あけぼのさがし   作:広田シヘイ

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第二話『工廠の章』

 

 

 

 

 

 明石さんの工廠は、寮からやや離れた場所にある。

 夜は柔らかい月明かりと、絶え間のない虫の音に包まれていた。

 久々に外を出歩いた私は、基地内とはいえ辿り着くだけで疲れてしまった。

 レンガ造りの工廠からは光が漏れていた。まだ作業をしているのだろう。工廠を目の前にして足が止まる。帰ってしまおうかとも思った。

 そもそも、私は何故こんなところに来てしまったのだろうか。

 

 潮の訪問が昨日のことである。

 潮に盛大な八つ当たりをした後、いつも以上の自己嫌悪や脱力感に襲われ、その感情をシャットアウトするためにベッドで目を瞑り続けた。

 散々寝た後だったから、そう簡単に眠りにつけるはずもなく、結局眠ることが出来たのは日が昇ってからだったと思う。そして起きたのがつい先程の午後十一時半頃。二十時間近く眠っていたことになる。

 後頭部を襲う猛烈な頭痛に耐えられず、仕方なくベッドを出た。

 誰の姿もない浴場で湯船に浸かり、頭痛も少し和らいだ頃にふとした疑問が頭に浮かんだ。

 

 曙、とは私のことではなく、艤装のことではないのか。

 艤装を装備出来ない私は、とても無力で無価値なものだからだ。

 

 ──だとすると。

 

 私は一体何者なのだろう。

 艤装とは、何なのだろう。

 

 鈍重な私の思考は、湯から沸き立つ水蒸気と共に揺らいで霧散し、解答に辿り着くことはなかった。

 ただ、明石さんなら知っているかもしれないと思った。

 何故明石さんを一番に思い浮かべたのかは知らない。

 それでも、聞いておかなければならないと思った。

 そう思うといてもたってもいられなくなって、急いで湯船から離脱して工廠に向かうことにしたのである。

 しかし、工廠を目の前にした今冷静になって考えてみると、何と切り出したらいいか判らない。今まで(かたく)なに閉じこもり続けてきた私が突然現れて、「私とは何ですか。艤装とは何ですか」などと聞ける訳もない。図々しくて失礼だ。

 本当に帰ってしまおうかと思ったが、今戻れば二度とここに来ることはないような気がした。あの部屋を世界の全てとして生き続けるにしても、鎮守府から追い出されて忘れ去られるにしても、もう一度、明石さんには会っておきたいと思った。世話になったのだし。

 ふと、夜風が優しく吹き抜ける。

 背中を押された気がした。

 覚悟を決めて、私は工廠の入口へと歩みを進めた。

 

 大きく開いた入口から覗くと、明石さんの他にもう一人の姿が見えた。

「あぁ、もうわかんない!」

 椅子の背もたれに身体を預け、天井に向かって大声をあげたのは夕張だった。

「もう明日にしたら? 時間も遅いし」

「私、明日から二日間の遠征任務なんですよぉ」

「余計寝なきゃダメじゃない」

「睡眠時間は短くていいタイプなんで。今日のうちにアイデア固めておきたいし」

 そう言って夕張はこちらを見た。隠れようとも思ったが、今更逃げる訳にもいかず、挙動不審になりながらも、こんばんは、と消え入るような声で挨拶した。

「曙じゃない!」

 明石さんもこちらを見た。少し驚いた様子だったが、すぐに優しい笑顔を浮かべ、久し振りだね、と言った。

「お、お久しぶりです」

「入りなよ。夜は冷えるから」

 失礼します、とこれまた消え入りそうな声で応答した。

 工廠の天井は広く、足音は軽く反響していた。デスクや棚にはあらゆる工作機械が並べられ、大掛かりな機械に吊るされた艤装もいくつか見えた。

 私がどう話を切り出したらいいのか判らず困っていると、明石さんは優しい笑顔のまま、こう言った。

「曙も修理? どこが壊れてる?」

 私は、どこが壊れているのだろう。

 それは多分、心が。

 そう言いかけたその時、夕張が椅子のバランスを崩して後方に倒れていくのが見えた。両手で空気を掻くのも虚しく、工廠中に大きな音を轟かせながら倒れた夕張を見て、私と明石さんは笑った。

