碁石アレルギーとはなんぞや【完結】   作:Una

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第16話 六段

 十日ほど碁会所に通い詰め、四人相手に三子置かせて勝利できるまで成長したあかりは、万全の態勢を整えて日本棋院に向かった。

 その日は火曜日、建国記念日の祝日だった。

 

「よぉし!」

 

 綺麗な青空の下であかりは声を上げる。吐き出された声は白くなって宙に溶けた。

 

「緊張するなよあかり、実力出せれば大丈夫だから」

「うん!」

 

 グッ、と両手で拳を握り、気合を入れて棋院の受付に向かう。

 行事案内の掲示板に記載されている『春季級段位認定大会』の場所を確認してから、参加費を払うために事務に向かう。

 事前に配送された対局カードを、事務に立っていたぽっちゃりしたメガネの中年男性に提出した。すると、事務員さんは怪訝な顔をする。

 

「六段なのかい?」

「六段だよね?」

 

 あかりが振り返り、ヒカルに確認すれば大きく頷かれる。事務員に向き直って、あかりは笑顔でもう一度、

 

「六段です」

 

 と告げた。

 

「六級じゃなく?」

「六段です」

「うーん、お嬢ちゃんにはまだ早いんじゃないかなぁ。参加するの、大人の人ばっかりだよ?」

 

 事務員さんはあかりに見せられた対局カードを見ながら苦笑する。

 

「一応、今からでも認定受ける段位は変えられるんだけど。この大会がどう行われるかわかる?」

「えっと、五回対局するんですよね?」

「うん。基本的には同じ勝ち数の人同士で当たる様にしてるんだ。だからね、一つの勝星が大きく影響するんだよ」

「はい、そうですね」

「そうですね、じゃなくてね?」

 

 ああ、とヒカルは天井を仰いだ。子供の冷やかしと思われているのだ。参加費が当日支払いなのが災いした。しかもそのことが微妙にあかりに伝わってない。

 

「あの、あかりは六段の腕は十分あるんで、大丈夫です」

 

 そうヒカルが横から言っては見たものの、この身だって小学生、しかもあかりよりも頭一つ小さい。そんな子供が実力を保証したところで何の意味があるのかという話だ。

 

「うーん……今は何段なの?」

「いえ、認定は今回が初めてで」

「師匠は? どちらのプロに教わってるのかな?」

「い、いないです。碁会所で打ってました」

「……じゃあ、級から一つずつ上がっていったらどうかな? 自信あるならとりあえず三級くらいから、ね?」

 

 親切心から言っているのだろうことはわかる。試験の参加費は高段の方が高額なのだ。棋院としてはできるだけ高段の受験者が多い方が微額とはいえ儲けになる。それを止めるのは、囲碁好きな子どもが大人にボコボコにされて碁を辞める、ということを防ぎたいのだろう。

 どうしたものかな、とヒカルが腕を組んで悩んでいると、その背後から、

 

「どうされましたか?」

「あ、緒方先生。おはようございます」

 

 振り返れば、見覚えのある白スーツがいた。事務員は頭を下げて緒方の質問に答える。

 

「いえ、この子たちが、今日の認定大会で六段を受験したいと。他の大会で実績がある訳でもなく、まだ時期尚早ではないかと、思いまして、せめて級位から順に受験すればいいのではと」

「でも、三級じゃお母さんもお父さんも説得できないの」

「説得?」

 

 緒方が尋ねるとあかりがヒカルに小声で、

 

「この人誰?」

「緒方っていうプロの先生」

 

 それを受けてあかりは納得したのか緒方に対して言葉を並べる。

 

「プロ試験受けるのには、両親の同意がいるんですよね? だから、合格できるくらい実力あるって言いたいから、いろんな大会に出るんです。なのに三級とかをもらってもあまり意味が……」

「ふむ……」

 

 緒方は何事かを考えこんで、あかりとヒカルを見比べ、声をかけた。

 

「君たち、先月の子供囲碁大会を見学していた子だね?」

 

 あかりは初対面の大人からの意表を突かれる質問にたじろぐ。そこでヒカルが前に出て、

 

「はい、見学に来ました」

「では、もしかしてそっちの女の子が、アキラ君と打ったという子かな?」

「あ、はい。え、でも何で」

 

