こちら葛飾区亀有公園前鎮守府   作:めんづくり

13 / 13
よみがえれ! 二航戦の翼②

『ワシの爺さんだぁぁぁ!』

『ええぇぇぇっ!?』

 

こうして両津の提案により開始された乗組員探しは、一分も経たぬうちに思わぬ形で急激に進展することとなったのだった。

 

後日、佃大橋で待ち合わせるという約束を取り付けた両津らは、予定通りにその場所へと足を運んだ。少し余裕をもって出発したこともあり、まだ相手は到着していないようだ。

 

「はぁ…なんか緊張してきちゃった…結局いつもの格好で来ちゃったけどよかったのかな?」

「なんだ、礼服でも着てくるってか?ウチの爺さんなんかそんな上等なモンじゃねぇよ」

「でももう百歳を超えてる人なんだよ?それなのにわざわざ出向いて貰うってだけでも申し訳ないのに…」

「お前あの爺さんの事、車椅子に乗ったヨボヨボなのを想像してるだろ」

「えっ、違うっていうの?」

 

彼女の頭に浮かんでいたのは、肌は干上がった土のようにシワに覆われ、肢体を動かすのにも苦労しているような……所謂、年相応の老人の姿だ。

 

「まぁいい。説明するより現物を見た方がいいだろ」

「…おーい!勘吉!」

 

ハリのある声の方へ目をやると、モスグリーンのアメリカンバイクを駆り、こちらに手を振る男の姿があった。

 

「おっ、噂をすれば来やがったな」

「来たって…まさか」

 

声の主はバイクを路肩へ寄せると、ヘルメットとサングラスを徐に脱いでみせた。

 

「よお勘吉!久しぶりだな。病気などしとらんか?」

 

声の主はやはり両津の祖父、勘兵衛だった。というか普通それを聞くのは孫の方だと思うが、どう見てもいらぬ心配であることは疑いようもない。

 

「分かっちゃいたが相変わらずピンピンしてやがるな」

 

齢百歳を越えていながらも、服装は真っ赤な柄のシャツに膝上の短パンという、そこらの若者より若者らしい出で立ち。

これだけでも十分にヤングすぎると言えるかもしれないが、そこへきて単車を乗り回している老人など前代未聞だ。

 

「それにしても勘吉、わしゃ嬉しいぞ!こんなかわいいギャルを紹介してくれるなんて…うっ…ワシはいい孫を持って幸せじゃ…!」

「んな事で泣くなこのスケベじじい!…色々とツッコミたいがその前に確認だ。爺さん、あんた昔飛龍の搭乗員だったって本当か?」

「ああ。真珠湾攻撃の時からミッドウェーの時までずーっと乗っておったわ。なんじゃ、前に話さなかったか?」

「やっぱりか!おい聞いたか、お前の言ってた奴はこの爺さんだ!」

 

飛龍は改めて老人の顔をじっと見つめる。彼女の瞳に映るのは、白く少なくなった髪と、細くなった手足、曲がった腰……どこをどう見ても記憶の人物とは程遠い。

 

────それでも

 

「ハァイ、ワシ勘兵衛。お嬢さん、ワシの陸王で横羽あたりまでツーリングでもせんかの?」

「勘兵衛…なの…?」

「へっ…?」

 

プレイボーイ…もといモボを自称する勘兵衛。数多の女性をナンパしてきた彼だが、今目の前に立つ彼女の視線は、今までの誰とも違っていた。

 

「あ、あの、確かにワシは勘兵衛だが…それが何か───

 

そして彼の言葉が終わらぬ内に、飛龍の両腕が身体を包み込んだ。

 

「本当に勘兵衛なんだ…!会いたかった…」

 

こうして感動の再開になる───はずだったのだが、勘兵衛は彼女の突拍子もない行動に驚きつつも、ちゃっかり彼女にお触りを敢行しようとしている辺りに、えも言われぬ図太さを感じてしまう。

 

「そ、そうか…!そんなにワシに会いたかったか!」

「うん…会いたかったよ…」

「おぉっ…こりゃたまらん…!いやぁ、ワシもまだまだ捨てたもんじゃないのぉ!」

「ったく、鼻の下伸ばしやがって…いい加減俗な煩悩を捨てろ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「何、お主艦娘の提督をやっとるのか!」

「まぁな。…っておい爺さん、艦娘を知ってるのかよ?」

「ちょいと野暮用で国防省のコンピュータに侵入してな。そこの機密文書に書いてあったんじゃよ」

「何をやってんだよアンタは…」

 

類まれなる経歴と持ち前の器用さで、レシプロ機の修理からハッキングまでお手の物。破天荒でむちゃくちゃな両津勘吉の生き様は、確実にこの男の血筋であることが伺い知れる。

 

「ということはもしやこの娘が…」

「そういう事だ。それも爺さんの乗ってた船のな」

「なんと!それじゃお主…」

「うん…私、飛龍だよ…!」

「おお、飛龍!飛龍か!」

 

半世紀ぶりとなる友人との再開に、改めて互いに手を取り合う両者。時の流れは無情にも二人の姿を変えてしまったが、互いを想う心は錆び付いていなかったのだ。

 

「ワシのこと…覚えておるのか?」

「もちろん、忘れる訳ないよ!」

「おぉそうか!いやぁ、もう六十年以上前にもなるかのぉ……まさかギャルの姿で再開するとは思わなかったぞ」

「私も勘兵衛がこんなに元気だとは思わなかったよ!」

「ほっほっほ!まだまだやりたい事が残ってるからな。まだまだ死ねんわ!…おっ、そうじゃ!飛龍よ、何か食いたいもんはあるか?なんでも奢ってやるぞ」

「えっ、でも悪いよ」

 