 とても久しぶりの感覚だった。

「いったぁ! 曙も何笑ってんのよ!」

「そんな馬鹿なことしてないで、ほら、机を片付けて。お茶淹れてくるから」

「お茶? あぁ、今日はもう終わりなんですね!」

「せっかく曙が来たんだから、それはまた今度出来るでしょう?」

 お茶は何が残ってたかな、と言って明石さんは工廠の奥へと進んでいった。

 夕張は不満げな顔をしたが、まぁそれもそうか、と言って腰をさすりながら立ち上がった。

「曙も手伝ってよ。あ、それは火薬だから気をつけてね」

 そう言って夕張は、ニヤリと笑った。

「火薬? 何をしているの?」

「興味ある?」

 夕張は目を輝かせた。

「私はね、火力が欲しいのよ。火力が」

「大和さんみたいな?」

「そう。大和さんみたいな。でも、私たちは四十六センチなんて積めないでしょ? 積んだら動けないし、撃ったらひっくり返っちゃうし。だから、連射速度を高めようと思ったんだけど、それは何か普通でマトモすぎるでしょ? 嫌だなって」

 普通で真面(まとも)なことが何故いけないのかわからないし、火力が高まればそれでいいんじゃないかとも思ったが、それは夕張の美学に反するのだろう。私は火薬には触れずに、工具を箱に戻しつつ聞いた。

「そこで私は、砲弾を散弾にすることを思いついたの!」

「散弾」

「そう、散弾」

「あの、猟銃的な」

「その猟銃的な」

 それはどうなんだろう。

「制圧力、ヤバそうじゃない?」

「ヤバそうって言っても、そもそもそんなに近距離で戦うことなくない?」

「ないけど」

 認めるんだ。そこは。

「だったら、意味ないじゃない」

 夕張は、何故かとても嬉しそうな顔をした。

「わかってないなぁ曙は。ロマンだよ、ロマン。格好いいでしょ散弾って。当たれば凄いんですっていう感じとか、ショットガンって響きがさ。あ、でも砲だからガンではないのかな。何て言うんだろ」

「カノン」

「カノン? 砲ってカノンって言うの? んじゃ、ショットカノン? ショットカノン! 何それ、凄く格好良い!」

 テンションの上がった夕張の手から、火薬がポロポロと零れ落ちた。

 危ないな。この工廠。

「火薬落ちてるよ」

「その名前貰っていい?」

「いいよ。いいから、火薬が」

 ショットカノン、と呟きながら、夕張は卓上の火薬を集めて木箱に戻した。

「それで、出来たの」

「何が?」

「その、ショットカノン」

「全然」

 全然なんだ。

「シェルは作ったんだけどね。砲身から何から新しく作らないといけなくて、これがなかなか資材を使いそうなんだよね。おかげで全く提督の許可が下りない」

「そりゃそうでしょうよ」

「だから、今は別の開発を進めてるんだ」

 そう言って夕張は、机上に置いてあったスケッチブックを開いた。

 それは、とても微妙にセンスのない絵だった。

 ページの真ん中あたりに海面が描かれており、水上にいる夕張であろう艦娘が、水中の潜水艦に散弾を発射している場面を描いたらしく、潜水艦には吹き出しで「痛いでち」と書かれていた。全く下手という訳でもないが、ゴーヤなのは台詞で漸く確認出来るという半端さだった。

