Infinite Stratos First Complete Session   作:石狩晴海

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IS8巻 黒鍵編/ワールド・パージ(前)
第一話:日々の明暗


 夢を見ている。

 海も空も淡く輝く白い世界。ここはいつかの砂浜。

 少し離れた波打ち際には、今にも消え去りそうな気配の薄い人がいた。片膝を立てて座り込んでいる彼女は、白い鎧を身にまとっている。

 波音ごとに脚甲が海水に浸る。

 白い女性騎士はよく知っている誰かに似ていて、とても放ってはおけない気がした。

 俺は急いで駆け寄った。彼女に近づいたぶんだけ、足下の小波がばしゃばしゃと砕ける。

 顔の上半分を隠すアイシールドによって、女性騎士の表情はよくわからない。ただ口元はきつく結ばれ、なにかに耐えているようすだった。

 俺が気遣いの言葉をかける前に、女性騎士が立ち上がった。

 どうやら大事にはなっていないみたいだ。緊張が緩み、安堵の息を吐く。

 女性騎士のまっすぐに伸びる背筋からは、輝くような(しん)の強さを感じる。

 俺も彼女のような強さが欲しい。彼女に守られるばかりじゃなくて、俺が誰かを守りたい。

 憧憬を込めて見つめる。

 不意に彼女が俺の背後を指さす。

 既視感を覚えながら振り返った先に女の子が倒れていた。白いワンピースを着たあの子だ。仰向けなので窒息はしないだろうが、身体半分を海水に浸しているから波に転がされるかもしれない。俺は慌てて女の子に走り寄り抱き起こす。

 上体を起こした時に、首に掛けられていた大きな麦わら帽子が外れて波の上に落ちた。帽子は気にせず、まずは女の子の呼吸を確かめる。口元にかざした手のひらをさする程度の小さな吐息がくすぐった。

 ……よかった。無事だ。

 今度は俺が深く息を吐き出した。

「あなたは、なにを欲しますか?」

 いきなり女性騎士が問い掛けてきた。

 俺は女の子を抱えて立ち上がり、以前と同じ答えを返す。

「みんなを守れる力を」

 腕の中の女の子のように、仲間を助ける力が欲しい。

 俺はみんなが平穏無事に過ごせる世界を守っていきたい。

「あなたは本当に誰かを守りたいのですか? それは、誰かから守られたくないという願望の反転ではありませんか?」

 白い女性騎士が淡々と紡ぎ出す言葉に硬直する。

 俺の願いが特別にすごいことじゃないのはわかっている。

 でも騎士が言いたいのは、そんなありふれたことへの糾弾じゃない。

 理想を、願いの根本を、自身の立ち位置を取り違えていないかということだ。

 

 姉に守られることが嫌だから、別の誰かを守ることで姉を否定したいのではないか?

 

 白い騎士は固まっている俺から女の子を引き取ると、背中を向けた。

 女の子を抱えた騎士が沖へと歩きだし、その姿は霧に包まれ輪郭を失ってゆく。

「彼女が変調しつつあります。自分が行く道に、迷わず進むことを……」

 彼女の物言いは常に冷淡だが、去り際の言葉は少しだけ負の感情がみえた。

 それは願いどころか、俺の存在が醜いほどに受動的で寒々しいほど主体性がないと、切って捨てられた気がした。

 完全に二人の姿が消えても俺は一人砂浜に立ち続けた。

 持ち主に忘れられた麦わら帽子が、波打ちの拍子に合わせて、海水に浸る俺の足に何度もぶつかった。

 

 

 目を覚ましたら、IS学園寮の自室だった。

 ベッドの中で微睡みながら、俺が何者なのか一つずつ確認する。

 名前は織斑一夏。歳はこの前の九月に誕生日が来て16になった。世界で唯一特殊パワードスーツISを扱える男として、特別に女性しか居ないこの学園に入学した。

 ……さっきまで、不思議な夢を見ていた気がする。内容は詳しく思い出せないが、とても苦しく痛みを感じる夢だったような。

「今更状況に対するストレスでも受け始めたのかな」

 周囲に誰一人として同性の居ない生活は予想以上にきつかった。それでもなんやかんやとイベントがあって気が紛れていたのだろうか。

 ドンドンドンドンッ!

「一夏、朝練の時間だぞ! 昨日、一緒にやると約束しただろう。早く起きろ!」

「起きてるよ。直ぐに出るから先に行っててくれ」

 ドアを激しく叩く幼馴染みに返事をして、ベットから飛び出す。いつぞやのようにまたドアを壊されたら堪らない。

 そうだ。周囲へのストレスとかそんな軽いものじゃない。この学園に入ってからずっとこんな調子だ。これが俺の当たり前の学園生活なんだ。立ち止まっている暇なんて無い。やらなきゃいけないことはたくさんある。

 さし当たっては、俺を起こしに来た箒の機嫌を損ねないよう、急いで朝練の支度を整えよう。

 

***

 

 IS学園。世界唯一のISパイロット育成機関である。

 その専用アリーナで、二機のISが高速で交差する。織斑一夏の白式と凰鈴音の甲龍だ。

 IS学園一年の専用機持ちたちは、授業後にアリーナをリザーブして自主訓練を行っていた。今は時刻も過ぎて日暮れが近づき、訓練の最後にと模擬戦を行っているところだった。

 一夏と鈴という組み合わせは、純粋に専用機持ち組で決めたローテーションによるものだ。二人以外の代表候補生たちはアリーナの管制室から観戦している。

「ほらほら、どうしたのよ。全然そっちから仕掛けてこないじゃない」

「なんか知らないけど、白式の調子がおかしいんだよ!」

 鈴の挑発に一夏は焦りを叫び返す。

 確かに白いISの動きはどこかぎこちない。衝撃砲を回避するランダム機動も切り返しの速度が鈍いのか半呼吸分止まってしまう。そこを不可視の砲弾に狙い撃たれ、シールドエネルギーを奪われてゆく。なんとか身を捩り機体の芯を外して致命打にはなっていないが、いつまでも保つはずがない。

 一夏にはもう後がない状況だ。

「言い訳なんて見苦しいわよ!」

「くっ、なんとか反撃しないと。いったいどうしちまったんだ、白式!」

 一夏は右手の≪雪片弐型≫を展開装甲させて≪零落白夜≫を発動させる。

 しかし常に意識を振り分けていないと≪雪片弐型≫は元に戻ってしまう。

 せっかく一年四組の更識簪に調整してもらい、エネルギー効率が向上して発動時間が延びたのに、原因不明の不調から連続での使用が阻害されている。

 一方甲龍は直近のアップデートで衝撃砲の出力調整と連射速度が向上していた。それをテストする意味もあり、今日の鈴は砲撃主体の戦い方だった。

「これで終わりよ!」

 鈴が勝負を決めるために、攻勢を強める。

 衝撃砲の足止めから≪双天牙月≫に続く必殺攻撃。鈴の必勝パターンだ。

 第三世代武装の衝撃砲≪龍咆≫は、砲身も砲弾も目視出来ないという最大の特徴がある。しかし、それを扱うのが人間である以上どちらに砲門が向けられているのか相手に悟られてしまうこともあった。砲弾が見えずとも射線を読み避けられるのである。

 当然、鈴もそんなことはとっくに承知している。対応としてISのハイパーセンサーを使って自分の顔が向いていない方向への砲撃を行うなど、工夫を凝らし運用のノウハウを蓄積してきた。

 今回は動きの鈍い白式の周囲を旋回しつつ、衝撃砲を横手に打ち込こんでゆく。旋回円の中心に居る白式の脚を完全に殺しにかかる。

「≪雪羅≫保ってくれ!」

 一夏は下手に避けるよりも、左の多機能武装腕(アームド・アーム)≪雪羅≫のアンチエネルギーシールドで守りに入った。

 もちろん、それだけでは勝てない。

 チャンスを窺い瞬時加速(イグニッション・ブースト)で甲龍の旋回軌道に割り込み、≪零落白夜≫での逆転を狙う。

 こちらが動きを止めれば、鈴は≪双天牙月≫での近接攻撃か投擲を行ってくるはずだ。

 一夏は精神を集中させ、相手の動きを注意深く見定める。

 甲龍がその機動をわずかにずらした。衝撃砲以外の攻撃をするための準備だ。

「今だ!」

 ≪雪羅≫のシールドモードを解除。瞬時加速(イグニッション・ブースト)と同時に≪零落白夜≫発動。起死回生のチャージアタックを仕掛ける。

 しかし……、

(これもダメなのか!?)

 ハイパーセンサーで加速された思考で、瞬時加速(イグニッション・ブースト)の出力が足りないことを知る。

 白式の不調がこんなところにまで影響を及ぼしていた。確かに加速している。機体は高速で飛び出している。

 だが、距離が短い。速度が足りない。

 目標とする位置までわずかに時間が掛かる。時間にして0.5秒も無い。ほんの少しの隙間。だがISの戦闘では十分な間隔。

 これでは鈴に撃墜してくれと進み出ただけだ。

「なによそれ。そんなにやられたいなら、お望み通りにやってあげるわ」

 鈴が両手の≪双天牙月≫を構える。

 このまま一夏は彼女に首を差し出すままなのか。

 いや、

「まだ、だぁっ!!」

 一夏はフローティングユニットのスラスターを全開にして、二段階瞬時加速(ダブルイグニッション)で突き進む。

 足りないのであれば継げばいい。届かないのなら伸ばせばいい。

 一夏は全身の力を振りしぼって飛ぶ。

「そんな無茶な!?」

「いくぜ、鈴!」

 不調により≪雪片弐型≫は≪零落白夜≫を閉じてしまっているが、かまわず振り抜く。

 鈴は交差した≪双天牙月≫で≪雪片弐型≫を防ぎ弾いだ。

 これで甲龍の足止めだけは出来た。

(これ以上試合を長引かせることはできない。それなら)

 一夏は隙を見逃さず≪雪羅≫をクローモードにして甲龍に掴み掛かった。

 ここから間合いを離されずについていかなければ、また衝撃砲の嵐に晒される事になる。今日の満足に動けない白式で勝つには密着からの一撃しかない。

 執念実ったのか、≪雪羅≫のクローは甲龍の本体こそ外したが≪双天牙月≫の刀身を捕まえた。

 この状態なら≪零落白夜≫の発動も問題ない。

 ただ右腕を突き出すことだけに注力する。

「いっけぇぇ!」

「甘いわよ。≪龍咆≫、最大出力ぅ!」

 白いブレードが甲龍に触れる前に、至近の衝撃砲が撃たれた。

 

