あけぼのさがし   作:広田シヘイ

7 / 7
最終話『曙の章』

 

 

 

 

 

 

 すべて私が悪いのだ。

 

 私の身勝手な行動で、皆を危険な状況に追い込んでしまった。

 艦隊行動とは常に集団行動なのだと、何度も何度も耳が痛くなるほど教えられてきた筈なのに。

 那智さんの水偵から敵潜水艦の潜望鏡を発見したとの報告が入った時、旗艦の金剛さんは海域からの離脱を指示した。私達は既に作戦を終えていて、目立った損傷はないものの弾薬と燃料はかなり消費していたし、潜水艦への攻撃能力を有していたのは私と阿武隈さんの二人だけだったから当然の判断なのだけれど。

 ──解ってはいるのだが。

 何故だか、頭に血が上った。

 気がついた時には、艦隊から離れて敵潜水艦へと舵を切っていた。

 多分、あの時と近い場所だったから。

 曙ちゃんを──雷撃した潜水艦に重なって。

 

 結果、潜水艦は一隻だけではなかった。

 目の前しか見えなくなっていた私は、三時方向からの突然の魚雷に対応出来ず、そのまま横腹を抉られた。魚雷の第二波を阿武隈さんが身を挺して守ってくれていなかったら、私は今頃海の藻屑だ。

 あぁ。

 私はなんて愚かなのだろう。

 私はなんて鈍間(のろま)なのだろう。

 私はなんて──バカなのだろう。

 

 自力で航行することが出来なくなっていた私は、那智さんの腕に包まれながら己の無力さを呪って歯を食いしばった。全身を襲う痛みも、ほぼ半分が欠落した艤装も当然の報いだ。何も不満はない。

 だけど。

 私が愚か者だった責任は私が勝手に沈んでしまえばいい話だ。では、私が愚か者だったが故に被害を被った他人の責任は、どうやって取ればいいのだ。

 私を庇って中破した阿武隈さんは、今や艦隊唯一の対潜攻撃能力保有艦だから、自らも傷ついているにも拘わらず、一人で複数の潜水艦を相手に戦っている。無線を通じて聞こえてくる彼女の甲高い声色は、私を妙に穏やかな気分にしてくれると同時に、呵責の沼に私を引きずり込んだ。感情を抑えているとはいえ、緊迫している様子は否が応にも伝わる。

《こちら阿武隈、爆雷投射位置に着きました。これより爆雷攻撃開始します!》

《了解。阿武隈、なるべく広範囲に撒いて下さいネ。威嚇でいいから全部使っちゃダメよ。OKネ?》

《了解!》

《瑞鶴、索敵機からの報告はどうデスか?》

《報告なし。異常ありません》

《了解》

《爆雷投射開始!》

 無線が途切れる。

 なんだか落ち着かなくて、那智さんの胸により深く顔を沈めると、那智さんは私を支える腕に力を込めてそれに応えてくれた。

 数秒、いや数十秒経って、水中で爆雷が炸裂する音が薄く聴こえた。

 花火のようだ、と場違いで能天気なことを思う。

《爆雷投射完了。成果不明》

《了解デス。阿武隈、戻って》

《了解》

 那智さんは大きく息を吐いて、

「少しでも当たっていればいいのだが」

 と言った。

 私達は現在、那智さんが私を曳航(えいこう)している(曳航というより最早抱えている)影響で海上を数ノットで移動中だ。体感では七ノットくらいだと思う。水中では極端に足の遅くなる潜水艦でも十分に追跡可能な速度だし、何よりこちらは敵の位置をほぼ見失っている。先ほどの爆雷攻撃も、とりあえず無闇矢鱈に撒いてみた、という感覚に近い。回避行動に多少の時間を使ってくれたら儲け物というところだろう。

「ごめんなさい」

 と呟いた。何に対してという訳ではない。謝らなければならない項目が多すぎて、私は既に自分の責任が何処にあるのかも判らなくなっていた。

「謝るな潮。自分を責めるのも果てのない説教も無事鎮守府に帰ってからだ。解ったな?」

 そう言って那智さんは優しく微笑んだ。

 涙が頬を伝う。わかりました、という一言をなんとか振り絞った。

 那智さんの手が、私の頭を柔らかく叩いた。

「もう寝てしまえ。起きていたって生産性のない自責の念が頭を駆け巡るだけだ。警戒は我々でしっかりやるさ。この調子では、鎮守府に帰還するのも大分先の話だからな」

「那智さん、私──」

「もういい。あぁ、言ったそばからこれだ。煩瑣いのが来たぞ」

 那智さんの目線をゆっくり追うと、高速で接近する艦影が見えた。いつ見ても戦艦には見えない。その軽やかさは、まさに巡洋艦のそれだった。

 ヘーイ潮! と叫びながら私達の背後に回り込み、水面に対して鋭角に身体を倒して急制動をかける。盛大な水飛沫(しぶき)を上げたと思った次の瞬間には、何事もなかったかのように那智さんの傍に位置を取っていた。

