてしまうような、そんな光景だった。
「その、服の流行とかもわからないので、蒼ちゃんが教えてくださいね?」
「え、あたしもそこまで自信ないんだけど……?」
……ちょっと。そこで双子揃って俺を見ないで。ファッションなんて俺も分からないから。今の俺は一介の漁師だし。
「……羽依里さんもファッションは期待できそうにないですね」
「うう、これでもほぼ全身ウニクロで固めてきたのに」
「さすがにそれだけじゃ駄目かもねー」
「じゃあ、蒼なら、どんな服が好み?」
「そうねー」
……それから船が来るまでの時間は、俺のファッションチェックに費やされた。
この色は駄目だとか、このズボンにはあの色が合うだとか、沢山アドバイスをもらったけど、近くに寄ってきた蒼からすごくいい匂いがしていたせいで、全然頭に残らなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『宇都港行き、間もなく出港します』
船内の座席で出港の放送を聞く。やがて、船はゆっくりと島を離れていった。
船の中は思いのほか人が多かった。思えば日曜日だし、皆本土に外出するんだろう。
「それで、今日はどこにいくんだ?」
蒼を真ん中にして三人で並んで座りながら、俺は今日の予定を確認する。
「まずは、藍の服でしょー。あと、藍の食器とか、小物ねー」
蒼がメモを取り出しながら、指折るようにそう言う。聞いていると、そのほとんどが藍の品物だった。
「じゃあ、まずは駅前に行かないとな。あそこのショッピングモールならウニクロや矢印良品もあるし、大抵のものは揃うと思う」
入ったことないけど、小さいながら化粧品店もあった気がするし、二人の希望には応えられると思う。
「あと、お昼はジャイフルがいいのよねー」
「え、ジャイフル?」
ちなみにジャイフルというのは、この地方に展開しているファミレスチェーン店だ。学生でも手を出しやすいリーズナブルな価格で、鉄板焼きハンバーグが食べられると人気の店だ。
「藍がね。あの店のハンバーグが食べてみたいんだって」
「ああ、なるほどな。あそこのハンバーグ、美味しいもんな」
聞けば聞くほど、今日は藍のための外出って感じだ。
「ちょっと蒼ちゃん、その言い方はやめてください。私が食いしん坊みたいじゃないですか」
「いいじゃない。楽しみにしてたのは本当だし」
蒼の方も嬉々として話をしてるし、まんざらでもないみたいだ。
「それにしても……」
楽しそうにしている姉妹をよそに、俺は少し気になることがあった。なんとなくだけど、周囲から視線を感じる。
それとなく見渡してみると、座席に知った顔が多い気がする。木戸のおばーちゃんに、あれは高橋さん、向こうは田中さんだ。
俺たちの方を見ながら、ヒソヒソと話し声も聞こえる気がするし。その、すごく気になる。
「……な、なぁ二人とも、せっかくだしデッキで潮風にでも当たらないか?」
俺はそう提案して、デッキへと移動することにした。
別に俺と蒼は正式に付き合ってるんだから、そこまで気にする必要もなさそうだけど、このまま妙な噂が立たないとも限らないし。
正直なところ、俺は毎日のように潮風を浴びているけど、この状況には耐えられない。速やかに逃げよう。
「気持ちいいわねー」
「本当ですね」
姉妹が揃ってデッキの柵にもたれるようにしている。心地いい風が吹いて、二人の髪を流していく。
俺はそんな様子を、柵の近くに設置された長椅子に座りながら見ていた。
「そういえば二人とも、髪の手入れとか大変そうだよな」
陽光を受けて輝くその髪を見ながら、なんとなくそう口にする。
「そりゃねー。島の冬は風が強いから髪が痛むし、夏は紫外線にやられちゃうしねー」
蒼が俺の方を振り返りながら、柵にもたれかかる。
「そっか。髪が長いと、夏とか暑そうだしな」
「そうですよ。蒼ちゃんも、暑くなる前に床屋さんに行かないとですよ」
「へっ?」
「いや、女性が床屋なんて行ったらバッサリ切られるぞ。ここは美容室だろ」
「そ、そうでしたね。それです。美容室です」
「でも美容室となると、本土にしかないよな」
