居酒屋『鳳翔』   作:成瀬草庵

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今話はリメイク前
次話からリメイク後です。


リメイク前 居酒屋『鳳翔』
リメイク前1


「提督、そろそろ起きていただけませんか?」

「んー....あと一時間」

「そんなに寝ていたらお店開いちゃいますよ?」

「いいんじゃない?」

「ダメですよ、ほら、シャキッとしてください」

温かみを感じることのできる落ち着いた室内。

檜のカウンターに、一人の男が伸びていた。

というよりも、寝ている。

「もう、そんなんだから威厳もでないんですよ」

「威厳なんていらないよ、みんなが自由にやってる方がいいさ」

「はぁ.....まったく」

そんな男に世話を焼かせられる若い女性。

薄い暖色系の和服に身を包み、後ろの纏めた髪をゆらりゆらりと揺らしている。

「鳳翔なら、別に俺が寝てても大丈夫でしょ?」

どうやら、『鳳翔』という名前らしい。

女性の名前としても、人の名前としても随分と珍しい名前じゃないだろうか?

「今日は私だけじゃなくて龍田ちゃんも来るんです、怒られちゃいますよ?」

龍田、その名前が出た瞬間に、男の顔が『ゲッ』という感じで歪んだ。そこからの行動は素早い、先ほどまで『べたぁ...』と机にくっついていた人物の行動とは思えないほど素早かった...。

「さてさて、仕事しようか」

「はい、頑張りましょうね」

余程苦手らしい....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鳳翔の女将ぃ!今日のオススメは?」

店内に響渡る若い男の声。

彼は引戸を開けると同時に叫んでいた。

ここは、密かな人気店、居酒屋『鳳翔』だ。

居酒屋といっても、お酒がメインではなく、普通の大衆料理屋みたいなものなのだが、店側の気分で居酒屋とつけているらしい。

「あら、宮原少佐」

「いらっしゃいませぇ」

「ゲッ、龍田さん」

宮原少佐と呼ばれた年若い彼は鳳翔ではない女性の声に悲鳴を漏らす。

しかしそれは、最悪の悪手だ

「.......その『ゲッ』ってどう意味かしらぁ~?」

ほら見たことか、龍田という女性が妖しい笑みを浮かべながら、カウンターから入口の彼を見る。

背筋に寒気が....。

「いや、その、なんと言いますか....」

「ふふっ?なにかしら~?」

ドSだ。

というか鬼だ。

さらに言うなら龍田だ。

「提督?何を考えているのかしら~?」

「いや?特になにも」

相変わらずの怖さだ。口に出してすらいないこっちの思考を読んでるよ。

「龍田その辺にしてやれ、宮原が可哀想だ」

「そうねぇ、ふふふ~」

宮原、そんなに凍えたように歯をガチガチ鳴らすなよ。そして龍田そんな怖い顔すんな...。

「古賀大佐ぁ!」

「うわっ!?やめろバカ、俺の軍服が汚れるだろうが」

来んな!泣きながら鼻水垂らして抱きついてくんな!俺はホモじゃねぇから嬉しくねえんだよ!

「は・な・れ・ろ!」

俺は近づいてくる宮原を、必死に足蹴で引き離す。

「だっでぇ...古賀大佐のとこの龍田さん怖いですよぉ」

いや、そりゃ否定しないけどさ....。

「だからって上官に抱きついてんじゃねぇ!」

気持ち悪いわっ。つかこいつ、どうやって扉から座席までワープしやがった!?

「あらあらぁ~」

龍田ぁ、面白がってないでこいつ引き離せよ。

なんで俺カウンター席に座ったんだろ...。龍田が居る以上、まともな目に遭うことはないとわかっていたはずなのにな...?

「はいはい、その辺にしましょうね?宮原少佐、提督?」

「つーわけだ、離れろ宮原」

「ぁい....」

[助かったぞ鳳翔]

[いえいえ、遅くなってしまって申し訳ありません]

お互いの、目配せで短文のやり取りをする。

長い付き合いだとこんなこともできるようになるわけだ。

「先ほど宮原少佐がお訊きになった今日のオススメですが、龍田ちゃんが居ますし、龍田揚げ定食ですね」

しっかりと営業を忘れない鳳翔、流石だな。

「えっと、じゃあ、龍田揚げ定食で」

ん...?龍田揚げ定食だけ?

「珍しいな、宮原。酒は呑まんのか?」

何時もは呑んでいく宮原が呑まないのはかなり珍しい。というか、これまで此処によって呑まなかった日はない。

「えぇ...まあ、ちょっとありましてね」

彼はそう憎々しげに呟くと、俯いてしまった。

何かのいざこざだろうか?

まあいいか。俺には関係のないことだ。

喋りたかったら勝手に宮原が喋って食って帰ってくだろうから。

「龍田揚げ定食入りました!龍田ちゃん、お願いね?」

「はぁい」

鳳翔のキリッとした声と龍田の間延びした声。

そして調理が始まったことがわかるカラカラという金属のぶつかり合う音。

ここから彼女達の戦場だ。

気にしなければいけない点は多い。

居酒屋『鳳翔』のプライド、というよりは鳳翔自身の意地として、作りおきはしない。

その場で作ると言うものがある。

だから、お客様を待たせないように、素早く手際よく美味しい食べ物を出すために、無駄な動作は省いている。

流石にご飯は炊いてあるが....。

早くよそり過ぎて龍田揚げが盛り付けられる頃には冷えていたなんて洒落にならない。

ご飯をよそるタイミングも大事だ。

こればっかしはどうしようもなく、事前に特性タレに着けてある鶏肉を再度しっかりと深くタレにくぐらせて片栗粉をまぶす。

ここで、小話を挟もう。

『龍田揚げ』だが、どうして、龍田と言うかご存知だろうか?もちろんのごとく、諸説はあるのだが、その内の一つとして大日本帝国海軍天龍型軽巡洋艦二番艦龍田にて作られたのが始まり、という説がある。

さて龍田の手元に戻ろうか。

先ほど片栗粉をまぶした鶏肉をさっと煮えたぎる油の中へと通した。

揚がるまでの僅かな時間も無駄にしない。

椎茸を包丁でその柔らかい身に少しの切れ目を入れた。彼女はそこでチラリと油に浮かぶ鶏肉を見た。まだらしい。

そのまま先ほど鶏肉にしたのと同じように椎茸を特性のタレにくぐらせ、染み込ませる。先ほど入れたばかりの切れ目からもよくタレが染み込んでいく。

...1、2、3。

パッと箸の先に掴んだ椎茸を持ち上げ、片栗粉をまぶす。おや、まだまぶす作業の途中なのにやめてしまった...。

そう、音が変わってきたからまぶす作業をやめたのだ。なんの音か?そりゃあ、鶏肉の龍田揚げの音だよ。彼女は作業をしながらもずっと油の音を聴いていた、油の音で大体の状態を把握しつつ、チラリと流し目で鶏肉の現状を把握してどのタイミングで引き揚げるかを見計らっていた。

そして『用意されていた』水菜の葉先の盛られた白い器に盛り付ける。

そう、用意されていたのだ。忘れていた方もいるだろうか?ここにいるのは彼女だけではなく、鳳翔もいるのだ。鳳翔が付け合わせとなる漬物や、水菜、味噌汁等を手際よく準備していたのだ。

龍田だがこれで終わり、ではなく、まぶしかけの椎茸に再び取りかかり、これまた先程と同じように煮だつ油の中へといれた。

しかし...どういうことだろうか?

衣が黄金色に成ると直ぐに揚げてしまった。

先程の鶏肉は黄金色になっても少し油のなかのままだったのだが....。

答えは簡単なものだ。

この椎茸、軽くではあるが茹でてあるのだ。

いつの間に?と思うかもしれない。

これもまた鳳翔の支えによるものだ。

阿吽の呼吸でお互いのサポートをする彼女達は、何気ないように動きつつも相手の次の行動を読んで、相手の手間を減らしている。

「相変わらず、すごいっすね...」

「そりゃ、鳳翔と龍田だからね」

宮原少佐も思わずと言った感じで感嘆の声をあげる。

何時も見ているはずの彼でもこの感想だ。それにたいして男も嬉しそうに、そして誇らしげに答えている。

「ふふ、ありがとうございます」

柔らかい鳳翔の微笑み、お艦などと言われるのもこれが所以かもしれない。

無駄話を続ける間にも龍田の手は止まらない。

椎茸を先程の皿に盛り付け、鳳翔からよそられたご飯を受け取り、御膳に載せる。

出来上がりだ。

「お待たせいたしました~、『龍田揚げ定食』です」

今日もいい出来のようだ。

いい香りがする。

「んじゃ、いただきます」

っぁあー、羨ましい。つか俺も食べたい、まあ、頼めば作ってくれるだろうけど宮原がいなくなった後の龍田が怖い。

「鳳翔、俺にも日本酒頂戴、安酒でいいよ」

[宮原見たらなんか口に入れたくなった]

「もう、一応勤務中ですよ」

[はぁ.....軽くなんか作りますね]

「そうは言われてもね」

[お、ありがと]

口で話すこととは別の内容を視線で交わす。

これをやると結構色んな奴にビビられるんだが、正直鳳翔さんと俺にとっては慣れたコミュニケーションの方法なんだよな。

「古賀大佐は酒ですか、例え安酒であっても羨ましいです」

そう言った宮原の言葉に俺は思わず眉を歪めていた。

「本当にお前どうしたんだ?大酒飲みのお前が飲まないし、人を羨むなんてさ」

「いや.....うちの艦娘達に怒られちゃいまして...」

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま~」

「司令ェ!おかえりなさい」

「あら提督おかえりなさい」

宮原、彼はこの泊地では新人の部類に当たる。とはいっても少佐であり、階級としては下士官なわけでもないのだが....。

現在三人の艦娘を部下として得ており、好調な滑り出しを見せていた。というのも、

 

・着任早々から駆逐艦最強候補の1人、雪風を引き当てた。

 

・重巡の中でもトップクラスの性能を誇る高雄の獲得。

 

好調にも程がある!と同期の者たちや先達から叫ばれる程の幸運だった。まあ、たまにこう言った理不尽な提督がいるのだが....。

「提督?今日もあの『変な提督』のところで夕食を済ませてきたんですか?」

「えっと、だめだったかな?」

「いえ、いいですけど.....」

艦娘達から敬遠される提督、彼の艦隊が経営する居酒屋は同業者や民間からは人気だが何故か艦娘からは嫌われる。そして、彼の艦隊と演習を行った提督からも....。

「ダメですよ司令ェ、あの人のところは危ないです」

宮原は艦娘達からやめるように、とは言われてもついついあの居酒屋へと足を運んでしまう。

「鳳翔の女将のご飯、美味しくてさぁ...」

そう、美味いのだ。

不味いなら誰も足しげくは通わない。

例え上官がオーナーを勤める店であってもそうは通わない。艦娘達からすれば残念なことに例の提督の居酒屋の飯は美味いのだ。艦娘達も涙ながらに認めざるをえないほどに...。

「ところで高雄、羽黒は?」

宮原はふと自分の秘書艦に尋ねた。

引っ込み思案で臆病者な艦娘、軍艦としてそれはどうよ?と思えるのだが、それもまた彼女の特徴だ。とまあ、そんな特徴をもつ重巡の姿が見られなかった。

自分から外へ出るような娘でもない。

何かあったのだろうか?

「えっと......あの..その...」

「司令ェ.....」

「??どうかしたのか??」

宮原はふと首をかしげた。

いや、男がしても可愛くもなんともないのだが...。

「怒らないで、聴いてくださいね?」

高雄が前置きをしてから、こっそりと彼の耳へ囁く。

奥にいる彼女(羽黒)に聴こえないように

「提督のお酒の匂いを嫌がって中に....」

「ゑっ!?」

意図せずして彼の口からは古い平仮名が溢れた....。

 

 

 

 

 

 

 

いやぁ、結局、そのまま自室から出てきてくれなくって…..。んで、翌朝彼女を執務室に呼び出しましてね?なんて言われたと思います?」

何て言われたのか....。 想像つかないなぁ。

うちの娘たちなら.

鳳翔の場合『もう、ダメですからね?今日はお酒屋禁止です、え?煙草?えっと....いいですよ』

何だかんだで甘いよな。

龍田の場合『あらぁ提督、またお酒ですか~?ふふふふ~』

怖っ!?死ぬ!絶対死ぬ!!

飛龍の場合『あぁっ!?提督また呑みましたね。もう、しょうがないなぁ』

鳳翔と同じぐらい甘いからな。

時雨の場合『.........、二日酔いに気を付けて飲んでね。え?僕だって心配するよ』

何かあったときは真っ先に助けてくれるしな

夕立の場合『提督ったら動けないっぽい?動ける?寝てていいっぽい』

雷の場合『もう顔が真っ赤じゃない、今日1日寝てなさい、執務?私がやっとくわ!』

小さなお艦だよなぁ...。

あとの二人は...うん、録な目には合わないとは思うが、結局寝かされるだろうな。

あれ?龍田以外みんな俺を甘やかしてないか?

「さ、さあ?宮原は何て言われたんだ」

宮原が酒を飲まないということは余程酷いことを言われたんだろうな....

「笑わないでくださいよ、古賀大佐」

「おう」

そんな妙に深刻そうな顔で念押しすんじゃねぇ、既に笑いそうだ。

「執務室の扉を開けた瞬間に、『うわ、臭い』」

扉を開けた瞬間に『臭い』。

扉を開けた瞬間に『臭い』、ねぇ....