実の孫に会った時にはせびりまくる彼だが、余程気を良くしたのか珍しいことを言い出した。

 

「いいからいいから!いい鰻の店を知っとるんじゃ。勘吉、ちょっくら飛龍を借りていくぞ!」

「あ、おいちょっと待て!」

 

どんどん話を進めてしまう勘兵衛。両津の制止も何処吹く風と聞き流し、勘兵衛は飛龍を後ろへ乗せるとスロットル全開、一瞬で市街地の方へと走り去ってしまった。

 

「じゃあな勘吉!帰りはワシが送るから安心しろ!」

「コラ!勝手に話を進めるな!というかワシにも鰻食わせろぉっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バイクって初めて乗ったけど、凄く早いんだね!」

「ハッハッハッ!ワシのライティングテクニックならこのぐらい朝飯だ!」

 

勘兵衛の駆るバイクは、慌ただしく行き交う車の隙間を右へ左へすり抜けてゆく。顔に当たる潮風を切る爽やかな感覚は、さながら海を滑っている時のようだ。

 

「ありがとう勘兵衛!鰻、とっても美味しかったよ」

「そうかそうか、そりゃあよかった!」

 

晴れやかな笑い声を放つ勘兵衛。昔から若々しいというか、子供みたいな人だったけれど、お爺さんになった今でも雰囲気は全く変わっていない。…いや、むしろ遊び人具合に磨きがかかってるような気さえしてくる。

でも、そんな彼が今は無性に嬉しくて。自分の口角が自然と上がってゆくのをはっきりと感じていた。

 

「ねぇ、これからどこへ行くの?」

「ふむ…どこか行きたい所はあるのか?」

 

行きたい所……考えてみたけれど、これと言った場所は特に思いつかない。今まで遊びに出たことなんて殆どないし、そもそも東京に来たのもつい最近の私にとって、ここはまさに未知なる大地なのだ。

 

「うーん、私この辺に詳しくないし、勘兵衛に任せるよ」

「そうか。ならゲーセンに行こう!」

「げ、げーせん?」

 

聞きなれない言葉に首を傾げていると、彼はゲームセンターの略語だという事を説明してくれた。とはいえ、自分に縁のない所である事には変わりないのだが。

正直未体験の場所へ行く事に若干の不安を覚えたが、それは杞憂に終わることになった。

 

 

「くうっ…負けるかぁ!」

「頑張れ飛龍!もう少しじゃ!」

 

クレーンゲームにメダルゲーム…そして今はガンシューティング。最初はそれらが生み出す音の海に驚いたけれど、30分もするとすっかりこの喧騒にも馴染んでしまい、すっかり画面にかじりつくようになっていた。

 

「やった!記録更新だって!」

「やるのぉ飛龍!初めてとは思えん腕前だ!」

「ふふっ、勘兵衛のおかげだよ」

 

聞けば勘兵衛はいくつもベンチャー企業を立ち上げたらしく、中にはなんとゲーム会社まで持っているらしい。ひとしきり店内の中を遊び尽くした私達は、周りの小学生の喝采を浴びながら店を後にしたのだった。

 

「よし!次はどこへ行こうかのぉ」

「あっ、そうだ。ねぇ勘兵衛、私一つだけ行きたいところがあるんだけど…いいかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飛龍達と別れた両津は、とりあえず腹を満たそうと近くの定食屋にやってきていた。到着するや否や、カツ丼、チャーハン、ラーメンと、男が好きそうなメニューを片っ端から注文してゆく。

 

「ヒッヒッヒッ、今日は大淀の奴から金借りてきたからな。腹いっぱい食えるぞ」

 

自身の苦い経験からおいそれと両津に金を貸さない彼女だが、どうやら今日は飛龍と提督の祖父のためと言われ断れなかったらしい。してやったりの両津は悪意に満ちた笑みで財布の中の一万円札を愛おしそうに眺めていた。

後は料理が運ばれてくるのをふんぞり返って待つばかり……そんな時、ポケットの携帯が体を揺らした。

 

「はいもしもし……ん、なんだ纏か。何か用か?」

『勘吉!なんだじゃないよ!お前のせいでこっちは大変なことになってるんだぞ!』

 

電話の向こうから大声を上げたのは、同じ葛飾署の擬宝珠纏。江戸っ子気質なところが両津とウマが合い結婚寸前まで話が進んだこともあったが、両津とは又従兄弟であることが発覚、さらに両津の銭ゲバさに呆れ破談となっている経緯がある。

 

「おいおいなんの事だ?ワシは知らんぞ」

「お前の爺さんが若い女の人連れてウチに来てるんだよ!しかもそこへ婆ちゃんが帰ってきちゃって店中大騒ぎなんだ!」

「なっ、何ぃ!?」

 

 

「勘兵衛っ!ウチの店の寿司をタダ食いするとは何事だ!今日こそこの刃の錆にしてくれるわ!」

「だから違うと言っとるだろうがぁ!」

 

纏のSOSに駆けつけた両津の目に飛び込んできたのは、店内を走り回る勘兵衛と、それを血まなこで追いかける老婆の姿だった。

 

「だありゃあぁぁっ!」

「ひいっ!」

 

