全国子ども囲碁大会は小学生の部と中学生の部に分かれて行われる。
トーナメント形式で、全国から予選を勝ち抜いた小中学生各64人計128人の碁打ちが争い日本一の座を目指す。
日本棋院が主催するだけあって規模も大きく、現役のトッププロの中にもこの大会で優勝したことでプロに注目されるようになった、なんて者が何人もいる。それだけにプロ棋士達の注目度も高く、囲碁界の発展に貢献することを義務付けられている彼らは持ち回りでこの大会に大会委員として顔を出しているのであった。
今年は塔矢一門が当番ということで、緒方も未来を担う才能を求めて対局を見て回っていた。
荒削りながらもきらりと光る才能の片鱗。
ダイヤの原石。
それを探すのは砂漠で砂金の粒を一つ探し当てるに等しい。特に塔矢アキラという才能を目にしてる緒方の持つハードルの高さも相まって、彼の興味を引く様な打ち手は、どうやらこの大会にはいないようだった。
──今回はハズレか。
なんて印象を彼は持ってしまっていた。
誰も彼もが、定石に沿って正しく打つことに躍起になっている。無論定石を学ぶことは重要だ。だがそれは始まりに過ぎない。定石とは利用するものだ。定石ならどう打つか、ではない。定石を使うのではなく、囚われているようでは足りないのだ。その意識の差が才能の有無の分水嶺であり、言葉ではなく体感として理解できない人間には一生わからないところである。
退屈で、なんとなく親御さんがはらはらと応援している観覧スペースへと視線を移すと、二人の子供がいた。
アキラと同じ年頃か、一組の男の子と女の子が寄り添うように立っていた。寄り添いながら、女の子が持つ手帳のようなものを二人で覗き込んでいた。
随分と熱中している。小声で何を言っているのかわからない。しかし二人のやりとりを、その後に立つお父さんがたもその手元を覗き込んで二人の話を熱心に聞いている。
何だ?
自分の子供の対局を上回るものがあるのか?
興味を惹かれた緒方は対局場を巡回するフリをしてこっそり二人組に近づいた。
その手元を覗くと、そこにはマグネットの小さな碁盤があった。
女の子が碁石を並べ、少年が指で示して何事かを解説する。碁盤の並びは、今目の前にある対局の、左上辺の並びが再現されていた。
それはプロでも手が止まる局面である。
とはいえ緒方はじきにタイトルを取るだろうとされる若手のホープだ。2秒とかからず急所を見抜く。1の二。
その緒方に遅れて3秒、少し悩んで、少女が緒方と同じ1の二に黒を置いた。
ほう、と緒方は感心する。
この歳の子供が即座に判断できる手ではない。アキラならできるだろうが。
が、ここでさらに驚く事態が起きた。
見事に急所を当てた少女が、隣の少年に不安そうな顔で振り向いて、
「ここ?」
「ああ、正解。やっぱ大分実力ついてきたな」
「えへへ、ありがと」
ん? と緒方は不思議に思った。
正解? それはそうだ。プロである自分と同じ判断をしたのだから。
だが、少年の口ぶりは、まるで答えのある詰碁の説明をしているかのようで。
ぱち、と音がした。
顔をあげれば、眼前の対局が一手進んでいた。
黒は惜しくも急所を外し、1の三に打たれていた。
それを見て二人はその場を離れた。すーっと見て周り、緒方から見ても比較的レベルの高かった、メガネをかけた「越智」と書かれた名札を付けた少年の後ろで止まった。
また先程と同じように、少女が石を並べて、横から少年が解説する。
やはりあの小柄な少年は、先の急所を見抜いた少女に碁を教える立場なのだ。
「名札がない。参加者ではないようだが……」
惜しい、と思う。
参加者であれば、大会委員として話を聞くくらいはできただろうに、ただの見学であるなら部外者に過ぎない。問題を起こしているわけでもない一般人に声をかけるのも躊躇われる。完全に職務外だ。委員としてここにいるプロの自分が、大会に参加している子供達を差し置いて部外者に声をかけるのも外聞が悪いだろう。
「仕方ない、な」
焦る必要はないか、と緒方は思う。
実力があるのなら、いずれは自分たちの前に現れるだろう。
ともかく今は大会の運営をこなさなければ。そう決めて緒方は他の委員の元へと向かった。
◯●◯●◯●
前回と異なり、大会は何ごともなく終わった、らしい。
らしいというのは、大会の途中でヒカルだけで棋院の事務に話を聞きに行ったからだ。
自分の子供が対局に負ければ用は無くなるわけで、時間が経つごとに事務のある一階は人通りが増えていくのだ。そうなる前にヒカルは自分だけで話を聞きに行き、あかりにはそのまま大会を見学してもらった。
「あ、ヒカル!」
「お、終わったか」
