Infinite Stratos First Complete Session   作:石狩晴海

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エピローグ:蒼月水面に歪み

 暗く静か一室に青い光が光源もなく渦巻き出す。光の中心に浮かんだ人型の影シルエット、篠ノ之束が野兎のように飛び出してきた。

「とうちゃ~くっ。たっだいま~」

「……お疲れさまでした」

 続いて光の中から世話係のクオ・ヴァディス・サンドリオンも現れる。二人が姿を現すと、青い光も散り散りに消えていった。

「まったく、ちーちゃんの我がままにも困ったなあ。暮桜が動かないと大変なことになっちゃうのにね~」

 頬を膨らませる束が自分の研究室に戻るのを見て、クオが弱々しく声をかける。

「あ、あの……、束さま。ごめんなさい」

「なんのこと~?」

「お届け物が、できませんでした」

「う~ん。それはくーちゃんが気にすることじゃないよ」

 束はそれだけ言うと、うつむくクオを残して歩き去る。

 確かに今回束から言い渡されたことは、IS学園の地下特別区画に暮桜があるか確認すること。暮桜のコアがあるなら回収してくること。コアが無いのなら所有者の千冬をおびき出す騒動を起こすこと。この三つだ。

 失敗した場合の指示は、何一つ受けていない。

 クオはそれを、束の天才性と自分への信頼として受け止めていた。

 結果はどうだ。なにも出来ていないではないか。初めて尊敬する束の役に立てると喜び勇んで、何の手柄もなく帰ってきた。ただ迷って、惑わされて、泣きながら戻ってきた。

 束は、そんな自分を罰しなかった。

 目的を達成出来なかった者への寛大な処置とも言えるが、クオには関係を絶たれたように感じた。

 自分のことを束が期待していると信じて戦ったのに、必要ならばと一夏にも牙を剥いて苦しんだのに。クオは娘などではなく召使いだと、束との仲を痛烈に批判されて怒り憤ったのに……。

 クオ・ヴァディス・サンドリオンには、本当に、なにも無い。

 学園を去る際に一夏が叫んだ言葉を思い出す。

 

『お兄ちゃんが守ってやるから!』

 

 今の自分を守ってほしかった。ここにいてほしかった

 クオは腕を力一杯廻して自分の体を抱きしめる。

 束と一緒に戻ってきたのに、まだ夕暮れの倉庫区で一人座り込んでいるような感じがする。

 少女一人が立ち尽くす構図は、とても心寂しい。

 力を込めた身体が、空腹感を訴えてきた。そういえば、そろそろ食事の時間だ。

 いつもは憂鬱ぎみになる料理をことを考えて、クオは閉じていた両目を見開いた。ハイパーセンサーではなく、本当の光で満たされる視界によって気分が上り調子になる。

 そうだ。料理なら束に今回の成果を見せることができる。

 一夏が言っていた。きっと束も喜んでくれる料理だと。

 あのスープを作ろう。レシピはしっかりと覚えている。材料もありもので間に合う。

 クオは急ぎキッチンに向かった。手を洗い、材料を漁り確認する。

 よし、大丈夫だ。

 クオは一夏に教えられたとおりにミルクポタージュを作ってゆく。最後に調理レンジで暖めて、思い出のスープが完成した。慌てすぎて、レンジから取り出す時に鍋を直接触れてしまった。

 涙目になりながら氷水で手を冷やし、今度はちゃんと取っ手を握り取る。

 クオは匙で一口すくい取り、味見をする。

 うん。ちゃんとあの時と同じスープだ。

 嬉しさで身体が震えそうになるが、こぼさないよう慎重に皿に盛って盆に乗せる。ナプキンとスプーンを添えて、束の研究室に運ぶ。

 学園に潜入してからずっと重かった足取りが、やっと軽くなった。

「束さま。お食事ができました」

 無数のディスプレイに囲まれる束のデスクに、そっと差し出す。

「それでですね……」

 束はクオの言葉を聞き流し、スプーンを使わずに皿を掴むと一息でスープを煽り飲み干す。味わってくださいと期待を掛けることさえ出来なかった。

「んー。うーまーいーぞー!」

 いつもの、絶叫。

 皿を戻し束は作業に戻る。

「あの、それで……」

「うんうん、今日のはお料理になってた。いままで作ってきた甲斐が出てきたんだね」

 クオに向けて笑顔で頷く。

「これは知っている味ではありませんか?」

「大丈夫。ちゃんとくーちゃんの味がしたよ」

 にこにこ笑う束と対照的に、クオの表情は失望に塗り替えられてゆく。

 しかし束は給仕の顔色など気にもせず作業を続ける。一夏が嘘を言ったのでなければ、束はスープの味を覚えていないのだろう。

「失礼しました」

 どうにか一言だけを絞り出すと、クオは空皿の乗った盆を下げた。

 その時、クオは束の袖が解れていることに気が付いた。布が完全に裂けており、中の腕が見えそうになっている。

「束さま。腕のところが」

「腕がどうしたの」

 片腕を上げる束に、クオが破れた箇所を指さす。

「そこです。破れてしまっています。すぐに繕います」

「なにを言っているのくーちゃん」

 束は首を傾げて、

 

