エレメントハンター:タイプ・クデュック   作:最上 イズモ

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第4章 回収と選別

観測アンカーの振動は、じわじわと弱まっていった。

固定された輪郭が、また少しずつ溶け始める。

 

世界は戻ろうとしているのではない。

ただ、留まりたくないだけだ。

 

イズモは歩きながら、呼吸補助の流量を微調整した。

肺に入る空気は冷たく、乾いている。

それでも「空気として成立している」だけで、ここでは贅沢だった。

 

カエデ「位相固定率、六十八%まで低下」

 

イズモ「……アンカーの持続、想定より短いな」

 

カエデ「元素構成の欠損が大きすぎます。留めるための“地盤”がありません」

 

イズモは遠方の揺らぎを見つめた。

さっき消えたQEXがいた地点のさらに奥。

空間の密度が薄い場所ほど、揺れが激しい。

 

イズモ「流入源に近い。そこだな」

 

カエデ「はい。酸素・鉄・ケイ素の流量が、あの方向へ偏っています」

 

イズモは腰の端末に指を当てた。

観測場の地図は、通常の地形図ではない。

“どこに地面があるか”ではなく、“どこが世界として成立しているか”の地図だった。

 

そして、その中心に――穴がある。

穴というより、定義されていない領域。

 

イズモ「……クデュック」

 

カエデ「こちら側にも、同名の終端が形成されています。現実のクデュックと共鳴しています」

 

イズモは短く息を吐いた。

最悪だ。

だが同時に、分かりやすい。

 

イズモ「なら、やることは一つだ」

 

カエデ「はい。“回収”ではなく、“循環の再接続”」

 

イズモは頷き、歩幅を上げた。

 

揺らぎの中心に近づくほど、世界の音が消えていく。

 

風は吹いているはずなのに、頬に触れない。

遠くの岩が崩れたはずなのに、音がしない。

視界の端で物体が動いても、動いたという情報だけが遅れて届く。

 

現実が、遅延している。

 

イズモ(……ここで判断を間違えると、戻れない)

 

彼は戦場で何度も「間に合わない」を見てきた。

だがここは戦場じゃない。

間に合わないのは、命ではなく――世界だ。

 

カエデ「前方、反応増大。QEX複数。小型群体です」

 

イズモの視界に、淡い光点がいくつも灯る。

虫の群れのように、空中を漂っている。

だが羽ばたく音はない。

 

光点が近づくにつれて、イズモは気づく。

それらは“虫”ではない。

元素の欠片に、形が仮固定されただけのものだ。

 

イズモ「……触れたら削られるタイプか」

 

カエデ「はい。接触で微量の元素を奪います。防護優先を推奨」

 

イズモは足を止めた。

無理に進めば、装備が先に壊れる。

呼吸補助が止まれば、ここでは終わりだ。

 

イズモは腰のカートリッジを一つ引き抜く。

鉄回収用。

ただし使い方は、回収ではない。

 

イズモ「散布モード」

 

カエデ「了解。鉄元素を微量散布。周辺の定着率を上げます」

 

カートリッジが短く唸り、目に見えない粉雪のようなものが空間に放たれる。

瞬間、光点たちの動きが鈍った。

 

イズモ(……“食うもの”が外に出た)

 

群体は散布された微量の元素に引き寄せられ、進路が逸れる。

イズモはその隙に、揺らぎの中心へと距離を詰めた。

 

中心部は、空間が“空間であること”をやめていた。

 

そこには穴があった。

黒い穴ではない。

白い穴でもない。

 

穴という概念だけが存在する場所。

 

視線を向けた瞬間、吐き気がした。

見てはいけないものを見ている気がする。

だが見なければ、仕事にならない。

 

カエデ「流入源です。複数世界の元素が、ここに落ち込んでいます」

 

イズモ「落ち込んで……消える?」

 

カエデ「消失という表現が最も近いですが、実際は循環喪失です。どこにも行けず、どこにも定着しない」

 

イズモは端末を起動し、観測アンカーの出力を上げた。

振動が増す。

世界が、少しだけ息を吹き返す。

 

だが同時に、視界の端が削れる。

 

イズモ(……長くはもたない)

 

