ダンジョンでハイエルフに出会うのは間違っているだろうか 作:98zin
一瞬、弛緩した空気が2人の間に流れる。
雫にとって、アルファのような存在は稀だ。今まで彼女が受けてきた扱いとは比べ物にならないほど優しく、心があった。
雫が頑なに人と話したがらないのは
雪のように透き通る白い肌、何色にも染まっていない純白の長い髪。
その村ではただそれだけで様々な迫害を受けてきた。
ふと、雫の胸の内にしまってあった過去が蘇り少し苦しくなった時。2人が聞いたこともない声が
「まさかこんなところでお目に掛かれるとは。兄上が言っていた通りですな」
2人は緩んでいた気を一気に引き締め、声のするほうを向けばそこにはやつれた顔に片眼鏡を付けた細身の老年の冒険者がたっていた。
男は特にそれ以上言葉を発することなくただ2人のほう、アルファを見ていた。
アルファと雫は男の出現に気づけなかった自分を戒め、警戒を解いた。
「あ、冒険者の方ですか...
初対面の相手に一瞬でも、警戒、敵意を向けてしまったことに対して弁明するアルファは遠巻きながら頭を下げる。
雫は今さら姿を隠そうとすると相手に変な誤解を与えてしまいそうだと思い、ひとまず口を開かずにアルファの対応を待っていた。
「そちらの方は...まぁどうでもいいですね。アイツじゃないのでしたら」
「?」
さっきから1人でブツブツ零すそのおじさんに首をかしげるアルファ。基本ダンジョンで冒険者間の関りは無しと暗黙の了解として知れ渡っている。
さっきのアルファとベルのように互いが顔見知りで、それなりに交友が深ければその限りではないが。
しかしアルファはもちろん雫も首を傾げ、先ほど解いた警戒のレベルを少しずつ上げていく。
冒険者たちは未知を恐れる。知らないことは致命打になると。
オラリオでランクアップするときに張り出される紙でも見たことがない男。さらに上層にいるということはアルファたちとLv帯は近いことが伺い知れるが、如何せん誰で何のために話しかけてきたか分からない男に彼らは警戒した。
「ヴィオラスが騒ぐのも無理はない。
コツ、コツ、とゆっくりアルファに近づく男に不信感を抱いたアルファはひとまず一歩下がり尋ねた。
「あなたは、誰ですか?」
明らかに警戒した声音で尋ねるアルファに男は足を止め空を仰ぐ。
「誰、ですか。フム、何と尋ねるのが正解だと思いますが、どうやらあなたは何も知らされていないようですな」
ますます、意味が分からないアルファは背負う剣の柄に手を添えて続く言葉を待った。
「とりあえず、ついてきてもらってもよろしいでしょうか」
「嫌です。あなたが誰か分かりませんし」
当然の反応だ、雫もそう思う。得体の知れない急に現れた男についてこいと言われてもゴブリンだってついて行かないだろう。
「そうですか、では強制的に...」
落胆の声を落とし男が手を腰に掛け何かを取り出そうとした時。
キェェェェェエ!!!
「「!?」」
雫とアルファの間に動揺が走る。今まで地上でしか存在を確認したことが無かったソレに脳が全力で警鐘を鳴らしだした。
「はぁ、待ちきれないようですね...」
男はソレが居たのがまるで当たり前かのように後ろを振り向き食人花と対面する。
大量に現れた食人花は一瞬で空間を埋め尽くし、蠢く緑の壁を生成した。
(こんなのが、上層に出たら...!?)
