蒼アフター   作:トミー@サマポケ

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第八話 同棲生活と、山の祭事

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、今日からよろしくお願いします」

 

 7月も中旬に差し掛かった頃。先の家族会議で承認されたこともあり、俺は生活の場を空門家に移していた。

 

 荷物が多すぎても迷惑になるだろうと、俺は最低限必要なものだけを鞄に詰めて、空門家の門をくぐっていた。

 

「それじゃ、羽依里君の部屋はこっちね」

 

 蒼の両親へ簡単な挨拶を済ませると、碧さんがさっそく部屋に案内してくれた。普段は客間として使われている部屋らしく、十分すぎるほどの広さがあった。

 

「蒼の部屋とは少し離れちゃうけど、ごめんね」

 

「いえ、気にしないでください」

 

 碧さんが口元に手を当てながら、悪戯っぽくウインクする。そんな様子を見ていると、さすが蒼の母親なんだと思ってしまう。仕草とか、どことなく似てるし。

 

「お風呂とかトイレの場所は……もう全部知ってるわよねー?」

 

「はい。知っちゃってます」

 

 さすがに泊まったことはないけど、シャワーも借りたこともあるし、勝手知ったる他人の家だった。

 

「お布団は押し入れに入ってるし、他に必要なものがあったら言ってね」

 

「はい。ありがとうございます」

 

「後、洗濯についてだけど……」

 

 ……その後も色々な説明を受けて、夜にはささやかな歓迎会まで開いてもらった。

 

 すっかり通い慣れた空門家だけど、いざ住むとなるとそれまで気付かなかった部分が見えたりして、なかなかに新鮮だった。

 

 

 

 

 ……そして移住翌日。余韻に浸っている暇もなく、いつものように仕事へと向かう。

 

 住む場所こそ変わったけど、仕事は変わらない。空門家の皆がまだ眠っている早朝のうちに静かに家を出て、港へと足を運んだ。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「羽依里、蒼と一緒に住み始めたって本当か?」

 

 すっかり夏めいてきた海風を受けながら、魚が入った網を良一と一緒に引いていると、唐突にそう言われた。

 

「……良一、どこからその話を」

 

「佐藤のおばさんがそんな話をしていたんだ。羽依里も、いよいよ同棲か」

 

「……ああ。両親と姉も一緒だけどな」

 

 佐藤さんといえば、確か島の婦人会長をしている人だっけ。あの人の耳に入っているということは、すでに島中に噂が広まっているのと同じだ。

 

 俺は今更誤魔化せないと観念し、潔くその事実を認めた。

 

「そっか。両親はともかく、姉も一緒なのか……羽依里、藍には気をつけろよ」

 

 そしたら、何とも言えない顔でそう言われた。確かに藍は両親以上に蒼のことを気にかけているだろうけど。

 

 

 

 

 ……それから一時間程で漁を終え、鳥白島の港へと戻ってきた。

 

「……キザミは塩焼き。南蛮漬けも美味しいよ。コチは刺身が一番。皮も湯引きで食べられるから、捨てちゃ駄目だよ」

 

 いつものようにやってきたしろはと魚の取引をしながら、今日釣った獲物の調理法についてアドバイスをもらう。

 

 聞いたこともない魚だったけど、美味しいらしかった。もし売れ残りをもらえたら、空門家の皆にごちそうしてあげても良いかもしれない。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……それじゃ、お疲れさまでした―――!」

 

 いつものように〆の四天王スクワットをした後、本日の報酬を受け取って空門家へと帰宅する。たくさん魚が獲れたこともあって、今日は普段より仕事が早く終わった気がする。

 

「……あ、羽依里君おかえり」

 

 玄関扉を開けると、ちょうど土間の所で靴を履いていると碧さんと鉢合わせした。

 

「ただ今戻りました。碧さんは今からパートですか?」

 

「そうよー。今日は特売日だから、忙しくなりそう」

 

 言葉とは裏腹に、碧さんはどことなく嬉しそうだった。こういう日のパートって、特別手当が出たりするんだろうか。

 

「一応パンも買ってあるから、朝ごはんに食べちゃっていいからね。それじゃ、いってきまーす」

 

 碧さんは俺と入れ替わるように玄関から外へ出ると、ひらひらと手を振りながら去っていった。

 

 その後ろ姿を見送った後、俺は身体にこびりついた塩と汗を流すため、いつものようにシャワーを浴びに行く。

 

 

 

 

「……は?」

 

 ……脱衣所の扉を開けると、そこには下着姿の藍がいた。

 

「ひゃーーーーーー!」

 

 ……直後、耳をつんざくような悲鳴と一緒に、洗剤の箱やドライヤーが飛んできた。

 

 俺はとっさに視線を逸らし、横っ飛びでそれを避け、そのままの勢いで脱衣所の扉を全力で閉める。

 

「ご、ごめん!」

 

 扉越しに藍の声にならない声が聞こえる中、俺は必死に謝っていた。彼女と同棲を始めたらこの手のパプニングが起こるってのは、漫画の世界だけだと思っていたけど、まさか自分の身に起こるなんて。しかも彼女じゃなく、その姉だなんて。

 

 

 

 

「……本当にごめんなさい」

 

 ……藍が落ち着くのを待ってから、俺は脱衣所前の廊下で誠心誠意土下座していた。

 

「本っ当に業腹です。なんで朝からシャワー浴びに来るんですか」

 

「……海の仕事は海水で汚れるから、帰ったら一番にシャワーを浴びるのが日課になっててさ」

 

「奇遇ですね。私も起きたら朝一番にシャワーを浴びるのが日課になってるんです」

 

 廊下の板に額を擦りつけながらそう弁解すると、頭上からそんな言葉が返ってきた。うう、良一から藍には気をつけろと言われてすぐに、まさかこんなことが起こるなんて。ちゃんと脱衣所の中を確認しておけばよかった。

 

「まだ下着姿だったから良かったものの、もう少しタイミングがずれていたら危なかったですよ」

 

「仰る通りです」

 

「……だから、次からは気をつけてください。ほら、仕事で汚れちゃってるんでしょう。いつまでも頭を下げてないで、シャワー使って良いですよ」

 

 そこまで言うと、俺の脇を抜けて藍の足音は遠ざかっていった。

 

「……あれ?」

 

 恐る恐る顔を上げると、当然そこに藍の姿はなかった。もっと怒られると思っていたのに。許してくれたのかな。

 

 首をかしげながら立ち上がると、俺はそのまま脱衣所へと足を踏み入れる。床に散乱した洗剤やドライヤーを元の場所に戻してから、シャワーを浴びることにした。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「あ、羽依里、おそよー」

 

 シャワーを浴びた後は仕事の疲れもあったのか、食事もとらずにそのまま眠ってしまった。お昼過ぎに目が覚めてリビングに顔を出すと、そこでは蒼がソファーに座ってコーヒーを飲んでいた。

 

「聞いたわよー。さっそくやらかしたんだって?」

 

 蒼、その言い方は語弊があるから。

 

「いやいや、あれは事故だよ……って蒼、今日は土曜日のはずだけど、学校は?」

 

 思わず視線を泳がすと、13時を指しているリビングの時計が目に入った。土曜日の学校は午前中だけとはいえ、帰ってくるには少し早い気がする。

 

「忘れたの? 7月からは完全週休二日制で、土曜日は休みになったのよー」

 

「あ、そうだっけ」

 

 そういえば、今年から公立学校は順次完全週休二日制に移行するとニュースで言っていた気がする。導入までに地域差があるとは聞いていたけど、ようやくこの辺りの学校も追いついたみたいだ。

 

「じゃあ、今日はゆっくりできるんだな」

 

「そうよー。せっかくだし、羽依里もコーヒー飲む?」

 

「じゃあ、もらおうかな」

 

「あたしの飲み残しだけどねー」

 

 だから、その言い方やめて。コーヒーポットに残ってる奴って言って。

 

「おかーさんが菓子パン買ってくれてるから、食べていいわよー?」

 

「ありがとう。いただくよ」

 

 結局、朝ごはんは食べてないし、コーヒーと一緒にいただくことにしよう。

 

 俺はそう考えながらキッチンへ向かい、自分のマグカップにコーヒーを注ぐ。

 

「おお、いい香りだな」

 

「おとーさんが通販代行で取り寄せたやつで、インドモンスーンだって。深炒りらしいから、濃いわよー?」

 

「どれどれ」

 

 注ぎ終わったコーヒーを一口飲む。本当に濃い。空っぽの胃にガツンと来る。

 

「これは甘いパンが欲しくなるな」

 

 それはそう言いながら、テーブルに置かれていた菓子パンの中からメロンパンをチョイスする。どのパンにも『表示価格より半額』のシールが貼られているし、碧さんがパート先で買ってきてくれたもので間違いなさそうだ。

