クルツEx   作:あらほしねこ

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山の端月は満ち

 まったく、無茶苦茶な世界があればあったもんだ。

 もともと人里離れた基地の、さらに少し離れた森の中にある、広場のように開けた場所。虫の声と草の音が旋律を奏で、中天には三日月。気分転換にはこれ以上ないシチュエーションだ。しかし、俺は、水筒に入れてきた茶を口に含み、そして、再び不愉快な気分になる。

 不味い

 こんなものが茶だなんて言えるか、まるで雑草の汁だ。俺は、いっそ水道の水を入れた方がマシだったと後悔しつつ、苦味だけが強い、そのでたらめな味の液体を草むらに捨てた。

 いくら仕方がなかったこととは言え、我ながらおかしな所に来てしまったもんだ。古の星間連盟華やかりし時代が生み出した狂人、ジェネラル・ケレンスキーの忠実なる親衛軍の末裔を名乗る、『氏族』と自らを呼ぶ野蛮人共。

 俺は、あのバトル・オブ・ツカイードで、数ある氏族軍のひとつ、『ノヴァキャット』の捕虜となり、『ボンズマン』と言えばなにやら聞こえはいいが、早い話が奴隷扱いの身になった。

 なに?奴隷なら、なんでこんなところをうろついてるのかって?そりゃお前、抜け道なんて、ある所にはあるもんさ。それに、人間気晴らしも必要さね。

 

 そうして、月を眺め、自然の音を聞きながら、ぼんやりと穏やかな夜風で涼んでいたその時、不意に風向きが変わった。そして、風と共に運ばれてきた、微かな違和感。

 何か匂いがする。この匂い・・・血か?しかし、なんだって、こんな所に・・・?

 夜気の中を漂うように、かすかに流れてくる微かな匂いをたぐり、闇の中をかきわけて進んで行くと、ほどなくしてその主は見つかった。かすかに漏れ落ちる月明かりの中に、ぐったりと横たわっている人の姿が浮かび上がる。

 最初は死体かとも思った。だが、そうでないのは空気の漏れるような微かな呼吸の音が、まだ生きている事を知らせている。どっちにしたって、そこに倒れている奴が深手を負っているのはすぐにわかった。なにをどうやったか知らないが、ずいぶん手酷くやられたようだ。

「・・・トラ・・・待っとるんよ・・・絶対に・・・しとめて帰るから・・・待っとるんよ・・・・・・」

 今にも途切れそうな息の下、なにやらうわごとのようにつぶやき続けているのは、見たところ14・5才くらいの少女だった。おいおい、なんだってこんな子供がこんな時間、こんな場所にいるんだ?しかも、こんな大怪我までして・・・。

 とにかく、このまま放って置く訳にも行かない。本人の意思がどうであれ、このままにしておけば、彼女が明日の朝日を見ることはまずありえない。

 

「おはよう、お嬢さん」

 しばらくたって目を覚ました彼女は、自分の置かれている状況と言うのを、ほとんど理解できていない様子だった。

「誰だ!」

 彼女は、俺を見るなり、お約束のような台詞を言う。まあ、他に言うことがあるとは思えないけどな。とはいえ、跳ね起きざまに大声を出したものだから、めまいか何かを起こしたらしく、しばらく頭を押さえたまま黙り込んでしまう。ともあれ、回復するまで待つことにする。

「それより、起きてすぐもなんだが、取引をしないかい?」

「な、何を言って・・・!?」

「君は大怪我をして、おまけに何にやられたか知らないが、生物毒の中毒症状もあった。恩を着せるつもりはないけど、もし俺が見つけて手当てをしてなかったら、多分君は死んでいたと思う。で、だ。俺は見ての通りボンズマンな訳だが、こんな時間にこんな所をうろついているのを知られたら、少し面倒なことになる訳だ」

「名乗るつもりはない、と?」

「察しがいいね」

 さて、このお嬢さん、どうでるかな。氏族人の連中は、性質的にずいぶん戦闘的な思考パターンを持った奴が多い。命を助けてもらったことくらい、それがどうした。と平気な顔で言いかねない。さてさて、どうしたものか。