 その一連の動作は、恐ろしく鮮やかだった。

「潮、泣いているのデスか?」

 呆気にとられている私を覗き込んで、金剛さんは言った。

「あ、いえ、これは」

「金剛、少しは静かに移動出来ないか。仮にも戦闘中なのだからな」

「ナッチーは厳しいネ。向こうのソーナーが復帰するのもまだ先デス。そんなことより、いち早く潮の様子を確認することの方が、フラグシップとしての重要な役目デース!」

 金剛さんは、右手を腰に当て左手をピンと伸ばしてそう言った。

 いちいちオーバーアクションというか、状況とは乖離(かいり)したその所作に那智さんはフフッと軽く笑った。

「ナッチーにウケても仕様がないデス」

「仕様がないとは何だ」

「潮、身体は痛みマスか?」

「わ、私は大丈夫です。それより、ごめんなさい。私、命令を無視しました」

 そう言うと、金剛さんは少し困ったように微笑んだ。

「それについては、私も悪いのデス」

「金剛さんが、どうして」

「ボーノが大破したのもこの辺りデショ? 同じような場所でまた潜水艦だもんネー。潮へのケアが足りなかったデース」

 フラグシップ失格ネ、と言って金剛さんは遠くを見る。

「そんな、金剛さんは、何も悪くないです。もっと、もっと私を怒鳴りつけて下さい。しっかりと、罰して下さい。でないと、私」

「潮、シリアス過ぎるのも良くないヨ。人は他人に迷惑をかけるもので、他人から迷惑をかけられるものデス。それを繋がりと言うのデース。艦娘の私達も同じだヨ?」

 そう言って、金剛さんは私の額に指を差した。

「もちろんオーダーを無視したペナルティはあるヨー。今考えているのは、ティータイムの強制参加と比叡(ひえい)の手料理毒味係の二つデース!」

「後者は本当に辛いな」

 那智さんが酷いことをさらっと言う。

「何にせよ北上やモッチーを見習うことデス。失敗したって顔色一つ変えないんだから──って翔鶴?」

 金剛さんの目線が私の後方へと移った。強張った身体に抵抗して振り返ると、近づいてくる翔鶴さんが見えた。

「金剛さん!」

「翔鶴、どうしたのデスか?」

 翔鶴さんの表情からして良い報告ではなさそうだ。翔鶴さんは私たちの付近に停止すると、息を整えることもなく口を開いた。

「索敵機からの報告です! 方位040、距離三三○キロメートルの海域で敵艦隊を発見! 約二○ノットで西進中、戦艦や空母も複数いる模様です!」

「何だと!」

 驚く那智さんの傍で、金剛さんは静かに俯き、そして鋭い目つきで前方を見つめていた。

「大丈夫、It’s easyネ。それに今更騒いだところで成るようにしか成らないデス。サンキュー翔鶴、警戒を厳に、と索敵機の皆さんにも伝えて下さい」

 まだ間に合いマス、と金剛さんが自分に言い聞かせるように呟いたのが聞こえた。

 自らの罪の大きさに天を仰ぐと、追い討ちのように瑞鶴さんからの無線が入る。

《索敵機より入電! 十時方向、距離二五○○で潜望鏡を発見! 避けて! 来るわよ!》

「チイッ! ホンっトーに小賢しいデス! 回避行動!」

 

 あぁ、本当に。

 すべて私が悪いのだ。

 

 曙ちゃん、お願い。

 どうか──みんなを助けて。

 

 

            ※

 

 

 日付が変わっても尚、海は時化(しけ)ていた。

 一時に比べればまだ収まってはいたが、それでも私の頭の高さに迫ろうかという波が次々と押し寄せていた。

 正直、航行どころではない。

 旗艦の長良を先頭に、朧、私、漣の単縦陣を組んでいるのだが、朧に付いて行くのがやっとで周囲の警戒をする余裕は全くない。朧との距離は縮まったり離れたりを繰り返していて、その度に主機の回転数を上下させているから、なんだか行儀の悪いバイクみたいで嫌になる。

 あれだけ訓練を重ねていたのに、たった数ヶ月休むだけでこんなに練度は落ちるものなのか。

 自分の不甲斐なさに苛立ちを募らせていると、一際高くて変拍子の波が襲いかかる。私は完全に不意を突かれて、波に飛ばされバランスを崩したまま着水した。転覆しないよう必死に姿勢を保つ様は、(はた)から見ればさぞかし滑稽だろう。泥酔したサラリーマンだとか初めてのスケートとか、くだらない比喩が頭に浮かぶ。そうして重心を前に戻しすぎて前のめりに転倒しそうになった時、次の一波に身体の前面を殴打され、私の姿勢は強制的にその平衡(バランス)を取り戻した。

 口腔内に大量に侵入して来た塩辛い海水の味が、私のフラストレーションを爆発させた。

「あぁっ! もうなんなのよっ!」

《曙下手すぎワロタ。何か入隊したての頃より酷くない? 引き籠るとゼロじゃなくてマイナスからのスタートにでもなんの?》

「うっさい漣ッ! アンタ帰ったらぶっ飛ばすからね!」

《アタシ、振り向いても曙いないような気がしてきた。一人で違うところ彷徨(さまよ)ってない? 大丈夫?》

「いるわよバカにすんな!」

《まーた身体に力入ってるんでしょ。力抜いて膝を柔らかく使いなさい! 頭が上下してたらバランスも取れないし照準も合わないよ!》

「解ってるわよ新人じゃないんだから!」

 そう言いつつ、自分が新人並みの航行をしていることは誰よりも理解していた。荒れる海面も私を苦しめる要因の一つだが、何より空間認識能力を失わせるほどの暗闇が不安を増大させる。朧には是非航海灯を点けてもらいたい。