「夏までに一度は行かないといけないし、今度行くときは、藍も一緒に行きましょー?」
「そうですね。その時はよろしくお願いします」
藍はばつの悪そうな顔をしていた。さっきは俺も敢えて流したけど、やっぱり、藍は眠る前の記憶というか、子供の頃の知識で話してしまう時がある。どうも、ハンバーグ好きみたいだし。
「そういえば羽依里は髪、普段どうしてるのー?」
「俺? 俺は1000円カットで十分だからさ」
他の用事で本土に出かけた時とかに、ちゃちゃっと済ませる感じだ。
ちょっと割高にはなるけど、いざとなれば島の床屋でも構わないし。
「どうせだから、羽依里も美容室行ったらいいのに」
「え、俺も?」
「そうそう。今の時代、男の子も美容室行くんだから」
……実は男子校時代、美容室で髪をセットしたらモテるって話になって、一度だけ男友達と行ったことがある。
結構な金額を払った割に、そこまで代わり映えしなかった記憶しかないんだけど。行った美容室が悪かったのかな。
「……いや、俺はやめておくよ」
「そ、そう?」
蒼は少し残念そうな顔をしていたけど、今はモテる必要なんてないし。最高の彼女がいるし。
「……蒼ちゃんを見ながらニヤニヤして。変な羽依里さんですね」
「ほ、ほっといてくれ……」
「……そういえば羽依里、これってもうやってるのかしら」
そのまま三人並んで海を見ていると、蒼が鞄からスタパのチラシを取り出した。夏に向けて、リニューアルオープンするらしい。
「ああ、今年もやってるのかな。マンゴーミックスフラペチーノ」
そのチラシを見ながら、俺はその名前を口にする。数年前から季節限定で登場している、人気メニューだ。
「ちょ、ちょっと! 船の中で何言ってるのよ」
すると蒼は顔を真っ赤にして、キョロキョロと周囲を見渡す。船内にはそれなりの人がいたけど、デッキに出てる人はまばらだ。気にする必要なんてなさそうだけど。
「どんなのか気になりますね。そのマンゴーミックスフラペチーノ」
「だろ。マンゴーミックスフラペチーノは期間限定だし、美味しいんだぞ」
藍も話に乗ってきた。何度か飲んだことがあるけど、トロピカルで美味しかった記憶がある。
「いいですね。マンゴーミックスフラペチーノ」
「きゃーーーー! 変態変態変態ーーー!」
耐えきれなくなったのか、蒼は耳まで赤くしたまま逃げ出し、船のトイレにこもってしまった。
「……慌てふためく蒼ちゃんもかわいいです」
「……藍、お前楽しんでたろ?」
「そんなまさか。羽依里さんじゃあるまいし」
満足そうな顔をしてるし、絶対楽しんでる。
「はぁ……さすがに俺がトイレに行くわけにもいかないし、港に着くまでに藍が説得しておいてくれな……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
……やがて宇都港に到着し、俺たちは船を降りる。
港の建物から外に出ると、人の多さに圧倒される。思えば、島から出たのは随分久しぶりな気がする。
「うわぁ……」
俺と蒼以上に、藍がその人並みに圧倒されていた。それに、なんかきょろきょろしてて落ち着かない。
「藍、どうしたんだ?」
「え? いえ、なんでもないです」
冷静を装って入るけど、その瞳はキラキラと輝いていた。本人にしてみれば、10年ぶりの本土だろうし、目新しいものだらけなのかもしれない。
「あのお店は何ですかね? すごくかわいらしいですけど」
「あれはカフェねー」
思いっきり看板に『Cafe』って書いてるけど。やっぱり初めて見るのかな。
「その向こうのは何でしょうか」
藍は今にも走り出してしまいそうで、まるで小さな子供みたいだ……なんて、本人に言ったら怒りそうだけど。
「ほんと、手を繋いでないと、どっか行っちゃいそうねー」
蒼は苦笑いをしながら、そんな藍の手を取る。
「それじゃ、まずは服だよな。ユニクロのあるショッピングモールまで行こうか」
「そうねー。羽依里、エスコートよろしくねー」
「ああ、まかせといてくれ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
本土の港から少し歩くと、駅前に辿り着く。
