碁石アレルギーとはなんぞや【完結】   作:Una

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第2話 外出

 ここに入ろう、とヒカルが言い出した時、あかりは躊躇いを覚えた。

 あかりはヒカルと打つだけで満足だった。ヒカルは落ち着きがあって、成績も良くて。あかりは囲碁を優しく教えてくれるヒカルのことが好きだった。どんなひどい手を打ってしまっても、呆れることなく真剣に受けてくれるヒカルのことを、いつの間にか好きになっていた。まだそれは友愛と恋愛の境界も曖昧な淡い感情で、自覚するには至っていないけれど、もっとヒカルの側にいたいと、もっとヒカルに褒められたいと、そんなことを思っていた。碁はもちろん楽しいけれど、心の比重はヒカルの側に偏っているのだった。

 

 だから囲碁の大会だとか、打つ相手を増やすだとか、そういうことに興味はなくて。ヒカルに連れられてやってきたその碁会所なる場所に、あかりは大きく動揺した。

 デートじゃないんかーい。そう心の中で突っ込んだ。

 

「碁会所?」

「そ。いろんな人が碁を打つために自由に出入りできるんだ」

「うーん……」

「強くなるにはいろんな人と打つのも大事なんだよ。それにここは塔矢名人が経営しているとこだから客のレベルも高めらしいし」

 

 会話をしながら、あかりの心に黒いもやもやとしたものが浮かんできた。

 端的に言うと、いらっとした。

 ヒカルは、自分がヒカル以外の人間と打っても平気なのだろうか。自分はヒカルと二人きりの時間がすごく大事で、碁は二人を繋ぐ絆のように感じていた。ヒカルが碁を打てることを秘密にするところとか、いつもこっそり二人きりで内緒で碁を打つとか、そういうのをなんとなくいい感じに思っていたのだ。そこでいきなり他人と、というのはなんだろう、自分たちの関係をすごく軽く扱われているように思えてしまう。

 というか誰だよ『とうや名人』て。

 変な名前。

 

「特に、ここにいる塔矢名人の秘蔵っ子がな、塔矢アキラっつーんだけど。そいつにあかりも挑戦してみたらいい頃合いだと思ってな」

「……強いの?」

「え、ああ。噂によると、俺らと同じ年でプロ並みなんだってさ」

「ふぅん」

 

 ヒカルがビクッと振り向いた。なに今のふぅん。怖くない? 

 対してあかりはヒカルの表情から察した。

 ヒカルは自分との関係を軽んじているんじゃない、その『とうやあきら』とやらが特別なのだ、と。

 話し方は伝聞形で、まるで会ったこともないような言い方をしているけれど、幼馴染歴十年は伊達じゃない。ヒカルが嘘を吐くのがクッソ下手だということもあるが、わかる。噂によると、なんて言っているけれど、間違いなくヒカルは『とうやあきら』を知っている。ヒカルのうちにある感情がどんなものかはしれない。怒りや憎しみというわけではないようだが、なんだか複雑な感情をその『とうやあきら』に向けている。その感情は、碁を介して生じていることは間違いなさそうだ。

 なんだか悔しい。こちとらヒカルとは五年以上も碁を打ってきているのに。毎日打っているのに。それなのになぜその『とうやあきら』とやらをそんなに気にするのか。

 まさかそいつは、『あきら』ちゃんだったりするのだろうか。三年生の時に同じクラスにあきらと言う名前の女の子がいたのだ。母さんに聞くと、そう言う名前の子もいるわよ、と言われた。まさかその『とうやあきら』も女の子なのではないか。

 

「行こっか」

 

 あかりが足を踏み出す。

 

「え?」

「なに? ヒカル」

「行くって」

「あきらちゃんと打つために来たんでしょ? 早く入ろうよ」

 

 道場破りもかくやといわん勢いで碁会所の扉を開け放ち、初めての場所にも関わらずなんの物怖じもせず店内を睥睨するあかりの様にヒカルはちょっとビビった。なんでいきなりやる気満々なんだろうか。ビビりすぎて、あきらちゃんってなんだよと聞き損ねた。

 

「あらいらっしゃい。君たち、小学生?」

 

 声をかけて来たのは受付のお姉さんだ。ショートの似合う活発そうな女性だ。

 

