蒼アフター   作:トミー@サマポケ

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第五話 お祝いの肉じゃが

 

 

 

 

「うあー、また失敗しちゃった……」

 

 もくもくと黒い煙を吐き出す鍋を見つめながら、あたしは頭を抱えていた。

 

「蒼ちゃん、すごい臭いですけど、何かあったんですか?」

 

 間髪入れず、あたしとお揃いのパジャマを着た藍がリビングから飛んできた。たぶんこの臭い、家中に充満してるっぽい。

 

「……うわ。この黒いの、なんです?」

 

「肉じゃが……」

 

「え!?」

 

 藍は信じられないと言った表情で、もう一度鍋の中を覗き込む。そこまで驚かなくても……。

 

「おかーさん、蒼ちゃんの料理は絶品だと褒めていた気がしますけど。やっぱり、七影蝶の記憶が減ったのが原因なんでしょうか」

 

「たぶんねー」

 

 ……お花見の席で、羽依里から手作りの肉じゃがが食べたいと言われた日から、あたしは夜な夜な料理の練習をしていた。

 

 ……でも、何故か失敗ばかり。

 

 最初は一年間寝ていたブランクもあって、感覚が戻らないだけかと思ったけど……何かが違う。これはやっぱり、料理人の記憶を持った七影蝶が抜け出てしまったせいなのかも。

 

「以前は厨房に立つと、自然と身体が動いていたのに……」

 

 ため息混じりに、がっくりと肩を落とす。今のあたし、肉じゃがすら作れない。帝国ホテルで修業した料理人の七影蝶、戻ってきて。

 

 あたしはこれまで七影蝶の記憶に頼り切っていたことを、今更ながらに後悔していた。

 

「せめて、羽依里の誕生日までには作れるようになりたいんだけど……これは無理かしらねー」

 

 できることなら、羽依里にはあたしの手料理を食べてもらいたいけど、現状じゃとても人様に出せるような代物じゃない。

 

「だ、大丈夫ですよ蒼ちゃん! 今回はちょっと火力が強すぎただけです! 砂糖が多くて、焦げ付きやすかったのかもしれないですし!」

 

 直後、自虐的な笑みを浮かべるあたしを見かねてか、藍がそうフォローしてくれた。ありがとう。やっぱり藍は優しいわね。

 

「と、ところで藍、ケーキの準備は順調?」

 

 とりあえず料理の件は棚上げにして、藍にそう聞いてみた。

 

「はい。材料は当日に通販代行で届く手はずになってますよ」

 

「じゃあ、ケーキの方は藍に任せて良さそうねー」

 

「はい。まかせてください」

 

 藍はそう言って、あたしより大きな胸を張る。

 

 プレゼントはもう用意してあるし、藍のおかげであたしは料理の方に集中できそ……。

 

「ただいまー」

 

 ……そんなことを考えていた矢先、おかーさんが帰ってきた。

 

「……ちょっと、この臭いは何?」

 

 あ……やば。

 

 直後、家中に充満する臭いに気づいたおかーさんが足音を響かせながら台所へとやってきた。

 

「ちょっと、二人とも、何してるの?」

 

 おかーさんの視線は、あたしと藍の間。もくもくと黒煙を立ち昇らせている鍋へと注がれている。

 

「ご、ごめんなさい。私が蒼ちゃんに料理を教えてもらっていて、焦がしてしまったんです!」

 

 ……その時、藍がとっさにあたしを庇ってくれていた。

 

「ち、違うのよ! あたしが藍にお手本を見せようとして、失敗しちゃったの!」

 

 だから、あたしもそう言って藍を庇う。

 

「どっちのせいでもいいから、言い訳する暇があったら片付けなさい! お鍋、駄目になっちゃうじゃないの―――!」

 

「「ご、ごめんなさーーーい!」」

 

 ……結局、二人平等におかーさんのカミナリが落ちた。

 

 口には出さないけど、おかーさん、あたしの料理の腕がからっきしになったの、たぶん気がついてると思う。

 

 眠る前までは、交代で料理当番してたんだし。突然料理を作らなくなったあたしを不思議に思わないはずがない。

 

「藍、そこの重曹取って。あとお酢も」

 

「はい。これですね」

 

 でも今の状況じゃ、おかーさんに料理教えてなんて、とても言えそうにないし。今度しろはにでも教わりに行こうかしら。

 

 あたしは頭の中で今後の予定を立てながら、力いっぱい鍋を洗い始めた。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 ……5月も中旬を過ぎて、どこからか初夏の風も吹き始めた頃。

 

 俺は今日も沖に出て、仕事に勤しんでいた。

 

「ほう。今日は珍しく、オコゼが獲れたか」

 

 網にかかって上がってくる魚を見ながら、じーさんが満足そうな顔をしていた。

 

 オコゼ。さすがの俺も名前くらいは知ってる。良一の漁師ノートによると、背びれに毒針を持っていることから、英語圏ではスコーピオンフィッシュとも呼ばれているらしい。サソリ魚。言い得て妙だった。

 

「こいつを網から外すときは特に気をつけろ。思わぬところから、毒針にやられるぞ」

 

 じーさんはそう言って手際よくオコゼを網から外し、船の生け簀へ放り込んでいた。

 

 見た目はなかなかにぐろいけど、その味はフグに匹敵するらしいし、港に着いたら、またしろはに調理方法を聞いてみよう。

 

「羽依里、蒼は今日も元気に登校していったな」

 

「ああ、頑張ってるな」

 

 俺と息を合わせて網の巻き上げ作業をする良一が、作業を合間にそう言ってほくそ笑む。

 

 ……蒼は春祭りでの宣言通り、ゴールデンウィークが終わった翌日から学校に通い始めた。

 

 俺の仕事は朝が早いので、登校する蒼を見送ることはできなかったけど。

 

 今日のように本土へと向かう船のデッキに立つ蒼を見つけた時は、思いっきり手を振ったりする。

 

 ……これだけは漁師の俺に許された、特権だと思ってる。

 