その駅構内に入り、エスカレーターを昇るとすぐにショッピングモールだ。ウニクロや矢印良品といった店舗もこの場所に集まっている。
そんな中、俺たちは一番にウニクロを訪れていた。
「……蒼ちゃん、こんなのどうですかね? 子供っぽくないですか?」
「いいじゃない。似合ってるわよー?」
そして今、俺の背後……薄いパーテンションを隔てた向こうでは、二人だけのファッションショーが行われていた。
「あたしのはどう?」
「もちろん、素敵ですよ」
「こっちは?」
「そっちも素敵です」
話を聞いてる限り、藍は蒼のどんな服装も褒めてる気がする。あれで参考になるんだろうか。
「うーん。羽依里、ちょっと見てもらっていい?」
「ああ、いいぞ」
どうやら蒼も同じ考えだったらしく、直後にパーティションが開いて、着替えた二人が姿を見せる。
蒼は春らしい新緑色をしたフロントツイストとVネックが印象的な服ブラウスに、七分のジーンズ。
一方の藍は白をベースにしたブラウスに、藍色のスカートを履いていた。
「へぇ、二人とも似合ってるじゃないか」
……実際に見てみると、俺も似たような感想しか出なかった。だって、似合ってたんだからしょうがない。
「じゃあ、これにするわねー」
二人はどうやら俺の反応に満足したらしい。嬉々としてカーテンが閉められた。
「もう少ししたら、夏物が必要になりそうだけどねー」
「その時は、しろはちゃんやみきちゃん、紬ちゃんも誘いましょう」
「そうねー。あ。藍はもう二着くらい選んどきなさいよー」
「わ、わかってます」
……楽しそうなのはなによりだけど、これはもうしばらくかかりそうだな。
こうなると、俺はやることがない。
かと言ってその場を離れるわけにはいかないし。俺は試着室に背を向けたまま、ぼーっと店の中を見渡す。
「「げっ」」
……その中に知った顔を見つけた。
相手も俺に気づいたらしく、思わず上げた声が重なってしまった。
「りょ、良一……どうしてここに!?」
「は、羽依里こそ……偶然だなー!」
俺が言うのもなんだけど、良一はなかなかに浮かれた格好をしていた。
そして、その声は明らかに動揺している。
「……っ!」
また、俺が声をかけると同時に、良一の背後に誰かが隠れた。ベレー帽を深めに被っていて、顔はわからなかったけど。
「あれ? 誰か一緒なのか?」
「いやその、妹だよ」
「タ、鷹原サン、コンニチワ」
「あ、ああ。こんにちわ」
……なんか、声が上ずっていた。妹さんって、こんな声だったっけ?
「ははぁ。察するに、羽依里たちも買い物か?」
「ああ。色々あって、二人はファッションショー中だよ」
良一が何か悟ったような顔をする。俺も試着室の方を親指で指し示しながら、そう説明していた。
「両手に花か。やるなぁ」
「……な、なぁ。そろそろ……」
その時、背後の妹さんが良一の服を引っ張っていた。
「お、おお。俺たちは買い物終わったし、また鳥白島でな」
「ああ。またな」
良一はそう言うと、妹さんと一緒に去っていった。
「……あ、あまり長話するな。危うくバレるところだったじゃないか」
「い、いいだろ。結果的にバレなかったんだからよ……」
「いや、あれ絶対気付かれてるぞ。さすがに私がお前の妹だなんて無理が……!」
二人は俺から離れていきながら、なんか言い争いをしていた。すごく聞き覚えのある声だったけど、気にしないことにした。
……今思えば、俺が休みということは良一も仕事は休みだ。そして、のみ……妹も役所務めだから、日曜は休み。休日に時間を合わせて、本土デート。あり得る話だった。
「おまたせー……って、羽依里、どうしたの?」
「え? ああ、なんでもないよ。終わったか?」
その時、二人が試着を終えて出てきた。買う服も決めたらしく、どちらも3着ずつ持っていた。
「それじゃ、レジを済ませようか。そろそろお昼だし、ジャイフルに行くなら早めに動こう」
そこまで慌てることもないかもしれないけど、一応駅前にあるし。まして今日は日曜日だ。席が埋まってしまわないとも限らない。
「ねぇ、せっかく来たのに、羽依里は何も買わないの?」
「いや、俺は今のところ大丈夫だからさ。服装はそこまで気にしないし」