 何で分かったんですか? と聞こうと口を開くも、緒方のさらに後ろにいた若い女性職員が緒方を急かした。何か対局なり取材なりがあるのだろう。緒方は事務員へと顔を上げて、

 

「この子たち、ちょっと知っている子なんですよ。実力は十分あると思いますので希望通りに受験させてくださいませんか」

「え、あ、はい。わかりました」

「お願いします、では失礼」

 

 それだけ告げて、颯爽と去っていく緒方の後ろ姿を眺める。呆気に取られていたあかりとヒカルがありがとうございます、と頭を下げた時には、緒方の後をついてきていた女性職員がその背中を慌てて追いかけていた。

 事務室を出たところで、職員が緒方に声をかける。

 

「お知り合いですか? 今の子たち」

「直接はないですが、まあ。ところで、段位認定大会は何時まででしたっけ」

「えっと、夕方ですね。先程の、六段であれば5時半までかかりますね」

「余裕だな」

 

 最後の言葉は、緒方の独り言だった。

 

 

 

 

 

 ◯⚫◯⚫◯⚫️

 

 

 

 

 

 無事に受付を終え、大会の会場へと入る。先月子ども大会が催されたのと同じ場所だ。

 段位ごとに分かれて座り、五段以上の認定では合わせて五回の対局を行う。それに勝ちこせば段位が得られる。

 全勝である必要はない。

 しかし全勝であれば、段位の免状を無料で得ることができるのだ。

 当然あかりは全勝を狙っている。碁会所で得たカンパにも限度があるし、三谷を含めたお客さんたちが出してくれたカンパなのだ、無駄遣いはしたくない。

 何より、ヒカルの前でかっこ悪い姿を見せたくないのだ。ヒカルを完璧に負かして見せる。そのためには、こんなところで負けてなどいられないのだ。

 必勝の決意を胸に、碁盤の横に置かれた番号札を見て席に着く。

 一局目の相手は、まるでカエルの様な顔をした、中村と名札をつけた高齢の男性だった。

 鼻の頭が油でテカっていて、イボもあり、こちらを見てぐふふと笑う様はイボガエルそのものだ。

 あかりは思わず視線を逸らす。

 対局が始まれば集中できるが、それまでこのおじさんの粘っこい笑みを眺めるのは耐えられなかった。

 しかし、カエルおじさん以外からの視線も自分に集まっていることにあかりは気付いた。周りは、自分以外は皆大人だった。向けられる視線は高段の受験者からのものが多く、ほとんどが非好意的なものだった。

 こそこそと、小声で自分のことを噂されているのがわかる。

 

「初めて見る顔ですね」

「六段の認定って、ひょっとして院生ですかね」

「院生はアマの大会は出られませんよ」

「冷やかし?」

「まあいいじゃないですか。当たったら一勝儲けた、てことで」

 

 直接罵倒されたわけではないが、ぐっ、とあかりは歯を食いしめた。膝の上に置いた両手を握りしめる。

 視線を巡らせれば、ヒカルが部屋の隅に立っているのが見えた。ヒカルに向かって軽く手を振れば、ヒカルが同じ様に返してくれる。

 深呼吸。

 落ち着いた。

 

『時間になりましたので、一局目始めてください』

 

 マイクでアナウンスが流れ、合わせて席につく参加者たちが、お願いします、揃って頭を下げる。

 対局が始まれば、対局相手の気味が悪い笑い声など耳に入らなくなる。

 碁石の並びと、そこに込められる意思だけを感知する、あかり独自の世界へと没入していく。

 いつもなら、四面打ちであってもその世界に居座れるものだが、今回はその世界にヒビが入った。

 あまりにもこちらを見縊った打ち方。

 意地の悪い手ばかりを打ち、こちらが困る様を笑いながら眺めたい。そんな、小学校にもいたいじめっ子の様な思考が感じ取れる。これが小学生であれば、あかりはしょうがないなぁ、なんて思いながら流すのだが、今回はずっと年上のおじさんである。