「羽依里、毎回思うんだが……よくあれだけ離れた場所から蒼が連絡船に乗ってるのがわかるな。なんか理由があるのか?」

 

「もちろん。愛の力だ」

 

「……」

 

 胸を張ってそう言うと、良一は思いっきり引いていた。は、半分冗談だけどさ。

 

 正直に言うと、復学した蒼は登校スタイルと称して、髪をストレートにしている。あれだけ綺麗な髪だし、それがデッキで風になびいていれば、すぐにわかるというわけだ。

 

「でもよ、やっぱり寂しいんじゃないか? 顔に書いてるぜ?」

 

「……そりゃな」

 

 ……確かに、これまでは仕事が終われば、いつでも蒼に会えていたし。

 

 今は夕方にならないと蒼は島に帰ってこないし。これまでに比べれば、正直寂しい気持ちはある。

 

「……でも、蒼が決めたことだしさ」

 

 俺は海の向こうにかすかに見える本土を見やる。蒼、今日も頑張れよ。

 

 

 

 

 ……やがて今日の仕事が終わり、島の漁港へと戻ってきた。

 

 いつものように魚の仕分け作業をしていると、しろはがやってくる。

 

「しろは、待ってたぞ」

 

「……え、なに?」

 

 停泊した船から、対岸のしろはに向けて爽やかな笑顔を向けると、訝しげな視線を向けられた。

 

 俺はそんな視線にめげることなく、今日の成果を伝え、さっそくオコゼの調理法を聞いてみる。

 

「トゲが危ないけど、下処理さえきちんとできれば美味しいよ。お刺身にしてもいいし、唐揚げに煮物、お吸い物にだってできるし」

 

「へぇ。見た目に反して美味しいのか」

 

「うん。地方によっては、お味噌汁にも使うんだよ」

 

 そう言いながら、オコゼの手頃なサイズのやつを数匹買っていった。しろは、この魚の下処理もできるんだろうか。やっぱりすごいな。

 

「……羽依里、今日も締めのスクワットの時間だぜ」

 

「ああ、すぐ行くよ」

 

 ……その時、良一が俺を呼びに来た。心のどこかで、朝の四天王スクワットが楽しみになってきている俺がいるし、着実にこの島に順応してきているみたいだ。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……ふう。今日も働いたな」

 

 仕事を終えて、俺はじーさんに習いながら下処理をしたオコゼを持って加藤家へと帰宅する。

 

「羽依里君、おかえりなさい。今日も疲れたでしょう?」

 

「いえ、だいぶ慣れてきましたから」

 

「でも、これからは梅雨になるし、体調管理だけはきちんとしないとね」

 

「ええ、ありがとうございます」

 

 そんな話をしながら、例によって鏡子さんに下宿代を渡した後、シャワーを浴びる。

 

 それからオコゼの刺身をメインに据えて、軽く食事をとる。

 

 食事の間、鏡子さんは食卓の向かいに座って、ニコニコ顔で俺を眺めていた。

 

「……最近、蒼ちゃんとの関係は順調かな?」

 

「ええ。順調ですよ。蒼が学校行き始めてからは、なかなか会えてませんけど」

 

 頃合いを見計らって、鏡子さんがそんな話を振ってきた。

 

「それはしょうがないよね……でも、島の皆で応援してるから」

 

「え、島の皆!?」

 

「うん、皆。私も色々な噂は聞いてるから、大丈夫だとは思ってるけどね」

 

「は、はぁ……」

 

 色々な噂ってどんなのだろう。鏡子さんはさっきと変わらぬ笑顔だけど、なぜか怖く感じてしまう。

 

『天王寺先生のー、ガチの園芸!』

 

『今週はこの時期から育て始めるのにピッタリな夏野菜について!まず、用意するのは……』

 

 ……その時、テレビから軽快な音楽と共にそんな声が聞こえてきた。

 

「そうだ。鏡子さんとか、野菜育てたりしないんですか」

 

 なんとなく話の流れが妙だったので、俺はこの期に乗じて話題を変えることにした、

 

「家庭菜園みたいなのならやってもいいかもだけど、ほら、島にはプロフェッショナルがいっぱいいるから」

 

「あ、言われてみればそうですね」

 

 思い返してみれば、島には立派な畑を作って野菜作りに情熱を燃やす人がたくさんいる気がする。特定の時期になると、加藤家のポストに大根やキュウリが刺さっていることがるし。今から手を出すってのも、無謀なのかもしれない。

 

 ……その後は特に会話もなく、鏡子さんと二人でテレビ画面を眺めていた。

 

 思えば、この番組をやってるってことは今日は土曜日なのか。

 

 土曜日なら、蒼の学校も今日はお昼まで。つまり、午後からは駄菓子屋にいるはずだ。

 

「……一休みしたら、駄菓子屋に行ってみようかな」

 

 のほほんとした先生の口調の割にはガチな園芸番組を眺めながら、俺は残りのごはんをかき込んだのだった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 お昼過ぎまで少し休んでから、俺は駄菓子屋へと向かった。

 

 良く考えれば、俺も明日は休日だし。蒼にも会えるとなれば、嫌が応にも気分が高揚する。今日は吉日だ。

 

「……お」

 

 駄菓子屋に到着すると、穏やかな日差しを受けて、ベンチ脇で丸くなっているイナリを見つけた。

 

「よう、イナリ」

 

「ポキュ~ン……」

 

 声をかけると、あくび交じりの鳴き声が返ってきた。

 

「お前のご主人はいるか?」

 

 そう聞いてみるけど、その大きな尻尾をピョコピョコと振るだけで、答えてはもらえなかった。天気も良いし、イナリも眠いんだろう。

 

 そんなことを思いながら店の中を見ると、背中を向けた蒼が鼻歌をうたいながら商品棚の整理をしていた。

 

 髪を結ってないし、たぶん下校してすぐに着替えて、駄菓子屋にやってきたんだろう。

 

「あ、そうだ」

 