 

「それじゃ、あたしはちょっと宿題しようかしらねー」

 

 パンとコーヒーを手にリビングに行くと、蒼がそう言いながらテーブルに参考書やノートを広げていた。俺もその隣に腰掛けて、真剣な表情で宿題に向かう蒼を見守ることにした。

 

 

 

 

 ……それにしても、もう学校を卒業して結構経つし、宿題なんてご無沙汰だった。いつまでにイカ漁の仕掛けを作って来いとか、じーさんから宿題紛いのことを言われたりはしてるけど。

 

「ねぇ羽依里、この数式の計算方法、まだ覚えてる?」

 

「え?」

 

 そういえば、近いうちにタコ漁を始めるからたこつぼを用意しておけとか言われたような……とか考えていたら、蒼から不意にそう聞かれた。

 

「と、当然だろ。ここは、あの公式を使うんだ」

 

「あの公式って、どれ?」

 

「あ、あれだよあれ。わかるけど、敢えて教えない。蒼のためにならないからな」

 

「むー、いじわる」

 

 ……なんとか誤魔化したけど、実際のところ、蒼が聞いてきた問題はさっぱりわからなかった。習った記憶はあるんだけど、一年以上前だし。数学の公式とか、使わないと忘れるもんだな。

 

「……蒼のおやつの隠し場所とかなら、覚えてるんだけどさ」

 

「へっ? あたし、あんたに教えたことあったっけ?」

 

 ……しまった。思わず口に出してしまったけど、これは蒼の七影蝶から読み取った記憶だった。

 

「……そういえば羽依里、あの夏にあたしの七影蝶に触れたんだったわよね。つまり、それまでのあたしの記憶を全部知ってると」

 

「う、うん」

 

「……記憶が筒抜けって、本気で怖いんだけど」

 

「だ、大丈夫だって。絶対悪用なんてしないからさ」

 

「……ちなみにあたしの下着、部屋のどこにあるか識ってる?」

 

「部屋に入って右のタンスの、下から二番目の引き出し」

 

「うわあぁぁぁぁぁ------!」

 

 どうやら正解だったらしい。俺の解答を聞いて、蒼は顔を覆って悶えている。

 

「お、一昨年の夏までの記憶だから!」

 

「なんの慰めにもならないわよ―――!」

 

 叫ばれた。だって識ってるんだもん。しょうがないじゃないか。

 

「はぁ。後で場所変えとこ……」

 

 蒼はソファーに背中をあずけながら、生気の無い目で天井を見上げていた。だから、変なことには使わないのに。

 

 

 

 

 ……その後、蒼はなんとか落ち着きを取り戻して宿題を再開した。

 

 うんうん言いながら参考書に向かう蒼をしばらく眺めていたら、ちょっとした疑問が浮かんだ。

 

「……そういえば、藍と樹さんは?」

 

「藍はバイト。おとーさんは用事で本土に行ってるみたいで、たぶん、おかーさんと同じ最終便で帰ってくるんじゃない?」

 

 宿題をする手を止めることなく、俺の質問に答えてくれた。碧さんが出かけてるのは知っていたけど、あの二人もいないのか。

 

「じゃあ、今は俺と蒼、二人っきりなのか」

 

「そ、そう、ねー……」

 

 蒼も俺に言われて気がついたのか、その声が明らかに上ずっていた。

 

 心なしか俺の方をチラチラ見てる気がするし、これは、チャンスかも。

 

「……なぁ蒼、キスしていい?」

 

「……はぁ!?」

 

 そう思った瞬間、俺は思わずそう口にしてしまっていた。

 

 蒼は完全に虚を突かれたらしく、動揺のあまり、手にしていたシャーペンの芯が良い音を立てて折れた。

 

「キ、キスとかいきなり……なんで?」

 

「ほら、最近できてないからさ」

 

「そりゃあ、お互いに忙しかったり? なかなか二人っきりになれなかったりしたけど……」

 

「……ちょうど今、二人っきりだけど」

 

「あー……」

 

 俺に言われて、蒼もようやく今の状況に気づいたんだろう。顔を赤くして、目を泳がせている。

 

「……じゃあ、す、少しだけよ?」

 

 キスに少しだけも何もないと思うんだけど……そんなことを考えている間にも蒼は俺の方に向き直り、目をつぶってくれる。

 

「……それじゃ、遠慮なく」

 

 一呼吸おいてから、俺も蒼の肩に手を置く。自分から催促したけど、いざするとなると緊張するな……。

 

 その薄桜色の唇に自分のそれを重ねようとした、その時。

 

 ……すぐ近くの電話がけたたましく鳴った。

 

「……ああもう」

 

 水を差される形になった俺は、悔しさを紛らわせるようにソファーから立ち上がり、クリーム色をしたコードレスホンの受話器を手に取る。せっかくいい雰囲気だったのに。一体誰だ。

 

「もしもし、空門ですが」

 

「……羽依里さん、蒼ちゃんとイチャラブしてるところすみません。ちょっといいですか」

 

「え、藍!?」

 

 電話の相手はまさかの藍だった。俺は思わず受話器から耳を離して、窓の外を見てしまう。まさか、見張られてたりしないよな。

 

「……なんか声が動揺してる気がするんですが。朝のことでしたら、もう怒ってませんよ。それより、伝え忘れていたことがあるんです」

 

「伝え忘れていたこと?」

 

 呆れたような声が返ってきた。冷静になってみれば、藍はバイトに行ってるって話だし、駄菓子屋からの電話なんだろう。

 

「おかーさんが頼んだ荷物がお昼過ぎに港に届くそうなんです。生ものじゃないらしいので港の事務所で預かってくれるらしいのですが、いつまでも置いておくわけにもいかないので、家の方に持って帰っておいてもらえますか?」

 

「ああ、いいよ」

 

「それと、荷物引き換え用の伝票が私の部屋にあるので、忘れずに持って行ってください」

 

「伝票? どこに?」

 

「机の上です。すぐにわかると思いますけど」

 

「えーっと」

 

 俺は受話器を持ったまま、自然に藍の部屋へ足を踏み入れる。小綺麗に整頓された勉強机の上に、それらしい伝票が置かれていた。

 

「……あった。これだな」

 

 その伝票を手に取った拍子に、同じ机に置かれた漢字ドリルが目に入った。なんで漢字ドリル?

 

「ありましたか? それを忘れずに持って行ってくださいね。それじゃ、よろしくお願いします。あ、いらっしゃいませ」

 

 直後、お客さんが来たんだろうか。出迎えの声を残して、電話は切れてしまった。

 

「藍からの電話、なんだったのー?」

 

 ちょうど受話器を置いた時、蒼の声が飛んできた。

 

「碧さんが頼んだ荷物が港に届いてるから、家に持って帰っておいてくれってさ」

 

 俺は手にした伝票を指にはさんで左右にヒラヒラと揺らしながら、蒼にそう伝える。

 

「それじゃ宿題が終わったら、後で散歩がてら一緒に取りに行きましょー」

 

「ああ、そうしよう」

 

 ……その後は改めてキスをするような雰囲気にはならず、俺は悶々とした感情を抱えたまま、蒼の宿題が終わるのを待っていたのだった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……程なくして、宿題を終えた蒼と一緒に港へ向かった。

 

「ああ、空門さん宛ての荷物ね。預かっているよ」

 

 港の事務所で聞いてみると、すぐに係員さんがそれらしい荷物を持って来てくれた。伝票と引き換えに荷物を受け取ってみると、なかなかの重さだった。

 

「羽依里、大丈夫?」

 

「だ、大丈夫だ。漁師見習いを舐めるなよ」

 

 そう強がってはみたものの、何が入ってるんだろう。結構腰にずっしり来る。

 

「品名は『食器』って書いてるわねー。おかーさん、また新しい茶器とか買ったのかしら。落としたら大変そうだし、ゆっくり帰りましょ?」

 

「そうだな。ゆっくり帰ろう……」

 

 強がっているのを蒼に悟られないようにしながら、俺は重たい荷物を抱え、元来た道を戻り始めたのだった。

 

 

 

 

「……ぜぇ、はぁ。ぜぇ、はぁ」

 

「……は、羽依里ー? 大丈夫ー?」

 

「……情けない話だけど、漁師見習いじゃここが限界みたいだ」

 

 蒼にいいところを見せようと頑張ってみたけど、無理だった。ちょうど道半分、島の中央の田舎道まで進んだところで俺はギブアップしてしまった。今が一日で一番暑い時間帯だし、汗がしたたり落ちる。

 

「ちょうどいいし、あの木の下で休みましょー」

 

 そう言って蒼が指し示したのは、一本の大きな木の根元。いつも蒼が昼寝をしていた、あのお気に入りの場所だった。

 