 余の気持ち悪さに集中が乱れて、つい緩手を打ってしまった。

 指が離れてからそれに気づく。

 しまった、と言う感情が顔に出た。右辺の応手はケイマではなく大ゲイマで応じるべきだった。

 恐る恐る相手の顔を上目遣いで伺えば、カエルおじさんは腕を組んで唸っていた。

 え、とあかりは思う。

 これがヒカルであれば、ノータイムで咎めてくる様な場面だ。何を迷うことがある。

 そんなことを考えていること自体が集中が欠けている証拠であるが、そんなあかりを他所にカエルおじさんはあかりのミスを咎めることなく、右辺を諦め右下へと手を広げていく。

 何だそれは。

 もしかして罠なのか。

 何があるのか、自分には思いもしない戦略で逆転されるのではないか。

 ビクビクと手を進めていくと、相手の手がどんどん遅くなる。あっという間に持ち時間を使い切り、焦りと屈辱で顔を真っ赤にしながら乱暴に碁石を打ち付けてくる。その全てをスルーして、あかりは罠の可能性に警戒したまま応じていく。

 

「……あ、ありません」

「え?」

 

 結局。

 罠なんて何もないまま、対局は中押しで終わってしまった。

 

 

 

 

 

 ◯⚫◯⚫◯⚫️

 

 

 

 

 

「緒方先生」

「どうしましたか」

 

 王座戦の三次予選、御器曽プロとの対局を五目半の勝利で終え、緒方は上機嫌でエレベーターに、棋院の職員と一緒に乗り込んだ。

 帰り際に、段位認定大会に寄ろうと思っていたのだが、予想以上に時間がかかってしまった。御器曽プロが無駄に時間をかけたからだ。あれで盤外戦のつもりだったのだろうかと一瞬思うも、それほど興味もなかったため、彼の思考は自身の持つ興味へとすぐに移っていった。

 塔矢アキラと並ぶ実力を持つ小学生。その子を指導する、さらに年下の子ども。

 興味が尽きない。

 何より、自分の師である塔矢行洋もまた、息子と自分の話を聞いて興味を持っている。

 

「午前中はありがとうございました」

 

 見れば、話しかけてきたのは朝方大会の受付をしていた職員だった。

 

「と言いますと?」

「いえ、先生が推してくれた女の子いたでしょう? あの子がまあ強かったわけですよ」

「ほう」

「私は所用で午前中の結果しか知らないのですがね、その時点で二連勝、しかもどちらも中押し勝ちでした。三級からなんてとてもとても」

「それはそれは」

 

 その後どうなったかはわかりませんがね、と言っているところでエレベーターが止まった。開くボタンを押しながら降りて、職員と共に会場に向かう。その足が自然と急かされた。急がねば終わってしまうかもしれない。

 会場に入れば、そこは常とは違う熱が籠もっていた。

 認定大会は、四段以下は一局少ない四局で行われる。五段以上の認定大会とは同じ会場で行われるも、終了時刻は90分は早いのだ。それが終われば四段以下の参加者は皆先に帰るのが通例である。

 が、この日は参加者全員が残っていた。

 その全員が、一つの対局を囲っている。

 なんとなくそうだろうな、と言う確信に近い予感をもって、緒方はその人だかりに近づいていく。

 掲示を見れば、そこは四勝同士の受験者が対局する列の一角だ。

 

「……わ、緒方プロ」

「あ」

 

 碁打ちの集まりだけあって、緒方を知らない者はこの場にはいなかった。ついとばかりに緒方の前から人が控え目にはけ、とりあえず緒方の立つ位置からも碁盤が見える様になった。

 打っているのは、午前中に話をした少女だ。

 その相手も、六段の認定を受けようと言うだけあり、緒方の目でも院生の上位、若獅子戦に出場できるレベルに達している中年の細身の男性だった。

 その相手を圧倒している。

 パチ、と碁石が軽やかに少女の手から放たれる。

 四方を睨む、鮮やかな一手。

 ごくり、と喉を鳴らす音がした。

 集まった人だかりから音が消えた。

 誰一人として身動ぎもしない。

 たっぷり考えて10秒、対戦相手の男性が、小学生の少女に頭を下げた。

 

「ありません」

 

 

 

 

 

 その日。

 あかりは無事五連勝で六段の認定を受け。

 棋院の職員の間で、とんでもない実力の小学生がいると言う噂が駆け回ったのだった。

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