「ははははははははははは!ヤバイなそりゃ、おいおい、傑作すぎるだろ、おいやめ、お前、んなバカな話あるかよ」

あり得ん、まずあり得ん。

宮原がいくらうわばみでもザルでも翌日まで匂うほど飲むことはない。

「ちょっ!?笑わないって約束だったじゃないですか」

「いやっ、そうは言われてもなぁ?」

俺は詰め寄る宮原を尻目に龍田の方をちらっと見る。

鳳翔はもう必死に笑いを堪えているし、話しかけたところでしょうがない。ニコニコとしている龍田の方がまともな会話ができると見越しての判断だったが

「宮、原少佐、いく、ら艦娘と言っても、感知には限界がありますよ」

笑いを、なんとか堪えきった(と本人は思っている)鳳翔が宮原に告げた。龍田お前ニコニコしてないで話せよ...。

そう、いくら人間よりはさまざまな肉体的性能で優れている艦娘であっても、別に彼女たちは犬じゃない。

豚でもなければ猫でもない。

だから、二日酔いするほど、飲まない宮原の酒が

「翌日に感知できるわけないだろう、たわけ者が」

「そうねぇ、そんなに鼻が良かったら私は提督の近くによれないわ~」

「おいこら、龍田。どういう意味だ」

「他意はないですよ~」

.........後で遠征(お使い)に行かせよう。

そして宮原は完全に、固まってると....

「はいみなさん、せーの」

俺の音頭を合図にパァァンという音が店内に響く。

ただ拍手しただけだが

「えぇぇぇぇえぇぇ!?羽黒は特別耳がよかったり鼻が良かったり目が良かったり耳がよかったりするって聞きましたよ!?」

「そんなわけないだろ、落ち着け宮原。しかも耳がよかったりって二回言ってる」

あーあ、相当焦ってるよ。ていうか驚いてる?

「艦娘は、姿や性格に多少違いが生まれます。でも、性能(スペック)差はありませんよ」

鳳翔の援護射撃。落ち着いて考えれば差があるわけがないことぐらいわかるだろうに...。

「え?いや、だって!」

「俺のところに来させたくない、もしくはそんなに長居させたくない艦娘達の可愛い嫉妬じゃんかよ。酒が飲めないなら『居酒屋』には通わない、もしくは早く帰ってくると踏んだお前のとこの艦娘達が一芝居うったってところか」

愛されてるなぁ。

俺のところは...まあ、うん。あれだからなぁ...。

それに、艦娘たちも自分の作った飯を食べてほしいってところか?

「でも普段のこそこそ話とかも羽黒には聴こえていて」

「最初に話す内容を決めていて、会話の前に羽黒ちゃんに内容を教えるんじゃないかしら?」

「龍田の言う通りだよ、そう難しいことじゃない」

「な、なるほど...」

宮原は大袈裟な感じカクカクと頷くと、呻く。

自分を騙したことを咎めるべきか、咎めぬべきか。

そもそも知らなかった振りをすべきか...。

またここに寄るかどうか、そんなことを悩んでいた。

「まあさ、お前は多分艦娘に愛されてんだよ。中には艦娘と仲の悪い提督もいるだろ?お前はしっかりと心配もしてもらえてるしさ、見捨てんなよ?自分の艦娘を」

カラカラと笑い声をあげる古賀。どこか哀愁漂うその姿だが、彼の奏でる言葉は恐らく間違ってはいまい。

「はぁ....」

「捨て艦なんてもっての他だし、段々と強い艦娘が入ってくると最初のころの相棒なんて忘れちまう提督もいんのさ」

解体したり、近代化合成に使ったりね?

と彼は小さく呟きながら、鳳翔がいつの間にか彼の手元においていた熱燗を煽る。

「まあ頑張りなよ、轟沈なんてさせんじゃねーぞ。今日はさっさと食って早く帰ってやんな、艦娘達が待ってるよ」

「わかりました....」

そう言うと宮原は少し冷えた龍田揚げを口に入れた

「あ、美味しい...」

中から溢れ出た肉汁が彼を内から暖めた

 

 

 

 

 

 

「古賀あぁぁぁぁ!」

この泊地で、古賀という人物はただ一人。

艦娘からは頭のおかしい提督としてマークされているあの居酒屋のオーナーだけだ。

というのも、度々今のように「古賀あぁぁぁぁ!」などと長官に叫ばれて、他の古賀という名字の提督達の胃に穴があいたのだ。いや、これは別にあのオーナーが悪い訳ではないと思うのだが....。

「はいはい、どうしました?坂本さん」

「どうしましただと!?お前、お前......」

今日は眼帯をつけた女性左官に怒鳴られているようだ。

「私の酒を飲んだなぁぁぁ!」

はて、何のことだろうか?

古賀は本気で疑問に思った。

彼の目の前の坂本はすぐに酔うくせに(悪酔い・暴走)やたら飲むのだ。それも高級品を、水のように...。

だから勿体ないと大分前にちょろめかしたこともあったが、あの時のことは既にバレて怒鳴られた。

となると今回は別件だろう。

「坂本さん、本当にそれ俺かい?」

「貴様ぁ、惚けた振りをしても無駄だぞ!貴様のところの鳳翔がゲロッた、私の酒を貴様が飲んだとなぁ!」

はてさて、本当に何のことだろうか。

本格的に雲行きが怪しくなってきた。

先ほどまでは暇潰し程度の感覚で坂本さんの暴走を宥めるつもりだったが、まさかここで鳳翔さんの名前が出てくるとは思ってもいなかった。

「この前貴様が飲んだ黒霧島は私が鳳翔に頼んでとっておいた酒だ!」

黒霧島...あ、ヤバッ...、飲んだかもしれない。

「あ、あれは私の飲みかけだったんだぞ!」

ん...?坂本さんって、瓶に直接口つけて飲むよな...?

「よ、よよよよりにもよって貴様はぁ!」

そりゃキレるよなぁ。

うん、確か坂本さんって男性相手は結構ウブって聞いてたが本当みたいだな。あれ、でも欧州の方で向こうの中佐(うん、確かミーナ中佐だっけ?結構な美人さんだよね)とキスしてたはずだから....

「まあまあ、ファーストじゃないんだからさ?直接でもないし、間接程度気にするものでもないだろ?詫びに今度なんか奢るって」

「何を言うか、キスなどしたことないわ!」

あるぅぇ?なんか着火しちった?

「どーうどうどう、落ち着きなって」

「私は馬ではない!」

舐めているのか?そう坂本は言うと、背へと右腕を伸ばす。肩口から見えている『それ』は、古賀にとっても恐いもので.....

「あのぉ、坂本さん?その、右手に掴んでいる物は...」

「安心しろ、痛みを感じずに逝かせてやる。鳳翔のところに三枚おろしになった貴様を届けてやろう」

死んだかも。そう思いながら彼は回れ右、そして間髪いれずに走り出した。

「待て古賀ぁぁぁぁ!」

ドタドタドタ、泊地の名物と成りつつある追いかけっこが始まった。但し命懸けの追いかけっこではあるが....。

 

 

 

 

「おおー、やってるやってる」

「派手だねぇ」

「さあさぁ!今日はみんなどっちに賭ける?坂本少佐か古賀大佐か」

「俺は古賀大佐」

「僕は坂本少佐でよろしゅう頼んます」

「じゃあ俺は---」

「私---」

最初の頃は止めようとしていた者もいたはずだが、今ではトトカルチョが始まるほどだ。

何だかんだで何時も古賀が逃げ切るので、死者がでない。だからこそ上層部もなにも言わないのかもしれないが....(というのは建前で、艦娘すら投げ飛ばす坂本少佐と古賀大佐を止める自信がないだけの可能性の方が高いと専らの噂)。

「で、今日も原因はお酒ですか」

「みたいだな」

このやり取りからわかるように大体お酒が原因らしい。

「だけどよぅ、今日は坂本も何時もと怒りかたが違う気がするぜぃ」

そう呟くのは古参の工廠所属の技術者。いい年のはずだが、薄褐色筋肉質なその身体から老いは見てとれない。

若者より強そうにも見える。

「なんか間接キスだったみたいですね」

そんな彼に付き合って追いかけっこを眺めるのは今年この泊地に異動(左遷)してきた若い技術士官だ。

彼がなぜここに来たのかは何時か語るかもしれないが、今最大の問題は追いかけっこだ。

「古賀大佐が適当に酒飲んだら坂本少佐の飲みかけだったと」

「坂本少佐も瓶に口つけて飲むからよぅ、こんな目にあうんだぜぃ」

「でもイッキっていいですよね」

「お前もそっち側(飲んべえ)の人間かよぅ!」

「いや、古賀大佐や三倉中将ほど飲んべえじゃないですって....」

僕はまだまだ飲んべえなんて言えませんよ、彼はやれやれ、とでも言うかのように肩をすぼめるが、その比較対象で出てくる相手が泊地切っての飲んべえであることがおかしい、と思う工廠の親父だった....。

「何であいつらが比較対象なんだよぅ」

「いやぁ、居酒屋『鳳翔』で宮原少佐と本気の飲み比べしたら勝っちゃったんですよねー」

AHAHAHA!!

アメリカコミックのなかの住民のように快活に笑う彼だが、その横の親父の冷ややかな目線には気づいていない。宮原は自分で自制して普段はそんなに飲まないが、飲もうと思えばかなり飲める方のはずだ....。

「お?ちょっと状況が変わってきましたね」

愉快に笑っていたはずの彼の目線の先には追いかけっこの続きがとらえられていた。

 

 

 

 

「あ、古賀大佐おはようございます」

「おはよー、今日も頑張ってね」

「古賀大佐も逃げ切ってくださいね」

「あいよー」

のどかな朝の挨拶、に見える命懸けの挨拶だ。

道行く途中で出会う他の提督や、工廠の技術者、事務員などに中途半端に階級が高いのでしっかりと挨拶せねばならない。

例え後ろから羅刹が迫っていようとも....。

「古賀、頑張れよ」

「はっ!失礼いたします」

自分より階級が上のものにはしっかりと敬礼。

「古賀大佐、がんばれー!」

「おーう」

自分より階級がしたのものには軽く手を振って答える。

そんな古賀に対して上官だろうが部下だろうが遠慮なくスルーして追いかけている羅刹が坂本少佐だ。

この泊地に来るまでは厳格な性格で知られていた彼女もここに来て随分と変わってしまった...。

まあ、上官をスルーしたので(というより追いかけっこの時は何時も)後々呼び出されることは確定なのだが。

「坂本さーん、そろそろ追いかけるのやめてくれー!」

「貴様が捕まれば終えてやる!」

「そりゃ勘弁願うよ、おっと失礼」

彼はそう言いながら艦娘たちの行列の合間を駆け抜ける。気がついたら間宮アイス店の前だった、ということだ。

艦娘からは人気のアイスクリーム店、間宮アイス。

実は言うとアイスクリーム以外も販売しているのだが、いつの間にやらアイスクリームの評判が独り歩きして他の商品の影は薄れてしまった。

「そこをどけっ!」

おぉぅ...、坂本さんは乱暴だな。

来たばかりの頃の真面目な少佐はどこに消えた?まあいいか、戦の時には真面目な様子に戻るしな。

そろそろ撒くか、いつまでも追いかけっこしてるわけにもいかんし、いい加減に俺の仕事を終わらせなきゃならん。

「じゃーね、坂本さん」

俺は一瞬彼女の方を向いて、手を振った。

それからひょいっ、と建物と建物の間の狭い路地へと駆け入る。ここは迷路だ。

建物が連続して建ち並んでいるせいで、至るところに入り口があり、曲がり角がある。

俺がどの建物に入ったかなど、坂本さんに分かるはずもないし、どの曲がり角で曲がったかも分かるはずがない。俺の執務室の前で待ち構えていればいい話だが、それは将官の方々が許さない。

迷惑行為でもあるし、敬礼もせずに駆け抜けた彼女が許される道理はないのだから....。

「またかぁぁぁぁ!?」

大声で叫んでいる声が聴こえるが、知らない知らない。

 

 

 

 

 

俺が一応オーナーを務めている(事になっている)居酒屋『鳳翔』は、実に愉快なメンバーにて運営されている。

店名にもなっている艦娘、『鳳翔』。通称女将だ。

包容力あふれ、優しさですべてを受け止めてくれる。そして作る飯は美味い。実に嫁にほしい。そんな女性(艦娘)だ。

そんなまともな彼女と違って変なのもいるのだが。

変な奴等のいい例としてあげるとすれば、『龍田』だろう。彼女はドSだ、鬼だ、龍田だ。ふふふふ~と笑いながら近づいてきて「悪い子は誰ですかぁ?」と聞いてくる。ナマハゲなんて敵じゃないほど怖い。真祖でロリな吸血鬼よりも圧倒的に怖い。

鳳翔は基本毎日勤務しているが、それ以外のメンバーは勤務日の決まりがないのでいつ居るか分からない。

そして、居るメンバーによってメニューは変動するのだ。

この前宮原が食べた『龍田揚げ』、あれは龍田が居るとき限定のメニューだ。他の龍田限定メニューとしては龍田カレー(辛口)が当てはまるだろう。

他にも雷ならば雷カレー(甘口)、飛龍ならば飛龍カレー(辛口)や、酒蒸し。時雨だと、時雨カレー(中辛)や、軽いイタリア料理がメニューに追加される。まあ、そんなところだ。

メニュー表は存在せず、『本日の当直』と書かれた木製板の横に居る艦娘の名前が書かれた板がかけられている。それを見て注文を決めるのだ。

常連は大体のメニューを覚えているから「今日は◯◯が居るのか、なら△△をお願いします」と注文をする。もしくは「今日の鳳翔さんのオススメで」こう言えばさほど高くなく、いい食材の手に入った料理をオススメしてくれる。

一見さんはメニュー表がないことに戸惑うようだが、そもそもここによる人の大半がリピーターであることや、誰かに連れられての来店であるためそんなに困ったこともない。ごくまれに噂を聞いてフラりフラりと一人で訪れた客が来るが...。

「うちは提督の道楽でやってるようなもんですからね、そんな売り上げを気にした商売なんかしなくていいんですよ」とはある業者の質問に対する飛龍の談だ。

でまぁ、なんでこんな事を説明口調的な感じ一々説明しているかと言うと、『扱いの面倒くさい愚鈍な怠け者』が何故かご来店なさったからだ....。

ん?『扱いの面倒くさい愚鈍な怠け者』とはなにか?

