前略。多由也に転生したけど、人生の詰将棋をしている気分です。   作:N-SUGAR

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最近Twitterで久し振りにNARUTOがトレンド入りして何事かと思ったらいきものがかりさんが『ブルーバード』歌ったんですってね。懐かしい。あれがOPだった時私は小学生でしたが、毎週木曜日が楽しみだったことは今でも覚えています。小学校以前からそんなもん観てるから性癖が倒錯するんです。責任とって欲しいですね。

冗談はさておき、本編、お楽しみ下さい。

ここで自分自身に向けて一言
「さて、こっちのいきものはどうなったかな?」





第二十九話 或る蛞蝓の命日。

 それは何時か、何処かで行われたとある会話。

 

「はあ、思考の完全自動化ですか」

 

「そうだ。貴様の前世の世界には、人工知能の技術体系があったのだろう? 参考になりそうな知識の一つでもないかと思ってな」

 

「……穢土転生に今流行りのディープラーニングでもさせるつもりですか?」

 

「流行ってないのだ。この世界ではそれが。開発もされてない。故にその言葉自体が初耳だ。良いから洗いざらい吐き出してみろ。研究の足しになる」

 

「ディープラーニング自体は穢土転生もやってそうですけどね……。ウチも別に専門家って訳じゃないんでにわか知識しかないんですけど……えっと──」

 

 ディープラーニング。人間の神経細胞を模倣したニューラルネットワークと呼ばれるシステムを利用し、ラベル付けされた大量の情報をもとに、精確な特徴抽出を自動で行う機械学習法の一つ。このシステムは、とある世界における人工知能の学習精度に飛躍的な発展をもたらした。

 

 赤毛の少女が語る話の内容は、この世界の住人が見たことも聞いたこともない未知の概念。その口から紡がれる言葉は聞きなれない異国の言葉のようであり、その記憶から吐き出される知識は、この世界において研究すらされていない未踏のオーパーツだった。

 

「まぁこの方式自体は、そもそも人間の神経細胞をそのまま流用できる穢土転生の術式にも一部組み込まれていますし、実のところ別段目新しいものでもないんですけどね。重要なのはその先の、ラベル付けされたデータを機械がどう活用するかの方でしょう。とすると、強化学習の話から入るのが早いのかな? コンピューター将棋の機械学習とか……」

 

「内容の取捨選択は必要ないから一から十まで全部教えてくれ。思考法が人間的である必要もない。むしろ機械的であればあるほど好ましい」

 

 恐ろしいことが行われていた。有り得ないことが行われていた。

 

 穢土転生の経験記憶から、経験以上の戦略と手数を産み出す手段。千手扉間はそれを、よりにもよって異世界の科学技術に求めていた。

 

 機械が人間のように思考する。人工知能の仕組み。

 

 この世界には存在しない、未開の技術体系。

 

「──要するに、盤面をどのように動かせばどうなるのかっていう、未来予測を総当たりで検証できるのが機械の強みなわけですよ。ラベル分けが精確なら効率も圧倒的に高まります。直接的な実戦でなくとも、仮想現実で自分同士と戦うことで機械はいくらでも実戦経験を積むことができる。そうして積み重なった膨大なデータを下に、現実における最適手段をスケジューリングできれば機械は人間に勝てるわけです。演算速度というアドバンテージを取り入れられるなら、穢土転生の自動運転機能もそれなりに戦えるようになるんじゃないですかね?」

 

「──特定環境下におけるスコアの最大化を目標に、機械自身が試行錯誤を繰り返す訳か。ならそれを応用すれば、機械が自動で新しい術式を築くことも可能なわけだな?」

 

「──既存の技術体系と設定された環境下で再現可能であるならば、いずれ行き着くこともできると思います。けどそれって新しい術式というよりは、既存の術式の組み合わせになりません?」

 

「──新しい組み合わせであるなら、それはもう新しい術式と言っていいだろうよ。オレが開発した術の殆どは、目的に沿った効果を既存の術式から抽出・合成することで開発されている。感性が必要な芸術作品を創るわけでもない。理想環境の再現のみを発想の根幹とするなら、それは機械でも十分代用可能な頭脳労働だろうさ」

 

 白髪の老人と赤毛の少女が語り合う。この世界では存在しない筈の話題で、この世界では存在しない筈の発想を。

 

 既存の技術に異邦の知識体系が組み込まれることで、本来その時代のその環境では絶対に起こり得ない筈のブレイクスルーが発生する。パラダイムのかけ離れた二人が知見を共有し、未知の化学反応が巻き起こる。しかも片方は、技術を魔改造することに定評のある悪名高い千手扉間。その光景は、見る者が見れば地獄とすら形容するであろう悪夢だった。この世界において一番知識を手に入れてはいけない男に、入れてはいけない知識を供給する女がそこにはいた。

 

「──ワシの脳を擬似的なニューラルネットワークとし、ワシの記憶というデータのラベル分けを行い、そのデータを基に、ワシの思考法を学習させた人工知能に演算を行わせる。人工知能を人間に近付けると言うよりは、人間を人工知能に近付けると言った方がこの場合は正しいか。実験的にではあるが、まずはワシという人工知能を作成して経過を見てみよう。使えるようなら、他の穢土転生にも組み込んでさらに発展させる。ゆくゆくは、穢土転生同士に擬似的なネットワークを構築してクラウド上にビッグデータを共有する所までを目標にしてみたい所だ。穢土転生であれば、多少無茶な演算を行ってもオーバーヒートを心配する必要も有るまい。うむ。貴様のお陰で研究の方針が固まった。礼を言うぞ」

 

「扉間様がまた頭のおかしいことを言っている。なんてことを口に出したらまたどやされるんだろうなぁ」

 

「分かっているなら何故口に出した?」

 

 頭が痛くなるような光景だった。小娘の話す訳のわからないカタカナ語を、ものの一時間もしないうちに老人が使いこなしている。吸収力が高すぎるし発想の飛躍が急すぎる。そして行われている事の重大さの割には気の抜けるような会話を最後に、ワタシの見たかった映像記録はその上映時間を終了した。

 

「……というか、マジで頭が痛い。なんだこれ」

 

 湿骨林。大蛞蝓の体内で、ワタシは一匹頭を抱えていた。扉間ちゃんが部屋の外に避難して隙ができたのでこれ幸いと、彼の過去に探りを入れてみた結果、ワタシの脳内に再生された映像がこの光景だった。まったくもって忌々しい光景だ。

 

 情報量があまりにも多すぎる。この世界に元来存在していない『人工知能(AI)』などという未知の概念の知識が期せずして流れ込んできてしまったが、世代が一足飛びすぎて話が頭に入ってこない。今の会話だけで、あの男はこの世界の科学体系の何世代分未来を先取りした? 今の会話だけで、この世界はどれだけその移ろいを変えていくことになる? 

 

 ワタシは未来予知などという高尚な異能は持ち合わせていない。だけどそれでも判ることはある。

 

 多由也。異世界から転生してきたなどと宣うふざけた少女。アレと千手扉間の組み合わせは混ぜるな危険だ。特に彼女の持つ前世の知識とやらは危険すぎる。

 

 千手柱間に遠く及ばない才能しか持たない千手扉間。この評価はある意味で正しく、ある意味では正しくない。より厳密には、『忍としての才能は』という注釈をつけなければこの論は成り立たない。別の観点から見れば、この評価は180度全く逆方向へと覆ることだってある。

 

 特に扉間ちゃんは、己の発想を理論として再定義する『発想実現力』にかけては人類全体を見渡しても頭一つ飛び抜けている。元来研究者肌の人間というのもあるが、兄に柱間ちゃんを持つことで、扉間ちゃんの才能は著しく盛大に花開いた。

 

 誰にも真似できない特別な才能をもつ柱間ちゃん。その才能を見て、「兄は特別だから諦めよう」と考えるのではなく、「兄と同様のことを誰もが行うにはどうすればいいのか」を考え、医療忍術や影分身など様々な忍術を開発した手腕には、間違いなく逸材と呼べるだけの発想実現力が働いている。そしてその発明の殆どは、忍界全体において実に多様かつ甚大な影響を及ぼした。

 

 未来をできる限り変えないように、効率的に情勢をコントロールする? 

