「蘇るとはいえ、一家の大黒柱を殺したんだから、嫁のチチと息子の悟飯くらいには謝れ……これで、付いてきてくれるか?」
駄目だ。
あいつにとって既に信頼ならない存在であったとはいえ、10年以上共に戦ってきた俺を切り捨て、前世からのあこがれの人である悟空を、歴史通りでなおかつ復活前提とはいえ殺害したのだ。
決意のほどは、想像に難くない。
ならば……どうする?
……飛行中の空路は赤道へと近づき、深い緑が地を覆う。
空は白混ざりの青、至って晴天。
一方、そこを飛ぶ本人、この俺の思考は今もなお、混沌とした苦悩に覆われていた。
「……俺や仲間達と一緒に居たくないならそれでいい、でも、せめて森で暮らすなんてことはやめてくれ、そのための禊としてでも、謝ってくれないか? なら……」
これも違う。
あいつの決意は硬い、これじゃ、駄目な気がする。
いっそのこと、俺自身の言葉として、『愛している、戻ってきてくれ』と……。
駄目だ、どの口で。
この地平線の先に居る我がかつての相棒、プリカ。
俺と仲間を裏切り、世界を救おうとしている(はずの)あいつは今、その足で密林へと隠れ、たった一人で暮らしている。
それを引き戻すため俺は必死で、あいつを呼び出すための言葉を考えて……だが、失敗した。
かける言葉が見当たらない、あいつが来る理由も思いつかないし、俺がかけていい言葉がまず、見当たらない。
「もう、あの森か……」
答えが出ないままに、密林が見えてくる。
プリカが新たな住処とした森、選ばれたその立地は、西の都やかつて住んでいた森はもちろん、戦士たちゆかりの場所から丁寧に距離を取った……プリカの決意と隔意を表すように。
俺は躊躇しながらも後戻りはできず、ゆっくりと降下して、隠れ家のドアの前に立つ。
「…………ッッ……」
俺は意味もないのに息をひそめるが、プリカは既に俺の存在に気付いて、聞き耳を立てている。
待たせることはできない、何かを、言わなくては。
何かを。
乾いた喉を締めて、息を吹き込んむ、そうすれば声は出る。
声が出れば俺は何かを喋るだろうと思って、俺は、それに賭けることにした。
「……ッッゥ、プ、プリカ!! た、助けてくれ……」
意外な程にすんなりと、言葉は出た。
だが、どうしてこんな、まずい、なんで俺を嫌って去ったプリカに助けを求める、不興を買うだけだ。
やばい、もっと嫌われるぞ。
違う、嫌われるなんて俗なものじゃなく……ああ。
俺はプリカを引き戻したいはずだ、何故、助けを求めているのだ。
分からない、脳裏を疑問符が回り、体中から、どっと冷や汗が出てくる。
立って、目を開いているのに前すら見えない俺が状況に気付いたのは、バタン、と、ドアが『閉まる』音を聞いた時だった。
「はぁ……はぁ……」
そこに居たのは、プリカだった。
顔は多分、俺以上に混乱しきっていて、焦っていて、自分が何故ドアを開けてここにいるのかすらもわかっていないような様子だ。
俺にも分からない。
でも、俺の足はまるでそういう習性のある生き物かのように前へと進んで、俺の手は、プリカの手へと向かった。
「……っ!!!」
「あッッ! つゥ……」
俺の手はあっけなく弾かれ、でも、プリカは、再び家に戻ろうとするわけでも、さらなる加撃を行うでもなく、混乱したまま佇んでいる。
俺もまた、何が起こっているのか分からないが、これが俺にとって……。
多分、最後のチャンスなのだろうと、それだけは分かり。
それに気付いた瞬間、また、どんどんと言葉が溢れてきた。
「な、なあ、プリカ……聞いてくれ、チチが、傷付いてる、悟空は界王星に行ったから、だからだ」
まともに言葉がつながっていない、つながっていない言葉でも、何かを伝えたくて俺は喋る。
プリカは混乱した顔を、雰囲気が変わらないまま形だけ神妙に変えて、息を抑え込むように、俺の話を聞いていた。
今、プリカを返しちゃいけない、今ちゃんと言葉を伝えられなかったら、何かを言えなかったら、プリカはずっと森にこもって……たった一人で暮らし……俺もまた、この世界でたった一人だ。
いや、違う、問題はきっとそれですらない、どんな結果になろうとも、ここでプリカとの断絶に決着を付けられなかったら、俺はきっと永遠に後悔することになる。
