碁石アレルギーとはなんぞや【完結】   作:Una

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第15話 染色

「三谷君はね。打ち始めて早いうちに実力差に気付いてたの。その後もね、相手の方が強いって素直に認めて、こっちから何か学べないかって必死になってた。私の手にどんな意味があるのかって。すごい素直でいい子だよ」

「素直、ねえ」

 

 そうだったろうか、とヒカルは内心首を捻る。

 あまりそんなイメージは持っていない。むしろ捻くれツンデレ系ではないか。

 前回は自分のせいで囲碁部から距離を置くようになって、その半年ほど後にまた戻ってくれて。その経緯を金子を経由してなんとなくは聞いていたけれども。

 あかりは三谷と金子は顔を合わせれば喧嘩ばかりで相性が悪い、なんて言っていたけれど、はたから見ている限り、三谷と最も仲が良かったのも金子だった。金子が勉強を見る一方で三谷から指導碁をしていたり。その間三谷はずっとめんどくさそうに振る舞っていたけれど、本当に嫌なら囲碁部とも金子とも離れていたはずで。

 そんな、口と内面が一致しないやつなんだな、なんて思っていたわけだ。

 ああそういうことか、とヒカルは気づく。

 三谷のあのぶっきらぼうな口調は、素直な内心を隠すベールだったのだ。

 つまり、囲碁部で数ヶ月一緒にいた自分では気づけなかった、わかりづらい三谷の内面を、あかりは一局打つだけで見抜いたということだ。

 

「でもあれだな、越智には随分塩対応だったけど」

「越智君はずっと『なんでこんなやつに』、てそんなのばっかりだったの。打ってて気が滅入っちゃうよ。それにヒカルの事悪く言ったし。優しくする理由がないよ。三谷くんはいい子だから、丁寧に教えてあげるの」

「そんなもんかね」

 

 三谷が素直とか、いい子とか、碁を打つだけでそんなことまでわかるものなのか。

 正直、自分にはよくわからない領域の話だ、とヒカルは思う。

 

 

 

 碁会所に到着した。

 先日はビクビクしていたあかりは、今日はニコニコ笑いながらてんてけてんと階段を降りていく。

 扉を開ければ三谷はすでにいて、お客だろう白髪混じりのおじさんと対局していた。昨日席亭の人に、ここで一番強いと言われていた人だ。

 三谷の背後から碁盤を見れば、対局はもう小ヨセに入っていた。中々に細かい。

 あ、とあかりが小さく声をあげた。対局に集中している二人は気づかなかったが、三谷がツケを誤ったのだ。昨日神崎と名乗ったおじさんはもちろんそこをとがめ、三谷の顔を曇らせる。

 

「ここまでだな」

 

 整地に入る。あかりの目算では、三谷が若干足りない。ヨセでのミスがなければわからなかったが、勝負にたらればの話をしても意味がない。

 

「コミ入れて四目半俺の勝ち、だな」

「ぐぬぬ……」

 

 悔しそうに百円玉を差し出す三谷に、神崎は笑いながら受け取って、

 

「にしても坊主、一日で随分手応えが変わったな」

「そ、そう?」

「おお。シュウさんからなんか色々貰ったんだって?」

「……雑誌とか。付録の詰碁の問題集とか。問題集は手のひらサイズだから、授業中も読んでた」

 

 悪いやつだな、と神崎は笑った。

 

「だがまあ、まだまだだな。付け焼き刃で全然使いこなせてねえ。もっと経験積まねえとな」

「ちぇ……あ、藤崎」

「こんにちは」

 

 ここで、三谷の素直になれない性格がもろに出た。

 

「き、今日も来たのかよ」

「うん。来るって約束したからね」

「……」

「坊主お前何緊張してんだ」

 

 おじさんは三谷の頭をガシガシ撫でて、

 

「嬢ちゃん、打ってやってくれよ、なんでか知らんが照れちまってよ」

「何言ってんだおっさん! 誰も照れてなんかねーよ!」

「なんだ、打たんのか? じゃあ俺が先に打つが」

「ぐぬっ」

 

 三谷は悔しげに口をつぐみ、視線を右往左往させながら逡巡し、目を右下に逸らしながら一言。

 

「お、俺と打ってくれ」

 

 二十円貸してくれと同じテンションだ、とヒカルは笑った。

 

「うんいいよ」

「というかな、そっちの金髪の坊主はなんだい? お前は碁は打たねえのか?」

 

 受付から昨日のカンパ箱を受け取ったヒカルはいきなり話を振られて、

 

「え、はい。俺は碁は打たないんだ、です」

「ふぅん? じゃあこっちの坊主が嬢ちゃんと打っても良いんだよな?」

「そ、そりゃ、まあ」

 

 この時、ヒカルの背筋を冷気が走った。

 肩にのし掛かる莫大な圧力。膝が笑うほどの重圧に辛うじて耐えながら、ヒカルは席に着いたあかりを見た。

 あかりは、ヒカルへと笑顔で振り向いていた。自分の唾液を飲む音が大きく響く。

 