 数日前まで、夜が好きだ、などと吐かしていた自分を棚に上げていることを承知した上で、やはり川内はバカなんじゃないか、と激しく思う。

 これから相手にするのは潜水艦なのだし。

「それでいつ着くのよ! もうそろそろ第一艦隊と合流出来てもいい頃でしょ!」

《まぁねぇ。ポイントの近くにはいる(はず)なんだけどな。私達はともかく、利根達は合流しててもいい頃なんだけど》

《何にも連絡ないのです?》

《ないよ》

《長良さん、一度聞いてみた方がいいんじゃないですか?》

 んー、と長良の唸る声が数秒続く。

《ま、いいか。状況が判らなくてモヤモヤしてるよりはいいよね。チャンネル変えるよ》

 長いこと悩んだ割りにはあっけらかんとしすぎじゃないか、と思いつつ私も無線の周波数を変更した。

《利根、聞こえる?》

《ん? お、長良か。聞こえとる聞こえとる。ちょうど良かった》

 まるで通信が入ることを予期していたかのようなレスポンスの良さで利根は応答した。

《ちょうど良いって、何よ?》

《見えとるぞ、お主ら。三番艦は曙じゃな? 下手くそじゃのー。おかげで判別し易かったぞ》

《良かったね曙、役に立ったって》

 朧が自然に煽ってきた。

「どいつもこいつもッ!」

《近くにいるの? 何処よ? こっちからは見えないわよ》

《お主らの──十時方向じゃ、な。信号灯点けるぞ》

 左舷前方を注視すると、チカチカと灯りが点滅していた。正確な距離は判らなかったが、それほど近い距離でもなかった。よく自身の索敵能力を自慢気に語っている利根だが、実際伊達ではない。

《見えた。今から向かうよ》

 左に三○度転針、と長良から指示が下りる。

 転舵の最中に左足が軽くスリップして姿勢を崩す。私は己の未熟さに舌打ちをした。

 しかし、利根隊は何故こんなところにいるのだろうか。今頃は第一艦隊と合流して潮と阿武隈を退避させていなければならない時間である。

 胸騒ぎがした。作戦がその初期段階で大幅な変更を迫られていることは確かだったし、救助作戦である以上いつにも増して時間が惜しい。

 やがて、闇の中にぼんやりと五人のシルエットが見え始める。

 主機の回転数を落として減速する。筑摩、球磨、睦月、如月の四名はこちらに背を向け、半円状に広がって周囲を警戒していたのに対し、利根は何故か中心で腕を組み仁王立ちしていた。

《皆も周りを見てて》

 長良はそう言って利根に接近していった。私は無線を生かしたまま散開して位置につく。如月がこちらを向いて手を振ったので、私も右手を上げてそれに応えた。

《利根、どうしたのよ? 何でこんなところにいるの? 第一艦隊は?》

《第一艦隊は合流ポイントにおらんかった。潜水艦を撒くために予定航路を外れたのかもしれんが理由は判らん。九時間以上通信を途絶しておるしの》

《そ、それって》

《長良、考えても仕方ないことは考えないのじゃ。彼奴らの健在を信じて動くことしか我輩たちには出来ん。それにな》

 会話が気になって二人のいる後方を振り向く。長良は利根に寄り添って何かを覗き込んでいた。

《見ろ。南東の約三○キロメートル、敵味方識別装置(IFF)に応答しない反応が多数じゃ》

《これは、敵の》

《増援じゃな。細かく針路を修正して西へ進んどる》

 利根と長良は顔を見合わせた。

 

 

《おそらく第一艦隊はこの先じゃ》

 

 

 全身がざわついて鳥肌が立つ。敵の増援艦隊が何処かを目指しているということは、そこに第一艦隊がいるということであり、また第一艦隊の居場所を敵増援艦隊に報告している者がいるということである。敵潜水艦は、今も尚第一艦隊の追跡を続けているのだ。

 しかし、何より第一艦隊が無事である可能性が高いことに安堵を覚えた。

《あと少しで長門たちが敵増援との砲雷撃戦距離に入る。作戦を変更して我輩達もそれに加勢する。第一艦隊へはお主らが向かえ。良いな》

 長良は大きく頷く。

《解った。利根も気をつけて》

 みんな行くよ! と言って長良は身を翻し、こちらへ向かって来る。その様子を眺めていると、利根と目が合った。

《曙、何じゃその脚に付いてるヘンテコな装備は》

《バリ式ですよー》

 私の代わりに漣が答えた。

《ばりしき?》

 浸透していないのに略したものだから、案の定伝わっていない。

「夕張式対潜弾投射機よ。夕張から貰った対潜装備なの!」

 ぽん、と装備を叩いて言った。

《ほぉ。大丈夫なのか? そんなんで》

「自分の心配してなさい!」

 私の(かたわら)を長良が通り過ぎていく。

 振り向きざま見えた利根は、少し微笑んでいるように見えた。

 