「とっちらかっていて、すまない、ただ……なあ、チチに謝って、悟飯に謝って、人里に帰るだけでいいんだ、俺が……もう嫌いなら、それでいい」
必死で伝えた支離滅裂な言葉だが……俺がプリカに伝えられる言葉は、多分どのみちこれくらいしかない。
プリカもそれは分かっているから、これだけでも、なんとか伝わってくれるだろう。
そうやって、なんとか自分の『やらかし』を正当化しながら話しかけると、プリカは小さく歯を食いしばって、後ずさりした。
脈はないかもしれない、そう思いながらも俺はまだ、この対面が感じさせてくれた可能性に縋り付いて、半ば無軌道に言葉を紡いでゆく。
「な……なあ、プリカ、見た所、栄養状態と睡眠状態がかなり悪化しているようじゃないか」
プリカは若干腫れぼったい、クマの付いた目と、こけはじめた頬を小さく撫でる。
そして、小さく顔をしかめつつも、特にそれ以上のアクションをとることもなく、じっと俺を見た。
俺はそれに食らいつくように、言葉を紡ぎ、ポケットの中を必死に漁ってゆく。
「今は一大事だからな、すぐに休めとは言いにくいが……とりあえず、栄養だけでも取らないか?」
「栄養……」
小さくつぶやいた声は疲弊を感じさせる、掠れたものだ。
そんな些細なことにさえ俺は心を揺さぶられながら、やっと見つけたホイポイカプセルでタッパーと器を出す。
中身は、白い塊の入った茶色い汁……豆腐の味噌汁だ。
「ソ……味噌汁」
「滋養が取れ、体が温まり、精神の安定も見込める、食ってくれ」
俺は味噌汁を一杯注ぎ、プリカに差し出す。
プリカは無言でそれをじっと見て、喉を鳴らした。
飲んでくれるか?
その瞬間だけは下心も思いやりも忘れて、ただただ、味噌汁の行方だけに神経が集中する。
プリカは、目を見開き、歯を食いしばり……。
「…………っ!!!」
超音速で逃げた。
「――――ッッッ!!!!? プリカッッッ!!!!」
密林の枝を薙ぎ払って空に飛び出し、一瞬にして豆粒ほどの大きさになるプリカ。
何故逃げたのだ、拒めばいいのに、俺の味噌汁すら見たくないのか?
そんな思考を巡らせる俺が体の主導権を無意識から取り戻した時には、自分もまた空を駆け、プリカを追って大空へと上がっていた。
「ま、待てプリカッッッ!!!」
俺はプリカに呼びかける、だが、返答はない。
超音速故に聞こえていないのではない、武道家の声はこんなときでも通じるものだ。
プリカは俺の言葉に答える代わりに、あるいはそれそのものが答えであるように、更に速度を上げ、空の彼方へと突き進み始めた。
逃げるプリカ、追う俺。
その構図が続いて、数十分か、数時間か……。
俺達は、密林のあった地域を遠く離れ、何の変哲もない荒野へと差し掛かっていた。
いや、ここは……。
「おい、分かるかプリカ!! ここは、天津飯に最初に襲われた場所だ!!」
あの頃は、二人ともまともに空も飛べず、移動は飛行機だけだったし、飛行機から撃墜されれば自由落下するしかなかった。
今はと言えば、俺達はこうして、舞空術で追い掛けっこをしている。
出力はプリカで、練度は俺、それが大体釣り合う所にあって、決着がつかないのだ。
「あの時やらかした鶴仙流への裏切り、許してもらえたのはちゃんと俺達が先に話を通したからだ、今度は違うはずだ!! なら――――」
思いつきのような、しかし、間違いなく全霊の問いかけに答えはなく、プリカは更に、絞り出すように速度を早めた。
荒野からさほど遠くない場所にはカリン塔がある……俺はそこで自ら死にかけ、プリカはそれを見て、死ぬのはやめろと言ってくれた。
「カリン塔が見えるな!! なあ、あの日、俺がする無茶が大事なんだと言ってくれたのに、俺はお前の期待に答えられなかったのかッッ!!? それは本当に済まないと思っている、だがプリカ――――」
上がる速度、帰らない答え。
二人の距離は結局変わらず、大地と空が動いているのを除けば、一切が静止してしまったかのようにすら感じられる。
プリカはこの俺から逃げようとしている、何故、俺と一緒に居なくてもいいと伝えたはずの相手を、俺は追っているのか?