「……よっこいせ」

 

 蒼と並んでその木陰に腰を下ろし、荷物を近くの地面に慎重に置く。どすっといい音がした。

 

「あー、ここはいい塩梅だな」

 

 足元の草も、背中に当たる木の幹も、冷たくて気持ちがいい。疲労感からか、身をゆだねているといい感じに眠くなってくる。

 

「せっかくだし、少し寝たらいいわよー」

 

 睡魔と戦っている俺に気づいたのか、蒼が苦笑しながらそう言ってくれる。

 

「ん……それじゃ、お言葉に甘えて……」

 

 ……蒼にそう告げるが早いか、俺の意識はその奥深くへと沈んでいった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 しばらくして、目をつぶったまま意識だけが戻る。さっきまで硬かったはずの枕が柔らかくなっていた。

 

 ……妙だな。俺は木の幹に頭を預けていたはずなんだけど。

 

「あ、起きた?」

 

 不思議に思いながら目を開けると、俺の顔を覗き込んでいた蒼と目が合った。

 

「え、もしかして、膝枕してくれたのか?」

 

「しょーがないでしょー。あんたってば、寝たと思ったらすぐにあたしの方に倒れ込んでくるんだもん。気持ち良さそうにしてたから、起こすのも悪いかなって思ったし」

 

 ……初めて蒼と出会った時もそうだったけど、この木って寄りかかって寝るには色々と問題があるよな。

 

「ごめん。すぐにどくからさ」

 

「今更いいわよー。朝からの仕事で疲れてるんだし、もうしばらく横になってなさい」

 

 そう言って笑顔を向けてくれる。俺はお言葉に甘えて、もう少し蒼の太ももの感触を楽しませてもらうことにした。

 

 

 

 

「……それにしても、あの夏とは反対ね。覚えてる?」

 

 目を瞑ってまどろんでいると、上からそんな声が下りてきた。

 

「……ああ、もちろん」

 

 蒼と初めて出会って、藍の七影蝶を探した、あの夏。

 

 あの時は俺が蒼を膝枕した。確か、駄菓子屋で蒼が急に寝落ちしたのがきっかけだった気がするけど。

 

「あの夏、蒼も相当無茶したよな。蒼が寝てしまった後、蒼がやってた事を碧さんに話したら、すごく驚いていたぞ?」

 

「そりゃそうよー。元々、七影蝶に触ってることはおかーさんには秘密だったし」

 

 ……なるほど。空門家は七影蝶を導くけど、触るのは禁忌とされてるって話を後に碧さんから聞いた気がする。俺も何度か触ってしまったことがあるけど、あまり気分の良いもんじゃない。

 

「そういえば気になってたんだけど、蒼ってどれくらい間、藍の七影蝶を捜し続けてたんだ?」

 

「そうねー。おかーさんから空門のお役目を引き継いだのが中学生になった年だから、だいたい4年くらいかしら」

 

「……そっか。碧さんも空門家の人間だし、お役目をやってたんだな」

 

「おかーさんは七影蝶が見えない人だったから、お役目も本当に形だけでね。それでも、あたしがお役目をやりたいって言った時は、何度も止められたわ」

 

「え、止められたの?」

 

 代々続く家のお役目を娘がやりたいと言い出したら、親としても喜ばしいことだと思うけど。女子中学生一人であの山に入るのは確かに危険かもしれないけどさ。

 

「考えてみて? いくらお役目と言っても、藍があんな目に遭った山にあたしを一人で行かせる?」

 

「あ……」

 

 ……言われてみれば。もしかしたら、今度は蒼が藍と同じ目に遭ってしまうかもしれない。そう考えるのが自然だと思う。たぶん、俺が親でも躊躇うかもしれない。

 

 

「……そうだ。せっかくだし、今年はやってみようかしら」

 

「え、やるって何を?」

 

 ……その時、蒼は何かいいことでも思いついたかのようにほくそ笑む。今の顔、藍にそっくりだ。

 

「山の祭事よ。二年ぶりだし、良いリハビリになると思わない?」

 

「でも、もう藍の七影蝶を探す必要もないよな?」

 

「見つけて欲しかったり、彷徨ってる七影蝶は今もいるのよ。そろそろ迷い橘も咲いてる時期だし、確かめにも行かなきゃ」

 

 蒼は口元に手を当てながら、うん、うんと頷いていた。それが本来のお役目だし、再開するのは良いことだと思う。

 

「それで……良かったら羽依里も一緒に来てほしいんだけど」

 

「もちろん、付き合うよ。夜の山は危ないしさ」

 

「えへへ、ありがと」

 

 二つ返事で了承すると、木漏れ日に負けないくらいの眩しい笑顔を返してくれた。うあ、この距離でその笑顔は反則だ。

 

「……その、藍も起こせたんだしさ。そろそろ蒼も幸せになってもいいんじゃないか?」

 

 その笑顔を直視できなくて、俺は少しだけ顔をそらしながらそう口にする。

 

「なに言ってんのよー」

 

 蒼は一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに表情を崩す。その拍子に木漏れ日がトンボ玉に反射して、一瞬光った。

 

「……あたし、もう十分幸せよ?」

 

「え?」

 

「藍がいて、羽依里がいて、おとーさんもおかーさんも笑ってて。当たり前の日常を過ごせてる。だから、あたしはもう十分に幸せなの。全部羽依里のおかげよ」

 

「いや……俺はただ、俺のやりたい様にしただけだからさ」

 

「そんな謙遜しないの。本当、感謝してるんだからさ」

 

 そう言って、にへらと笑う。位置の関係か、俺の視界いっぱいに蒼の笑顔が広がった。本当、この笑顔を守りたい。俺は心からそう思った。

 

「あ、羽依里ー! あおちゃーん!」

 

 ……その時、聞き慣れた声がした。

 

 反射的に声がした方を見てみると、道の方から鴎が手を振っていた。

 

「あ、鴎ー、久しぶりー」

 

 その姿に気づいた蒼も手を振り返す。鴎、島に来てたのか。

 

「……ありゃ、お邪魔しちゃったかな」

 

 スーツケースを引きながらすぐ近くまでやってきたところで、俺が膝枕されていることに気づいたのか、鴎は右手で口元を隠しながら、ばつの悪そうな顔をする。

 

「そ、そんなことはないぞ! それより、鴎も島に来てたんだな」

 

 急に気恥ずかしくなって、俺は蒼の膝枕に別れを告げて起き上がる。

 

「ついさっき着いたところなんだよー。今年もサマーキャンプの時期だし、またしばらくお世話になります」

 

 そう言ってぺこりと頭を下げる。確かに、鴎は毎年この時期になるとサマーキャンプを開催していた気がする。夏休みにはまだ少し早いけど、その準備に来たのかな。

 

「そーいえば、7月になってから良一もウズウズしてたわよー」

 

「え、なんで良一が?」

 

「良一君には、いつもキャンプ用品を用意してもらってるからね!」

 

 俺の問いに、鴎が答えてくれた。言われてみれば、良一は島随一のテントコレクターだった。きっとコレクションのお披露目も兼ねて、サマーキャンプに道具を提供しているんだろう。

 

「今年、ピンクのテントを引き当てるのは誰かなー?」

 

「え、ピンクの何?」

 

「お、教えてあげないよ! それじゃ!」

 

 一瞬動揺したような気がしたけど、鴎は来た時と同じように元気に手を振りながら去っていった。夏の間は島に滞在すると言っていたし、しばらくは賑やかになりそうだ。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……そして、その日の夜更け。昼間約束した通り、俺と蒼はお役目をするために空門家を抜け出す。

 

 もちろん、蒼の両親には予め話は通してあるけど、藍には秘密だった。藍が知ったら全力で止められそうだし。

 

「こーいう時、家が同じって便利よねー。落ち合う手間が省けるし」

 

「夜遊びを見つかる危険性があるから、玄関使えないって部分は同じだけどな」

 

「それあるわねー」

 

 お互いに自室の窓から外へ出て、門のところで合流する。それからは小声で会話をしながら、山へと向かう。

 

 ひっそりと静まり返った住宅地は、昼間とはまた違った雰囲気を醸し出している。なんとなく、いけないことをしている気分になる。

 

「その巫女服姿、ずいぶん久しぶりに見る気がするな」

 

「これが空門の正装だしねー。昔はこれが普段着だったって話もあるのよー」

 

「確かに。今は特別な時にしか着ないけど、着物だって昔は普段着だったんだもんな……」

 

「……羽依里、なんかいやらしい目で見てない?」

 

「え? いや、そんなことはないぞ!」

 

 隣を歩く蒼の全身をしげしげと眺めていたら、少し顔を赤くした蒼にそう言われた。ごめんなさい。少しだけ見てました。

 