 ……その時、ちょっとした悪戯心が浮かんだ。

 

 確か、蒼は耳が弱かったし、背後から近付いて驚かせてやろう。

 

 俺はそろりそろりと近づいて、商品整理に集中する蒼の耳元へ、ふーっと息を吹きかけた。

 

「ひゃあああ!?」

 

 余程びっくりしたのか、ぴょんっと数センチ飛び上がった。

 

「……って、羽依里さんじゃないですか。い、いきなりなんです!?」

 

「あれ、藍?」

 

 振り返った顔を見ると、瞳の色が違う。しまった。間違えた。

 

「そうですが……って、その反応はもしかして、私と蒼ちゃんを間違えましたね?」

 

「い、いや、えっと、これはその……」

 

 ずんずんと藍が眼前に迫ってくる。俺は必死に言い訳を考えるけど、もはや後の祭りだった。今思えば鼻歌はwithだったし、蒼のはずがなかった。

 

「むむむ……羽依里さん、ちょっとそこに座ってください! 正座です!」

 

 俺がしどろもどろになっていると、藍がそう言って地面を指差す。いくら双子でも、間違えるなんて失礼だった。これはお説教やむなしだ。

 

 俺は潔く地面に正座をして、藍の言葉を待つ。

 

「未だに私と蒼ちゃんを間違えるなんてなんです? 羽依里さんの蒼ちゃんへの愛情はその程度なんですか?」

 

 ……あれ、なんだか怒りの方向性がおかしい気がする。

 

「私なんて、姿が見えなくても足音だけで蒼ちゃんとわかりますよ? なのに、かつて一夜を共にしたはずの羽依里さんがこの体たらく。いったいどういうつもりですか!?」

 

 少し気になったけど、それを指摘したらより一層火に油を注ぎそうだったので、俺はあえて何も言わず、藍にこんこんと怒られ続けたのだった。

 

 

 

 

「はぁ、ひどい目に遭った……」

 

 たっぷりと30分は怒られた後、ようやく解放された俺はベンチに力なく座り込む。

 

「ひどい目に遭ったのは蒼ちゃんです。きっと、今頃泣いてますよ」

 

「ところで、その蒼はどこ行ったんだ?」

 

 いつもなら、藍のシフトは午前中だけのはずだ。今日は土曜日だし、蒼も島に戻っては来てるはずなんだけど。

 

「蒼ちゃんはしろはちゃんの所に行くって言ってましたよ。たぶん、夕方まで戻らないと思います」

 

「え、そうなの」

 

 平日は蒼も学校の課題とかで忙しいから、夜に電話で声を聴くくらいしかできないし。今日は久しぶりに会えると思ってたのに。

 

「羽依里さん、私と二人きりですね。一緒にきなこ棒でも食べますか」

 

 これからどうしようかと思っていると、藍がそう言いながら、おもむろに隣に座ってきた。先のお説教の手前、俺は思わず飛びのく。

 

「……ちょっと。なんでそこで逃げるんですか。もう怒ってませんよ」

 

「いや、なんか取って食われそうだったからさ」

 

「もう。食べませんから」

 

 藍は大袈裟にため息をついて、俺にきなこ棒を渡すと、そのままカウンターへと戻っていった。

 

 ……もしかしてこのきなこ棒、藍なりの仲直りの印だったんだろうか。

 

 そう納得することにして、俺はもう一度ベンチに座りなおし、眠れる島のイナリの横できなこ棒を食べることにした。

 

「たまに食べると美味しいよな。このきなこ棒」

 

「でしょう。黒蜜味もあるんですよ」

 

 俺の感想が嬉しかったのか、藍がカウンターの中から、珍しく声を弾ませていた。

 

 

 

 

 ……その後も、何故か藍は俺に駄菓子をくれる。

 

 ベイビースターに、酢昆布、いかそうめん。いや、どれも美味しいけどさ。

 

「なぁ藍、俺、そろそろ蒼の所に行ってみようと思うんだけど。しろはの家にいるんだよな」

 

「そ、それは駄目です。行っちゃ駄目です」

 

「え?」

 

 俺がベンチから立ち上がると、藍が走ってきて、俺の服を掴んできた。普通に見送られると思っていただけに、予想外の行動に驚く。

 

「いやほら、藍の仕事を邪魔しても悪いしさ」

 

「私は別に構わないです。それより、女の子同士が楽しんでるところを邪魔しに行く方が問題ですよ。羽依里さんはデリカシーがないですね」

 

「うぐっ……」

 

 そう言われると何も反論できない。俺はもう一度ベンチに腰を下ろすしかなかった。

 

 

 

 

「蒼ちゃん、そのうち戻ってくると思いますから、そこから動いちゃ駄目ですよ」

 

 藍はそう言いながら、カウンター越しに鋭い視線を向けてくる。俺はまるで蛇に睨まれた蛙のごとく動けずに、近くで眠るイナリの背中をただ撫でて、時間をつぶしていた。

 

「こんちわーっす!」

 

 ……その時、元気な声が聞こえた。

 

 見ると、作業着姿の男性が手に段ボール箱を持って立っていた。

 

「ああ、通販代行の品ですか。時間通りですね。えーっと、ハンコはここですか」

 

「どうもー! ありやしたーーー!」

 

 その男性に、藍が慣れた様子で対応する。どうやら、男性はケロケロ便の配達員だったらしい。通販代行の品って、こうやって駄菓子屋に届くのか。

 

「羽依里さん、ちょっと店番お願いしていいですか?」

 

 受け取った荷物に貼られた伝票を確認しながら、藍がそう言う。

 

「別にいいけど……何か急用でもできたのか?」

 

「いえ、そういうわけではないですが。ちょっと座敷に籠ろうかと思いまして」

 

「え、籠るの?」

 

「はい。なにがあっても、絶対に座敷の中を覗いちゃ駄目ですよ」

 

「そんな、鶴の恩返しじゃないんだからさ」

 

