我は犬なり。
今は昔、眠りウサギなる人の子に助けられし身なり。彼の子どもも大きくなり、我も癒しとしての務めをはたして幾うん年。そろそろ彼の元を離れるのもよいかと考え始めた矢先であった。
桜ヶ原の七不思議とやらが一つ、砂時計が消えた。
我が生まれし山には村があり、桜ヶ原の七不思議の話は聞き及んでいた。
その地の七不思議は、多少変われども本質は不変のものであった。
そのはずであったのだ。
しかし、いつの頃かその一つである砂時計があるはずの池が埋め立てられたのだ。
あの池には昔から我らが一族の友と呼ぶべき種族がいた。
今では我らも彼らも住む場所を奪われた。
我らの山も、彼らの池も、かつての姿を残せていない。我ら一族は残った山の半分に村を作り、彼ら一族はこの地を去った。
我らの棲みかを奪ったのは人の子だ。
我を助けたのも、人の子だ。
我は走る。
助けを乞いに。
かつて我を助けた友を、今度は我が助けに。
我は犬なり。
「犬」という名を人の子に貰った、タヌキだ。
我は走る。
故郷である狸村へと。
助けてくれるだろうか。
砂時計をすくい出すことができるだろうか。
助けて見せる。
同窓会まで、まだ時間があるのだから。
我は犬なり。
犬という名の、狸なり。
季節は夏から秋へと渡っていった。
既に眠りウサギが眠り始めて3ヶ月が経とうとしていた。
俺たちは何もできずに、毎日あいつの病室を訪れて、話しかけ、唇を噛み締めながら病室を後にした。誰もが眠りウサギの薄くなった手を握って
「絶対に助けるから待っててくれ」
と声をかけていた。
「信じてくれよ。俺たち、友だちだろ」
眠る友に俺は語りかける。
何もできない自分に苛立つ。なんで、何もできないんだよ。時間だけが過ぎていく。
もうすぐ、冬になろうとしていた。
「砂時計を掘り出す」。ただそれだけのことができない。やるべきことは同級生全員が満場一致だった。だが、上には既に建物が建ってしまっている池からどうやって掘り出すかが壁となっている。池のどこにあるかもわからない、そもそも実際にあるかもわからない砂時計。そんなものを取り出したいと「外」の連中に話をしても無駄だった。
役所の連中も証拠がないからと、みんな頭を下げていた。
どうしよう
どうする
どうすればいいんだよ
俺たちは焦っていた。
眠りウサギの体は、日に日に薄くなっていく。
もう、眠りウサギも俺たちも限界かと思われたその日。
事件は唐突に解決へと転がり出した。いや、どちらかと言えば、転がされ始めたという方が正しいのかもしれない。
池の上のビルが倒壊した。
俺たち、何もしてないぜ?
さすがにテロリストにはなりたくない。
しかも、爆破とかそういうものじゃなくて、土台から崩れた様な感じだったらしい。地面、つまり埋め立てられた池の方に問題があったんだ。
俺たちはすぐに現場へ行った。
いやー、見事に崩れてたぜ。
はっきりと池の形に沈み込んだコンクリートの塊。そこからはごぽごぽと水が滲み出していた。
俺は思わず口元が緩んだ。誰かが興奮したように言った。
「おい!あの池、まだ生きてるぜ!埋め立てられてもまだ生きてやがる!!」
その通りだった。
池は生きていた。
俺たちの、桜ヶ原の七不思議「砂時計」はまだ生きていたんだ。
俺たちは声をあげて笑った。どれくらいぶりだっただろう。その声の中には、もちろん俺たち同級生以外の声も聞こえた。
ああ、七不思議は俺たちの予想の範囲を軽々と越えていきやがる。これだから「怪奇」現象はおもしろい。
さて。ずっと壁だったビルが倒壊して掘り出し作業に取りかかる。
とはいかなかった。
ぱっと見て、俺たちは倒壊した原因は池からの水だと思った。埋め立て不足だったんだろうな、って。一部の人は、池が息を吹き返したとも言うくらいだった。
でも違ったんだな、これが。
池が埋め立てられて15年以上経っていた。今になって埋め立てが不充分でしたなんてあり得ないんだよ。俺たちにしてみれば「結果オーライ」で、それより早く探索させてくれっていう気持ちの方が急いでいたから気にもしなかった。
専門家は下に穴が空いているのかもね~、という気の抜けた話をしていた。
その人は地元民だったけど、他人事だな。まあ、他人事なんだけどさ。
要は原因不明だったわけ。
瓦礫の片付けも含めて調査するからってことで、しばらく立ち入り禁止になったんだ。さすがに瓦礫がそのままだと俺たちも入れなかったからそこはよかったかな。
池の水は今日も溢れてきている。
季節はもうすぐ冬。
吐く息も白くなってきていた。
池の水が、凍ってしまう。
池が凍ってしまえば砂時計を探すことは不可能だ。氷がとける春まで待つしかなくなる。
待てるはずがなかった。
眠りウサギの体はもう限界だ。
俺たちは、瓦礫と重機が退かされる日の夜を待って行動に移すことにした。
話は変わるが、最近眠りウサギの家の庭にある犬小屋にイヌ以外の動物が出入りしているらしい。というか、イヌそっくりの動物らしいんだけどさ。
俺は思っている。あと、同級生のさくらも。
さくらはネコだ。
「あれって…タヌキだよな(にぇ)?」
幼い頃に眠りウサギが保護した「犬」は「狸」だ。
眠りウサギ本人は気づかないで、そのまま「イヌ」という名前をつけた。まあ、犬っぽいと言えば犬っぽいんだろうな。
だから、眠りウサギの家で飼われているのはタヌキ。
みんな「イッヌ!イッヌ!」とか呼んでいるから、気づいている人も「あそこの家のタヌキはイヌだ」ということになっている。
なんかもうわけわからん。
まあ、愛されるタヌキの「イヌ」ちゃんってことだ。
俺もあいつの家に行く度にイヌを呼んで撫で回しているから、いつも癒されている。
そのイヌそっくりの動物といえば、もうタヌキしかいない。
え、タヌキ大量発生?