部屋の隅においつめられた勘兵衛に、六尺はありそうな大薙刀が迫り来る。なんとか頭を抱えて回避したものの、野太い風切り音は恐怖を煽り立ててくる。

 

「あーあ…こりゃまた派手にやってやがるなぁ」

「あっ、提督!」

「おお飛龍、やっぱりお前も一緒だったか。にしても一体なんでここに…

「う、うん。実は───

 

 

 

『何?妹に会いたいじゃと!?』

『うん。ほら、昔よく妹さんの話してたじゃない』

『そ、そうだったか?そんな昔のことよく覚えてるのぉ……いやしかし夏春都はなぁ…』

『もしかして身体の調子が悪いとか?』

「ああいやそういう訳では無いぞ。ワシ同様ピンピンしとるはずだ。しかしのぉ…」

「じゃあ行こうよ!顔を見れればそれでいいからさ」

 

 

 

 

 

 

「それでこの有様という訳か…」

「ねぇ提督、どうして二人はあんなに喧嘩してるの?」

「ああ…うちの家系は代々佃煮屋をやっていてな。ある時仲見世に支店を出すことになったんだが、それをあの二人に任せたんだ。ところが爺さんはあの性格だろ?面倒な仕事は夏春都にやらせて自分は遊び放題だった訳だ。しかも最悪なことに夏春都が擬宝珠家に嫁いだ途端、その店を潰しちまったんだよ」

「そ、そんなことが…」

「それ以来、両津家と擬宝珠家の間には確執が生まれてしまったという訳だ。…それにしても───

 

「もう逃げられはせんぞ!神妙にしろ!」

「お前いい加減しつこいぞ!」

 

「これが百歳越えの年寄りの動きかよ…」

 

戦国武将も舌を巻きそうな武芸を披露する夏春都に、それを華麗に回避する勘兵衛。縁側でほのぼのとお茶を啜る一般的な老人とはえらい違いである。

 

「ワシだって来たくて来た訳じゃないわ!勘吉がここならタダで寿司が食えるというから仕方なく…」

「コラじじい!適当なホラを吹くんじゃねぇ!」

「勘吉!やはりお前の差し金じゃないかぁぁ!」

「違ぁぁう!ワシじゃない!」

 

冤罪もいいところだが、こうなったら弁解などするだけ無駄というもの。夏春都は鬼の形相で勘吉をロックオン、文字通り地獄の鬼ごっこの開幕である。

 

「待て勘吉!大人しく罪を認めろ!」

「だからワシは何も知らんと言ってるだろうがぁ!」

「提督…!ど、どうしよう…」

「心配しなくても大丈夫だよ。あれは二人にとってスポーツみたいなもんだから」

「そ、そうなんですか?」

 

とてもそうは見えないが、自分にはどう頑張っても止められる気がしないので、飛龍はとりあえず纏の言葉を信じることにしたのだった。

 

「それよりアンタ、勘吉が左遷させられた所の人だろ?お茶ぐらい出すから上がっていきなよ」

「いいんですか?」

「ああ。大したもんはないけど、この時間なら店の方も暇だしね。…おーい、婆ちゃんも程々にしといてやりなよ」

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…死ぬかと思った…」

「よう、おつかれじゃったな勘吉」

 

命からがら生還した勘吉を労う勘兵衛だったが、見れば言葉とは裏腹に責任を擦り付けた事などすっかり忘れ、呑気に片膝をついて茶を啜っているではないか。

「このクソジジイ!てめぇのおかげで死にかけたじゃねぇか!」

「まぁまぁそう怒るでない。夏春都だって本気なわけないじゃろ」

「あの目は殺す気だったぞ…!」

「うるさいね!いちいち騒ぐんじゃないよ!…で、そちらの若い子はどなただい?」

 

両津達の声を一喝して遮ると、いつもの怪訝そうな目で飛龍を見る夏春都。ひとしきり暴れてストレスを発散したおかげか物凄く不機嫌という訳ではなさそうだが、貫禄のある面持ちに思わず身体が引き締まる。

 

「あっ…申し遅れました。私、両津さんの部下の飛龍です」

 

語弊を生む表現かもしれないが、艦娘の情報はあくまで機密情報。勘兵衛には流れで話してしまったが、これぐらいぼかしておくのがいいだろう。

 

「ほーう、勘吉の部下かい。そりゃまぁ大変だね」

「どういう意味だ夏春都!」

「聞いた通りの意味だよ。…それで、ウチに何か用かね?」

 

夏春都の質問に、飛龍はわずかながら不意をつかれてしまう。艦娘の事を隠しておく以上、勘兵衛との接点などは話すことは出来ない。しかしだからといって『顔を見たかっただけ』などと口にしても、それでは赤の他人の顔を見に来ただけという事になり、変人扱いは避けられないだろう。

 

(うーん、どうしようかな……あっ、そうだ)

 

「実は私、古い歴史とかに興味があって色々調べてるんです。それでご長寿の夏春都さんにお話を聞けたらと思いまして」

「へぇ、若いのに感心だね」

 

少し抽象的な説明になってしまったが、特に不審がられることもなく会話は続いた。

 

「だけど昔って言ってもねぇ。あたしゃ長いこと生きてるから色々ありすぎるよ。勝鬨橋が完成した頃ぐらいかね?」

「何言っとる、勝鬨橋なんて最近じゃろうが。昔と言ったらせめて帝国劇場や国技館できた頃とか、米騒動の頃だろう」

「…なぁ勘吉、勝鬨橋っていつからあったんだ?」

「ワシがガキの頃にはとっくに完成してたぞ。全くとんだ妖怪老人共だぜ…」

 