「いいだろう、ここでお前に助けられたこと、事実として感謝すべきだ。その申し出、受けよう」

 お、そうでもなかったみたいだな。よしよし、そうこないと。

 彼女は、憮然としつつも俺の手首に巻かれた3本のコードに目を落とし、仕方なさそうにうなずいている。しかしまあ、子供のくせに、ずいぶん堅っ苦しいしゃべり方だな。

「そうか、そういってくれるんなら何よりだよ」

「かまわない、小さなことだ」

 そうか、小さなこと、ね・・・。

「お前、聞きたいことがある。私が着ているもの、これは、もしかしてお前の上着か?」

「ん?ああ、そうだよ。君が着ていた奴はズタズタにされてて、おまけに血糊でゴワゴワになってたからな。粗末なもんで悪いけど、それを着といてくれ」

 彼女の横に置いておいた、血糊で固まりかけた衣類を指さすと、彼女は、自分の怪我をようやく思い出したかのように、軽いうめきと共に押し黙る。しかし、ややあって急に彼女の顔色が変わった。

「まさか・・・お前、勝手に私の服を脱がせたのか!?」

「おいおい、ちょっと待ってくれ。だいたい、そうしなけりゃ手当てできなかったんだ。それに、やましいことは何ひとつしちゃいない。誓ってもいい」

「本当か?」

「ああ、この3本のコードにかけて」

「む・・・」

 俺の手首に巻かれた3本のコード。こいつらは、『ボンズコード』と呼ばれ、それぞれ『忠誠』『知略』『闘魂』の3つの意味を示している。そして、このコードを受け入れたものは、その瞬間から、その陣営のために忠誠を誓わなければならない。それだけのみならず、このコードには、もといた陣営の名誉も含んでいる。ということになる。

 例えば、このボンズコード、拒否しようと思えばそれもできる。しかし、拒否して無事で済むのは、とりたてて影響の度合いが少ない一般人レベルでの話だ。

 俺みたいに、技術士官とは言え、正規の軍事教育と訓練を受けてきた正規軍人は、拒否すなわち、自らの死を意味する。つまり、死んでも自分の節は曲げない。と意思表示するに他ならないって訳だ。

 となるとどうなるか、これは、『ボンズレフ』という、平たく言えば、ドラコ連合の連中がやらかすような『セップク』をさせられることになる。そして、ボンズコードを受け取ったあとに裏切り行為をやらかせば、もといた陣営と、新たに忠誠を誓うことになった陣営両方の名誉を汚したということになり、どうしようもない恥知らずとして処刑。ということになる。

 もっとも、それは氏族の野蛮人連中が勝手に取り決めたローカルルール以外のなにものでもないから、俺の勤め先であるコムガードに言わせれば、

『そんなのどうでもいいから、スキ見て帰ってこい』

 と言うに決まってる。

 もっとも、現実問題として、脱柵するにしてもいい加減手間がかかるし、俺ひとりならともかく、他の連中がまずいことになる。まあ、救出の望みも薄い以上、ここはあの野蛮人共のローカルルールに付き合った方が安全。と、判断した訳なんだけどもがね。

 ちと話がずれ過ぎたな。まあ、要するに、このボンズコード。コムガードとクラン・ノヴァキャットに対する名誉の象徴って訳で、これに懸けて誓うと言うことは、俺の全身全霊の名誉を懸けるってことと同じ、って訳さ。

「わかった。その誓い、信じよう」

 なんとか彼女も納得してくれたようだ。でも、なんで睨む?今気付いたが、造りのいい切れ長の目は、そうされると結構怖いんだがな。

「しかしだ!まさか、私の意識がないのをいいことに、下劣なことなどしていないだろうな!?」

 そう思うのも無理ないとはいえ、ずいぶんな言われようだ。確かに、歳の割には立派なものをお持ちであったが、それでも、ざっくり抉れた裂傷と上半身を真っ赤にするほどの出血を負った人間に対して、下半身を元気にさせるようなけだものフレンズじゃないつもりだ。そもそもからして、氏族軍の日常は風呂もトイレも共用、しかも、訓練や演習を終わったあと、汗だくの胸を放り出して歩いている女戦士とかの姿を日常的に見せられるような世界に住んでいると、こいつ本当に氏族の人間か?と、思いたくもなる。まあ、そんな益体もない俺の感想は、この際どうでもよろしい。

「いくらなんでも、ただでさえ怪我と毒で死にかけてる人間をどうこうするほど、人間落ちぶれちゃいないつもりだけどな」

「口ではどうとでも言えるだろう!」

「そうだな、確かに、君の言う通りだ。気分を悪くさせたなら、謝るよ」

 なかなか納得してくれない彼女だったが、あまり感情をたかぶらせて傷に障るとまずい。これ以上彼女を刺激しないためにも、俺は素直に頭を下げた。

「とにかく俺だって、このコードの重さは承知しているつもりだ。俺は君の手当てをした、それ以上もそれ以下もない。それだけは、覚えておいてくれないか」

「そうか・・・わかった、すまない、取り乱した」

「いいさ、まだ痛むだろうし、毒だって抜けきってないだろうから、仕方ないさ。って、もうこんな時間か。俺はもう宿舎に帰るけど、君はどうする?その傷じゃ、一度戻ってちゃんと手当てした方がいいと思うけどな」