「いいから覗かないでください。覗いたらイナリの刑ですよ。イナリさん、見張りをよろしくお願いしますね」

 

「ポン!」

 

 いつの間にか起きていたイナリの返事を確認すると、藍は荷物を持って座敷へと上がり、ぴしゃりとふすまを閉めてしまった。

 

「まぁ、いいけどさ……」

 

 経験上、通常営業の駄菓子屋なら俺一人でも十分に回していける。日によっては、誰も来ない日だってあるし。

 

 ……それにしても、見張りつきの店番ってどんな状況だろう。イナリの刑ってのも意味不明だし、蒼、早く帰ってこないかな

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「くーださーいなー」

 

「あれ、紬?」

 

 座敷に閉じこもってしまった藍に代わってカウンターに立っていたら、紬がやってきた。

 

「むぎゅ? 今日はタカハラさんがお店番ですか?」

 

「ああ。なんか二人とも忙しいみたいでさ」

 

「むー、そですか。なら、またにします。さよーならー」

 

 紬は少しだけ考えるような仕草をすると、すぐに手を振りながら方向転換する。

 

「紬、待って。何か買いに来たんじゃないの? それくらいなら、俺でもできるよ?」

 

「いえ、お二人に渡すものがあったので、今はいいです」

 

 そう残念そうな顔をしながらツインテールを揺らす紬の手元には、小さな箱があった。

 

「一応、藍なら奥の座敷にいるけど」

 

「おおー、それでしたら、この箱を渡してください!」

 

「いいけど……これ何?」

 

「わたしからだと伝えてくれればわかります! タカハラさんは、絶対開けてはダメですよ!」

 

「え、俺はダメなの?」

 

「ダメです!」

 

「そう言われると、逆に気になるんだけど」

 

 見た目は普通の紙箱だけど、これはもしかしてむぎゅ姫様……じゃない、乙姫様の玉手箱だったりするのかな。

 

 箱を開けたら中から白い煙が出て、あっという間におじーさんになってしまうとか。

 

「もし開けたらゼッコーですよ!」

 

「わ、わかったから。睨まないで」

 

 すごく気になったけど、ここまで強く言われたら中を見るわけにはいかない。紬と絶交されるのは嫌だ。

 

「それでは、確かにお渡ししましたので―」

 

 やがて紬は元気に手を振りながら、今度こそ駄菓子屋から去っていった。

 

 箱の中身は気になるけど、見るなって言われたし。そのまま藍に渡すことにしよう。

 

「……藍、ちょっといいかな」

 

 俺はむぎゅ姫様からの言いつけを守り、箱を開けないようにしながら、ふすまの向こうの藍に声をかける。

 

「……わっぷ!?」

 

 その時、何かがはじけるような音がした。

 

「ちょ、ちょっと待ってください……わわっ!?」

 

 続けて、がしゃんと音がした。座敷で何をやってるんだろう。藍、大丈夫かな。

 

「……どうしたんですか。私は忙しいんですよ」

 

 少しの間を置いて、ふすまが僅かに開き、藍が顔を覗かせる。

 

 その頭には変わった形の布が巻かれていて、所々に白い泡のようなものがついていた。

 

「紬がこの箱を持ってきたんだ。よくわからないけど、二人に渡してほしいって」

 

「ああ、さすが紬ちゃんですね。それじゃ、こちらで預かりましょう」

 

 そう言うと、ふすまがもう少しだけ開かれて、そこから細い腕がにゅっと伸びてきた。その手も泡だらけで、なんだか甘い香りがした。

 

 そして小箱をがっしと掴むと、すぐに引っ込む。間髪入れず、ふすまがぴしゃりと閉じられてしまった。やけに厳重だな。

 

「まったく、蒼ちゃんのためとはいえ、なんで私がこんなことを……」

 

 ふすま越しにそんな声が聞こえた。俺はあえて聞かなかったことにして、代金を支払ってアイスクリームケースからチューベを取り出して食べることにした。

 

 

 

 

「「くーださーいなー!」」

 

 ちょうどチューベを食べ終わった頃、たくさんの子供たちがやってきた。今日は土曜日だし、一緒に遊んでいるんだろう。

 

「あれ? 今日はししょーたちはいないのか?」

 

「二人とも用事でな。俺が店番だぞ」

 

「ちぇー、ししょーに鑑定してもらおうと思ってたのになー」

 

「にーちゃんじゃ無理かー。神社にでもいこーぜー」

 

 子供たちは大きくため息をついて、踵を返そうとする。俺はそんな子供たちを慌てて呼び止める。

 

「ちょっと待て。聞き捨てならないな。まるで俺じゃ鑑定士が務まらないみたいじゃないか」

 

「だってにーちゃん、オレらと鑑定勝負するといっつも負けてるじゃんか」

 

「の、能ある鷹は爪を隠すって言うだろ。ほら、俺は鷹だから、爪を隠してたんだ」

 

「にーちゃん、難しい言葉使うなよ。オレら、子供なんだからさ」

 

「うう、ごめんよ」

 

 以前も同じようなやりとりをした記憶がある。学習しないな、俺。

 

「でも、こう見えて俺はししょーの一番弟子なんだぞ。鑑定してるの、いつも近くで見てたし」

 

「い、言われてみれば」

 

「……じゃあ、もしかしてにーちゃんってすげーのか?」

 

「あ、ああ。実は蒼に見染められて、色々教えてもらってるんだ」

 

「すげぇ。一番弟子すげぇ」

 

 先程とは一転、子供たちは尊敬のまなざしで俺を見ている。

 

 流れが変わってきたのは嬉しいけど、実は鑑定そっちのけで蒼の横顔を見ていただなんて、とてもじゃないけど言えない状況になってしまった。

 

「じゃあ、オレたちがお宝を見つけて来るからさ! にーちゃんが鑑定してくれよ!」

 

「いいだろう。一番弟子の実力、とくと見せてやる!」

 

「いやったーーー! 最高金額がついたお宝は、にーちゃんが買い取りな!」

 

「え!?」

 