明らかにヤバイ量の食人花にアルファは焦りと共に大量の冷や汗を出す。
Lv 1の冒険者が食人花に対抗する手段はほぼ無いといってもいいだろう。
徐々に
すぐには襲い掛かってこない理由が全く分からないがアルファと雫はこの隙に背後にある出口から逃げ出そうとした時。
食人花の叫び声もかき消すほどの怒号が空気を震わした。
「静まれいィ!!!!」
その発生源が男だと認識したアルファだったが驚くのはそこじゃない。男が発した怒号に従うように食人花たちはその動きを静かにしてしまった。
まるで
「まったくうるさい蛇どもですね。大人しくしていなさい、さもなくば八つ裂きにしますよ?」
その言葉を恐れるように食人花たちは触手を引き、徐々に修復されつつある壁に開いた大穴に少しずつ引っ込んでいく。
雫はその隙間から辛うじて見えた銀色に輝く扉に気づいたがすぐに緑の体表に覆われていく。
「今すぐ逃げるぞ!」
何が何だか分からなく、立ちつくしていた雫は突然アルファに手を取られ慌てて地面を蹴りだした。
アルファの横顔には余裕がない。あの大量の食人花を前に当然の行動だが、それ以上に食人花たちを声だけで従えるほどの力を持ったあの男に危険を感じたのだ。
しかも、そいつがついてこいとか訳の分からないことを言っている。
あの場に立ち止まることも、ついて行くことも得策じゃない。それだけは分かる。
もう少しでまだ人目が多くなる正規ルートに出るというところでアルファたちは足を止められた。
「逃がすわけないじゃないですか」
アルファたちの
(まずいまずいまずい)
アルファの頭には何も打開策が思い浮かばない。
明らかに怪しい人物が目の前で道を塞ぎ、後方には食人花が大量にいる。
横の雫を見れば鋭いまなざしで男を見据えて明らかに戦おうとしている。
僕も背から愛用の長剣を抜刀し臨戦態勢を整える、が。
「私と戦おうというのですか?自分と相手の力量の差を測ることはここで生きるために必須だと思うのですが?」
雫も静かに刀を抜刀するがその顔は歪んでいた。
男から発せられる威圧はあのミノタウロスよりも大きい。アルファも敏捷が負けている時点でお察しだ。
ただ、諦めて成すがままにされるのだけはアルファ自身が許さない。
男は2人が冷や汗をかいて歪んだ顔を浮かべているのを見て笑っていた。
あれだけ強い口を叩いておいてすぐに襲いかかってこないのはアルファたちを警戒しているんじゃない、油断しているんだ。
(そこしかない...)
その隙をついてせめて一撃でも叩き込めれば、2人なら、急所に入れば、逃げることさえできれば、希望的発想をひたすら思い浮かべる。
アルファたちの勝ちは、格上を倒すことじゃない。ひとまず、逃げることが出来たらいい。
「お前は誰だ」
ここで初めて雫が声を発した。さっきまで声を発していなかったのは、男がただの一般冒険者だと思っていたからだ。
彼女の
男が敵対関係にあると分かった今、遠慮する必要はなくなった。
「またその質問ですか...言ったでしょう、何と尋ねるべきだと」
会話に応じた。雫の呪詛の発動条件は行動をともにした対象にかぎられる。
アバウトな条件ではあるがこれは基本的に会話も含まれていて、今男が会話に応じたことによって男は何もアビリティを使えないことになる。
男が何をしてくるか、どんな魔法、スキルを持っているか分からないが弱体化するに越したことは無いと思い、雫は行動に出たのだ。
「ハッ!」
男が喋り終わると同時に不意を突いてアルファが地面を蹴りだす。
雫が声をかけた今、魔法やスキルが使えなくなったことに気づく前に速攻をかけることで自身の異変に気付いた瞬間、その隙に攻撃をねじ込む、そういう算段でアルファは駆けだした。
愚直な直進。その攻撃方法に呆れた様子の男は片腕を前に突き出した。
反射的に避けそうになったアルファだがそこから何も繰り出されないと信じて突貫する。
向けられた手のひらには何の変化もない。魔法やスキルの飛び道具の類なら心配する必要はない。
この隙をついて片腕だけでも切り落とすことが出来れば状況は好転するはず。
そう信じて大振りに構えた長剣を振りぬこうした時。目の前を鮮やかな色で埋め尽くされた。
「!?」
カラン、とアルファの手から長剣が落ちる音が聞こえる。身動きが取れないアルファの体は黄緑の触手に捕らえられていた。
「イッ...」
ミシミシと自分の肋骨が軋む音が聞こえる。
(どうして食人花の触手が...)
後方にいるはずの食人花が追いついてきたのか、そう思った時目の前のありえない光景に息を飲んだ。
男の腕が触手となっている。ひじの先からその色を黄緑に変化させその先は完全に食人花のそれと同様に光沢のある体表になっていた。
「まったく、本当にあなたはあいつの息子ですか?自分の目が信じられなくなってきました」
(息子!?コイツ、僕の親の事を知ってる!?)