 模擬戦の結果、一夏の負け。

 

 

「おりむー、ゆー、るーず」

「あはは、どうも」

 シャワーと着替えを終えた一夏がアリーナ付きの作業室に入ると、クラスメイトの布仏本音が祝福(?)してくれた。

 一夏はどう返事をすればいいのか解らず、苦笑いになった。

 その本音の後ろ、ひとり作業台に陣取りメカニカルキーボードと空間投射モニターに向き合う少女に声をかける。

「白式の方はどうなんだ?」

「前から言っているけど、全てを他人任せにせず少しは自分でメンテナンスすることを覚えたら……」

「えっと……」

「そうすれば今日みたいなことは試合前に対処できて、違う結果になったかもしれないのに……」

 眼鏡をかけた少女は振り向きもせずに言葉のナイフで一夏のメンタルを攻撃してくる。

「うぅ……。じょうだんがきついなあ」

「冗談なんかじゃ……、ない」

 容赦ない追撃にわずかながらの反撃を試みる。

「ほ、ほら。俺は簪を信じているからさ」

「それは私への信頼じゃなくて、織斑くんが怠けているだけ……」

 クロスカウンター、ヒット。

 本音が制服の余った袖を振って謎のダンスに興じる。

「おりむー、ゆー、るーず」

「いや、そういうのはもういいから」

 模擬戦でも負け、ここでもいじられてへこたれそうだ。

 しかしこんなことで落ち込んでいる暇はない。

「俺が色々足りないのはわかっているよ。でも簪を信じているのは本当だぞ。信じてなきゃ、いの一番にメンテナンスを頼んだりしないって」

 背中を向ける少女の手が一瞬だけ止まる。

「確かにこれは重大な問題……。私も搭乗者から詳しい状況を聞きたいところだったし……」

 更識簪は何事もなく作業に戻り、最後のチェックを進めてゆく。

 一夏は模擬戦の後、汗を流す間に簪に白式のメンテナンスを頼んでいた。

 鈴との模擬戦で出た不具合は初めての経験だ。ISについて勉強しているとはいえ、まだ半年たらずの自分よりスペシャリストに頼むべきだと感じ、信頼する人物に頼んだのであった。

 期待に応えるように、キーボードを打ち終わった簪が一夏に振り返った。

「いい、よく聞いて……」

 簪が作業台に乗せられる織斑一夏の専用IS白式を指さす。

 白式は今、待機形態ではなく全部位が展開された状態でハンガーラックに飾られている。こうして自分が身に着けていない状態の白式を見るのは、どこか新鮮な感覚だった。

 一夏は初めて白式を見た時のことを思い出した。アリーナのピットで出会ってすぐにフィッティングもままならずセシリアとのクラス代表戦に出されたことだ。

 この白い騎士鎧とは、そんな右も左も解らない時からの付き合いになる。

 思えばあれからもう半年以上が過ぎている。あの時とは形がいくらか変わってはいるが、白式は一緒に幾度もの窮地を乗り越えた大切な相棒だ。

(どこか悪いのなら、しっかりと直してやらないとな)

 

「このISに不備なんてどこにも無い……」

 

 冷静な簪の言葉は、一夏の感傷を消し飛ばすものだった。

「そんなわけないだろ。今までとは全然動きが違ったんだぞ」

「うん、確かにそうだった……。私が見れたのは模擬戦だけだけど、不調なのはすぐにわかった……。だから状況を操縦者に詳しく聞きたい。自主練が始まった時はどうだった?」

 簪は一夏の報告をレポートに纏めるつもりなのか、浮遊キーボードを呼び出して構えた。

 一夏も居住まいをただし、今日の訓練を思い出す。

「最初の空中機動の練習中は普通に動いていた。むしろ調子が良かったぐらいだ」

「その後は?」

「射撃練習になって、シャルからライフルを借りて使った」

「機体状況と、命中率は?」

「ここまではきちんと動いていた。ちゃんと的にも命中したぞ」

「具体的なスコアを教えて。でないと正確に診断できない……」

「それって白式のレコードから解らないか……?」

「……どうして搭乗者本人に聞き込みをしているとおもう?」

 最近の簪は強気になったなと思いながら、一夏は散々たる命中精度を報告した。

「左腕が実弾じゃなくてパワー任せの荷電粒子砲になった理由がよくわかる……」

 さらに加えて今日はサディスティックな感じがする。

 彼女が不機嫌になる理由があるのかと考えをめぐらせる。

 思い当たるとしたら一つだけ。

(白式に対する感情に整理がついていないのか?)

 簪の専用機である打鉄弐式が完成したといっても、まだまだ組み上がったというだけだ。

 本来ならこれから実働試験が数限りなくあり、簪はとても忙しい身のはずである。日本の第三世代ISの開発を邪魔した一夏の白式が、ここでも脚を引っ張ってくる。怒りを覚えるのも無理はない。

(あ、もしかして俺。やっちまった……のか?)

 今更ながら簪に頼んだのは迂闊な行動だったと反省する。

 ちらりと簪の様子を窺うが、表情薄くキーボードを打つだけで内心はなかなか読みとれない。

「本当に、この子の不調は模擬戦からなのね……」

「あ~、あのさ……」

「なにかしら?」

「こっちからお願いしたことだけど、打鉄弐式の整備もあるだろ。簪が見て問題ないなら、ここまででいいよ。ありがとうな」

 一夏のしおらしい態度が珍しいのか、簪が胡乱なものを見る目を向けてくる。

 少しの間腕を止めていた簪が、大きくため息を吐く。

「……ここまできたなら最後までやらせて」

「そうか。じゃあ、頼む」

 一夏には簪に変わりうる人物に心当たりがない。やってもらえるなら続けて欲しいのが本心だった。

 簪もここしばらく白式のメンテナンスを行い、少なからずの好奇心と愛着を持っていた。なにより今回の白式の不調が整備不良ではないことを証明したいという自負もあった。

 こうして二人でぎこちない笑顔を向け合う。

「飲み物持ってきたよ~」

 本音が給仕の役を務めてくれたので、一息入れることにした。近場のディスペンサーからペットボトルを運んできただけなのだが、今はあまり働かない付き人に感謝の念を送っておく。

「おかしな動作は時間の経過か、白式本来の武装を使い出してから……」

「でも白式に異常は無いんだろ」

「それはこうしてハンガーに吊した場合での話……。織斑くんの話からすると、システムが動的な状態での問題ということになる……。……やはり変更したエネルギー配分に問題があるの?」

「それは俺も考えたけど、動かし始めた直後は逆に好調だったんだぜ。使っているうちに段々と前の状態に戻っているような感じというか。今までよくあった≪零落白夜≫のエネルギー切れが全身にきたみたいな感じでさ。白式は動き続けているわけだから、エネルギー切れが原因じゃないし。稼動限界時間が延びているはずなのに、おかしいよなあ」

 簪のディスプレイを兼ねる眼鏡がピキンッと、輝いた。

「……そこね」

 作業台に向き直った簪が立体キーボードを展開させて、両手足から激しいタイプ音を奏で始める。

「ISの構成条件って、知ってる?」

「えっと、コアとIS乗りと機体そのもの。この三つだろ」

「でもねISはそのほとんどをブラックボックスであるコアに依存しているの……。背部のフローティングユニットだって独立しているように見えてるけど、領域連結(レイヤード)でコアが完全に制御しているから独自浮遊できているわけだし……」

「そりゃ、飛んでる最中に背中から自分のスラスターがぶつかってきたら嫌だからな。第三世代のISは全機フローに武装が付いているし。それがどうしたんだよ」

「武装にも機体にも、そしてパイロットにも異常がないなら、残るは一つ。……原因発見」

 簪が見つめるモニターに膨大な量の文字数字が現れては消える。

 横から見ている一夏にはさっぱり内容が解らない。じっくりと読解すれば違うかもしれないが、今は緊急性を重視して簪に頼んでいるから後回しにする。

「思考命令とエネルギーがコアを経由したところで大幅に減衰されてる……。不調の理由は、コアが過剰に活動していること……」

「コアって、簪がいったとおりISの根幹なわけだろ。それがよく動くのにどうしてダメになるんだ?」

 腑に落ちず一夏は首を傾げる。

「エネルギー配分でコアに割り当てる量を減らされたから……」

 説明しながら簪の言葉尻が萎み、落ち込んでゆく。原因が自分の作業にあったからだ。

 一方、一夏は整備担当の気落ちなどどこ吹く風と笑いかける。

「さすが簪だな。まかせて正解だったよ」

「……怒らない、の?」

「白式のエネルギー配分が無茶苦茶だったのも、メンテナンスまで手が廻らないのも、俺がまだまだ未熟なせいだろ。色々と面倒見てくれる簪には感謝しきれないんだ。こっちから頼んだことなんだし、怒るなんてできないよ。むしろ、どうして配分を間違えたのか不思議なぐらいだ」

 明け透けな信頼に簪は苦笑する。

「さすがにそれは言い過ぎ……。それでも言い訳させてもらえば、他のISでは問題にならない分配でも白式には足りなかったってこと。見たところアビリティ発動時には二倍以上必要みたい……」

「直せるか?」

 カチャカチャカチャカチャ、ターン!