何故プリカは俺から逃げるのか。
考えてもきりのない考えに脳が触れ、その余りの熱を前に伸ばした思考を引っ込める繰り返しを続ける間に、俺達の眼下には、更に別の、見覚えのある島があった。
「パパイヤ島、天下一武道会の島だ! プリカ、あの決勝戦は楽しかった!! だからプリカ、相手は俺じゃなくたっていい、お前ももう一度……」
全力で追い掛けているんだから、余計な酸素は使うべきじゃない、なのに、俺はまるで、あいつに話しかけないと永遠に追いつけないかのような焦燥感に追い立てられて、叫び続ける。
視界の下側で流れる景色が、その速度を増す、最早、どちらが先に加速しているのかすら曖昧だ。
少しずつ、息が荒れ、少しずつ、体に力を入れるのが億劫になってきた。
それでも止まることは出来ない、諦めることはできない。
プリカは、プリカはどうして逃げる、味噌汁が飲みたくないからなのか?
「ハァ……ハァ……プリカ……!」
あいつも限界のはずだ、コンディションは俺よりずっと悪い。
力任せに飛んでる分、疲れもでかいだろう。
どうしてそんなに頑張って俺から逃げるんだ。
普段ならば辿り着かないであろう、ナイーブな思考に包まれかけてきた頃、霞んだ地平に、見慣れた町が見えてきた。
西の都、カプセルコーポレーションの所在地……俺達の家のある町だ。
「プリカ……」
俺はまだ手に持ったままのお椀を握りしめて、プリカの名を呟く。
本当は、何かを引き合いに出して、何かを言おうとして……言えなかった。
……この町の思い出、我が家の思い出は沢山ある。
だが……やっと、俺は思い出したのだ、まずいシチューの味を。
「お前は、あの時から……」
プリカには聞こえないような大きさで、言葉が漏れ出る。
プリカが料理をするといい出したあの日。
普段は絶対にしないようなことを、出し抜けにやりたいなんて言い出して、突然、普段はしない話……俺は武器を使うか、なんて質問をしてきたプリカ。
今思えば……いや、もっと早く気付くべきだった、あれは、知識と現在の間で板挟みになったプリカが上げた悲鳴だったのだ。
それを俺は見逃して、のんきに、日常に彩りを加えてくれる気まぐれと、ちょっとしたナイーブへの慰めとして見過ごしてしまった。
「プリカ、俺はッッッッ!!!」
「ぐ、あああああああ!!!!!」
プリカが声を上げた!
俺はそれだけのことに、一瞬驚き、喜んで、次の瞬間には、更に速度を上げたプリカに追いつこうと必死になる。
プリカが繰り返す加速は俺の言葉から逃げるようで……まるで二人の思い出を巡るかのようなこの道筋とは、正反対に思えた。
もしかしたら、そうあって欲しいが、プリカには迷いがあるのか?
「プリカァッッッ!!!」
「ぎあああぁぁっ!!!!」
激しく叫びながら飛ぶプリカは全力、いや、それ以上だ。
俺もまた、全力以上の速度でそれを追いながらも……プリカがおそらく無意識に目指しているであろう場所の事を思い描いていた。
記憶にあるのは岩山、忘れもしない見上げた月。
体のあちこちが疲労にやられ、霞む視界の向こうにあったのは――――
「――――悪魔の手、魔神城!!!」
俺とプリカが出会ったその日、プリカは自分と、自分が脅かしてしまった人々を襲う魔族を倒すため、俺とともに魔族の根城である魔神城へと向かった。
そこでの戦いとその顛末は、俺達に悟空達との縁、ルシフェルとの縁を与え……俺達二人も縁を結び、戦友としての絆で結ばれることになったのだ。
「ふぅ……はぁ……くぁぁあぁあ!!! 」
苦しげな叫び声とともに速度を落としてゆくプリカ。
俺はお椀を握りしめ、限界ギリギリの力を振り絞り、ラストスパートをかける。
「シィィィアアッッッ!!!!」
「くっ……ぐ、が!!! ぐあっ!!!」
叫び声とともに感じられるエネルギーの滾り!
予想通りと言えば予想通りか、プリカがここに来て選択したのは、振り向きざまのエネルギー弾!!
