あけぼのさがし   作:広田シヘイ

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第一話『寮の章』

 

 

 

 

 抜け殻のようだ──と思う。

 私はベッドに寝転んで、茜色に染まる部屋の中をただ見つめている。

 多分、この状態のまま数時間は過ぎている。

 黄昏時の海は凪いでいるようで、波音や海鳥の鳴き声が丁度良い距離感で聞こえていた。

 穏やかである。

 昔は、夕暮れのこの時間帯が嫌いだった。陽射しにデリカシーがないからである。浅い角度で照り付けて、全てのものを夕焼けで染めていくのが、とても無神経に思えたのだ。

 しかし、今はそれも悪くないと思っている。

 私みたいな者は、そうした陽射しに責められているのが相応だと思うし、何より日が傾くということは、夜が近いということでもあるからだ。

 

 私は夜が好きだ。

 

 こう言うと川内(せんだい)に影響でもされたのかと思うが、多分、川内とは好きな理由が違う。

 夜は、こうしているのが当たり前の時間だからだ。

 いくら私のような塵芥(ごみ)でも少しくらいの感情は残っていて、皆が訓練や遠征に励んでいる時に何もせず寝たきりでいることは、多少の罪悪感を伴うのである。

 夜間の訓練や演習もあるのだが。

 少ないから、それは。

 何処で何時やっているのかも、今は知らないし。

 それどころか、第一艦隊の編成も、遠征艦隊の編成も知らない。

 今日は一体、何曜日なのだろう。

 もう月は変わったのだろうか。

 食堂の拡張工事は、終わったのだろうか。

 七駆の皆は、元気でやっているだろうか。

 

 

 ──私がこんな状態になってから、どれくらいの時間が過ぎたのだろう。

 

 

 そんなことを考えていたら、何だか久しぶりに憂鬱になって、私は空間に背を向けるように寝返りを打って壁との距離を縮めた。

 もう一度寝てしまえ、と決めたのである。

 そうして目を瞑っても、夕方の光は壁に反射して私の瞼を透過して来る。カーテンは閉めておくべきだったと後悔した。今の私に、起きてカーテンを閉めるという選択肢は存在しないから、もう日が落ちるまで耐えるしかない。

 昨日の夜、星を見ながら眠るのも悪くないとカーテンを開けたまま寝てしまったのである。

 気の迷いだ。本当に気の迷いだ。

 私などは闇に包まれたまま何もせず何も考えず、こうしているのがいいに決まっているのだ。

 このまま無為に時間を潰していれば、そのうち皆も私を見放して、鎮守府から追放してくれるだろう。その時はその時で成るように成るだろうし、その後のことなんてどうでもいいのだ。本当にどうでもいい。

 所詮、艤装(ぎそう)を装備出来ない私には、何の価値もないのだから。

 

 本当にもう眠ってしまおうと深く息を吐き出すと、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。ここは駆逐寮三階の角部屋で、階段からこちら側はこの部屋以外空室だから、多分、七駆の誰かがご飯を持って来たのだろう。

 申し訳ないような情けないような、よく判らない気持ちになるから、この音は聞きたくなかった。ゆったりとした足音から察するに(うしお)だろう。(おぼろ)は男の子のようなしっかりとした歩調で、(さざなみ)は何処か不安定な音がするのですぐに判る。

 足音だけで誰かを判別出来るくらい近くにいた仲間を、私は今まさに裏切り続けているのだ。

 死んでしまえ、と呟いた。

 無論、私自身に放った言葉である。

 足音は部屋の前で止まった。

 いつものように、トレイを置く音、そして遠ざかっていく足音が続くと思いきや、次に聞こえてきたのは、ドアをノックする音だった。

(あけぼの)ちゃん」

 と弱々しい潮の声がする。

 今は誰にも会いたくなかったし、何よりこんな姿を潮に見られたくないので、寝たふりを決め込むことにした。潮であれば、返答が無ければ帰るだろうと思ったのも(つか)()、ドアは開かれた。

「曙ちゃん、起きて、る?」

 私は驚いてしまって布団を引き寄せてしまったものだから、もう狸寝入りは通用しない。

「起きてるんだね。いい、かな?」

 そう言って潮はドアを閉めた。

「その、体調は、どうかな、って」

「良いように見える?」

 うまく発声出来ず、咳払いをした。

「そ、そう、だよね。ごめん」

 沈黙が流れる。

 振り返らずとも、モジモジしている潮が容易に想像出来た。

 それにしても、潮にしてはいやに積極的な気がする。漣や朧ならば、どこかデリカシーに欠けている部分もあるから、まだ解るのだけれど。

「あの、ね」

 たっぷりと間をとって、潮は再び喋り出した。

「あの、昨日漣ちゃんがね、砲撃訓練で勝負しようって言い出してね。その、一番駄目だった人は晩御飯のおかずを一位の人に分けなきゃいけないってルールなんだけど、朧ちゃんがね、漣ちゃんは元々食が細いから不公平だって言うんだよ。あ、でもね、私は、楽しそうだからいいんじゃないかな、って思ったんだけど」