「何これ」

「何って、今開発を進めてる新装備」

「わからないな」

「何でわからないのよ。このままじゃないの」

 何がこのままなのか理解出来ずに固まっていると、もう仕方ないなぁ、と言って夕張は溜息をついた。

「だから、ショットカノンの対潜水艦バージョンよ。主砲の代わりに、爆雷を散弾にするの」

「爆雷を、散弾に」

「そう。一つの大きな爆雷を投射するより、何個も小さな爆雷を落とす方が潜水艦には有効だと思わない?」

 それは、いいかもしれない。

「でもこの爆雷、主砲から発射されてる」

「絵のことはいいのよ」

「何でゴーヤなの?」

「ゴーヤにアイデアの感想を聞いたから。凄く嫌でち、だってさ」

 自分を攻撃する装備の感想なのだから、当然の評価のような気もした。

「そうだ。完成したら、曙に一番に使わせてあげるよ」

 私が、一番に。

 そんな機会があるのだろうか。

 ないような気がする。

 戦場に出るどころか、もう、海にさえも。

 そんな私の気持ちを察してか、夕張は、ショットカノンも一緒に、と付け足した。おかげで私は、少しだけ微笑むことが出来た。

「夕張何やってんの? また資材と時間の無駄遣いの話?」

 明石さんがお盆に湯呑みを乗せて戻って来た。

「酷い言いようですね。画期的で天才的な革新的新装備の話です!」

「やっぱりそうじゃない」

「全然違いますよ。ってこの香り、これ紅茶じゃないですか!」

「そうよ。ちょうど金剛さんに貰ったのがあったから」

「いやいや、湯呑みでですか」

「変わらないわよ。味なんて」

 そう言いながら、明石さんはお盆を机に置いた。

 思ったよりも大雑把な人である。

「大体、こんな時間に紅茶なんて飲んで大丈夫なんですか?」

「問題ないわよ。私は朝まで作業があるし、どうせ夕張も寝ないんでしょう?」

 曙は、と言って夕張がこちらを見た。

「私は、さっき起きたばかりなので」

「ほら、大丈夫じゃない。飲みながらゆっくり休憩しましょう。美味(おい)しいわよきっと。金剛さんがくれたんだから」

()(あか)ですもんね。金剛さん」

 夕張がよく解らない根拠をお茶に付与したところで、私達は湯呑みに口をつけた。

 美味しいけど何か変な感じ、と夕張は困ったような顔をした。

「明石さんは、いつも夜遅くまで?」

「そうね。大体朝まで。出撃なんかしなくたって、みんな訓練や演習で小さな傷の一つや二つ付けて帰ってくるでしょ? 私の手に負えない大きな修理でも、その後の調整やなんやでなかなか忙しいのよ」

 夕張が変なことしないか見張ってなきゃならないし、と言って明石さんは夕張を見る。

「何が変なことですか。私は本気でやってるんですから」

 話を聞いた限り、自分の趣味の世界を満たすためとしか思えなかったが。

 私と明石さんが疑いの視線を向けていると、夕張は何ですか、と言いながら紅茶をすすった。

「そ、そりゃ、こういうことで自己表現というか、自分の趣味というか、道楽でやってる部分も当然ありますけどね。ほ、本当に思ってるんですよ! 私の作った装備で、鎮守府のみんながもっと楽に戦えるようにならないかなって!」

 明石さんが笑う。

「何が可笑しいんですか!」

「ごめんごめん。そういうことじゃないのよ。曙は聞いた? 夕張が新しい爆雷を作ってる理由」

「ちょ、ちょっと明石さん!」

「ショットカノンに、挫折したからではないんですか?」

 明石さんは首を横に振る。

「あなたが、潜水艦にやられたからよ」

 夕張は赤面して、もう! と言ってそっぽを向く。

「曙が大破したって聞いて、いてもたってもいられなくなったのよ。大破が出たのも久し振りだったからね。夕張も動揺してたのかもしれないけど。挙げ句の果てには提督室にまで怒鳴り込みに行ったのよ。対潜装備の開発と充実が急務だって。そんなの、提督だって解ってるに決まってるのにね」

 夕張は恥ずかしそうに目を伏せる。

 夕張が、私のために。

 知らなかった。考えもしなかった。

 私は一人だと、ずっと思っていたのに。

「な、何よ」

 ありがとう、と言わねばならないと思った。しかし、私も嬉しかったり恥ずかしかったり情けなかったりして、よく判らなくなって黙って俯いてしまった。

「曙、今日は何か話があって来たんじゃないの?」

「あ、その」

 俯いたまま頰を掻く。

「言いなさいよ。私だけ恥ずかしいことバラされて。不公平じゃない」

 こういうことに公平も不公平もないような気がしたが、話すなら今しかないと思った。

 