 

 こんな取り返しのつかないことをしておいて、扉間ちゃんは本気でそんなことを言っているのだろうか。

 

 だとすれば滑稽だ。この世界というものは、たった一つでも異物が混じっただけで、その様相を大きく変えてしまうものだと云うのに。忍宗の歴史がそれを証明している。元々剣、弓、盾を用いた原始的な戦争しかしていなかった筈のこの地に、外来種が一匹紛れ込んだだけでこの世界は一度根本的な崩壊の危機に晒された。それだけならまだしも、その息子が平和のためだとか宣って人々に忍宗を広め、チャクラを用いた異邦の技術を伝播することによって戦争の新たな手段を手に入れた人間達は、戦争の数とそれによって生じる犠牲者の数を本来一つの星が辿る筈の歴史の流れからは有り得ないほど急速に増加させた。

 

 あらゆる技能、知識は戦争に転用される。そしてそういった知識は、同時に教え込まれた筈の平和を希求する声なんかよりもよっぽど広く深く、歪曲されて世界に浸透していく。

 

 情報とは至る場所から漏れて広まるものだ。どんなに独占しようと努力しても、世界に情報が存在してしまう限り、それが拡散される流れをいつまでも抑えておくことはできない。

 

 扉間ちゃんが異世界から仕入れている知識は『人工知能』関連だけには留まらない。自陣の戦力を少しでも増やそうと、扉間ちゃんは役に立ちそうな情報ならそれが異世界のものであろうと何だろうと節操なく仕入れているだろう。策謀家として研究者として、その動きは至極真っ当で正しいものだ。そりゃあ、使える便利な情報が目の前に転がっているのに、それを使わないなんてのはただの阿呆のすることだろう。

 

 だけど、文明レベルに合わない超技術は容易に社会を食い荒らす。ワタシが人々に与えたカツユしかり、ハゴロモが人々に与えた忍術しかり。本来長い時間をかけて徐々に培われるべきものの道理を無視した知識技能の急速発展は社会に混乱を巻き起こす。ましてや、異世界の知識が齎す混乱の規模などワタシには想像もつかない。果たして扉間ちゃんは、自身の所業が何時か必ず訪れるだろう社会の歪みと混乱の火種になっている自覚はあるのだろうか? 善意で仕入れた知識が後々の人間によってとんでもない悪用をされてしまうかもしれないと云う懸念は抱けているのだろうか? 

 

 まぁ、人類の平和を希求していた調停者であった頃のワタシならいざ知らず、今のワタシにはあまり関係のない心配ではある。一度世界を滅茶苦茶にしてしまおうと思い立って実行にすら移したワタシが今更なにをか云わんやだ。個人的にはむしろ、世界は滅茶苦茶になってくれた方が好ましくすらある。外から紛れ込んだイレギュラーのせいで妙木山の蛙ジジイの予言が当てにならなくなってきたと思えば、この事態は実に小気味いいことこの上ない。問題なのは、その世界を滅茶苦茶にしうる超技術がワタシに向けられていると云う不都合きわまりない事実くらいなもんだ。世界を滅茶苦茶にするのは一向に構わないが、それはワタシに関係のないところでやってほしい。

 

 とは云え、実際に牙を剥かれてしまっている現状、そんな泣き言も云ってられない。思考封鎖の仕組みが分かったのだから、対策を考えなければ。

 

 ……よく知りもしない未知の技術体系に基づく技能に対して、何の対策を立てればいいのかと云う話だが。

 

 いやいやいや。考える前から諦めるな。こんなに何か物事に対して集中するのは久し振りだから、ワタシってばものの考え方を忘却してしまっている。これでは仙人の名が泣くってもんだ。所詮人間一匹。小さな生命の策謀程度真正面から打ち破れないようでどうする。

 

 そうだ。過去のあの映像を参照する限り、結局のところ人工知能とやらは、過去の記録と思考パターンを参照にその場に最適な手段を組み合わせて抽出しているに過ぎない。多少クリエイティブな思考が可能とは云っても、過去に存在した術式と術式を継ぎ接ぎのように切り貼りして効果を発現させているだけの代物だ。だとするなら、対抗手段の構築が不可能な術式はおそらく登場しない。ワタシは何千年と世界各地を傍観し続け、過去を掌握し続けた仙人だ。観察、解析に集中すればどんな術が登場しようとも対処はできる。

 

 だから、問題はその先だ。先程はつい扉間ちゃんの勢いに押されて守りの姿勢になってしまったが、今度はこちらから扉間ちゃんにちょっかいをかけて嫌がらせしてやらないと面白くない。

 

 これはワタシの始めたお遊びで、ワタシのための暇潰しだ。人間を虐めていたぶる楽しい楽しいお遊戯会。主催はワタシで、観客もワタシ。扉間ちゃん達人間はワタシのオモチャ。このスタンスを崩したらせっかくのお楽しみが台無しだ。ワタシは人間の苦悶の表情が好きなのであって、戦いはその顔を見るための手段に過ぎない。手段が他にあるのなら、そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 状況を整理しよう。扉間ちゃんはそもそも、ワタシに尋ねたいことがあってこの湿骨林に足を運び、ワタシとの戦闘を受け入れている。扉間ちゃんが再びこの場に現れるとワタシが確信しているのも、その「尋ねたいこと」あってのことだ。

 

 つまり扉間ちゃんの勝利条件はワタシに戦闘で勝利することではない。戦闘に勝利し、ワタシから質問の答えを引き出す所までが扉間ちゃんの勝利条件なのだ。

 

 翻って、ワタシの勝利条件もまた、扉間ちゃんに戦闘で勝利することではない。ワタシの勝利条件は、扉間ちゃんの目的を阻害すること。扉間ちゃんの質問に答えを与えなければ、例えワタシが戦闘で負けようと封印されようとそれはワタシにとって大した痛手にはならないのだ。そう。元々封印されてるワタシが二重に封印し直されたところで、退屈に変わりは起こらない。うん? なんか自分で云ってて悲しくなってきたぞ? 

 

 ともあれ、現状勝利条件が緩いのはどう考えてもワタシの方だ。このアドバンテージを活かさない手はない。

 

 少しでも長く、楽しく人をおちょくり続けるにはどうすればいいのかなー? 

 

 そんなことを考えているうちに、外に動きがあった。封印部屋の壁に穴が開き、二つの人影がこちらに侵入してくる。

 

「……おや、部下の命は助かったのかい?」

 

「フン。見れば判るだろう。貴様は」

 

 確かに。こちらに近づいてくる扉間ちゃんの云う通り。見れば判る。

 

 だけどさー。こっちは君の過去を覗くのに集中してたから、逆に現在の様子はあまり見てなかったんだって。分かれよそれくらい。分かるわけない? あっそう。

 

 考えつつ、ワタシは壁の外の様子を半身ちゃんを通して覗き見る。倒れ伏す赤毛の少女。下半身と上半身がさよならして死にかけている可哀想な女の子。彼女が今どうなっているのかを確認する。

 

 おや? 上半身と下半身、繋がってるな。いや、正確には、()()()()()()()()? 患部にワタシの半身ちゃんが集まって、傷口を一生懸命塞ぎにかかっている。血色も少し戻ってる。ぱっと見た感じではあるが、傷口は大分塞がってるし、失った血液も補充されているみたいだ。増血丸でも飲ませたかな? 