もうすぐ冬なのに?
今日もふくふくと脂肪を蓄え、もふもふと冬毛に包まれたタヌキたちが眠りウサギの家に出入りする。
なんだかわんわん言ってる気がする。
おい、その中心にいるイヌ。
もうすぐおやつの時間だぞ。
今日は多めにジャーキー用意してやるからな。
みんなで分けろよ。
今日も俺たちは癒されるのであった。
そして、やっと撤去作業が終わった日の午後。
俺は同級生たちに「○時に開始。掘り出すぞ」とだけメールを一斉送信した。一度病院へ寄って、眠りウサギの顔を見てから池に向かうことにした。
池に向かう道で、なぜかイヌに会った。自由なタヌキは俺についてくるようで、首輪にリードを付けて一緒に行く。
辺りも暗くなってきて、池の周辺に人の気配も少なくなってきた。
メールに書かれた通りの時間に俺たちは集まった。半分集まればいいと俺は思っていたが、なんと全員集まっている。あの、学級委員長さえもだ。
おい、なんでお前までいるんだよ。
眠りウサギのためだ。数がいれば短時間で終われる。
そりゃそうだけどさぁ
おーい、懐中電灯足りないぞー
二人一組でやればいいんだってばー
長靴組みと懐中電灯組みでペアねー
貴重品ここにまとめておけよー
さくらが見張ってるにゃー
あちらこちらで声があがる。
お前ら、全員来たのかよ。
思わず笑みが浮かぶ。本当にどうしようもない同級生たちだぜ。
そうして俺たちは一晩かけて砂時計を探した。
砂時計は
見つからなかった。
もう、どうしようもなくて。
どうすることもできなくて。
俺たちは朝を迎えた。
砂時計はどこにあるんだよ。
砂時計はどうしてないんだよ。
そもそも
砂時計なんて本当にあったのか?
七不思議なんて、本当にあったのか?
砂時計も、七不思議も、本当は
はじめからなかったんじゃ
気づいたら俺は池の中で膝をついていた。水は首まで浸かっていて、沈まないように誰かが上に引っ張ってくれていた。
同級生たちの中でも、誰よりも限界だったのは俺だったんだ。
教師の仕事もこなして、毎日病院へ見舞いに行って、あいつの家の様子も見て、情報をまとめ、指示を出した。
しばらく休めと誰かが言った。
代わりは自分たちが何とかするから、と。
友だちだろ、信じてくれよ。
俺が眠りウサギに言った言葉を、今度は俺が与えられた。
土日にかけて俺は布団の住人になった。何もしないで、ただ体を休めて飯を食って、俺たちのアルバムを開いた。
そこにはかつての恩師が笑っていた。
先生、どうすりゃいいんだよ。
先生が教えてくれた、先生が話してくれた話が、俺たちを傷つけてる。
俺たちはただ、もう一度貴方に会いたいだけなのに。
外はもう暗くなっていた。
ごぽり
口から気泡が浮かぶ。
ここは、どこだ
冷たい水を体に感じる。しかし、体は濡れていない。ただ、何かが纏わりつく感覚だけを感じている。
眠りウサギは眠り続ける。
深く、深く、冷たい池の中で。
これもまた、夢である。
うっすらと目を開くと、横に浮かぶ砂時計が目に入った。
砂が流れない砂時計。
そうだ。この、砂時計は。この、七不思議は
一瞬浮かび上がった意識は再び池の底へと沈み始める。
これは、眠りウサギが見た夢のひとつである。