碁石アレルギーとはなんぞや【完結】   作:Una

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第5話 魔性

 あかりがなんかとんでもないことを叫んでどこかに行ってしまった。一部の女子生徒と一緒に口を半開きにしてその背中を見送ったヒカルは、ボーズ頭のクラスメイトから、

 

「お前の彼女どしたん?」

 

 などと声をかけられ、

 

「い、いや、俺もよくわかんね。あと彼女じゃねーから」

 

 と返すので精一杯だった。

 雛祭りはまだ先だよな、なんて言われても気の利いた返しなんて思いつくわきゃねーのである。

 ボーズの後ろから近づいたスポーツ刈りが、

 

「嫁いないなら進藤もサッカーやる? 進藤って体育得意だよね。幅跳びめっちゃ跳んでたし」

「進藤走るのも速いしな」

「いや、ちょっと用事あるから。ごめん。あと嫁でもねーから」

 

 そっかあー、と二人は声を上げるがそれほど残念そうでもなかった。予想できていたのだろう。

 窓から外を見れば、あかりがすでに校門から外に出るところだった。赤いチェック柄のマフラーを靡かせながら、家とは逆向きに走っている。マジでどこ行くんだあれ。

 まあいいや。

 あかりだって女の子だ、そういう日もあるだろう。いや女の子の日とかいう話でなく。

 じゃあなー、とクラスメイトたちに軽く挨拶しながらヒカルはランドセルを背負い直して、帰路についた。

 家までの道を歩きながら一人考える。

 主な内容は、あかりの今後についてだ。

 

「すげえ強くなってたな」

 

 あかりの実力は把握できた。塔矢と互角に戦えるのだ、プロ試験に合格できる力は十分身についている。予想外の成長だ。

 ……正直に言えば、あかりがこれほどの実力を身に付けることになるとは思っていなかった。

 当初の計画では、部活レベルの対局をあかりとずっと続けていければそれでよかったのだ。

 

「ちょっと、本気で教えすぎたなぁ」

 

 ところがあかりが予想外の才能を開花させて、ついつい自分も熱をあげて指導してしまったのだ。指導するにあたり自分も勉強しなければならず、それもまた罰として辛いものだった。

 自分の中に佐為の片鱗が残っていることをまざまざと見せつけられるから。

 こんなとき佐為ならどこに打っただろう、どう導かれただろう、どんな言葉をかけられただろう。ただ対局するだけであった時よりもずっと佐為のことを考える日々で、ずっとずっと碁に対して真摯に向き合う時間だった。

 佐為に何もしてやれなかったくせに、自分は佐為から多くのものを奪ってしまっていたのだと、自分の罪深さを再認識させてくれた。

 だから、これからもあかりと打ち続けていればいい、なんて思っていたけれど。

 

「それも潮時かもなあ……」

 

 白いため息が自然と漏れた。

 あかりは強くなりすぎた。

 部活レベルなんてとっくに超えたレベルの技術の応酬。今では自分でもひやりとする手を打ってくる。自分で棋譜を調べ、詰碁から学び、新手を研究して対局の場で試してくる。その活用について検討しながら互いに勉強して。

 

「すげぇ楽しいんだよな。あかりと打つの」

 

 あかりと碁を打つのが、楽しくなってきてしまったのだ。

 楽しくて、ワクワクして、もっともっと打っていたいと、そんな気持ちになってしまうのだ。

 佐為を蔑ろにしたくせに。佐為から碁を奪ったくせに。

 自分に、碁を楽しむ資格なんてないのに。

 そういう意味でも、あかりがプロになるのはいいと思う。

 あかりと打つ回数を自然と減らしていきつつ、あかりは自分の才能を活かせる仕事に就くことができる。年収はうまくすれば一千万を超える。

 いいことづくめだ。

 あとはどうやって説得するかなのだけれど。

 

「……ダメかもなあ」

 

 昨日、別れ際に言葉を交わした時のあかりの顔を思い出す。アキラと打つのはあかりだと、これからはいろんな棋士と打っていくべきだと。そうヒカルに言われた時の真っ青な顔をしたあかりの感情に気づけないほど、ヒカルは鈍感ではなかった。

 どうしたもんかな。

 漏れた溜息は、灰色の空に溶けて広がっていく。

 

 

 

 

 

 ◯● ◯● ◯●

 

 

 

 

 

 塔矢行洋の経営する碁会所に、あかりは塔矢アキラに手を引かれて連れ込まれた。

 はた目には手を繋いで歩く小学生カップルである。それを見た市河の衝撃は筆舌に尽くしがたい。「アキラ君いらっしゃああああぁぁぁ⁉」と、注ごうとしていたあっついお茶をドバドバとテーブルに溢した。しかしアキラの前で粗相を晒す訳にはいかない。ささっと拭き取り、アキラとついでに泥棒猫のために新たにお茶を入れ直す。その表情がつい仏頂面になってしまう。