 

 問題は、何でワタシからのチャクラ供給を受けていない半身ちゃんが治癒能力を発揮できるのかって点だけど、これも、状況を見ればすぐに理解できた。

 

 気を失い、半身ちゃんからの治療を受けている多由也ちゃんの傍らで半身ちゃんに己のチャクラを流し込んでいる大男。秋道トリフ。

 

()()使()()

 

 医療忍術と一言で云ってもその種類は様々であり、用途によって使われる形態変化や性質変化は異なるが、生命を司る陽遁は中でも医療忍術との相性が格段に高い。

 

 しかも、半身ちゃんが現在多由也ちゃんに使用している治癒術は自身の生命エネルギーをそのまま対象の生命エネルギーに置換する類いのもの。忍術で言えば己生転生の術に近い代物だ。無駄に生命エネルギーが高い秋道一族のチャクラを使用するというのは人選として最適と云える。誰かからチャクラを渡してもらわなければ使えないと云うだけで、半身ちゃんの治癒技術は、長年人間と交流してきた経験から最早神域にすら達している。このままいけば多由也ちゃんは無事に命を救われてしまうことだろう。

 

 チッ。つまんな。せっかく面白いことになりそうだったのに。やっぱり扉間ちゃんを一度外に出しちゃったのが失敗だったかなー。

 

 次からはもうちょっとよく考えて作戦を立てよう。イタズラするのも、考えなしじゃやっぱりそれなりのものしかできないんだよね。

 

 何も考えずにただ快楽を貪るのも楽しかったけど、やっぱり自分が楽しむために何かを考えるってのも楽しいもんだ。特にこーゆー、一筋縄じゃ行かない人間を相手にするって云うのは、未だ人生で二回くらいしか経験してこなかったことだ。考えることがたくさんで、凄く良い暇潰しになる。

 

 余計なことを、つまらないことを、考えてる暇もなくなる

 

「成る程ね。ま、部下のことはどうでも良いや。さぁ、扉間ちゃん。次はどうする? 次はどうくる? 次は、何をして遊ぼうか?」

 

 ウキウキとしながらそんなことをつい口走る。イヒヒ。ワタシったら、大分ノリにノッちゃってるみたい。

 

 対して、扉間ちゃんの表情は氷のように冷たかった。怒りも憎しみも、そんな感情すら感じさせない、無の表情。

 

 あー。歪ませてーなー。この顔なー。内心の舌舐めずりが止まらない。

 

「──悪いが。優秀な部下が来てしまったのでな。これ以上、貴様の暇潰しに付きあってやることはできそうにない」

 

「はぁん?」

 

 いぶかしげな表情を浮かべながら、ワタシは反射的に後方のもう一つの人影に目をやる。光源の少ない薄暗い部屋の中、赤く光る二つの瞳。

 

 写輪眼。この世界に存在する瞳術の中でも最も厄介な性質をもつ瞳。一目で分かる危険物を所有しているそいつは、よりにもよって扉間ちゃんの部下。

 

 うちはカガミ。

 

 はて、いまいちぱっとしない印象の優男だったから大して注目もしていなかったが、この男に何かあっただろうか。

 

 記憶を掘り返そうと、ヒントを探す。取り敢えず、思考を読んで今こいつらが何を考えているのかを探ろうと二人を見やると──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あ、まずい。

 

 ワタシは過去の記憶を掘り返し、同時に自身の瞼を閉じる。

 

 そうだそうだ。忘れてたよ。うちはカガミ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 戦乱の世において、万華鏡写輪眼に目覚めるうちは一族はそこまで珍しい存在ではなかった。昨日の友が今日の敵なんてことが日常茶飯事だった当時、万華鏡写輪眼は記録に残るくらいには量産されていた。

 

 使いこなせるかどうかはともかく、ある程度の実力を持つうちはの忍であれば、先ずは万華鏡写輪眼を扱うことを警戒しなければならない。千手兄弟が存命だった時代、戦場でこうした警戒は至極当然のものだった。

 

 そしてうちはカガミ。アイツは、当時の一族の中でも割と万華鏡写輪眼を上手く使いこなせている方の人間だった。なまじ使いこなせているせいで短命だったと云うのもあるが、そんなデメリットは穢土転生として甦っている現在問題にはならない。

 

 その上、確かカガミちゃんは『月読』使いだった。『月読』自体は大して珍しい能力でもない。元々幻術を得意とするうちは一族からすれば、むしろ外れと云っても良い能力だ。うちはイタチくらい熟練できるならともかく、うちはカガミのそれはうちはイタチのそれほど強力でもない。

 

 だが、ヤツの『月読』が持つ()()()()は、この状況において割と厄介だ。掛からないなら、それに越したことはない。

 

 大丈夫。仙人の感知能力は割と万能だ。五感全てを塞いだって、相手の位置や動きは手に取るように分かる。全く制限を受けない訳じゃないが、このまま二対一で戦っても対処はできる! まずは広範囲攻撃でさっさとカガミちゃんを倒して、扉間ちゃんとの戦闘に集中できるように──。

 

「──────!!!????」

 

 なん……だこれ。瞳を閉じ、感知能力を最大に高めたワタシは、感知によって映った()()()()()()()に思わず絶句する。

 

 ワタシの脳内に映像として現れる目の前の二人のチャクラの流れ。

 

 扉間ちゃんのチャクラは、まぁ良い。特に予想を裏切らないそのまんまのチャクラだ。だけど、その隣のカガミちゃんのチャクラ。……これは、こんなのは、()()()()()!! 

 

「──確か、仙人様は、オレ達の思考を読むことができるんでしたよね?」

 

 声が聞こえる。だけど、耳から入るその声に、ワタシは怖気を覚えた。この声は、カガミちゃんのものじゃない。この声は……。

 

「──どうですか? 思考、読めます?」

 

 思考。思考。思考。

 

 思考を読め。この有り得ない現象の正体を掴め。動揺してる暇なんて、今のワタシには無いぞ……! 

 

 だけど、ワタシに無情な現実が突き刺さる。カガミちゃんの異変を感じ取ってから、すぐに思い至った発想ではあった。ワタシはもしかしたら、カガミちゃんの思考をこれ以上読むことができなくなるのではないか。どころか、その隣にいる扉間ちゃんの思考すら、人工知能とか関係なく読めなくなってしまうのではないか。そんな、何処か確信を伴ったワタシの予感が、当たる。

 

 思考が読めない。というか、自然エネルギーの流れを通して思考を読み取ると云うワタシの技術が、()()()()()()()()()()()()!! 

 

 ワタシの読心術を破る方法は割と簡単だ。自然エネルギーを通して人の心を読んでいるのだから、自分の周りの自然エネルギーの流れを乱してやれば、それだけで思考なんて簡単に隠すことができる。仙人ならば誰しもが持っている技術だし、それ故に、仙人相手にはワタシの思考看破は通用しない。

 

 だが、この場にいる人間は全員仙人でもなんでもない。仙人モードさえ扱えないただの人間の集まりだ。

 

 そのはずだった。

 

 なのに、なのに、どうして……! 

 

 

「ワタシが……いる……!?」

 

 

 ワタシが目の前の二人から感知できるチャクラ。そのうちの一つは千手扉間のもの。そしてもうひとつは、()()()()()()()()()

 

 耳から聞こえる筈のカガミちゃんの声も、ワタシのもの。感知によって探知できるカガミちゃんの姿形も、ワタシのもの。

 

 なんだこれは。ワタシは気付かないうちに『月読』に掛かってしまったのか? いやいやそれはない! 『別天神』に掛けられたならともかく、『月読』だったなら、流石にそれと分かるはず! 

 

 なんだこれは。なんだこの能力は。こんな能力、()()()()()()()()()! 

