碁石アレルギーとはなんぞや【完結】   作:Una

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第22話 熱量

「あの、失礼ですが」

 

 あかりを待っている間に声をかけられて視線を向ければ、そこにはあかりと同じ年頃の少年がこちらを見ていた。

 おかっぱ髪という今時変わった髪型をしているが、その下から覗く眼光の鋭さは子供らしさが感じられない凛々しさだ。背筋の伸びた佇まいも相まってずいぶんと大人びた雰囲気が漂っている。さぞかし学校では級友との会話に困ることだろうと勝手に思う。

 

「藤崎あかりさんのお母様でいらっしゃいますか?」

 

 言葉遣いまで小学生のそれではない。何者だこのおかっぱ。

 

「ええ、そうですが」

「初めまして、日頃よりあかりさんにはお世話になってます、塔矢アキラと申します」

「もしかして囲碁の?」

 

 にこりとおかっぱこととうやアキラ君は笑みを見せた。

 とうや、という変わった名字に聞き覚えがある気がする。どこでだったか。

 

「はい、平日にはほぼ毎日碁会所で相手していただいています。土曜は検討が主ですが」

「あらそうでしたの」

 

 なんだかよくわからないが、うちの娘はヒカルくんだけでなくこんな凛々しい男の子とも深い関わりがあるらしい。

 んん? 

 

「あ、塔矢くん」

「藤崎さん」

 

 職員のいるカウンターから戻ってきたあかりとヒカルくんが、おかっぱの少年に気づいた。あかりの胸元には番号と名前が書かれたネームプレートがつけられていた。

 あかりと少年が向き合い、明るい雰囲気で会話が始まる。

 

「どうしたの? 今日は女流大会だよ? 出るの?」

「で、出るわけないじゃないか。出ようと考えたこともないよ。未成年と言っても無理に決まってるじゃないか」

「そうだよね当たり前だよねそんなこと」

「…………」

 

 なぜかおかっぱ少年が沈黙した。

 

「きょ、今日は藤崎さんの応援に来たんだよ」

「あ、そうなんだ。わざわざありがとう」

 

 ニコッとあかりが笑顔で礼を言えば、とうや少年は薄く赤面して「頑張ってね、今日は父さんたちも審査員として来る予定だから」と言った。

 先ほど私に挨拶をしていた時のキリッとしていた少年の態度が、あかりを前にしてなんとも軟化してしまった。

 

 どういうことだ。

 こんな事態を前にしてヒカルくんはどうした、とそちらの方に目を向ければ、ヒカルくんは気まずそうにアキラくんから視線をそらしている。

 思わず首を捻る。

 どういう関係だ? 

 囲碁関連だというのはわかるけれども。

 ええと? 最近ヒカルくんはあかりと距離を置こうとしていて? アキラくんはあかりに対してかなり距離を詰めていて? ヒカルくんは気まずそうな視線をアキラくんに向けていて? 

 んんん? 

 

 

 

 

 

 その後駐車場から遅れてきた夫と合流し、私たちは小学生たちの先導で大会の会場となるホールへと案内された。

 会場は多くの、五十前後の碁盤が綺麗に並べられている。すでに三十人ほどが会場にいて碁盤を前に着席していて、座っている彼女たちの胸にはあかりと同様に名札が付けられている。

 

「じゃあ私はもうすぐ時間だし席に着くね」

「頑張ってね藤崎さん」

「うん」

 

 とうや少年の言葉に返事を返すあかりは、しかしその視線はヒカルくんに向けられていた。

 ヒカルくんが頷く。それに返すようにあかりも頷く。

 言葉はなかった。

 それだけであかりは視線を切り、自分が指定されている、観客席から見て手前から二列目の席へと向かっていった。

 そんなやりとりをとうや少年は苦々しく眉根を寄せて見つめていた。

 少年の瞳に宿る熱は普段あかりがヒカルくんを見詰めている時のそれと同じ危うさを孕むもので。

 んんんんん? 

