昼過ぎの明るい喧噪の中、長瀬は今日何度目か分からない自己嫌悪の中にあった。
(……俺ってホント馬鹿)
長瀬裕樹は己のバカさ加減に嘆息する。
なんか後ろの千景も今はもう長瀬をあきれ顔で見ているような気がした。
長瀬がこの世界に来てからおよそ半日後、二人がいるのは香川県にある遊園地だ。
意外と新しい設備の遊園地は地方にある施設にありがちなチープさはなく休日の今日は人々でにぎわっているが、この場合は適当であったかどうかは疑問が残る。
どうしても千景を放っておけなかった長瀬はとりあえずまずは彼女の気持ちをほぐしてみようと色々連れ回す事を考えた。
まだ千景が飛び降りに至った本当の原因までは分からないが、根が単純な長瀬はまず楽しい事をしてみるのがいいのではないかと思い立ち、まず目についた遊園地から実行したが……千景は特に楽しくなさそうだ。
下手な考え休むに似たり。
古人の教えを痛感する長瀬であった。
「お、おいあれ乗ってみようぜあれ、あのジェットコースター」
「……」
ジェットコースターに乗ってみた。
千景は特に苦手ではないようだがやはり楽しそうに見えない。
「フ、フゥ~」
「…………」
駄目だこいつ。千景は最早無表情どころかチベットスナギツネめいた虚無的な表情を浮かべている。
無論千景も馬鹿じゃないから長瀬が昔の知り合い、イユや千翼と言う人間と自分を重ね合わせて何事してやりたいと思っているのは分かるが、なんというか自分同様の低コミュ力を見せつけられてテンションが下がった。
まあしょうがないかとも思う。何せ今日初めて会ったばかりの相手なのだし。
一方長瀬は己の無力さにダラダラと汗をかいていた。
(やべえぞ……どうすりゃいいんだ俺は。こいつどうすりゃあ喜ぶんだぁ)
「なあ千景、お前何か好きな物とかってないのか? 動物園とかもあるぞここ」
「……あれ」
「ゴリラの筋肉でも見……ってゲーセンか、思ったよりでかいな」
千景が指さすのは遊園地に併設されたゲームセンターだ。
本人が言うにはゲーム、特にシューティングとかアクションの類は数少ない自分が好きな物だとか。
早速行ってみると殆ど長瀬が元居た世界と同じようなタイトルがずらっと並んでいる。
特に短い時間でサクっと爽快感が味わえるからかガンシューティングゲームが非常に多い。
早速長瀬はプレイ用のカードを購入して千景がどうやらやりたいらしい『スナイプ・シューティング』というゲームを一緒にプレイしてみる。
が、このゲームは思ったよりも数段難しかった。
武器の弾数やロックオン等の条件がシビアなうえに敵の反応がやたら早い。挙句の果てにまだ最初あたりの敵を片付けない内に戦闘ヘリすら出てきた。
「何だこのクソゲー!? 5分でもう10回は死んだぞ!?」
ズタボロにされる長瀬に対して千景の技術はすさまじい。
扱いづらい武器を使い長瀬よりもハードな条件でプレイしているにもかかわらず、遥かに早く敵を打倒してとうとうボスを倒し、もう次のステージに入っていた。
「ヘリの対処は簡単よ。最初の機銃掃射の後に突っ込んでくるからそこを狙えばいいの。後それまでに歩兵は邪魔だから必ずすべて仕留めておくこと。敵の位置と出現する順番、後は危険な動きを覚えれば簡単だから」
「……ヘリは特殊な攻撃アイテムとかねえの?」
「あるけどこのゲーム、攻撃の切り替えが遅いから銃で全部済ました方がいいわ」
「ええ……それ元のデザインに問題がねえか」
これは自分には無理だと断念した長瀬は千景がゲームをクリアし終わるまで見ていた。
特に視線に気負う事もなく手つきは滑らかに特に焦る事もなく敵を仕留めていく。
現代っ子だがゲームなどが好きではない長瀬と比べても千景の技量は遥かに高いうえにこのスナイプ・シューティングというゲームをやりこんでいるようだ。
「お前ホントこのゲームうめえな。何度かやったことあんのか?」
「この遊園地に来たのは初めてだけど……高嶋さんと一緒に何度かこのゲームはしたことあるから」
「高嶋さん? そいつが千景の友達なのか?」
「ええ。私の唯一の友達でとても……優しい人。いつも私と一緒にいてくれる。けど────次、いきましょう」
「あ、ああ」