思えば、出会った頃にはこれすらも、俺にとっては絶望的な攻撃だった。
「フッッ!! トァァッッ!!!」
「がぐあ!! ぐお!!!」
叫びながらエネルギーを放つプリカ、叫ぶ理由は今もわからないが。
俺は片手がふさがったまま、全力でエネルギー弾を弾き、弾ききれず、いくつか体に受ける。
それでもお椀を手放さないのは……意地なのか、俺の想いなのか、自分でも……いや、分かるはずだ。
「あの頃を思い出すぞ、プリカッッ!!!!」
今も輝くこの俺の手、結局気功波は使えながったが、エネルギー弾を防ぐ技を使えるようになったのは、プリカが飽きもせず付き合ってくれたあの特訓のおかげだ。
面倒見が良くて優しいプリカ、思えばあの時から俺は……。
「プリカ、お前が好きだ!! 俺はまだお前が好きだぞ!!!」
「が……ぐああ!! ぐいい!! があ!!!」
勢いを増した光弾が迫る、が、高まり続ける俺の気は、疲労困憊したままのプリカのエネルギー弾など、ものともしない!
「お前がまだ諦められない!! 一緒に来てくれ!!! もう一度、一緒に暮らそう!!!」
エネルギー弾の速度は上がり、ついには振りかぶることすらない、連続エネルギー弾へと変化する。
速度と冴えを増す俺の技は、実にサイヤ人らしいその技を、紙一重ながら捌けていた。
「もう一度言うぞ、お前が好きだ、プリカッッ!!!!」
俺が放った言葉の後、プリカの放つエネルギー弾で包まれた視界は一瞬クリアになり……そして、目撃した。
「げ、が、ぎ…………ぐご、ぐ……!!!」
「なッッッ!!!」
口に蓄えられた、猛烈なエネルギーの塊、これはプリカの必殺技、長らく見なかった……ゲロビ!!
回避……射線の先で何が起こるかわからない!!
受けるか、弱っているとはいえ、プリカの全力の技を!!!?
「それがお前の技なら、なんだって受け止めてやるとも!!!!」
「――――!!!!!」
莫大なエネルギーの奔流が、この星の大気を叩く。
その影響が伝播するよりも遥かに早く現れた、月数個分をあっさり消し去るであろう光条!!
俺はエネルギー弾を捌くため、様々な形に変化させていたエネルギーを、硬化と反発力に特化させた、『輝き』に集中し、光へと叩きつける。
視界はホワイトアウトし、聴覚は莫大な振動を前に機能を停止する。
全身全霊の激突の前には意思さえ消え失せ……。
……手のひらから、何かがこぼれ落ちた感覚があった。
「あっ」
動作不良のはずの聴覚が、はっきりと、プリカの……『素』の声を嗅ぎつける。
白く飛んだ視界はすぐにプリカの姿を捉え、次に、プリカが見ていた先にあったものを見る。
お椀が吹っ飛び、中身の味噌汁が空中に飛び散っていた。
「あぁ~~~~~~~~~~~ッッッ!!!!」
戦闘中止!!
お椀を取って、味噌汁をかき集めればまだ――――駄目だ、未だ残る衝撃で粉砕されて、遠くまで飛んで、空気中のチリと混ざって、蒸発して。
「あ、あぁ……ッッ!」
味噌汁は大気の中へと消えた。
俺はお椀を未練がましく持ったまま、肩を落とす。
地球を一周分も駆け回ってプリカに飲ませようとした味噌汁は、あっけなく消え去ってしまった。
プリカの最後の攻撃は、あっけなく俺が抱えた最後の意地をくじいたのだ。
味噌汁は、その野暮ったい家庭的なイメージと裏腹に、光りながら空へ散ってゆく。
俺の込めた願いとともに……プリカの拒絶によって。
好きだ、愛している、帰ってきてくれ。
そんな言葉が技を招いたのならば……それは、きっと。
「……ッッ」
「…………」
プリカは、エネルギーを放ったままの姿勢から、ゆっくりと体勢を直立に変えて、呆然と立ち尽くしていた。
プリカもまた、終わりを感じているのかもしれない。
終わってしまったと……この追撃戦、俺達が辿ってきた歴史を振り返るような道筋の果てにあったのは、俺達が辿ってきた歴史と同じ破局なのだと。
そう感じて、その『終わり』に浸っているのか。
だが……俺はその呆然としたプリカの見せた『隙』に、飛びついた。
「うわっ! や、やめ……あ、くそ、よせ!!!」
「逃さんッッ!!!」
俺は必死でプリカの腕を掴み取る。
やけに、強い言葉が飛び出た俺の口に驚くのも咎めるのも後にして、俺は掴む手の力を強める。
自分から逃れようとする人間の腕を掴んでどうするんだ、そう、俺に未だ残る理性が叫ぶが、体には届かない。
これが最後のチャンスだと、理性部分以外の全てが叫んでいるのだ。
プリカの顔は大きく歪み、俺を振りほどこうとする。
……こんなものが、何のチャンスなんだ?