「よーっし、やったらーーー!」

 

「れっつ、とれじゃーーー!」

 

 不穏な発言が聞こえたので、思わず店の前まで飛び出すけど……子供たちは俺が訂正する間もなく、元気に走り去っていった。

 

「……イナリ、俺ってもしかして、まんまと嵌められた?」

 

「……ポン」

 

 そう呟く俺に、イナリがベンチの脇から優しく声をかけてくれた。どんまい。と言ってくれた気がした。

 

「まぁ、適当な金額をつけて買い取ればいいか……」

 

 子供たちとの鑑定勝負には何度か参加したことがあるけど、鑑定する側になるのは初めてだし。少しだけ楽しみな自分がいた。

 

 

 

 

「……子供たち、遅いなー……」

 

 あれからだいぶ時間が経って、日も傾いてきたけど、子供たちは誰一人戻ってこない。

 

 俺はベンチで本日二本目のチューベを食べながら、完全に待ちぼうけを食らっていた。

 

 ……この鑑定勝負って、お宝を探す方は楽しいけど、お宝を待つ方はここまで暇だったなんて……!

 

「……はぁ。制限時間とか、決めておけばよかった」

 

「にーちゃん、待たせたな!」

 

 ベンチに横付けされたフリーザーに身体を預けていると、ようやく子供たちが戻ってきた。

 

「おお、帰ってきたか。よし、さっそく鑑定してやろう」

 

 各自、きちんとお宝も持ってきたみたいだし。ようやく俺の出番だ。

 

「よーし、それじゃいくぜ!」

 

 姿勢を正した俺の前に、ざっと10人近くの子供たちが並ぶ。よし、順番にかかって来い!

 

 

 

「まずはオレからだ! 草むらで見つけた、珍しい空き缶!」

 

「島には自動販売機がないから、確かにこのジュースは珍しいけど、本土じゃありふれたジュースだ! 鑑定結果、20円!」

 

「ぐはーーー! みそかつジュース、珍しいのに―――!」

 

 先陣を切った男の子はがっくりと膝をついた。残念な結果だけど、空き缶はしっかりごみ箱に捨てて帰るんだぞ。

 

「次は僕! 灯台の浜辺に流れ着いていた、でっかいヒトデ!」

 

 次に出てきた少年は、その手のひらより数倍大きなヒトデを持ってきた。生きてる。動いてる。

 

「い、一部の人は喜びそうだけど、この島では価値はない! 鑑定結果、10円!」

 

「ぷ、ぷち最悪だ……!」

 

 俺の鑑定結果を聞いた男の子は肩を落とし、うにうにと動くヒトデを持って去っていった。たぶん、海に帰してあげるんだろう。

 

「次はわたし! 浜辺で見つけたシーグラス!」

 

 次は女の子だった。両手いっぱいに綺麗な石を持っている。

 

「え、シーグラスってなに?」

 

「……おいおい。それでも鑑定士?」

 

 思わず聞き返すと、その女の子に呆れられてしまった。だって、知らないんだもん。

 

「すげぇ。堀田のねーちゃん、よくそれだけ集めたなー」

 

「へへー。最近は数も少ないから貴重なの!」

 

 そう言って胸を張る女の子は他の子たちより少し年上みたいで、どうやら島の子供たちのまとめ役という感じだった。

 

 そして子供たち曰く、シーグラスというのは海に捨てられたガラス片が波に揉まれて丸くなり、宝石のようになったものらしい。

 

「それで、私の査定額はいくら?」

 

「そ、そうだな。えーっと……鑑定結果、200円!」

 

「おおー、すげー! 大台突破だー!」

 

「うん。これは鴎おねーさんに自慢できるかも!」

 

 どうやら予想以上の高額査定だったらしく、子供たちの間から歓声が上がる。正直価値はわからないけど、これは綺麗だし、最終的に買い取ってあげてもいいかもしれない。

 

 その後も、ナナホシテントウやオオカマキリ、本土じゃ見たことないくらいでっかいアゲハチョウを査定した。

 

 それこそ、岡山の千満屋デパートなら良い値段になるかもしれないけど、この島だと価値は低い。揃って低評価だった。

 

「よし、そろそろオレの番だな!」

 

「いよいよ真打登場だー!」

 

「ボス、びしっと決めちゃえー!」

 

 残すところ二人となったところで、一人の男の子が意気揚々と勇み出てきた。ボスとか呼ばれてるし、いわゆるガキ大将なのかな。

 

「これでどうだ! 道に落ちてた変な靴!」

 

 そう言って俺の前に差し出されたのは、人気のスポーツシューズ。

 

「え、エラージョーダン!? しかも、限定ちびもすカラー!? なんでこんな島に……ん?」

 

 やけに見慣れた靴だと思ったら、これは俺のだった。

 

「待って。なんで俺の靴がここに?」

 

「え? だってこれ、道に落ちてたんだぜー?」

 

「落ちてたんじゃなくて、洗って干してたんだよ! 返せ!」

 

「えー、最高金額つけて買い戻せばいいじゃん」

 

「なに!?」

 

 男の子は勝ち誇ったような顔をしていた。周りの子のヤジを聴く限り、どうやら先の堀田ちゃんと同い年らしく、彼女をライバル視してるっぽい。

 

 なるほど。こんな卑怯な手を使ってまで、堀田ちゃんの上を行きたいわけか。

 

「……鑑定結果、200円!」

 

 俺は悩んだ結果、先のシーグラスと同じ査定金額をつけて、両方買い取ることにした。

 

「ちぇー。堀田と同額かよー」

 

「あれ、わたしに勝つ気でいたの? おいおい、まだ無理だよー」

 

 堀田ちゃんは笑みを浮かべながら、男の子の脇腹を肘で小突いていた。

 

「うっせー。次は負けねーんだからなー」

 

 結局、この二人のライバル対決も引き分けに持ち込めたみたいだし。俺の出費は痛いけど、結果オーライだろう。

 