あーでもないこーでもないと、教科書でしか見ないような出来事を羅列する二人。艦娘が軍艦として誕生した時よりもさらに数十年前に生を受けた二人にとっては、昭和すらもつい最近の出来事なのだろう。

 

「でもまぁ、一番記憶に残ってるのは戦争の時かねぇ」

 

夏春都の口からぽつりと零れた何気ない言葉に、飛龍の背が僅かに揺れた。

 

「アタシが生きてる間に日本は三回も戦争したけど、毎度ろくなもんじゃなかったね」

「そうか、そういや夏春都も戦時中の日本を生きてきたんだよな」

「悲惨なもんさ。街は焼け野原になっちまうし、夫も軍隊に取られちまってね」

「取られたって…それじゃあ…」

「あぁ、太平洋戦争の時にね。戻ってくるって行って出ていったけど、それきりだったよ」

「そう……だったんですか」

 

湯呑みを傾けながらさらっと言ってみせる夏春都だが、内容が内容なだけに話を聞いていた者達は一様に口を噤んでしまう。

 

 

 

そんな中、ふと勘兵衛の視界に飛龍の顔が映った。

 

「飛龍…?」

 

場の空気を考えれば当然。そう言ってしまえばそれまでかもしれないが、彼女の悲哀に満ちた表情が、妙に脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「纏、夏春都、邪魔して悪かったな。また金が足りなくなったらバイトしに来るから」

 

公務員が平然とアルバイト宣言する様に呆れつつも、二人は気のない返事を返した。

 

「さてと、鳳翔達が飯作って待ってるだろうし、早いとこ鎮守府に帰ろう」

 

なんだかんだで昼飯を食べ損ねた彼の腹の虫は、先程から恥も外聞もなく悲痛な叫びを上げている。そんな二人の背中を、ギリギリになって勘兵衛は呼び止めた。

 

「…あぁ勘吉、ちょっと待ってくれ」

「ん?どうした爺さん」

「すっかり忘れとったが、最後に二人で行こうと思ってたところがあるんだ」

「勘兵衛…?」

 

突然の提案に、飛龍は提督の顔色をうかがう。正直な所両津としては少しでも早く戻りたいところだが、今日は他でもない飛龍の為の日。彼女の意思を優先することにしたのだった。

そうして勘兵衛に連れてこられたのは、徒歩で数十分の場所にある遊園地。こじんまりとしてはいるが、海の見えるなかなか美しい場所である。

 

「ここって…」

「なんだ、行きたい所ってのは遊園地かよ」

 

日も落ちかけ、人もまばらになってきた遊園地。愉快な音楽を後目に、帰ろうとする客たちの流れに逆らって三人は奥へと進んでゆく。

 

「おお、これじゃこれ!」

「これって…観覧車?」

「今のアベックはみんなこういうのに乗っとるじゃろ?ワシも可愛いギャルと乗ってみたいと思ってたんじゃ!」

「あのなぁ…」

「勘吉は下で待ってろよ。むさい男が乗ったら雰囲気が台無しだ」

「悪かったなむさい男で!」

 

反射的に反論してしまったが、周囲を見渡してもカップルや子供連れの家族ばかり。いい大人が老人と乗り込む空気ではなかった。

 

「よし、早速乗るぞ飛龍!」

「う、うん」

 

言われるままに乗り込んだ飛龍。高度だけなら遊園地でも一二を争う乗り物だが、それよりも景色の美しさに目が行ってしまうため、思っていたほどの恐怖感はなかった。

 

「いやぁ、今日は楽しかったのぉ!」

「私も久しぶりに外に出れて楽しかったよ。それに勘兵衛も元気でいてくれて…安心したよ」

「ハッハッハッ!そうかそうか!それにしても昔の戦友が今でも日本の海を護ってくれるとは…ワシも元乗組員として誇らしいわい」

 

日の目を浴びない私達の仕事。普通なら嬉しいはずのその一言が、私の胸には深く突き刺さった。

 

「……アハハ。だったら良かったんだけどね」

 

やろうと思えば、嘘でつき通すこともできた。他の空母にも負けない大活躍だ、陸のみんなを守ってみせる…と。そうすれば彼はきっと笑ってくれて、私もそれが嬉しいはずで。実際、喉元まで言葉は出かかっていた。

 

───でも

 

「私ね、戦えないんだ」

 

いよいよとなって口から発せられたのは、情けないくらい正直な、嘘偽りのない言葉だった。

 

「だからずっと僻地に飛ばされてて…こっちに来たのもつい最近なんだよ」

 

今日勘兵衛と会うことになった経緯から始まり、記憶のこと、艤装が使えないこと、蒼龍や鳳翔さん達にいっぱい迷惑をかけたこと、勘兵衛達に何もしてあげられなかったこと、そんな自分が大嫌いなこと。

 

「私が弱かったせいで、みんなが死んじゃって…艦娘になって、やっと皆を守れると思ったのに…それなのに…生まれ変わっても私はっ…!」

 

いつの間にか私の声は大きくなり、心の底に溜まった想いを吐き出し続けていた。それは会話というにはあまりに一方的なもので、言葉選びもへったくれもない、およそ大人の会話とは思えない代物だった。それでも足りない分は雫となって私の頬を伝い、手の甲へと落ちてゆく。