まあ、うん、そうだなぁ....。

「早くメニュー表を出したまえ古賀くん!一体いつまで待たせるつもりだね?そんなに私に飯を食わせたくないのか!?」

よく肥えた体つきで、禿げ。

わざとらしい横に長い髭。

黄色人種であることを疑いたくなる赤黒い肌。

騒ぎ立てる声は耳障りで甲高い。

純白の軍服に身を包み、肩からはずらりと並ぶ勲章の数々....。

「だからうちにはメニュー表なんてないんですよ、安藤中将....。無いものは出せと言われたとて出せません」

「ふん、私に食わせるのがそんなに怖いかね?この泊地内では美味い店として知られているようだが、貴様のその階級に物を言わせて、部下に強引に言わせているのだろう?」

あーあ....本当にめんどくさい。

なんでこんな人が来てんだよ。よりにもよって本営の中将だよ、この泊地の一番高い位についてる三倉さんが中将だから同格だよ畜生め...。

「女将ぃ、ミートスパゲッティ頼むわ」

「あ、じゃあ僕アサリと鮭の酒蒸しお願いします」

「私塩焼き定食Aでお願いね」

よくやるよあのテーブル席の席がないから相席になった三人。

この愚鈍な豚がこうも騒いでいる横で平然と注文しやがった。しかも全部調理を担当するのが違うやつだし。

あ、ちなみに注文してくれた三人の間には特に繋がりはないはずだ。ミートスパゲッティを頼んでくれたのはうちの常連の一人の配管工さん。

酒蒸し頼んだのはたまーにやってくる工廠の技術者の若者。

塩焼き定食Aを頼んでくれたのは三原さん、だったかな。大学生でお昼ご飯を食べにいつも来てくれる。

「サクラかね?実にわざとらしいよ」

うぜぇ...。

回りの客からの目はこいつ気にならないのかよ。

あぁ、言い忘れていたけど、今は普通の営業時間でお昼ご飯時、だから色んな人たちが食べに来てくれている。

だからこいつが叫んでいる言葉も全て回りの客にも聞こえている訳で.....。でも海軍のお偉いさんに一市民や海軍したっぱが文句なんて言えないし。

「サクラじゃないですよ、うちのお得意様です。彼らの手元にもメニュー表は無いでしょう?無いんですよ、そんなもの」

この中将、クズで嫌味ったらしいって有名だからな。前線じゃまったく役にたたないらしいが....。回りに侍らせている奴らは蜥蜴の尻尾なのか、それともこいつに同調する愚鈍な豚か....、どっちもなんだろうなぁ。

この時代、実力主義な筈だが、一体どういう訳でこんなのが偉くなれたのやら。

「いい加減にしたまえ、私は君の首を飛ばすことぐらいできるのだよ?もちろん、どちらの意味でもな」

「観念したらどうだ?お前だってその地位は惜しいだろ?な?」

「さすが安藤中将、こんなゴミ虫に警告までされるとは、お優しいですね」

うん、やっぱりどっちもだな、こりゃ。あ、坂本さん?しなくていいから、ね?態々三倉中将に出ていただかなくても大丈夫だから。寧ろ巻き込んだほうが厄介な気がする。

「ご馳走さまぁ!会計おねがいしまぁす」

「「「「はーい」」」」

今は三人動いているから、雷が会計にたってるのか。

「おいしかったよ?雷ちゃん」

「ふふん、当たり前よ。私達が作ってるんだからね」

「そうだね、また来るねー」

会計を済ませた女性は一瞬だけ安藤中将らの方を向くと口パクで『く・そ・く・ら・え』と呟く。

もちろんバレたら不味いだろう。

だが、回りの客たちはその行動に心のなかで大きな喝采をあげた。まったくもってその通りだ、と感じていたからだ。

楽しい筈だった昼食は騒がしい海軍中将とその取り巻きに邪魔されているのだから。そして、運よくバレなかった彼女が自分たちの喝采でバレて捕まるなんてことは認められず、心のなかでのそれとなった。

回りは既にこの豚共の敵である。

敵陣の中で豚は騒いでいるのだ。

「塩焼き定食Aできましたー!」

鳳翔がそう言いながら調理場を出た。

妙に早いな....。

誰かがそう言った訳でもないのだが、常連客はそう感じた。それはもちろん古賀とて、同じこと。

[どういうことだ]

鳳翔にアイコンタクトで問い詰める。

自分で作って提供しているわけではないが、客に生半可な物を出すことを許すつもりなど古賀には無い。

それを、一番信頼している鳳翔がやろうとしているのではないかと、困惑しているのだ。

[私に任せてください]

[はぁ!?何を考えている!?]

返ってきた返事は力強い宣誓。短くはあってもそこから伝わる気迫は本物だ。

「おやおや、私には出したくない飯を先ほどのサクラに出すのかね?」

安藤中将は皮肉げに古賀ではなく、鳳翔に声をかけた。

「出したくない訳じゃありません、ただ注文をいただいていないだけです」

「メニュー表をもらってないのだよ、出したくないんじゃないかな?」

「元よりそんなものありません、最初にうちの古賀が説明したはずですが?そんなものは無い、メニュー表は無いなら人の真似をして頼めと」

あぁ、確かに言った、入って来て早々騒いでくれたこいつらを席に誘導し、メニュー表メニュー表と口々に言うから今の鳳翔の説明通り同じ内容を丁寧な口調で説明したが...。

「ふん、薄汚れた愚民の言葉など聞くに耐えん」

っ...!正気かこの豚!?今なんつった『愚民』だと!?

「随分な言い様ですが、それでも注文なさっていません」

「ならば『軽空母』、貴様の持つそれをよこせ」

『ギリっ』

『バキッ』

様々な音が入り雑じった。

最悪の行為である。

艦娘は事実として『艦艇』である。

だが、同時に『心を持った存在』でもあるのだ。

だからこそ、そう言った呼び方はタブーとされ、禁止されている。まあ、あくまでも表向きであり、実際には彼女らを人形、道具、兵器扱いする者も決して少なくはないのだが.....。それでも、建前上としては禁止されているのだ。

それを堂々と目の前の男はぶち破ったのだ、いくら仕事であったとしても、仕事としての義務以上に自分たちのために美味い飯を作る、愛すべき母に対して....。

使っていた割りばしが怒りで強くなった手の力で割れた者がいた。

歯に罅が入りそうな勢いで噛みしめた者がいた。

思わず立ち上がり握り拳を作った者、ギロリとその男を睨み付ける者、背中に掛けた刀に手を掛けつつ眼帯を外した者、腰に吊り下げたホルスターに手を伸ばす者、行動はそれぞれだが、皆鳳翔に対する『軽空母』という呼び方が気にくわなかったのだ。

そして、最も怒っているであろう男を見ようとして、やめた。

背筋に冷たい氷でも入れられたかのように冷気が漂い、重力が数十倍になったかのように身体が思い、息すら自由にはしにくい...。

殺気だ。

汗が流れ出る、止まらない....。

口から声にならない声がこぼれ出る。

そして自分の首に迫り来る鉄色のそれが「司令官?」

「ん?あぁ」

はぁ、はぁ、はぁ、はぁ...

誰もが息を整えていた。

一体彼が殺気を溢れさせたのは、どれだけの時間だったのだろうか。

一瞬だったようにも、永遠だったようにも感じられた。

「どうしたのよ、らしくないわよ」

明るい子供らしい声、小さなお艦は優しく彼を咎める。されど先ほど殺気を放ったのは彼だと確定できる言葉は一切使わない。

「私は確かに『軽空母』です、でもそんな名前ではないので、失礼します。はい、お待たせいたしましたー、三原さん、すいません」

鳳翔は気にしない。

例え古賀が殺気を出したのだとしても関係ない。

狙っているのは先ほどの『軽空母』という言葉ではないのだから、あえて背中を見せながら三原の元へと向かう。

動け、動け、と小さく願いつつ、三原の元へとゆっくり向かう。

とん、とん、と普段は立てない足音を響かせて...

 

 

いや、まさか!

店内の端にあるテーブル席に座り、眼帯まではずしていた坂本は鳳翔の狙いを察しかけていた。

確証はない、違った時に責任も持てない、だが。

彼女の顔からは音をたてるようにして血の気が引いていく。先ほどの古賀の殺気で思わず刀からはずしてしまった手を再度伸ばす。

やはり彼女は『誘っている』!!

だが、気が付いたところでもう遅い。

正面に座る部下の土方がキョトンとした表情で自分を見ているのすら気にせず、机に足をかけて飛びだそうとしたところで、状況は

 

 

 

 

「くたばれ人形がぁ!」

肥えたその男は腰に帯びたそれを振るっていた、彼に見えているのは目の前の失礼な軽空母(人形)。

法律などどうでもよかった。

これまでもこういったことは有ったが全て揉み消してきた。逆袈裟、振るった主が肥えているわりには素早くふられたそれは当然

 

 

赤を生む

 

 

 

 

 

 

 

「きゃぁぁぁぁぁ!?」

「なっ!鳳翔さん!!」

「け、警察呼べ!」

「バカ!憲兵だ」

かくん、と糸の切れた操り人形のように倒れた鳳翔と彼女の背中にから流れ出る鮮血に店内に落ち着きは無い。

「はっはっは!愚かな人形だ、背を見せるとはな!」

「見事な刀捌きですな、安藤中将!」

「そうだろうそうだろう?はっはっは!」

鳳翔の身を案じて、そして自分の身を案じて動く回りの客と斬った本人である彼と彼の取り巻きの空気の流れは違った。なぜ誇らしげにしていられるのか?

なぜ、あんなに楽しそうなのか。

どうして鳳翔を斬ったのか....

「貴様ぁぁぁぁあ!」

彼女は最早我慢の限界だった。

背中のそれを素早く抜き去り、机を足場に獲物に迫る。

元々彼女は提督業ではなく、こういった戦闘が本業なのだ。動きはそこいらの軍人とは違う。

愚鈍な1人間ごときがこちらに気づいたところで既に関係ない、刀ごと、周りの取り巻きごと斬る!

 

 

 

「やめろ」

 

 

 

 

 

空気が凍った

すべての音がやみ、誰もが動きを止めざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「時雨、鳳翔を頼む。応急処置でいい、十分もたせろ」

「うん」

彼の声は刃のようであり

「飛龍、艦載機を使っていい、三倉中将を呼べ」

「了解」

今にも砕けちりそうな薄氷のようで

「雷、みんなを外へ出してやってくれ」

「わかったわ」

震えを隠そうとして隠しきれずに震えていた。

 

 

 

居酒屋『鳳翔』の女将、倒れる!!

この情報は瞬く間に泊地中に、そして泊地周辺へと広がっていった。

「あの元気な女将が倒れるところなど想像がつかない、誤報だろう」と言った声もあったが、情報は段々とキナ臭いものに成っていき、誰もが眉をひそめる。

飛龍によって情報は泊地の長官である男、三倉中将にも届けられており、「長官!女将がぁ!」と長官室に飛び込んでくる部下達を捌きながら彼も居酒屋『鳳翔』へと向かう...

「あのくそ豚共め」

....長官と言えど結構フランクな性格かもしれない。

「長官、いかがなされますか?」

「憲兵は俺に着いてこい、最悪あの古賀と坂本を止めにかからなければならないかもしれん、全員重武装でこい」

あの二人はおかしいのだ。

艦娘を平気で投げたり、切り結んだりと、身体能力がとても高い。その二人が店内に居たことは分かっており、鳳翔が本営からきたくそ豚中将に斬られたこともわかっている。まだ生きているといいが、行ったらミンチを見るはめになるとか勘弁してほしい...