「これで調整し終わったわ。前ほど効率はよくないけど、動かなくなることはないはず……」

「さすが簪先生。お見事!」

「ちゃ、ちゃかさないで……。それに問題はこれだけじゃない……。今の測定だと倉持からの仕様書ともエネルギー必要量が変わってる。形態変化の影響もあるし、一度オーバーホールと精密検査をしたほうがいいと思う……」

「ともあれ、これで今日みたいなことはもう起きないんだな。サンキュ、助かったよ。大掛かりな整備に関しては、今度のバトルロイヤルが終わってからだな」

「今日の委員長会議も、その話だった……。ここから学科分けが始まるから、みんな好成績を残したいだろうし。急いでやって調子を崩すよりは……」

 二人が気にしているのは年末に控えるイベントだ。

 4月から半年間分の成果を見せ合う学年別のIS混戦。

 これは簪が言うように、二年への進学で行われる操舵科と整備科への前準備を兼ねている。年末のバトルロイヤルは、学年の中でクラスを超えてチームを集め出場することができる。その肝は、これまでにあった試合形式に加えて戦闘中にピットインが可能であることだ。さらには生徒だけでISの事前整備から戦術の構築までを行う。

 これによりピットエスケープを利用した立ち回り、応急修理や補給される武装とエネルギーを見越したペース配分など、より高度な戦術戦略が展開できるようになった。チーム内で操縦や整備などの分担を行うことで、自分の適性や進路を鑑みる機会にもなっている。

「織斑くんはチームどうするの? 白式で出場するなら、整備担当を立てるよね。この件は機体の仕様に関わる重要事項だから、私から担当する人に説明しておいたほうが良いと思うんだけど……」

「黛先輩にお願いしたいけど、ピットクルーは同学年に限られているからなあ。……ちらっ」

「………………、ぷいっ」

「さすがに無理っすよねー……」

「おりむー、ゆー、るーず」

 敗者を慰める本音ダンスは本日もゆるゆるだった。

 

 

 簪は整備の終わった白式を一夏に渡して、作業室の片付けをする。一番の重労働は邪魔になる本音を部屋の外に放り出すことだった。一夏も手伝いもあり、片づけを手早く終えて部屋を出る。

「戸締まり、よしっ……」

「簪はまだ寮に戻らないのか?」

「姉さんに呼ばれてるから……」

「帰りが遅くなるなら、俺も待っていたほうがいいかな?」

「大丈夫。それこそ姉さんもいるし……」

「それもそうか。じゃ、また明日な」

「……またね」

「うん。ばっいばーい」

 簪は一夏に別れの挨拶をして、廊下に転がって手を振る本音の回収を試みる。

「ほら、立ってよ……」

「かんちゃん、かんちゃーん。おんぶしよ、おんぶ。昔みたいにさー」

「変なこと言わないで……。立たないなら置いていくよ」

「それじゃ、あたしがするー! かさかさ」

「ひっ……!」

 簪の足下に高速で這いずった本音が、勢い良く立ち上がった。

 背中に幼馴染みを載せた本音は、普段の言動から想像できない機敏さで走り出す。

「しゅっぱ~つっ!」

「きゃ~~~………………!」

 どどどどどど、ききぃぃぃ~~~!

「とうちゃ~くっ!」

 階数にして3階分、廊下は100m以上距離のある生徒会室までをあっと言う間、のほほん個人タクシーの快走だった。

 簪は青い吐息で本音の背中から降りた。

「も、もう。ふざけないでよ……」

「かんちゃんのISと比べてあたしの乗り心地はどうだった? ねえ、どうだった?」

「人とISを比べられるわけないじゃない……。あっ……」

 下からのぞき込んでくる幼馴染みの付き人が期待の表情をしている。それで気付く。

「ごめんなさい。私も織斑くんのこと、鈍感とか言えないよね……」

「わかればよろしい」

 本音が意外とふくよかな胸を張る。

 彼女とは幼い頃からの付き合いだが、IS学園に入学してからは半年以上も疎遠にしていた。日本製第三世代型専用機の作製を理由に、開放型の引き籠もりをしていた簪は本音を遠ざけていたのだ。ISと人を秤にかけて、自分の世界に逃げていたのは自分の方。

 しかし本音は簪の謝罪を受け当然のように不問に伏してくれた。

(やっぱり本音はすごい……)

 姉更識楯無へのコンプレックスから意固地になっていた自分とは懐の深さが違う。

 彼女の闊達さに小さな頃からずっと助けられている。

「それじゃ、握手で元通り」

 本音が袖から手を出して、握手を求めている。

 これには本気で驚いた。

「……いいの?」

 そこまでして……。

 簪は彼女が自らの手を快く思っていないことを知っている。わざわざ袖の長い制服を着ているのには理由がある。

「うん。だからかんちゃんも前みたいにしようよ」

「わかった……。でもそろそろちゃん付けで呼ぶのはやめて」

「それはダメ~。だって仲直りしたんだから。かんちゃんもあたしのこと昔みたいにほんちゃんって呼んでいいんだよ」

「呼ばれるのも、呼ぶほうも恥ずかしいよ……」

「仲が良いのは結構ですが、いつまでそこに居るつもりですか。早く席にお着きください」

 生徒会室の扉を開けた布仏虚が、握手した手を振りたくる二人に冷たい視線を向けていた。

 虚は入室を促しつつ、すれ違いに一言。

「簪お嬢様もあまり本音に流されないよう願います」

「ほら、怒られたじゃない……」

「お姉ちゃんはいつもあんな感じだってば」

 うつむく簪と普段通りの本音が二人掛けのソファーに座る。

 向かいにいるのは生徒会長であり簪の姉である更識楯無だ。手持ちの扇子を広げて笑顔で緩む口元を隠している。

 今日の扇子に書かれた文字は『交友』だった。

「う~ん。私は昔に戻ったみたいで嬉しいんだけどな~。こうして四人でいると入学する前を思い出すわ」

「だよね、だよね~」

「……………………」

 はしゃぐ二人を無視した虚は、無言で人数分のお茶を注ぐ。

 動作は静かだが威圧感は強大だ。

「久々に虚のサイレントアタックを受けたわ」

「は、はやくすませちゃお……。外も暗くなるし……」

 更識姉妹は膝突き合わせてお題の準備をする。

 ISのヘッドパーツを装着し、浮遊キーボードを操作して生徒会室のセキュリティーレベルを調整した。

 全員が着席すると、楯無が扇子を閉じて神妙な顔付きになる。

「それじゃ、この会の言い出しっぺである私からね。まずはアイだけど、望みが薄いわ。反応はするみたいだけど、制御マシンを送り込める状態にまで行動してくれない。強引にやっても他の子たちとの折衝が面倒臭くなるから、ここまでかな」

「あの方法は内臓の負担が大きすぎます。わたしは以前より反対でした」

「だからこの前わざわざ大技を使ってまで施術受けるの誤魔化したんじゃない。流石にずっと生理痛なのは辛かったから、継続はしないわよ。でもさ……」

 姉の意図を知っている簪が赤い顔で俯く。

「水流操作と制御ナノマシンの話題を出しても、そ、その……。そ、そういう方の警戒が強まったわけじゃないんだよね……」

「接触による転位を想定していないのでしょうか」

「おりむーはうらっちの唾を知ってるよー」

「ほ、本音……! 今は名前を出しちゃダメ……!」

「う~ん。警戒心が強いってわけでもないんだけどね。やっぱり彼女が本命なのかしら? ひとまず、こっちからのアクションは控えめにしましょう。でも手を出されないことはわりとショックなのよねー。自信あったのになー」

「わ、私は教えてもらった時、本当に怒ったんだからね……」

「そうは申されましても、IS学園の生徒というのは、多かれ少なかれそういう側面もありますから」

「デュノアさんだけが特別じゃないのは解るけど……」

「まあまあ、本音にしてもらうよりまだ融通が効いたからいいじゃない」

「おりむーにんぎょうとかあったら、みんなに大人気だよね」

「それはやめて、おねがいだから……」

 簪は心に伸し掛かるストレスをため息にして吐き出した。

 温いの緑茶で唇を湿らせた楯無が小首を傾げる。

「裏にいる人達の意図が仔兎ちゃんたちから計れないのもすっきりしないんだよね。自作自演の英雄譚が目的なら、手段と立場が逆転しちゃってるし。それこそ“もう一度白騎士を引っ張り出せば済む”んだから、アイとは別に紅いのを用意する意味がない。紅いのを立てたいなら今度は白が邪魔になる。役割を奪い合うことになるからね。本当に何がしたいんだろう? だから、まだ奥や裏側に目指す場所があると思うんだけど……」

「姉さんが取ったエイチのデータを見たけど、判定が三段階上昇した理由が解らなかった……。ここまでくると、もうあのISがそういうものっていうぐらいしかない……」

「ISの相性判定というのは、思考とコアの量子連結度合いですからね。思考の分割や高速化などはIS開発当初から研究されていますが、即効性の増強法は確立していません。そんなものがあるなら、この学園の存在意義が失われます。紅の素性を考慮すれば、落とし所は博士の手腕というところでしょう」

 虚の言葉を受けて簪が小さく手を挙げる。

 楯無は首肯で発言を促した。

「それの関連で、……ついさっきだけど」

 目の前のキーボードをタイプして先程までのメンテナンス情報を再表示する。

 白式のコアが他のISより多くのエネルギーを必要としていること。それ以上に、制限された分配を無視し武装に動作不良があろうとも無理矢理必要量を確保する強引な構成など。白式に関する不自然な事項を伝えた。

 楯無の眉が寄り、皺が深く刻まれる。

「なにこれ? 前からバランスの悪い機体とは思っていたけど、白いのは欠陥品ってことなのかしら。紅の引き立て役として衆目を集めるためだけに……? でも、それだけのためにわざわざ男性をパイロットにして喧伝するなんて割に合わない。素直にブリュンヒルデ再誕にしておけば世界的な注目は集められるはず。次のモンド・グロッソも近いんだし。あ~、もう! 本当に博士関連は知れば知るほど意味不明になるわ! 根本的に情報が足らなすぎるのよね~……。元凶たちが一切合切を握っていて、全然情報が流れてこないし。一学期と夏をまるまる使った裏取りがなかったら、もっと後手に回っていたかも」

「その為の暗躍に、この会ですしね」

「わっるだっくみ~、わっるだっくみ~。やってたのしいわっるだっくみ~」

「ねじ込まれた代表候補生たちもいましたし、情報収集に徹したのは正解だと思います」

「まあね~。調べたからこそ、アイとエイチは黒幕の目的を知らないってことが解ったんだし。それが二学期から接触することにした一因なんだし」

「姉さん、言ってたよね……。一番最悪な想像図は……」

 

「博士とブリュンヒルデが二人への害意を隠していること。ISを纏った魔王なんて災厄を創り出しかねないことね」

 

「ISを一極一強の存在にさせぬよう、各国も戦闘用ISの開発を進めています。10年前の一方的な状況からは脱していますが」

「おりむーの方はせんせーが居るから大丈夫っぽいけど、もっぴーは不安だなー」

「臨海訓練の時……、酷かったよね……」

 たった数個の言葉で、彼女の性格がどれほど歪んでいるか知らしめられた。そんな異常性を抱えた人物から出される好意が真っ当であるはずもない。

「優しいお姉ちゃんが、初任給で壊れた通学用自転車の代わりを買ってくれたよ! そんな心温まる一般家庭のエピソードとは微塵も掠りもしないシロモノが誕生日プレゼントだからね。本人に自覚がなさそうなのも、困りものだし」