「ぐっ...」
そんな思考も締め付けられる体の痛みにすぐにかき消され、喘ぐような息に変わっていく。
肺が抑えられ、出ていく空気はあるものの空気が入ってくるスペースが無い。
「ハァー...ハァー...」
なんとか酸素を取り込もうと必死に呼吸を試みるアルファだがそれは意味をなさない。
体中に走る痛みと、酸欠によって急激に視界が黒く変わっていく。
「し、ずく、に、、げて」
敵わない、そう判断したアルファの判断は早かった。
目的がアルファだけであるということ。雫は特に男の目にはうつっていないと信じて絶え絶えの声で白髪の少女にそう告げる。
それにこの男はアルファの親の事を知っているのかもしれないということ、これはアルファにとっても気になる話だ。
連れて行く、と言った以上すぐに殺されることは無いと思ったアルファはひとまず雫の安全を優先した。
雫はアルファの苦しそうな姿を苦痛の表情で見ていたが、スキルでも魔法でもない触手を扱う、得体の知れない男に1人で勝てるはずもないとアルファの言葉に従おうとする。
「逃がすわけないでしょう?」
もう片方の腕から触手を繰り出そうと雫に向けて腕を伸ばす。
そしてすぐに放たれた黄緑の触手は違うことなく雫を捕らえた。
雫は構えていた刀をとっさに横に滑らせなんとか直撃を防ぐが。
「くはっ!」
脇腹を抉られた。
まるで切っ先の尖った戦槍に突かれたように、まるで凶悪なモンスターに喰われたように、円形の傷を負った。
よろよろと足をふらつかせ、迸る痛みに顔をしかめる。
直撃を外した男がめんどくさそうにもう一度腕を構えた時。
キエェェェェェエェアアァァ!!
幾つも鳴り響く叫び声は徐々にその数を減らしていっている。
「ヴィオラスたちがまた喰い合っているのですか...また手に負えなくなってしまっては困りますね」
上げていた腕を下ろし、雫にはもう興味を失ったように
「ヒュー...ヒュー...」
締め付けられているアルファはもう顔に血が集まり、真っ赤になった顔で雫のほうを見やる。
充血した目で、声が出ない口を何とか開閉させてなんとかその気持ちを伝えようと力む。
(はやく)
男が
声にならないその叫びは雫に届く。雫は目尻に涙を溜めながらすぐにその場を離脱する。
アルファは最後の力を振り絞り、なんとか自分も触手の束縛から脱そうと暴れまわるがすぐに巻き付ける力が強くなる。
「大人しくしてください。彼らはあなたを求めてあんなにも暴れているんですよ」
聞こえる声が次第に曇っていく。意識が遠のく。
アルファはギリギリ保っていた意識を手放す瞬間、薄黒い緑に光る男の瞳と目が合った。
「ハァ、ハァ......ハァ...クッ...ハァ」
不規則な呼吸が体の内側から頭にこだまする。
心臓がちぎれそうだ。
もつれた足を根性で立て直し、ひたすら足を前に進める。
押さえる脇腹からは今もとめどなく血が溢れている。
現在ダンジョン2階層。私はとてつもない焦りを覚えていた。
(早く、疾く、速くっ!!)
思考より遅い自分の
もうすでに限界を超えた速さで駆けている。
通り過ぎる景色は全て線になり現れたモンスターたちもただのコンマ数秒のうちに消え去っていく。
「ハァ!ハァッ!」
残り1階層。
もう何度通ったか分からない。正規ルートをひたすら駆け抜け、横に過ぎる駆け出し冒険者も、白髪の少年と大きなバッグバッグを背負った
地上。
私は生きていた中で一番速く、何よりも速く、地上へその身を投げた。
すぐに血が染み渡り、私は赤い水たまりの上でうずくまった。
慌てた様子の私が地面に転げ出ても気に留める者は少ない。
あぁ、また誰かが追い詰められているのだろう。助けが必要なんだろう。
死んだんだろう。
そんな
もつれた足で地面を這いずり、私は眦を決してギルドへと向かう。
そんな息も絶え絶えで、明らかに様子のおかしい私に声をかける者はやはりいない。
面倒ごとにかかわりたくない、誰か助けてあげるだろう。
そんな集団心理が意志を持って私に襲い掛かる。
いつもそうだ...