彼は内心で呟くが、正直期待はしていなかった。

「提督、私も行こう」

「長門か....頼む。悪いが艤装つきで」

「ああ分かった、あの人だからな....」

長門がちょっとだけ顔に焦燥をだす。

かつてあの男に喧嘩を売り、正面から殴りあったことがあるのだが..、負けたらしい。

その時に艤装がなかったとは言っても負けたことが気になってはいるようだ。

普通対人戦で艤装を必要とすること事態がおかしいのだが

「行くぞ」

三倉は憲兵達が装備を整えたをのを見ると、車を出した。事態は急を要するのだ、早く止めねばなるまい。

 

 

 

 

 

「早く出て!せめてうちの司令官が動く前に」

居酒屋『鳳翔』の店内からは少しずつだが客が流れるようにして出てくる。

雷の誘導で少しは落ち着きもあるが、高笑いしたままの中将にたいする怒りで動かない、動きたくない人もいる。忘れているかもしれないが、あの中将は鳳翔を斬る前に『軽空母』と呼び、その前には自分達を『愚民』と称したのだ。

どこに許せる部分があると?

腕に多少の覚えが有る者は周りの取り巻き込みでくそったれな海軍将校を制圧するために隙を伺っていた。

というよりも、今すぐにでも目の前の佐官の援護をしたかった...。

「坂本少佐!」

「来るな土方!」

中将自体は高笑いしている。

だが、取り巻きのうちの二人が.....

「そこをどけよ泊地の少佐さん」

「『人形』を処分するだけだから、ね?」

刀を抜いているのだ。

相対する坂本少佐も刀を抜いているが、階級、立場的に斬り捨てるわけにはいかないのだ。

更に自分の部下や他の佐官、民間人を巻き込む訳にもいかない。

かといってここを退けば鳳翔と、その応急処置を行っている時雨が斬られる。

「なら尚更退けるわけないだろう!」

意地だ。

斬らず、傷付けずに制圧する。

何故古賀が動かないのか理解は出来ないが、いざとなれば古賀が本気でキレるだろう。

そうなれば目の前の男たちは人肉のミンチとなる。

いつまで動かないつもりだ.....。

人知れずして坂本は強く歯を噛み締めていた。

だが

「やはり君とて艦娘のことを『人形』と思っているのではないかね?古賀君?」

「....」

「返事はないのか?それは肯定と見なすよ?」

このやり取りに思わず力を抜いてしまった、いや困惑して力が抜けてしまったのだ。

彼の性格ならばすぐさま「そうではない」と否定すると思っていた。だが、現実はどうだ?なにも言わない。

黙して語らず。

なにも言わない、まさか彼もそんな風に思っt

「隙有り!」

「くっ....」

彼女の思考は強引に中断させられた。

取り巻きの一人が坂本に攻撃を仕掛けたからだ。

当たれば、自分とて死ぬだろう。

そう思えた一撃だった。

まずはこの取り巻きを制圧する、そしてそのあとに中将を制圧、最後に古賀に詰問しよう。

「はあっ!」

坂本自身が打ち、鍛え上げた刀を振るった。

「(応えろ烈風丸)」

自分の刀が自分の思いに応えるように願いながら...

 

 

 

 

 

彼は茫然としてした。

目の前で彼女が斬られた。

自分が『扱いの面倒くさい愚鈍な豚』と称した中将に。

認めたくないが、目の前で起きていることは全て現実で嘘じゃない、夢じゃない、幻ではない。

なぜか、怒りではなく、茫然と、気がついたら冷静に状況を判断していた、

「時雨、鳳翔を頼む。応急処置でいい、十分もたせろ」

「うん」

時雨に鳳翔の応急処置を頼み

「飛龍、艦載機を使っていい、三倉中将を呼べ」

「了解」

飛龍には巻き込みたくなかった三倉中将を呼ぶように頼み、

「雷、みんなを外へ出してやってくれ」

「わかったわ」

雷には客を全員外に出すように頼んでいた。

声が、震えている。

自分でも感じ取れた。

声だけじゃない。震えているのは身体自体もかもしれない。いや、心もだろう。

鳳翔を失うことを恐れている自分がいる。

今すぐにでも怒鳴り声を上げて目の前の男を斬り殺したい。

でもそれをすれば鳳翔に対する処置は遅れる。

鳳翔たち艦娘が入渠することで身体を治せることは知っている。だが....、ここ(店内)にドッグは無いのだ。

ここから一番近いドッグまで三分ほどだ。三倉中将に連絡が行き次第、ドックから救護隊が来るだろう。

そうすれば鳳翔は助かる。

直接救護隊に依頼できればよいのだが....昔からの悪しき習慣のせいで長官を通してでなければ呼ぶこともできない。

飛龍も雷の手伝いに入ったようだ。

そして目の前で繰り広げられている殺陣。

時雨と鳳翔をかばって坂本が刀を振るってくれている。

そして、店内の他の士官や佐官も坂本と斬りあっていない別の取り巻きとの殺り合いに入った。

自分は何をしている?

あの中将が先ほどからずっと何かを俺にたいして言っている。

人語ではないのだろうか?

あの言葉を理解することができない。

ああ、もういいか。

どうせ人ではなく油ぎった豚に過ぎん。

斬り捨てよう。

「借りるぞ」

彼は誰もが理解できぬうちに、まだ刀を抜いていなかった士官の横へと至っていた。

間には机があったりしたはずだが....

一体いつの間に!?と驚いているその士官の腰から吊りさがっている『それ』を右手で引き抜く。

「くたばれっ!」

後ろからのその声に彼は振り返りながら一閃。

振るわれたそれは鞭のようにも見え、下からの撃ち上げに飛びかかった取り巻きの刀はその男の手から離れて天井に突き刺さっていた。

「ま、『巻き技』!?」

最近では使い手も減ってきた古い業。

活人剣としても殺人剣としても使われる、高等技術だ。

「正当防衛だ、悪く思うな」

使われた技に驚愕しているいい年した男の横を通りすぎながら呟く。

「なっ!」

その男が身体を古賀から離そうと動いたところで既に遅い。

古賀の持つ刀は男の両の足の腱を引き裂いた。

「いてぇ、いてぇぇぇぇ」

「まずは一人」

喚こうがどうしようが知ったことではない。

刀を先に向けてきたのはこの男だ。斬られる覚悟とてあっただろう。

見えている敵は後六人。

一人はあの豚、残りは取り巻きだが....、はて、もう少し居なかったか?

そう彼は疑問に思い、再度店内を見渡す。

一人倒れていた。

それの上にはよく食べに来てくれる警官と工廠の男がおり、どうやら手錠をかけておいてくれたらしい。

刀を持つ相手によくやるものだ、と少し口元を曲げてニヤリとする。

手を振りながら、ニヤリと彼らも返す。

彼らがなんらかの犯罪でしょっぴかれなければいいが、と思いもするが、動いてくれたことも嬉しかった。

取り巻きが全員誰かしらとやり合っている以上、狙うはあの豚のみ。

こちらの様子にも気づいているようだが、自分の勝利を確信しているのか、動じる様子はない。

「おやおや、本営勤務の佐官を斬るとは、君の命もここまでだな、古賀君」

「.....」

そんな言葉で動揺する訳もなし。

止まらない。

止まらない古賀はただ立っている安藤を斬り捨てるためだけにゆらりゆらりと歩いていく。その様は幽鬼のようであった。

「私までも斬れば本当に終わりだがね。まあ君がその『人形』と一緒に心中したいと言うならば止めないがねふははは!」

この男は気がつかない。

自分がどれ程燃え盛る炎(古賀)に燃料(怒りの原因)を投げ入れているのか。

そしてこの男は知らない。

古賀が艦娘を投げ飛ばすほどに力が強いということを。

「ひっ」

目の前の男の目が据わっていて、光を宿していない。

それに気づいて初めて悲鳴を上げた。

時既に遅し、この男程度の剣の腕では数瞬の時間稼ぎにしかならない。

「足掻くな、運命を受け入れろ」

最早是非も無し。

ただ斬り捨てるのみ。

そして白刃は安藤の胴体へ吸い込まれるようにして振るわれた。

身体が上下に寸断された---

 

 

 

「足掻くな、運命を受け入れろ」

最早是非も無し。

ただ斬り捨てるのみ。

そして白刃は安藤の胴体へ吸い込まれるようにして振るわれた。

身体が上下に寸断された---

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギャインっ!!

耳に障る音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

安藤中将の身体は上下に寸断されなかった。

代わりに強烈な一閃を受け止めたのは鈍い灰色の筒。

どこかで見たことのある大型の筒だ。

艦娘が所持している(身に付けている)その筒の中では、見た目は最も大きい砲門じゃないだろうか?

通常その艦種の艦娘の両腰からぶら下げられているそれは、強引に持ち上げられていてそれでいて古賀の一閃を弾く。

ここまでくれば、こんな芸当を出来る相手に古賀は心当たりがあった。

「三倉中将のところの....長門か」

「ふん、ずいぶんと暴れたようだな?」

「......」

長門がいるということは....

と彼はゆらりと店の入り口の方を見る。

居た。

気のよさげな笑顔をひっさげて、ニコリとした長官。

事実気さくな人物であり、他所からきた者たちから驚かれる人物だ。

そして、人気者だ。

「おお、三倉中将。救援ありがとうございます」

安藤は三倉がしっかりと自分が古賀に斬られかけたところを見ていたことを分かっていた。だからこそこの『長門型の人形』が自分を守っているのだろうし、と。

「はっ、上官に斬りかかったことを今更後悔するなよ、古賀元大佐?いやぁ、助かりましたよ、はっはっは。危うくこのような狂犬に斬られるところでした、狂った部下を纏めるのも大変ですなぁ三倉中将?」

実に嫌味な言葉だった。

ただこれだけの言葉だが、同時に二人の人物の非難を行っているのだ。

一人は自分に斬りかかった古賀。

もう一人はこの泊地の長官である三倉中将だ。

古賀にたいしては普通に自分(上官)に斬りかかったことを非難しており、三倉中将にたいしては部下の教育が出来ていない腑抜けと非難しているのだ。

「誠にもって、面目ないよ安藤さん」

ギリギリ.....

その言葉を合図に再び嫌な音が響き始める。

発生源は言わずとしれたことだろうが。

「狂犬の教育の練習でもしたらどうかな?まずは学生達を教えるという形でですがねえ~」

「学生に自分が教えるのはどうもイメージできませんな、私は人に教えるというのはどうもダメで。やはり椅子にふんぞりかえって内地でぬくぬくと過ごすより現場の空気を感じていたいのですよ」

こちら(言葉での攻撃の仕合い)の応酬も止まらない。

いや、安藤中将がひたすら三倉中将を攻撃をしかけ、三倉中将が反撃しているという構図に過ぎないが...。

「おや、はっきりと言ってやらんとわからんかな?三倉中将」

「なにをですかなぁ~」

「部下の掌握すらできん貴様は中将として失格だと」

露骨に言った。

もっと長く応酬を続ければいいものを、続けられないのは腹芸というより、語彙力のなさが原因やもしれない。

「はっはっは、安藤さんにそんなことを言われるとは。予想外でしたな?」

「どういう意味だね?」

ギャイン....

更に刃が滑る。

滑るというよりも.....

長門は焦っていた。

いくら狂っている古賀大佐であっても艦娘の艤装に傷をつけることは不可能だと思っていた。ましてや自分は、艦艇だったころの自分はあの作戦において二度の核兵器の爆発を耐えているのだ。

それだというのに.....

なぜこの男は数打ち(量産品)の日本刀--とはいえ通常の物では簡単に折れるので少し違うオーダーメイド品--で私の艤装の41cm連装砲を削れる!?

そう、古賀の一閃を押さえていた長門の主砲、41cm連装砲は半分近く既に斬られている、いや刀を押し込まれている。まだ振られた勢い込みでの一撃で押し込まれたなら理解できる(とは言っても一撃で半分まで押し込むことも理解できないが)、だが彼は刃が止まってから更に力で押し込んで来ているのだ。

「先程の言葉返すぞ、隙有りだ!」

長門と古賀の押し合いの近くで行われていた坂本と取り巻き二人の殺陣、三倉中将がやって来たことで呆けていた二人に坂本は顎下からの一撃を入れる。

揺れた。

脳が揺られた。

ぐらぐらと視界が、それにつられるようにして足に力が、そして手にも力が入らなくなる。ブラックアウト。

簡単に言えば脳震盪を起こしたのだ。

坂本はそれだけでは止まらない。

「はぁぁぁあ!」

喝を自分自身に入れながら、安藤中将を威圧、踏み込み、一閃---ギャインっ!しかしこれも防がれる。

そう、三倉中将に長門によって....。

「くっ...邪魔立てするか」

長門は器用な真似をしたものだと、自分でも思った。

坂本少佐の刀(最早名刀の部類)を古賀大佐の刀を受けていない方の主砲で受け止めたのだ。

「提督から指示を受けている、『まだ安藤元中将が生きていた場合、斬らせるな』、とな」

「「何?」」

二つの刃は長門の発したある言葉を境に、止まった....。

「そういうことだ、二人とも。憲兵に面倒をかかせんなよ?憲兵、これは命令である、『安藤元中将及びその直属の部下七名』を捕縛しろ!」

「「「「「「はっ!」」」」」」

三倉中将の言葉を合図に多数の憲兵が店内に流れ込んできた。そして....

「救護隊いそげ、事態は一分一秒を争うぞ!」

「おめぇら!女将のうめぇ飯をまだ食いたきゃ急げ!というか古賀の旦那に斬られたくなきゃ急げ」

「「「応!?」」」

救護隊も一気に流れ込んできた。

どうも掛け声的に変なように焦っているようだが....