「……と、ところでその灯篭、火は灯さないのか?」

 

「話題の変え方がわざとらしーわね……これは山に入ってからつけるのよ。今明かりをつけたら目立つでしょ」

 

「あ、そっか」

 

 苦し紛れに話題を変えたけど、冷静にそう返されてしまった。巫女服姿で出歩いてる段階で、目立つも何もない気がするけど。

 

 

 

 

 ……やがて住宅地を抜けて、山の登り口に到着する。そこで蒼は火打石を取り出して、灯篭に明かりを灯す。

 

「火打石とか、初めて見たよ」

 

「マッチやライターで灯した明かりには、どうしてか七影蝶が寄って来なくてねー。昔ながらのこのやり方が良いみたい」

 

 よくわからないけど、そういうものらしい。少しの間を置いて灯った炎は、不思議と柔らかい感じがした。

 

「ポン!」

 

 ……その時、灯篭の明かりで俺たちの存在に気づいたのか、森の中からイナリがやってきた。

 

「イナリ、久しぶりによろしくな」

 

「ポーン!」

 

 俺はそのイナリと挨拶を交わす。野生動物のイナリは七影蝶の気配を感じやすいとかで、俺が蒼の記憶を探しに山に入った時も、随分お世話になったんだ。

 

「すっかり忘れてたけど、羽依里とイナリは去年の夏にも、あたしの記憶を探すために森に入ったのよね?」

 

「ああ。あの時のイナリ、頼もしかったぞ」

 

「ポン!」

 

「……ところでその時、他の七影蝶に触ったりしてないわよね?」

 

「それは大丈夫。本当は蒼の七影蝶を見つけるまで触りまくってやる覚悟だったけど、イナリが一発で蒼を見つけてくれたからさ」

 

「そうだったんだ。イナリ、ありがとね」

 

「ポンー」

 

 誇らしげな顔をするイナリの頭を、蒼が満面の笑みで撫でる。彼女が寝ている間、俺もイナリとの絆を深めたつもりでいたけど、まだまだ敵わないみたいだ。

 

 

 

 

 ……そして準備を終えた俺たちは、イナリを先頭にして山の中に分け入っていく。

 

 夜の山は暗く、星明かりは生い茂る木々に遮られてほとんど届かない。明かりといえば、蒼の持つ灯篭くらいだ。

 

「念のため、懐中電灯でも持ってくればよかったな」

 

「イナリもいるし、散々通った道だから大丈夫よー」

 

「いや、そういう過信が危ないんだぞ。木の根とか飛び出してたら、足を取られるかも」

 

「じゃあ……転ばないように、手、握ってくれる?」

 

「お、おう……」

 

 一瞬狼狽えてしまったけど、この流れを作ったのは自分だし。俺は優しく蒼の手を握った。

 

 

 

 

 ……それから山の中を進む間、何匹かの七影蝶と遭遇した。

 

「……おいで」

 

 蒼が灯篭を掲げると、七影蝶は吸い寄せられるようにその灯りへと集まり、大人しく周囲を舞い始める。

 

「……そういえばさ、あたし、中学に上がった頃からお役目をやり始めたって話したじゃない?」

 

「ああ、昼間の話な」

 

 無数の七影蝶が灯篭の周りを飛ぶ幻想的な光景に目を奪われていると、蒼が唐突にそう口にした。

 

「もちろん、最初は夜の山が恐くて、おかーさんと一緒に山に入ったんだけどね」

 

 俺にも蒼の記憶があるからわかる。どうしても、藍の事故のことを思い出してしまうんだろう。

 

「その時、初めて……ううん。正確には二回目だったのかもしれないけど、光る蝶を、七影蝶を見つけたの」

 

 蒼は手元の灯篭に群がる七影蝶に視線を落としながら、静かに言葉を紡ぐ。

 

「何も知らないあたしは、その七影蝶に触れてしまった。すると、山の祭事に関する記憶があたしの中に流れ込んできた」

 

「……その七影蝶って、もしかして」

 

「うん。今思い返すと、空門のご先祖様の七影蝶だったのかも。その蝶に触れたおかげで、七影蝶のこと、空門のお役目のことを一晩で全部識れたわけだし」

 

 空門の一族限定の、かなり特殊なやり方だけど、下手に書物に残すより確実かもしれない。経験や知識を直接子孫に伝えることができるんだし。

 

「それに、藍を目覚めさせる方法もその時の知識から学んだの。その日から、あたしには藍の七影蝶をみつけるという目的ができたわけ」

 

 その目的は達成されたけど、また蒼は自らの意志でお役目を再開した。そこには空門の巫女としての、強い意志が表れている気がした。

 

「それでさ。羽依里にもう一つお願いがあるんだけど」

 

「え、なに?」

 

「明日も山に入って欲しいの。今度は、藍も一緒に」

 

「いいけど、藍って七影蝶は見えないよな?」

 

「そうだけど、連れて行ってあげたいの。藍も空門の人間だし。きっと、行きたいと思ってる」

 

 ……そういえば以前、藍は『蒼ちゃんと同じ事がしたい』と言っていた気がする。その時は眠っていた蒼も、どこかでそのことを覚えていたのかもしれない。

 

「いいんじゃないか? 明日になったら、藍に話してみよう。きっと喜ぶぞ」

 

「うん」

 

 

 

 

 ……そんな話をしながら夜の山を練り歩き、やがて空門の神域へと辿り着いた。

 

 山の中に突如として現れる開けた空間と、その真ん中に一本だけ生えた橘の木が何とも言えない神秘的な空気を作り出していた。

 

「……迷い橘、今年もしっかり咲いてるわねー」

 

 なぜか時期外れの花をつける、空門の御神木。その枝に無数の白い花が咲いているのを確認しつつ、俺と蒼はゆっくりと歩みを進める。

 

 辿り着いた木の根元には、小さな石の祠がある。その中に灯篭を治めると、ついてきていた七影蝶たちは静かに御神木の周りを舞い始める。

 

 その様子を確認して、俺と蒼も御神木に向けて頭を下げた。

 

 

 

 

 ……しばらくして、俺は頭を上げる。隣を見ると、蒼はまだ頭を下げていた。

 

 もう一度頭を下げるのも何か違う気がして、俺は少しの間、真剣に祈りを捧げる空門の巫女を見ていた。

 

 ……その頭が、急にかくっとなった。

 

「……あふ」

 

 そして目を開けたかと思うと、思いっきりあくびをかみ殺していた。あれ。もしかして祈りを捧げてたんじゃなくて、寝てたのか? せっかくかっこいいと思っていたのに。

 

「蒼、ひょっとして眠い?」

 

「んー、久しぶりに山登りしたからかしらねー。ちょっとだけ」

 

 腕時計を見てみると、ちょうど日が変わった所だった。これは眠くなるのも頷ける。

 

「家までおぶってやるから、寝てていいぞ」

 

「……それじゃ、少しだけね」

 

 俺が背中を向けると、蒼は躊躇なくおぶさってきて、すぐに寝息を立てはじめた。なんか色々と柔らかい。首筋に寝息はかかるし、これはやばい。

 

「……イナリ、帰る道中、もし俺が変な気を起こしそうになったら、思いっきり噛みついて正気に戻してくれな」

 

「ポン!」

 

 そうイナリに念を押して、俺は蒼を背負って山を下りたのだった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「むむむむむ……!」

 

 ……空門家に戻って来たら、その門のところに藍が仁王立ちしていた。

 

「二人っきりで出かけるなんて! しかも、こんな夜中に! 羽依里さんがたぶらかしたんですね!」

 

「い、痛い痛い! 叩かないで! 背中の蒼が落ちたら大変だから!」

 

 寝間着姿の藍が駆け寄ってきて、蒼を背負っていて抵抗できない俺の胸板をバシバシ叩いてくる。大変怒ってらっしゃった。

 

「ふふ。外出についてはお役目だからとやかく言うつもりはないけど、藍には秘密にしていたのね。『蒼ちゃんがいません!』って夜中にたたき起こされて、大変だったのよ?」

 

「僕達も、蒼はお役目だと何度も説明したんだけどね……帰ってくるまで寝ないって聞かなくて。いやぁ、まいったよ」

 

 そんな藍の脇にはすごく眠そうな顔をした両親の姿があって、そろって苦笑いを浮かべていた。本当、ご迷惑をおかけしました……。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……その翌日。9時近くになっても蒼と藍は起きてこなかった。

 

 山登りをして汗かいたからと、蒼は帰宅してもう一度シャワーを浴びていた。そのせいで、寝たのはかなり遅い時間だったとは思うけど。

 

「……ふむ。このままだと、せっかくの朝食が冷めてしまうね」

 