 

「ああ、良かった。ちゃんと通じてるみたいですね。オレの万華鏡写輪眼、『日像鏡(ヒガタノカガミ)』は」

 

『日像鏡』? 『日像鏡』といったかコイツ。

 

 そいつは確か、『八咫鏡』作成以前に作られたとされる古臭い神器の名前だった筈……。

 

 その名を冠する能力が若しあるとするならその権能は……。

 

 だけどそんな能力があるなんてワタシは知らない。ワタシが見た限りそんなものが発動したなんて記録は……。

 

「この能力は、オレが死ぬ直前になって初めて発現したものでしてね、本当に一部の人間しか知らないんですよ。おやもしや、ご存知でない?」

 

 ワタシの声をしたワタシではない人間の声が聞こえる。まるでワタシの考えを見透かすように。意地悪く、煽るように。

 

 いや、誤魔化す迄もない。ワタシの思考が読まれているのだ。防ぐ方法は簡単。自身の周囲の自然エネルギーの流れを乱す。それだけで良い。目の前の、こいつのやっているように。

 

『日像鏡』。懐かしい響きだ。忍宗が発生する以前。この地において、とある宗教が多くの人の間で信仰されていた時代に伝えられていた神器の一つ。あらゆる厄災をはね除ける究極の退魔霊装『八咫鏡』。『日像鏡』は、そんな『八咫鏡』を作ったとされるイシコリドメノミコトが習作として事前に作った2枚の鏡の1枚だったと記憶している。

 

日像鏡(ヒガタノカガミ)』と『日矛鏡(ヒボコノカガミ)

 

 これらの鏡が一体どういった権能を持つ鏡なのか、それを知る者はいない。どこの文献にも名前が登場するばかりで、その効能を記した書物は一冊として存在していないからだ。かく云うワタシ自身、書物としての記録を知るだけで、そんな鏡の実物を見たためしはない。あくまで習作としての作品であるから『八咫鏡』ほど積極的に伝承された訳でもない。歴史の流れに押し流されて、とっくの昔に逸失した筈の幻の神器。

 

 ただ一つだけ、伝承から『日像鏡』について判ることがあるとすれば、それは、『日像鏡』が()()姿()()()()()()()()()()()()()ということ。

 

 神の姿を知る者が、神の姿を象り作成された神器。習作とは云え、そんな作り方をされた鏡が神格を持たない筈もなし。権能を持たない筈もない。

 

 では、『日像鏡』に宿る権能とは何か。流石に、目の前で起こっている現象を目の当たりにすれば、それは嫌でも分かる。

 

 鏡とは人を映すものであり、神を映すものであり、世界を映すものである。

 

 例えば霊器として現在まで伝わっている『八咫鏡』は、モノを映すという性質からあらゆる事象全てをそっくりそのまま写し取り相殺するという性質を持つ。『八咫鏡』が最強の盾と呼ばれる所以がこれだ。ところが、とある神を引きこもりから引っ張り出すためだけに作られた呪物としての『八咫鏡』は、そもそも盾としての使用を想定されていない。にも拘らず、最強の盾として転用できてしまうのは、この鏡が神の放つ力すらも反射してしまうからに他ならない。

 

 翻って、『日像鏡』と『日矛鏡』。元々『八咫鏡』の習作として作られた二作品は、その二つの権能を合わせて『八咫鏡』とするものなのではないかという説がある。それによると、『神の力すらも反射する』権能を仮に習作の鏡も持ち合わせているとするならば、それは名前的に『日矛鏡』の方が持つ力なのではないかと考えられる。『日の持つ矛を映す鏡』と云う訳である。

 

 そして、『日像鏡』。これは、『八咫鏡』の持つ呪具的性質を備えた鏡である可能性が高い。『日の持つ像を映す鏡』。本来の鏡としての使用用途、姿を映すものとしての権能だ。ただしその権能もまた、神が作ったもの故に神域の効能を発揮する。

 

 神話においてとある神は、鏡に映った自分の姿を実物の存在として錯覚した。神が実物と見紛う鏡像。『八咫鏡』の呪具的意義はこの一点に尽きる。『日像鏡』がもし、『八咫鏡』の習作として何らかの権能を持つとするならば、それはこの呪具的性質の方なのではないか。

 

 というか間違いなく、そうなのだろう。目の前に存在する『鏡』が映し出した鏡像は、このワタシの感知性能をもってして、まるで実物と見紛うばかりだ。

 

 目の前に、ワタシがいる。『対象をそっくりそのまま自身に投影する能力』。それが、うちはカガミの万華鏡写輪眼、『日像鏡』だというのか? 

 

「あまり強い能力ではないんですけどね」

 

 ワタシの声が、耳に届く。

 

「どんな敵を前にしても、その敵と同等の力を振るうことができる。しかし逆に言えば同等以上の力を振るうことは決してできない。拮抗することはできても圧倒はできない。オレ一人だけでは敵を倒すことすらままならない不便な能力です」

 

 確かにその通り。『対象の姿を完全に投影する』能力というワタシの予想が正しければ、カガミちゃんは能力使用時、()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()。万能な術などそうそう存在しない。対象の姿を写し取ってしまったら、その姿は完全に対象そのものになる。カガミちゃん自身が元々持っていた身体とは別物になってしまうのだから、カガミちゃん固有の能力など使える筈もない。完全に相手と同一化する術など使って、そうそう相手以上になることなどできないのだ。できてたまるか。

 

 それに、予想される制限は他にもある。あくまで鏡という性質を基に使用される能力ならば、恐らく姿を投影できる条件は、姿を反射できる範囲に対象が居る時のみに限られる。つまり少なくとも、ワタシがカガミちゃんの周囲に存在し続けなければ、カガミちゃんがワタシの姿を投影し続けることはできない。

 

 そう考えれば確かに、そう強い能力とも云えないのかもしれない。あくまでも自身が相手と対峙した時、全く同じ土俵に立つだけの能力。それ以上にもそれ以下にもなれない。

 

 だが、現状に限って言えば、戦況において彼の保有能力はそれで十分だ。十分すぎる。

 

 なにしろ今この場は、ワタシとカガミちゃんの一対一じゃないのだから。

 

 扉間ちゃんが、いるのだから。

 

 ワタシ対ワタシ。ではなく、ワタシ対ワタシ+扉間ちゃん。

 

 ……勝てるか? これ。

 

 疑問が浮かぶ。いくらワタシの勝利条件が戦闘に勝つことではないとはいえ、単純な戦力にここまで明確に差をつけられると、不安は拭いきれない。

 

 それに、ワタシの予想通りカガミちゃんの能力使用が制限されているからって、じゃあワタシを投影している内は『月読』は飛んでこないよねと目を開くことができるかと言えばそれも微妙なものだ。ワタシの楽観的な予想が100%当たっている保証などないし、当たっていたとしても目を開いた瞬間に『日像鏡』と『月読』を切り替えられたらワタシは詰む。

 

 なら目を開かずに戦えば良いのか? 確かに常ならばそれで良かっただろう。だけど、仙術による感知の精度は常人相手ならともかく、仙人(ワタシ)相手だとこれまた精確に働くかどうかが怪しくなってくるのだ。思考看破の妨害と同じ要領だ。自然エネルギーの流れを意図的に乱されると、こちらの感知能力にも影響が出てくる。

 

 つまり、使える使えないに関わらず、相手側に『月読』というカードが握られている以上、此方は迂闊に目を開くことができず、目を開かなければ、視覚という確かな情報源を失ったままワタシ自身との戦いを強いられることになる。

 

 しかもその上、扉間ちゃんという不確定要素を持つカードがまだ控えていると来たもんだ。

 

 あっちに行ってもこっちに行っても八方塞がり。逃げ場がないというか攻め手に欠けるというか、状況がもう詰んでいるというか。

 

 嘘だろ。向こうに駒が一つ増えただけでここまで詰むのか? このワタシが? 