「はい、六年生です!」

「元気いいわね。碁を打ちに来たの? それとも誰か、お父さんかおじいちゃんを迎えに?」

 

 おじいちゃんなんて年じゃないぞー、なんて声が奥からかけられる。

 

「とーやあきらちゃんと打ちにきました」

「ちょ、あかり」

 

 あかりの宣言に、周りの客から視線が飛んでくる。あかりは鋭いそれらをものともせずに視線を右、左と巡らせて、一番奥に陣取って碁石を並べるおかっぱ頭を捉え、思い切り指で指して。

 

「ヒカル、あの人?」

「あ、ああそうだけど」

 

 のしのしと碁盤の並ぶテーブルを横切り、塔矢アキラの正面に立つ。唖然とするアキラ。周りのお客さんもなんだなんだと好奇の視線を向けている。

 

「はじめまして」

「う、うん。はじめまして」

 

 あかりはあきらのツヤッツヤなおかっぱの髪をしばし見つめること数秒。

 んん? あかりは首を傾げて、

 

「……どっち?」

「な、なにが?」

 

 その後ろではヒカルが市川に500円を払っていた。俺は打たないんですすんません、と頭を下げながら。

 

「……男の子?」

「え、うんまぁ」

「っしゃ」

 

 いきなり現れてガッツポーズかます女の子にアキラは困惑した。ちょっとおかしい子なのかな。

 そんなアキラの視線に気づいたのか、あかりはゴホン、と咳を挟んでビシリと指を突きつける。

 

「いっしんじょーの都合により、私はあなたを倒さなくてはならなくなりました」

「そ、そうなんだ。えっと、碁の話だよね?」

「? もちろん」

 

 もちろんと言われても、なんだか今にも拳での一騎打ちを挑まれそうな雰囲気である。愛らしい顔に不釣り合いなほど両目を釣り上げている。なんだろう、僕はこの子に何か恨まれるようなことをしたのだろうか。

 ともかく、対局を望まれているのだ。こちらを倒すと言う以上、石を置く必要はないだろう。並べていた石を片づけ、僕が握るよ? と声をかければ彼女はそれが当然と言うように碁笥から白石を二つ手に握りこんだ。

 

 並ぶ黒石を見つめながらあかりは思う。

 この少年の何がヒカルを惹きつけているのか、それはわからない。でも、それが碁に起因するものであるのなら、私がこの人をけちょんけちょんのぼっこんぼっこんにしてしまえばいい。私のほうが強いとヒカルに教えてやればいいのだ。プロ並というこの『とうやあきら』が気にするほど強くないと証明してやれば、ヒカルは私だけを見てくれるようになるはずだ。

 

 先番はあかりになった。

 

「おねっします!」

「お、お願いします」

 

 黒石を一つとり、藤崎あかりが生まれて初めて外に向けた一手は、右上スミ小目。

 

 

 見た目に似つかわしくない攻撃的な棋風にアキラは面食らう。それが初心者の力碁か、実力を背景にした力戦か。布石は流れるように置かれていくが、それだけではまだどちらなのか判断がつき難くて、様子見のノゾキを打ったのが失着だった。ノータイムで噛み付かれ、互いにどこもかしこも薄いままに乱戦に突入した。

 

 対局が進む。黒と白の石が広がっていく。互いが陣地を広げあい、鬩ぎ合い、隙を見つけては削り合う。二匹の獣が互いの喉元を喰らい合うがごとき荒々しさと緊張感。あかりの打つ早さに釣られて、アキラも手拍子のようにあかりの手を受けていく。ほとんど早碁だ。本当はもっと考えながら打つべきだとアキラもわかっている。それでも目の前の少女が発する気迫に押されて手が早くなる。

 

 これだけ早い進行の中で、それでも少女の手筋に粗が見られない。薄氷を踏むような手順を正確に読んでくる。ことここに至って、序盤に打ったノゾキの一手が悔やまれる。

 

 

 すごい。塔矢アキラは背筋を凍らせた。同門のプロとの練習手合いでは味わえない緊迫感。一手ごとに研磨される己の思考。全ての手が巧手と失着の天秤に乗せられている感覚に指先が震える。汗で張り付くシャツの感触も気づかずに、アキラは心の中で歓喜した。

 すごい。

 怖い。

 でもそれ以上に、楽しい。

 

 

 ──こんな碁が、あるんだ。

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