そんな様を前に、勘兵衛は何も言わずにただ静かに聞いてくれた。

 

「なるほど…そういう事だったか」

「勘兵衛…?」

「ようやく分かった。さっきのお主の表情の意味がな」

 

理解が追いついていない私に、彼はポケットから小さな塊を見せた。

 

「これ…お守り?」

 

慎ましくも美しい装飾が施されたそれは、所謂普通の形のお守りではなく、巾着袋の形をした少し変わったもの。勘兵衛はその紐を緩め中身を取り出すが、入っていたのは御札や護符ではなく、お世辞にも綺麗とは言い難い木片の欠片だった。

 

「これはな、お前なんじゃよ飛龍」

「えっ…」

「かつて数多の艦載機の離着陸を支え、そしてミッドウェーでワシの命を救った…飛龍の飛行甲板だ」

「私が勘兵衛を…?」

 

後にミッドウェー海戦と呼ばれたあの日、その時のことは未だにハッキリと覚えている。

艦載機用のエレベーターは早々に爆破され、燃え盛るボイラーの炎だけが夜の闇を煌々と照らしている光景。艦載機の離着陸さえままならない状態の中、それでも乗組員達はなんとか飛龍を立て直そうと必死だった。

 

「だがそれももう限界。船体は次々爆発、ワシも爆風に巻き込まれ、暗い海へ投げ出された。そのまま意識を取り戻した時には船から遠くまで流されて、戻ろうにも浮かんでいるので精一杯。長いこと生きてきたが、あの時ばかりはもう駄目だと思ったわい。…だがその時、これが助けてくれた」

 

何度も荒波に飲み込まれそうになり、その度に意識が遠のいてゆく。そんな状況の中、近くまで流れてきた物体ににしがみついた勘兵衛は、その浮力でなんとか命を繋いでいたのだ。

 

「その後ワシは友軍の船に救助され、初めて自分が何にしがみついていたのか分かった時、礼を言うべき相手は既に海の底だった……飛龍、お前はワシの戦友であり命の恩人なんだ。随分遅くなってしまったが、今ここで礼を言わせてくれ」

「そんな……そもそも私のせいでみんなは…」

「戦争を始めたのはワシら人間だ。誰も飛龍を恨んではおらんし、お前が思い悩む必要はない」

 

彼は私の手をとると、持っていたお守りを私の手の中に収め、ゆっくりと微笑んだ。

 

 

「幸せになれ、飛龍」

 

 

その言葉と同時に、雲間に隠れていた太陽が、ぱあっと光を取り戻した。

 

「お前は弱くなんかない。ただ優しすぎるばかりに弱気になっとるだけだ。整備兵だったワシが言うんだから間違いない!」

「勘兵衛…」

「傷を負いながらも、国のために最後の最後まで戦い続けたお前の勇姿を、ワシは見とったぞ」

 

彼の言葉は、空母飛龍に向けられたものだ。だから艦娘飛龍にとっては気休めに過ぎないのかもしれない。だけど…それでも十分だった。

 

「前世ではワシらの為に戦ったんだ。今度はお主の生きたいように生きてくれ。死んでいった者たちの分までな。それが…お前と共に戦った皆の最後の願いだ」

「勘兵衛…」

 

薄紅色に照らされた私の頬を、再び大粒の涙が掠める。けれど────

 

「うん…!私、みんなの分まで幸せになるね…!」

 

その雫は、自分でも驚いてしまうぐらい、暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、すまんの勘吉!」

「…おっ、やっと戻ってきたか。ったく、こっちはもう腹ペコだぜ」

 

腕を組んで壁にもたれかかっている両津。慣れたこととはいえ、勘兵衛の相変わらずの呑気で気まぐれな態度にうんざりの様子だ。

 

「ふふっ、待たせちゃってごめんね提督」

「ん…?飛龍、お前…」

「帰ろ、鳳翔さん達がご飯を作って待ってるよ」

「…おう」

 

勘兵衛に別れを告げると、飛龍は軽い足取りで歩を進める。赤みを帯びた目元が気になり、両津は声を掛けた。

 

「なぁ飛龍」

「ん、どうしたの?」

「………」

「…提督?」

「……いや、なんでもない」

 

何か考え込むような面持ちだったが、結局彼は何も聞くことはなかった。無粋な質問などせずともよいと、彼女の表情が雄弁に語っていたのだ。

 

「…あっ、そうだ!やっぱり言うことがあったぞ!大淀から借りた一万円、ワシとお前の飯代に使ったって事にしといてくれ!」

「えぇ…提督、そんなことしてるとまた怒られちゃうよ?」

「大丈夫だ、来週の固いレースで五倍に増やしたら返す!」

「ちょっと〜、それって踏み倒す人の常套句じゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────という訳だ」

「…そうだったんだ」

「ワシは観覧車に乗っとらんから、何を話したかは知らんがな」

「でも飛龍、前より明るくなって、昔みたいによく笑うようになったよ」

「いやいや、今回はワシ本当に何もしとらんから。礼ならワシじゃなく爺さんに言ってくれ」

「うん。でも…両津さんが提督でよかったな。飛龍の事、ちゃんと考えてくれるもん」

「ん…そ、そうか」

 

むず痒そうな表情の両津を後目に、蒼龍は元気を取り戻しつつある友人を想い顔をほころばせる。まだ全てが解決した訳では無いが、幼い頃から行動を共にしてきた蒼龍にとっては、喜びもひとしおというものだろう。