「紅に関して、学園側はできる限りの存在しないものとして扱うようです」

「これまでに確保したゴーレムタイプのコアと同じ扱いなんだ……。あっちは破壊されたって言い訳ができるけど……」

「出所も一緒だし、統括しているのはブリュンヒルデだし。抑え方を知った上でのおとぼけでしょう。大事になる前に博士からのアクションがあると踏んで、各国や委員会に頼って研究所送りになるよりも、動きやすさを重視しているんだと思うわよ」

「それって、これからもお祭りは続くってことだよね~」

「表に出るはずのない亡霊も『部下の離叛』なんて馬鹿馬鹿しいこといってるし。楽しい楽しい学園生活は、まだまだ続くわよ」

 楯無がもう一度広げた扇子で笑う口元を隠す。今度の文字は『狂乱』。顔は笑っているが、瞳の輝きは非常に好戦的な色をしている。

「紅の外側データも取れるだけ取ったから、次は今度のバトルロイヤルで組まれるチーム振りね」

「やっぱりやるんだ……。私の時みたいに……」

「お嬢様は本当に下衆ですね」

「ちょ、ちょっと二人とも、私一人を悪役にしないでよ! 専用機持ちに対するスパイ行為なんてありきたりすぎて、対応するのは簡単でしょ。むしろこっちは不明機二つしか眼中にないんだから安全すぎるぐらいだわ。できるのは、せいぜい本音にお願いすることぐらいよ」

「とーぜんあたしはせっしーの手伝いをするよー。だーいじょうぶっ! まーかせてっ!」

 自信満々の本音を余所に、楯無を見据える二人の視線は更に温度を下げた。

「今年は専用機持ちが多い上に、一組に5機も集まっている異常事態なんだからチーム分けの事前準備ぐらい手伝ってもいいじゃない。下手に員数振りで拗れると、専用機持ちだけど出場できないってことになりかねないわよ」

「誰かのため。体のいい言葉ですね。それにどうみても事前準備ではなく工作です」

「だからさー……。この会は更識のって最初に言ったじゃないの」

「もちろん存じております。あまりにもお嬢様が楽しそうでしたので、つい」

「白の方はバトルロイヤルが終わった段階で本格的に調査する予定がある……。私が頼めば主査ができるだろうし……」

「さっすが簪。手が早い! それならチーム構成を紅に片寄らせてもいいわね。ブリュンヒルデが白に介入したのは最初の一回だけだし、メンテナンスを邪魔されることはないでしょう」

「あ、その情報は初耳かも……」

「うーんと、今の簪にならいいかな。これは白のバックボーン情報よ。扱いはこの会以外でも最上位にしてね」

 姉の目が細く鋭くなる。

 簪は居住まいを直すと、聞き取ることに集中した。

「倉持技研は男性のIS適性発覚直後に専用機の開発を始めているわ。でも仕様が煮詰まらず一時頓挫して試作機作製を凍結したの。ここで一端計画は白紙になり、専用機製作の自体がなくなる。問題はここからよ」

「博士が絡んでくるんだ……」

「専用機のために用意されていたフレームを彼女が一時徴収。 “対象に最適のIS”として、ブリュンヒルデに渡したと言われているわ。

 

 パイロットがIS学園に入学する前に」

 

「……それはっ」

「白が初起動した日付けと、その初戦でフィッティングさせるなんて無理を通したことを考えると、戦乙女の焦臭さが浮き彫りになってくるわ。わたしがどうしてブリュンヒルデも監視対象にしているのか、わかってもらえたかしら」

「あの機体に触っている時、考えたことはある……。アイがISを動かせるのは自身が特別なんかじゃなくて、機体の方が特殊なんじゃないかって。あの子には色々他と違うところがあるから……」

「もっと言うとね。倉持技研はあの白騎士の解体と調査した研究所でもあるのよ。そしてこれらをリンクさせるキー情報が……。

 

 倉持は白騎士事件以前からある航宙作業機の研究所であり、その初代責任者は博士の縁者なの」

 

「あの技研は古くからブリュンヒルデと繋がりがあったんだ……。計画が仕様要求の段階で凍結されたのに、現物が存在する試作フレーム……。以前にその場所で解体されたISの原型機……。オーバーホールする時に書類に書けないチェック項目がたくさん増える……。整備する前に資料の更新を請求しようと思ったけど、無理かな……?」

「博士が白に手を出していても、対外的には倉持技術研究所の作製だから少しは情報を引き出せるはずよ。あそこは博士よりもブリュンヒルデ側とみなしていい。直接渡された機体を技研製ってことにした程度には寄っているわ」

「パイロットが製作側からのフォローがまったく無いっていってたけど、そういう事情だったんだ……」

「知っていると思うけど。今の所長さん、過去の因縁や周辺の確執で雁字搦めなのよ。白騎士事件以前は一介の研究員、普通の学者さんだったのにねー。IS開発の最先方って言っても、現状は第三世代の研究開発すら“させてもらっている”状態なんだし。追加であんたまで殴り込んだら泣いちゃうかもしれないから、あまりいぢめないであげてね」

「しないってば……」

 むしろ簪は現倉持所長に共感する立場だ。一時は腹に据えかねる怒りを覚えもしたが、内情を知っているから同情すらする。だからこそ、日本の第三世代開発に割り込んできた一夏に対して過剰なほどに反発したのだ。

(随分と、振り回されているよね……)

 それが簪の素直な感想だった。

 自分の環境だけに留まらず、多数の人間がこの半年以上の間に目に見えないIS関連の因果に巻き込まれている気がする。

 渦中にいるのは……、誰だろう?

 話題に出る四人の内、年長の二人と見るのが妥当なはずだが腑に落ちない。事の始まりは博士であり、白騎士とブリュンヒルデの関係は疑いようがない。しかし彼女たちは一見協力しているようにみえて距離を置いているようにも感じる。明確に対立をしているわけではないが、情報通りの親友とは思えなかった。

 簪が考えをまとめながら飲み干したお茶を、虚がさりげなくおかわり確認。首を振って断った簪に、給仕が別の差し入れを出す。

「白のオーバーホールを理由にして技研に持ちかけるのであれば、お手伝いいたします」

「ううん。それなら弐式のデータだけで足りると思う……。元々弐式は倉持のプロジェクトだったんだし、こっちも損をしないやり取りで済ませられるからひとりで大丈夫。本当に裏の情報があるかもわからないから、今はまだ正攻法でいきたい……」

 彼らが本来作成するはずだった打鉄弐式。

 弐式は存在するだけで倉持に対する強力な武器になる。製作者である簪の発言力はどれほどのものになるだろうか。

 諸処の背景も含め、現在技研の立場は相当に弱い。簪個人ですら押せるほどだ。そんな所が重要な機密を隠している可能性は低いが、暴くだけの情報を持っているとしたら、その守りは技研ではなくブリュンヒルデが担っているはず。

 倉持に対する交渉カードは持っているが、真に相手にすべきは彼らではない。博士とブリュンヒルデへの対抗策が必要だ。打鉄弐式は心強い力だが彼女らを相手取るには武装が足らなすぎる。そのために白を全点整備して手札を増やしたい。彼のセカンドシフトが7月なのだから、公式なバックアップ場所である倉持にも多少のデータが蓄積されているはずだ。

 技研が出した公式の資料がどれほど更新され、現物と齟齬がいかほどなのか。なにより白がこの学園に送られてからパイロットに渡されるまでに何が行われたのか。

 真相を探り出す糸口として、技研を攻めよう。表側の情報なら戦乙女も介入してこないと姉も予測している。

「まずは真正面からでいけるはず……」

「バトルロイヤルの仕込みは私がやるわ。チーム分けに関しては何も指示を出さないけど、簪もこっちを気にしなくてもいいからね。“私が簪に合わせる”から」

「……わかった」

「対技研じゃ私よりあなただしね。期待してるわよ」

「かんちゃん、がんばろうね! もちろんあたしも手伝うから、いっしょにおりむーを剥いちゃおう」

 声をかける二人と静かに微笑む馴染みの付き人。彼女たちの暖かい支えを受けて決意する。

(みんなと一緒になって頑張ればきっとできる……!)

 相手は全景が見えないほど巨大で強大な存在だ。とても弱い自分が敵うとは思えない。

 それでも決して負けはしないと、胸の奥から熱い何かが止めどなく湧き出る。

 この力の存在を教えてくれた彼に恩返すために、簪は己を奮い立たせた。

 

 

 生徒会室を出て、本音と二人で廊下を歩く。

 簪は片付けを申し出たが、姉二人に(物理的に)追い出されてしまった。放り出された廊下は、夜の世界だった。とっくに下校時間は過ぎていて、廊下の灯りは消されている。当然窓の外も闇に落ちていて、外にある街灯の光だけが頼みだ。

 距離を空け拡散された淡い光量はとてもぼんやりとしていて、モノの輪郭を浮き上がらせる程度しかない。

 晩秋を控え日中がますます短くなっていることを実感する。

 薄い闇の中を幼馴染みと二人で歩く。静かだったのはほんの少しの間だけ。すぐに本音が楽しそうに鼻歌を始めた。

 姉に持たされた寮の門限延長証明を手に、簪は今日の出来事を振り返る。久々に姉と長く対面した。思ったよりも自然に話せたと思う。事前の共有情報も貰っていたし、わずかでも会までの時間があったことで、自分の中での区切りをつけられたのも大きい。更識楯無は妹の感情を沈静化させる方法をよく知っていた。

(気にかけてもらえるのは嬉しいけど、守られるばかりはイヤ……)

 そして姉は、この気持ちを我侭で終わらせないための道筋も示してくれた。

 今後の予定に倉持技術研究所へのアプローチを加えて、頭の中でスケジュールを組み直す。

「織斑くんチームへの参加はどうやっても無理だよね……。たぶん自分のことだけで手一杯になる……」

「かんちゃんこそチームはどうするの?」

「クラスのみんなに頼んでみる。もとからこういったチーム作りを見越してのクラス分けでもあるんだし……」

「あたしたちのところは集まりすぎだよねー。パイロット枠じゃなくてクルーの方が取り合いになっちゃうよ」

 本音は笑っているが、一組の中だけで5機ものISを支えるのは至難だ。しかも内2機は色々と特殊過ぎる。果たして生徒だけで運用できるのかも怪しいところだ。

 となれば……、

「どれだけ他のクラスから腕のいい人を引っ張ってこれるかなんだけど……」

 一組と同じく専用機持ちが居る二組だが、意外に結束が固い。代表候補生である凰の気質もあってかクラス全員で仲が良いのだ。中心人物の凰が、いわゆる“専用機持ちによる織斑一夏独占問題”から一歩引いていることが効いている。クラスが違うことで適度な距離感を得ていたようだ。一組専用機持ちたちに真正面から喧嘩を売る胆力に加えて、容姿もかわいいと人気である。二組の人間を引き抜くのは難しいだろう。