 日曜朝のニュース番組が流れる中、俺と樹さんは出来たての朝食を前に待ちぼうけをくらっていた。

 

 ちなみに、今日の朝食は樹さんお手製のスパニッシュオムレツだ。本人は手抜き料理だと言っていたけど、すごく美味しそうなんだけど。

 

「……とりあえず、二人を起こそうか」

 

「そうですね」

 

 今日も碧さんは朝からパートに行ってしまったし。今、この家には俺と樹さんしかいない。手分けして姉妹を起こすことにした。

 

 

 

 

「おーい蒼ー、朝だぞー」

 

「んあー」

 

 俺はもちろん蒼の担当。記憶を頼りにその部屋へ行き、枕に顔をうずめた蒼の肩をゆする。

 

「樹さんのスパニッシュオムレツ、めちゃくちゃ美味しそうだったぞー」

 

「うー」

 

 ……何度か揺すってみるけど、こりゃだめだ。食欲より睡眠欲っぽい。

 

「起きないかい?」

 

「ええ。久しぶりの山登りが堪えてるみたいです」

 

 俺が蒼を相手に四苦八苦していると、藍の部屋に向かったはずの樹さんが疲れ切った顔でこっちにやってきた。どうやら、藍も起きなかったっぽい。

 

「夜の山道を歩くのは精神的にも疲れるからね。とりあえず、先に食べてしまおうか。藍も夜更かしが過ぎたのか、全く起きないんだよね。いやぁ、困ったね」

 

 頭をかきながらダイニングへと戻っていった。あの言い方からして、山道の話は体験談なんだろうか。

 

 ……結局、食事の間に二人が起きてくることはなく、俺は樹さんと二人で優雅なブレックファーストを楽しんだのだった。

 

 

 

 

 ……朝食を終えた後、樹さんは一時間くらいしたら戻ると言って出かけてしまった。残された俺は一人、リビングで食後のコーヒーを飲んでいた。

 

「おはよーございます……」

 

 その時、髪の毛が爆発した藍が目をこすりながら起きてきた。どうやら、姉妹対決は姉の勝ちみたいだった。

 

「ふぁ……蒼ちゃん、まだ寝てるんですか?」

 

「みたいだぞ。藍もコーヒー飲むか? 目が覚めるぞ?」

 

「欲しいです。でもブラックは駄目です。ミルクとお砂糖入れてください」

 

 めちゃくちゃ甘くなるけど、それで目が覚めるのかな。俺は苦笑しながら、キッチンへと向かう。

 

 10年近く寝ていた関係か、藍は時々子供っぽいと言うか、年不相応な反応を見せる時がある。ブラックコーヒー飲めないのとか、その最たる例だよな。

 

「……はいよ。おまたせ」

 

 そんなことを考えながら、思いっきり甘い香りを漂わせるマグカップを藍の前に置く。

 

「ありがとうございます」

 

 藍は気だるそうにソファーから身を起こし、目を細めながらマグカップに口をつける。うーん、幸せそうに飲むなぁ。

 

「おはよー……」

 

 そんな藍の様子を微笑ましく見ていたら、蒼も起きてきた。姉に負けず、髪が爆発してる。

 

「んー、どーしたのー?」

 

「髪、髪。一度整えてきた方がいいよ」

 

 そう声をかけて、先に洗面所へ行くように促す。いくら双子とはいえ、髪が跳ねてる方向まで同じなんだけど。

 

 こういうのって、一緒に生活してないと見れないよな……とか思いながら、俺は冷蔵庫に入っていた朝食を電子レンジに入れたのだった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……二人が遅めの朝食を終えた頃、樹さんが帰ってきた。

 

 直後『だいぶ庭草が伸びてきたなぁ。夏だねぇ』とか言いながら庭掃除を始めたので、俺たちもそれに倣って家の掃除をすることにした。

 

「えーっと、確か掃除機はここで……」

 

 俺はリビングを出てすぐの廊下に備え付けられた収納スペースを開ける。中には立派な掃除機が入っていた。

 

「おや、羽依里君。よくそこに掃除機があるって知ってたね」

 

 その時、台所にゴミ袋を取りに行っていたらしい樹さんから声をかけられた。

 

「え? はい。以前、蒼に聞いたんです」

 

 ……正確には蒼の記憶から、なんだけど。やっぱり、七影蝶の記憶ってすごい。この家のことだって、勝手知ったるなんてもんじゃない。場所さえ変わって無ければ、洗濯用洗剤の予備の場所から、それこそ金庫の鍵の場所まで、隅々まで識っている。

 

「これは、蒼が怒るのも納得だよな……」

 

 初めてのはずの掃除機を手慣れた感じで使いながら、俺はこの知識を決して悪用すまいと心に誓うのだった。

 

 

 

 

 ……そして掃除が終わり、時計を見るとちょうど昼食時だった。

 

『寝坊したお詫びに、お昼はあたしが作るわ!』と蒼が息巻いていたけど、樹さんの提案でいつもの食堂に出前を頼むことになった。

 

 蒼の作る食事、量がすごいし。樹さんもそれを警戒したんだと思う。

 

「へいおまちー」

 

 ……注文の電話をしてから十数分後。例によってしろはが来るのかと思いきや、やってきたのはチャイナ服姿の紬だった。

 

「え、なんで紬が!?」

 

「臨時バイトです! ハンボーキですので!」

 

 岡持から俺たちが注文した料理を出してくれながら、そう教えてくれる。紬もバイトとかするんだ。

 

「まだ夏休み前なのに、忙しいんだ?」

 

 夏休みになったら子供たちも家にいるし、食事を作るのが面倒になった家庭からの注文が増えそうなイメージがあるけど。

 

「マスターが夏休み……いえ、料理修行の旅に出てしまったので、今はシロハさんがひとりでお店を切り盛りしてるんです。出前まで手が回らないらしいので、こうしてお手伝いしています!」

 

「ああ、そういうこと」

 

 だったら無理して出前しなきゃいいのに……とか思ってしまった。知らずに注文してしまった俺たちが言うのもなんだけど。

 

「あと、これはシロハさんからのサービスです! きちんと栄養のバランスとらないと。らしいです!」

 

 そう言って、俺たちの注文した料理に続いて、大皿に盛られた野菜サラダが出てきた。確かに店屋物って野菜少なめだけど、ここまでサービスしちゃうんだ。

 

「ありがとう。しろはにもお礼言っておいてよ」

 

「わかりました! 器は明日取りに来ますので、洗って表に出しておいてください! それではー」

 

 最後にそう付け加えると、紬はツインテールを揺らしながら去っていった。ところで妙に似合っていたけど、何故にチャイナ服なんだろう。

 

「……さっきのはお友達かい?」

 

 そんな疑問を浮かべながら玄関の外を眺めていると、樹さんからそう声をかけられた。どうやら料理を運ぶために、少し離れた場所から見ていたらしい。

 

「はい。最近、食堂でバイトをしているみたいで。なぜかチャイナ服でしたけど」

 

「その……変わったお友達だね」

 

「良い子なんですよ。ええ」

 

 樹さんが言葉を選んでくれているのがわかった。本当に普段はいい子ですから。本当、どうしてチャイナ服なんだろう。

 

「とりあえず、運ぼうか」

 

「そうですね……」

 

 考えてもらちが明かないし、お昼にすることにしよう。家中掃除して、お腹空いたし。ハッピーセット、おいしそうだ。

 

 

 

 

「……藍、今日の夜なんだけど……空門のお役目、一緒に行ってみない?」

 

「え?」

 

 四人で昼食を食べていると、蒼がそう切り出した。

 

「あの……誘ってくれるのは嬉しいんですけど、私、七影蝶見えないんですよ? 蒼ちゃんと一緒に行っても、お役に立てません」

 

「見えるとか見えないとか関係なくてさ。藍も空門家の一員なんだし。なにより、あたしが一緒に行きたいのよ」

 

「……あの、おとーさん、行ってもいいですか?」

 

 藍は僅かな間視線を泳がせて、次の瞬間には懇願するような目で父親を見る。

 

「……ふむ。昨日の様子だと、また羽依里君も一緒に行くんだろう? それなら、僕は全然構わないよ。母さんには僕から言っておくから、行っておいで」

 

 樹さんはいつものように口元に手を当てながら、そう答えてくれた。

 

「ありがとうございます」

 

 その返事を聞いて、藍は心底嬉しそうだった。

 

 ……でも、夜の山に入ると言うことは、藍はおのずと子供の頃の……蒼を追って山に入った時のことを思い出すことになるんじゃないだろうか。それって、大丈夫なのかな。

 

「そうと決まったら、藍の分も巫女服を用意しないとねー」

 

「確か、母さんが使っていたのが庭の倉庫にあるはずだよ。今のうちに日干ししておくといい」

 