 

「そうだ蒼龍、何か用事があってワシの所へ来たんじゃないのか?」

「あっ、そうだった。提督宛に届いた手紙を渡しに来たんだよ。えーっと……はいどうぞ」

「ワシに手紙?一体誰から──────ってなんじゃこりゃあぁっ!?」

 

渡された封筒を開くと、一番最初に目に飛び込んできたのは″ご請求金額″の文字。金額も八万円とかなりの高額で、年中金欠の両津には痛すぎる出費である。

 

「しかも差出人は超神田寿司だと?ワシはあんなとこで寿司なんか食ってな────あぁっ!」

 

 

『勘吉がここならタダで寿司を食えるというから仕方なく…』

 

 

「あのクソジジイ!ワシに支払いを押し付けやがったなぁっ!ワシより金持ってるくせに姑息な手使いやがって…!」

 

少しでも勘兵衛を見直した先程の自分を張り倒したくなる程の非道な行為。まして金の絡んだ事ということも相まって、両津の怒りは爆発寸前、驚く蒼龍をそっちのけで請求書を握りつぶし憤怒の咆哮を上げた。

 

「提督っ!大変です!」

 

そんな両津の怒りを鎮めたのは、息を切らせて駆け込んできた大淀だった。

 

(しまった、ネコババしたのがバレたか…!?)

「大淀さん…?一体どうし───

「すぐに来てください!緊急事態です!」

 

真面目な彼女が蒼龍の言葉を遮ってまで声を荒らげるほどの事態。これは只事では無いと、両津らはすぐに作戦室へと急いだ。

 

「…来たか提督」

「おい、何かあったのか?」

 

長門が指を指した大型のモニターには、付近の海域の情報が映し出されており、中でも出撃中の艦娘のおおよその位置、民間の船舶、そして発見した敵が光の点滅で表示されている。

 

「先程、第二艦隊が敵と交戦に入ったのだが…少々まずい状況でな」

「数が多いですね。それにこんなに近い場所に空母が四体も…」

「提督、空母の内一隻は進路を南西方向に転進、このままでは民間船と鉢合わせます…!」

「こりゃあまずいぞ…たしか第二艦隊の旗艦は龍驤だったな。…おい龍驤!今の状況を教えてくれ」

『ウチらは大丈夫や!ただウチらの航空戦力じゃ他の船まではカバーするのはちょっち難しいで!』

 

今すぐにでも追加の戦力が必要だが、鎮守府からの出撃では到底間に合いそうもない。

赤城、加賀を含む近くの味方は既に急行しているものの、こちらも距離的な問題で空母の進撃を止められるかは不明瞭だ。

そんな歯がゆい状況の中、思わぬ所から声が上がった。

 

『提督!私に行かせてください!』

 

声の正体はすぐに分かった。近海へ一人訓練に出ていた飛龍である。

 

『私の位置からなら間に合うかもしれません!提督、戦闘の許可をください!』

 

一同は再び位置情報に目を向け、状況を再確認する。確かに飛龍が言うように、龍驤隊の次に近いのは彼女だ。

通常なら二つ返事で了承するはず…なのだが、この場の誰もがすぐに返答することはできなかった。艦載機の飛ばせない空母など、陸に打ち上げられた魚も同然。そんな状態で戦地に向かわせれば、役に立つ立たないの問題では済まされない可能性すらあるのだ。

 

「ダメだよ飛龍!艦載機が出せないのに…危険すぎるってば!」

「そうです。せめて他の艦と合流してから…」

『それでは時間がかかりすぎます!今すぐにでも向かわないと…』

「それはっ…そうだけど…!」

 

彼女の決意は固く、最早テコでも動きそうもない。しかし両津にも提督として艦娘を預かる者としての責任がある。簡単にはいそうですかと首を縦に振る訳にはいかないのだ。

 

「…飛龍!」

『はいっ!』

「お前、本当に戦えるのか?」

『それは…』

「時には引くことも勇気だぞ。出来ないなら無鉄砲なことは止めてすぐに戻ってくるんだ」

 

両津の言葉の正しさは、飛龍も理解していた。

「匹夫の勇」……思慮も分別もなく自分の力を過信し、血気に逸ることを言う。誰もが思うだろう、今自分がやろうとしているのはそれに近しい行為、これは勇気ではなく蛮勇だ…と。

しかし…しかしだ。本来勇気とはそういう物ではないだろうか。リスクを恐れ手を出さない事は英断?立場をわきまえるのが勇気?

無論、それが正しい時もあるだろう。だが今は…私が守るべき人達が危険な場所にいるのだ。そこから背を向けて、勘兵衛や皆に胸を張れるだろうか。私はそれでいいのだろうか。

 

─────否!