 

「元々扉間小隊は、ワシが自分で選んで組んだ小隊だ」

 

 扉間ちゃんの声が聞こえる。

 

「どんな状況にも対応できるように、どんな敵とも対峙できるように、チームが協力したとき最もその才を発揮できる人選を施し、そのように育てた」

 

 オールマイティに術を使いこなし、どんな状況においてもチームで常に最善の行動をとれる猿飛ヒルゼン。

 

 優秀な戦況判断能力と風遁による広範囲攻撃により、対軍において常に一定の戦果を叩き出し、猿飛と最もチームワークを発揮できる志村ダンゾウ。

 

 高い幻術と医療忍術の素養を持ち、暗器や諜報にも長けた実力派くノ一であるうたたねコハル。

 

 水遁忍術・時空間忍術への適性から自身との術相性が最も高く、協調性の高さからチームの誰とでもコンビネーションを築きやすかった水戸門ホムラ。

 

 チーム内においてフィジカルが最も高く、倍加の術によって巨大な人外相手にも怯まず立ち向かうことができる対軍・対巨大生物特化の体術使い、秋道トリフ。

 

 うちは一族の血継限界と、自身の保有する固有能力や高い忍術への素養から対個人戦において無類の実績を誇るうちはカガミ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それぞれが個人で実力者でありながら、互いに協力し、助け合ったとき最もその力を発揮できる。特にカガミはチームにおける対個人戦闘において無類の強さを発揮する。悪いが、最早貴様に勝機などないぞ。蛞蝓仙人」

 

「ほざけよ扉間ちゃん。勝機ってのは元々自分で生み出して掴み取るもんだ。……ぜ!」

 

 扉間ちゃんのねちっこい説教を聞くやいなや、ワタシはドロリと自身の身体を溶かし、部屋の壁と一体化する。今の状況でまともに戦えば負けるのはワタシだ。悔しいが正攻法の勝ち筋は既に潰えていると見て良いだろう。だけどまともに戦えないなら、まともに戦わなければ良いだけの話だ! 姿を掻き消し、壁の中を逃げ回りながら部屋全体に酸をばら蒔く! 

 

 目を開いても閉じても駄目なら、感覚など関係なく無差別に攻撃を当てれば良いだけのこと。封印部屋は密室空間。この部屋全体に酸を満たせば、ワタシを投影しているカガミちゃんはともかく扉間ちゃんを溶かすくらいは可能な筈……! 

 

 戦力的に劣勢? だから? それがどうした! こんな面白いこと、そう簡単に終わらせてなるものか! 

 

 まだだ。まだまだ。もっとやろう! 

 

 目を閉じ、感知に頼らず、ただ暴れるままに力を振るう。戦略もへったくれもあったもんじゃない。でも、仕方ない。そういう分野では、残念ながらワタシは扉間ちゃんに敵いそうにない。ならワタシは、人外生物としての本領を発揮するしかない。

 

 取り敢えず、部屋を酸で満たす所から始めよう。そう考えて、とにかく無心で酸を吐き出す。壁という壁から、とにかく多く、大量に。

 

「──無駄なことだ。貴様は既に詰んでいる」

 

 うるさいなうるさいなうるさいな! そんな水を差すようなこと言うなよ扉間ちゃん! まだまだ終わらせやしない! 

 

 そう思いながらも、ワタシの感知は違和感を目敏く感じ取る。酸が、全然たまらない。

 

 何故? 理由はすぐに分かる。この部屋が今、密室状態じゃないからだ。

 

 どうして? そんなの決まっている。部屋の壁に、()()()()()()()()()()

 

 なんのために? それは──。

 

 

 ────()()()()()()()()

 

 

「──扉間様。ウチ、一回死にかけたばっかなんですけど……」

 

「貴様はワシを助けに来たのだろう? にも拘らず油断して死にかけおって。情けない。せめて、少しは活躍して名誉挽回しておけ」

 

 少女の声と老人の声。いつの間に。なんていう疑問は、忍最速と目された瞬身使いの扉間ちゃんの前には虚しく響くだけだ。それに、カガミちゃんの野郎、案の定ワタシの感知に妨害を掛けてやがった。

 

 目を閉じても感覚器をすべて閉じた訳じゃないワタシにはまだまだ通じる幻術は存在する。聴覚なんて、その最たるものだし、ワタシが現在最も集中して頼っていた感覚器だ。未熟な忍の手によるものとはいえ、不意を突かれれば、一瞬の隙を生じることもある。

 

 この術は──身体支配系の幻術か。しかも使用用途は、()()()()()()

 

 術を解くのは一瞬だ。だがその一瞬で、奴等は次の幻術をワタシに仕込む。

 

 僅かに開かれた視界の先に映るのは、うちはカガミ。ワタシの姿なんて模していない。黒髪紅眼の優男。その瞳に映る万華鏡写輪眼は、ワタシに新たな幻術を──『月読』を叩き込む。

 

 ガクリと四肢の力が抜け落ち、ワタシの身体が天井からずるりと抜け落ちる。落下と共に意識も薄れ、精神が幻術世界へと溺れて行く。

 

 くそ。

 

 この幻術だけには、掛かりたくなかった。

 

 うちはカガミの左目に宿る万華鏡写輪眼、『月読』。

 

 珍しい能力とはお世辞にも言えない。瞳を媒介とする幻術など、ワタシからしてみればどう甘く採点しても満点の術だなんてとても言えない。

 

 うちはイタチのように幻術世界の体感時間を自由自在に操れるならともかく、うちはカガミのそれは練度不足すぎて、刹那の内に無限の苦痛を与えられるような攻撃性すら持っていない。むしろ、その真逆。

 

 

「やあ。どうも」

 

 

 何もないまっさらな空間。ワタシの前に曖昧な笑顔を浮かべて立ち尽くすカガミちゃん。

 

「そして、さようなら。かな?」

 

「ええ。そうですね」

 

 いつ終わるとも知れない幻術どころの話じゃない。カガミちゃんの幻術は、一瞬で終わる。

 

 一瞬で──全てが終わっている。

 

 

「さようなら。仙人様」

 

 

 うちはカガミの『月読』。彼の幻術世界では何も起こらない。何かを起こすことはできるのだろうが、そんなことをしている余裕は、彼の幻術世界ではまず生まれない。

 

 何故なら彼の幻術世界は、術者とその対象の体感時間を、()()()()()()()()()()()()

 

 幻術世界におけるあらゆる時間の流れを現実世界の1秒の間に圧縮するうちはイタチの『月読』の真逆。彼の『月読』世界では、1秒が現実世界の6時間に相当する。

 

 正直幻術世界の時間空間全てを支配できる筈の『月読』本来の性能と比較すればでき損ないもいいところだ。幻術世界の体感時間が術者本人にまで影響してしまうことも含めて、まず間違いなく術に振り回されている状態と言える。

 

 だが、それでも扉間小隊のうちはカガミが使う『月読』は、敵から蛇蝎のごとく恐れられた。

 

 幻術世界に落とされたときにはもう遅い。どれだけワタシが一瞬で幻術を解こうとも、その頃には現実世界において全てが終了している。そういう幻術として、敵は恐れた。

 

 1対1ならばまだ良い。この幻術は術者自身の体感時間も伸ばすから、ただ幻術に嵌められただけならそれ以上のことは何も起こらない。

 

 だが、現実世界にはカガミちゃん以外に、カガミちゃんの味方が三人も存在している。幻術世界に囚われて何もできないワタシに、彼らは何もかもを行うことができる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが、うちはカガミの『月読』だ。『日像鏡』にしてもそうだが、彼の万華鏡写輪眼はつくづく、仲間ありきの能力である。

 

 

 

 


 

 

 

 

()()()と、ワタシは首を持ち上げる。ここは現実世界。間違いない。今の一瞬で、ワタシは現実世界に帰還した。だが、現実世界で、ワタシは()()()()()()()()? ワタシは、何をされた? 

 

 身体を確認。五体満足。四肢の動きを確認。全然動く。

 

 はて。てっきり封印の10や20くらい受けていると思ったが、全然自由の身だ。

 

 一体これは、どうしたことだ? 

 

 と、目の前に突っ立っている面々の方を向き、ワタシは疑問の表情を浮かべる。千手扉間、うちはカガミ、秋道トリフ、多由也。湿骨林に本日足を踏み入れたお客様は、全員が目の前に揃っている。なんだ? 何をされた? ワタシはどうなった? まさか、何もされてないなんてことはないだろう。扉間ちゃんのことだ。ワタシが動けないのを良いことに、何かしら致命的な術をワタシに仕込んだに違いないのだ。

 

 ワタシは自分が何をされたのか確認するために、扉間ちゃんたちの思考を覗き見ようとして──。

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ? 

 

 ん? 

 

 え? は? うん? なんだ? 

 

 なんだ? 今の思考は。

 

 ワタシは今、何を考えた? 

 

 人の心を……なんだって? 