「……うう。僕の持ってきたお宝じゃ、ふたりには絶対勝てないよー」

 

 その時、小さな男の子が下を向きながらそう言っていた。しまった。もう一人残ってたんだった。

 

「そ、そう言わずにさ。もしかしたら二人より高い鑑定結果になるかもしれないし、俺に見せてごらん」

 

「う、うん……」

 

 男の子は心なしか、涙目になってる気がする。今気づいたけど、この遊びってただ鑑定するだけじゃなく、子供たちに対する気配りも重要なんだ。これをそつなくこなしていた蒼って、どれだけすごいんだろう。

 

「……これだよ。よくわかんない本」

 

 そう言って男の子が俺の前に置いたのは、ピンクマックス。いわゆる、えっちな本だった。

 

「……少年、これをどこで?」

 

「島の南だよ。竹やぶの中に落ちてたんだ」

 

 ……竹藪。この手の本を捨てるには、鉄板の場所だな。

 

「うーん。そうだなぁ……」

 

 俺は顎に手を当てて思案する。正直、えっちな本は読みたいけど、シーグラスは買い取ってあげたいし、俺の靴も取り返したい。

 

 ……そうなると、俺が提示する金額は一つだ。

 

「……よし、これも200円!」

 

「え!? やったーーー!」

 

「うそだ! そんな本が、俺の持ってきた靴と同額!?」

 

 子供たちからは驚きの声が上がるけど、俺は迷わず二度目の同額査定をしていた。

 

「……以上で本日の鑑定大会は終了だ! 結果は同額で三人が優勝!」

 

そして、そのタイミングで俺はイベントを締め、優勝した三人に200円ずつ渡す。ますます出費は膨らんだけど、後悔はしてない。

 

「よーし! お前ら、この売上金で好きな駄菓子を買え―――!」

 

「やったーーー!」

 

「ボス、太っ腹―!」

 

 なにより、子供たちがそのお金を山分けにして、嬉しそうに駄菓子を買う姿を見ていると、俺も不思議と心が温かくなる気がした。

 

 

「……ふーん。そんな本読んじゃうんだ」

 

「え?」

 

「あたしがいるのに、そんな本読んじゃうんだ」

 

 その時、ものすごく聞き覚えのある声がした。顔を上げてみると、大きな鍋を持った蒼が笑顔で立っていた。

 

「いやその、蒼、これは違うんだ」

 

「へー」

 

 笑顔を崩さない蒼の視線は、まっすぐに俺を捉えていた。そんな俺は買取品であるシーグラス、エラージョーダン、そしてピンクマックスをしっかりと握りしめている。これは、言い逃れできない。

 

「し、ししょーが笑顔だけど怖い!」

 

「……あんたたち、今日はもう帰りなさい」

 

「はい!」

 

「帰ります!」

 

 そんな蒼に一瞥されて、子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 

「それじゃ、俺も帰ります!」

 

「羽依里は座って」

 

「はい……」

 

 便乗しようとしたけど、俺は逃げられなかった。

 

 蒼の前の地面に正座をした俺は、イナリに助けてもらおうと視線を泳がせるけど、さっきまでイナリがいた場所にその姿はなかった。どうやら、逃げられたみたいだ。

 

「どーいうことかしらー?」

 

「す、すみませんでしたぁぁぁーーーー!」

 

 俺は本能的に、そのまま全力で土下座する。直後、頭上から蒼の怒声が降ってきた。うう、姉妹揃って怒られるなんて。今日は厄日だ。

 

 

 

 

 しばらく怒られていると、駄菓子屋のおばーちゃんが帰ってきた。

 

 おばーちゃんは、地面に正座している俺を見て目を丸くしていたけど、近くに落ちている本を見て、すぐに納得したように目を細めていた。

 

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「その……色々とごめんな」

 

「本当ですよ。蒼ちゃんというものがありながら、そんな本を読もうとするなんて」

 

「藍もぶり返さないのー。もういいのよ。ちゃんと捨ててくれたんだし」

 

 俺は何度も謝りながら、バイトが終わった空門姉妹を家まで送る。蒼の言う通り、例の本は駄菓子屋を出る前に破って捨てた。

 

「それに藍がいない間、子供たちの相手もきちんとしてくれてたみたいだしねー」

 

「まぁ、それなりだとは思うけど」

 

「なんか、子供たちにも派閥みたいなのがあるみたいでねー。同じ鳥白島の子なんだから、皆仲良くすればいいのに」

 

 今日の様子を見た限り、たぶんボスって呼ばれてた男の子と、堀田ちゃんが関係してるんだろうなぁ。二人とも、なんとなく勝気な性格っぽいし。

 

「……ところで二人とも、何持ってるの」

 

 並んで歩く二人はそれぞれ、鍋と箱を持っていた。

 

「秘密です」

 

「秘密よー」

 

 すごく気になったから聞いてみたけど、教えてもらえなかった。

 

 蒼はしろはのところで夕飯用のおすそ分けでももらったのかもしれないけど、藍の箱は謎だった。座敷から出てきた時から持ってるし、紬が持ってきた箱より明らかに大きい。なんだろう。

 

 ……そんなことを考えていると、空門家が見えてきた。

 

「それじゃ、俺は帰るから。二人とも、また明日な」

 

「……あ。羽依里、待って」

 

 玄関の前まで二人を送り届け、手を振りながらその場を離れようとした矢先、蒼に呼び止められた。

 

「せ、せっかくだしさ。晩ごはん、食べていかない?」

 

「え、晩ごはん?」

 

「そう。どーせ、夜は食堂の予定なんでしょー?」

 

「その通りだけど」

 

「なら、ちょうどいいですね。どうぞ、上がってください」

 

 先に玄関の扉を開けた藍が、そう言って招き入れてくれる。

 

 確かに、毎日食堂ってのも味気ない。せっかく招待してくれるんだし、ここはお言葉に甘えることにしよう。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「それじゃ、蒼ちゃんと少し準備をしてきますから、リビングで待っていてください」

 