 

           ※ 

 

 

 第一艦隊の予定航路を辿り始めて一時間ほどが過ぎた。

 もうすぐ夜が明けるが未だ発見には至っていない。明るくなれば捜索は容易になるだろうが、合流を果たせていない今となっては敵航空戦力による被害の拡大が懸念された。私たちだってスロットの(ほとん)どを対潜装備に()てているから、水上艦艇はもちろん、航空機には丸腰も同然である。

「何処にいるのよ全く」

 焦りが苛立ちとなって吐き捨てるように言った。

《ぼのたん、イライラしたって見つからないよぉ。気持ちは解るけど》

《でも、本当にそろそろ会えないとおかしいよね。やっぱルート外れてるんじゃないかなぁ》

 漣と朧も不安なのは同様らしい。

「潮が大破してから半日以上経ってるのよ。早く合流しないとあの子──」

《曙、静かに》

 長良が私の言葉を遮って言う。

《私語をする暇があるならソナーに注意しなさい》

 簡潔で完璧に正しい長良の注意が私の感情を逆撫でする。常に正しい言葉を受け入れられる訳じゃない。正しい言葉だからこそ受け入れられない時がある。

 私にとって、今がその時だった。

 唇を噛み締めてマイクの出力を切る。

「だって早くしないと──早く見つけないとあの子──沈んじゃうかもしれないのよッ!」

 天に向かって思い切り叫んだ。

 叫んだからといって何も進展しないことは解っている。ただ、そうせずにはいられなかった。

 時化の海での航行と闇の中での艦隊行動に一杯で、それまで紛れていた一番の不安が夜明けを間近にした今になって噴出した。

 ソナーに耳を澄ましたって何も聴こえないじゃないか。

 四隻のスクリュー音が混じり合って、まるで洗濯機に頭を突っ込んだみたいだ。

 こうしている間にも潮は──。

 あぁ、潮に会いたい。

 

 なんだか急に疲れてしまって、ソナーを切って私は項垂(うなだ)れた。

 生温い風は快適とは言い難いが、それでも過熱した私の頭を冷却するには十分だった。

 目許がやけに冷たい。

 一度大きく深呼吸をして、ソナーを再び接続しようとしたその時、ぱらぱら、という乾いた破裂音が遠くから聴こえた。

 慌ててマイクの出力を戻す。

「──今の聞こえた?」

《何、潜水艦?》

「違う。少し静かにしてみて」

 目を瞑る。

 波音、風音に混じって、薄く、細く、遠くから。

 

 

 ──ぱらぱら。

 

 

《あ、聞こえた》

《どうやら、始まったみたいね》

《どっちの音だろう》

 それは砲撃の音に違いなかった。敵味方どちらの発砲音か判らなかったが、戦艦の主砲だろう。いずれにしろ先制するに越したことはない。長門と陸奥の41センチ連装砲であることを祈るばかりである。

 破裂音は、やがてその頻度を増していった。

 砲雷撃戦では何も出来ないことへの複雑な感情を抑えつつ、今まさに戦闘が行われている東の水平線に気を取られていると、私たちの針路のほぼ真正面から、先ほどまでの破裂音とは明らかに異なる種類の爆発音がした。

《何ッ! 攻撃!?》

「いや、この音は──」

 聞き慣れた発砲音、35・6センチ砲。

「金剛だッ!」

《ようやく見つけた!》

《みんな、速度上げて!》

 武者震いがして全身の毛が逆立つ。我を忘れて速度を一杯にした。

 対潜警戒も何もあったものではないが構うものか。

 とにかく早く会いたい。第一艦隊が、潮が、そこにいる。

《金剛さん! 金剛さん、聞こえる!?》

 発砲炎が目視出来る距離まで接近しているが応答はなかった。

「やっぱ無線壊れてんのよ! 聞こえてない!」

《ええいっ! 気づいて!》

 長良は信号灯を点滅させて合図を送った。数秒経って金剛からの応答があり、こちらへ向かって来る。

 鼓動が速くなるのを感じた。

 やがて対面しようというところで前にいた朧が急減速したため、追突しそうになって身体を捻り、ギリギリのタイミングで回避する。体勢を崩したまま急制動をかけると、私は半回転して後ろ向きのまま大きな弧を描いた。