「いや、ここで帰る訳には行かない。私は、まだ目的を果たしていない」

 目的?さて、そんな大怪我まで食らう食らうような目的と言うのも、ずいぶん穏やかじゃないが・・・まあ、しかたないな。本人がそう言うなら、俺がどうこう言える筋合いじゃない。

「わかった、俺はもう帰るけど、あまり無理はしない方がいい。まだ、毒のせいで体力が弱っているはずだ、今夜はもう休んだ方がいい。そうだ、明日、また夜にでも来よう。その時、ちゃんとした薬や食べ物を持ってこよう。どうだい?」

「好きにするといい、けれど、お前はボンズマンだ。そこを良く考えて行動したほうがいいと、私は思う」

「わかった、そうするよ。じゃあ、また明日な」

 さてさて、ずいぶん夜更かしをしたもんだ。それじゃ、とっとと帰って寝るとしますかね。

 

「本当に来たのか」

 その次の日の夜、昨日と同じ場所に来て見ると、あの少女が憮然とした面持ちで立っていた。ははは、なんだかんだ言いながら、ちゃんと待ってるじゃないか。結構、可愛いところもあるもんだな。

「言ったことは守らないとな、そんなことより、具合のほうはどうだい?」

「む?ああ、おかげで大事無い」

「本当かい?少しだるそうだけどな」

 このお嬢さん、強がりを言ってはいるが、かなり辛そうだ。月明かりだけでは顔色まではよくわからないが、苦しげな呼吸は、多分まだ熱が下がっていないんだろう。それに、あれだけの大怪我が、一晩かそこらでどうにかなるとは思えない。

「いや・・・そんなことはない」

「まあいいさ、血清をもらってきたから1本打っとこう。今からでも、それなりに効き目はあるだろ」

「血清!?ノヴァキャットのか!?」

「まさか毒蛇用じゃ効果ないだろう?」

「そういう問題じゃない!お前、そんな貴重なものをどこから・・・!」

「いろいろ努力してね。大丈夫だ、君に迷惑はかからない。誓うよ」

「む・・・し、しかし・・・」

 やれやれ、疑われてるな。まあ、無理ないか。

「その様子だと、まだ毒が残っているんじゃないか?そのままだと、いざってときに思うように動けないぞ。そうなったら、君の言う目的を果たすのは難しいと思うけどな・・・まあ、余計なお世話と言うなら、俺も無理強いするつもりはないよ」

 まあ、そう言うだろうな。ということは初めから予想はしていたし、すんなり首を縦に振るとは思ってはいなかったから、それはそれでいい。こいつは、後で元に戻しておこう。

 とりあえず、俺は、持ってきたファストエイドキットから、応急処置用の解毒剤を取り出す。血清に比べればその場しのぎの応急措置でしかないが、それでも、ないよりはマシだろう。

「いや、お前がよかれと思ってしてくれた行為、無碍にする気は無い。その心、ありがたく受けよう。よろしく、頼む」

 そう言うと、彼女は袖をまくり、細くしなやかながらも、良く鍛えられ引き締まった腕を俺の前に差し出した。

「いいのか?」

「どの道、ボンズマンが規則を破っているのを黙認している時点で、既に私も罪を犯している。甚だ不本意だが、我々は運命共同体のようなものだ。それに、どうせなら、効果が高いほうがいい」