 

()()()と、頭が痛む。不快な感情が、次々と脳内に駆け巡る。なんだ……これ。なんだこの不快感。なんだこの感情。なんだこの…………っ!!!?? 

 

 

「ワタシに何をした!! 千手扉間!!!!」

 

 

 一瞬で余裕をなくし、慌てて叫ぶワタシに、扉間ちゃんはニヤリと嫌らしい笑みを浮かべる。

 

「どうした? 自分の身に何が起こったのか知りたくはないのか? 今のワシ等の思考なら覗き放題だろう? 貴様は。良いぞ。覗いてみると良い。それとも、人の心を勝手に盗み見ることに、()()()()()()()()()?」

 

 は? 何を云ってるんだこの男は。意味がわからない。罪悪感? なんだそれは。そんな感情、ワタシはとっくの昔に……。

 

 

 とっくの……昔に……切り捨てて……。

 

 

 忘れ……。

 

 

「────────―っっ!!!!」

 

 ワタシは自身の羽織っているボロ布を勢いよくまくりあげ、自身の腹を見る。そして、チャクラを練り上げる。

 

 そこに、『何か』はあった。

 

 封印の跡。渦巻き模様の術式が練り上げたチャクラと共にスーッと浮き上がる。これは、『八卦封印』? いや、違うな。

 

 ベースは八卦の封印式だが、それをアレンジして別の効果をプラスしている。おいおいおい。五行封印のエッセンスなんかプラスしやがって、偶数封印と奇数封印は相性が悪いって知らんのか? これじゃあ封印したチャクラがぐちゃぐちゃに……。

 

 混ざり合って……。

 

 封印……した? ワタシに? 

 

 ワタシを、ではなく、ワタシに? 

 

 ぐちゃぐちゃに、チャクラが混ざるように? 

 

 だけど……ワタシの中には、ワタシのチャクラしか……。

 

 ワタシの……。

 

()を……? 

 

「扉間ちゃん……。アンタまさか……」

 

 布切れから手を離す。呆然としながら、ワタシは扉間ちゃんを見上げる。見上げる……()()()()()()()()

 

()を封印したのか? ()()()の中に?」

 

「全てではないがな。取り敢えず実験的に、五割ほどだ」

 

「────―っ!!」

 

 ドプリと、ワタシは反射的に腕を腹の中に突っ込む。中に潜む不快害虫を掻き出すように指を曲げて、中に封印されている私を掻き出そうとして──。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 違う違う違う! 逆だ! 今すぐ掻き出さないと! 今すぐ善と悪を別たないと! ワタシは元の木阿弥になってしまう! 人の幸せに言祝ぎ、人の不幸に涙するつまらない存在に逆戻りしてしまう!! なんのためにワタシは私の善意を追い出した!! ワタシは、私はワタシは私は私はワタシは私はワタシは私は!! 

 

 ──(ワタシ)は!! 

 

「おが……ぁ。ぇぁ……。おぇ……。ぁ」

 

 頭がいたい。気持ちが悪い。吐き気がする。立っていられない。

 

 ──最悪だ。

 

 あの野郎。ワタシの半身ちゃんの五割をワタシの中に封印しただと? しかもわざと偶数封印と奇数封印を掛け合わせて、ワタシと私の精神をぐちゃぐちゃに撹拌するように? 

 

 なんてことをしてくれたんだ。なんてことをしてくださったんだなんてことをしてくれやがったんだ!! 

 

 これで私は、下らないことを考えないで済む。これでワタシは、下らないことで思い悩む阿呆に逆戻りだ! 

 

 うぐっ……! くそ! 気持ち悪ィ。頭の中で正反対の思考がグチャグチャと掻き乱れる。

 

 思考が善意と倫理観に犯されていく……! 

 

「初めからこうしておけば良かったのだ。六道仙人の失敗は、封印する対象を見誤ったことよ。元々カツユは善良なる仙人とやらから別たれて産まれた存在。であれば、それを元に戻してやればいい。そもそも蛞蝓仙人は善意と倫理観に溢れた存在で、悪徳の心はそれらをすべて外に追い出した後に残った搾り滓程度のものだったのだろう? であれば、別れた存在を元の一つに戻せば善良な仙人が復活するのは道理というものだろう」

 

 扉間ちゃんが口を開く。世にもおぞましい思考を、ワタシに向かって垂れ流す。

 

「ぐ……うぅ……。くは……は……。わかってないね……。扉間ちゃん。ハゴロモがそれをしなかったのは失敗したからじゃなくて、ハゴロモが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 頭の痛みをなんとか堪えて、ワタシは声を絞り出す。

 

「ワタシが何をしたのかは既に聞いただろう? ワタシが過去に、何人を快楽のためだけに殺したと思ってる? そんなワタシがいきなり元の善良極まるくそ雑魚ナメクジに戻ってみろ。それこそ……。ぐ、うああああああああああ!!」

 

 ああ! ワタシは……。私は……! なんてことを!! 

 

 なんてことをしでかしてしまったんだ!! 

 

 国を沈めてから先、ワタシがワタシになってから行ったすべての行動に、耐えきれないほどの嫌悪感が沸き上がる。

 

 畜生!! 何故、ワタシはこんな……糞みたいな……!! 

 

「フン。元の自分に戻ったら、自身の犯した罪の重さに己の心が耐えられなくなるということか? 当然の帰結だな。罪の自覚ができるだけマシではないか」

 

「うわぁ……。これはひどい」

 

 赤毛の少女が哀れみの目をこちらに向ける。ワタシはお前の腹を掻っ捌いた張本人なのに、よくもまあそんな目を向けられるものだな。申し訳ないね。いや、そんなことを思う必要はない!! 自分がやったことに後悔なんてしてたまるか! やめろ! そんなことを思うんじゃない!! 

 

 やめろやめろやめろやめろ。考えるな。思い出すな。思考するな。悔いを感じるな懺悔するな悔い改めるな!! 

 

 アイデンティティがガラガラと崩れ落ちる。ワタシと私が混ざりあって、頭が余計なことを次々と考え出す。今まで守ってきた人間を、大切に守り育ててきた人間を、嘲笑いながら溶かし尽くした記憶が次々とフラッシュバックしていく。

 

 楽しかった思い出が、おぞましい記憶に上書きされていく。

 

 やめろ。やめてくれ。これ以上ワタシの思考を凌辱するのはやめて欲しい。

 

 ワタシを責めるのはやめてほしい。

 

 お願いだよ。もう勘弁してよ。わたしが悪かったから。

 

 苦しい。もうやめて。わたしを責めたって、死んだ人間が戻ってくる訳じゃないじゃない。

 

 そうだよ。人間は死んだらもう戻らない。

 

 彼等彼女等の最期は、苦しかっただろうか。苦しかっただろうなぁ。

 

 なんで、そんなことしちゃったのかなぁ。わたしは……。

 

 ぐるぐるぐるぐる。あたまがまわる。

 

 からからからから。ワタシがわらう。

 

 がみがみがみがみ。わたしがおこる。

 

 ごりごりごりごり。こころけずれる。

 

「ひひ。あはは。ひひふふへへはは」

 

「なんだ壊れたか。善意の分量を間違えたか?」

 

「お菓子作りに失敗したみたいな調子で言わないでくださいよ。そういうものなんですか? これ」

 

「知らん。こんな症例を取り扱うのはオレも初めてだからな」

 

 まったく、好き勝手云ってくれる……。

 

 精神がそんな簡単に壊れてくれるなら、どんなに楽か。

 

 生憎ワタシは、千年の退屈にも耐え抜いてしまえるくらいには図太いんだ。いくら頭と心と精神を凌辱され続けても、そう簡単に壊れるほど柔いもんじゃない。

 

 最初は搾り滓だったかもしれないけれど。その搾り滓は、千年の時を生きてるんだ。

 

 千年……。千年か……。

 

 もういい加減、死んでも構わない年月生きたと思うんだけどなぁ……。

 

「ごほ……。あぁ。クソ。ひどいよ扉間ちゃん。ワタシの心をこんなぐちゃぐちゃにしちゃうなんて」

 

「オレはただ有るべきものを有るべき場所に戻しただけだ。己が己を責め苛むなら、それは己の犯した罪の重さ故だろう」

 

「誰が裁く罪だよそれは。誰が裁いてくれるんだよその罪は!!」

 

「さあな。罪を裁ける者など元々何処にもいないのではないか? 今も昔もな」

 

「なら、お前でいい! お前がワタシを殺せ! 千手扉間!!」

 

「断る。己の罪の責任を他人に押し付けるな」

 

 ……!! くそがこの堅物!! テメーがこんなワタシにしたくせに!! 