 一瞬、そんな不安が過ったけど、蒼や樹さんは気にする様子もなく楽しそうにしていた。

 

 もちろん、蒼も全てを理解した上での提案なんだろうし、この不安は俺の杞憂だといいけど。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……昼食を済ませた後は、バイトの蒼に付き合って駄菓子屋で過ごすことにした。

 

 ちなみに藍は自分用の巫女服の手入れをするということで、樹さんと一緒に家にいる。碧さんが帰ってくるまでに、あらかたの準備を整えておくとか言ってたけど。

 

「くーださいな」

 

 ひさしで良い感じに陰になったベンチに座っていると、しろはがやってきた。

 

「あ、いらっしゃーい。どうしたの?」

 

「……その、例のアレが入荷したって聞いて」

 

 まるで鴎みたいなこと言いながら、何かチケットのようなものを蒼に手渡していた。

 

「ああ、スイカバーね。さすがしろは、昨日入荷し始めたばっかりだけど、もう情報入ったんだ?」

 

「うん。だから、さっそくこのスイカバー引換券を使おうと思って」

 

「いいわよー。これはしばらくスイカバーはしろはが独占ねー」

 

 蒼はそう言いながら、アイスクリームケースを物色し始める。確かあれ、以前藍が用意したスイカバーと交換できるチケットだっけ。

 

「はい。どうぞー」

 

「どうもありがとう」

 

 そんなチケットと引き換えにスイカバーを受け取ったしろはは、店の外に出るとすぐに袋を開けて食べ始めた。

 

「しろは、どうせなら座ったらいいのに。俺の隣空いてるぞ?」

 

「いいよ。あなたの隣とか、蒼に悪いし」

 

 ベンチの空きスペースを一瞥した後、そう言い放った。そんなこと気にしなくていいのに。

 

「……そういえばさ、しろはの食堂って今は休憩時間なのか?」

 

 しょうがないので、俺は立ったままのしろはにそう言葉を投げる。

 

「そう。ディナータイムに向けて、スイカバーで英気を養わないと」

 

 スイカバーがまるで栄養ドリンクみたいな扱いになっていた。まぁ、しろはにとっては同じようなものなのかもしれないけど。

 

「ディナータイムってことは、あの食堂、夜もやるのか。紬を雇っているとはいえ、マスターがいないと大変だな」

 

「え、なんであなたが知っているの」

 

「お昼に紬が出前持って来てくれたし、その時に色々さ……そうだ、サラダごちそうさま」

 

「べ、別にあなたのためじゃないから。それじゃ」

 

 しろははなぜか顔赤くしながら、食べかけのスイカバーを持って去っていった。せっかくだし、ここで食べていけばいいのに。何か気に障るようなこと言ったかな。

 

 

 

 

 ……それから一時間余りが経過したけど、しろは以外のお客さんはやってこなかった。

 

「ふわぁ……あふ」

 

 あまりに暇なのか、カウンターにいたはずの蒼はいつの間にか俺の隣に座って、大きなあくびをしていた。

 

「まだ眠り足りないのか?」

 

「んー、おとーさんにも言われたけど、久しぶりのお役目で疲れたのかしらねー」

 

 そう言って力なく笑う。気温の割にここはひさしがあって涼しいし、眠くなるのも分かるけど。

 

「夜には藍も一緒に山に行くんだろ? 今のうちにもう少し休んだらどうだ?」

 

「ん……じゃあ、そうする……」

 

 蒼はそう言うが早いか、俺の膝の上に頭を預けてきた。

 

「へっ!?」

 

 思わず素っ頓狂な声が出てしまうけど、蒼はそんな俺を気にする様子もなく、すぐに寝息を立てはじめた。

 

 ……ちょっと待って。こんな住宅地のど真ん中のベンチで膝枕? い、いくら島公認のカップルとは言え、なかなかにヘビープレイなんだけど。

 

 俺は思わず周囲を見渡す。いよいよ夏本番を迎えた7月の昼下がり。表通りを歩いている人はいない。

 

「ま、まぁ。今までしろは以外お客さん来なかったんだし、これからも来ないよな……」

 

 俺は息を吐きながら天を見上げる。むしろ、誰も来ないで。お願いだから。

 

 俺は蒼の柔らかい肩に手を置きながら、心の底からそう願った。

 

 

 

 

「くーださーい……な……」

 

 ……数分後。そんな俺の願いも空しく、堀田ちゃんがやって来た。俺と蒼の姿を見て、固まっている。オー、ジーザス。

 

「……堀田ちゃん、いらっしゃい」

 

 見られてしまった以上、どうしようもない。俺は開き直って、膝枕をしたまま接客することにした。まずは笑顔だ。笑顔は接客業の基本だ。

 

「……おいおい」

 

 そしたら、何とも言えない目で見られた。くそ。負けるもんか。

 

「今日はどうしたの? こんな状態だから動けないけど、欲しいものがあったらそこのザルにお金を入れて、持って行っていいよ」

 

「……駄菓子買おうと思ったけど、お腹いっぱいになったから、また来ます」

 

 ものすごく意味深な言葉を残して、堀田ちゃんは帰っていった。

 

「うう、まずい所を見られた……」

 

 相手は堀田ちゃんだし、変な噂が広まることもないだろうけど。まかり間違って藍の耳に入ったらどうしよう。枕元に夜な夜な藁人形とか置かれたりして。

 

「くーださいな……げ」

 

「ん? どうした良い……ち……」

 

 ……堀田ちゃんが帰ったと思ったら、今度はのみきと良一が来た。二人とも、驚愕の表情で固まっている。

 

「よ、よう。二人とも、いらっしゃい。今日は揃って駄菓子屋デートか?」

 

 この二人も最近になってようやく島公認のカップルになったらしく、お互いに休みの日にはこうして島内でデートしてるらしい。駄菓子屋に来るのは珍しい気がするけど。

 

「わ、私と良一もそれなりに積極的にしているつもりだが、やはり、この二人には勝てる気がしないな……」

 

「ああ。上には上がいるってわけだ。さすがに、あそこまで堂々とはできねぇ……」

 

「すまない。二人とも邪魔をしたな。ほら良一、帰るぞ」

 

「ああ……悪かったなのみき、俺がラムネ飲みたいなんて言ったばっかりによ」

 

「なに、気にするな。麦茶くらいなら、私の家でごちそうしてやる」

 

 二人は何かを悟ったような顔をした後、そんな話をしながら足早に去っていった。理由を説明する暇すらないし、何か、色々と誤解された気がする。

 

「いくら俺たちでも、日常的にこんなことしてるわけじゃないから! 今、めちゃくちゃ恥ずかしいから!」

 

 次の瞬間、俺は全力でそう弁解していた。理解してもらうべき相手の姿は既に見えなくなっていたけど。

 

「……はぁ。人の気持ちも知らないで、幸せそうな顔して寝てるなー」

 

 なんともやるせない気持ちになった俺は、意味もなく蒼のほっぺをぐりぐりしてみる。すごく柔らかくて気持ち良かったせいか、少し癒された気がした。

 

 ……それからは特にお客が来ることもなく、夕方になって蒼が目を覚ますまで、まったりとした時間を過ごしたのだった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「それじゃ、行ってきます」

 

「明日は蒼も学校だし、今日は遅くなる前に帰るってくるのよー?」

 

「わ、わかってますから!」

 

 ……そして夜。笑顔の碧さんに見送られて、藍を含めた三人でお役目のために山へと向かう。その入口には昨日と同じようにイナリが待ってくれていた。

 

「よう、イナリ。今日もよろしく頼むな」

 

「ポン!」

 

「本当にイナリちゃんが道案内してくれるんですね」

 

 自信ありげに鳴くイナリを見ながら、藍がそう言う。ちょっと色あせているけど、藍も蒼と同じ巫女服を着ていた。

 

「いいでしょう? 蒼ちゃんとお揃いですよ」

 

 俺の視線に気づいたんだろう。藍は本当に嬉しそうにその場でくるりと回った。

 

「それじゃ、ちょっと準備をするわねー」

 

 そう言うと蒼は地面にしゃがみ込み、昨日と同じように火打石で灯篭に明かりを灯し始めた。

 

「……こんなこと聞くのは野暮かもしれないけどさ、藍は夜の山が恐くないのか?」

 

「……それはもちろん怖いですけど、蒼ちゃんと一緒なら平気です」

 

 その時を見計らって、藍にこっそりと聞いてみたら、そんな答えが返ってきた。

 

「それに、蒼ちゃんが一緒にお役目に行こうって誘ってくれて、すごく嬉しかったんです。そのお誘いを、私が断ると思います?」

 

「いや、思わないよ。変こと聞いて悪かったな」

 

「構わないですよ」

 