「三組は特別気になる人がいないし、うちのクラスの主力は渡したくないし……。やっぱり自分のことだけで精一杯だね……」

「あはー。ここは素直にお姉ちゃんたちに任せようよ」

 向かい合い後ろ歩きしている本音が言う。

 その通りではある。

 姉からは手元の仕事に集中しろと言われたが、やはり他の参加チームが気になる。とはいえ、手が足りない。チーム采配に回す時間が無い。なにもできない自分の未熟さに打鉄弐式を作製していた時のような焦りを覚える。無力感にせき立てられて、意味も無くじれる感じだ。

「かんちゃん、かんちゃん。考えすぎはダメダメだぞ」

「でも……」

「ふっふっふ。そんなかんちゃんがちょっとだけ楽になるとっておきの秘密を教えてあげよう」

 幼馴染みがシャキーンと垂れ袖で斜め上を指す。

「実は候補生の中に、一人だけパイロット出場するつもりが無い子がいるのだー」

「………………あ」

 彼女か…………。

 該当の人物はすぐに思い当たった。

「整備科進級を希望しているし、ルームメイトのチームでメインチーフをするみたいだよー」

 なるほど。彼女の背景を鑑みれば予測できる行動だった。出場する専用機の数が減れば、クラス内でのクルー争奪戦を無くすことができる。

 だから本音は、先ほどの生徒会室でオルコットのチームに入ると言ったのだ。

「員数振りの大枠はもうできているんだ。こっちはこっちでちゃんとやるから、かんちゃんは気にしないで自分の役割に集中すること」

「わかった……。ありがとう、本音」

「いえいえ。どういたしまして、おじょうさまー」

「その言い方はやめて………」

 おどけた雰囲気に二人して笑い合う。

 姉が言ったように屋敷(むかし)に戻ったようでおかしかった。

 

 昇降口で靴を回収して、裏口から暗い外に出る。寮に向かう道も、ちょっとだけ違う。隣には今まで通りの付き人がいるのに、空気だけがいつもと違っていた。

「最近はかんちゃんもクラスに馴染んできてくれて嬉しいよ」

「うん……。雰囲気悪くしちゃったのに、気にしてもらえていたんだ……。最初は卑屈に受け止めちゃったから、この前クラウンズさんに強く怒られちゃった……」

 

『あなたが私たち四組のクラス代表なんだから。はっきりと自分を出しなさい!』

 

「弐式作製中も、それで専用機が完成するならって引いていてくれたみたい……」

「一年生はおりむーが好きな子が多いけど、組数が増えると好感度が低くなるのはおもしろい仕組みだねー」

「私のせいかな……」

「たぶんねー。あと単純に、いつでも話せる距離にいないからじゃないかな」

「そんな簡単なことなの……」

「かんたんだよー。逆にあまり会わなくても話しやすい人もいるけど。ほら、かんちゃんも最近はせっしーとよく話すよね」

「確かにオルコットさんとは話しやすいけど……。クラス委員会でもよく会うし」

 一年生の英国代表候補は、定量化できる箇所を確実に数値で出してくれるのでとてもわかりやすいのだ。さらに織斑一夏が生徒会所属となってからは、一組のクラス代表代理としても活動している。必然的に専用機持ちの中で一夏に次いで顔を合わせる人物になった。

 セシリアと一度昼食を一緒にした時は、休み時間が終わるまで暗記チェスに興じるほど。通常のチェス違うところは、駒がお互いの武装であるブルーティアーズと打鉄弐式であることだ。BT兵器とマルチロックオンミサイルを主軸に、本体の立体機動も絡めて延々と空間座標を暗算のみで応酬しあう二人は、端から見てさぞ不可解な会話をしていただろう。

「ああ言う風に他の人の弾幕パターンを簡単に知ることができたらいいのに……」

「かんちゃん、それ出せる方も受ける方も普通じゃできないからね。一年生の中だとせっしーだけじゃないかな?」

「BT兵器に関する情報のほとんどは、まだ未公開だしね……。二号機のパイロットが特定できれば、適応者の傾向も探れるんだけど……」

「あ、話をしてたらご本人と~じょ~」

 寮に戻った二人を待っていたのは、(くだん)のセシリア・オルコットだった。玄関に立ち両腕を背に回している。

「お帰りなさい。お二人とも。遅くまでご苦労様です」

「ど、どうしたの……? いったい……」

「実は一夏さんからお話を聞くに、レディのエスコートを一度断られただけで諦めた不甲斐ない紳士がいたようなので、少々心配しておりましたの」

 笑顔のセシリアに対して一瞬自分たちのような裏を想像するが、その暗い考えを振り払った。

(ちがう……。オルコットさんもクラウンズさんと同じなんだ。好意を疑ってどうするのよ……)

 彼女を否定してどうする。更識と彼女は関係無い。思考を切り替えないと……。

「日が落ちるのも早くなり、暗い中肌寒かったでしょう。とあるジェントルから大浴場の使用権を譲っていただきましたので、食事の前に存分に浴びるとしましょう」

「あれ? 今日の大浴場はおりむーの日じゃないの?」

 おそらく紳士が簡単に引き下がった理由はこれだろう。彼は普段から入浴好きと言っているし……。

「ええ、ですから。簪さんとのほほんさんのことをお話しましたら、当の紳士がとても、それはもう、とっても快く大浴場の利用日を譲ってくださいました。さすがの心の広さでしたわ」

 セシリアが笑う。英国の代表候補生が背に隠しているのは着替えと入浴道具だった。

 言うまでもないことだが、この学園に男性は一人しかいない。紳士が誰を指すかは、言わずともしれる。

(自分が大浴場を使いたかったから、私たちを理由にせしめたのかな……? それとも……)

「変則的で急な変更なので、“他の人間には知られておりません”。入られるならお早くいらしてくださいね」

 言うだけ言うとセシリアは大浴場に向かっていった。

「どっちだと思う……?」

「本音と建前の両立がスマートな淑女の条件なんだって」

 ちらりと時計を確認する。ずいぶんと遅い時間になっている。

「まだ夕食を取ってないって言ってたよね……。それに、こんな玄関先に立っていて寒そうにも見えなかったけど……」

「うん。せっしーはプライドを持ったかっこいいひとなのだー。存分に入るって宣言は、ゆっくり暖まろうってことだと思うよ」

 いつ帰ってくるかわからない二人に、寮長にも内緒の情報を渡すため……。

 セシリアも今日のクラス委員会議に出席していた。なので同席した簪が、その後も代表候補生たちの模擬戦観戦、白式の調査調整、更に生徒会への協力と、オーバーワークしていること知っている。

 純粋に簪を心配していたのだ。

(かっこいい、か……)

 それが戦う力だけで得られる印象ではないことを簪は知っている。

 なぜか頬が綻ぶのを止められなかった。

「でも、せっしーのことだから最初はおりむーと一緒に入るつもりだったのかも。断られたから体面を取り繕うためにこっちに声をかけてきたとか。ちらっと見えた替えの下着、えっちぃの2号だったし」

 ぴきりっ。

 本音の推論に、簪は全身の間接が固まる音を聞いた。

(……そっちでも本音と建前は両立できるよね。ダメよ、ダメダメ。信じることにしたのなら最後までオルコットさんを信じないと……)

 煩悶する簪の腕を、余り袖がさっと包んだ。

「ほらほら、せっしーからのお裾分けなんだから遠慮なく貰っちゃおう。お腹も空いたし早くいこうよ」

「ちょ、ちょっとそんなに引っ張らないで……!」

 

 第三世代IS作製という一事を成し終えた更識簪は、己を閉じこめていた重圧を払拭しIS学園での生活にようやく馴染み始めていた。

 

***

 

 IS学園に併設する生徒寮。学園の方向性から当然女子寮である。

 程よく例外がうろついていたりするが、基本女子の園なのだ。

 古来より女三人寄れば姦しいとはよく言ったもの。

 では妙齢の女性が一カ所に集まるとどうなるのか。

(よくもまあ雑談の種が尽きないものだ)

 それが同じ生徒であるはずのラウラ・ボーデヴィッヒの率直な感想だ。

 夕食時の学生食堂は、とても華やかな喧噪に包まれていた。今日は週末なこともあり、若干音量が大きめだ。

(いつになっても、この空気はむず痒いな)

 ラウラは和やかに談笑しているルームメイトの横でモソモソと食事をしていた。

 自分としては部屋で支給レーションをかじっている方が落ち着くのだが、食事の時間になるといつもシャルロットに有無をいわさず連れ出されてしまう。

 同室になった時二人で決めた約束事の一つに『できるかぎり一人でご飯を食べちゃダメ』というものがあるので強く拒否できないでいる。それさえシャルロット・デュノアが勝手に決めたことではあるのだが。

 別段この雰囲気を不快に感じてはいない。ことあるごとにシャルロットが『女の子なんだから』と言い聞かせてくるので、半ば洗脳されているのかもしれない。

 でもきっと、始まりはあの人の言葉……。

 

『お前はこれからラウラ・ボーデヴィッヒになるがいい』

 

 死ぬまで悩めとも言われた。

 最初は訳が分からなかった。

 だから、部隊会議を開いた。

 副隊長のクラリッサをはじめ黒兎隊の部下たちに状況を説明すると、なぜか膨大な量の行動指針を進言された。

 自分が女性で若輩なことを意識すること、好きな人間を嫁にすること、みんなで一緒に行動すること、かわいい小物を集めること、などなど。

 実行できていない項目も多いが、少しずつ自分が変わってきているのを感じている。

「ほらほら、ラウラ。あ~ん」

 唐突にシャルロットがフルーツを刺したフォークを出してくる。

 緩くフォークを振りながら笑う彼女を上目遣いで睨むが、まったく動じない。

 仕方なく……。そう目の前にフルーツがちらつくのが気になるので、仕方がなく噛みついた。この時のシャルロットがわざとフォークを遠のけるので、少し身を乗り出す必要がある。渋面のまま咀嚼し、イスに座り直す。