 やっとの思いで停止すると、その後方から首根っこを掴まれて振り回される。

「Oh my ボーノ! アメイジングなタイミングデース! よく来てくれました!」

「金剛、怪我はない!?」

「All rightネ! 問題Nothingデス!」

 装甲の解れ具合からして小破しているのだろうが、それを感じさせない気丈さで金剛は言った。

「良かった。それで潮は? 他の皆は何処?」

「向こうネ! 潮も無事デス。早く行ってあげて下さいネ!」

 金剛の指差した方向を確認する。薄っすらとではあるが艦影が確認出来た。

「ありがとう! 漣、朧、向こうだって!」

 身振りを交えつつ二人に伝える。私たちは金剛の許に到着した長良と入れ違いでその場を離脱する。

 陣形も艦隊行動も無茶苦茶に、それぞれがただただ一杯で海面を疾走しているカオスな状況ではあったが、この場で冷静を保つ余裕は私達になかった。

 潮の手を取り、何があろうとも二度とその手を離すまいと、そのことしか頭になかった。

 私達が、この先もずっと──私達でいられるために。

「潮ッ!」

 那智に抱えられている潮はぐったりとしていて、無事だと聞いてはいるが気が気ではない。その光景に軽い眩暈を覚える。

 漣と朧と私は、ほぼ同時に急停止の水飛沫を上げた。

「貴様ら、よく来てくれた!」

 エッジの効いた威勢のいい声で那智が言う。那智も中破しているようだった。

「潮の状態は!?」

「心配するな、気を失っているだけだ」

 そっと触れた潮の頬は、柔らかくて温かった。

「艤装もこんなにボロボロになっちゃって。これ排気口塞がってない? やってくれるなぁ」

「よく頑張ったね、潮」

 数ヶ月振りの四人だった。

 以前は当たり前だった、四人の第七駆逐隊。

「ごめんね、潮」

 私、帰って来たよ。

「色々心配かけたけど、もう大丈夫。私達で何とかするからね」

 蹴散らしてやるから。

 目許を拭って気を入れ直す。まだ泣く時じゃない。

「皆さーん、こんなところで固まってたら危ないですよ!」

 やけに甲高いその声に、無性に懐かしさを覚えた。

 私たちの許に、こちらも中破した阿武隈が駆け寄って来た。

「阿武隈、久し振り。大変だったみたいね」

「わぁ、曙じゃない! そうそう聞いて、潜水艦ったらものすっごくしつこいの! どんだけ付いて来るのって感じ! 爆雷も残ってないし髪型も装甲も崩れるしもう最悪なんですけど」

 話が妙な着地をしたことにハッとして、違う違うそんなこと言いに来たんじゃないの! と地団駄を踏むように阿武隈は言う。

「まだ近くにいるから散開して! 纏めてやられちゃう!」

「数は判るの?」

「私が一つ沈めたと思うから、多分、二隻だと思う」

 那智と目が合う。

「曙、大丈夫だ安心しろ。潮は何があってもこの那智が守る」

 その言葉に私は無言で頷く。

 依然として目を瞑ったままの潮の顔を撫で、大きく息を吐く。

「漣、朧、行くわよ!」

「いよいよか!」

「ほいさっさー!」

 私たちは姿勢を低くして、クラウチングスタートを切るように急加速してその場から散っていく。

 ふと見た東の水平線は、赤く染まり始めていた。

 その光景は此処が戦場であることを忘れさせるほどに澄みきっていたが、風音や駆動音を破って再び聴こえて来る金剛の発砲音が、その思いを吹き飛ばした。

「距離取って三手に分かれるわよ!」

《曙が指揮執り始めちゃってるけどいいのかなぁ? ねぇ、長良さん》

《いいよ別に。私は金剛さんの護衛をするから、そっちはあなた方でしっかり頼むわよ!》

《曙、アタシ、ピンガー打ちたいかも》

「まだダメ。明るくなってきたから、九三式とその目でなんとかしなさい!」

《何も聴こえないよぉ》

「喋ってるからよッ!」

 確かに朧の気持ちも解らなくもない。これだけ派手に動いていればソナーに耳を澄ましたって雑音だらけだし、私達の状況は敵にほぼ知られているだろうから、アクティブソナーを使用したところで失うものは何もないように思える。

 しかし、ピンガーを打つにはもう少し潮から離れておきたいと思った。

「あとちょっとしたら私が打つわ。囮になるかもしれないし」

《あ、自分だけいいトコ取りしようとしてる!》

「あのね、今そんな場合じゃないでしょ。何で私がそんなセコイことしなきゃいけ、な──」

 漣の幼稚な発言に呆れていると、夜明けの角度の浅い太陽に何かが水面で反射した。

 波頭、波間。

 あれは──。

 

 

「潜望鏡ッ! 私の三時、距離七○○!」

 

 

 全身から声を振り絞るように叫び、私は面舵一杯で転舵して敵へと突撃する。

 夕張式対潜弾投射機──通称「バリ式」のセーフティを解除し発射準備を整えた。

 潜望鏡は既に見えない。

 撃たれる前に撃ってやる。

 私の頭の中は、そのことで埋め尽くされていた。

 早く、もっと速く。

 もう、いつ正面から魚雷が来たっておかしくない。

 焼き付いてしまいそうな勢いで主機を回して、三式水中探信儀のピンガーを打つ。

 十二時方向の距離三○○に反応があった。

 ソナーとバリ式が同期して、弾頭の角度が調節される。

「いっけぇえ!」

 左脚に装着したバリ式から、いくつもの弾頭が一瞬のうちに連続して射出される。弾頭は放物線を描き円状に広がって着水した。

 やがて轟音と共に巨大な剣山のような水柱が立って、その後僅かな余韻を残し辺りは急速に修復していった。

「──す、すごい」

 私は放心してそう呟いた。

《何今の! 曙がやったの!?》

《ヤバイじゃん! バリ式超ヤバイじゃん!》

 本当にやばい。

 爆発で巻き上げられた海水が、風に乗って霧雨のように降り注ぐ。数秒の間呆然としていたが、戦闘中であることに気がついて声を張り上げた。

「あ、あと一隻いるはずよ! あぁっ、もうピンガー打ちまくって!」

《了解!》

 返答があってから間もなく、朧が発振したと思われるコーン、というピンガーの音がソナーに響く。

 私はパッシブソナーに耳を澄ましながら周囲を見回すが、聴こえるのは自分の鼓動の音だけで、見えるのは大海原と朝焼けに染まる空だけだ。落ち着け落ち着け、と言い聞かせるがそう簡単に落ち着けるものでもない。