 母親の使っていた巫女服に袖を通した藍は不思議と自信に満ち溢れて見えた。これなら、大丈夫かも知れない。

 

「……よーし、準備かんりょー。それじゃイナリ、よろしくねー」

 

 そんなことを考えていると、準備が終わったみたいだ。蒼は優しげな明かりのついた灯篭を手に立ち上がる。

 

「あたしとイナリが先頭を行くから、藍はその後ろね。羽依里は一番後ろからついて来て」

 

「わかった」

 

「はい。蒼ちゃん、よろしくお願いします」

 

 俺たちは三人と一匹で列を作りながら、慎重に夜の山へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 昨日と同じように月明かりすら届かない中、イナリを先頭にして歩く。俺は前を歩く姉妹を見ながら、しんがりを務めていた。

 

「藍、いい? 夜の山は危険なんだから、あたしから離れないでね」

 

「はい。蒼ちゃん」

 

 お役目に関しては蒼の方が一日の長があるし、藍に対して珍しく先輩風を吹かせていた。

 

「あたしと羽依里は七影蝶が見えるから、もし七影蝶が近くに来たら声をかけるわ。万一にも、触ったら大変なことになるし」

 

「わかってます。時々蒼ちゃんが寝言で突拍子もないことを言っていたのを覚えてますから」

 

「え? あたし、何言ってたの?」

 

「秘密です。もう、ドキドキでしたよ」

 

「……ちょっと藍。その話、俺も知らないんだけど」

 

「そんな目で見ても、教えてあげませんよ」

 

 すごく気になったので会話に入ってみたけど、藍は俺の方をチラ見しながらほくそ笑むだけで、教えてくれなかった。

 

「……よし。それじゃ交換条件だ。あそこに草藪があるだろ? 実はあの奥で二年前に蒼とさ……」

 

「わーーー! わーーー! それ以上は言っちゃ駄目です―ーー!」

 

「ははぁ。外じゃ恥ずかしいって、そういうことですか。二年越しの疑問がようやく解けましたよ」

 

 俺の言葉は蒼によって遮られてしまったけど、藍にはその意図が通じたらしい。目を細めながら、うんうんと頷いている。

 

「と、とにかく! 夜の山は七影蝶がいなくても危険なんですーーー! 虫は多いし、猪とかも出るから危ないんですーーー!」

 

 蒼は慌ててそう取り繕っていたけど、もはや先輩らしさはどこかに行ってしまっていた。すっかりいつもの蒼だった。

 

「それじゃあ藍、俺も秘密を話したんだしさ。さっきの話を詳しく……」

 

「残念でした。教えてあげませんよ」

 

 まるで鴎みたいなことを言いながら、べー、と舌を出されてしまった。俺としてはそれなりに恥ずかしい秘密を話したって言うのに。なんか悔しい。

 

 ……そのせいか、ちょっとした悪戯心が浮かんだ。少し、藍を怖がらせてやろう。

 

「あ! 藍、お前の後ろに七影蝶がいるぞ!」

 

「えっ!? ど、どこです!?」

 

 藍はそんな俺の言葉を真に受けて、キョロキョロと自分の周りを見渡す。

 

 いくら見渡したところで、藍に七影蝶は見えないんだけど。七影蝶がいるなんて、もちろん嘘だ。

 

「嘘だよ、冗談だ」

 

「……は? じょ、冗談だったんですか……? 羽依里さん、たばかりましたね……!」

 

 よほど驚いたんだろう。藍はへなへなと地面に座り込んでしまった。

 

「……ちょっと羽依里、悪い冗談はやめたげて。藍がかわいそうでしょ」

 

「ご、ごめん」

 

 ちょっとした優越感に浸っていたら、蒼から注意されてしまった。ちょっとやりすぎたかな。

 

 

 

 

 ……その後、山の中腹辺りで何匹かの七影蝶を見つけた。

 

 今度はしっかりと周囲を警戒して、イナリを含めた二人と一匹で藍を守るようにしながら七影蝶を集めていった。

 

「……うん。だいぶ集まったわねー」

 

 灯篭の淡い光に導かれるように、小さな七影蝶がひらひらとその周囲を舞っている。

 

「本当に今、この灯篭に七影蝶が集まってるんですか?」

 

「そうよー。今度は本当にいるから、あまり手を伸ばしちゃ駄目だかんね」

 

「は、はい……」

 

 ……やっぱり、藍には七影蝶が見えてないみたいだ。

 

「……分かってはいましたけど、私だけ見えないなんて。悔しいです」

 

 藍はなんとかして七影蝶を見ようと、じっと灯篭に目を凝らしていたけど、どうしても無理みたいだった。

 

 

 

 

 ……そんな藍をなだめながら、神域を目指して再び山道を進む。

 

 イナリと蒼を先頭に、藍、俺。歩く並びは変わらないものの、さすがに疲れてきたのか、全員無言。草を踏みしめる音と、周囲の夏虫の鳴き声だけが静かに響いていた。

 

「ふぅ……」

 

 その時、俺の前を行く藍の肩が少し震えている気がした。ああ言ってたけど、やっぱり昔のことを思い出してしまってるんだろうか。

 

「……藍、大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫です。いくら夏でも、夜の山の中は冷えますね。蒼ちゃん、手を握ってもいいですか」

 

「へ?」

 

 藍はそう言うと、蒼の返事も待たずにその左手を握る。

 

 確かに汗もかいているだろうけど、これは彼女なりの強がりなのだと納得し、俺も乗っかることにした。

 

「そうだな。俺も寒くなってきた。蒼、くっついていいか?」

 

「だめに決まってるでしょー」

 

「ちょっと藍、あたしの声真似しないでよ」

 

「そ、そうだぞ。本当に似てるからやめてくれ。蒼に言われたみたいで、傷つく」

 

「ふふっ……しょうがないですね。イナリちゃん、くっついてあげてください」

 

「ポン!」

 

 藍にそう言われて、イナリが俺の足元にぴったりくっついてきた。歩き辛いけど、これはこれで確かにあったかい。

 

「ほら、そしたらイナリちゃんと一緒に先頭を歩いてください」

 

 そして藍に促されるまま、俺はイナリと一緒に列の先頭に立つ。まぁ、この位置なら前から七影蝶が来たらすぐにわかるし、別にいいけどさ。

 

 

 

 

 ……それから更に10分ほど歩く。草の匂いもますます濃くなってきたし、そろそろ神域も近いはずだけど。

 

「ところで蒼ちゃん、またお胸大きくなったんじゃないですか?」

 

「へっ?」

 

 前方と足元に気を配りながら慎重に進んでいると、背後からのそんな会話が耳に飛び込んできた。

 

「も、もしかしたら、まだ寝てる時に藍がいっぱい揉んでくれたのかも……ねー……」

 

「……揉んだのは私だけじゃないかもしれませんけど」

 

 う。背後からの視線が痛い。というか、俺はやってないから! あの頃は、寝込みを襲うなんて度胸なかったし!

 

「そ、そう言う藍こそ、またおっきくなったんじゃない? そろそろ大台突破しそうだし」

 

 蒼もその話に乗っからないで。二人の胸のサイズなんて普段意識してないけど、今日みたいに巫女服姿だとどうしてもその、帯位置の関係で胸が強調されるし。

 

「できたら蒼ちゃんと同じサイズが良いんですけど、どうしてこうなるんでしょうか」

 

 背後で布をまさぐるような音がする。やめて、変な想像しちゃうから。

 

 二人とも、俺が一緒にいること忘れてるんじゃないだろうか。かといって、ここで振り向いて会話に入るのも変だし、どうしよう。

 

「……羽依里さん、何さっきからチラチラこっちを見てるんです?」

 

「み、見てないから!」

 

 その時、まるで心を見透かされたようにそう言われ、俺は思わず振り返る。

 

「なにより、唐突にそんな会話を始める二人が悪……あれ?」

 

 ……すると振り返った先。藍のすぐ後ろに淡い光が見えた。

 

「……え、七影蝶?」

 

 いつの間にそこにいたのか。藍の背後にいたそれは、ひらひらと舞いながら、ゆっくりと藍の方に近づいていく。

 

「あ、藍の後ろに七影蝶がいるぞ! 右に避けろ!」

 

「……またそんなこと言って。今度は騙されませんから」

 

 俺は思わず叫ぶけど、藍は腰に手を当てて呆れ顔だ。しまった。信じてない。

 

「いや、今度は本当に……ええい、藍、ごめん!」

 

「きゃ!?」

 

 説明している時間はないと判断した俺は飛ぶように山道を駆け下りて、そのまま藍を突き飛ばすようにして庇う。

 

「あ……」

 

 ……その直後、俺の鼻先に七影蝶が触れ、視界が白く染まる。

 