「や~ん、かわいいー」

「あたしも、やりたい! あたしも」

 たちまち周りの女生徒たちが騒ぎだす。

 ラウラは林立するフォーク群を吟味しながら無言で食べてゆく。

「ほーら、こっちだよー」

「むう。もう梅干しには引っかからないか」

「くらえ、必殺のビネガーサラダ。別名浅漬け!」

 シャルロットの解説によれば、不機嫌だけど付き合ってくれるところが良いという。

 さっぱり理解できないが、これはこれで少しは楽しいのでよしとする。

 IS学園に入学して、いかに自分が同世代の少女たちとかけ離れていたのかを知った。雰囲気に慣れないとはいえ多少の耐性は付いたし、彼女たちと積極的に関わりたいとも思う。

 しかし……、

「ジャーキーとかどうかな?」

「ニンジンの煮物が最強よ」

「マタタビが無いのが残念よね」

 

「………………いい加減にしろっ! 食事が終わらんだろうが!」

 

「きゃ~、解散! かいさ~ん!」

「つ、次こそは成功してやるんだからー!」

 今月何度目かの餌付け大会は、いつものようにラウラの爆発で終わりを迎えた。

 

 

 いくらかの妨害を乗り越え夕食を終えたラウラは、帰りしな寮の掲示版が更新されているのを見つけた。

「これは……」

 ロビーに据え付けられている多機能モニターの掲示板は、ISの世界大会である第三回モンド・グロッソ、そのスケジュールが決まったことを報せていた。

 中でもラウラの目を引いたのは、記事に貼られている写真だ。

 それは第一回大会での優勝者織斑千冬の戦う姿だった。

 写真は試合の一幕から切り取ったもので、燈と薄桃を基調にしたISを身に着けて大型の剣を振りかぶっていた。両手で握る剣はわずかに白く発光していて、ワンオフ・アビリティの≪零落白夜≫を発動させている。

 この頃のISは現在よりも領域連結駆動(レイヤード・ドライブ)や絶対防御に対する理解が低く、腰部接続のウィングや頭部をカバーするヘルメットが主流だった。千冬の暮桜も顔の上半分を装甲シールドで覆っている。

 懐かしいものが見れて喜んだラウラだが、同時にうまく言い表せない淀みを胸の奥に感じた。

 千冬に関する映像なら自分も大量に持っている。彼女が愛機を装着している姿は見慣れているし、珍しいものでもない。

 では何が引っかかるのだろう。

 自分でも確かと言えない感触に、ラウラの眉が歪んだ。

 その横にシャルロットもやってくる。

「いよいよモンド・グロッソが始まるんだね。でも、どうしたの? 難しそうな顔をして」

 ラウラは己の違和感を晴らす手がかりを得ようと、ポスターの千冬を指して問い聞く。

「なあ、これを見てどう思う?」

「どうって、昔の織斑先生でしょ。第一回大会のだから、僕たちと同じぐらいの年齢だよね。それに先生がISを装着した所を見たこと無いから、なにか不思議な感じがするよ」

 確かに実習で手本を見せるのは、いつも副担任である山田真耶の方だ。ラウラが覚えている限り、この学園の千冬は一度もISを身に着けていない。

 違和感の正体は、この見慣れない姿が原因か……。

 いや、ちがう。

 自分はブリュンヒルデの代名詞にもなっているIS暮桜をよく知っている。

 これは初めて見かけたものへの感慨ではなく、似たものを最近……。

 ポスターになっているような若い千冬が、暮桜以外のISを装着した場面をどこかで……。

 ラウラは急ぎ記憶を探りはじめた。

 静かに立ち止まる少女の脳内で、まるで映像編集作業の様に記憶が手繰られ、速回しで流れてゆく。自分が意識していなくとも脳が記録している画像を後から引き出し確認する記憶術の一つだ。正確に行うには優秀な記憶野と極度の集中力を必要とするが、それらを人為的に増強されているラウラ・ボーデヴィッヒには難しいことではなかった。

 そして編集作業は即座に終わる。該当する記憶は、本当に最近の出来事だった。

 

 一夏を襲ったあの強奪ISだっ!

 

 ラウラは弾けたように走り出した。

「ちょ、ちょっとラウラ!? 寮内を走ったら怒られるってば!」

 驚きの声を上げるシャルロットを置き去りにして、ラウラは寮長室を目指す。無論、怒られる為ではない。

(『ヴォーダン・オージェ(左目)』で見ていたのだから、あの程度の暗闇なんぞ無いも同じだったのに……!)

 あの時、一夏の誕生日パーティーの夜。一夏を襲った犯人の顔をラウラは目撃している。買い出しに出た一夏を尾行するために眼帯を外していたからだ。

 ISと連動する金色の左目は闇夜を見通す。まして襲撃者が銃を取り出した時にシュヴァルツェア・レーゲンを展開させているのだから、発動したハイパーセンサーのレコーダーにもはっきりと画像が残っている。

 襲撃者の容姿を覚えていなかったのは、一夏の尾行に集中していたからだ。

 好きな男を見ていたい。

 そんなふざけた理由で左目を使っていたなんて、恥ずかしすぎて言い出せなかった。

 すぐ後に左目を綺麗と誉められたこともあって、それ以上の追求を受けないよう、襲撃について自分からは問い詰められなかった。どうして眼帯の封印を解いていたのかと聞かれるのが恥ずかしかったのだから。

 しかし、そんな戯れ言では言い訳にもならない。

 自分は尾行の技術を学んでいる。暗視も出来る瞳を持っている。

 だからなんだ。それがどうした。

 やっていることは男に現を抜かす小娘と変わらないじゃないか。自分だから出来ると過信して、力に溺れているだけじゃないか。

「何が自分を見つけるだ……、ラウラ・ボーデヴィッヒになるだっ……!」

 そんな希薄な意識だから、もっと大切なことを忘れてしまうのだ。

 以前故国で千冬の指導を受けていた時、彼女が自分を通して別の誰かを意識しているような気がした。

 最初は一夏のことだと思った。だから千冬と強く繋がる弟の彼に激しく嫉妬した。

 それだけではなかった。彼女もいた。

 サイレント・ゼフィルスの操縦者。一夏を襲った、千冬とよく似た少女。

 あの少女は遺伝子強化体(アドヴァンスド)についても知っていた。自分の生い立ちを知る千冬との意外な接点だ。

 その繋がりは、自分が知り得ない場所で蠢く何ものかの胎動を予感させる。

 ラウラの中で様々な事項が繋がり始めていた。暗い不安を払拭させるためにラウラは走る。

 まずは織斑千冬に確かめたいことがある。

 

 寮長室に着いたラウラは走る勢いのまま乱暴にドアを開け放つ。

「教官! お話があります!」

「ひゃうぅ!? な、なななんですか!?」

 部屋にいたのは、書類に囲まれて食事をしている山田真耶だけだった。

 デスクを少しだけ片づけて空いた隙間に学食のトレイを置いている。仕事が押しているためか、個食の寂しいグルメタイムである。

「くそっ、ハズレか」

「あう……、なにか酷いこと言われているけど、要件があるなら聞きますよ。わたしも寮長ですから」

「いえ、質問があるのは織斑……、先生にですから。どちらにいらっしゃるかご存知でしょうか?」

「今晩はご実家に戻られると言っていましたよ」

「……ありがとうございます。失礼しました」

 ラウラは礼儀正しく頭を下げ退室しようとする。

 織斑宅の場所は知っている。シュヴァルツェア・レーゲンで飛べばあっという間だ。

 きびすを返したラウラの肩が、ガシィっとホールドされた。

「ボーデヴィッヒさん。すでに門限は過ぎてますし、外泊許可申請も受付終了しています。学園の外に出るのはダメですからね」

「しかし」

 

「 ダ メ で す よ 」

 

「………………了解しました」

 山田先生の柔らかな笑顔が逆に怖かった。

 出会った当初は弱気な人間だとばかり思っていた。春からの事件の連続で、この人もずいぶん強気になったんだなと思う。

「うん。わかってもらえてうれしいわ……」

 しょげながら食事と仕事に戻る様子を見ていると、過大評価かもしれないが。

 寮長室を出たところでシャルロットが追いついてきた。

「もお、そんなに慌てるなんていったいどうしたのさ。モンド・グロッソと織斑先生に関係することなんだろうけど」

「部屋に戻ったら説明してやるが、先にやることがある」

「どこいくの?」

「教官がいらっしゃらないのなら、目標を一夏に変更だ」

「へ? 先生に用事じゃないの? どうして一夏が」

 またも困惑するシャルロットを置いて、足早に寮の大浴場へ歩き出す。

 一夏の部屋より先に向かったのは、単純に寮長室からの距離が近いからだ。

 ラウラは一夏の利用サイクルを完璧に把握しているので、この時間大浴場にいる確率が高いことを知っていた。

 この利用日は中日数での計算で決められる。なので今回のように週末にも関わらず男子用の日になってしまうことがあり、一部の生徒たちからは改善の要求が出されてもいる。

(大きな風呂が使えない程度で何を軟弱な)

 ラウラは湯船に浸かるという行為が苦手なので、一夏の浴場独占には好意的なのだった。鈴には身体がお子様仕様と馬鹿にされるが、何のことかわからないので無視している。

 さっそく大浴場の前に来たラウラは、入り口に貼られている『本日男子用』のラミネート看板を無視して扉を開ける。

「入るぞ! 一夏、話がある!」

 しかし脱衣場に居たのは、意外な三人だった。

「ちょ、ちょっと、ラウラさん!?」

「きゃっ……」

「うらっちがでゅっちーに引き摺られないでここにくるなんて珍しいねー」

 湯上がり半裸の三人を、本音、簪、セシリアの順に見渡し目標がいないことを確認する。

「一夏はどこにいる? それになぜおまえたちが入っているのだ?」

「い、一夏さんは今晩からご実家に戻られていますわ。わたくしたちは代わりに使わせていただいているだけです。といいますか、なぜに先ほどの順番で胸元を見比べたんですの!?」

 バスタオルでガードを固めたセシリアが上擦った声を出す。

 しかし彼女の詰問よりも、ラウラにはもっと重要なことがあった。

(教官と一夏が同時に家に戻っている、だと……)