「.....これは、どういうことですかな。三倉中将?」

「安藤元中将、艦娘を人間として扱わないのは、禁止されていることはご存知かな?」

「....知ってますが、それが何か?」

安藤は焦っていた。

そう言えば、先程あの男は人形の一つに、この目の前の政敵に連絡することを命じていた。

だがまさかこの事まで連絡していたとは...。

そもそも、人形が使役する妖精は喋る事ができないはずなのにどうやって細かく連絡したというのだ....。

せいぜい、『来てくれ』、と知らす程度が限界だと思っていた。だから見逃していたというのに。

「貴方はあの鳳翔に『軽空母』と呼んだそうだね」

「はてさて...なんのことやら?」

「加えて『人形』、とも。これはもはや人間扱いとは言えんのではないかね」

一体どこまで!?

「それに、守るべき民や、同じ軍属の仲間を『愚民』呼ばわりだ」

「本当に、なんのことだか分かりませんなぁ...」

とりあえずはしらを切る。

でないとどうしようもない。

「艦娘は、人と同じ権利を持つことは、ご存知かな?」

「ええ...」

「ならば艦娘を斬っていい訳がないこともご存知だろうに....それともやはりこれまでも何度か斬ってきた経験から忘れていたのかな?」

安藤の顔は最早真っ青だった。

隠してきた筈の事実をなぜこの男が知っているのだ!

大声でそう、叫びたかった。

さらに長門の顔も真っ青だった。

提督、そんなことこの場で言わないでくれ!そう言いたかった。

止まった筈の二つの刃がガチャガチャ鳴り出したのだから。どうやら押し切ることで刃を抜くのではなく、刃を戻すことで抜こうとしているようだが、深くささりすぎて抜けなくなったようだ....

「あなたの取り巻きも、これまで随分と罪を犯してきたようだ。もういい加減に、捕まるといい、いい加減に罰せられるべきだ」

「ふざけるな!貴様はなにを根拠にそんなことを!」

憲兵がじわりじわりと寄ってきている。

なぜだか分からないがとんでもない重装備だ。

自分の剣の腕ではこのなぜか重装備な憲兵を倒して邪魔な二人の佐官を斬るなんてことも、三倉を斬ることも不可能なのはわかっている。

せめて憲兵を惑わして逃げ出す隙を狙っているのだが...。

憲兵も正直目の前の男が鳳翔を斬ったということにキレ気味なのだ、何を言おうと知ったことではなかった。

そしてその鳳翔を斬った男が更なる罪状を持つと知れば最早生かす価値すら感じていない。

中には本来古賀&坂本対策だった重装備の結果の自動小銃の引き金を引きかけている者もいる。

「やり過ぎたんだよ、お前は...」

その三倉中将の言葉が最後の引き金だった。

憲兵は安藤を始めとして、その取り巻き達を次々と捕縛していった。

抵抗するならば遠慮なく四肢を撃ち、動けなくして捕らえた。

そして引きずるようにしての連行、彼らに慈悲すら与えない。

「ご苦労だったね、古賀大佐、坂本少佐」

「「はっ!」」

一応の敬礼を二人は取る。

自分達が罰せられるのは仕方があるまい、と諦めている部分もあり、もう何もしなくても鳳翔が助かることを確信しているが故の行動でもあった。

「まあ、崩したまえ」

救護隊の中に本来戦艦や正規空母の死の危機の時以外のときには出てこない『女神』と呼ばれる妖精の姿があったからだ...

ありがたい、心から古賀は思っていた。

救護隊の班長が言った自分に斬られたくないから急げ、という言葉には少々遺憾に思うところがあったが、まさか『女神』までもの登場とは驚いたものだった。

これなら罰せられても心残りもない。

そう、思っていた。

そしてそれは坂本も同じだった。

坂本は元々提督業ではなく、自分自身が戦う仕事だった。いや、艦娘ではないが...。

そんな自分が提督として悩んでいた時に助けてくれたのは鳳翔と古賀だった。

もちろん昔からの部下である土方や宮藤も助けてくれたが、と少々苦笑する。

二人目の母親、そんな存在だったのだ、鳳翔は。

助かるならば問題ないだろう。

自分は先に刀を抜いてしまった。

確かに鳳翔を助けようとしてではあったが、上官に向けてしまった、刀を抜いたのはこちらが先だ。

後からであればまだ言い訳して罪から逃れる事ができるかもしれなかったが、先ではしょうがない。

外していた眼帯をつけ直し、心の中で鳳翔にありがとうございました、と呟いた。

「まあ二人は無罪になるだろうし、安心したまえ」

「「は?」」

「いや~、雷君を使って客を外に出したことが幸いしたね、古賀大佐?」

どういうことだろうか....

古賀は真剣に悩んだ。

何故雷に客を外に出してもらった事が自分たちの無実に繋がるのかが分からない。

「客のみんながどうも口裏あわせてしまったようでね?それに加えて鳳翔の女将が斬られた!と大騒ぎしたせいで泊地中で大騒ぎだよ、さらには他所の泊地や海外からも抗議文や海外の方からも抗議文が届いていてねぇ...耳が早い連中が多くて困る、それに、君たちどれだけ交友関係広いんだか」

「は、はあ...」

海外からの抗議、ね。と本当に小さく呟いた古賀は隣に立つ坂本を見る。

自分の関係者だろうことは察しているようで普段より少々青い顔の坂本にため息をつき、口を開いた。

「ですが、それだけではないですよね?三倉中将?」

そう、それだけで自分達の罪がなくなるはずがない。

確かに抗議文は有効だっただろう。

だが、それだけではせいぜい罪の軽減が限界だ。

「やっぱり分かってしまうか、君は....。良いだろう、先程も言ったがあの者たちはこれまでも多くの罪を犯してきたんだよ。だがしかし妙に階級が高い、それ故に泣き寝入りしてきた者も多いのさ、だからそれを倒した者、ヒーローに罪を与えればそれは我々上層部への反感となって返ってきかねない」

つまるところは、上層部自身の

「保身のため、ですか」

そう古賀が言うと、そう言われちゃうとそうなんだけどね?と言いながら彼はポリポリと頭をかく。

見も蓋もない言い方をした古賀にやっぱり古賀は古賀だな、と感じつつ、ちらりと坂本を見ていた。

確かに先程言ったのも理由だが、坂本がビッグネームすぎるというのも理由だったのだ。

本人は気づいていないし、この泊地ではビッグネームであるといってもそれは古賀と同じぐらいおかしい人、としてだ。だから泊地内部だけならばさほど効力のある名前ではない。

だが、泊地を一歩出れば違う。

坂本少佐は海外、それも欧州の戦線についていた。彼女の所属は海軍であってもエースばかりを集めた国連の各国独立混合部隊の一員で、その中でも群を抜いて光るエースの一人だったのだ。少佐という階級もそこで得て、混合部隊内部では副隊長、加えて実戦指揮官だった。

それ故に各国の軍部の大物との繋がりや、エース級の者たちとの交友関係があり、そんな人物を犯罪者(上官)から艦娘を守るために剣を抜いたからといって裁くのが難しいのだ。

いくら上官であっても犯罪者。

前線で戦う能力を失ったがゆえに提督業へと転向した彼女を支えた艦娘を守るための戦いで罰せられない。

故に今回の坂本と古賀の無罪なのだ。

まあ、こんな裏事情を彼らが知る必要はないか。

Need to know.

軍隊で生きていくにあたって忘れてはいけない言葉だ。特に偉くなれば、成る程実感する。

「さて、救護隊が鳳翔を救急棟へと担ぎ込んだようだし、様子を見に行ってやったらどうだね?」

そんな三倉の言葉に弾かれるようにして顔をあげる二人。

そしてちょっと型の崩れた敬礼をして

「「失礼します」」

と言うとドタバタとしながら飛び出ていく

「行くぞ土方ァ!」「ちょっ、お待ちください坂本少佐!」

「飛龍行くぞ!」「提督は落ち着きがないなぁ」「えっと、僕は?」「あっ!私は!?」

なにやら随分と外では騒がしいようだが、彼はニコリと笑った。

「やっぱり日常が一番だねぇ...」

「あぁ、違いない」

それを返すように、長門もニコリと笑った。

 

「提督」

「ん?なにかね長門?」

長門の随分と真面目な声音に思わず三倉も真面目な声で返していた。

「あの男は、古賀大佐は何者なんだ?それに、坂本少佐もだ」

「.....」

「古賀大佐も、坂本少佐も私の艤装に傷をいれた。いや傷なんてもんじゃない。私達艦娘には概念があることは知っているだろう?」

概念...。

例えば、本当は41cmの主砲では無いのに、そんに大きさも威力もないはずなのに、艦娘の長門の攻撃は戦艦であった長門に装備されていたそれと同じ威力を発揮する。それは概念によるものらしい。それぐらいは技術屋ではない三倉でも、古賀でも知っている事実だ。

「あぁ、それがどうか?」

「とぼけないでくれ、それと同じように私の身体や艤装も同じ防御力を発揮できるはずだ、意図していれば」

そう、艦娘の身体は普段は人間のそれと変わらない。なぜなら元々彼女たちは-----なのだから...

だが戦うためには人間のそれと同じではやっていられない。だから、意図していればだが、艤装も、身体も軍艦であった自分と同じ硬さを発揮できるのだ。

それを古賀大佐と坂本少佐はああもあっさりと

「長門、それはNeed not to knowだ、分かるな?」

「.....」

認めたくない。

自分の力を凌駕するただの人間を。

だから彼女は、彼らを人間として認めないことにした。

「認めよう、あの人たちの力を。今日からあの人たちは阿修羅だ」

三倉はそんな長門の言葉に苦笑していた。

阿修羅、いい得て妙だと...。

まあ坂本少佐は鬼神なんてものではなく、元魔女なんだがね、と心のなかで笑っていたが。

 

 

居酒屋『古賀』。

後々の伝説となる日々だが、それはこの日から始まった。

「さて、鳳翔さんが倒れてしまった以上、俺たちで店を維持しなければならない、わかるな?」

古賀が大仰にそう言い、円卓に座る艦娘たちも大袈裟に頷く。

今日ここにいる艦娘は、バカ二人と称される実に混ぜるな危険の二人と、 安藤に背中を斬られたのでしばし安静にと言われて救急棟に入院中の鳳翔以外の古賀指揮下の艦娘たちだ。

鳳翔のいない状態での主力は誰か....。

それならば龍田か飛龍だろう、と古賀は思っていたが何気に雷も凄いのだ。

まあ彼女が働くには台座を必要とするので、当直の艦娘が多いときは邪魔にならないために会計と配膳しか行わないが...。

「でも司令官、鳳翔さん以外には作れないものだってあるのよ?」

雷のその言葉にうんうん、と頷く少女たち。

否定できない事実だった。

塩釜などは、鳳翔以外の誰にもできない。

いざ作り方だけ聞いたところでしょうがない、美味しいものが提供できるかわからないのだ。

作れると出来るは違うのだから。

「忘れたか?うちの売りはメニューの多さじゃない。味だよ」

「でも鳳翔さんがいないと満足な量のメニューを提供できないよ」

「時雨の言う通りっぽい?」

「そうよね~、さすがに私も無理があるわ~」

「提督、いくらなんでも鳳翔さんが戻ってくるまで店をしめたほうが」

全員にダメ出しされてしまっても、古賀は頷かない。

むしろ我に秘策あり、といった感じでニヤリと笑った。

何気に古賀との付き合いの長い、というよりもプライベートな時の提督を鳳翔と同じ位知っている飛龍は、まさか...と思いつつ、いや多分そうだろうと既に頭が少々痛かったりするのだが、『なんで私は怒れないんだろうな~』と呟いていた。

「鳳翔が居なくても問題ない」

俺が立つ、続けてそう言った提督に飛龍はやっぱりかぁ、と頭を押さえていた。

 

 

 

 

 

「はぁ!?なにふざけたこと言ってるのよ司令官!バカじゃないの!?」

雷の怒号が響く。

誰もが(いや飛龍と一応龍田は知っているので苦笑いだが)思っていることを雷が代弁していた。

雷の中ではとりあえず鳳翔以外の全員(バカ二人と古賀は除く)で厨房に立つことで支えるつもりだった。

バカ二人はともかく、いつもダラダラしていて、せいぜい多少の提督業やちょっかいを出しにいく程度のことしかしない提督だ、どうせ料理もできないだろうと思っていた(事実、雷の前ではお腹減ったー、とやってくる姿しか古賀は見せていない)。

だというのに古賀は前提をひっくり返すことを容易く言ったのだ。

「バカじゃないの!?あの二人ほどバカじゃないと思ってたけど、それ以上にバカじゃないの!?料理は見よう見真似で出来ることじゃないのよ!」

雷、魂の叫びだ。

実はいうと、雷がここに来て直後、厨房に立とうとして料理に挑戦して古賀に爆笑されている。

理由は、まあ彼女の名誉のために察してくれ。

今では厨房に立つことも許されているし、彼女の作る料理も良く注文されている。だから今では気にすることではないのだ、『今では』。

「煩いわよ!」

「誰に言ったんだい、雷?」

時雨が叫んだ雷を心配そうに見つめるが、怒り心頭の雷には聞こえていない。事情を察した龍田が天井を見つめているなんてこともあるわけない。ないったらない。そう、ないんだ。

「あー、雷ちゃん、案外心配しなくても大丈夫だよ?」

「え?」

「この人、結構料理できるから....面倒だからしないだけで」

最後の言葉がなければ古賀がかっこよく思えたかもしれない。だが最後の言葉のせいで、雷の額にちょっとばかし血管が浮いていたが、今ここでは関係ない。

「でもボクも気になるかな、提督の料理を作っているところなんて、見たことがないから」

「私も食べて見たいっぽい!」

そんな時雨と夕立の言葉に答えて龍田が飛んでもないことを言い出した。そう、これが居酒屋『古賀』の伝説の日々の始まりだったのだ...。

「じゃあ提督の料理を食べてみればいいんじゃないかしら~♪」

「「「それよ(だね)(っぽい)!」」」

飛龍も、古賀も苦笑いするだけだった....。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、チャーハンでいいか?」

ご飯余ってるしなんか真面目に作るのめんどくさいし、と古賀は呟き、それを聞き取った雷にお玉を投げられたのだが気にしない。

「せっかくだから、おつまみも一品作りませんか?」

「あー、マジで?」

「もう、メッ!いつまでもめんどくさがっちゃダメですってば!」

「ハイハイ、了解、飛龍おつまみのお題は?」

「うーん...じゃあエリンギで」

何故にエリンギ..…と呟く古賀を見ながら時雨や雷、そして駆逐艦の中では最も自分が古参だと思っている夕立も目を白黒させていた。

鳳翔と古賀ならば分かるやりとりだ。

だが、鳳翔ではなく飛龍と?こんなに仲がよかっただろうか?いや、悪かった訳でもないがやはりこういうやりとりをするイメージはなかった。

「飛龍はよく提督と出掛けたり、月見酒を飲んでいるから彼女しか知らないことがあっても不思議ではないわよ~」

まさか?