 

 

 

 ……続いて見えてきたのは、断片的な鳥白島の風景だった。

 

 ……なんだろう。それにしても視界が低い。これ、まるで子供の目線だ。

 

「はじめまして。ーーです」

 

 しかも、見える季節は決まって夏。俺が以前見たことある七影蝶の記憶は多少の偏りはあっても、その人が生まれてから死ぬまでの、人生の記憶を一気に見せられる感じなんだ。

 

 一方でこの記憶は、常に夏が繰り返されていた。そしてひたすらに、同じ人を追いかけている。

 

 誰だろう。よく見ようとするけど、目の前に現れる景色は断片的で、途切れ途切れ。あまりにも不完全だった。

 

 

 

 

「……里! 羽依里! 戻ってきて!」

 

「羽依里さん!」

 

 ……そして気がつくと、同じ顔が俺を覗き込んでいた。どうやら七影蝶の記憶を見た後、俺は気を失って地面に倒れていたらしい。

 

「羽依里、あたしがわかる!?」

 

「あ、ああ。わかるし、平気だよ」

 

 俺はゆっくりと身体を起こす。少し頭がクラクラするけど、以前に比べて随分精神的なショックが少ない。理由はわからないけど、大丈夫みたいだ。

 

「……ごめんなさい。私を庇ったせいで」

 

 そんな中、藍は未だ俺の手を握って、泣きそうな顔をしていた。

 

「いや、最初に冗談でもあんなこと言った俺が悪いんだよ。藍は悪くないから、そんな顔しないでくれよ」

 

 俺がなだめるように言うと、ようやくその手を離してくれた。本当、俺が軽率な冗談を言ったのが原因だし。藍に非はない。

 

「……ところでさっきの七影蝶、どんな記憶だったの?」

 

「うーん。それが、よくわからないんだ」

 

 蒼からそう聞かれたので、俺はさっき見た七影蝶の記憶について二人に話して聞かせた。

 

「……その記憶、あたしも見たことあるかも」

 

「え、そうなのか?」

 

 そしたら、予想外の返事が返ってきた。同じ七影蝶の記憶を見ることとかあるんだ。

 

「まだ羽依里と出会う、ずっと前の話だけどね。どうしてか、羽依里の話を聞くまですっかり忘れてたけど」

 

 ……あれ? 七影蝶の記憶って、一度見たらずっと覚えてるものじゃなかったっけ。

 

 でも、蒼の場合は一度たくさんの七影蝶が飛び出したこともあるし。そういうこともあるのかもしれない。

 

「……まるで、夏の迷い子みたいな記憶だったな」

 

 思い出せば思い出すほど、さっきの七影蝶の記憶はすごく儚い感じがした。

 

 一方で、その記憶はたった一つの、強い思いの元に集約されている気がする。

 

 

 ……チャーハン。

 

 

「……なぁ蒼、帰ったらチャーハン作ってくれないか?」

 

「へっ? 食べたいの?」

 

「ああ。なぜか無性に食べたくなったんだ。今なら、蒼が作ってくれた大盛チャーハンでも食べられそうな気がするよ」

 

「お夜食の催促ですか? まったく、羽依里さんは食いしん坊ですね」

 

「ポン!」

 

「い、いいじゃないか。藍も蒼のチャーハン、食べたくない?」

 

「そ、それは食べたいですけど。お夜食はちょっと……太りますし」

 

 ……気がつけば、すっかりいつもの俺たちに戻っていた。さっきまでの空気がまるでウソのようだ。

 

「ほらほら、チャーハンも良いけど、まずはお役目を終わらせるわよー」

 

「ポーン!」

 

 そしてイナリと蒼に一喝されて、本来の目的を思い出す。もう少しだし、ちゃんとやり遂げないと。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……それから程なくして、俺たちは神域へと辿り着いた。

 

 そして藍にレクチャーをしながら、一緒に灯篭を祠へと納めて祈りを捧げ、七影蝶を御神木へと移す。

 

「これで朝になったら、七影蝶は消えちゃうの」

 

「そうなんですね」

 

 七影蝶は見えていないんだろうけど、藍は蒼と同じように空門の御神木を見上げていた。

 

 それにしても、神域に来てからの一連の動作を見ていたら、藍も立派に空門の巫女をやっていた気がする。もしかして、昼間に樹さんから何か手ほどきを受けていたのかもしれない。

 

「……今日、一緒に来て良かったです。七影蝶は見えませんけど、蒼ちゃんの頑張ってる姿は見れましたから」

 

「あたしも藍と一緒にお役目が出来て良かったわ」

 

 そして一連のお役目が終わった後も、二人は迷い橘の根元に腰掛けて話をしている。俺とイナリは少し離れたところから、その様子を眺めていた。

 

「……あとね。どうしてもここで、藍に一度ちゃんと謝りたかったの」

 

「謝る……何をですか?」

 

 そんな姉妹の様子を見ていたら、急に蒼の表情が曇った。

 

「……子供の時、藍が事故に遭ってしまったあの日のこと。あたし、ずっと藍に謝りたかった」

 

 そして視線を下に向けながら、小さな声でそう続ける。

 

「……あの日、藍はあたしを心配して山の中に来てくれたのに、ひどいことをして、傷つけてしまって、ごめんなさい」

 

 ……俺の中にも蒼の記憶があるから、その言葉が何を表しているのかわかる。

 

 光る蝶を探して山に入ったのに、見つけられずにいたところに藍がやってきた。

 

 藍が来てくれた嬉しさと、光る蝶を見つけられなかった悔しさが入り混じって、結局藍が差し伸べた手を振り払ってしまったこと。

 

 その結果、あの事故が起きて、藍が何年も眠ることになってしまったこと。蒼はそれをずっと謝りたかったんだろう。

 

「あたしのせいで、こんなことになってしまって。何年も眠ることになってしまって。藍は恨んでるかもしれない。許してくれないかもしれない。どんなに怒られても、嫌われても良いから、藍に謝りたかったの」

 

 蒼は藍の胸に顔をうずめるようにしながら、何度も謝罪の言葉を口にしていた。

 

「……たとえどんな目に遭っても、私が蒼ちゃんを嫌いになるはずがない」

 

 そんな妹の謝罪の言葉を最後まで聞いて、藍は優しく蒼を抱きしめる。

 

「あの日、私が蒼ちゃんを追いかけたのは、蒼ちゃんが見たという光る蝶を、私も一緒に探したかったから」

 

「それでも見つからなかったら、一緒に帰って謝ろうと思っていた。蒼ちゃんが嘘つきになるのは嫌だったから」

 

 ……なんとなく、藍の口調が変わってる気がする。おのずとあの頃の口調に戻ってるんだろうか。

 

「だから今日、一緒に探せてよかった。私が大好きな蒼ちゃんは、私の大切な妹は、嘘つきじゃない」

 

「……ありがとう。お姉ちゃん」

 

 長年抱えていた不安が消えて、心からの笑顔になった蒼を藍が優しく抱きしめる。

 

 直後、そんな二人の頬に光るものが見えて、俺はイナリと一緒にひっそりと身体の向きを変えた。

 

 

 

 

 ……それから二人が落ち着くのを待って、俺たちは神域を後にした。

 

 山に入った時と同じように、イナリが先頭。蒼と藍がそれに続き、俺が最後尾という並び位置。

 

 しっかりと手を繋いで前を歩く姉妹を見て、その絆はこれまで以上に強固なものになったと、俺は確信していた。

 

 

 

 

 

第八話・完




第八話・あとがき


皆さん、おはこんばんちわ。トミー@サマポケです。

今回は7月中旬のお話ということで、ようやく本格的な夏が近づいてきました。

そんな中、羽依里君は空門家に生活の場を移し、さっそく藍の下着姿を拝むというラッキースケb(何か飛んできた)

……いえ、一風変わった同棲生活を満喫しています。両親とも良い関係を築いているようですし、幸先良いですね。


そして鳥白島全体を見ても、スイカバーが売り出されたり、鴎がやってきたりと、少しずつサマポケらしさを出せるようになってきました。次回は夏休み全開になる予定ですので、楽しみにされてください。

また、今回から空門のお役目も始まりましたが、作中後半に羽依里君が触れた七影蝶は、うみちゃんの七影蝶です。この記憶は蒼も見ている(公式SSより)ので、おのずと二人はうみちゃんの記憶を共有したことになります。

こんな風に七影蝶のネタをガッツリと本編中に盛り込めるのは蒼アフターの特権だと思っていますので(既に羽依里君も蒼の記憶を持っていますし)、この特異性はこれから先の話でも生かそうと考えています。

では、今回のあとがきはこの辺りで。
一言感想や評価など頂けましたら、次話執筆への活力になりますので、よろしくお願いします。

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