 

「あ、ごめんね手を握っちゃって。痛くなかった?」

「う、ううん。大丈夫」

「コート貸して。掛けるから」

 

 そんな市河の前でアキラはあかりが羽織っていたコートを衣紋掛けに甲斐甲斐しく掛けていた。掛けながらアキラは今し方触れたあかりの指先を思い出す。自分や父と同じような、特殊なタコと爪の形。毎日何時間も碁石を触れている棋士の手だ。きっと自分と同じように碁が好きなのだろう、それを思ってアキラは嬉しくなった。その喜びの発露である微笑みを横目で見た市河の機嫌はさらに下がった。市河の目には、少女のコートを掛けることが嬉しくて笑っているように見えるのだ。

 

「……どうぞ、お茶よ。熱いから気をつけてね」

「ど、どうも。いただきます」

 

 なるべく怒りを抑えた声を心がけるも、そうするとどうしても抑揚のない冷たい声になってしまう。せめてとばかりに言葉の内容だけは女の子を気づかうものにした。

 

「来てくれてありがとう、寒かったよね? あ、ここに座ろうか」

「あ、うん。いや、それほどでもないよ? 走ってきたし」

「走って? そっか。ありがとう、お疲れ様。市河さん、御茶菓子まだある? うちからお裾分けした羊羹」

「……あるわよアキラ君。ちょっと待っててね」

 

 あかりは首を捻る。

 なにが、ありがとう? まあいいや、と思い直して昨日と同じ席に着いてお茶で唇を湿らす。

 にが、と呟くあかりを見ながらアキラが苦笑する。ちょっと濃かったね、と。

 一分ほどまったりして、羊羹を載せた皿がテーブルに置かれ、アキラが重たげに口を開いた。

 

「その、さ」

「? うん」

「昨日僕、藤崎さんをその、泣かしちゃったよね」

 

 ボッ、とあかりが赤面した。両手をパタパタ振りながら、

 

「や、やー、ごめんね⁉︎ いきなり泣いちゃってね⁉︎ 意味わかんないよね⁉」

「え、いや、わかんないっていうか、対局で負けたからかなって」

「いやいや、違うの! 塔矢君に負けたこと自体が原因じゃなくてね? うん」

「あ、そうなんだ? 僕、次に会ったら謝らないとって思ってたんだけど」

「いやいやいや! 塔矢君が謝ることはないよ! だって、私が弱いのが……悪いんだし」

 

 言葉が萎む。沈黙のまま二人とも俯いてしまう。なんだこの空気、と市河は受付の奥で舌打ちして、禿頭の広瀬という客にちょっと市河さん、と窘められていた。

 アキラの瞳にグッと力が入った。

 

「じゃ、じゃあこれからも僕と打ってくれる?」

「え」

 

 意を決した表情でアキラが詰め寄る。凛々しい眉も相まって、背の低いヒカルにはない男らしさがあった。

 

「昨日の対局、すごく楽しかったんだ。ピリピリ痺れて、今までにないくらい頭が回って。碁を打つことはこんなに楽しいことなんだって、改めて気づけたというか」

 

 無論アキラは碁を楽しいものだと思っていたし、今まで手を抜いていたわけではない。それでも今までプロに打ってもらう指導や、あるいは碁会所のお客相手の指導碁などが主で、しかも父の方針でアマの大会には出てこなかった。

 だからアキラはずっと焦がれていたのだ。

 

「君と、もっともっと打ちたいんだ。君とならきっと、僕らは今よりずっと強くなれる。神の一手にも届くはずだから」

 

 周りにいるプロや父が見せる、精神を擦り減らすような、ヨセを終えるまで勝敗の読めないような相手との真剣勝負を。

 負けたくないと互いに思い思われる相手を。

 それを叶えてくれる、自分の強敵手足る打ち手が現れたのだ。こんな相手が現れてほしいと、いないままプロになってもいいのだろうかと、漠然とした不安を抱えて、プロ試験を先送りにしてきた。

 ──この子だ。

 ──きっとこの子が、僕の生涯のライバル。

 絶対に逃がさない。断固とした覚悟でアキラはこの場に望んでいた。

 わざわざこうして、翌日に来てくれたのだ。きっとこの子も自分と同じ気持ちに違いない。そう思っていた。

 だから。

 

「ごめんなさい」

 

 その場で、即答で断られるだなんて、アキラは思ってもいなかったのだ。

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