アンカーは万能じゃない。

固定はできても、補えない。

欠けた元素が多すぎれば、世界の形は維持できない。

 

イズモは回収カートリッジを並べた。

酸素、鉄、ケイ素。

 

イズモ「全部は無理だ。順番を決める」

 

カエデ「優先順位を提示します。生存基盤:酸素。次に構造維持:鉄とケイ素」

 

イズモ「……酸素だけ取れば、人は息ができる。けど世界が崩れたら意味がない」

 

カエデ「はい。構造が崩れると、酸素も保持されません」

 

イズモは目を閉じた。

短い時間で選べ。

 

イズモ「配分は――六:二:二」

 

カエデ「酸素六割、鉄二割、ケイ素二割。了解」

 

イズモは回収カートリッジを起動した。

 

空気が引き剥がされる感覚。

肺が、胃が、内側から引かれる。

だが引かれているのは自分ではない。

 

世界から、必要な分だけを選び取る。

 

カエデ「酸素回収開始。四十……五十……」

 

視界の揺らぎが、ほんの少し落ち着く。

空気に“重さ”が戻る。

風が、頬に触れた。

 

イズモ(……息ができる)

 

続けて鉄とケイ素。

回収量は少ないが、効果は大きい。

地面の質感が戻り、遠景の輪郭が定まる。

 

だが――穴は消えない。

 

穴は、相変わらず“概念だけ”でそこにある。

 

イズモ(塞げない……これは回収じゃなく、傷口だ)

 

カエデ「警告。位相固定率、急低下。アンカー限界です」

 

イズモ「……分かってる」

 

回収を続ければ、固定が崩れる。

固定を優先すれば、回収が足りない。

 

二択ではない。

三択だ。

 

――撤退。

 

イズモは口の奥で、苦いものを噛んだ。

ここで全部を救おうとすれば、何も残らない。

救える分だけ救って、引く。

 

それが観測者の仕事だ。

 

イズモ「……撤退準備。ログは全部持って帰る」

 

カエデ「了解。帰還座標を確保します」

 

イズモは最後にもう一度、穴を見た。

そこに敵意はない。

ただ、世界が成立しないという事実だけがある。

 

イズモ「……これが“原因”じゃない」

 

カエデ「同意します。これは結果です。原因は別にあります」

 

イズモ「原因を見つけるために、また来る」

 

カエデ「はい。ですが次は、より厳しい制約が必要です」

 

イズモは頷いた。

ここは、人間が踏み込める場所じゃない。

踏み込めてしまうのがおかしい。

 

帰還は、転移よりも静かだった。

 

光が揺れ、重力の向きが戻り、

次の瞬間、月面支部の人工照明が視界に入った。

 

耳が、いきなりうるさくなる。

空調の音。

機械の稼働音。

人の気配。

 

イズモは片膝をついた。

呼吸補助を止めると、空気が“重い”。

 

イズモ「……生きてるな」

 

カエデ「帰還完了。回収量、規定範囲内。観測ログ、全保存済みです」

 

イズモはゆっくり立ち上がり、掌を見た。

何も握っていない。

それでも、確かに何かを持ち帰った感覚がある。

 

命を救ったわけじゃない。

世界を修復したわけでもない。

 

ただ、

壊れ方を記録し、壊れすぎないように選別した。

 

ミサトの通信が割り込む。

 

ミサト「帰ってきたのね。状況は?」

 

イズモ「回収はした。けど塞げない穴がある。……クデュックが向こう側にもできてる」

 

ミサト「……最悪ね」

 

イズモ「ただ、分かったこともある。これは原因じゃない。結果だ」

 

ミサト「原因の当たりは?」

 

イズモは、少しだけ間を置いた。

 

イズモ「“誰か”が、流れを作ってる。自然発生じゃない」

 

その言葉に、通信の向こうが一瞬静まった。

 

ミサト「……続きはブリーフィングで。すぐ来て」

 

イズモ「了解」

 

通信が切れる。

 

イズモは、月面支部の廊下を歩き出した。

さっきまでいた“薄い世界”が、まだ瞼の裏に残っている。

 

そして確信だけが残った。

 

次は回収じゃない。

流れの設計者を見つける話になる。

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