高嶋と言う友達について語るときの千景はこれまで長瀬が見たことがない程に嬉しそうだったが、すぐに表情を再び暗くしてうつむいた。
(高嶋って友達がいるのか……落ち込んでるのはやっぱその友達と喧嘩でもしたのか? いやにしちゃあなんか違う気がする。千景は何というか、もっとこう、追い詰められている感じだ)
恐らくこれまでの印象で長瀬が千景と千翼が似ていると感じたのは長瀬の直観だが間違っていないだろう。
千景の憔悴した雰囲気はかつて千翼がそうだったように、全方位から追い詰められて押しつぶされそうになっている人間のそれだ。
誰か一人に傷つけられたのではなく、息苦しい様な圧迫を感じているはず。
(ならまたクラスでいじめにあってるのか? それともやっぱりその友達と酷い喧嘩をして全世界から見捨てられたような気分になってんのか? ああ糞わからねえ)
本人が話してくれない以上一体何が千景を追い詰めているのかさっぱりわからない。
だが長瀬は可能な限り千景に付き合ってやることに決めていた。
それはかつての代償行動、単なる偽善的な行いかもしれないが、今の無力な自分でもそれぐらいは苦しんでいる千景の為に出来るだろうから。
そんな長瀬を千景は横目で見ていた。
「……馬鹿な人」
「なんか言ったか? よし、次はうまいもんでも食いに行こうぜ」
千景は長瀬に聞こえないようにつぶやいた。
千景は長瀬裕樹と言う人間に対して抱いている感情を一つ定義するなら、困惑だ。
最初に引き留められた時長瀬はピアス等はしていない物の茶髪で体格も千景より格段にある、まさに自分にとって苦手そのものの乱暴な人間に見えた。
事実長瀬は高校生の頃はグレた不良だったし怪物相手とはいえ友達と一緒にバットで人型の生き物を襲っていた経験がある上に、小遣い稼ぎに
基本的に一人が好きな千景とは全く以て対照的な人間である。
しかしそれでも長瀬は千景と彼の知る誰かと重ね合わせて千景に世話を焼いている。
何の得にもないのにだ。
そんな人間は千景の人生において友奈以外はいなかった。
友奈の事を想うと千景の胸は痛む。
千景が友奈と出会ったのは高知県から転校した千景が中学に入学する時の事だ。
それは運命も何もない偶然の出会いだった。
たまたま同じタイミングで、たまたま近所に引っ越してきた者同士がばったり会っただけ。
本当に偶然の出会いから二人は出会った。
当時の千景は故郷でのいきさつからすれ違う人全てに怯えていったと言っていい。
事実苛ついている父親と同じ空間に居たくなくてこっそりと周囲を警戒しながらあたりを見回っていた千景は、自分よりも小さい友奈に本気で怯えていたけども、彼女は千景の恐れを解きほぐすかのようににっこりと満開の笑みを咲かせて自己紹介した。
────―私高嶋友奈! ご近所さん同士お願いしまーす!
────―え……あ……よ、よろしく……
それから1年の年の差を超えて千景と友奈の交流が始まった。
人と話すことが苦手な千景に対して友奈は辛抱強く付き合ってくれ、我ながら年下相手に恥ずかしいと思いつつも千景は友達付き合いと言う人生初めての体験を何とかこなす事が出来ていた。
特に印象深いのは去年のクリスマス。
日本人なら本来知っていて当たり前のはずのクリスマスパーティーがどういう物かすら知らなかった千景と一緒にクリスマスを友奈は祝ってくれた。
生まれて初めての楽しいクリスマスパーティ。
二人でプレゼントを交換し合い、ケーキを食べて外に降る雪を見た事は千景の人生の中でも一番の思い出だ。
「わーすごーい! 香川県ってこんなに雪が降るんだ! 前ぐんちゃんがやっていたゲームみたいだね!」
「確かに似てるわね……ラスボスと雪の中での最終決戦……もしあのゲーム好きなら、高嶋さんもやってみる?」
「うんやるやる! ぐんちゃんとお揃いのゲーム楽しみだな~」
「今度会った時持ってくるわ……今日はあのゲームは持ってきてないけど……2人プレイできるゲームを持ってきたから……それをやりましょう」
「わーい!」
友奈の笑顔を見ていると千景は自分の胸が暖かるのを感じる。
幸せという気持ちはこういう事なのだろうか。かつての千景にとって縁遠い物に感じられた物が確かに自分の基にある。