 焦りが募るばかりの私のソナーに、三回目の発振音が聴こえたその時、

《感あった! 逃がさないよッ!》

 と朧が叫んだ。

《キタコレ!》

「見つけた!? 朧、何処よ!?」

《アタシの近くよッ》

「だからそこが何処なのよッ!」

 朧からの返答がない。これ以上聞いても無駄と判断した私は、朧のいる西側に向けて舵を切った。

《ぎ、魚雷撃ってきた! さ、三本、魚雷三ッ!》

「朧、避けて!」

《アタシは大丈夫だと思う多分だけど! 漣、一本そっちに行ってるから気をつけて!》

《おk!》

 無線から朧の唸り声がした。回避行動中なのであろう。それは加速度や海水の抵抗に耐えている声であり、同時に恐怖に耐えている声でもあった。

 次第に、派手なウェーキを残しながら海上を疾走している朧の姿が見えてくる。

《よ、よしっ。避け切った。今度はこっちの番ね。爆雷投射! 沈みなさいッ》

《あーっ! 待ってぇ、間に合わないぃ!》

《待てる訳ないでしょ! バカなこと言ってんじゃないわよ!》

 朧は高速で移動しながら、その航跡上に爆雷を散布していく。数十秒後、爆雷が炸裂し始めて、朧の後を追うように水柱が上がっていった。

《どうかな? やったと思うけど》

「私が確認する」

 未だ爆発の余韻が残る海面を注意深く観察すると、大量の油と深海棲艦のものと思われる艤装の残骸を発見した。

 

 

 ──私は、空を見上げて大きく息を吐いた。

 

 

「終わった。撃沈確認した」

 無線は漣と朧の叫び声で一杯になった。声が強すぎて音が割れている。いつもは不快に感じるクリップノイズも、この時ばかりは心地良かった。

《やった、やったぁ!》

《あー、なんも言えねぇ》

《曙、漣、朧、よくやったね! こっちも大分優勢に進められてるから、潮と一緒に離脱しなさい》

「了解。ありがとう、長良」

 私はなんだか疲れてしまって、指示を出すことも忘れて潮の許へと向かい始めていた。

 無線越しの大騒ぎを柳に風と受け流し、海上をトロトロと移動する。

 あぁ、艤装が重たい。

 脹脛が()りそうだ。太腿もダルい。背中は張って炎症を起こしているみたいだ。

 そんな私を気遣ってくれたのか、阿武隈と那智は静かに祝福してくれた。

「よくやったな。大したものだ」

 私は頷いて応えて、中腰になり潮の顔を覗き込む。

「終わったよ、潮。早く帰ろう」

 そう囁くと、潮の瞼が僅かに震えて小さな声が漏れた。

「潮、気がついた!?」

「あ──曙ちゃん」

 潮は弱々しい声でそう言って、薄っすらと目を開けた。

「もう大丈夫よ。私達が全部やっつけたから。さぁ、帰るわよ」

「曙ちゃん──」

 目頭が熱くなる。そんな自分に照れ臭くなった。

「しっかし潮は本当にドジね。ったくもう、近くにいてやらないと危なっかしくて見てられないんだから」

「曙ちゃん、まだ──」

 言葉の最後は風に溶けて聞こえなかった。

 潮の表情に一抹の不安を覚えて、潮の唇に耳を近づける。

 潮は、擦れた小さな声で言った。

 

 

「まだ──もう一隻いる」

 

 

 その時だった。

《魚雷ッ! 雷跡四!》

 私は後方を振り返る。

 迫り来る白い線が四本見えた。

 回避、と叫ぼうとして言葉を飲み込む。

 私たちは避けられても、潮は避けられない。

 そのことに気がついて、私は戦慄した。

 身体が、動かない。

《曙ッ! 私と朧が体張って止めるから、アンタが彼奴(あいつ)をやりなさい!》

 漣。

 朧。

《曙、返事は!? 解ったの!?》

「いや、でも──」

《腹括りやがりなさいって!》

《漣、衝撃に備えて!》

 魚雷と私達の間に割って入った二人は、大きな爆発に包まれた。

 私は訳が判らなくなって、大声をあげ機関をフルに回して走り出した。

 潜水艦は、海上に姿を曝していた。

 異形の口許から上半身を乗り出すようにして、長い頭髪を海面に浸らせている。

 その深海棲艦は、(わら)っていた。

 

 

 お前か。

 お前だろう。

 あの時も。

 私だけではなく、大切な仲間まで。

 絶対に沈める。

 お前だけは──何があっても。

 

 