「ほら神崎さん、あんまり下世話なことしないの。趣味悪いヨ」

 

 そんな、あかりとヒカルの間に広がった空気を、お茶を組んでくれた席亭さんが横から意図せず諫めてくれた。

 あかりはヒカルから三谷へと向き直った。そこにはヒカルに向けていた重圧は消えている。三谷やおじさんは気付いてすらいない。

 

「とりあえず石二個置こうか。それとおじさんも一緒に」

「なんだ嬢ちゃん、今日は置き石ありで多面打ちか?」

「はい」

 

 おじさんの顔色が変わる。

 

「よし、じゃあまずは二個だな。坊主は四個置かせてもらえ。負けたら二千円カンパするぞ。坊主は二百円な」

「え、四つもか?」

「私はいいよ、それでも。お願いします」

 

 三人が頭を下げて、あかりの白石が打たれて対局が始まる。

 

 

 打ちながら、あかりは三谷の実力の変化に気づいた。

 ほんの十手で、たった一日で実力が上がっていることがよくわかる。

 とは言えもちろんまだまだで、その手からは必死に何かを思い出そうとする迷いが見て取れる。迷いのせいで、昨日までの思い切りの良さが消えてしまい、局面によっては前回の一局よりも悪手が目立つところもある。

 それを矯正していくのもまた楽しいだろう、とあかりは思うも、同時に少し残念に思うところもある。

 それは、三谷の中に別の色が混ざってしまったことだ。

 自分の色、言い換えれば思考回路とでもいうのか、それを写しとるべき三谷の中に別の回路が雑音のように混ざってしまっている。

 このまま三谷を指導し続けていても、彼を自分一色に染めることはできなくなったのだ。

 残念だと思う。

 相手を自分色に染める喜びに気づいたのに。

 ただ、とあかりは手を進めながら一人ごちる。

 染める、という意味では、自分はヒカル一色だ、と。

 詰碁もヒカルが用意したもの。

 棋譜もヒカルが教えてくれたものか、秀策が遺したもの。

 ヒカルはどこから調達してくるのか、すでに自分はヒカルから千を超える棋譜を教えてもらっているが、その打ち手が全て共通している事に大分前から気付いていた。

 その人物は秀策流の打ち手で、棋譜から伝わる圧倒的な実力と、驚異的な視野の広さに背筋が幾度も凍った。

 自分の実力が上がるにつれて見えてくる、富士山の如き実力の高さ。

 故に彼は、千余の対局を越えて無敗。

 その彼をあかりは、秀策流を好んで使うことから内心で『秀策さん』と呼んでいる。

 秀策さんの相手にはヒカルと同格か、それ以上の実力の持ち主もいた。にも関わらず、その秀策さんは全ての対局に勝利し続けていた。

 何者なのだろう。

 秀策さんについては、熱狂的なまでに碁を愛しているという事以外、その人物像はようとして知れない。

 それでも辛うじて推測できることがある。

 三谷を指導してようやく気づくことができたこと。

 生まれつき碁が強い人間なんていない。

 つまり、恐らくこの秀策さんは、ヒカルの中にある碁の全てを担っている人物なのだ。

 ヒカルに碁を教え、導き、そしてヒカルの前から消えた人、なのだろう。

 ヒカルの中は秀策さん一色で。塔矢アキラや越智に向ける視線の根幹に、秀策さんへの思いがある。

 五年以上共にいて、いまだ藤崎あかりという存在はヒカルの中にちっとも残っていないのだ。

 普段の対局から伝わってくる、秀策さんへの渇望と、後悔、罪悪感。手筋の中に色濃く残る、秀策流の残渣。

 あかりは思う。

 ヒカルの中に自分を混ぜたい。

 ヒカルを構成する因子の中に、藤崎あかりという存在を溶かし込みたい。

 そしてゆくゆくは、ヒカルの中から秀策さんを追い払い、藤崎あかり一色に染め上げたいのだ。

 三谷という初対面の相手を染めるだけでもこれだけの喜びがあるのだ。相手がヒカルとなれば、自分はどれだけの快感を得られる事だろう。

 

 

 対局が終わる。三谷は隣のおじさんより早く見切って手を止めた。

 

「ありません」

 

 うーぬ、と口惜しげに唸る三谷に、あかりは一言告げた。

 

「ありがとね、三谷君」

「え、あ、おお」

 

 あかりは、笑った。柔らかな微笑みは、クールを気取る三谷を赤面させるだけの破壊力を秘めていた。

 

「じゃあ並べていこうか。昨日より大分良くなってるけど、まだうろ覚えだよね?」

「わかるのかよ」

 

 その微笑の裏で、あかりは思う。

 あなたのおかげで、私は自分の欲求に気づく事ができた。

 ヒカルを閉じ込めるだけでは足りない。

 閉じ込めて、碁で打ち負かして、藤崎あかりという存在に目を向けさせたい。

 今三谷とやっているように、私に勝ちたいと願わせ、私の手の一つ一つに想いを馳せさせ、私の手筋から学ばせる。

 それでようやく、ヒカルの全てを手に入れる事になるのだ。

 


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