碁石アレルギーとはなんぞや【完結】   作:Una

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第21話 母親

 ノイズの中に埋もれていたものが、認識ひとつで意味を持ち明確な形をとって浮かび上がることがある。

 囲碁なるものに関する情報が、まるで騙し絵のように形を持って日常の中に見えるようになった。

 

 囲碁とは、実は驚くほどに日常の中に散らばっていた。

 

 そのことに生まれてこの方36年近く気づかなかったのは、自分が囲碁というものにまるで興味がなかったからで。他のノイズと同じ不要な情報としか思っていなかったからだ。

 きっかけは賞状だ。

 

 あかりが囲碁のイベントで優勝したということは聞いていた。プロの先生の教室に通いたいとも。その時点では、私はあかりが中学に行って趣味に没頭して勉強を疎かにするのではないかという不安が大きく、大して真面目に取り合っていなかった。

 

 元々あかりは視野が極端に狭くなる傾向がある娘だった。昔からだ。特に最近の、幼馴染とも言える間柄のヒカルくんに対する感情は常軌を逸しているところがある。

 

 ヒカルくんの行動パターンが毎日みっちりと書き込まれたノートが机に広がっていたことがあった。

 

 机の一番下の引き出しにはヒカルグッズと書かれた箱に、折れた鉛筆やらペットボトルのキャップやら、ゴミと判別つけがたいアイテム群が日付ごとにまとめられていた。

 

 押し入れの下段はヒカルくんの写真が所狭しと貼られていた。ヒカルくんの顔で壁ができていた。布団がその中に敷いてあるというのはつまりここで寝ているということだろうか。写真はどうやら学校の教育研修旅行や運動会など行事で業者によって撮影され販売されていたもののようだ。盗撮ではないことに一応の安堵をする。

 

 やべえなこいつ。

 それが腹を痛めて生んだ娘に対する感想である。

 このままではダメになる。

 ヒカルくんのことしか眼中にない生き方なんて健全とはいえない……というか多分生きていくことができないだろう。それで将来ヒカルくんと結婚して進藤あかりになって養ってもらえるというならともかく、そううまくはいかないだろうと思う。こんな趣味を持っているとバレたら破局は免れないだろうし、ここまでの過剰な執着をいつまでも隠し切れるとも思えない。

 それにヒカルくんはなんだかあかりのことを避け始めているようだし。

 だからせめて勉強は最低限させて、短大くらいは出て生活に困らない程度の収入が得られる職に就けるようにはなってもらいたい。親心として。

 

 収入もなく、後先なくなってヒカルくんを刺して刑務所に永久就職なんて冗談ではないのだ。

 

 閑話休題。

 

 賞状の話だった。

 イベントで優勝したからということで郵送されてきたのだ。

 大きい。文房具屋で売ってるようなしょぼいものではない、上質な紙面と立派な額縁が送られてきたのだ。

 賞状には段位認定・六段と書かれている。

 そんな大層な大会だったのだろうか、町内会の子供大会とかそんなものかと思っていたのだけれど、それにしてはずいぶん本格的だ。

 学校から帰ってきたあかりに届いた賞状と額縁を渡すついでに聞いてみた。

 

「えらい立派な賞状ね? 子供大会とかじゃなかったの?」

「んーん。違うよ。私が出たのは大人しかいなかったよ。最初係の人にね、子供にはまだ早いって止められそうになった」

 

 なんでも先週参加した大会は賞状に書いてある通り日本棋院なる囲碁のための組織が、段位を認定するために碁の実力を審査する、基本は大人の参加するものなのだそうだ。

 

「……その大会で優勝したの?」

「うん。あ、正確には優勝っていうかね、六段を貰いたいって参加者相手に五連勝したらその賞状をタダでもらえるの」

「タダ?」

 

 なんだ、やっぱり大したことないのか。

 

「じゃあ一回でも負けたらどうなっちゃうの? 賞状もらえないの?」

「四勝でも六段は取れるけど、賞状をもらうのに22万円かかるんだって」

「22万!?」

 

 何者だ、日本棋院。ずいぶん強気な商売をしているではないか。

 

 そんなやりとりがあって、以来なんとなく囲碁という単語が目につくたびにそれに注視するようになった。

 