 空門家へ招き入れられると、すぐにそんな理由で一人リビングへと残された。

 

 俺は適当にソファーに座って、リビングの壁に所狭しと飾られた蝶の標本を眺める。

 

 蒼曰く、この標本の半分くらいは樹さんが実際に現地に行って採ってきた蝶らしい。

 

 どれだか忘れたけど、一匹500万円くらいする標本もあるとか言う話だし。

 

「そう考えると、やっぱり樹さんってすごい人なんだな……」

 

 会って話をした限り、そこまですごい人ってイメージはない。すごく気さくな人だし。

 

 ……カメラ持ったら人が変わるってのは、玉にキズだけど。

 

 

 

「……蒼ちゃんなら、きっと大丈夫です。頑張ってください」

 

「うん。後はあっためるだけだし……慎重に、ゆっくりと火を入れて……!」

 

 今、樹さんはヨーロッパのどこにいるんだろう……とか考えていたら、台所の方からそんな声が聞こえてきた。

 

 なんだかいい匂いが漂ってきたし、今日のおかず、なんだろう。

 

 

 

 

「おまたせー。羽依里、いいわよー」

 

 それからしばらくして、ダイニングへ呼ばれた。

 

 どうやら碧さんはまだパートから戻っていないらしく、夕飯の席に着いたのは俺と空門姉妹だけだった。

 

 最新式のアイランドキッチンと隣接したダイニングには、重厚感のあるテーブルセットが鎮座している。

 

 その上にはランチョンマットが敷かれ、ご飯とみそ汁、野菜サラダと肉じゃがが並べられていた。

 

「あの匂いは肉じゃがだったのか。美味しそうだな」

 

「蒼ちゃんが作ったんですよ。味は保証します」

 

「も、もう。お世辞を言っても何も出ないわよー。ほら、羽依里も立ってないで座って」

 

 笑顔の蒼に促されて、俺は奥の席に腰を落ち着ける。

 

「あれ、ここって樹さんの席じゃないのか?」

 

「普段はそうだけど、おとーさん、今は日本にいないし。今日は特別よー」

 

「そうです。今日は特別ですよ」

 

 そう言いながら、蒼が俺の向かいに、その蒼の隣に藍がそれぞれ着席する。

 

 ……そして席に着いて気付いた。大きなテーブルの中央に、藍が持っていた箱がでんと置かれていた。

 

「……それじゃ蒼ちゃん、いきますよ」

 

「いいわよー」

 

 すると、二人はまるで鏡合わせのように、俺が今まさに気にしていた箱に手をかける。

 

「せーの、羽依里、ハッピーバースデー!」

 

 その箱の蓋が取り払われると、中から大きなホールケーキが姿を現した。

 

 生クリームでデコレーションされた中央に『おたんじょうびおめでとう』の文字が書かれたプレートが置かれている。

 

「え、誕生日? 誰の?」

 

「なに言ってんの。今日、羽依里の誕生日でしょー?」

 

「……あ」

 

 俺はとっさに壁にかけられたカレンダーに目をやる。今日は5月21日。確かに、俺の誕生日だった。

 

「……いや、ありがとう。俺、すっかり忘れててさ。覚えててくれたんだ」

 

 二人はしっかりと準備をしてくれたのに、驚きが強すぎて平凡な言葉しか出てこなかった。

 

「ほら、紬に頼んでローソクとかも用意してもらったんだから、しっかりと吹き消してよねー」

 

 あれよあれよという間に、蒼が歳の数だけローソクを立て、火をつける。それと同時に藍が部屋の明かりを消す。

 

「見事な連係プレーだけど……この歳でこれやるの?」

 

「当たり前でしょー。ほら、一発で決めちゃって!」

 

「わ、わかった。ふーーー」

 

 バースデーケーキのローソクを吹き消すなんて、何年振りだろう。少し恥ずかしさもあったけど、この二人しか見てないし。いいかな。

 

「このケーキはね。藍が用意してくれたのよー」

 

「え、そうなの?」

 

「そ、そうですけど、別に羽依里さんのためじゃないです。蒼ちゃんが忙しそうだったので、手伝っただけです」

 

 そう言えば、駄菓子屋で泡まみれになってると思ったけど、あれってクリームだったのか。

 

「見た目は……ちょっとあれですけど。これでも頑張ったので、許してください」

 

 藍によると、紬が持ってきた箱にはローソクをはじめ、生クリームやネームプレートといったデコレーションアイテムが入っていたみたいだ。

 

「紬ちゃん経由で、静久さんからデコレーションの教本も借りたんですが、あまり写真の通りにはできませんね」

 

「いや、十分だよ。藍もありがとうな」

 

「だから羽依里さんのためじゃないです。むず痒いので、やめてください」

 

 確かにケーキの形は歪だけど、逆に一生懸命作ってくれた感が伝わってきて、良いと思う。

 

「ほ、ほら、ケーキの話題はもういいです。早くごはんにしましょう。せっかく蒼ちゃんが作ってくれた肉じゃが、冷めてしまいますよ」

 

 恥ずかしいんだろう。耳まで赤くしながら、藍は自ら作ったケーキに再び箱のふたをかぶせる。

 

 そんな光景をなんだか微笑ましく思いながら、今度は肉じゃがの方を見てみる。

 

「この肉じゃがは、蒼が作ってくれたんだな」

 

「そ、そう。せっかくの誕生日だし、できたらもっと豪華な料理にしたかったんだけど……羽依里、肉じゃが食べたいって言ってたじゃない?」

 

 ……そういえば、春先にそんなこと言った記憶がある。蒼、覚えててくれたんだ。

 

 俺は心底嬉しい気持ちになりながら、目の前の皿に盛られた肉じゃがを眺める。

 

 主役の牛肉とジャガイモが存在感を放ち、その脇をニンジンとタマネギが固めた、シンプルな肉じゃが。上にスナップえんどうが乗ってるのが春らしくて、見るからにおいしそうだった。

 