「……羽依里が気にしなくても、あたしが気にするのよ」
「えっ?」
「だ、だってほら、彼氏には……い、いつまでもかっこいいままでいてほしいじゃない?」
顔を赤らめるくらいなら言わないで。藍の視線がめちゃくちゃ痛いんだけど。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
目的のレストランは駅から少し離れた建物の二階にある。
「ジャイフルへようこそ。こちらのお席にどうぞ」
入店すると、営業スマイルの店員さんから一番奥のボックス席に案内された。促されるがまま、蒼と藍の二人は俺の向かいに座る。
日曜日のお昼時ということもあって、店内はたくさんのお客さんがいた。待たずに入れたのは、運が良かったのかもしれない。
「ご注文がお決まりになりましたら、奥のボタンでお呼びください」
俺たちにおしぼりとお冷をくれた後、店員さんは一礼して去っていった。
「結構人が多いわねー」
「まぁ、日曜日だしな。駅前で便利だし」
「知ってる人とか居ないわよね……?」
「たぶん……」
ちらっと周囲を見てみるけど、島民らしき人の姿はないし。大丈夫だろう。
「蒼ちゃん、蒼ちゃん。どれも美味しそうですよ」
俺たちの心配をよそに、藍は一番にメニューを手にして、瞳を輝かせながら見ていた。
「あはは、藍は本当に久しぶりだもんねー」
蒼は苦笑しながら、藍と一緒にメニューを覗き込む。
藍は頑張って隠してるつもりだろうけど、言葉の端々にテンション上がってるのがわかる。
「ほら、これとか美味しそうですよ。えっと」
「あー、粗挽きハンバーグねー」
「そうです。それです。私、これにします」
……今更気がついたけど、もしかして藍って漢字読めないんだろうか。
蒼との睡眠学習でそれなりの知識はあっても、漢字や英語は覚えられないだろうし。
港で『Cafe』の文字が読めなかったのも納得だった。藍は習ってないんだから。
「んー、あたしはわふーハンバーグにしようかしらねー」
蒼はもちろん、そんな藍の状況を理解してるんだろう。こっそりとサポートしている様子だった。
「これと和食セットを合わせると、食べやすいのよ。藍はどっちにする?」
「え、セットとかあるんですか? 悩んじゃいますね……」
敢えて気づかないふりをしながら、俺も二人に倣ってメニュー表を覗き込んだ。
「……ふう。食べたなぁ……」
お腹が空いていたのもあって、チーズハンバーグセットを頼んで、がっつり食べてしまった。
「はい、蒼ちゃん」
「ありがとー。あーん」
ちなみに空門姉妹はデザートにアイスクリームまで頼んで、お互いに食べ比べていた。本当に仲が良いよな。
「藍にもあげる。あーん」
「あーん」
……うわぁ、ものすごく幸せそうだ。
「そんな目で見ても、羽依里さんにはあげませんから」
「わ、わかってるよ」
べ、別に悔しくないんだから。やってもらおうと思えば、いつだってできるし。
……たぶん。
「ありがとうございましたー」
食事を終えて、ジャイフルを後にする。
「ごめんね羽依里。ご飯代、全部出してもらって」
「いや、こういうのは男が出すものだしさ。それに俺、働いてるし」
島だとお金を使う場所なんてあまりないし、こういうところで少しでも甲斐性があるところ見せておかないと。
「……うぷ」
……でも、少し食べ過ぎたかも。お腹でハンバーグがのたうち回ってる気がする。
「羽依里さん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。それより、午後からも買い物があるんだろ。船の時間もあるし、早めに動こう」
そう言って、再びショッピングモールへ向けて歩き出す。少し距離があるけど、食後の良い運動になるだろう。うっぷ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「えーっと、これで食器も揃ったわねー。藍も、いつまでもお客さん用じゃかわいそうだし」
ショッピングモールに戻ると、最初に矢印良品に向かい、藍が使う箸や食器類、ヘアブラシ等の細々したものを買い揃える。