 

 ちょっと待ってなんか胃が痛い。

 

 

 

 

 

 

 それから参加者が全員指定された席に着き、規定の時間になったところで開会式が始まった。

 大会の参加者は女性九十六人、そのほとんどが大人であり子供はあかりだけである。

 町内会レベルか、なんて思っていたけれどとんでもない。大会委員長とやらが挨拶している間もピリピリした緊張感が参加者たちから漂っていて、気の弱い旦那は少し顔色を悪くしている。

 

「あ、あかりは大丈夫なのか? もっとこども向けの大会とかあるんじゃないのか、なんだってこんな」

 

 それは私も全くの同意見だ。

 何を焦っているのか知らないが、この建物の掲示板に貼ってあったように子供向けの大会はいくつもあるのだ。子供囲碁大会とかジュニア名人戦とか。そうでなくても中学校に上がれば囲碁部もあるわけだし、碁の大会に参加したいだけならもっと身の丈にあったものがあるのではないか。あまり年上の強い人と対戦して心を折られるなんてことは……。

 

 そんな親の心配など杞憂だと言わんばかりに、あかりは対戦相手を真っ直ぐに見据えていた。

 

 へえ、と思う。

 全く気後れしていないではないか、と。

 わずかな安堵を得ながら開会式の方へと意識を向ければ、今度は大会審判なる役職の紹介として塔矢名人が壇上に上がっていた。

 以前テレビで見た、四冠の挑戦権獲得と言って話題になっていた人だ。

 塔矢、と聞いて傍に立っていたおかっぱ少年を見やる。

 そういえばテレビで聞いた話、塔矢名人には自慢の息子がいるのだったか。

 すでにプロ試験に合格できるだとか。

 大人相手に指導できるレベルだとか。

 そんな子供と知り合いなのか、うちの娘は。

 もしかしてこのプロ級と言われる子供に普段から碁の指導を受けているのだろうか。

 だから全国大会に出られるだけの実力を身につけることができたのだろう。

 

 大会役員の説明によれば、大会は二日間にわけて行われ、1日目のほとんどはリーグ戦、その後はリーグの成績の良い選手でトーナメントが行われるとのことだった。

 あかりの佇まいから、緊張で実力が出せず惨敗、ということはないだろうが、まあ子供であることだし、恐らく本戦のトーナメントに進むことはないだろうと思う。

 初戦の対戦相手も随分と強そうな女性だ。

 歳のころは私よりひとまわりは上であろうか。体格も細身の私より縦も横も大きい。ある意味威厳がある。そんな女性と向かい合って、お願いします、と頭を下げ合い、女性側からの一打から対戦が始まった。

 バシリ、と一際大きな音が響く。その豊満な外見に似つかわしい、しかし荒かったり粗雑な印象を受けるわけではない。丁寧かつ重々しい石の置き方だった。

 

 おお、かっこいい。

 そんなことを呑気に思う。

 いかにも強者らしい勢いのある石の置き方だ。

 

 それを受けてあかりの一打は、とても静かなものだった。

 落ち着いているというにはあまりにも柔らかい石の置き方。

 強く強く打ち込んでくる相手の石を、あかりはまるで意に介さず、まるで柳に風というべき静けさを持って石を広げていく。

 息を呑む。

 碁石を取るあかりの指の滑らかさ。

 碁盤を見据える娘の凛とした視線。

 伸びた背筋は、普段の小学生らしい背丈よりもずっと大きく錯覚させられる。

 

 子供だと、思っていたけれど。

 隣に立つ夫からため息が聞こえた。いつの間にか息を詰めていたのだろう。私もそうだ。

 子供らしい幼さや穏やかな性格を脱ぎ捨てて碁盤に集中する様は実に凛々しくて。

 娘の集中がいつの間にかこちらにも感染していた。

 私の娘は、いつの間にこんなに成長していたのか。

 そんな風に思った。

 

 

 

 

 

 その対局は途中で対戦相手が降参したため、比較的早くあかりの対戦は終わった。

 ヒカルくんや塔矢くんがあかりをねぎらい、しかしあっという間に二戦目、三戦目へと進んでいく。

 それら全てにあかりは勝利し、1日目最後に本戦トーナメントの一回戦を勝利で終えて、二日目も見学にくることを約束しながら塔矢くんと別れの挨拶を交わし私たちは帰路についた。