「あまり見ないで。その、恥ずかしい」

 

 ……その台詞、蒼が言うと途端にえろく感じるからやめて。

 

「いや、おいしそうに見えるけど……食べていい?」

 

「ど、どうぞ」

 

 蒼の声が緊張してるのがわかった。いや、そこで緊張しないでほしいんだけど。

 

「そ、それじゃ、いただきます」

 

 そんな蒼の緊張がうつったのか、俺も箸を持つ手が震える。落とさないようにしっかりとジャガイモと牛肉を挟んで、口に運ぶ。

 

 一口噛むと、ジャガイモに染み込んだ野菜と肉のうまみが口の中に広がった。

 

「……うん。美味しい」

 

「そ、そう? 良かったー……」

 

 俺の感想を聞いて、蒼は肩の力が抜けたように脱力した。

 

「実は、料理の記憶を持った七影蝶が抜け出ちゃっててねー。ここしばらく、しろはから料理の特訓を受けてたのよー」

 

 ああ、今日しろはのところに行ってた理由は、そういうことだったのか。

 

「……さすが蒼ちゃんです。ほんの数日で、見事な上達っぷりです」

 

 俺の後に、藍も肉じゃがを口に運んでいた。その口ぶりからするに、蒼は相当努力してくれたみたいだ。

 

「……蒼、ありがとうな」

 

「い、いいのよ。大好きな羽依里のためなら、これくらいなんでもないし」

 

「んが、んぐ。げほ」

 

 そう言ってはにかむ蒼の隣で、藍が肉じゃがでむせていた。大丈夫かな。

 

「ほら、いい加減、ちゃんとごはんにしましょー?」

 

 そんな藍の背中をさすりながら、蒼がそう促す。俺たちは改めて挨拶をして、三人で夕飯を食べ始めた。

 

 

 

 

 夕飯を堪能した後、ケーキをいただくことにした。

 

 甘いものはあまり得意じゃないけど、これはさっぱりしていて食べやすかった。甘いものは別腹。今日は俺にも当てはまるかもしれない。

 

「うん。ケーキも美味しいぞ」

 

「通販代行で買ったスポンジケーキにクリーム塗っただけです。大したものじゃないですよ」

 

「それでも、美味しいぞ。ありがとうな」

 

「だから、羽依里さんにお礼を言われても嬉しくないです」

 

「もう、藍も照れなくてもいいのに」

 

「て、照れてないです。これはあくまで、蒼ちゃんのために作ったんですから」

 

 藍はまだ少し赤い顔を隠すように、もくもくとケーキをほおばる。早くも二切れ目だけど、よく食べるなぁ。

 

「そうそう。羽依里、プレゼントもあるのよー」

 

 その時、蒼が持っていたフォークを置いて、声を弾ませながらそう言う。

 

「え、この料理とケーキだけで十分だけど」

 

「それだとあたしの気が収まらないのよ……というわけで、はい」

 

 椅子の下に隠しておいたんだろう。綺麗に包装された紙袋を手渡してくれた。

 

「あ、ありがとう。開けてみていい?」

 

「もちろん。いいわよー」

 

 この料理がプレゼントだとばかり思っていたから、別のプレゼントがもらえるなんて思わなかった。

 

 焦る気持ちを押さえながら包装を解いて紙袋を開けると、中からライフジャケットが出てきた。

 

「え、これって」

 

「学校の帰りに、本土のショッピングモールで買ったのよー。あそこ、専門店多いし」

 

 そういえば、あのショッピングモールには作業服専門店のウォークメンがあった気がする。わざわざ、そこで買ってきてくれたのか。

 

 「ちょっと着てみていい?」

 

 蒼の返事を待たず、ついてるタグもそのままに一度着てみる。こっそりサイズを測ったんじゃないかってくらいにピッタリだった。

 

「すごいな。サイズもピッタリだ」

 

「やっぱり実用的なものが良いかなって。羽依里は毎日海に出るんだし、きちんと帰って来れるようにって願いも込めてね」

 

「ありがとう。蒼に守られてる気がするよ」

 

「んぐ、げほごほ」

 

 藍が今度はケーキでむせていた。どうしたんだろう。

 

 

 

 

 ……その後は碧さんが帰って来るまで、三人で過ごしていた。

 

 決して豪華でなく、手作り感満載の誕生会だったけど。

 

 俺にとっては思い出に残る、最高の誕生日になった。

 

 

 

 

 

第五話・完




第五話・あとがき

皆さん、おはこんばんちわ。トミー@サマポケです。
今回は5月後半のお話ということで、駄菓子屋での日常からの、羽依里君の誕生日でした。
前回のお話で、蒼の身体から七影蝶が抜けた影響について少し触れてみましたが、今回の冒頭ではそれを具体的に表現してみました。
あの夏に抜け出した七影蝶の中に料理人の記憶があって、それが抜け出た結果、料理ができなくなる……という流れもありかと思いまして。

そして個人的には前半の駄菓子屋でのやり取りも好きだったりします。堀田ちゃんも出せましたし。
時間経過的に、ちょうど6年生くらいかな?とか想像してみました。あの口癖は健在です。
ボスと呼ばれた男の子との今後の関係とか気になります。この二人、同じ中学に進んだら絶対意識し始めますよ……。鳥白島の未来のラブストーリーですね。

また、テレビのガチの園芸に出ていたのはRewriteの小鳥さんです。天王寺先生と呼ばれているということは、つまりそういうことですw
他にも、通販代行の品を配達してくれたケロケロ便、みそかつジュース、ヒトデ……鍵っ子の皆さんがニヤリとしてくれそうなネタを詰め込んでいるので、楽しんでいただけたら嬉しいです。

さて、次回は6月上旬ということで、しろはの誕生日がメインになると思います。
蒼アフターですが、蒼にとってもしろはは親友ということになっていますので、力を入れる予定です。

では、今回のあとがきはこの辺りで。
一言感想や評価など頂けましたら、次話執筆への活力になりますので、よろしくお願いします。
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