いや、何のチャンスなのだということすら頭にはない、ただ、ここでプリカを離してはいけないと、それだけが思考を支配する。
プリカはしばらくじたばたと暴れていたが、俺から逃れるには足りなかった。
「わ、わかったソシルミ、に……逃げないから、放してくれ……な?」
「信じられるか、そんなこと」
いやに弱った様子で俺に語りかけるプリカに、俺はチャンスが幻想だったのかもしれないという恐怖を感じながらも、苦々しげにそう言い放った。
プリカを掴んだ腕の力をそのままに、俺はプリカと向き合い、じっと目を見る。
強引に縛り付けて自分の言葉を聞かせるのは、完全なるエゴかもしれない、だが、それでも。
話さなくてはならない、これが終わりになったとしても、プリカと。
「なあプリカ、お前の食べたがらなかった味噌汁はもうない、少しでいい、話を聞け」
俺の言葉を聞いたプリカは、ほんの少しだけ力を抜いたように感じる、それは多分、本当に味噌汁がもうなくなったからだと思う。
その理由は……分かりかけている、そんな気がするが、胸から出ない。
ならば先に、伝えるべき言葉を伝えよう。
「俺もあの後……お前がいなくなってから、大変だったよ」
プリカがつばを飲み、こころなしか上目遣いに、俺を睨むような、責めに怯えるような目をする。
……プリカは罪を犯した、それは事実だ。
しかし、俺はそれを責めない、責める資格だって持っていない。
だから、責めるために捕まえたんじゃない。
ただ俺の考えを、意思を、気持ちを伝えるチャンスは、これで最後だと思っているだけだ。
「お前がやったことの事後処理の話じゃあない、お前がいないと、誰も俺を止めてくれない、諌めてもくれない、一緒に考えてもくれない……たった一人で、このデカすぎる知識と責任に向き合わなきゃならない」
「……っ……」
「プリカ、これは……この苦しみは、お前も感じていたものじゃないのか?」
プリカの腕が、大きくびくついた。
だが、言葉はない。
答える気がないのか、言葉がないのか。
プリカがほんのちょっとだけまだ俺に気持ちが残ってるとして、こんな強引ことをしたら、それも吹っ飛ぶかもしれない、吹っ飛んだかもしれない。
こうやって話した後、全部的外れだと、ラディッツと共に俺を倒した時点で何もかも終わっていたんだと言ってくるかもしれない。
どうしようもなく怖い。
だが、それでも俺は俺の言葉を伝えよう。
「……たった一人で陰謀を巡らしてると、世界の中で自分だけ事情を知ってるって事が、皆を騙してるみたいで申し訳なくて、自分は何一ついい目を見ちゃいけないみたいに感じてくる」
プリカは腕を震わせ、小さく目を見開いた。
それが何を意味しているのか、普段の俺なら分かるかもしれないが、今の俺にはさっぱりだ。
でもそれでいい、分からない方がかえって、しっかりと言葉を放てるかもしれないから。
「なあプリカ、お前が俺を倒して森に引きこもったのも、そうだったりするんじゃないのか?」
プリカは強く口を噤んで、目をそらした。
だが、下に逸した視線の先に広がっていたのは、俺達にとって見覚えのある山々、森。
それを直視するのにも耐えられず、プリカは再び、俺の目を見た。
「下の森……懐かしいな」
俺と出会う前のお前が考えていたこともそうなんじゃないか、と言外に伝えるつもりで言う。
自分が歴史を歪めるくらいなら、身寄りのない、とんでもなく強い、大猿になる女なんてもんが世界を歩き回るようになるくらいなら……。
……この世界には余計な、あとから来た異分子の自分が引きこもって、辛い生活を続ければいい。
プリカがそんなふうに考えて、森で暮らしていて……俺と出会うことでそれをやめたならば、それはきっと。
そんなほのかな希望も、プリカの一言で消え去るかもしれない。
でも今はまだ。
「!! そ……」
「待ってくれプリカ、俺の話を最後まで聞いてくれ」
俺の言葉が間違いならば、何もかも終わりでいい、それがふさわしい。
だが、俺の伝えたいことは全て伝えさせてくれ。
それは俺達の間にまだ残っているかもしれない絆を切り裂き、幻想を持つことさえ許されない完全な断絶に繋がる道かもしれないが……それでもいい。
「お前はかつて、自分というよそ者を森に閉じ込めて世界を守ろうとした、そして今は、歴史通りとはいえ、自分の選択で死んだ自分の兄弟と、そのために裏切った俺への償いとして、自分にとっていいものを全部遠ざけて、あの密林で暮らそうとしてるんだ」
