ダンジョンでハイエルフに出会うのは間違っているだろうか 作:98zin
それから僕たちは凍える体を互いに預け合いながら未だに気温が氷点下を下回る緑壁の
口元から飛び出る息は外気に触れたそばから瞬く間に白く染まっていく。
だけど僕の肩に回るスクラの右腕はそれ以上に冷たく、凍りついていた。
凍傷、腐敗、血がちゃんと回っていない。
スクラの体であまりちゃんと見えないけど、左の腕は僕たちが足を進めるたびにぶらりぶらりと力なく揺れている。
その腕の先には力が入っていないのにもかかわらず白い短剣がくっついていた。
両腕が凍りついてしまっている。
それに密着するスクラの体は外気より冷たい。冷たいを通り越して熱いと錯覚してしまうほどに。
必死に体を前に進めるスクラの息は浅い。さっき少しだけ取り除いた霜もまたぶり返して、依然とスクラの体温を、体力を奪っていく。
まるで魔法を使った代償のように。身に余る威力の魔法を使用した愚者を戒めるように。
スクラの顔を覗けば長いまつ毛も、目にかかる前髪も何もかもが凍てついている。
事実あの場、スクラが巨大キラーアントと精霊?を凍結させた所にもう少し長くいたら僕達も永眠していただろう。
スクラがあの時、離れるわよと指示を出してくれたおかげでそうならずにはすんだけど。
モンスターから完全に
助けてもらった魔法に殺されそうになるなんて複雑だけど、確かに命の危険を感じた僕達はその場を離れた。
必死に歩を進めるこの通路は一本道。また緑のコボルトやらなんやらが出てきたら成す術もなく僕達は殺されるだろう。
ただその心配は少しずつ薄れつつある。あの場を離れてから一度もモンスターに遭遇していないからだ。
恐らくスクラが腹の中と言ったこの通路が
ダンジョンと一緒で
想像してみてゾッとして思わず身震いする僕にスクラが力ない動作でこちらを見上げた。
「...寒い?」
自分の体がいったいどれだけ冷え切っていると思っているのか。感覚までもが凍りついているのか、スクラが僕に心配をかけてくれる。
「寒い、けどスクラほどじゃないよ」
もうほとんどスクラの体を僕が引きずって歩いている。自分の体を自分で動かせないんだ。
だけど止まるわけにはいかない。僕がスクラを動かすことで僅かに発生する摩擦熱と僕のまだスクラよりは暖かい体温でスクラを解凍しないと。
止まった瞬間スクラの瞼は開かなくなってしまう。
妖精の加護も今僕自身の
妖精の加護が無ければ僕は既に凍え死んでいただろう。逆に言えばそんな支援が無い中で凍ってしまわないスクラの生命力が凄い。
魔法を使用した張本人だから耐性があるのは当たり前なのだろうけど、じゃあ何故ここまで凍りかけてしまっているのか。
耐性があるならここまで疲弊するはずがないし、無いなら無いでどうなんだって話だけど。
「スクラ、このまま歩き続けたらどこに着くの?」
徐々に気温が上がり吐く息の色も半透明になりつつある。
「...少なくとも、ここよりはマシな場所」
心なしか頬に張り付く霜が減ったように見えるスクラは濁したようにそう答えた。もしかしたら本当は行き先を知らないのかもしれないけど。
ここよりひどい場所は無いって意味でそう言ったのかもしれない。
冷え切った気温が少しずつ上がるにつれ、緑壁の色味も深くなっていく。
踏みしめる地面もさっきまで硬かったのが今はサクサクとやや心地いい具合になっている。
つまりここがダンジョンと同等の造りと考えるならそろそろモンスターが湧き出てもおかしくない。
はやくこの通路を抜け出さないと。スクラの腕を掛けていたから今までやや下向きだった顔を上げ自分たちの歩く先を見やる。
すると薄っすらと見えるのはこの緑の空間にはしばらく見なかった銀の扉だった。
「あれは、ここに入った時と同じ扉?」
大きな銀の扉は静かにそこに佇んでいる。目の前までたどり着くとその扉の大きさに思わず声を漏らす。
これ、どうやって開けるんだっけ。スクラがなんか赤い球で開けてたような。
ちらとスクラを見ると彼女はふるふると首を横に振った。
「この扉を開けるには鍵が必要なの。私のローブの奥に入っているわ。手が凍っていて出せないからあなたが取り出して」
「分かった」
スクラの腕を見ると未だに凍りついていて自由に動かせる状態ではなかった。
僕はよいしょと肩にかかっていたスクラの腕をほどきスクラの正面に立つ。
どうやらもう1人で直立することが出来るまでは体力が戻ったようで目の前には黒いローブを八割ほど青白く凍らしたスクラがいる。
言われたとおりにローブの奥へ手をやろうと腕を伸ばし凍るローブに手を掛ける。
ふとそこで不味いことに気づく。
女の子の体に手を入れるなんて、やってること、不味くない?