 ひたすら辿々(たどたど)しく潮は話す。この懐かしい感覚が、何故か今の私には辛かった。

「さ、漣ちゃんは、今日はコロッケだから、好きな料理だから、自分にとっても十分な罰だって言ってね。それで、結局、漣ちゃんが負けちゃうんだけど──」

 面白いよね、と言って潮の話は唐突に終わった。

 以前の私なら、このオチのない話を聞いて笑っていたのだろう。

 しかし、今は笑えない。面白くない。

 そんな話をするために訪問した訳ではないのだろうと、本来の意図を隠している潮に腹が立った。

「それで」

「そ、それでって」

「それが何だって言うのよ」

 え、とか、いや、と発声して潮は沈黙する。

 訳も解らず、頭に血が昇るのがわかった。

「どうせ私を馬鹿にするために来たんでしょ? そんな下らない話をするために来たなら帰って!」

「そ、そんなことない!」

 今にも泣き出しそうな声で潮は言った。

「そんなことない。曙ちゃんがいたら、その場に曙ちゃんがいたら、どうだったのかなって、思ったんだよ。寂しいんだよ」

 怒りが急速に萎えて、自己嫌悪が頭をもたげてくる。

「あれから、三ヶ月経ったね」

 三ヶ月も経っていたのか。

 あれから。

 

 

 ──あれは、春先のことだった。

 

 

 阿武隈に率いられた我々第七駆逐隊は、当番の哨戒任務を終えて帰路に就いていた。

 その日の海は穏やかで、陽射しも風も波も、何もかもが柔らかかった。良い日、というのはこういう日のことを言うのだろうなと、そんなことを考えていたと思う。

 哨戒中に会敵することもなく、漣などは阿武隈が前髪を気にする度に「切ればいいんだよ」と軽口を叩く余裕があった程だ。

 今にして思えば、油断があったのだろう。

 ソナーが魚雷発射音を捉えた時には既に遅く、八時方向から近づく魚雷の航跡が見えた。

 覚えているのは、腹の中で内臓が上昇する感覚と、私は本当に死ぬのか、という恐怖だけだ。

 目が覚めると、私は鎮守府のベッドに寝ていた。

 混濁した意識と、全身を襲う激痛のアンバランスな感覚が酷く不快だった。修復材で外傷は癒えても、神経が痛みを訴えるのだ。私の肉は綺麗なまま削がれ、骨は形を保ったまま砕かれていた。

 それでも、皆の懸命な看病のおかげで、私は数週間で歩けるまでに回復した。

 当時は、日に日に良くなっているのが実感出来たし、食べられるご飯の量が増えたことや、一人で階段を上り下り出来たりというような些細なことが、嬉しくてたまらなかった。

 そんなある日、リハビリの一環として、少し海に出てみないかという話になった。私も早く復帰したい一心だったし、これ以上皆に迷惑はかけられないと思っていたので、心待ちにしていた瞬間だったのだが──。

 

 ドックに足を踏み入れてすぐに、体が異変を起こした。

 

 脈拍が速くなって、呼吸が荒くなって、目眩がした。自分でも訳が判らなくなって、苦しくて襟元を引っ張り続けていたら、朧が「大丈夫?」と聞いて来たので、やはり私は大丈夫ではないのだなと判った。

 その後、皆にやたらと心配された記憶はあるが、自分がどのように応対したか覚えていない。

 艤装の重みが伝わると同時に、胃液が逆流した。

 

 それから私は、一度も艤装を装備していない。

 

 もう、戦えない。

 戦いたくない。

 海も怖くなった。

 沈みたくない──。

 

 だから私は、こうして無為に日々を過ごしている。

 何も出来ないし何もしたくない。何か出来ることのある者に干渉されたくない。

 雲が陽を薄く(さえぎ)って、部屋が暗くなった。

 寂しい、と潮が言う。

「急にごめんね。あ、今更、だよね。ごめん」

 潮が悪くないことなどよく解っている。しかし、腹が立つ。

「今日はね、晩御飯を一緒に食べたいな、と思って」

 むしろ、私を目一杯に心配してくれてのことなのだと、よく解っている。しかし、腹が立つ。

「じ、実は、その──曙ちゃんに、聞いて欲しいことがあって」

 潮はこんなに優しいのに。気を遣ってくれているのに。何故なのだろう。

 本当に──腹が立つ。

「帰って!」

 布団を払って身を(ひるがえ)し、溜まっていた正体不明の感情を吐き出すように声を張り上げた。

 夕食のトレイを抱えている潮の身体がぴくりと痙攣(けいれん)した。

「そ、相談が」

「こんな私に何の相談があるって言うのよ!」

「ご、ご飯を。ふ、二人で」

「食べたくない!」

 潮の目が次第に潤んでいく。

「あ、曙ちゃん」

「帰って! 今すぐ出て行って!」

 表情が完全に崩れる寸前で、潮はごめん、と言って部屋を走って出て行った。

 私は放心したまま動けずにいたが、雲が流れ再び侵入してきた夕日に腹が立ち、動物のような奇声をあげて布団を窓に投げつけた。

 しかし、布団は重くてずれただけだった。

 情けない。

 テーブルを見ると、そこには二人分の夕食が置いてあった。

 こみ上げる涙を堪えて顔が歪む。

 私は布団に顔を(うず)め、声を押し殺して泣いた。

 

 本当に死んでしまえ──と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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