 上機嫌に車を運転する夫の横で思う。

 本戦のトーナメント、その一回戦で戦った相手の言葉が忘れられない。

 彼女もまた全国大会に出場するだけある強者だ。そんな女性があかりとの対局を終えた直後、娘の背後に立っていた私の横を通るその刹那に呟いた一言。

 

 ──なんであんな強い子供がアマの大会に出てるのよ、勝てるわけないじゃない。

 

 もしかして、と胸に熱いものが灯る。

 もしかして、私の娘はとんでもない才能を秘めているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 翌日の日曜日。

 昨日と同じように日本棋院へと向かい、当然のように塔矢アキラくんが合流し、トーナメントを一緒に観覧することになった。

 周りを見れば、対局時間が一戦ごとに伸びているのがわかる。

 昨日のリーグ戦の段階では途中で降参して中座する人も多かったが、ここまでくると実力は拮抗するようで、ほとんどの対局が制限時間いっぱいまで使っての長丁場になっていた。

 そうなれば、やはり子供の身では不利であるようで、準決勝ともなると1日目の抜けきれていない疲労も影響するらしく、みるみる体力と集中力が尽きていくのが見て取れた。

 それはそうだ。

 

 あれだけの集中力を持続させて、昨日はリーグで三局、加えてトーナメント一回戦の計四局を打ったのだ。そこに追い討ちのように、今日の対局は一局2時間。午前中を勝ち切っただけで褒めてやりたい想いに駆られる。

 

 身を削り、心を消耗させてまで続ける必要はないのではないか、と止めてやりたくなる。

 それでも、あかりは続けようとしている。

 

 絶対に負けたくない、そんな強く熱い意志が疲れているはずの瞳に宿る様を見ては、親として止めるわけにはいかないと思い直し、準々決勝の対局を終えて目を閉じて休むあかりに声をかけようとする夫の脇腹に肘を入れて止めた。

 

 とはいえ。

 結果は結果である。

 あかりは次の、準決勝で負けてしまった。

 その相手は60歳を恐らくは超えていようかという女性で、群青の着物がよく似合う、背筋の恐ろしくシャンと伸びた女性だった。他の参加者と話しているときは顔の皺を柔和に緩めているのに、いざ対局が始まるとギンと目を開いて碁石をピシピシと打っていく。

 その勢いに負けたわけではないだろうが、矢継ぎ早に打たれていく相手の手にあかりの疲労した頭はついていけなかったようで、最後は十目半の差で負けてしまったそうだ。

 半ってなんだよとか十目半ってどのくらいの差なのかと疑問に思うも、その間に対戦相手の女性があかりに表情を和らげながら声をかけた。

 

「お嬢ちゃん、院生にはならないのかい?」

「いえ、なるつもりはないです。プロの先生に弟子入りしているので必要ないかなとも思いますし」

「そうかい。まぁそうかもね、それだけの実力ならね」

 

 そう言って女性は笑い、和服の袖から飴玉を取り出してあかりに渡した。

 院生? 

 知らない単語でのやりとりを終えて二人は席を立ち、ようやく私と夫は大会を終えた娘に今日初めての労いの言葉をかけてやれた。

 

「残念だったなあかり」

「……うん」

 

 あかりはどこか眠そうに夫の言葉に答える。

 

「すごく強かった、あのおばあちゃん」

 

 そこで塔矢くんが、

 

「良い一局だったよ。美しい一局だった」

 

 仄かな嫉妬を滲ませながら彼は告げる。どうして相手が僕じゃないんだろう、と。

 

「塔矢くんとはいつも碁会所で打ってるじゃない」

「でもいつものは練習手合いだ。僕らは本当の意味で本気で打ったことは、あの一回しかない。今日君が見せてくれたあの熱が僕に向けられることはあまりないんだ。それが口惜しい」

「真剣だと負けてばっかりだね私」

 

 ちょっと不貞腐れたようにあかりが言えば塔矢くんは苦笑して、

 

「相手の方は去年の女流アマ世界大会で優勝した方だ。その方を相手にこれだけ渡り合えるなら十分だよ」

「そうなんだ」

 

 あかりはそう答えて、少し苦味の混ざった笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 




無事に進級決まりました
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