「そうか?わかった。気を使わせているみたいで悪いな」

「気にするな、なぜお前がそこまでするかは理解できないが」

「ただおせっかいなだけさ。それと、一応無針式だが、最初はチクっとくるけど我慢するんだぞ」

「ストラバグ(馬鹿者)、子供扱いするんじゃない」

「そうだな、悪かった」

 不愉快そうに睨みつける彼女に詫びながら、俺はその腕に血清注射をすませると、バッグに詰め込んできた糧食パックを彼女に手渡した。

「食べるものもいくらか持ってきた、薬だけじゃ不十分だからな。体力を回復させるには、とにかく食べたほうがいい。あとこれ、栄養剤な」

「すまない、いろいろ世話になる。クルツ」

 パックを受け取りながら、彼女は出し抜けに俺の名前を呼んで礼を言う。おい、なんで俺の名前を?名乗った覚えはないぞ。

「お前、賢いようでどこか抜けているな。ジャンプスーツの胸だ、『トマスン・クルツ』それは、お前の名前ではないのか?」

 あ、しまった。

 俺は、今になってマジックで堂々と名前を記した、いつものジャンプスーツを着ていたことに気付いた。

「面白い男だな、お前は。切れ者かと思えば、間の抜けたところもある。心配するな、最初の約束どおり、お前の名は、私の胸の中にしまっておく」

「そ、そうか?すまない、恩に着るよ」

「気にすることはない、恩を仇で返す気など無い」

 そう言うと、彼女は微かに口元をほころばせていた。

 

 どうでもいいことだが、ここの警備システムはほんとにお粗末だな。こうも簡単に脱け出せると、逆にわざとなんじゃないかとかえって不安になるよ。でも、こうしていると、教育隊時代を思い出すね。あの頃も、よくこうやって寮を抜け出しては、近くの町まで買い出しに走ったっけな。

「今日は遅かったな、警邏隊に捕まったのかと思ったぞ」

「悪い悪い、今日は少し凝った夜食を持っていこうとして、準備に手間取ったんだ」

 あれから1週間近くなるか、最初の頃はどうにも素っ気無い態度を崩さなかった彼女だが、今ではどういう心境の変化か、いつもの待ち合わせ場所に先に来て待っているようになっていた。

 聞けば彼女、トーテム・ノヴァキャットと言う野生動物を捕まえるか、あるいはしとめるかするため、この森にひとりでこもり続けているのだという。そして俺も、どうにもこの子のやらかすことが気になって、夜中に宿舎を抜け出しては、森を訪れるようになった。なにしろ、返り討ちにあった挙句、死んでてもおかしくないほどズタボロにされた有様を見てしまったら、次もひとりでうまくいくなんて到底思えない。何が彼女をそうさせているか知らないが、あの時点で諦めないのが不思議なくらいだ。

「どうでもいいが、きちんと寝られるのか?お前達は昼間厳しく働かされているのだろう?夜中もこうしてぬけ出しているようでは、いつか体を壊すぞ」

「まあ、その辺は考えてやっているよ」

「ならいいが・・・まあ、いい」

 相変わらず堅苦しい事この上ないが、それでもいつもの待ち合わせ場所に来るあたり、なんだかんだ言ってあてにしてくれているってことかな。

「とりあえず、一服したらいい。疲れているだろう?」

「私は、タバコは吸わん」

「そうじゃなくて、いつもの差し入れだよ。腹も減っただろう、一日中森の中をうろつきまわってるんだからな」

「うろついているのではない、探しているのだ」

「ほら、夜食、甘いものもあるぞ」

 俺の言葉に微かに反応た彼女は、レーションのパックより先に、ドライケーキのパックを開けた。甘いものが先か、やっぱ女の子みたいで可愛いな。いや、本当に女の子だったっけか。すると彼女、ケーキを口にしながら、俺を睨む。

「お前、馬鹿にしているだろう?」

「それは悪かった。それはそうと、そんなちまちま、遠慮なくいったらどうだ?お代わりは持ってきているから、腹いっぱい食べたらいい」

「何を言う、そんな下品な真似ができるものか」

「下品って・・・まあ、いいさ。それより、毒猫の方は見つけられそうかい?」

「毒猫ではない、ノヴァキャットだ。トーテムに対して、その卑俗な呼び名は不遜だろう」

「不遜って・・・それを狩ろうとするほうが、よっぽど不遜じゃないのかい?」

「わかっていないな。トーテムと対決し打ち勝つことで、トーテムの聖なる力を得ることができる。トーテム・ノヴァキャットに打ち勝つことは、我らクラン・ノヴァキャットの戦士における誉れなのだ」

 よくわからん。崇拝したり狩ろうとしたり、俺がノヴァキャットなら、冗談も顔だけにしろと言いたいところだ。

「まあ、それはそうとして。正味な話、どうだい?」

「どうだ、とは、どういうことだ」

「だから、一度は殺されかけた奴相手に、リベンジはできそうか、ってことだよ」

「それは、やらねばわからない」

「なるほどね。でも、君の傷はかなりひどかった。肩口にあった噛み傷なんか、あの大きさと太さはかなりの牙だ。おまけに毒までもってる。ヤバいなんてもんじゃない。正直、こうして持ち直しているのが不思議なくらいだ」