最後の対局が終わったようだ。一階の売店横の自販機で待っていたヒカルは、エレベーターで降りてきたあかりと合流して出口に向かった。
大会では、越智は準優勝だったようだ。決勝で別の子に半目で負けていた。終局してすぐ会場から出て行ってしまったとあかりに聞き、ヒカルは越智を懐かしく思う。
絶対トイレ行ってるんだろうな、と思って思わず笑みが溢れた。壁を叩きながらぶつぶつぶつぶつ、先にトイレに入っていた時に隣からそんな音が聞こえてきたことがあって、何事かとひどく驚いた記憶がヒカルにはあった。
優勝したのは六年生の男子で、院生時代にも見かけたことのない人だった。
もしかしたら自分が院に入る前にプロ入りした人なのかもしれない。
そんなことを考えながら、ヒカルは事務から聞き出せたアマの大会についての情報をあかりと共有する。
加えて、プロ試験の日程も。
なんと外来でプロ試験を受ける場合、6月中に申し込みをしないといけないのだ。
「プロ試験って夏のイメージがあったからさ、もっと遅いと思ってた」
「そうなんだ?」
夏のイメージ? とあかりが首をかしげる。確かに意味わかんねーよな、とヒカルは苦笑した。
ともかく、事務員さんに聞きまくって、今後の大会について情報を得ることができた。
2月中旬には女流アマ選手権の東京・千葉予選。
4月上旬にはアマ十傑戦の東京予選。
6月上旬にはアマ本因坊戦の東京予選。
これらの大会は、東京在勤・在学のアマチュアであれば誰でも参加できると規定ではなっているが、しかしこの『在学』はあくまで大学生や専門学校のこと、というのが暗黙の了解らしい。世界大会につながる大会なのだ。拘束時間も長くなる。プロでもない、義務教育中の小学生……いや、来年度には中学生になるのだった。ともかく、小・中学生の参加はそもそも想定していないのだそうだ。というか、小学生向けのジュニア本因坊戦などがあるのだからそちらに出なさい、というのが事務員さんのお言葉である。
「でも、ジュニアって子どもってことでしょ? 子ども大会で優勝してもお母さんプロ試験受験を許してくれるかな?」
「無理かもしんない。だからまず、アマの大会に出る前にこの段級位認定大会に出よう」
春季認定大会は2月上旬、女流アマの予選の1週間前だ。
「こないだ言ってたやつだね」
「六段までなら本当に誰でも受験できるんだって。免状も、全勝で合格すればタダで貰えるみたいだし。六段なら子どもでもアマの大会にも出させてもらえると思う」
多分。
事務員さんはどうせ無理だよ、みたいな感じでそのあたりちゃんと答えてくれなかったけど。
まあ、どこかのプロに弟子入りしているわけでもなし。生意気な子供がイキっているようにしか見えなかったのだろう。
「で、大会はどうだった?」
「うーん……なんか、ね」
「微妙だったか?」
「あまり言いたくはないけど、みんな手がぬるいというか、え? そこいっちゃう? みたいな」
心なしか小声にして、囁くようにあかりは言う。
「正直、ヒカルが前に言ってたことわかったかも」
「前?」
「私が子どもの大会にでたら才能を潰しちゃうってやつ」
そう語るあかりの俯いた表情は、少し嬉しそうだった。口元には笑みが浮かんでいるのが、小柄なヒカルには見えていた。
ガラス扉に手をかけながらヒカルは思う。なんで笑うの? 怖くない?
ヒカルの背筋に薄ら寒気が走ったところで、棋院全体に響くような大声が、ヒカルとあかりの背後から叩きつけられた。
「ふざけるな!」
思わず振り返れば、そこには一人の少年がトイレの入り口に立っていた。
丸いメガネの奥から、充血した目が鋭く、憎悪すら込めてこちらを睨み付けていた。
少年は、越智は、ズカズカとこちらに、正確にはあかりへと大股で近づいてきた。
「お前、バカにしているのか⁉」
「あ、いや」
「お、おい」
「才能を潰す⁉︎ ここに来た選手は、みんな予選を勝ち上がってきたんだ。今回は子ども大会のなかでも最も大きい大会だぞ。それに参加した僕らの対局を本当に見たのか!」
「ご、ごめんなさい」
あかりは頭を下げた。それでも越智の剣幕は治らない。興奮の昂りで、止まったはずの涙がまたじんわりと溢れていた。
「あやまって欲しいんじゃない。今の言葉、本心なんだろう? 言い過ぎたとは思っても、間違えたとは思ってないだろ。そんなデカい口叩けるなら、準優勝の僕程度簡単に負かすことができるはずだ」
ビッ、と越智は背後、棋院の建物の奥を指差した。
そっちにはフリーの対局スペースがある。そういえば俺も一回通りすがりのおじさんと一局打ったな、と場違いなことをヒカルは思い出す。
越智はあかりを強い力の籠もった目で見つめ、言った。
「逃げるなよ、今すぐ、そこで打とう。僕らをバカにできるくらい強いなら!」