千景はその事実にうるんだ涙をそっとぬぐい、少しだけ声を震わせて聞いてみた。
「ねえ高嶋……さん」
「なーにぐんちゃん」
「私とずっと……友達でいてくれる……」
「え? もちろんだよ! ずっと友達でいようね!」
ああ友奈は、自分にとって誰よりも大切な人だと千景は思った。
友奈が中学生になってからは学校でも彼女と話せるようになり、上級生とも気軽に仲良くなれる友奈のおかげでクラスメートとも拙いながら少しだけ、ほんの少しだけだけど話せるようになっていた。
千景は学校という場所に行くことが楽しいと初めて思うようになった。
友達と呼べるのはまだ友奈一人だがそれでも彼女と一緒に色々な所に遊びに行った事はかけがえのない思い出だ。
こんな日々がずっと続くといい。千景は自然にそう思っていた。
だからだろうか二日前にあんなことになったのは。
二日前に千景と友奈がショッピングモールに行った時の事だ。
会計をしている友奈から少し離れてウインドウを見ていた千景はぴたりと足を止めた。
聞こえてきた同年代の少女達の話声に千景は硬直する。
何故なら聞こえてきた声に千景は聞き覚えが嫌と言う程あったからだ。
「いやー久々に色々買ったわ。やっぱり香川県は品ぞろえがいいね」
「ほんとほんと。ウチの方にもこういうショッピングモールできればいいんだけどねー」
「まーそうはうまくいか……お?」
千景とかち合ったのは千景と同じ年頃の少女達数人。
春休みの機会に旅行にでも来たらしい彼女達は千景が住んでいた村の住人である。
すなわち──────まるで毎日のように千景を虐げ続けてきた者たちだ。
彼女達も思わぬ遭遇に一瞬驚いたような顔を見せたが、次の瞬間には千景を嘲笑う笑みを浮かべたのを見て、千景は悲鳴を上げて無様に逃げ出した。
まだ何かされた訳じゃないし言われたわけじゃない。
けれど千景はもう耐えられなかった。
自分が少し生きててもよいと思えた世界が穢れていくことに、大切な友達に自分の惨めで汚い愛されるに値しないの過去が友奈に知られてしまうかもしれない事に、千景はこれ以上耐えることが出来なかった。
長い時間かけて育まれてきた負が、自分がやっと手に入れた幸せを撃ち砕いたような気がして苦しくてならなかった。
泣きながら千景は走り出ていく。辛い事しかない世界から逃げる様に。
愛に飢えた心を抱えたまま。
そんな風にとめどなく昔の事を考えていたからだろうか。
遊園地のはずれで長瀬からもらったクレープ菓子を食べている内に千景は思わずポロリと涙をこぼし、そっと千景は自分の涙をぬぐう。
それでも止まらずにぽろぽろと涙を流す千景に長瀬はそれを慌てて適当な方向を向いて見ないようにした。
彼らしい不器用な振舞いだったけどもそれが千景にはありがたかった。
「……私友達に、高嶋さんに私……さっき言った過去の事知られたかもしれない……」
「……そっか」
長瀬はその一言で千景に起こった事を察する。
どういった形かは知らないが千景は過去の傷を抉りだされたのだろうと。
長瀬だって不本意に千翼やイユの事に触れられたら嫌だ、まして千景は基本的にたくましく生きている男子大学生と違ってまだ多感な年頃の少女。
忌まわしい過去を友達に知られてしまう悲しみは、それをきっかけに自分を好いてくれる人間との関係が壊れる恐怖は長瀬には分からない。
「俺にはお前がどんな気持ちだったか分からねえけど、辛かったんだろうな……なあ千景、一つ聞かせてほしんだけどさ、お前、親とか学校の奴らになんかしたか?」
「……死ねばいいとかアンタさえ生まれてこなければとか言われたけど、何もしてない、と思う」
「っクソヤローが。……じゃあお前なんも悪くねえじゃん」
「え?」
長瀬の言葉に千景は意外そうな顔をした。
が、長瀬にとってそんなことは当然である。
そもそも本当に悪い人間と言うのは自分のやっている事を正しいだなんて面をしている物で、この時点で千景は長瀬の考える悪い人間から外れている。
「お前は故郷の奴らと違って誰かを悪く言ったわけでもないし、誰かを傷つけたわけでもねえなら、なんも悪くねえよ。悪いのは百パーお前のクソ親と周りの田舎もんどもだ」
「でもっ私はいるだけで―」