 艤装とは──。

 

「明石さん、艤装って、何なのですか」

「道具」

 道具。即答された。

「だってそうでしょう。機械って言い直してもいいけど、機械も道具だし」

「明石さんは変なところでドライですね。曙が聞きたいのはそういうことじゃなくて、工作艦明石にとって艤装とは、みたいな、人生です、みたいな。そうでしょ?」

 違うけども。

 明石さんは少し微笑んで、工廠の奥に吊られている艤装を指差した。

「曙、あれなんだと思う?」

「あ、綾波の艤装です」

「うん、そう。あれは綾波の艤装。綾波、じゃないよ」

 全て見透かされていた。

「ふぇ。どういうこと?」

「夕張、あれが綾波に見える?」

「いえ、全く」

「そういうことよ」

 はぁ、と生返事をして夕張は湯飲みを口に運ぶ。

「悩んじゃうのもわかるけどね。曙は今、疲れちゃってるだけよ。考えてもいいことない」

「すみません。全然話がわからないんですけど」

 夕張は鈍感ね、と明石さんは笑った。

「私が話していいのかわからないけど、要するに、艤装を装備して戦えない自分に何の価値があるのかって思っちゃってるのよね。自分は空っぽなんだから、艤装こそが本体なんじゃないのか、艤装こそが本来の自分じゃないのかって。間違えてない?」

 黙って頷く。

「え、あぁ、そういうこと!」

 そう言って夕張は、強めに湯飲みを卓上に置いた。

「価値なんてくだらないこと言わないでよ! アンタは仲間じゃん。掛け替えのない私の仲間じゃん! 掛け替えがないんだから、無意味とか無価値とか、そんな話じゃないじゃん!」

 夕張が大声でまくし立てる。言った後で恥ずかしくなったのか、尻すぼみになりながら、勘弁してよね、と言った。

「曙、私は別にあなたがもう海に出なくたって何だっていいと思ってるよ。私はこの姿で戦ったことがないから、攻撃される恐怖も、攻撃する恐怖も知らない。曙の辛さも解ってあげられない。あなたを責めることなんて、絶対にしない。だから、こうしてたまに元気な顔を見せてくれれば私はそれで嬉しい」

 だけどね──と明石さんは続ける。

「自分が一人だなんて、絶対に思わないでね。夕張が不器用な形で、曙のことを考えていたのと同じように、鎮守府のみんながあなたのことを思ってる。艤装なら私がいつでも直してあげる。海に出ないなら、たまに私のところへ来て頂戴。手伝ってもらうことがいっぱいあるんだから」

 視界が滲んでいく。

 艤装のない私なんて。

 

 いや──。

 

「艤装のない私でも」

「当たり前じゃない」

「何の役にも立たない」

「そんなことない」

 現に今、曙がいて私と夕張は嬉しい、と明石さんは言った。

 涙が零れる。

 私は、ここにいても許されるのか。

「焦らないで。あなたは今、艤装を装備出来ないんじゃなくて、装備したくないだけなんだと思う。そのうち自然と海にも出られるようになる。だから、大丈夫」

 焦らないで、と明石さんは繰り返す。

 涙が止まらなかったので、俯いたまま明石さんと夕張の手を握った。

 二人の手は、とても温かかった。

「どうしたの?」

「あ、あり、がとう」

 言葉が詰まる。

 もう一度、ありがとう、と言ったところで感情が抑えられなくなって、泣き叫びながら夕張に抱きついた。

「ちょ、ちょっと曙! 鼻水っ!」

 私は引き離そうとする夕張にしがみ付いて、涙や鼻水、そして涎が入り混じった(おぞ)ましい混合液を擦り付けていた。

 

 多分、明石さんは笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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