「そうそう、後は歯ブラシも買っとかないとね」
「それこそ、蒼ちゃんのでいいです」
「良くないわよ―――!」
話を聞けば聞くほど、藍のための品物ばっかりだった。
「それじゃ、次はお待ちかねの化粧品選びねー」
そして、そのままの流れで化粧品店へと足を運ぶ。心なしか藍の表情が沈んだ気がしたのは、気のせいだろうか。
「……そうですね。お姉さんの場合はベースクリームとファンデーションは薄めで、ポイントメイクはプチプラで、アイブロウパウダーとリップバームを……」
化粧品店で事情を説明すると、店員さんは鏡のついた小奇麗な席へ藍を案内して、営業スマイルで説明を始めてくれた。
俺は近くのソファに座ってその様子を見ていたけど、全く意味が解らなかった。まるで、魔法の呪文だ。
そして程なくして睡魔が襲ってきた。食後だし、これは抗えない……。
「……ちょっと羽依里さん、何寝てるんですか」
「んあっ、悪い」
思わず変な声を出しながら目を開けると、疲れた顔をした藍が袋を抱えていた。
「ああ……藍も無事帰還したか?」
「はい。何度か意識が遠くなりましたけど」
あれだけの勢いでまくし立てられたら、そりゃそうなるだろう。可哀想に。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「帰ったらおかーさんも交えて、特訓ねー」
化粧品店を後にして、三人並んで港までの道を歩く。大方の買い物はこれで終わりらしい。
「荷物、重かったら言ってね?」
「いや、全然かまわないよ」
こんなの、仕事で使ってる魚の入ったカゴに比べれば全然軽い。第一、女の子に荷物を持たせるのも、男としてどうかと思うし。
……それにしても、さっきから道を行き違う男たちの視線が気になる。もしかして、俺と一緒にいる蒼と藍を見てるんだろうか。
……どうだ。双子姉妹だぞ。片方は俺の彼女だぞ。羨ましいだろ。
俺はわざと振り返り、誇らしい顔をしてみたりする。
「ほら羽依里さん。立ち止まってないで、歩いてください」
「お、おう……」
……実際はほとんど荷物持ちだけど。
「……あ」
気を取り直して歩き出した時、蒼が小さく声をあげる。
「蒼、どうかしたのか?」
「羽依里、もう一ヶ所だけ買い物してっていい?」
「いいぞ。何を買うんだ?」
「ちょっと、食材の買い出しをしたくてねー」
「え、食材?」
「そう。すぐそこのスーパーなんだけど、寄っていい?」
蒼が指差す先に『スーパーマーケット かのん』と書かれた看板が見えた。
俺は入ったことはないけど、この地方限定のスーパーで、なかなかに品揃えは豊富。タイムセールの時には結構な人が押し寄せるらしい。
「まだタイムセールには早いけど、人が少ない方が早く済ませられるしねー」
そう言いながらスーパーの入り口に向かう蒼を、俺と藍は慌てて追いかけた。
……時間帯のせいか、まだ人気の少ない店内を三人で練り歩く。
「せっかくだし、買いだめしとかないとねー」
蒼はカートを押しながら、色とりどりの野菜をカゴに放り込んでいく。
「ジャガイモとニンジン、タマネギ……カレーでも作るのか?」
「んー、秘密」
気になって聞いてみたけど、笑顔で返されるだけで教えてもらえなかった。
「そういえばさ、空門の家って洋食が多い印象なんだけど、いつも材料とかどうしてるの?」
「いつもはおかーさんがパートの帰りに買ってくるのよー」
「ああ、なるほどな」
どうせ毎日のようにパートに出るんなら、そっちのほうが楽だしな。
「パートの休みが続いた時は定期便を利用することもあるんだけど、本土の方が安い分、割高感がねー」
そう言いながら、今度はお肉のコーナーで牛肉を選んでいた。
……あ、こうやって食材を選ぶ蒼と並んで歩いていると、なんか新婚さんみたいでいいな。
「……羽依里さん、鼻の下、伸びてますよ」
「き、気のせいだろ」
そう言う藍は物珍しそうに冷凍食品のコーナーを見ていた。
「今はチャーハンの冷凍食品とかあるんですね」
「そうだぞ。俺みたいに一人暮らしだと、いざという時、ほんと役に立つんだ」
藍と一緒に見てみると、たいやき、にくまん、牛丼……多種多様な冷凍食品が並んでいた。