その『いいもの』の中には……もしかしたら。
わずかに浮かんだ希望を下心と切り捨てて、俺は今に集中しようとする。
俺の言葉を聞いたプリカは、動揺し、ふるふると震え、戸惑うというよりはすがるような目で俺を見ては、その目を自分で塞ごうとして、まぶたを閉じる、その繰り返しだ。
……見ていられない。
「プリカ、ちょっと手を放すぞ、逃げるなよ」
逃げるなんて言葉じゃない、手を離したくない。
この限りなく高まった不安に包まれた時間だとしても、この後訪れるかもしれない、『最後』よりはずっとマシだ。
でも、それよりも大事なもののため、俺は両目をプリカに向けたまま、そっと手を放す。
「あっ……」
プリカは小さく声を上げて俺の手を見た。
俺はそんなプリカの小さな手をもう一度握り直したい衝動に耐え、お椀を体の前に持ってくる。
「こんなちっぽけな奇跡じゃあ説得力がないかもしれんが、お前に見せたいものが……飲ませたいものがあるんだ」
俺は離した手を、お椀へとかざす。
伝えたいことを表現しよう、その手段はある、もしこれが再び拒絶されたのならば、そのときは。
そんな恐怖も、かすかな期待も振り払って、想いだけを、手に。
「取り返しのつかないようなことでも……」
かざした手から、『輝き』を超える光が溢れ出し、お椀を包みこむ。
俺はいやしくも神の弟子であり、同じ弟子だが格闘一辺倒の悟空と違い、不思議な技くらいは使えるのだ。
そうだ、格闘ばかりじゃない、不思議な技がこの世界にはある。
「……取り返しがつかないように見えることでも、案外、この世界ならなんとかなる、なら、人間同士だって、きっと」
……そして、手が通り過ぎたお椀には、なみなみと味噌汁がたたえられていた。
だが、それを受け取るかどうかは、プリカ次第だ。
プリカはその整った顔をそむけ、息を止めているくらいに小さくして……味噌汁の匂いを拒んでいるように見える。
そんなプリカの鼻が僅かに動いたようにも見えたのは、俺の欲目か。
味噌汁は会心の出来だ、全ての想いを込められた……そう確信したとき、俺を包んでいた恐怖は収まった。
これがプリカにとって、もう別れた男の思い出と、無様に縋る姿を見せられるだけの、苦痛な時間だったとしても……俺はプリカに、想いを伝えたい。
人間が蘇るのに、人間同士の関係が蘇らないなんて、そんなことあるか!
俺は何一つ論理的でないそんな思考を抱えたまま、視線を作り出した味噌汁からプリカへと、そっと移す。
「俺はサイヤ人から、沢山の危機から、世界を守りたい……でもそれは、隣にお前がいなくちゃ、駄目だ、いや、お前が嫌ならそれでもいい、でもお前が不幸なままの世界じゃ、無理だ」
視線を味噌汁から俺に戻したプリカは、神妙な……でも、どこか不安げな顔で俺を見てくる。
結局、俺はこんな土壇場で、こんな不器用なやり方でしか、プリカに向き合えない。
「プリカ、お前にとって、歴史のためといって人死にを見逃して仲間を裏切るようなやつが許せないってのは、分かるんだ、でも……今お前が罰しようとしている、その人は……その人はな……」
上空の風を浴びた俺の涙が、頬の上で冷たく自己主張している。
自分はこうも涙もろい人間だったか、自分が相手を説得しようとする言葉にこもった悲しみだけで涙をこぼしてしまうほど独善的な人間だったか?
「なあ……俺の一番大事な人なんだ、なのに、こんな……困る、助けてくれ、頼むから……」
プリカの右腕が、ぴくりと動いて……ただ動いただけに終わる。
俺はその手を取ってから、もう一言だけ、プリカに伝えた。
「もしお前が自分の腹を温めてくれる気になれるなら、飲んでくれ……これで、お前の体を温めてくれ」
本当なら目の前で、いちから作ったものを飲ませてやりたい。
本当なら、もっともっと沢山料理を作って食わせてやりたい。
でも、空の上で作ってやれるのはこれだけだ、これが精一杯。
プリカは俺の顔と味噌汁を交互に見て、手を居心地悪そうに動かす。
それでも、軽く握っただけの手からも逃れようとはしない。
「あ、うあ……」
顔を赤くしたり、青くしたり、渋くしたり、笑おうとして、しかめっ面に戻したり。
プリカの顔はころころと変わってゆく、もう何かを繕ったりはしていないんだと、俺には分かる。
お前はどうしたい?