「快く譲ってくれたって、そういう事情があったんだ……」

「あれ? それじゃなんでみんなに解放しなかったの? 普通にお風呂使えたんだよね」

「そういう文句は本来の利用者におっしゃってください。本日の放課後にいきなり申し渡されたわたくしとしても悩みましたのよ。唐突に幸運が振ってきても、采配を正しく振るわねばよけいな混乱の元ですから。ですので、少数精鋭で挑むことにしたのです。これ以上山田先生の負担を増やすのもかわいそうですしね」

「せっしーの本音と建前(気配り)、かっこいー」

「ふふふ、どういたしまして。それは誉め言葉として受け取っておきましょう。ですが別段この幸運を独自に発見した人を拒絶するつもりもありません。利用されるのならどうぞご自由に。

 

 シャルロットさん」

 

 ん。どうしてここでシャルロットの名前が……。

 疑問を解消させる戦慄がラウラの背骨から脳髄を駆けめぐった。

 自分の背後に敵がいる。強大で恐ろしい地獄の使者に、最悪な場所と状況で追いつかれてしまった。

「それじゃあ一緒に入ろっか」

 肩越しに背中を見上げると、笑顔のシャルロット・デュノアがいた。ラウラを風呂に入れる気満々だった。

「ま、待て! 風呂に入るなら着替えやタオルを持てと、普段言っているのはそっちだろう! 今はそんなもの持ってないぞ。必要な装備が無いのであれば、ここは退却すべきだ」

「その程度のこと、わたくしが部屋からお持ちいたしますわ。ゆっくりとおくつろぎくださいな」

「くっ、セシリア。貴様……!」

 助け船どころか、追い打ちに原油漏れタンカーが突っ込んできた。

「ラウラさんの入浴への拘りの無さは一組全体の課題です。手伝うのは当然ですわ」

「風呂に入らずとも身体の衛生管理は完璧だ! 問題はない」

「はいはい。そういうことじゃないって気が付こうねー」

「うらっち、剥きむき」

 シャルロットと本音に捕まり、抵抗虚しく服を脱がされる。同時にシャルロットも制服を脱いでゆく。なぜだか知らないが彼女の着替えは異様に速い。そしていつもはのほほんと擬音を発する本音も、手元の作業に関しては目を見張る正確さを見せるのだった。

 ラウラに逃げ場無し。

 最後の一人に望みを託して視線を送るが、空気を読んだ簪は申し訳なさそうに浴場への扉を開いた。

「さあ、じっくり暖まろっか」

 シャルロットに背中を押され、ラウラは湯気が揺れる灼熱地獄へ追い立てられていった。

 

 

 寮の自室に戻ったラウラはげっそりと憔悴していた。

「ひどいめにあった……」

「お風呂に入るだけで、あんなに騒ぐラウラのほうがおかしいの。すぐに湯船から出ようとするんだから」

 ベットに腰掛けるラウラの後ろに廻り、丁寧に銀髪を梳くシャルロットが少し剥れている。

 途中で何度も脱出を試みられたことがお気に召さないかったようだ。

 いつもなら他の人間に紛れて早期離脱していのだが、二人だけの大浴場では監視の目を誤魔化しきれない。

 おかげで見事なボーデヴィッヒのボイルが出来てしまった。

 そんなこんなで、湯上がりのふたりはお決まりのネコパジャマに着替え、ベッドの上で入浴後の身だしなみを整えているところだった。

「サウナをありがたがる人間がいることも信じられんが、バスタブに湯を張るなんて狂気の沙汰だな。あれはシャワーを浴びる時の敷物だろう」

「ここは日本だよ。郷に入っては郷に従えっていうでしょ」

「IS学園は日本国の法律が及ばない治外法権の地だ」

「土地は繋がっているからいいの。それにこの場合は法律とかじゃなくて、世俗や風習のことだよ。湯船もいいものじゃないか。温かいお湯の中で全身を伸ばすのは気持ちがいいよ」

「茹だるだけだ」

「頑固だなあ。それこそ猫さんじゃないんだから、そんなにお風呂を嫌わなくたって」

 まだ少し湿り気を残すラウラの髪を優しくあやすシャルロットが口先を尖らせた。

「だれが猫だ。第一、私の隊章はうさぎだ」

 ラウラは振り返りもせずに後ろ手で髪に隠れるフードの猫耳をひっぱり、長い耳の兎を主張する。

「うさぎさんも水場が苦手だったような……」

「時折思うのだが、お前をはじめにクラスの連中は私を愛玩動物か何かと勘違いしていないか?」

「そ、そんなことないってば。ラウラが可愛いから一緒に遊びたいだけだよ」

「ふん。まあいい。ほら、代われ」

 櫛入れ役を交代して、今度はラウラがシャルロットの金髪を梳いてゆく。

「それで、前のモンド・グロッソと織斑先生が、どうやって一夏に繋がるの?」

「口頭での説明より証拠を見たほうが速い」

 ラウラは右太股に待機している愛機を介して、目の前の代表候補生に個別回線(プライベートチャネル)を繋げようとした。

 シャルロットは突然の接続要請に戸惑う。

(ISまで持ち出すなんて、そんなに重要事項だったのかな)

 同室者が入学以前から担任と面識があり心酔していることは知っていたが、いくらなんでも行き過ぎだ。とはいえ、そこまでして何が出てくるだろうと興味を引かれる部分もある。

 呆れ気味に許可を通す。

「これで織斑先生の隠し撮りプロマイドとかだったら怒るからね」

「なんだ、欲しいのか? だがやらんぞ」

「いらないってば。こんなことするってことは自分だけ見ろって事なんでしょ。それならショッキングピクチャの方を警戒するよ」

 IS同士のデータリンクが確立されシャルロットのラファールカスタムに画像群が転送されてくる。

 待機状態であるペンダントを摘み、シャルロットは送られた画像を視界内インジケーターで映し出した。

「撮影した時間は一夏の誕生日。その夜だ」

 解説者が補足を挟むと同じタイミングで、シャルロットが目を見開いて振り返る。

「こらっ! 髪を梳かしている最中にいきなり振り向くな。私が逃げると怒るくせに、自分がやってどうする」

「ご、ごめん……」

 シャルロットは謝りながら姿勢を戻す。

 この“若い織斑千冬がサイレント・ゼフィルスを装着している”画像は、一夏への銃撃から飛び去るまでがスライドでまとめられている。

 こんな状況で伝えられるドイツIS部隊隊長からの情報だ。ガセやブラフということはない。

 ISから直接送られてきたということは、出元はシュヴァルツェア・レーゲンのレコーダーだ。兵装の利用履歴改竄はどの軍でも重大な規律違反になる。ラウラがそれだけのリスクを背負う意味も見いだせないので、画像加工の線も消える。

 画像に映る謎の少女が、前に一夏から聞いた襲撃者なのだ。

 彼女はいったい何者なのだろう。解っているのは亡国機業の構成員ということ。そして装甲バイザーを装着していたのは顔を見られないため。

 ならば、どうして、

「どうして一夏は……」

 襲撃者が姉と同じ顔をしている事を黙っていたのか。

 ゆっくりと丁寧にシャルロットの髪に櫛を入れるラウラが表情を引き締める。

「私も問い詰めたかったが、不運にも逃げられたからな。明日にでも戻ってきたところを捕獲して尋問せねばならん」

「尋問って……。一夏はともかく織斑先生は無理だよ」

「無理かどうかは関係ない。やるのだ」

 今度は櫛を持つ手を止めてはっきりと言いきる。

「織斑先生を先に探したのは、一夏が僕たちに話さなかったことを気にしているから?」

「銃で撃たれてもあの態度だからな。あいつに何か含むことがあるのは確かだろう」

「そんなにもあの二人のことが心配?」

「……崩れた顔で何を聞いているんだ」

「うんうん。そうだよね、そうだよねー。って、きゃー、やめて、やめてっ!」

 からかいの報復は折角撫で梳かした髪を掻き乱暴に混ぜられることだった。

 そっぽを向くラウラが投げ出した櫛を拾って、シャルロットはもう一度髪を整え始める。

「ラウラはさ、織斑先生が見つかったら具体的にどうするつもりだったの?」

「……尋問だ」

「誤魔化されるのを証拠で押さえ込むの? 今の状況から考えると、(だんま)りになるだけだと思うよ」

「その根拠はなんだ」

「僕に関するフランス政府とIS学園のやりとり。交渉役に立っているのが織斑先生なんだ。僕が卒業するまでの引き延ばしが目的なんだけど、これまで大事にならずに済んでいるのは先生のおかげだよ」

 シャルロットが苦笑いで話す。

 なぜかは知らないが、自分の性別詐称に関してデュノア社とIS学園が結託して動いている。

 最初は父の無茶な策謀と思っていたが、他にも裏があるようだった。

 考えてみれば、そうでもなければカミングアウトすらできないはずだ。シャルロットへの審査が十分でなかったと、学園側の落ち度を認めることになるのだから。

 織斑千冬に問い掛けたことがあったのだが、彼女は何も答えてくれなかった。聞かされたのはただ一言『感謝し謳歌しろ』と。

 その後もデュノア社からの支援は続いている。

 一体どんな魔法を使ったのか気にはなるが、織斑千冬の態度を見ると教えて貰えそうにない。

「他にも対外的な仕事を多く引き受けているみたいだから、おいそれと話せないことが多いんじゃないかな。補佐役の山田先生も道連れであんなことになっているんだし」

 寮長室の惨状はクラス担当以外の仕事も入っているからだろう。

「ならばあの中に有力な情報が埋まっているのかもしれないな。よしっ!」

 勇んで部屋を出るラウラの背中を見ながらシャルロットは櫛入れを続ける。

(教員の資料を生徒が盗み見するって、完全にアウトだよね)

 

 十数分後、山田真耶が首根っこを摘ままれて猫のように丸まっているラウラを部屋に運んできた。

 少し頬を赤らめている山田先生は、ラウラに訓告を残して寮長室に戻っていった。

 