「ヤバい・・・?どうもお前達中心領域人は、我々に理解できない乱れた言葉を使う。まあいい、言いたいことはわかる。だが、だからこそ、やり遂げねばならなない。私は、その為にここに居る。何も為さずに帰るつもりなどない」

 真剣な表情で返す彼女の言葉に、かすかに影がよぎる。多分、彼女だけの問題ではないのだろう。あの時、毒にうなされてつぶやいていた、家族らしき者の名前。多分だが、彼女は、自分のためじゃなく、他の誰かの為にこうしている、戦っている。そんな気がした。

「トーテムの行動範囲は掴んでいる。後は、もう一度トーテムに挑み、そして討ち取るだけだ」

「筋書ではね。でも、実際そううまく事を運べるか。って、俺はそう聞いてるんだけどな」

「ずいぶん疑っているようだが、何が言いたい」

 彼女は、俺の言葉にいたく気分を害したらしく、その端正な顔をしかめて俺を睨みつける。

「俺も手伝ったら駄目か、ってことだよ。いや、まて、勘違いしないでくれ。あくまで囮になるとか、その辺の話さ。実際に奴と戦って、そして仕留めるのは君の仕事だよ」

「言われなくともそうする。しかし、お前はボンズマンであるのに、その口のきき方は問題がある。いつもそのような、礼節のない言葉遣いをしているのか」

「礼節のないって、そりゃまたえらい言われようだな。この間も、それでエレメンタルにぶん殴られたばかりなんだ。心配しなくても、マスターやクラスターの連中には、きちんとわきまえた言葉遣いをしているよ」

「では、私には、そうする価値がない、と言うことか」

「まあ、半分当たりで半分外れだな。見たところ、君はまだ階級の神判は受けてないだろう?ジャケットについていた徽章をみたら、シブコではなさそうだし、市民階級から抜擢された戦士候補って奴だと思う。まあ、平たく言えば、君はまだ戦士じゃない。つまり、俺と立場はそう変わらない。いや、まってくれ、そう睨まないでくれ。大丈夫、晴れて君が戦士になった暁には、きちんとわきまえた言葉を使わせてもらうよ。

 君は、まだ正式な戦士になったわけじゃない。でも、だからと言って軽んじてるわけでもない。ここはクラスターじゃない、任務でもない。だから、今だけは、普通にしゃべらせてもらっているわけさ」

「ものは言いようだな」

「まあ、それくらいいいじゃないか。君が立派な戦士になれたら、俺の自慢話がひとつ増えるって寸法さ。彼女がまだ駆け出しにもならない頃、俺は彼女と一緒に戦ったことがある。って、まあ、少し尾ヒレをつけたりするかもしれないけどな」

「まったく、これだから、中心領域人の考えることは、わからない」

「その相互不理解が、ツカイードで爆発したってことなんだろうけどな」

「それを言うな。我々ノヴァキャットは、ウォーデンズ(守護派)だ。もともと、力でねじ伏せることは、本意ではなかった。しかし、クルセイダーズ(侵攻派)が、それを認めなかった。

 彼らの根底に流れているのは、絶対的な力の礼賛だ。戦うことが戦士の務めとは言え、戦うすべを持たぬ同胞を守り、導くのも戦士の務めだ。

 それは、中心領域の民に対しても、例外ではない。力ではなく、理で説く。偉父祖が失望なされた世界を、正しき御世に変えるのが我々の使命だ。私は、そう思っている。多分、ウォーデンズの氏族におけるカーン様達も、そうお考えになっておられると思う」

 ふむ・・・青臭い理想とは言え、そう考えている奴もいたとはね。

「見直したよ、強いな、君は」

「馬鹿にしているのか?」

「そっちこそ馬鹿言え。よし、やっぱり俺も手伝うよ。いいよな?」

「何を莫迦な、これは私の・・・!」

「待て、大声を出すな。やっこさん、狙い通りおいでなすった。君の後ろの藪にいる。焚き火で光ってる目がよくわかる、距離はすぐに飛びかかれる近さだ」

「なんだと・・・?」

「差し入れだよ。肉料理系、しかも、匂いを利かせた奴を選んで持ってきてたんだが、どうやら向こうも辛抱できなくなってきたらしい。今まで持ってきたハムやベーコンだ。そそられないほうが、どうかしてる」