「そりゃあねえよ! ああクソほど頭に来やがる。お前の存在が邪魔? なんも価値もない? 誰からも愛されない? ふざけんなクソ野郎! そんな簡単に人を否定すんじゃねえよ! この世に生まれたことが、生きていることが罪なんて、んな事あるわけねえだろうがっ!!」
長瀬は千景を否定してきた者たちの事が許せない。
千景の両親にも学校のクラスメイトにも村人にも彼らの言い分があるのだろう。
長瀬だって今はまともに生きようとしているとはいえ人の事を言えた身ではない。
けれども、生まれた事こそが罪なんて主張を許すつもりはなかった。
「それにな! 俺はイユと千翼とは友達じゃなかった。うまく言えねえけど……あいつらとはとにかくそういう関係じゃ、対等な関係じゃなかった。でもお前は違うんだろ。お前は高嶋ってやつと友達なんだろ?」
「たぶん、そうだと思う……でも、高嶋さんは優しいから私に合わせて」
「少しはそういう面もあるかもしれねえけど、友達やってたら多少は迷惑かけたり汚い面も知るって。もっと高嶋の友達やってる自分に自信を持て自信を」
自分に自信を持つ。
言えば簡単な事になるが千景にとっては難しい事だ。
だから長瀬は背中を押すようにして千景に対して畳みかける。
「つーか自分じゃ気づいてないようだけどお前、めっちゃ顔いいぞ。おまけにゲーム好きとかSNSで彼氏募集中の広告出したら日本中から人が集まるって。いやマジで俺前はユーチューバーやってたから分かんだよ。倍率100倍は最低でも行くわ」
「なんか嘘くさい……」
「ホントだって! とにかくな俺が言いたいのはクソ野郎の集まりの事なんて気にしないで高嶋と友達やってろ。それが絶っっっっってえ一番だから。もう死ぬなんて考えんな。お前は誰かに愛されて、生きる価値がある奴なんだから」
それは長瀬の、無力ながらも人の命の価値に関する一端に触れた者の重みがある。
そんな自分の知らない重みのある言葉を聞いて千景は逡巡する。受け入れていいんだろうかと。
が、少しばかりして友奈以外初めての自分を心配してくれる人の言葉を信じようと決断し、千景はうなづいた。
「……分かったわ。もう自暴自棄になんてならないし、あんなことしない」
「ならまずその高嶋って奴に連絡取ろうぜ。お前の事めっちゃ心配してんぞ絶対」
「……あ、そっか。スマホ、家において来ちゃったけど」
「なら俺が乗せてってやるよ。ガソリンはまぁ……足りんだろ」
長瀬は千景の背中を押して歩き出す。
唐突にこの世界に来て長瀬の頼みの綱のガソリンや財布の金は残りわずかだ。
しかしそれでも長瀬は後悔しない。
(――――なぁ千翼見てるか? 俺、少しだけまともになれたかもな。前みたいにクズのまま死んでるように生きるのはごめんだからさ、少しだけでもこいつの助けになれないかやってみる。元の世界に帰れるか分かんねえけど)
長瀬が元居た世界とは何処か違う空を見上げて長瀬は思った。
今の自分を千翼が見てくれていると考えるのは、少々自分を買いかぶりすぎか。
まあいいさ、折角あった奴の為に少しだけでも何かをしてやろう。
長瀬と千景が友奈と連絡を取る為に自宅へ向かっている頃。
香川県の片隅にある寂れた倉庫の近くに黒い渦が生まれた。
黒い渦。鳴門海峡の渦のように海ならばともかく空中に突如出現したあまりに異常に過ぎる存在である。
ブラックホールに印象の似た昏く異常な渦は徐々に径を増し続け、やがて異形達を吐き出した。
蝋化した死体めいて白い体色に目のない剥き出しの歯を備えた大口の異形達は1体2体と数を増やし続け、やがて最後に体表の一部を濁った青で染め、右腕に大弓のような機構を携えた一回り巨大な異形が降り立つ。
密集する異形達は光り輝く人間と、人間の街並みを見た。
彼らの本懐は人間をムシケラの如く殺戮し、人の築き上げた全てを灰燼に帰すことである。
しかし今彼らには果たすべき本懐以上に誅戮すべき者がいた。
無言のまま異形達は幽霊のように音もなく歩みだす。
大弓の異形を先頭に彼らは誰の目に映る事もなく進軍する。
彼らの敵を討ち果たす為に。
二日前からのぐんちゃんの気持ちがどんな感じかと言うと「殺伐としたアマゾンズ世界から逃げだしたら日本を分断するスカイウォールのある世界に来ていた」ような感じだと思います