 新聞は政治面と社会面しか普段見なかったから気づかなかったが、日曜版には間違い探しの隣に囲碁の模式図的なイラストと解説が書かれている面があったり。昼には国営放送チャンネルで碁盤を挟んで対戦しているところが中継されていたり。民放でもたまたま塔矢名人なる人物について特集が組まれていた。

 大陸で情熱を語るあれだ。

 塔矢名人が四冠を達成するかもだとか、その弟子の緒方というイケメン風の白スーツももうすぐタイトルを取るだろうとか、名人は息子さんにも期待を寄せているとか。

 特集番組だけでなくワイドショーでも幾度か取り扱われていた。まだ四冠を取ったわけではないが三冠というだけで一般のニュースでも報道されるくらいすごいことであるらしい。

 あと、緒方プロって人はずいぶんと若くてイケメンだ。九段というのも凄そうだ。碁ってもっとおじいちゃんが打つものだと思ってたわ。この桑原なんちゃらって人みたいな。

 

 居間の本棚を見れば月刊碁ワールドなる雑誌が2年分ほど並べられていた。あかりの仕業だろうが、その意図に乗ってやろうと一番新しいものをペラペラと読んでみた。

 

 ……囲碁って難しいのね。何これ。

 あかりはこんなことを大人に混じってやっているというのだろうか。

 小学生が? 

 ちょっと信じがたいものがある。その熱意をもう少し勉強に向けてくれればいいのに。

 

 ふと気づく。

 ヒカルくんのことしか眼中になく、ほぼ毎日彼と行動を共にしているあかりは、一体いつの間に囲碁なんて覚えたのだろう。

 まさかヒカルくんまで碁を打てるのだろうか。

 あの前髪で? 

 それは流石にないだろう、イメージと合わなさすぎる。

 

 

 

 

「ただいまー」

 

 二月中旬の、日曜日のことだった。

 いつも通りにあかりは朝から迎えにきたヒカルくんと外出して、夕食直前になって帰ってきた。少し日が落ちるのも遅くなってきたので帰りが遅いという印象はないし、帰りもヒカルくんに家まで送ってもらっているらしい。

 甲斐甲斐しいことだ。

 碁の塾とやらでもあかりの送り迎えをしてくれているし。

 そのくせ精神的には一線を引いているというか踏ん切りがつかないというか、お互いに踏み込もうとしないもどかしさがある。一体彼はうちのあかりとどういう関係を求めているのだろう。

 まあ、わざわざ大人が口出しするような問題でもないけれど。

 

「おかえりー、もうすぐご飯だから……ん? どうしたのあかり、その大きいの」

 

 帰ってきたあかりは大きな白い箱を持っていた。

 縦長の直方体を、憲兵隊が担ぐライフルのように肩に立てかけている。

 聞けばあかりはうふふ、と嬉しそうに楽しそうに笑った。

 

「これはね、実はね……ジャーン!」

 

 箱から現れたのは、大きなトロフィーだった。

 小学校のマラソン大会で用意されていたような掌サイズのあれとはまるで違う。

 

「おかえりあかり。何だこれ、どうしたんだ?」

 

 2階から降りてきた旦那が、あかりの掲げるトロフィーを見て声をあげた。

 

「今回の大会で優勝したの」

 

 ゴトッとあかりは食卓テーブルにトロフィーを置いた。

 

「大会って囲碁のか?」

「うん囲碁」

 

 旦那が指二本で碁石を打つジェスチャーをしながら聞けば、あかりも同じジェスチャーで返した。

 

「へえー、すごいなあ。居間に飾ってある賞状も囲碁のやつだろ?」

「うんそうだよ。それとはまた違う大会なの」

「これからもトロフィーが増えていくならそれ用の台を買ってこないとなぁ。な、母さん」

「そうかもねぇ。ねえあかり」

 

 まじまじとトロフィーを見ながら気になったことを聞いてみる。

 

「何? お母さん」

「これ、どんな大会で優勝したの?」

 

 まあこんなに立派なトロフィーをもらえたのだ、それほど規模の小さな、町内会規模ではないかもしれない。足立区大会とかだろうか。

 

「女流アマの東京予選だよ。正確には東京・千葉予選だけど」

 

 ジョリュウ、とは女流、つまり女性だけの大会のことだったか。

 