「アイスコーナーにもやけにバニラアイスとイチゴアイスが充実してますよ。偏ってますね」
今度は同じ並びにあるアイスのコーナーを見ていた。なんだろう。買いたいものがあるのかな。
「……あ。本当にスイカバーがありますね」
「え、スイカバー?」
藍が言う場所を見てみると、そこには確かに大量のスイカバーが売っていた。
どうやら先日、しろはが言っていた話は本当だったらしい。
「しろはちゃんへのお土産にしてあげたいところですけど……」
藍の気持ちも分からなくもないけど、ここで買っても島に着く頃には溶けてしまう。さすがにクーラーボックスとかは持ってないし。
「二人ともー、そろそろお会計するわよー?」
そう蒼に呼ばれて、俺と藍は名残惜しくもアイスコーナーを離れる。しろは、許してくれ。
……というわけで、蒼と一緒にカートを押して、レジへと持って行く。
「お願いしまーす」
「……あら、蒼じゃない」
カゴを台の上に置いたその時、レジの方から聴き慣れた声が聞こえた。
「えっ?」
思わず店員さんの顔を見ると、その顔に見覚えがあった。
「ど、どうして碧さんがここに?」
髪型も違うし、スーパーの制服を着て、眼鏡までかけていたから、声をかけられるまで全然気付かなかった。
言われて胸元のネームプレートを見ると、確かに『空門』と書かれていた。
「ふふ。ここ、私のパート先」
……昔、蒼に似たようなことを言われたような気がする。さすが親子だった。
「わ、忘れてたぁぁ……」
その時、隣の蒼がそう嘆きながらこめかみを押さえていた。
もしかして蒼、碧さんがここでパートしてるの、忘れてたのか……?
まぁ、忘れてたから、この店に来たんだろうけど。普通、親が働いてる場所にわざわざ来ないよな……。
「……あらあら、その子が空門さんの娘さん?」
「双子ちゃんって聞いてたけど、ホント、そっくりねー」
「あ、母がいつもお世話になってますー」
そんな話をしていると、ちょうど暇な時間帯だったのか、おばちゃんたちが集まってきた。
「……男の子と一緒ってことは、デートね」
「じゃあ、本土デート? やるわねぇ。男の子の方はどこの子かしら」
「ほら、島に移住してきた子よ。加藤さんとこの」
「あー。歌を忘れたカナリア……」
……ちょっと待って。なんで知られてるんだろう。
「お姉さんと妹さん、どっち狙いなのかしら」
「妹です」
俺は思わず、速攻で答えてしまっていた。
「まぁ、やるわねぇ」
「で、二人はどこまでいったの」
「誰にも言わないから、おばちゃんたちに話してみなさい」
……しまった。火に油を注いでしまったかも。
俺の台詞に反応するように、歯に衣着せぬおばちゃんパワーが炸裂する。碧さん、早く会計をしてください。一刻も早く、この場所から逃げ出したい。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……ぜぇ、はぁ。ようやく解放された……」
「ごめんねー。おかーさんの働いてるお店だって忘れてて……」
ようやくスーパーから脱出した俺たちは、買い物した荷物を持って、店の前でうなだれていた。
「何人か島の婦人会で見たことある人もいたし、これは明日には島中で噂になってるわねー」
「うう、この手のパターンはもう慣れっこだけどさ……」
「ところで、船の時間はまだ大丈夫なんですか?」
「あ」
藍に言われて、俺は腕時計を見る。船の時間まであと10分。走れば何とか間に合う時間だった。
「二人とも、俺が荷物持つから走ろう!」
俺は二人にそう告げて、先陣を切って走り出す。荷物はあるけど、急げばまだ間に合うはずだ。
「……あれ?」
……少し走って、二人がついてこない事に気がついた。
「は、羽依里―、待ってーー……」
「はぁっ、はぁっ……ちょ、ちょっと待ってください」
一呼吸置いて振り返ると、二人が息も絶え絶えに走っているのが見えた。
明らかに呼吸が荒いし、顔も真っ青だった。
「え、ちょっと二人とも……大丈夫か?」
それに気づいた俺は慌ててきた道を戻り、二人に声をかける。
「あはは、ちょっと張り切りすぎちゃったかもねー……」