そうは一瞬思った駆逐艦娘たちだが、確かにそうかもしれない、と納得せざるを得なかった。

二人はまだギャーギャー楽しそうに言い合いをしているし、時折自分たちの知らない人物の名前が挙げられている。

「ボクはまだまだ提督のことしらないのかな」

「私だって知らないもの、しょうがないわ」

時雨にいたっては少々へこんでしまったようだ。

まあ、龍田のフォローが入ったから大丈夫だとは思うが。

「んじゃ、チャーハンとエリンギのおつまみでいいな?」

とりあえず落ち着いたのか、古賀が龍田たちにも声をかけた。

まあ簡単なものだからこそ難しいだろう。

という思いのもと、反対意見も出ず、結局それを作ることになった...。

 

 

 

なんでエリンギ...。

まだ古賀はそれを引き摺っているようだが...

 

 

 

 

---ところかわって居酒屋店内

古賀はとりあえず、エリンギのおつまみから考えることにした。おつまみとはいっても、一品料理でいいだろう、と勝手に判断してだったが腕前を見せるにはそちらの方が都合がいいのも事実だった。

まずはエリンギを細かく切り分ける。

だいたい3mm位の厚さになるように。長方形の板のような形にエリンギを切り分けていく。

ちょっと厚めな理由は歯応えをしっかりとさせるためだ。エリンギは肉厚で柔らかいのが特徴だ。だが、その反面ある程度の厚さがあれば歯にしっかりと応えるコリッとする感触が生まれる。

エリンギはぐにゃぐにゃした感触よりも、歯応えがあった方が美味しい。醤油を底の深い小皿に入れ、そこに先ほど切ったエリンギを投入。しゃぶしゃぶの豚肉ようにさっさっさっとエリンギを醤油にくぐらせる。

引き揚げた。

白いエリンギの肉は色が少し茶色がかった。

これでよし、と古賀は言うと、切ったエリンギを次々とくぐらせていく。感覚は鈍っていないようで。もう見ないでもほとんど同じ色に仕立てあげていた。

フライパンに火を当てる。いや、火をつけた、が正確か。古賀はIHにするつもりはなかった。

やはり電気と火ではどこか違う、と思っている。まあ恐らくそれは事実であり、間違いではないのだろうが。

軽く油をたらすと、あとはフライパンを持ち上げて右へ左へ前へこちらへと傾けて油を広げていく。

醤油、みりん、料理酒、わずかばかりにこれらを入れたら料理箸でそれらをかき混ぜる。少ししか入れていないからすぐに気泡をあげて沸騰するのだが、それでもまだまだ古賀はエリンギを入れない。シャァァァーという音を立てて蒸発していくそれらを眺めて、なにかを待っているようだった。

一応、申し訳程度にフライパンの底を覆いつくしていたそれらが蒸発のしすぎで底を見せ始めた、どうやらこれを待っていたらしい。

古賀は素早くエリンギを入れた小皿を取ると、フライパンへと投下していく。場所によって先ほど入れた物の中へと落ちたり何もないところに落ちたりとしている。

これでいいのだろうか?いや、よくない。

彼はしゃっしゃっとかき混ぜ始めた。

むらなくしっかりと混ぜる、そしてエリンギが焼けていくのを、先ほど入れた調味料の類いが蒸発仕切るのを待つ。

醤油が、香ばしい香りを放つ。

醤油は焼くと香ばしい香りを放ち食欲を誘うのだ。とはいえこれを待っていた訳では決してないのだが....。

古賀は塩・胡椒をむらなく振りかけ、再び軽くエリンギを混ぜる。

完成だ。

エリンギのおつまみ(一品料理)。

わずかに香る香ばしい醤油の香りに食欲がそそられ、口にいれれば古賀の経験に基づく絶妙なバランスでかけられた塩・胡椒でいい味がしていることが分かる。

あっさりとした味つけだが、もう一回食べたいと思え、また他の料理も食べたいと思える味つけにしてあるのだ。

「できたぞ~」

古賀が艦娘達のまえに持っていく。

彼女たちはカウンター席で待っていたのだ。

調理の手際の良さも見ていたし、その調理中に漂ってきたいい香りも嗅いでいた。

それは、彼女たちの前に置かれた

ごくり......

誰のたてた音だったのか、はたまた全員がたてていた音だったのか。それは、誰にもわからない。

古賀が料理ができることを知っていた龍田と飛龍でさえ、まさかエリンギ単品でこんなに食べる前からそそられる物を作るとは思ってもいなかった。

あちゃぁー、これは失敗したかな?と不安に思いつつ、彼女は雷たちの方を見た。

もしかしたら自信を失うかもしれない、とちょっとばかし心配になったのだ。

時雨や夕立はともかくとして、雷は必死に練習して何とか厨房に立っているのだ。

だというのに、この人はめんどくさがっているだけで実はいうと物凄く料理が上手いんです、ときた。

軽いショックぐらい受けてもしょうがない。後でしっかりとフォローしよう。と思って....

『既に箸を取って食べようとしている雷』を見てしまった。

「こらっ!」

そして思わず飛び出た右手。

雷の頭にcritical hit!

「メッ!『いただきます』は?」

案外だが、飛龍もお艦系な人である......。

 

 

 

「「「「「いただきます」」」」」

「ん、どーぞ」

やる気のない、どこかとぼけた感じのする古賀のそれを合図に、エリンギの一品料理に手を着けた。

柔らかい....飛龍は箸で持った時点でそう感じた。

そして、口にいれる前にエリンギから漂う香ばしい香りで口のなかに唾液が出てくるのが分かる。食べたい、脳がそう思っているんだろう、口に入れた....。

塩と胡椒と、ほんのわずかな醤油で味つけされたそれは絶妙なバランスだった。

美味しい....。

そして、しっかりと柔らかくて歯応えがあるのだ。加えて少ししっとりしている。エリンギは厚くすると中まで火が通りにくく、外面が焼きすぎで乾いてしまったり、シワを作ったりしてしまうことがある。だが、古賀のエリンギの一品料理にそれは無かった。

飛龍はどこでそれを避けたのか?と頭を捻らせる。

もう一口、とエリンギの小皿に手を伸ばし、また口へと運んでいく。そしてもう一口、もう一口....。

閃いた。

醤油と、みりん、そして料理酒。これが蒸発しきる前にエリンギを投下したことにこそ意味があった!

これは軽くエリンギに香り付けする役割もあった。

だが、それだけならば最初に、しゃぶしゃぶのごとくぐらせるだけでよかった。

だから、これには別の役割もあったことが分かる。

一つはあえて香ばしい香りを強くたたせることで待っている人の食欲を誘うこと。

もう一つは......

「エリンギの表面の乾きを防ぐこと、ですか」

やられたなぁ、と思う。

ここまでの技量とは思ってもいなかった。

前に食べた時はお弁当だったのだ。

基本的に二人で月見酒をするときは自分がおつまみを作る。二人で出かける時にたまたま自分が忙しかったから彼に弁当をお願いしたのだ。めんどくさー!とか言いながら結局作って来てくれたのだが、勿論美味しかったが作り方までは教えてくれなかったし、お弁当の料理というのは、『冷えてもおいしく』、というのが主題であるのでこのような小手先の技は見られなかった。

今度二人で飲むときに作って、と頼もうかなぁ....なんて思いつつ小皿に箸を伸ばし

カチリっ......

おや?と思い、皿を見るともうエリンギはない。

みんなを見ると「え?もうないの?」と顔にかかれていた。

「んで、どうよ?チャーハンも、作んの?俺」

もう充分美味しいもの食べたでしょ?と言いたげな古賀だが、残念ながら艦娘たちは古賀を逃すつもりはない。

「司令官?約束は、約束よ?」

「うーん、夕立ったら、もうちょっと食べたいっぽい~」

「ごめんね提督、ボクもいいかな?」

嘘だろ、と古賀が言いながら龍田を見る。龍田ならもういいでしょう、試験は終わり、と言ってれるそう思ってだったのだが

「ごめんなさいね~、ちょっと久しぶりに提督のご飯食べたいわ~」

昔のことを思い出しているようで、気分もいいらしい。声が弾んでいた。

畜生!と内心で叫びながら飛龍を見る。

「えっと...あはははは....」

どっちつかずな返答をした彼女だが、実際は食べたいのだろう。

古賀に見られると目をそらしながら頬をかき、乾いた笑い声をたてた....

「今日は厄日か?」

いや、そんなことは無いだろう。がんばれ古賀

 

めんどくさー....

何か鳥の鳴き声のようにも思えてきたんだけど、と雷は呟く。

先ほどのエリンギの一品料理には完全に負けたと思った。ダメだった。作っている最中から司令官の術中だったと飛龍に聴かされてからはもう完全にうちひしがれていた。作っている最中から術中とか、何処の鉄鍋○ジャンよ!とか思っても口に出してはいけない。著作権的に伏字の部分を出してもいけない。ISTD(いかんソイツには手を出すな)!と言われかれないから絶対にいけない。

でも悔しかった。

きっと司令官だって必死に練習してこういう風になれたんだろう、と思い込もうとして、それでも自分の血の滲むような練習がバカらしく思えた。

「完成品だけが料理じゃない」という言葉をチャーハンに取りかかるために冷蔵庫を開けた古賀が呟いた時には雷は泣きそうだった。何とか夕立(改二化していた)が雷を抱き締めてよーしよーし、雷ったらいい子っぽい~!と慰めていなかったらきっと泣き崩れていただろう。

飛龍も流石にやり過ぎだ、と古賀に詰め寄ったが、古賀も悪気があって言った訳ではなく、むしろ困惑していた。

「あらら~、楽しい食事が....」

ちょっと龍田が寂しそうだったのは言ってはいけないことだ。

 

 

 

 

さてさて、続けてチャーハンを作れと言われても...と古賀は業務用の大型冷蔵庫を開けて困ってしまった。

実は今朝は買い物に行っていないのだ。

普段は朝のうちに食材の購入に(鳳翔と古賀、時々飛龍も)出かけるのだが、今日は飛龍も古賀も鳳翔の見舞いに行っていた。

それ故に....

「材料がないな....」

ろくな食材、材料すらない状態だった。

それでもまあ、なんとかして作ればいいか。と考える。しかしながらやっぱり食材があまりないのも事実で、

「どうしろってんだよ...」

冷蔵庫に残っているのは数枚のベーコンと、加えてキャベツ(半分)といったところだ。

牛乳やヨーグルト、5つほど生卵もも残っているが、これらはチャーハンを作るに当たって使い道がない、筈だ。

今朝自分の朝食を作ったときにはまだまだあったはずだが、と思いつつ飛龍を横目で見る。

[多分みんなが思い思いに作ってるからですね]

飛龍からの一方通行だが、一応のアイコンタクトが行える。まあ、そうだよなぁ。

そもそも起きる時間が全員違うのだ。

それに食べたいものも違う。

だから朝食は各自自主的に作るルールだ、流石に昼や夜は鳳翔の手作りだったが。

この少ない具材でチャーハンを作るのもまた試練なのだろう。彼はとりあえず半球のキャベツとベーコンを出す。ご飯は炊いてある残りでいいだろう。これは昼食ではないし、こんな時間(10時)に食べ過ぎては後で食べられなくなるだろうしな。

ご飯はいわゆるジャポニカ米だ。

チャーハンにはとても向かない品種なのだが、元々朝ごはんのために炊いていたご飯に過ぎないからしょうがないと言える。そもそもチャーハンは本来の居酒屋『鳳翔』のメニューにはないのだから、そんなチャーハンに向いた品種の米自体を用意してなどいないのだが...。

まあいいか。

先ほど使ったフライパンを洗い流さず、少しだけ油を入れてから火をつける。少しフライパンを温めておこう。

その間にベーコンとキャベツを必要な分だけ切ってしまえ。ご飯の量はせいぜい茶碗二杯から三杯程度のもんだ。それほどベーコンもキャベツも多くなくていい。

古賀は食器棚から平たい大皿を探す。探していた大皿はすぐに見つかったが、その大きさはかなりのものだった。人の顔よりは普通に大きく、円形のその皿は直径35cmほどだろうか?さほど深い皿ではないが、はっきり言って何のために出したのか謎だ。

チャーハンをよそうには中華皿を使えばいい話であるのに。

「あの~、提督?」

龍田が思わず声をあげるが古賀には届かない。いや、意図的に外音をシャットアウトしているのかもしれないが。

古賀は止まらない。

冷やご飯となってしまっているそれをなぜか先ほどの大皿によそっていった。そしてしゃもじで平均的な高さになるように少しだけご飯をならしていく。

ならしたそれを、古賀はレンジに入れてしまった。

なぜレンジ!?と時雨は片眉の眉尻を上げた。

理由が分からない。さっきのエリンギの一品料理でも訳のわからない行動はあったけど、 なんで?チャーハンは、火力で一気に仕上げていくもののはず。ボクは門外漢だから細かいことは分からないけど普通ならレンジは使わないはず....。

彼女がそう悩んだところで変わりのないことだ、古賀はレンジのタイマーを回す。一分ほど。

茶碗二杯から三杯程度の量のご飯を温めるには間違いなく短すぎる時間だ。だが古賀はそれだけしかレンジを回す気はないらしく、すぐさまキャベツとベーコンに取りかかった。

キャベツとベーコンを食べやすい大きさ、よりは小さめに切っていく。チャーハンにいれるのだ、少し小さめぐらいがいい。

ザクザクザクザクと音をたてて包丁がキャベツを切っていく。そしてキャベツを切り終えた古賀はこさじを取り出し、水を入れた。

その水はフライパンに垂らされて......