「思ったより大きいのね……予選?」

「そう。来月に全国大会があるの」

「出るの?」

「え? もちろん。予選で勝ち抜いたんだから」

 

 全国大会ってすごいことなのでは……ああ、小学生の大会なのだろうか。

 

「すごいなあかり! その全国大会ってどこでやるんだ?」

 

 旦那が聞けば、

 

「日本棋院っていうね、えっと千代田区にある建物でやるの」

 

 出たな日本棋院。

 段位認定だけではなく、こういった大会の運営もやっている組織ということか。

 

 その日の夕食は、あかりのその日の活躍をあかりの口から聞く時間であった。

 実に楽しそうに囲碁について、そしてヒカルくんについて語る娘と、久しぶりに娘との会話が盛り上がって喜ぶ旦那を見ながら思う。

 それにしても全国大会か。

 電車一本で行ける距離だし、一度あかりが参加する大会というやつを見に行ってみようかしら。もちろん旦那も連れて。提案すれば旦那は喜んで賛成してくれることだろう。

 

 

 

 

 

 

 そして、翌月。

 旦那に車を出させて、あかりと、なぜか当たり前のようにあかりが連れてきたヒカルくんを後部座席に乗せて私たち四人は、あかりが日本棋院と呼ぶあの組織の本拠地へと向かった。

 

「お父さんそこ右」

「おう。んー、ここみたいだな」

 

 地図を片手に辿り着いたそこは、思っていたよりも普通の建物だった。

 囲碁なんて純和風な雰囲気のあるそれを統括している組織なのだから、もっと近寄りがたい、和風の屋敷的なものを勝手にイメージしていた。

 

 駐車場に入ればすでに出遅れていたか、止める場所がなかなか見つからない。

 

「ずいぶん人が多いな」

「全国大会だからだよ」

 

 父と娘の会話を聞きながらぼんやりと外を眺めていると真っ赤なスポーツカーが止まっているのが見えた。あんな派手な車を乗り回す人も囲碁をするのか。

 

「しょうがない、お父さんが止める場所探してくるからあかり、お母さんと進藤くんで先に受付済ませておきなさい」

「あ、そうだね」

 

 というわけで私は子供二人を連れて日本棋院の建物へと乗り込んでいった。

 ガラス扉を開けて入った中も、意外とというか、普通だった。近所の市役所よりずっと綺麗だ。観葉植物があって、その奥では碁盤が並べられていて碁の対局をしている人たちが何組もいる。

 

「じゃあ私受付してくるから、お母さんはそこで待っててね」

「ええ」

 

 頷いてあかりを見送ればその背中に当たり前のようにヒカルくんもついていった。

 自動販売機の横で壁に背を預ける。

 

 ……というか。

 今回は女の人だけの大会だから、ヒカルくんは関係ないのではないだろうか。

 ただ付き添いで来ただけ? 休日に? 

 ……まあ、ありがたいことだ。

 

 これであかりを将来嫁にしてくれたら、娘が犯罪者にならずに済むのだけれど。

 

 それまでにあかりのヒカルくんに対する諸々をやめさせないといけない。バレてしまえばヒカルくんにドン引きされること請け合いだ。というか純粋にやめていただきたい親として。

 

 とはいえ無理矢理写真やヒカルくんグッズを処分してしまうとあかりが一体どんな反発を起こすか予測がつかない。一度それとなく片付けるように言ってみたが、その瞬間あかりの目に浮かんだ静かな怒りに、あぁこれは触れたらダメなやつだ、と悟ったのだ。

 以来私はあかりとの距離を測りかねている。

 

 ため息が漏れた。

 

 あかりの内にある情念を受け止められるのは、恐らくヒカルくんしかいない。

 ああやってあかりのそばにいてくれるところだけを見れば安心できそうなものだが、ヒカルくんがあかりと距離を開けたがっていることはなんとなくわかる。

 恐らくあかりもそのことに気づいているだろう。あの子は人の感情に聡い。嘘が苦手そうなヒカルくんの考えなど、四六時中一緒にいればお見通しのはずだ。

 それなのに、何も言わずにヒカルくんを連れ回すだけでいるのはどうにも腑に落ちない。

 不安が過ぎる。

 何かとんでもないことを考えているんじゃないか、これはその嵐の前の静けさなのではないか。そんな不安が。

 

 

 

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