 

「今の私なら絶対できます!私は第二航空戦隊所属…飛龍です!その誇りにかけて…必ずやり遂げて見せます!」

 

私は…自分を信じてくれた人の為に戦いたい。それが、私の幸せなんだ。

 

「…提督、どうしますか」

 

判断に迷った長門や大淀達の視線は、自然と提督に集まる。両津はしばらく無言を貫いていたものの、覚悟を決めたように目を見開いた。

 

「これは止めても無駄そうだな。…よし分かった、お前は龍驤達の援護に行け」

『…!ありがとうございますっ!』

「だがもしヤバそうならすぐ逃げるんだ。絶対無茶をするんじゃないぞ」

『分かりました。必ず無事に戻ってみせます』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(情報通りならそろそろ接敵するはず…索敵機を出すべきか…)

 

今まで海上演習だけだったのが、今日は初めての戦場。なおかつ単独での作戦行動で、私が失敗すればもう船を守れる艦娘は誰もいない。文字通り最後の砦なのだ。

 

(最後の……か)

 

否が応でも思い出す、在りし日の戦いの記憶。赤城さんに加賀さん、蒼龍までいなくなって…気がつけば私一人になっていた。

そして私も────

 

(…あーもう、戦いの前に縁起でもない。今は目の前の事だけ考えないと)

 

そうだ、あの時とは違う。私の帰る場所には、蒼龍やみんなが居る。私は何も失ってなんかないんだ。

 

(…っ!対空電探に反応!?しかもこんなに近くに…)

 

上空に目を移すと、それはすぐに視界に飛び込んできた。鳥とも飛行機とも言えない異質な黒い物体が、こちらに向かって飛行してくる。タイミングから推察するに、あれは敵の偵察機だろう。航空戦を行う私達空母にとって、非常にまずい状況だった。

 

しかしその僅か数十秒後、私は事態は思っていたよりも深刻であることを思い知らされる事となった。

 

(違う…あれは偵察機じゃない…!)

 

偵察機にしては異様に数が多い敵機、機銃の両側に搭載された二つの塊。空母としての直感が私の体に危険信号を発した時には、既に敵はすぐそこまで迫っていた。

 

「直上…!まずっ────

 

そして直後、切り離された爆弾は私の頭上で炸裂、神経に流れ込む痛烈な音と光が、自らの意思とは関係なく体を硬直させる。

耐え難い喧騒を強引に振り切り、辛うじて体制を建て直した私の前に現れたのは、敵空母とその護衛艦達、そして続けざまに攻撃態勢に入る攻撃機の姿だった。

 

「くっ…もうこんな所に…!」

 

敵の予想外の進路を見誤った結果として招いたのは、予想を遥かに上回る敵艦隊との接触。

…甘かった。味方の情報に頼りきらず、もっと早くに偵察機を出すべきだったのだ。だけど今は失敗を嘆いている暇も、痛みに屈している時間もない。私は半ば反射的に矢筒に手を伸ばし、戦闘機の矢を握りしめた。

 

(敵は…空母が一隻に、駆逐艦と軽巡が一ずつ。いける、勝てない相手じゃない…!)

 

降り頻る攻撃を右へ左へ掻い潜り、徐々にこちらの間合いに誘い込む。そんな攻防を何度か繰り返す内に、ついには敵の死角に潜り込む事に成功、隙らしい隙を作り出すことができた。僅かな時間ではあるが、それでも矢を放つには充分な猶予がある。

両足を開いて姿勢を安定させ、右手を弦にかけつつ攻撃態勢に入る。体に染み込んだ射法八節が、私の実戦経験の不足を大いに助けてくれていることを実感していた。

 

(構え、起こし…引く。そして────

 

狙いは定まった。後は指を離すだけ。それだけだ。それなのに。

 

(あれ…ここから…何を…?)

 

私が今まで戦えたのは、一にも二にもイメージトレーニングのおかげだった。戦闘には参加できなかったけれど、それでもいつかこんな時が来るかもしれないと空想を広げてきたのだ。実際、今の攻防でそれが無駄ではなかった事は証明された。

…だが艦載機の扱いだけは別だ。

一度も発艦に成功したことの無い私には、無から全てを考え出すより他ない。先程まで私の心に満ちていた勇気は、この一瞬で呆気なく冷めきってしまった。

そんな心持ちで放った矢に戦う力などあるはずもなく、結局それはいつも通り失速、虚しく海中へと没してしまう。そしてそれをみすみす見逃す程、敵も甘くはなかった。

 

(これは…ちょっと厳しい…かな)

 

一斉射撃を受け、私の足は今にも折れそうになる。まだ体が動かない訳では無いが、次に攻撃が来たらもうどうにもならない。避けられない絶対の死を前に心の方が砕かれてしまった。

 

(やっぱり身の丈に合ってなかったなぁ…まともに戦えない癖に、一丁前に二航戦の誇りだなんて啖呵を切っちゃって。アハハ…本当に情けないや)

 

沼に引き込まれるような冷たい感覚が足から全身を伝う。眠気にも似たそれは、抗おうとする私の意志をも奪いさろうとしていた。

 

 

(ごめん…蒼龍、勘兵衛、提督。私…やっぱり…)

 

 

 

 

 

 

───!

 

 

 

 

 

─────う!

 

 

 

 

 

──────りゅう!

 

 

 

 

 

 

 

 

飛龍!