「では、今までそれを狙って・・・!?」

「ああ、どうせやりあうなら、こっちが迎え撃つ形にした方が勝算も上がる。まさか、こうまでうまく行くとは思わなかったけどな」

「お前・・・なんて奴だ」

「文句は後でいくらでも聞く、準備は大丈夫か?」

「うむ、もうこうなった以上、やるしかない」

 俺と彼女は、そう目配せすると、弾かれたように横ざまにとびすさった。その瞬間、しなやかな動きと共に、焚き火の光を反射させるたてがみをなびかせて、トーテム・ノヴァキャットが俺達のいた場所に飛び込んできた。

『キシャ――――――ッッ!!』

 おいおい、これのどこがキャットなんだよ。ちょっと見には豹よりでかい。しかも、首筋から生えそろった、ヤマアラシみたいなたてがみを全開に逆立たせて俺達を威嚇している。おかげで、ただでさえ大きいと思っていたものが、余計大きく見えて、結構、いや、かなりおっかない。

 なるほど、こうしてみると、確かに爆発的に逆立ったたてがみは、夜空に現れた超新星に似ている。ああ、だから『ノヴァキャット』なんて名前がついたのか。

 って、そんなこと感心してる場合じゃなかったな。

「おい、武器はあるのか?」

「トーテムに対し、武器など不遜なものは使わない。己の力のみが武器だ!」

 なんでだよ。

 近所の野良猫にケンカ売ってんじゃないんだぞ。相手は豹並の図体をしたコンパクトサイズのライオンで、しかも猛毒付きときてるんだ。そんな奴相手に、ステゴロで挑もうってのか?こいつの口ぶりからして、何か策があると思っていたが、とんだ行き当たりばったりだったとは。まったく、これだから脳味噌筋肉の野蛮人共ときたら。

『フ――――――ッッ!』

 まずいな、なんか知らんが、物凄く怒ってるぞ。

「どいていろ!私に任せるんだ!!」

 バカ言え、任せられるか。またこの間のように、ボロ雑巾にされて終わりだよ。・・・よし、一か八か、アレをやってみるしかない。

「あっ、おい、やめろ!」

 彼女の狼狽しきった声を背中に聞きながら、俺はゆっくりと猛り狂うノヴァキャットの前に歩み出た。そして、必要以上に奴を刺激しないように、おもむろに腕を広げる。

「駄目だ、クルツ!」

 彼女の切迫した悲鳴が聞こえる、けれども、ここでしくじれば、どのみち無事じゃすまないことに変わりはない。だからこそ、もうやるしかない。

「トーテム・ノヴァキャット、お初にお目にかかります。私は、トマスン・クルツと申します」

 俺はことさらにもったいぶった動作で、目の前のノヴァキャットに一礼する。

「思うにここは、貴方様の領域とお見受けいたします。その地に無断で踏み入った御無礼、平に御容赦願いたく存じ上げます。なれど、今ここに、貴方様と戦いを望む者がございます。貴方様の持つ聖なる力を欲し、崇敬するが故に戦いを挑まんと願うその者の心、願わくはお聞き届け賜らんことを」 

 我ながら芝居のかかった動作で、ノヴァキャットに対して身振り手振り交じりの拝礼をしてみせる。

 さあ、どう出る?

『グルルルル・・・フー・・・ゴロゴロゴロ・・・・・・』

 すると、今まで威嚇のうなり声を上げていたノヴァキャットは、のどを鳴らしながらたてがみを寝かせると、ゆっくり近づいてきて俺のジャンプスーツに首筋や頭をこすりつけ始めた。

「気をつけろ!ノヴァキャットは、たてがみの先に毒を持っているんだ!」

 な、なに?それはもっと早く言ってくれ!今、先っちょがチクッていったぞ!?

 けれども、彼女や俺の心配は杞憂に終わった。しばらく俺の足に頭をこすり付けていたノヴァキャットは、くてりと足元に寝転がると、じゃれつくように俺の足にまとわりつき、あまつさえジャンプスーツの裾をペロペロとなめては、一段と大きくのどを鳴らしている。

「これは、一体?」

 彼女は、この様子を見て、顔一杯に驚きの表情を貼り付けて凝視している。彼女にしてみれば、自分が殺されかけた相手が、俺に対して突然従順な態度を表したことが、どうにも信じられない様子だった。

「どうする、今なら、こいつをしとめるの簡単だぞ」

 俺は、足元に寝転がっているノヴァキャットの頭を、毒毛に触らないよう注意して撫でつつ、憮然とした表情でこっちを見つめている彼女に声をかけてみた。しかし、彼女の答えは予想外のものだった。