 

 ワタシだって、今更人間を虐殺した程度のことを罪だなんて思いたくないんだよ!! だけど、私が培ってきた下らない倫理観がそれを罪と認識しちまうんだから、それはもう償うしかないじゃないか。いや、そんなもん償いたくない! だけど! だけど! 

 

 

「──ではその罪。私が裁きましょう」

 

 

 ぬるり。と、部屋の壁から蛞蝓が一匹這い出てくる。かと思うと、その蛞蝓はみるみるうちに姿を変えていく。

 

 四肢と頭が人間のそれへと変化し、長い白髪が細い麻紐によって左右へと輪っか状に結わえられ、真っ白な着物装束がその身を覆う。

 

 今のワタシの姿をそのまま人間として10年成長させたような、妙齢の女性が部屋に降り立った。

 

 と云うか、コイツ……! 

 

「半身ちゃん……テメェ。なんだその姿。ワタシをおちょくってんのか」

 

「汚い言葉。私の身体を半分も封入したと云うのにまだそんな口が叩けるなんて。この千年で、私の抱えていた悪感情はそこまで肥大化していたのですね。嘆かわしい」

 

 ふぅ……。と、艶かしいため息を吐く半身ちゃん。ワタシの領域内にのこのこ入って来やがって溶かしてやろうかと思ったが、しかしその思考を実行に移す気力は全く湧いてこない。

 

 それに、例えワタシが半身ちゃんの排除を実行に移したとしても、どうせ無駄なのだろう。半身ちゃんがあんな姿形を取ることができると云うことは、つまり──。

 

「私は己の半分を貴方と融合させることで、貴方との間に直接的なパスを繋ぎました。もう今までとは違う。私は貴方の持つ仙術チャクラを自由に扱うことができる。これ以上、貴方の好きにはさせませんよ」

 

 そんなことだろうと思った。確認するまでもなく、ワタシの中のチャクラが半身ちゃんに流れている感覚はしていた。感覚共有、思考伝達、チャクラ伝達。今まではワタシが一方的に享受するだけだったそれらの権能が双方向から送受信可能になるようになっている。ワタシの中の私が、ワタシの身体の操縦権を奪っている。

 

 ああ。ワタシ、完全に終わってるな。こりゃ。

 

 封印で外に出ることも叶わず、趣味の人間いじりも心の底から楽しめなくなり、自分の身体の支配もままならず、半身ちゃんとの力関係すら逆転してしまった。

 

 一瞬で、ちょっと気を失ってる間に。

 

 すべてを奪われ、死ぬこともできないワタシは、これからどうすればいい? 

 

 あーあ。失敗したなー。何がいけなかったんだろう。

 

 ワタシはただ、退屈な日常に潤いを得たかっただけなのに。

 

 何が悪かったんだろう。そもそもワタシは、悪かったのか? 

 

 世間に蔓延る倫理観的には、ワタシは悪なのだろう。少なくとも虐殺当時は、ハゴロモの手で、ワタシは悪として断罪された。

 

 私が元々持っていた倫理観と照らし合わせても、ワタシの今までの行いはどれひとつ取ってみても余すところなく悪行だ。しかし、それを悪として裁ける存在はワタシを一度断罪したきりこの世を去った。

 

 ワタシを留める封印はあれど、ワタシを止められる奴などもういないと思っていた。

 

 いるところにはいるもんなんだな。いや、これは単に、ワタシの視野が狭かっただけか。

 

 いくら扉間ちゃんでも、ここまでの封印を施すにはワタシから数分以上の隙を作る必要があるだろう。扉間ちゃん一人でそれを行うのは、不可能でこそなくとも大分厳しい勝負を迫られることになったことだろう。

 

 だけど一人じゃなければ。仲間と共に協力すれば、ワタシから隙を作り出すなんてことはあんなにも簡単なことだった。

 

 扉間ちゃん以外の人間を軽視して、そのことを見抜けなかったワタシの注意不足が招いた結末。いや、違う。

 

 足りなかったのは注意じゃなくて、経験か。

 

 千年間引きこもり続けた貧弱蛞蝓には、人生経験ってやつが足りていなかった。これはただ、それだけの話なのかもしれない。

 

 あーあ。負けた負けた。こりゃ駄目だわ。どうにもならん。

 

 今のワタシじゃあ、扉間ちゃんからの質問に対して黙秘に徹することもできないだろう。そういう人格に、作り替えられてる。戦闘に負けようと封印されようと、扉間ちゃんの目的さえ阻害できればそれで勝ちだと思っていた。ワタシがワタシである限り、死んでも情報なんて渡してやるものかと思っていた。なのに、封印されるどころか人格を変えてくるなんて、誰が想定するよ。予想外もいいところだわ。

 

「もう好きにしてよ。飽きた。勝手にしろ。知らない知らない! ワタシはもう何も知らない!」

 

 投げやりに地面に手足を投げ出し、最後の抵抗とも呼べないような弱々しい駄々をこねて、ワタシは己の敗北宣言を行う。それを見て「はぁ……」と、盛大にため息をついた半身ちゃんは、ワタシの襟首を掴んだ。

 

「最後まで見苦しいガキですね。本当に見た目通りですか貴方は」

 

「ふーん。どうせガキだよ。半身ちゃんこそ、そんな姿を作って、自分は大人のつもりなのかよ」

 

「ええ。貴方よりは、ね」

 

 グイ! と、襟首を引っ張られ、地面に貼り付いていたワタシの身体が持ち上がる。

 

「なにすんのさ」

 

「裁きですよ。真の意味で罪を裁ける者など罪人自身以外に誰がおりましょうや。改心とは本来己自身で行うもの。故に貴方は、私が裁きます。さあ、大人しく判決を受け入れなさい」

 

 マジで何をするつもりだこの半身。自身の力を奪われてしまっているせいで、考えが読めない。今までこのワタシが、こんなにもままならないことがあったか? 

 

「うわっ!」

 

 そんなことを思っていたら、半身ちゃんはいきなりワタシの身体を放り投げた。この野郎! 自分の本体をなんだと思ってやがる! 

 

 ゴロゴロと身体は無抵抗に地面を転がり、やがて止まる。両手足を大の字に広げてうつ伏せに突っ伏すワタシの姿のなんと惨めなことか。泣きたくなるね。

 

「……?」

 

 ……何かがおかしい。致命的な違和感。なんだ? もうこれ以上の異変は正直勘弁だぞ? 

 

 何がおかしいのか確認するために、ワタシは地面に手をつき上半身を起き上がらせる。そして、半身ちゃんたちのいる方向に振り返り──―

 

 

「………………は?」

 

 鳥居があった。鳥居。ワタシはこれがなにかを知っている。知り尽くしている。

 

 ワタシを千年以上も狭苦しい闇の中に幽閉した忌ま忌ましい封印式。明神門。

 

 鳥居の後ろの壁には穴が開いていて、その奥に、半身ちゃんと扉間ちゃんたちの影が見える。

 

 ちょっと待て。このロケーションは、どう考えてもおかしいだろう。これは、これじゃあまるで──。

 

「判決が出ましたね」

 

 半身ちゃんの声が届く。判決。判決だと? どう云うことだ? どうなってる。今のこの状況は、どういう状況だ? 