 敵は、続けて魚雷を二本発射した。

 このまま突進すれば直撃するが、そんなの構うものか。

 バリ式を照準する。

「沈めえぇっ!」

 弾頭が勢い良く飛び出していくと同時に、潜水艦は潜航を始めた。

 接近する魚雷に防御姿勢をとる。

 直後、悪意の塊としか形容出来ない衝撃が全身を襲う。

 私は空中に放り出されて、姿勢も場所も損傷も判らないままに海面に叩きつけられた。

 起き上がる気力など湧き上がってこない。

 

 朦朧とする私の許に、バリ式の炸裂する音と衝撃が海を伝って届く。

 

 私はただ、ざまあみろ──と心の中で呟いて、その意識を手放した。

 

 

            ※

 

 

 早朝の太陽は柔らかかった。

 角度的には日没前と変わらないと思うのだが、陽射しに凶悪さがない。一体何が違うのだろうと考える。まぁ、何と言っても夕方はとにかく紅い。その色味からしてなんだか未練がましい。その光も熱量も、身体に纏わり付くようだし。

 その点、今はどちらかというと青いというか白いというか。さっぱりしているのである。太陽にも余裕があるというか。

 これから昇るばかりだものな、と太陽に対して何故か上からの目線で結論を下した。

「曙ちゃん、何か、考え事?」

 ぼうっと水平線を眺めていると、岸壁の上で隣を歩く潮に尋ねられた。

「いや、別に。この艤装、何か軽くて変な感じだなって」

「あはは、そう、だよね。私も、変な感じ。演習、上手く出来るといいね」

 私たちは揃って駆逐艦用訓練艤装を背負っていた。

 この艤装は、新人の駆逐艦が基本的な操作や水上航行に慣れるために使用するもので、装備したのは何年振りか判らない。とにかく軽くてオモチャみたいだし、装着した感触の違和感で背中がむず痒くなるような気がする割には、全く収まりが悪い訳ではない、という何とも半端な感じがするのである。

 つまり訓練用としてはとても優秀なのだろうが、専用の艤装に慣れた私達としては物足りなさを感じてしまうのだ。馬力もないし操作感がマイルド過ぎて普段の機動は出来ない。

 

 なんだか、まるで自分が自分ではないような、そんな気がするのである。

 

「私達の艤装、いつ帰って来るんだろうね」

「どうかしら。一から作り直したほうが早いくらい派手に壊れてたみたいだし、秋頃まで掛かるかもね」

 あれから、十日ほど経過していた。

 あの戦いで私と潮の艤装は大破して、鎮守府の工廠では修理不能と判断されメーカー修理に回された。漣と朧の話では、大幅な近代化改修も施されて戻って来るらしい。オーバーホールのついでなのだろうが、綾波型は陽炎型や夕雲型に比べて古くなっている部分もあったし、いい機会かもしれない。

 一つだけ心配なのは、その話を一緒に聞いていた夕張が「へぇ。大破したら改修してくれるんだ」と真面目な表情でぽつりと呟いていたことである。

 近いうちに、緑色のリボンを着けた兵装実験軽巡が謎の大破をするかもしれない。

「まだ、工廠は作業してるんだね」

 右手に見える工廠を一瞥して潮が言う。

 工廠からは、低域と高域の入り混じった機械の作動音が聴こえていた。

「夕張もバリ式の導入評価試験が本格的に決まったから張り切ってんじゃない? 明石さんも大変よ」

 私は他人事のように言う。

 夕張式対潜弾投射機──通称「バリ式」はその性能を高く評価されて、開発の継続をクソ提督から正式に命じられたらしい。

 夕張は自らの業績が認められたことと、趣味でやっていた頃とは桁違いの予算と資材を使えることに歓喜していた。あの夕張のことだから、与えられた資材も別のことに使い込みそうである。

 まだ諦めていないのだろうか。「ショットカノン」とかいう訳の判らない試作艦砲。

 

 一方、明石さんは一転して地獄である。

 結局あの作戦で轟沈は出さなかったものの、大破三、中破、小破共に五、という甚大な被害を出したその皺寄せは一体何処に行くのかというと、鎮守府での修理や調整を一手に引き受ける明石さんのところなのである。

 明石さんの工廠は常に、訓練や演習で破損した箇所の細々とした修理から、装備と艤装の定期点検、艤装の調子が悪い、装備の性能を活かしきれていないような気がする、等々の相談に訪れる艦娘のカウンセリングでフル稼働状態であり、普段から猫の手どころか多摩の手も借りたいほどの過酷な労働環境なのである。

 それに加えてこの殺人的な要修理艦の数だ。明石さんは錯乱して、全部メーカーに回せ私を殺す気か、とクソ提督と壮絶な修羅場を展開したそうだが、気持ちは解らないでもない。

 つい先日も私のいた病棟に、

「あけぼのぉ、アナタ工作艦になりたいって言ったよねぇ。確かに言ってくれたよねぇ」

 と、スパナを片手に焦点の定まらない目で踏み込んで来たから限界は近いのだろう。朝方、ゾンビのようにふらつきながら鎮守府を徘徊する明石さんは、最早我が鎮守府の日常風景だ。