それを伝えてくれ、どんな方向であれ、遠慮はいらない。
俺が伝えたかったことを受け取ってくれたならば、後はどうしてくれたっていい。
俺は微動だにせず、プリカの決断を見守る。
そしてプリカは、所在なく降ろされていた左手を上げ、俺の手から右手を取り戻してから、両手で味噌汁を取り、じっと見て……。
一息に飲み干した。
「んがっ、んぐ……ぐむ、ごく……ぶはっ!!」
「うまいか?」
「ああ……ん? これエア味噌汁か、虚空から、味噌汁……」
プリカは小さく同意してから口元を拭い、続けて、茶化すような、ごまかすような感じで続けた。
刃牙シリーズの三作目、シリーズ主人公の名を冠した『範馬刃牙』は、範馬刃牙とその父親である範馬勇次郎との長きに渡った対立の結末、地上最強の親子喧嘩を最終編として据え……。
その親子喧嘩は、長く分断された親子関係の埋め合わせのような殴り合いの末、『エア夜食』……『エア味噌汁』を息子に供する地上最強の父親という、前代未聞の構図から続く和解で幕を閉じた。
だからこそ俺はこの世界に生まれた時、『アエ・ソシルミ』という名前に、最強を目指せという天命を感じたのが……。
その天命は今、全く新しい形で、俺の目の前に現れたのだ。
「おまえは、この世界を元とはもっと別の……いい未来を作った、オレはそんなお前を、オレがやらかすことに巻き込みたくなかったんだ」
「……だから相談しなかったのか? じゃあ、帰ってくればいいだろ、すぐに」
俺はプリカの言葉を聞いた直後……さっきまで必死で懇願していた相手に、拗ねた声で抗議をぶつけた。
だが、これまでも続いてきた、勝手に放たれたような言葉を前に、俺は何故か、もう動揺していないのを自分で感じる。
プリカは小さい声で、俺の言葉に答える……いや、俺の言葉を聞いた自分の言葉として、続きを話し始めた。
「おまえがそうやって許したら、……やって良かったってことに、なっちゃうだろ……あんなことが!!」
小さな声は次第に大きくなり、喉が膨らんだり縮んだりする、泣き声混ざりのものに、変わる。
「歴史の通りにする、歴史を参考にすることで世界を守るというのは、決して間違いじゃ――――」
「間違いじゃないわけないだろ!! 悟空は死んだんだぞ!!? ラディッツもだ! オレはあいつが兄貴だなんて知らなかったのに、あいつらが、オレと同じ親父がいて、同じ母さんがいる人だなんて知らなかったのに……知ったばかりだったのに……ぃ……」
お前は愛されて産まれてきた、愛されて、惑星ベジータから逃された。
かつて俺がプリカに語った言葉は、おそらく真実だったのだ。
そして、プリカはその愛を分かち合った二人の事を知ったと同時に……二人を、この世から消し去ることになった。
それが、どれほどのことか。
「プリカ、よせ、もしあいつを蘇らせたっていいことなんかないはずだ、生きてたって、あいつと仲良くできるかなんて、そんなこと誰にも分かるものか」
「……う、ああ……オレは……おまえに……!」
絞り出すような声が次第に泣き声へと変わっていく。
ついに泣き出し、舞空術の制御すらおぼつかなくなったプリカを、俺は抱きとめる。
……プリカは全く抵抗なく俺に体重を預けた。
俺はその重みに耐えきれなくなって、絞り出されるように、言いたかった言葉を吐き出す。
「綺麗でいることなんかより、二人で戦うことの方がずっと大事だ、帰ってきてくれ、プリカ」
「ソシルミ……」
「二人でもっと、世界を救うための悪巧みをするんだ、重力室も作ってくれ」
プリカは俺の胸の中で、小さくふるえた。
それはとても長く続き……終わったと同時にプリカは俺の胸から離れて、涙のない凛とした顔で、ようやく俺の言葉に答える。
「……オレはおまえのことが好きだ、一緒にいたい、地球を守るのも戦うのも、暮らすのも、おまえと一緒にやりたい」
今度は俺が言葉を失って、プリカを強く抱きしめた。
プリカは、小さく息を漏らして、なすがままだ。
この愛しい人を、また俺の元に取り戻せたことは、俺にとって多分、これまでのどんな戦いにも勝るとも劣らない勝利なのだろう。
そして……愛するからには、やらなくてはならないことも、ある。
「家に帰ろう、プリカ」
「……でもその前に、やらなきゃいけないことがある、そうなんだろ?」