ジュワッという音をたてて直ぐ様蒸発した。

「うし、いいか」

古賀はそう言うと切ったベーコンを熱々のフライパンへと落としていく。ちゃちゃっと箸でそれを散らすと、『チンッ』という音が響いた。レンジが回り終わったらしい。古賀は箸をおいてレンジを開けて、ご飯を少しだけつまむ...。

あれ?と少し困ったような顔をしたが、もう止まれない古賀はご飯をおいて、キャベツをフライパンに投下した。野菜(キャベツ)炒めのようにも見えてしまう光景だか、キャベツとベーコンしか入っていないからしょうがないだろう..…。

古賀が困ったような顔をした原因はご飯が思いの外、乾かなかったことにあった。

チャーハンに使われるご飯の品種とジャポニカ米、何が違うのか。それは水分や、粘り気だ。

お店で食べるチャーハンは、パサパサしている、というか変に歯にくっつかないだろう。それは家で食べているお米と品種自体が違うからだ。そりゃ性質も違って当たり前だろう。

古賀は水分を飛ばすことでジャポニカ米の粘りを少しでも無くそうと思ったのだ。

レンジでチンしすぎたご飯はどこか乾燥していてパサパサしているだろう。それを意図的に古賀は起こしてチャーハンに必要な乾きを再現しようとしたのだ。

だが....

だめだなぁ、こりゃ。

粘り気残ってるし...。

米粒と米粒がくっつかないぐらいが好ましい、当然そんなもの難しいと分かっていても、それぐらいを目指したい。だが、その足元にも達していないのではないかと古賀は思った。

フライパンでキャベツとベーコンに火を通しながらさてさてどうしたものかと考える。

ふわっ、フライパンを振り、具材が宙を舞う。着地。

一つたりとて落としはしない。

チラリと雷や夕立を見ると目を輝かせていた。鳳翔や、龍田もこういったパフォーマンスとも取れる行動はしないからなぁ...と心のなかでぼやき、子どもっぽさを残す二人には面白いのだろう、とも考えた。

冷蔵庫の中に残っている物は牛乳、ヨーグルト、生卵。いやもちろん片栗粉やパン粉、パセリなどと言ったものや味噌、醤油などは残っている。だが...このチャーハンに必要な乾きは難しいか....?

あー...でも、やるだけやってみるか。

古賀は先ほどレンジでチン(少しは乾燥させた)したご飯をフライパンへと入れていく。そして一度それから手を離した。

彼は冷蔵庫に向かい、その扉を開ける。一瞬なにかを考えるそぶりをして手に取ったのは....

「卵っぽい?」

卵だった。

彼は2つほど取り出すと、食器棚からお椀を取り出す。

彼は片手の力で器用に卵を割ると空気を取り込ませるようにしてしっかりとといていく。何をするというのだろうか?卵をあろうことかフライパンに垂らしてしまった。サァァーと均等に垂らしていくことから、これが気を抜いてしまったことによる想定外の行動ではないことは理解できる。

シャンッシャンッシャンッ、フライパンの上をご飯が、キャベツが、ベーコンが舞う。ダンスのように、何度も何度も、繰り返し繰り返し舞った。急にその舞踏会は終わりを告げ、今度は古賀が箸をいれる。かき混ぜるように箸を動かし、事実としてそれをかき混ぜていった。

卵が、薄く米粒の表面について固まっていた。

古賀は火の勢いを弱め、またシャンッシャンッと踊らせる。味付けはは、また醤油と塩胡椒らしい。

醤油をいれ、続けざまに塩と胡椒を振り撒いていく。

そしてまたシャンッシャンッと踊らせた...。

ガチャンという音をたてて火を止める。

食器棚から中華皿を取り出し、それにチャーハン?がよそられていく。

ゴトリ、カウンター席のテーブルにそれは置かれた。

「召し上がれ」

チャーハンとは形容しがたく思えるそれだが、先ほどエリンギ単品にやられたばかりの艦娘たちだ。

蓮華をスッと差し出していた。

 

 

 

黄金チャーハン。

そんな言葉をご存知だろうか?

いわゆる、卵を使ったチャーハンなのだが、チャーハンのようでチャーハンではない別物にも感じられる料理だ。

一般的な家庭でチャーハンを作るに当たってパラパラなチャーハンを作ることは難しい。それゆえに卵を使用することでパラパラなチャーハンにしたてあげるのだ。

味付けは塩や胡椒、香り付けには醤油や胡麻油でいい。簡単に作ることができて美味しい一品だ。

ただでさえ卵とご飯はマッチングするのだ、それを調理したとなれば.....

「美味しい...」

当然美味しい。

今回古賀が作ったのはいわゆる黄金チャーハンだ。元々彼は普通のチャーハンを作るつもりでいたし、そもそも黄金チャーハンの存在自体を忘れていた。だからこそ卵があっても使えない具材という判断を下していたのだが...,。

「まさか黄金チャーハンでくるとはね~」

龍田もチャーハンというお題ギリギリのラインのものを出してくるとは思ってもいなかったらしい。彼女は実はいうと冷蔵庫の中身がほとんどないことを知っていたのだが、まあそれぐらいどうにかできなきゃダメだろうと思っていたこともあって黙っていたのだが...。

さすがに想定外よ~、と楽しそうに蓮華でそれを掬う。

「もういいよな?文句ないな?具材買いにいくぞ」

古賀としてはいつまでもだらだらしていては開店時間に間に合わなくなるのではと少々怯えている部分もあり、またいい商品が残っていないのでは?と思ってもいたので、早く買い物に出掛けたかったのだが....

悲しいかな。

雷だけでなく、時雨と夕立までもが幸せそうな顔でモグモグと口を動かしているのだ。強引に連れていこうかと一瞬思った古賀だったが、その顔をみて「ぐっ」とうめき声をあげる。純粋すぎる笑顔に目がやられた。

挙げ句のはてには飛龍も、龍田も嬉しそうに食べているのだ、なんだかこれで強引に連れ出しては罪悪感を感じそうだ...。

「しょうがないか....」

彼はこっそりと裏の出口から出掛けていった。

 

 

 

 

 

「古賀っち、鳳翔の嬢ちゃんはどうやった?」

「あー、あんまり心配しなくても良さげですよ、じいさん。あ、これください」

「おおー?カボチャかいな。鳳翔の嬢ちゃんおらんのに大丈夫なんか?」

「ええ、まあ僕も料理できますし」

そういうこんやなくてやなぁ....八百屋の老人は呟く。

昨日の時点で伝わってきていた鳳翔が斬られた、という話。なんでも本営から来ていた中将がやったとかで泊地所属の軍人が荒れとったんよなぁ...。本営の豚許すまじ、罰せられなけれは反逆とてしてみせよう!と意気込むまでの荒れかたには驚いたが。

「居酒屋、どうすんのや?鳳翔の嬢ちゃんいないと店開けてられんでしょ」

鳳翔が無事(重傷)ではあっても一命をとりとめていて、一週間ぐらいで救急棟から退院できる、という話もすでに広まっている。だが、彼女が戻るまでの間泊地の名物であり、人気店である居酒屋『鳳翔』が休業するのでは?という噂もあった。

居酒屋『鳳翔』に通った回数も両手の指で数えられる程度のものでしかないし、付き合いといってもせいぜい古賀や鳳翔が自分のこの小さな八百屋に食材を買いに来る程度のもの。だが、それでもやはり気になった。

「あー、鳳翔さんいませんけど店は開けときます」

「はい?え?」

やはり休業だろうと思い込んでいた老人は予想とは180度違う返答に思わずとぼけた声をあげた。

 

あぁ、やっぱりそうだよなぁ。と古賀は思う。

居酒屋『鳳翔』は鳳翔なくしてやっていけない。そう周りからは思われているのだろうし、恐らくそれは事実でもあったのだろう。自分が動かなければ。普段はダラダラしていても、別になにもできない訳じゃない。だから、普段は鳳翔がしてくれていることを古賀自らするだけの話だ、と割りきっているのだ。

「まあ鳳翔さんいないと居酒屋『鳳翔』は名乗れませんけどね」

「ほ、ほぉう、んじゃ居酒屋『飛龍』か『龍田』と言ったところかの?」

飛龍か、成る程。

龍田か飛龍、その二人のどちらかが、古賀の指揮下の艦娘のなかでは鳳翔に次ぐ腕前の持ち主で、多くの料理を作れるだろう。

あくまでも古賀の指揮下の艦娘のなかという限定があれば。そう、今回は忘れてはいけない。

古賀自信も厨房に参戦するのだ。

「いえ、居酒屋『古賀』ですよ」

「ふぁっ!?」

随分と酷い反応だと思うが、まあ仕方がないだろう。

「いやじいさん、僕も料理できますから(鳳翔とおなじぐらいには...)」

「んな!?」

「いくらなんでも酷くないですか、その反応」

いくらなんでも八百屋の老人の反応は古賀にとって酷いものだった。明らかに信じていない顔だし、『ありえん』と言われている気分だ。

「まあそんなに言うなら食べに来てくれればいいですよ。あ、このトマトください」

「お、おう」

なにげにさらっと売り込むあたり、そんなにショックは受けていないようだが.....。

 

 

 

 

「おい、聞いたか?」

「なにをだよ?」

「ん?まさかあの噂か?」

「多分それだ、なんでも居酒屋『鳳翔』休業しないらしいぜ」

「マジか!?いやでも女将が」

「古賀大佐本人が八百屋のじっちゃんと話してる時にそう言ったらしいぞ」

「ふぁ!?」

「え?まじ!?俺今日も行こっと」

「ぅぃ~なんか楽しそうじゃん?どうしたじゃん?」

「居酒屋『鳳翔』が休業しないらしいっす」

「じゃん!?」

「あ、でも居酒屋『古賀』って名前でやるらしいです」

「やっぱりさっきのなしで、俺行かね....何が出てくるかわかったもんじゃねぇよ。食えないもんばっかり出てきそうだ」

「えー?面白そうじゃん?てか古賀ちゃん料理実は上手い系男子じゃん?」

「「「え??」」」

「鳳翔っちに料理最初に教えたの古賀ちゃんじゃん?」

「「「なんですとぉぉお!?」」」

泊地の一角でこんなやり取りがあったとかなかったとか。はっきりとはしないものの妙に甲高い三人の男の悲鳴が、鳳翔の倒れた翌日に上がったのは事実だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「司令官、どうしたのですか?」

「あー.....居酒屋『鳳翔』が休業しないらしい」

「なのです!?」

とある提督の執務室ではこんなやり取りが行われていた。この提督、居酒屋『鳳翔』の常連なのだがよく秘書艦の電を連れてくるので、古賀や鳳翔の印象にも残っている提督だった。いや、もちろんこの提督以外も印象にしっかりと残っている提督はいるが、この提督が古賀の同期であり、昔のことを知っているというのもまた印象深める理由だろうか。

まあ、艦娘から嫌われている古賀の元へわざわざ艦娘を連れてくる提督は数少ない。ましてや単艦で強い戦艦や、重巡、空母ともなれば話は別だか、最弱とも言える艦種の駆逐艦をつれてくるのはこの提督ぐらいなものだった。

だからこそ余計に印象深かったのだが。

「なんでも居酒屋『古賀』って名前で一週間ぐらいは、やりとおすらしいよ...」

「ひいっ!?」

「なにもそんなに怖がらなくても....」

「絶対にまともなメニューが無いのです!あの古賀提督なのです!」

古賀さん....あんた本当に嫌われてるよ艦娘から、と彼は呟く。かつて古賀がやらかしたことで艦娘から嫌われた最大の要因を知っているこの提督だが、実のところ被害を受けた最初の提督でもあった。