()()()()()()()()()()()()?」

 

 変なくーちゃん、と言って束が再度ディスプレイに向き合う。

 クオの失望は絶望に変わった。

 束が腕を降ろした折りに袖の中が見えたのだが、中には()()()()()()

 ただ空洞の袖が、腕として動いていたのだ。普通の人間には正しく腕が見えたのかもしれないが、『越界の瞳』(ヴォーダン・オージェ)の上位『知識の泉』(ミーミル・クヴェレ)には中空の円筒としか捉えられなかった。

 混乱したまま、クオは逃げるように研究室を出た。キッチンまで走って戻り、シンクにスープ皿を戻した時にようやくスプーンをどこかに落としたことに気が付くほど動転していた。

 なんだ、あれは?

 気が付きたくない疑問だが、簡単に答えにたどり着く。

 自分の両目はISを感知する。それに居場所を正確に透過されるということは、あのドレスはISなのだ。

 それだけなら驚くことはない。篠ノ之束はISの開発者であり、世界で唯一ISコアを作成できる人間だ。自分用のISを装着していても不思議ではない。

 クオが言葉を無くしたのは、中身の人間までISと同じになっていることに対してだ。あの束はISの外装でしかない。

 消し炭やゲル状の物体を食べても平気な訳だ。

 ……今まで自分が作ってきた料理とは呼べない代物を、うまいおいしいと言って食べていたのは、人間の束ではなかった。

 料理は作る人と食べる人が居て、初めて料理になる。

 一夏と鈴の言葉が、クオの胸に突き刺さる。心の痛みに、顔がひどく歪む。

 自分はこれまで何を作っていたのだろう。ISに向かって必死になって作った食べ物を差し出して、変な物を出して申し訳ないと感じて。

 涙を堪えきれず、閉じた両目からこぼれ落ちる。

『女の子は料理の一つも覚えないといけないんだよー』

 クオは束の料理を食べたことがないことに思い至った。

 泣いた。

 声を上げて泣いた。

 自分はこれまで、束に女の子として扱われていなかったのだ。

 料理を作ることも、それを食べさせることも。どちらも成立していなかったのだから。

 いやだ。そんなのはいやだ。

 こんなことを認めては、学園で自分の名前を貶された怒りを否定することになる。束との絆を哀れまれたことを認めてしまうことになる。

 篠ノ之束は、クオ・ヴァディス・サンドリオンに世界をくれた人なのだ。恩人よりも救世主よりも、もっと崇高な存在でなければならない。

 鼻を啜るクオに、何も気づかない束からのコールが届く。

「くーちゃんへ~。ワールド・パージの艤装が予定より早く終わるから、テストは一日繰り上げるよー。準備よろしくぅ」

 通信の内容に理解しないまま、クオはある場所に歩き出す。向かう先は、巨大な全天型のドックだった。廊下から見ると、空間全体が上下左右そして奥行きに向けて突き放すほど広がる。ドックといっても波止場ではなく、全包囲をアームクレーンが生える壁に囲っていた。

 無数の固定具で泊められているそれは、巨大な灰色の塊だった。おおよその大きさは全長5km、全高1km、全幅2km。現存する戦艦や空母よりも巨大で、全体を俯瞰してみれば、横倒しにした緩やかな轄といった風情だ。今は横合いから見ているので、灰色の壁にしか見えない。これを一人の人間が作り出したというのだから、驚天動地の代物だ。

 名称は、ワールド・パージ。

 ISの技術を利用して作られた……、いやISの元となった恒星間航宙艦である。

 ドック内では束の指示を受けた無数のゴーレムたちが行き交い、忙しなくワールド・パージを組み立てている。

 この灰色の存在証明こそが、クオの本当のISだ。ゴーレム・ゼロはワールド・パージを運用する上で管理者を補助するコアユニットに過ぎない。

 

『迷ったのなら、いつでもこっちに来い!』

 

 自分一人ではここから地球に移動することは難しい。しかしこのワールド・パージなら38万キロなんて無いにも等しい。

「すみません。束さま……」

 テスト運行の時が、おそらく最初で最後のチャンスになるだろう。

 

 こうしてシンデレラは、巨大なカボチャの馬車を眺めながら、初めて一人で自分の心を決めた。

 

 IS8 黒鍵編/ワールド・パージ(上) 了

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