 

 混乱で思考が停止してしまっているワタシを他所に、穴の奥にいた半身ちゃん達がぞろぞろとこちらに這い出てくる。

 

「蛞蝓仙人。私の半身。貴方の中の悪徳の心は本日をもって改心されました。よって、貴方は六道仙人様の封印から解放されます」

 

 なにをいっているんだこの半身。ワタシが、改心? 封印から、解放? 

 

「何云ってんの半身ちゃん。だってワタシは……」

 

「正確には」

 

 ぬう、と、最後に穴から這い出た扉間ちゃんがワタシの疑問の声を遮り喋り出す。

 

「貴様の中の悪徳の心とやらが改心したわけではなく、貴様の悪意が混ぜ合わされた善意によって押さえ込まれ、現在の貴様の精神状態が純粋な悪意に染まっていない状態にあると言った方が正しい。貴様の精神状態は現在総合的に見て、悪意でも善意でもない中間に押さえ込まれている。故に、『悪意に染まった貴様』という存在を封印内に押さえ込む六道仙人の封印術式は今の貴様には適用されない訳だ」

 

「………………」

 

 ワタシが……封印の外に。

 

 許されたとでも云うのか? このワタシが。馬鹿な。そんなことは有り得ないし、そんなことがあって良いはずがない。

 

 ハゴロモの野郎。あの偽善者のクソガキ。どうせワタシが罪を受け入れ、ワタシが追い出した罪悪感と倫理観を受け止めることができたらちゃんと檻から出られるようにこんなヘンテコな条件をつけたんだろうが、ハハ。何て滑稽。

 

 こんな乱暴な、物理的で暴力的で他力本願な『改心』で、すぐに出られる封印なんか作りやがって。見ろよ。こんな釈放の仕方、どう考えてもお前の狙い通りじゃないだろ。

 

 ハ……ハハ……! アハハ! ワタシは自分で改心なんかしていない! 扉間ちゃんに無理矢理善意を押し付けられただけだ! 今だって、心の底じゃくそ食らえと思ってる! おかしいなぁ! こんなはずじゃなかったろうになぁ! ハゴロモちゃんよォ! 

 

 ……こんな愉快な現状を、何故素直に喜べないんだ。ワタシは……。

 

 ゆらりと、覚束無い足で立ち上がる。足を押し付けるとぐにりとわずかに沈む蛞蝓の体内を、ワタシはふらふらと歩き始める。

 

「ちょ、ちょっとアンタ……。何処に」

 

「好きにさせろ。今の奴に悪さはできん」

 

 後ろから聞こえてくる赤毛の少女と扉間ちゃんの声を聞き流す。今のワタシには、聞こえてくるどんな声にも興味が湧かなかった。ただ、ワタシはふらふらと洞窟の道を、何かに引き寄せられるように歩く。

 

 光が見える。白い光が。あそこに、ワタシの求めるものは何もない。何もない、筈だ。むしろあの光の中に立ってしまったら、ワタシの目は潰れてしまうのではないか。そんなことすら考えてしまう。だけど、それでも、ワタシの足は止まらなかった。

 

「……うっ……あ」

 

 広い場所に出た。チャプリと、湿った土に足が沈む。酸の霧に遮られた鈍い太陽の光が、ぶわりとワタシに降り注ぐ。

 

 辺り一面の景色は、泥と、骨と、霧。湿骨林。ワタシを除いたあらゆる生物を寄せ付けない、殺風景な死の大地。

 

「どうだ? 千年ぶりの娑婆は」

 

 背後からぞろぞろと、ワタシを追ってきた扉間ちゃんたちが姿を見せる。

 

 どうだって? それは何。ワタシに外に出た感想を訊いてるの? 

 

「どうって、相変わらず殺風景な土地だよ。ワタシが作った土地ながら、嫌気が差すね。久しぶりの娑婆だってのに、最初に見る光景がこんな何もないつまらない景色だなんて」

 

 大体、ワタシは半身ちゃんの視界を通して、封印内にいながらずっと、世界中の景色を見続けてきたんだ。今更目新しい光景なんてありゃしない。千年ぶりに外に出て、つまんない景色に感動するとでも思ってんなら、それはとんだ勘違いだ。ワタシはそんなにちょろい蛞蝓じゃない。

 

 そう。こんな簡単に、心が動かされるような蛞蝓じゃあ、無かった筈なんだ。

 

 だから、こんな殺風景な景色に何かが込み上げて来そうになるのも、こんな酸に汚染された空気を吸い込んで美味しいなんて錯覚してしまうのも、間違いなく、扉間ちゃんがワタシに仕込んだ余計な混ぜ物の悪影響に決まっているんだ。

 

 まったく何て日だ。こんな屈辱的な気持ち、ハゴロモに幽閉された時だって感じやしなかった。

 

 何より一番耐え難いのは、今のこの最悪の状態に、幸福感を抱いているワタシがいるってことだ。

 

 ああそうさ。認めよう。ワタシは外に出たかった。そんなこと、封印されてからこのかたずっと思い続けていたさ。

 

 だけど、こんな出方はまったく本意じゃない。こんな出方をするくらいだったら、ワタシはあと百年くらいあの穴蔵でじっとしていた方がましだった。誰かの計略通りになるくらいなら、次の機会を窺うことになんの躊躇もない。それがワタシのはずだった。

 

 だけど、今のワタシはこんなんでも、十分に嬉しいなんて思っていやがる。だから、嫌でも思い知らされる。

 

 ワタシは死んだ。今までのワタシは、もう何処にもいない。と。

 

 どろどろと、心が溶ける。塩を振られた蛞蝓のごとく、しおしおと、ワタシの中の何かが萎れていくのが分かる。

 

 感慨と感動が感情を支配し、負の感情が消えていく。

 

 ワタシが死んでいく。人知れず、誰の目にも止まらぬまま。

 

 嗚呼。今日は、生涯最悪の日だ。

 

 目の端に滲むものが、悔し涙なのか嬉し涙なのかさえ曖昧なまま、ワタシは何かにすがるように、霧で見えない太陽に向かって手を伸ばす。

 

 それは何処か命乞いのようでもあったが、どうせその手を掴んでくれる仏様は、何処にも存在しない。

 

 そりゃそうだ。ワタシは救いようもない極悪人。そんな奴に蜘蛛の糸を垂らしてくれる神様も仏様も、この世界にゃ存在しない。

 

 フフ。敗けたんだな。ワタシは。

 

 身体の内側に幸福が満ちていく。

 

 心が、あたたかい光に包まれる。

 

 頬を、一筋の雫が伝った。

 

 

 

 

 ▼次回につづく。

 

 




あとがき

おおっし!決着ついた!vs蛞蝓仙人編!完!

毎度のことながらオリジナル設定をぶちこむことに定評のある私ですが、カガミさんの特殊能力はいつも通りでいいとして(?)、今回ついに、異世界転生ものらしい現代知識チートの片鱗が見えてきましたね。前から感想でも言われてましたが、扉間様に現代知識教えたら大変なことになりまっせ奥さん。そんな話でもありました。

メスガキをわからせたいという欲求はどうやら私だけの性癖では無いようで、多くの人が扉間様によるわからせを期待していたようですが、さて、このメスガキは何をわからせられたのでしょう?一つに絞り込むには、複雑すぎる感情を叩き込まれた模様ですね?

心を入れ換え改心することは、以前の心の死を意味するのでしょうか?心を押し殺すことは現代社会では大事な必須スキルですが、行き過ぎも良くありません。大事なのは、ほどよく抑圧を解消することでしょう。私がおかしな二次小説で性癖を晒しまくっているのもその一環と言えるかもしれません。ストレス発散!シコって寝ろ!

人は常に、そうやって(?)己を殺しながら生きるものです。が、この蛞蝓は、心を圧し殺すためのプレス機をほっぽっちゃったせいで長い間それができなくなっていたみたいですね。状況が特殊すぎひん?

この章でやりたいことはだいたいできたので、私は割と満足です。やー。やりきったやりきった。

え?扉間様が何か訊きたそうに蛞蝓を見ている?

……。蛞蝓仙人編。次回につづく!

前書きの一言に対する自問自答
「いろいろ大変そうだなー。頑張れ!(他人事)」



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