「ああ」
「チチの所に行かなくちゃな」
「チチ、本当にごめん、すまなかった、……オレは本当に……悟空とチチ、悟飯たちに、皆にとってひどいことをしたと思ってる」
「何度でも言いますが、この一件は、俺がプリカを止められなかったこと、たった一人で戦うほどに追い詰めてしまったことにも責任があります、どうか、プリカを許してください……!!」
「……本当に、ちゃんとプリカちゃんを連れてきただな、ソシルミさん」
悟空の家の玄関先で二人揃って深々と頭を下げた俺達に、チチが小さく言う。
チチには、どんな事を言う資格もある……それは、俺達が受け入れなくてはならないことだ。
謝罪だから、許してもらうためだからそうするんじゃない、ただ、チチには権利があり、俺達には義務がある。
そう思っているから謝るのだ。
「それで、『やっちゃいけなかった』とか、『もうしない』とか、言わねえだか、二人とも」
「…………はい、言いません」
出来ないことは出来ないと答える、それも誠意だと信じて放った言葉を前に、しばし、静寂が生まれる。
重苦しく、長い静寂だ。
それに耐えてでも、許してもらわなくてはいけない相手の言葉を拒んででも、俺達は、チチの言葉を受け入れるわけにはいかなかった。
この先も、俺達は陰謀を巡らすだろう、また人を裏切るかもしれない。
そして、それをやめることは……。
「ま、いいだ、二人とも、頭を上げてけれ」
「……チチさん!」
「地球を守るためだったんなら、仕方ねえだよ、一声くらいはかけて欲しかったけんど、それは勘弁しといてやるだ、悟空さの友達だしな」
「ありがとう、チチ」
チチは(多分、俺達の気持ちのために)もったいぶってから謝罪を受け入れ、ニッコリと笑って俺達を許した。
どれだけのことだろうか、自分と、幼い息子から父親を……一年とはいえ奪った人間を許すということは。
それをあっさりと……。
こんな謝罪で申し訳ない、許してもらうなんて、申し訳ない。
謝罪を受け入れてもらったことに、更に謝りたいと感じている。
プリカは先に、ありがとうと感謝を伝えた……俺もそうしたい、だが、俺にはもう一つだけ、ここに来る理由……使命があった。
こんな優しい人には決して言いたくないような事を、言わなくてはならない。
「チチさん、もう一つお話が」
「な、なんだ? ソシルミさん」
「……貴女に伝えそこねた悟空からの伝言があるのです、その内容は――――」
――――悟飯を俺の手に委ね、最強レベルの才能を引き出し、戦士として育て上げること。
俺がそれを口に出して伝えると、チチは狼狽して叫び、事前に内容を伝えていたプリカまでもが、動揺を抑え込むように、自分の胸元を手で握った。
「そったらことが……!!!?」
「事実です」
どんな修行でも感じたことのない重圧を前に、俺はじっとりと冷や汗をかく。
困難な説得だ、しかも本来これは……嫌だ、やりたくない。
4歳の子供を鍛えて戦場へと連れ出すのだ、そうしたいと、その母親に申し入れるのだ。
……だが俺は、やらなくてはならない。
愛する人への責任を、愛する人を愛することへの責任を、俺は果たさなくてはならないのだ。
最後のチャンスを掴み取った俺に与えられた、地球の守護に対する深い責任。
だがそれをも喜ぼう、これが、俺が望む通りに生きていくということなのだから。
→つづく
選び取った未来は呪いにも似て。
だが、受け入れた呪いを人は、違う名で呼ぶのだろう。
お久しぶりです、桐山です。
ついに長かったラディッツ編~戦後編も終了が近付いて参りました。
人生における選択というものは往々にして永遠には続かず、選べたことが選べなくなり、再び選べるようになる、そんなサイクルを、それこそ永遠に繰り返していくものなのかもしれません。
彼等は、再び愛し合い、自らの知識を活かして戦い続けることを選択しました。
その選択の深さは、かつてそれを選んだ時よりも、遥かに深く、意義深いものになっていることでしょう。
……そして、今まさに彼等と相対している親子もまた、選択を迫られることになりました。
果たして彼等の、そして親子の選択は。
地球にサイヤ人が到達すると言われるその日まで、あと300と……。
次回もお楽しみに!