「いや、やめておく」

「どうして?君の力で勝ったからじゃないからか?」

「それもある。しかし・・・そこを見てみるといい」

 彼女の指差す先を見ると、茂みの中から、3匹の真っ黒な子猫が不安そうな目でこちらを見ているのに気がついた。

『ミィ、ミィ、ミィ・・・』

「これの子供達だろう。私の都合で、彼らから、親を奪う訳にはいかない」

「む・・・」

 あまりにも予想していなかった事態に、思わず言葉を詰まらせていると、彼女はパックに残っていたハムを取り出すと、それを小さくちぎり始めた。

「おいで、怖い思いをさせて済まなかった。これは、私と彼のお詫びの気持ちだ。お前達の親に、危害を加えるつもりはない、安心してくれ」

 彼女は、子猫達を驚かせないようにゆっくりと姿勢を落とすと、優しげな表情と言葉を向けながら、細切れにしたハムを彼らに差し出した。

「いいのか、本当に」

「お前もくどいな、私の事情は、いくらでも取り戻しがきく。しかし、この子達の親は、二度とは取り返しがつかん。私は、そこまでして、名誉を得ようとは思わない」

「そうか・・・」

「そういうことだ・・・お前達、そんなに慌てなくてもいい。まだたくさんある、皆で仲良く食べるんだ」

 広げた手の平の上の食べ物を、争って取り合っている子猫達に、慈愛に満ちた表情を浮かべている彼女を見て、俺はただうなずくしかなかった。

「私は、この世界でフリーボーンと呼ばれる人間だ。両親は商人階級だが、私は戦士としての適性があると審査された」

 彼女は、視線を子猫達に向けながら、とつとつと語り始めた。

「お前も、氏族における戦士の戒律は知っているだろう。私達フリーボーンが、いくらあがいてみたところで、結局は、トゥルーボーンの得る名誉や地位の足元にも及ばん。

 さすがに、お前達ボンズマンほどではないが、私達フリーボーンも、連中からすれば取るに足らない存在として扱われる。今までは何とか切り抜けてきた、しかし、限界に来ていたのも確かだ。共に戦士候補として選ばれた弟にしても同様だ。私には、弟を守りながら悪意に抗う力がなかった。だから、トーテムの力を得て、自分の力を示したかった」

 突然、自分の事を話し始めた彼女に、俺はどう答えていいのか、言葉を見つけられないまま彼女の姿を見るしかできない。

「しかし、それは私の思い違いに過ぎない事を知った。トーテムを狩り、その力を得たところで何が変わる?私の境遇がそれで変わるか?弟の境遇がそれで変わるか?変わらない、変わる訳がない」

 手の平の上の食べ物を、食欲旺盛な子猫達がすっかり平らげてしまったことに、満足そうな微笑を浮かべながら、彼女は別のパックを開けると、もう一度ハムを小さくちぎり始めた。

「変わりたければ、それは自分自身の意思と力で為すしかない。感謝を、中心領域の戦士よ。お前は、私にその事を気付かせ、そして教えてくれた。

 私にはできなかった、トーテムとの対話。それをたやすく成し遂げた男。お前のような者が、ノヴァキャットの戦士にもいればと切に思う」

 彼女は、不意にこちらを振り向くと、今まで見たこともなかったような笑顔を浮かべた。老練の匠が磨き上げた銀細工のような輝きを放つ瞳、染め上げたばかりの、まだ潤いが残る絹糸のようなしなやかな黒髪。そして、焚き火の明かりに赤く染められつつも、その白さを疑わせない端正な顔立ち。

 まだあどけなさを残すとは言え、掛け値なしに美しいとさえ言えるその顔が、揺るがぬ決意と深い慈愛を共にたたえた表情を浮かべる。

「私は、必ず戦士になる。全てのものを包み、守り抜く力を持つ戦士に。中心領域の戦士よ、お前もその手首にある三つの誓いにかけて、必ずノヴァキャットの戦士となれ。そして、その暁には私と共に戦おう、共に歩もう。私は、いつまでもお前を待とう。そして、いつか、お前と肩を並べて歩む時を、疑わずに待とう」

 俺に向けられた、彼女の純粋な言葉。けど、俺にそんな資格があるのか。

「それと、これだけは絶対に忘れるな!お前は、私の許しもなく、私の胸を見て触れたのだからな!逃げることは絶対に許さんぞ!」

「ふっ・・・はははははっ!」

 さっきまでの肩肘張った口調から一転、いきなり年頃の少女そのものの台詞に、俺はどうにもこらえきれず笑ってしまった。いや、なんて言うか。どういう訳か、ほっとしたような、ある意味人並みの反応に触れて、つい力が抜けた気がした。