右手で固いローブを掴み奥に伸ばしかけていた左手の動きをピタリと止める。
「その鍵って、どの辺ですか...?」
何もやましいことを考えてるわけじゃない。というか逆にやましくないように、最短で鍵を見つけるためにまずは場所を聞かないと。
動揺を悟られないように平静を装って尋ねる。
「落とさないように腰あたりのポケットに入れたわ」
腰!?腰だって!
スクラの中の服装がどんなものかは知らないけど、不味くない?
そこまで手を突っ込まなきゃいけないの!
ローブをめくって後ろから取ろうかと思ったけど固まってしまっているローブを無理に動かすと破れてしまうかもしれないし、何より今スクラの腕を動かすのは良くないと思う。
何も変なことは考えてはいけない。すぐに鍵を取って、この扉を開けて、ここよりも暖かい場所へスクラを連れて行くんだ。早くしないと。
意を決してペリペリとロープをそっとはがし左手を奥に入れる。どこもかしこも冷え切っていてどこに何があるか分からない。
ただ少なくともスクラの体に僕の手を這わせなければポケットの位置なんて見つかりっこない。そう思ってしまった。
傍から見れば完全にヤバイ奴だろう。少女が纏うローブに手を入れごそごそと動かす男。あぁ、ヤバイ。
誰に見られるわけも無いのだけど、どうしても羞恥が勝る。
変に意識するだけ無駄だと悟り僕は必死心を無にしてポケットを探した。
まだまだ冷たいスクラの体に手を這わせ、手の先の感触を頼りに球体を探した。
恐らくここが腰。丸みを帯びたその部位は嫌でもスクラが女性だということを認識させてくる。
「もうちょっと上」
突然聞こえてきたスクラの声に肩を跳ねたけどすぐにその言葉通りに手を動かす。
ゆっくり動かしすぎるとスクラにあらぬ誤解をうけそうで怖かったから僕はスッと手を上に動かした。
「んっ、あったかい...」
あああああああっ!!?これお腹じゃない!?ちょっともちっとしたよね!?
あったかいって言ってるもんね、スクラ。
手を上に上げすぎた。そういうことなんだろう。スクラの脇腹をしかとその手で触れてしまっている。
っていうか、この子何で脇腹出てるの?服着てないの?
いやいや、鍵が入っているって言うくらいだから服は着てると思うけど。どんな服着てるのさ。
焦るなアルファ。すぐに鍵の捜索を再開するんだ。このままではアルファ・イロアスは犯罪者になってしまう。
鍵を見つけるという大義名分をもってしても、許されざる行為を犯している。
女性の肌に、それもお腹などに触れてしまってはならぬ。
手を手前に引きながらさっきより少しだけ下げる。すると僕の手は硬い、そして完全に球体のそれを見つけた。
あった。そこから僕の動きは速かった。
すぐにその球体を取り出し、スクラの肌に触れないように迅速にローブから手を引き抜く。
引き抜かれたその赤い球体は凍ることなく、それどころか禍々しいまでの紅を放っていた。
「それを扉に突き出して」
動揺を隠せず慌てふためきながら、言われたとおりにその球を扉へと向ける。
すると重厚な扉が低い音を響かせながらゆっくりとこちらに向かって開き始めた。
手の上にある赤い球はより一層禍々しさを深ませている。そこでふと球体の中に何かが入っているのが見えた。
「...D?」
よくよく見ればその水晶のような球の中には文字があった。
D、それが何を意味するのか分からないし、この扉がどういう仕組みで開いているのかも分からない。
顔を上げればその扉は後もう少しで全開に至るまで開きかけていた。
「行くわよ」
未だ足を上手く動かせないスクラが先に動き出した。僕は慌ててその傍に走り寄って肩を貸す。
右手に持った赤い球は自分の腰のポーチに突っ込んでおく。
冷たい感触を左半身で受けながら扉の向こうは、と目を凝らす。
どうやらこの緑壁の洞窟はここで終わりのようだ。扉の向こう側の壁や地面は岩、恐らくダンジョンのそれだろう。
久しぶりに踏みしめる硬いダンジョンの床を歩いていく。この先がどうなっているのかは分からないけど早く地上に戻らないと。
隣のスクラの事も心配だしなによりあの後雫が無事だったのかが気になって仕方ない。
とそこでふと洞窟に漂う懐かしい匂いに気づいた。爽やかで涼しい匂い。
ダンジョンでそんなところあっただろうか。少ない知識を総動員して記憶をめくり返していく。
「この匂い...木、森?」
足を進めるほど濃くなっていくその匂いに確信を抱きダンジョンにあるはずの無いそんな場所を想像した。
洞窟の曲がり角。突き当りを左に曲がれば少し先に洞窟の出口がこちらを照らしていた。
明るい。地上なのか?いや、もしかして。
記憶からダンジョンの情報を引っ張り出す。ギルドで見たダンジョンの階層地図。僕がたどり着くのはだいぶ先だろうと流し見していた階層。
「ここは18階層。
まるで僕の考えをよんでいたかのように唐突にスクラが声を出した。
明るい光が差し込む出口を潜り抜け、一瞬視界が明転する。
徐々に慣れていくその視界に僕は思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