 

 

 

 

「─────っ!?」

 

どこからかはっきりと私の名前を呼ぶ声に、私は正気を取り戻した。…いや、そもそもこんな状況で声が聞こえてきた時点で正気ではないのかもしれない。驚いて目を覚ましたという表現が的を射ているだろう。

それは敵も同じようで、追い詰められた私を前にしながら行動を起こせずにいるようだった。

 

だがそんな事よりも、私は語りかけてきた人物に驚きを隠せなかった。蒼龍でも、提督でも、勘兵衛でもなければ、まして幻聴などでは決してない。何度も何度も聞いてきた威厳と貫禄に満ちた声だ。この人の声だけは間違えようがなかった。だがそんな私の思考に反し、周囲には誰もいないという現実が私に叩きつけられた。

そんな時、ふと袂に入れておいたお守りのことが頭をよぎった。改めて手に取ってみると、それはまるで人肌のような不思議な温かさを感じる。

奇妙な出来事の連続に困惑する一方で、自然と腑に落ちている自分が居た。

 

(そうか…そうだったんだ)

 

気がつけば全身の寒気も、私を蝕んでいたものも消え失せていた。一時は限界だと思ったけれど、手も足も活力に満ちているじゃないか。…そうだ、まだ私は戦えるんだ。

 

(もう一度……構え、起こし、引く…)

 

自分は飛龍の名を貰っただけの約立たずで不良品だ。実際、私が艦娘として成したことなんて無いに等しい。

それでも…私には自分の活躍の場を削ってまで私に寄り添ってくれた友人、純粋に私の幸せを願う戦友、そして空の向こうから信じて見守ってくれる人が居るんだ。今更泣き言なんて言ってられない。

 

(さっきの勇気を思い出せ…私は何の為に戦ってるんだ…!)

 

────私は自分を信じてくる人のために戦いたい。それが私の幸せなんだ。

 

(だったら…!怖いものなんて何も無いじゃないか!だって…今こうして戦ってる事が…私の────

 

 

「幸せなんだぁぁっ!」

 

 

その時私の放った矢は、過去一番の手応えだった。空気を切り裂く感覚が、弦の反動と共に体中を走り抜けてゆく。

まさに会心の一撃と呼ぶに相応しいその軌跡は、やがて数機の戦闘機となって私の前に現れた。

 

「や…やった…」

 

快音を轟かせ縦横無尽に飛び回る私の愛機達は、空を支配していた闇に風穴を空け、勝利の光を私にもたらした。

数十年間で初めての発艦成功、しかし悠長に喜びに浸っている暇はない。──雌伏の時は終わった、今こそ私の反撃の時なのだ。

 

「───我、これより航空戦の指揮を執る!」

 

 

 

 

 

───それからの事は、私もよく覚えていない。夢中に撃って、夢中に避けて、夢中に耐えて。数え切れない攻防の末、気がつけば静まり返った海の上に、ボロボロの私が一人呆然と青空を仰いでいた。

先程あれほど燃え上がっていた心が嘘のように静まったせいだろうか、どうにも現実感がない。もしかして私は死んでしまったのだろうか。

 

「飛龍っ!」

 

そんな事をぐるぐると考えている間に、どれぐらいの時が経っただろうか。立ち尽くす私の前に、蒼龍や赤城さん達、そして漁船に乗った提督までが駆けつけてくれていた。

蒼龍が涙ながらに私の手を取って私の無事を喜ぶ姿を見て、私はようやく白昼夢から覚めた実感が湧いた。

 

「ふふっ、ちょっと泣きすぎだよ蒼龍。これぐらい私なら余裕だってば。…みんなもありがとう、わざわざ私の為に来てくれて」

「いいのよ、私達仲間のためならお易い御用なんだから!」

「はいなのです!」

 

(仲間…か)

 

以前は私なんかが彼女達を仲間と呼ばせるのはおこがましいような気がしていたけれど、今は素直にその言葉を受け取れた。

 

「飛龍さん、よく頑張りましたね」

「赤城さん…アハハ、でも無茶しすぎちゃいました。一度も飛ばせたことないのに…」

「何!?それじゃあお前、ホントに直前まで艦載機が出せなかったのかよ!ワシはてっきり何か訓練で手応えでも掴んだのかと…」

「アハハ…すみません、あれぐらいできるってことをアピールしないと出撃させて貰えないかなって。…でも、できるって思ったのは本当ですよ」

 

一度失敗しておいて偉そうなことを言うのは卑怯かもしれないけれど、あの時足りないピースがピタリと嵌った時のような、確信に近いものが確かにあった。言葉で説明するのは難しいが、とにかく提督に大丈夫だと言ったのは、捨て身の言葉ではないのだ。

 

「とりあえず今は戻りましょう。また深海棲艦と現れるとも限らないわ」

「そうだな。ほら、飛龍も怪我してんならこっちへ乗れよ」

「あ、ありがとうございます…」

「提督、その船どうしたんですか?」

「ワシの装備はこの前深海棲艦に激突した時に粉砕されちまったからな。近くの漁港からちょいと拝借してきた」

「相変わらずやる事が無茶苦茶やなぁ…こんな船で深海棲艦と戦うつもりやったんか」

 

さも当たり前のように″ワシの装備″とか″深海棲艦に激突″とか、色々おかしいワードが使われているのが気になるが、まぁそれは後で聞くことにしよう。

 

(はぁ…流石に疲れたなぁ)

 

私は艤装を外して適当な場所に腰掛けると、改めて空に視線を移した。空の青さに吸い込まれ、目当ての星は見えなかったけれど、大事な捜し物の息遣いは私の中にきちんと収まっていた。

 

 

見ててくれたんだよね。……分かるよ、私が貴方の声を間違えるわけないもん。それからごめんなさい、ずっと気がつけなくて。

これからも見ててね。私、頑張るから……だから…ね……

 

 

…皆の会話を子守歌に眠りについた彼女の表情は、それはそれは心地よさそうだったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ん、どうしたお前ら……何、テストの点が取れないだと?んなもん取れなくたって……ゲッ、部長!?い、今のは軽い冗談です!次のテストこそこいつらにいい点取らせてみせますから!

次回 開講!両津塾 よろしくな!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。