 皮肉なことに工廠の仲良し二人組は、一方が狂喜して一方が発狂しているのである。

 まぁ、どちらも狂っていることに変わりはない。

 しかし、私も元気になったのだから少しは手伝いに行かないといけないな、とは考えている。

 工廠の二人には、返しきれないほどの恩があるのだし。

「曙ちゃん、変わった、よね」

 変わった。

 私が。

「そう? そんな気はしないけど」

「いやぁ、変わったよ」

「どの辺が」

 私がそう問うと、潮は俯きながら微笑んだ。

「だって、お見舞いに来てくれた長門さんとか、北上さん大井さんとか、間宮さんに伊良湖さんとか。なんか、すごく仲良さそうに話しててさ。前はもっと恥ずかしがって、つっけんどんにしてたのに」

「そ、そんなことないわよ!」

「何か、あったの?」

 あったと言えばあったのは確かである。

 私が立ち直ることが出来たのは皆のおかげ以外の何物でもないし、潮を無事救助出来たのも、長門達が敵増援艦隊を完璧に抑え込んでくれたからに他ならない。

 敵の航空戦力がほぼ機能せず、制空権を安定して確保したまま戦況を有利に進められたのは、夜明け前の長距離砲撃で長門が敵空母に打撃を与えていたからだし、最後まで激しく抵抗して、利根や筑摩を中破にまで追い込んだ戦艦ル級にトドメを刺したのは、北上と大井の雷撃だったらしい。

 敵とはいえ最後の一艦に一人二○射線、計四○射線の魚雷を撃ち込むその様は、戦闘というよりもむしろ一方的な虐殺に近かった、と証言したのは長門隊に同行していた飛龍だったが、やっぱりあの二人はちょっとおかしいのである。

 見舞いに来てくれるのは有り難いのだが、手土産に官能小説を持ってきた北上は本当に沈めてやろうかと思った。ニヤけながら「曙好きだもんねー」と剝き身で差し出してくるものだから、長門は勘違いするし大井は「アナタはそっちなのね!」と急に興奮しだすし、事態を収拾するのに骨が折れた。

 曙が本屋でエロ本を物色していた、と北上は吹聴しているが、あれはたまたま私のいた前の棚がそういう本を置いている棚だったというだけであって──。

 大体何だよ、大井の言う「そっち」って。

 そんなことを思い出しつつ私は、

「まぁ、色々とね」

 と一言で雑に纏めた。

 

 そうなんだ、と潮が呟いたところで、私達は桟橋に差し掛かる。

 

 

「曙ちゃん」

 呼ばれて振り向くと、潮は何故か顔を赤くしてこちらを見つめていた。

「やっぱり、変わったよ。か、格好良くなったよね。あ、いや、前から格好良かったんだけど、前よりもっていうか。その──」

 そう言って潮は黙ってしまった。

 なんだか私まで恥ずかしくなって、赤面して目を逸らす。

「あ、あの、潮?」

「は、はいぃ?」

「──ごめんね」

 潮の、え、という声が風に溶ける。

「どうして、曙ちゃんが謝るの?」

「潮に酷いこと言ったでしょ。心配してもらってたのに、気づかないふりして甘えて、潮だって大変な思いをしてたのに、それなのに潮を傷つけた」

 私が、殻に閉じ籠っていた時。

「そ、そんなことないよ! あれはタイミングを考えなかった私が悪いんだよ。私が、曙ちゃんに会いたくて、話したくて、我慢出来なかったのが悪いんだよ」

 潮の両肩を抱く。

「それはないよ、潮。私嬉しかった。けど、どうやって表現していいか判らなくて。ごめんなさい。その、許してくれるかな」

「も、もちろん」

「そう、よかった。ありがとう」

 私は恥ずかしさが許容量を遥かに超えているのを感じていたが、今言わなければと思って、一気に(まく)し立てた。

「ついでにもう一つ! 潮、だ、大好き。これからもずっと、私のそばにいてくれる?」

 こんなのただの告白じゃないか、と言った後で気がつく。

 潮は驚いたようで唖然としていたが、決して私から目を離さなかった。

 その潤んだ目に、次第に吸い込まれてしまいそうな感覚がする。

「ど、どういたしまして」

 そんな潮のズレた返答に、危うく変な空気になりかけた私たちに笑いが込み上げて来る。

 私が先に吹き出してしまって、やがて潮も笑い出した。

「あはは、やめやめ! 漣と朧も待ってるだろうから、早く行こう」

「そ、そうだね」

 私は桟橋に腰を下ろし、訓練艤装の機関を始動させる。

 両手で身体を押し出して、両足で海面に着水した。

「曙ちゃん!」

 私は振り返る。

 

 

「曙ちゃん、私、第一艦隊に来ないかって誘われてるの! どうしたらいいかなっ!」

 

 

 潮が発しているとは思えないような、大きくてはっきりとした声だった。

 私は微笑んで言う。

「やめときなさい! 潮はずっと、第七駆逐隊にいればいいの! 私が近くにいないと、危なっかしくて見てられないんだから!」

 潮は満面に笑みを(たた)えて頷き、私の後に続いて海上に降り立った。

「曙ちゃんには、やっぱり朝日が似合うよね」

 

 

 そう言って、潮はそそくさと先に行ってしまった。

 その先には、漣と、朧と、太陽が──。

 

 あぁ、大切なものはすべてそこにあるな、と。

 

 素直に──そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。