「おかえり」

「シャルロット、世界は広いな……」

「忘れがちかもしれないけど、山田先生は代表候補生だったんだからね。収穫はあった?」

「あの攻防一体の武装は卑猥……、いや卑怯だ」

「何があったのか、これ以上は聞かないことにするよ」

 シャルロットは様々な自信を砕かれて落ち込んでいるラウラを慰めながらベッドに寝かせた。

 部屋の明かりを絞り、自分も横になる。

「僕は、……」

 ベッドの上でしょげている小さなルームメイトを見て、シャルロットは思いを新たにする。

「僕はラウラに協力するよ」

 重要な秘密を隠さずに教えてくれたラウラを、自分も信じよう。

 きっかけは押しつけられた交換条件のはずだった。

『アイツは頭が固い上に、こういった場所に不慣れだからな。器用な人間がフォローしてくれると助かる』

「織斑先生にも一夏にも、返しきれないぐらいの恩があるんだ」

 タッグトーナメントの後からだ。一夏の部屋に事務や法律関連の書籍が増えていったのは。それが解るのは、以前に同室したことのある篠ノ之箒と自分だけだろう。差を知らない生徒会長がどう思ったのかは知らないが、彼は3年間というタイムリミットを意識している。

 部屋が分かれてから知ったシャルロットは、一夏に無理をしないでと願い出た。それは本来自分がすべきことなんだと。

 彼は笑って言った。

 シャルにはやって欲しいことがある。これは俺の勉強よりもずっと難しいことだ。

 一夏が示した目標はとんでもないものだった。

 現状を覆す功績を作る。実力で周囲を黙らせる。世界最強を誇る織斑千冬の弟らしい発想。

 すなわちワンオフ・アビリティの発現。セカンドシフトを起こすこと。

 ラウラたち第三世代ISを託された代表候補生が目指すゴールにたどり着けと言う。

 第二世代のラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡでは無謀にも近いことだが、前例が無いわけではない。

 ワンオフ・アビリティ自体は第一世代から存在を確認されている。決して不可能ではない。

 先に白式の雪羅が現れたのは皮肉だったが、一夏はそれすら助けになると、白式の調整よりも調査を優先した。

 シャルロットも知らない事だが、打鉄弐式の荷電粒子砲実装に≪雪羅≫のデータを渡せたのは、この前提があったからだ。

 一夏の表に出さないオーバーワークは、副担任の山田真耶にも匹敵する。

 よく実家に戻るのは、距離が近いこともあるが本当に休むためなのだ。女性ばかりの学園ではどうしても気を張り続けてしまうと言っていた。

 夏の訪問で緊張したのは、一夏の家という以上に邪魔してしまうのではと危惧したから。

 家事をしていると落ち着くのは、どこか恥ずかしい。そんな告白ではにかむ彼をとても愛おしく思った。

 彼の好意はとても嬉しかった。でも、守られるだけじゃ嫌だ。少しでも助けになるのなら、どんなことでもやろうと決意する。隠し事をしながらも自分たちを気遣ってくれる姉弟に恩返しをしよう。

 正面から話しても取り合ってくれないのはわかっている。それなら自分たちだけで動くだけのこと。あちらから指定してきたパートナーなんだ。手を取り合うことに文句は言わせない。

「一緒にがんばろう。一夏と先生の両方を驚かせちゃおう」

 決意に対して返されたのは嘆息だった。

「何を今更当たり前のことを言うんだ」

「ははは……。うん、そうだね」

 織斑姉弟を探して寮内を走り回るラウラは、追いかけるシャルロットを拒まなかったし、部屋に戻った後でちゃんと説明してくれた。最初からシャルロットを信じていたのだ。

 自分と彼女の差に心の中で謝る。

(そう、当然のことなんだよね)

 一緒に勉強して、一緒にご飯を食べて、一緒に入浴して、一緒に寝起きして。一緒に生活する“家族”を信じるなんて、当たり前のことだ。

 織斑姉弟もそうなのだろうか。あちらは片方の力が強すぎて相互信頼とは言い難いけど、気持ちは通じ合っている気がする。

「一夏は、先生に相談したのかな?」

「私たちにも話された話題だ。襲撃自体は報告されているだろう。それでいて揃っての外出となれば、なにかしらの対応を施していると考えるべきだ」

 全ては彼らを捕まえて事態の全容を聞き出してからだ。

 ルームメイトの言葉から、奥に秘めた強い決意を感じる。ラウラはあの二人に対しても家族と同じ視線で見ているようだ。それは相手を尊重しながら守りあっているようで、羨ましく思った。一夏も千冬も互いに気にかけていない振りをして、でも本当は何よりも相手が大切で。

「あの二人って、似ていないようで似ているよね」

「家族というのは、そういうものなのだろうか?」

「そうだねー……」

 シャルロットは母との生活を思い出して笑った。卑屈な感じはしない。思い出を懐かしむ緩やかな笑顔だった。

「ラウラには姉妹がいないの?」

「生まれが生まれだからな。私以外の同型が稼働しているとは聞いていない」

「同型?」

「お前はどうなんだ」

「少し下に弟がいるよ……」

 弟は継母の子供で、その性差が確執をより深くしている。彼にはいつか謝らないと。

「私が弟に似ているとか言い出すなよ」

「大丈夫だよ。まったく似てないから。それにラウラは男の子に見えないってば。なにより、人を誰かの代わりにすることはしないよ」

 言葉を切って、思い返す。

「お互いのこと、意外と知らなかったね」

「なるほど。こういうことを話すのか……」

 暗い部屋の中でも、少女二人の声は彩りに溢れていた。

 

 

 隣から聞こえる寝息を気にしながら、ラウラは腕を伸ばす。

 暗がりの中、手探りでベッドサイドのラックから一冊のスクラップブックを取り出した。

 そのまま引き寄せ腕の中で抱きしめる。広げるより、こうするために手に取ったのだ。

 元から厚みのある製本だったが、貼られた写真でさらに嵩張っている。

 隙間に篭っていた冷気が身体を冷やすが、徐々に布団の中にある熱気と置き換わってゆく。少しずつ熱を持ち始めるスクラップブックに、ラウラは人の温かさを連想した。

 自分が与えた思いに、同じだけのものを返してくる。

(これを絆というのだろうか……)

 あれは学園祭の準備をしている時だった。千冬からフォトアルバムを作ってみてはどうかと提案された。

『自分の横に誰が居たのかをよく覚えておくためにな』

 最初は意図が読めず命令かと質問したら、強制はしないと返された。

 学園祭の記録係ではなく個人的な記憶を残していくんだ。

 書式は以前の報告書で構いませんか?

 まだお前に女子らしい日記を期待はせんよ。

 撮影用のカメラを持っていないのでシュヴァルツェア・レーゲンを使うことになると申告すると、特別に許可すると言われ驚いた。

 以来このスクラップブックに写真を貼り付け続けている。

 写真だけの無作為で素っ気無い図面であることは自覚しているので、シャルロットに見つからないようにこっそりとだ。もし発覚しようものなら、まず間違いなく装飾が多かったり色味が多いアルバムに変えられる。

 それはそれで悪くないが、自分にはこれが合っている。これで良いと思っている。なのでこの本の存在はまだまだ秘密だった。

 なにより一番よく写っているのは織斑千冬と一夏の姉弟。同位でルームメイトになるのだ。

 レンズに左目を使ってるので自分の姿は殆どない。見つかった時の恥ずかしさを想像すると身もだえしてしまう。

 この数ヶ月で撮影した写真の比率は、長くない人生の9割以上を占める。思い出という言葉を空虚に感じていた自分が、こんな紙束に執着することになるとは思いもしなかった。

 あの二人とずっと一緒に居たい。友人たちの笑顔をもっと見ていたい。

 写真を付け足すたびに、そう思うようになった。

 薦めてくれた教官をさらに偉大に感じた。

 一夏には、別の人間が撮影した写真に興味を持つまでになった。

 クラスの女子たちが笑うことを不快に思わなくなった。

 視界がどんどん広がってゆく気がした。

 世界が変わってゆく様子がありありと見えた。

 こんな場所もあるのだと、素直に感動できた。

 しかし、先ほどその世界に一点の曇りが生じはじめた。

 正確を期すなら、織斑千冬が第二回モンド・グロッソの決勝戦を放棄した時から……。

 いや、同じ顔をした“彼女”が関わっているのなら、おそらくは一夏が生まれた時から。

 そこまで考えて、原因を探るには自分が小さすぎることを知る。

 題名の無いフォトアルバムを抱きなおす。思い出を作り記録を重ねて初めて解った。自分はたったこれだけの厚みしかない。

 仮に真相を知ったところで、私は彼女たちに何が言えるのだろう。

 織斑姉弟の過去に踏み込むには、ラウラ・ボーデヴィッヒの歴史では浅すぎる。

 頭の中にある冷めた部分が制動をかけてくる。理路整然とした思考は告げる。

 この問題に関わって何を得る。

 

「そうではない……」

 

 つぶやきは腕の中に向けられていた。

 もうそれは自分よりも熱を持っていた。

 食したものが血肉となって体中を巡るように、ラウラ・ボーデヴィッヒはアルバムの記録を呼び起こしては、己に流し込む。

 通った記憶が、熱意に変わる。

 頭の冷静さよりも、身体の熱量が上回る。

 一夏の命が狙われたのだ。

 “彼女”の襲撃だけではない、場合によっては前回のモンド・グロッソや国の軍にも関係する。

 あの二人が対面している問題だ。

 私が関わらない理由はない!

 益がない?

 だからどうした!

 自分の希薄さなら“彼女”を再認識した時に痛いほど知らされている。

 今度は見失わない。

 薄くとも、脆くとも、確かにここに、腕の中に『ラウラ・ボーデヴィッヒ』がいる。

 これが有る限り、きっと淀みを晴らし世界を守ることができる。うぬぼれでは無い。今まで鍛えてきた自負がある。

 それで足りなくとも信じられる戦友たちも居る。私はこれからもこの学園でみんなといっしょにいる。

 これは決意なのだ。

 気懸かりがあるとすれば当の戦友の一人、同室の彼女と就寝前に交わした会話だ。

(デュノア社か……)

 彼女の背景も不透明で気になる。

 疑問の元に遡ってゆくと同じく織斑千冬にぶつかるからか。あの会社には“彼女”織斑マドカと同質の闇を感じる。

 だが学園側から探るのは難しい。

 それこそ織斑千冬が対外的な交渉を仕切り一手に握っている限り、自分たちは守られ続けるだけの存在で終わってしまう。

 ならばもう一つの仲間たちに、クラリッサに頼んでみるか……。

 

 さまざまな可能性と対応策を思考しながら、かつて自分は人形だと言い聞かせていた少女は眠りに落ちていった。

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