「あの、す、少しだけ休ませてもらっていいですか……」
「あ、ああ。もちろん。二人とも、そこのベンチに座ろう。ゆっくりでいいからな」
俺はそんな二人を支えるようにしながら、近くのベンチまで案内する。ベンチの隣には自販機もあるし、飲み物でも飲んで、少し休んでもらおう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……ごめん」
俺は二人に頭を下げていた。
「あはは、ちょっと走っただけで息が切れちゃうなんて、情けないわねー」
飲み物を飲んで落ち着いたのか、蒼はそう言って笑ってくれたけど、俺は申し訳なさでいっぱいだった。
いくら元気になったと言っても、二人の体力は以前のそれには及ばない。
なんで碧さんが俺を二人と一緒に行かせたのか。その理由もわかっていたはずなのに。
俺は一人、どこか浮かれていたんだ。
……結局、船は一本遅らせることにして、二人の回復を待ってから帰宅の途に就いたのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「本当にごめん」
その後、無事に一つ後の船に乗ることができたけど、俺はその短い船旅の間も、ひたすらに謝っていた。
「もういいわよー。それ以上謝られたら、こっちが申し訳なくなっちゃう」
「そうですよ。せっかく楽しいお出かけだったんですから。この話はここでおしまいです」
「でも……結局、船も一本遅らせる羽目になっちゃったしさ。もう少し、俺が時間を気にしていたら……」
この時間の船だと、島に着くころは日が沈んでいるかもしれない。二人もこの後の予定があったかもしれないのに、悪いことをしてしまった。
俺は朝とはまるで正反対の気持ちで、デッキのベンチでうなだれていた。
「あーもう! うじもじしないの! 顔をあげて! ほら!」
「え?」
その時、蒼に腕を引っ張られた。その勢いに気圧されて、俺も顔を上げる。
「おお……」
すると、その目に真っ赤な夕日が飛び込んできた。
「どう? すごいでしょー?」
「……これは壮観ですね」
「本当だな。すごい」
空も、海も。この目に映る、ありとあらゆるものが赤く染まっていた。言葉では言い表せないくらい、壮大な景色がそこにあった。
「でしょー。一本前の船で帰ってたら、こんな夕日はまず見れなかったし。むしろ、一本遅らせて正解だったんじゃない?」
「……そ、そっか。そんな考えも、あるのかな」
「うんうん。そんな考えもあるのよー」
蒼がそう言って、落ち込みかけた俺を励ますように笑顔を向けてくれる。その笑顔も茜色に染まっていた。
俺は蒼からの言葉をかみしめながら、真っ赤な夕日をいつまでも眺めていたのだった。
第三話・あとがき
皆さん、おはこんばんちわ。トミー@サマポケです。
前半のお話は駄菓子屋での新しい日常でした。
そんな中で、静久が初登場しました。彼女は大学に進学した以外は基本変わりません。
静久は相変わらず、紬とおっぱいが大好きです。85の蒼(公式発表)はもとより、87の藍(VFBより)もお気に入りのようです。
後半のお話は本土デートでしたね。
ただの買い物と言い張られそうですが、これはデートです。羽依里君、なんとも羨まし(
……ごほん。一方、その裏で良一と、のみ……いえ、妹さんのデートも行われていたようです。
人によっては、この二人の恋の行方も気になるのではないでしょうかw
そして今回の本土デートでは蒼アフターにおける藍の状況を知ってもらう意味もありました。
原作中では診療所のシーンが主でしたが、日常に戻るとなると色々と必要なものがあるんじゃないかと思いまして。
その中で、睡眠学習では漢字が読めないというのもあり得るかなと思いました。
さて、次回は5月上旬のお話になります。5月といえばゴールデンウィーク。GWと言えば2話の時にも少し話が出ましたが、あのスーツケース持った子が登場する予定です。
どのように話に絡むのか、楽しみにされてください。
では、今回のあとがきはこの辺りで。
一言感想や評価など頂けましたら、次話執筆への活力になりますので、よろしくお願いします。