「うわぁ」
眼前に広がるのは広大な木々。それこそ森のように生い茂っている。
遠くには人工物が羅列されていた。上を見上げれば大地を照らす太陽のように、燦々と輝くクリスタルがこの階層を照らしていた。お祖母ちゃんと過ごしていた森を連想させる光景にやはり懐かしさを感じる。
息を深く吸い込めば優しい気持ちになれた。
ここでなら安全にスクラの休養が出来るはず。向こうの人工物があるところにきっと他の冒険者もいるだろう。
ひとまずそこまで移動しないと。この景色に目を奪われて止めていた足をもう一度動かし始める。
「って、18かいそぉぉぉ!?」
驚愕の事実に叫んだ僕の声はキラリと光る天井のクリスタルに吸い込まれていった。
ひぃぇぇぇと叫ぶアルファの横でスクラは、まぁそうだろうねという感想を抱いていた。
ここまで散々あり得ないようなことに巻き込まれてきたアルファの脳はもう限界に達しようとしていた。
未知の老人の怪物。緑壁の中で巨大キラーアントと精霊との邂逅。そしてLv1にして到達階層を一気に
今日だけで驚きという感情は出し尽くしたといっても不思議じゃない。
今だったら空からどれだけ木の実が落ちてきたって何ら不思議じゃないとアルファは思った。
さらにいくら
もし敵対してしまえば今のアルファとスクラでは瞬殺されてしまうだろう。
「ねぇ、」
ええええええと叫び続けるアルファにスクラはちょいとアルファの服の袖を引っ張る。
「手、繋いでくれる?」
「ん?へ?」
もう思考がままならないアルファは、え?とかへ?しか口に出来ない。
ん、と言ってスクラは肘から先の感覚がほとんど無い腕を何とか持ち上げる。
困惑するアルファはひとまず言われたとおりに何も考えずその差し出された
「...やっぱり」
アルファの手がスクラの手に触れた瞬間、スクラは確信した。
アルファの手は、体は
理屈は分からない。たださっきアルファがスクラの体に触れてしまった時、確かに暖かい熱を感じたのだ。
あの時触れた部分はお腹。その熱はアルファの人としての体温だったかもしれない。
しかし、そうでは無いと言い切れるような自身がスクラにはあった。あの時感じたのは表面的な暖かさではなく
今もそうだ。皮膚もほとんど凍りついていて触覚が機能していなのにもかかわらずスクラは熱を感じていた。
体の内側から発せられる熱を、アルファの魔力をスクラは感じていたのだ。
「凄い!スクラの腕が溶けていく!」
アルファの手が触れている部分を中心としてみるみるスクラの腕が解凍されていく。
アルファが無意識に行っている魔力の譲渡、循環。それは紛れもなく
魔法所持者の危機的状況化において自動発動。
つい先ほどまで冷え切っていたアルファ自身の体は既に普段の体温ほどまでに戻っている。
それはアルファも自覚していた通り
そして現在、アルファとスクラの体は物理的に接続されていて魔力の循環が容易にできる状況にある。
そして今、少しずつ感覚を取り戻しつつある腕を見て、アルファが居なければ
緑壁の通路でスクラが意識を保てていたのは隣のアルファから絶えず魔力を吸い取っていたからだと。
いや、受け取っていたというのが正しいのか。半身が密着した状態にあったスクラはアルファの魔法に生かされていたのだった。
「遠い...」
ようやくスクラがアルファの助けを借りずに歩けるようになりひとまずの休息を得ようと、
アルファたちが18階層に来た洞窟はリヴィラの街とは反対に位置していた。
体調が万全のアルファならこの18階層を対角に移動しようとも遠いとは感じなかっただろう。
ただこの日アルファにとって想定外の事が起きすぎていて、アルファは心身ともに参っていたのだった。
それもスクラが凍っていた時までは彼女を死なせまいということが心の中で支えになっていたが、スクラの体調も辛うじてよくなったことで安心したアルファの体は緊張感から少し解放されその疲労をひしひしと感じていた。
アルファとスクラは鬱蒼と生い茂る木々の間の細い道を重い足取りで進んでいる。
「スクラは18階層に来たことがあるの?」
思わず無言になってしまうほど重い疲れの中、何とか気持ちを持ち返したくてアルファはそんな質問をする。
「何度かね」
特に誇るような声音でもなく、さも当たり前だというように一声で返す。
ここで会話が終わってしまいそうで慌てたアルファは次いで思いついた質問を飛ばす。
「そういえばスクラって、冒険者...なの?」
言葉の途中で詰まりそうになったのはあの老人の怪物を思い出したからだ。
よくよく考えれば老人に捕まり檻に捕らえられていたアルファを助けたスクラはあの男の仲間だったのではないか?今になって目の前にいるスクラを見てゾッとしたアルファは少し答えを聞くのが怖くなってしまう。
それでも自分を命を懸けて助けてくれたのは事実であり、今だってアルファを襲う気配もない。
ただ疲労して出来ないだけかもしれないが。不安と少しの興味を持ってその返答を待つ。
スクラはアルファが言葉を詰まらせた意味を理解し逡巡した後、意を決して足を止めた。
「私は...」
真実を伝えるべきか、それとも...