「なにがおかしい!」

「悪かった、笑ったことは謝る。そうだな、お互い、これから厳しくなるだろうけど、ひとつ頑張ってみようか」

 どうなるかわからない。これは正直なところだ。けど、こう答えることが一番正しいと思ったから、俺はそう彼女に答えた。

「うむ、望むところだ。その言葉、忘れるなよ」

「ああ」

 それからしばらくして、子猫たちも満腹になったのか、親の懐に潜り込んで大人しくなる。そして、俺たちも解散の時がやってきた。

「それじゃ、ここでお別れだ。次に会う時は、メック戦士様だな」

「どうしてお前は、言う端々でふざけたものが混じるんだ・・・でも、まあ、いい。楽しかったぞ、クルツ」

 意外な彼女の言葉に、思わず頬が緩む。と、その前に。

「ああ、それと。帰る前に、忘れ物を渡しておくよ」

「忘れ物?」

 幌布で幾重にも包んだ包みを渡すと、彼女は、怪訝な表情で包みをほどき、そして、目を丸くした。

「クルツ、お前、これをどこから・・・?」

「君が、ノヴァキャットと大立ち回りをやらかした場所に落ちてた。せっかくだから、拾っといたよ」

「お前・・・・・・」

 幌布に包まれたノヴァキャットの毒針何本かと、折れた牙。それだけでも、生還した彼女とその傷が、ノヴァキャットと相まみえたのだという証明にはなるだろう。亡骸についちゃ、敬意を込めて埋葬したとかなんとかかんとか言えば、どうにかなるんじゃなかろうかね。

「本当に、お前という奴は・・・」

 彼女は、それを包みなおすと、大きなため息を吐き出した。

「まったく、中心領域人というのは、本当にずるい奴だ」

 確かに、返す言葉もないね。

 彼女の言葉に、俺はただ、笑ってごまかすしかなかった。

「だが、それに何度も助けられた。そして、今も」

 彼女は、銀貨のような瞳で、真っ直ぐな眼差しを向けた。

「ありがとう、クルツ」

 中天に浮かぶ満月を背に、静かに、そして優しく微笑む彼女。それはまるで、月の女神が地上に降り立ったかのような。そんな幻想的な光景だった。

 

 あれからどのくらいたっただろうか、俺はまだ相変わらずボンズマンのまんまだ。あの子は、もうメック戦士になれただろうか。

 あの少女が、どこのクラスターにいるかは、今も結局わからずじまいだ。どこまでも気高く、そして誇り高かった彼女。それにくらべて、俺はどうにも。だ。あの時、猛るノヴァキャットを鎮めたのは、別に俺に特別な力があった訳じゃない。種明かしをしたら、多分あの子は俺を軽蔑し、そして、今度こそ、本気で卑怯者と呼ぶだろう。

 実は、ジャンプスーツに、バザールで手に入れたマタタビで細工をした。飼い猫の遊び道具に使うそれを、ジャンプスーツ諸共バケツの水に漬け込んで、徹底的に匂いを染み込ませたわけだ。ついでにポケット全部にいくつか忍ばせた。うまく行くかどうかなんてわからなかったが、向こうも猫科の生き物なら何とかなるだろう。その程度の考えだった。それが、予想以上に大当たりするとは思わなかったが。

 それでも、このうしろめたさはなんだろうな。

 あんなに純粋で、しかも真摯な言葉を送ってくれた相手に、こんな小細工を使って見せたなんて。俺がことあるたびに野蛮人と吐き捨てたことが、どうしようもなくケチな人間に思える。本当に申し訳ありませんでしたとしか言いようがない。

 いや、それでも、全てが全て納得できた訳じゃない、けれども、氏族人のまっすぐなまでの純粋さ。それだけは、認めない訳にはいかない。彼女の見せたひたむきさと高潔さは、間違いなく本物だった。

 こんな事を今さら言っても、奇麗事にしかならないことはわかっている。しかし、俺は、氏族人をどこまで知っているというのだろう。俺はまだ、確かに氏族のすべてを知り尽くした訳でも見尽くした訳でもない。けれども、今は、氏族という世界を見てみたい。確かにそう思っている。

 あの少女は、必ず戦士になるだろう。誰よりも気高く、そして誇り高き戦士に。


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