なんとか立ち上がり壁を両手で伝い、引きずる足でギルドへ助けを求めに。
今まで私が自分から助けを求めたことがあっただろうか。
石を投げつけられ、家を焼かれ、罵声を浴びせられたあの時でさえも、私は音を上げなかった。
過去と今が重なる。
まわりにいるのは、人の皮を被った悪魔だ。
危害を加えていなくても、存在だけで私の害だ。
何もしない、それだけで私の気分を害する。
助けもしないのら、期待しない。今まで私はそうやって生きてきた。
ただそれでも足は止まらない。
その原動力になっているのは今でも微かに残っている少年の手の温もりだ。
「クソったれ...」
ギルドのカウンターが見えた。
しかし、足がもう動かない。その場で力尽きそうになる。
刀を突き立て、倒れ伏しそうな体を気合で支える。
明らかに異様な気迫を放つ私にようやく周りがざわめきだすが私の耳には何も入ってこない。
ひたすら頭の中をめぐるのは少年の穏やかな声音。飛び立ちそうになる意識を何とか握りしめ私は歩く。
「おい...はやく、警報...出せ...食人花...上層...」
虚ろな目でカウンターへ血に濡れた拳を叩きつければ眼鏡をかけたハーフエルフがビックリして慌ててこちらにやってきて、私の形相と状態を見てさらにビックリする。
「だ、大丈夫ですか!?今医務室に案内いたしますっ!」
「私は、いい!食人花が...上層!」
中へ戻って人を呼ぼうとするハーフエルフの腕を鷲掴みにして、もうすでに掠れた聞こえるか聞こえないかの声で告げた。
一冒険者が誘拐、失踪したとしてもすぐにはギルドは動かない。
時間をおいてクエストを発行やら、報酬金がどうやら、なんとか言ってすぐには動かない。
なら、上層全体が危機に瀕していることを告げればすぐに動くはず。
そう信じて、私は絶え絶えの息で叫んだ。
「私の仲間が、襲われた!...早くしないと...次の犠牲者が!!」
叫ぶと同時に吐血してカウンターを真っ赤に染めるが気にしちゃいられない。
とても普通ではない状況にハーフエルフの受付嬢の女の動きが固まる。
「上層に、食人花が...」
衝撃の事実に頭の処理が追い付いていないのだろう。
まず、目の前の瀕死の冒険者を処理するべきか、それとも冒険者全体へ警告を知らせるか。
その判断の迷いが私をさらにイラつかせる。
「早く!上級冒険者をッ!」
こうしている間に少年は、アルファが。
しかし、叫びすぎた喉は血を吐き、風穴が開いた腹からは血が流れ出る。
もう半分気合だけで動いていたからだはその場に力なく横たわる。
「早く...早く...」
赤い水たまりの上に透明な雫が零れ落ちる。
もう意識が遠のいて力なく瞼が下ろされようとした時。
「それは、本当かしら」
透き通るようなソプラノの美しい声が聞こえた。
もう体は動かず、目だけで声のするほうを見やればそこにはこの世の者とは思えないほどの美貌を湛えた人がこちらを見下ろしていた。
「か、神フレイヤ...」
フレイヤと呼ばれた髪はその銀髪の髪を揺らしこちらの返答を待っていた。
全身の力を集めてなんとか声を振り絞る。
「本当だ...だから...」
「オッタル、いって来てちょうだい」
その神は私が全てを告げる前に隣に立つ大柄な
「お言葉ですがフレイヤ様。
「だってこの子、色が混ざってるんですもの。面白いわ。あの子とは違って、混ざってる。それに上層ってことはあの子の邪魔になるかもしれないし、あなたも一度戦っておいたほうが良くないかしら?」
「すべては貴女の思うままに」
一度顔をしかめた巨躯はすぐに銀髪の神に頭を下げ私のほうへやってくる。
もう声も出せそうにない私は何とか力を籠め、口を開こうとした時、
するとみるみる内に腹の痛みと、のどの痛みが和らいでいき苦なく話せるまでに回復した。
しかし、お腹の傷が治っているわけでもなく、流れ出た血が戻ってきているわけでもない。
ガバッと上半身を起こした私は貧血で倒れそうになるがすぐにオッタルと呼ばれた
「7階層の、正規ルートを外れた、
私の言葉を最後まで聞くことなく立ち去った
本音を言うなら私も連れて行ってほしいところだが、足手まといにしかならない。
それにあの
スキルも、魔法も使えない冒険者が食人花とあの男に勝てるだろうか。
あぁ、私が居なければアルファは魔法が使えてなんとか出来ていたかもしれない。
後悔が頭の中を駆け巡る。
回復したのは表面だけで、すぐにふらついてしまう。
なんとかカウンターに手を立ち上がるがすぐにふらついて倒れてしまう。
「救護班を呼んできましたっ!?」
いつの間にか救護班を呼んでくれて来てくれていたハーフエルフの受付嬢。
担架を担いだ白衣の集団が目の前までやってきて私の体を持ち上げる。
もう完全に限界を迎えた体が最後に聞いたのは銀髪の女神の言葉だった。
「さぁ、あなたは何色になるのかしら?」