立ち止まり緊張した顔のアルファを見てスクラが口を開きかけた時。
『グゥオォォォ!!』
耳を
慌てて2人は戦闘態勢に入るが周囲は深緑の壁で声の主が見えない。2人は声の方向で位置に当たりをつけ気を引き締め目を凝らす。
「バグベアーね。気づかないうちに縄張りに入っちゃったみたい」
「縄張り?」
18階層のモンスターは基本冒険者を襲うことが無い。
そもそも18階層におけるモンスターの絶対数が少ないということもある。
さらにモンスターたちは18階層の自然の中で不思議な木の実などで各々静かに暮らしているのだ。
そこに人間が侵入してきたとあらば排除するのはモンスター以前に生き物としての生存本能だ。
バグベアーはここで蜂蜜を舐り暮らしていた。18階層の冒険者たちも自らモンスターを狩り行くことは無い。
偶にその数が増えすぎないようにとリヴィラから討伐隊が組まれることはあるがここまで奥地に来ることは滅多に無い。
初めて見た人間に自分の大切な蜂蜜を取られまいとバグベアーは縄張りを主張している。
「逃げるわよ」
「え?」
「バグベアーはミノタウロスよりも強いわ」
ミノタウロス。ただ単純に比較対象としてスクラが出したそのモンスターの名前。
アルファは手も足も出なかったそのモンスターよりも強いと聞いてしまっては逃げるしかない。
それにここは18階層。そもそも自分の
スクラの体力も万全じゃない。2人は決して声のするほうに背を向けずじりじりと後退していく。
『グルルル...』
相手も威嚇するように低い唸り声を鳴らし徐々にその姿を現した。
のしのしと現れた巨躯はアルファの3倍はある。圧倒的な威圧感に押しつぶされそうになるが巨大キラーアントに比べればと、心を奮い立たせる。
いつバグベアーが飛び掛かってきてもいいように足に力を込めた時右の茂みから物音が聞こえた。
「!?」
新手かと体を強張らせ、アルファはまだ走れないスクラを抱えて逃げ出そうとした時その茂みから銀の線が飛び出した。
アルファに視認できない速度で飛び出したそれは一直線にバグベアーの喉元へと突き刺さる。
一瞬の出来事に困惑するアルファはその茂みを警戒しさらに一歩下がった。
「いやーごめんごめん、驚かせて悪かった」
突如聞こえてきたのは想像もしていなかった人間の声だった。
ガサガサと茂みをかき分け出てきたのはよくある冒険者の
ズシュとバグベアーに刺さった銀の棒、もとい槍を引き抜き一撃で絶命させたそのモンスターに手を合わせる。
「あ、あの」
その不思議な光景に声をかけていいか分からず、しかしお礼は言わなくてはと上ずった声でアルファは青年に声をかけた。
「ん。俺の名前はアキレス、デメテル・ファミリアのアキレス・オリヴァだ。今バグベアーになにしたのかって?謝罪だよ。他者の命を守るのに他の命を削ってしまってすまないってな」
聞いてもないのに全部話してくれた。それほどアルファの顔に出ていたのか、それともアキレスの察しがいいのか、それとも何でも喋りたい性分なのか。
唖然とするアルファとスクラにその青年は続いて捲し立てる。
「お前たち見たところ冒険者だな。っていうか、こんなとこ冒険者しか来ないか。はっはっは!」
1人で会話を続ける彼にお礼を言うことも忘れて2人は一歩後ろに下がるのであった。