「まあ、食べ物までゲテモノにはしないって、ね?」

「大丈夫、なのです?」

「一回食べに行こうよ?危険だったらすぐに帰るからさ?」

古賀と同期として、できれば艦娘から再び慕われる提督に戻ってほしいと全力で願うとある提督だった。

 

 

 

 

 

 

ところ変わって救護棟。

つい最近まで『入渠ドッグ』と呼ばれていたのだが、他の泊地など目ではないぐらいに人間と艦娘の垣根が低いこの泊地ではその『入渠ドッグ』って呼び名はどうよ?と言われはじめて、住民たちの投票によって『救護棟』と名前が改められた。そして、そんな艦娘達が入院(入渠)する建物に、一人の壮年の男が立ち寄っていた。もちろん、その男の後ろには凛々しい黒髪の女性が付き従っていたが....。

「やあ、鳳翔くん」

「あ、三倉中将...。すいません、寝たままで失礼しますね」

そう、この泊地の長官である、三倉中将だった。

そして彼がいるということは付き従う女性も当然特定できるわけで

「昨日ぶりだな、鳳翔」

「長門ちゃんも、来ていたんですね」

「私をちゃん付けで呼ぶ艦娘は貴女ぐらいだよ」

彼女、長門は思わず苦笑する。

艦娘のなかでは聯合艦隊旗艦でもあった自分を敬ったり怖がったりするあまりに近づこうとすらしない者や敬礼したまま立ち尽くす者すらいるというのに、この艦(人)ときたら...。斬られた場所に傷は残っていないとは言っても、まだ痛むだろうにニコニコと笑っている。強い人だ...。

「でも、あの娘たちは長門ちゃんを呼び捨てですよ?」

うぐっ!、と長門の顔がひきつった。鳳翔が誰のことを言っているのか理解したからだが、長門はその二人が強烈に苦手だった....あんなの、常識の範疇外だ!声高に叫びたいが鳳翔と同じ提督の指揮下にある艦娘(仲間)。下手なことを言って鳳翔に嫌われたくもない。

「気にしないでかまいませんよ、あの二人は私だって、ね?」

「は、はぁ...」

かなわないなぁ....、と長門は思う。自分の心の中を読まれていたのだろう。鳳翔は自分から振った話題とは言え、ちゃんとこちらのフォローまでしていった。怪我の痛みもつらいはずなのだが、と鳳翔を見てもやはりニコニコと笑っているだけだ。

「すまないね、長門。今日は私が彼女に用事があったんだよ、少しいいかな?」

「ああ、提督...」

本音を言えばもう少しでいいから鳳翔と話したかった。

だが、それは提督の邪魔となること。また後で時間ができたら話に来よう、と心に決めて彼女は一歩下がる。

「鳳翔くん。本当に、本当に申し訳なかった」

そして下がった彼女は思わず目を見開いていた。

「提...督...?」

彼女の敬愛する提督、つまりは三倉中将はベッドで横になる鳳翔にたいして土下座をしていたのだから---

 

 

通常、中将クラスの役職の人間が土下座などすることはありえない。

そう言いきっても問題はないだろう。

せいぜい、天皇陛下や、中将より上の階級である大将や元帥にたいしてとるかとらないか、といったところだろうか?長門の目の前で、三倉中将はそれらに当てはまらない、一介の艦娘に過ぎない鳳翔に土下座をしていた。

「提と「すまない、長門。静かにしていてくれ」...く...?」

思わず上げた声にも冷たい、刃のように鋭い三倉の声が返ってくるのみ。もう訳が分からなかった。彼女は助けを求めるように鳳翔の顔を見るが、彼女は先ほどまでの明るい雰囲気をまとった笑顔を引っ込め、明らかに私不機嫌です、という雰囲気を纏っていた。

もう、理解の範疇外だ。

「今回の件に君を巻き込むべきではなかった」

「私は、君が生真面目で古賀大佐と艦娘のために働く、そして投げ出さないその性格を利用したんだ。そして古賀大佐なら君に何かあれば全力で動くだろうと言う打算もあった」

「君がもしかしたらもっと酷い目にあっていたかもしれない、あうかもしれないということも想定していたと言うのに、君に頼んだ」

「古賀大佐には伝えずにこの計画を進めた」

「古賀大佐、いや、古賀という男ならば絶対にこの計画をみとめないからだ」

「今回の件の君の怪我は私が負うべきだったものだ」

「許してくれ、とは言わない。恨んでくれてかまわない」

ただただ続く三倉の独白に、長門はおそらくのことを察する。これは.....、三倉が鳳翔を何度か呼び出したのは知っていたが、まさか今回の件に関してだったとは...。

さすがにそれは長門からしても想定外のことだった。

「なにより私は君が一命をとりとめ、再び立てることを心より嬉しく思うよ」

「今はゆっくり療養してくれ」

「本当に、すまなかった....」

これがもし古賀大佐にバレたなら、と長門は考え、身を震わせた。自分にも、三倉中将にも命はないかもしれない。あの常軌を喫した男は道理など無理と理不尽でこじ開けて突っ込んでくるだろう。

それこそ自らの命など省みずに、そういう男だ、彼は...。身内へは異常に甘い。

「頭をあげてください、三倉中将」

鳳翔の声には棘がある。

三倉は頭をあげない。

「聞こえませんでしたか?三倉中将。頭をあげてください」

「ですが私は今回の件で---」

「いいんですよ、別に。私の身体に傷は残りません。普通の人間なら死んでいたでしょうし、私は古賀大佐ではなく自分が狙い通り斬られたことに安堵していました」

何でもない事のようにつらつらと言葉をこぼす鳳翔だが、その声は冷たい。

「私は、私たちは、艦娘は、軍属なんです。例え兵器としてしか見られなくても、人間として扱われずとも、私たちは軍属なんです。命令には従います」

彼女の言葉には重みがあった。

怖さによる重圧ではない。

事実を、ただ淡々と事実を述べているだけなのに、長門はとても重く感じた。それは三倉中将とて同じこと。自分は使役するだけの立場でしかないのだ。彼女たちと共に戦っていない。戦えない。

「私は三倉中将にたいしての怒りはありません。ですが、あの男は、安藤中将が、そしてその取り巻きであった者たちが許せないだけなんです」

「私たちは軍属です。人間ではありません、艦娘であって兵器です、命令に従います。三倉中将ならないと信じていますが、忘れないでください私たちにも---」

 

 

 

---感情はあります---

 

 

強烈な一言だった。

事実でありながら、忘れている提督や軍人も多いと言われることだ。いや、忘れているのではなく理解していないのかもしれない。

実際問題、三倉とて理解しきれているとは言えないのだから。三倉はその階級の高さ、というより暗い事情から本来の彼女たちの姿を知っている。

だが、知っているからと言ってどうだろうか?

人の姿をしていて、同じように考え、喋り、ご飯を食べて寝て、動いて、遊んで、泣いて、笑って、怒って、喜んで、拗ねて、楽しんで.....。それでも自分は彼女たちを人間としては見ていない。あくまでも『艦娘』として見ている。

「そして、生きているんです。私はああいった人がいることが、そして彼に斬られて亡くなった艦娘がいることが悲しいです。私はこの泊地しか知りませんし、直属の指揮官としては古賀大佐しか知りません。私は居酒屋をやっていれることが、やっていれることでたくさんの人と触れあえることが、みなさんに『艦娘』である私たちも『人間』と同じであることを分かってもらっていると思っています」

鳳翔が語る居酒屋『鳳翔』の原点。

いや、原動力と称するべきか。

彼女の思いはもしかしたらすべての『艦娘』の願いでもあるのかもしれない。

「今日のところはお帰りください、少し私も気持ちを落ち着けなければいけません。中将ともあるお方に感情的にぶつかってしまいました。これ以上は古賀大佐の顔に泥を塗ることにもなるので---」

---お願いします---

鳳翔はちらりと一瞬だけ長門を見ていた。

長門はコクりと小さく頷いていた。

お願いします、三倉への帰ってほしいと言うお願いであるとともに、鳳翔の独白の間、そして今も顔をあげず、動こうとしない三倉中将を引き取って、連れて帰ってくれ。そういう意味での言葉でもあったのだ。

ほぼ正確にその意味を理解した彼女は土下座のまま微動だにしない三倉を、正確に言うと彼の服を掴む。

「提督、帰るぞ」

「だが長門」

彼女はため息を付きながら自分の上官を見る。

普段は気さくないい人なんだが。と考えつつ、強引に持ち上げる。

「鳳翔が帰ってくれ、と言っているんだ。今日は帰ろう」

「いや、だが!」

「鳳翔また来るぞ」

「ええ、次までに心を落ち着かせておきますね」

「ちょっ、離せ長門!?」

「ダメだ、離せば鳳翔のとこに行くだろうが」

やれやれと肩をすくめて左手に持った三倉中将を見る。まったく困った人だ。後で三倉中将に怒られるだろうが、長門にとってはどうでもよかった。鳳翔からお願い事をされたことがとても嬉しかった。

また来るぞ、もう一度心の中でだが彼女は言った。

---はい、楽しみにしていますね---

聞こえるはずのない返答が、聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?提督どこいきました?」

居酒屋『鳳翔』店内では飛龍がただ一人、みんなが黄金チャーハンをパクついているなか古賀が居なくなっていることに気づいていた。いや、もしかしたら龍田は気づいていたのかもしれないが無視していたのかもしれない。

飛龍がびっくりしたように声をあげても誰も動こうとはせず、また黄金チャーハンに手を伸ばす。

そういえば提督と二人で映画見に行った時にこんなシーンあったなぁ、何でしたっけ、たしか『千○千尋○神隠し』ってタイトルだったような、と考えつつさすがに一人で買い出しさせる訳にもいかないと思った彼女もまた店内を後にした。

 

 

 

 

 

 

意外ととでも言うべきか、この泊地は広い。

いや、腐っても軍事施設だ、意外とという言葉は正しくないだろう。

飛龍は古賀の向かいそうな場所、八百屋や青果店に向かったが、既にここからは去ったと言われてしまうと、もうどこに行ったかわからなくなってしまった。

魚市場は行ってもいいが、人が多く、すれ違いになる可能性が高い。

食肉店は泊地の外れにあるため戻ってくるのに時間がかかるためできれば向かうのは避けたかった。そもそも、お昼の開店時間までもうそんなに無いのだ。古賀がそちらに向かっているとは思えない。

だとすると.....、

「やっぱり魚市場かなぁ...」

行きたくないなぁ、という思いが強い。

でも会えなかったら会えなかったで開き直っていい食材を買っていけばいいですね!と自分自身になんとか言い聞かせた彼女はとりあえず走り出す。

実は言うと艦載機を全機各方面に飛ばしていて、古賀を見つけ次第知らせるようにと伝えてあるのだが、飛龍の艦載機の捜査網をことごとくかわしているようで今のところ連絡はなかった。

もしかしたら意図的に隠れているのかもしれないが....。

「あーもう、どこ行ったんでしょうね」

お魚買ったら私帰りますからね、とどこかにいる古賀に向かって叫ぶが、周りからはどうしたし?と見られるだけだ。

飛龍はなんとなく恥ずかしくなった。

 

 

飛龍が提督どこいったんだか、と悩んでいる間、古賀はどこに居たのか。答えは案外あっさりしたもので、飛龍が古賀が行くわけがないと判断した『肉屋』だ。

通常、外れにあるこの肉屋まで居酒屋『鳳翔』から直行しても歩いて片道30分程度だろう。ちなみに居酒屋『鳳翔』のお昼の開店時間は11時30分だ。

黄金チャーハンを作っていたのが大体10時00分。

普通に考えれば飛龍と同じ結論に至る。なぜなら古賀は車を持っていないからだ。

車があれば例え青果店や八百屋に寄っていても居酒屋『鳳翔』に開店時間までに間に合って変えることができるだろう。だが、無い物ねだりしてもしょうがないことなのだ。

昔は持っていたらしいが、居酒屋を開くにあたって返上したらしい。私物ではなく、軍の貸し出し品だったようだ....。

そして古賀がなぜ離れているはずの肉屋にいられるのか。なぜ開店時間に間に合うはずのない肉屋に行ったのかその理由は

「ありがとな、土方。丁度いいタイミングだったよ」

「はっ、自分は坂本少佐の命令で動いただけでありますので」

「いいっていいって、かたくなんなよ。今の俺はただの民間人なんだからさ」

坂本少佐の付き人、という風にも見れる土方という士官による手助けがあったからだった。

この土方、実際坂本の下でなければもっと早く出世していたであろう優秀な人物なのだ。なぜ坂本の下で燻っているのか、と古賀ですら感じるほどだ。知識も豊富で、坂本や古賀ほどではないが体術の腕前もいい。銃の扱いも上手いものだ。各種の乗り物を乗りこなし、噂ではジャンボジェットすら乗りこなせるとか...。

そんな土方は、古賀がえっちらおっちらと荷物(食材)を青果店で借りた荷車に乗せて歩いているのを見て、手の空いている自分が車を使っているのだから手伝わねば!という使命感から古賀に車に乗りませんか?と申し出てきたのだ。そして今は彼の休暇であるため坂本少佐から指示を受けている筈もないのに「坂本少佐から古賀大佐の手伝いをしてこいと命令を受けました」と言う有り様。

いや、悪いことではないのだ。

上官をたてていて素晴らしい部下なのだが.....

「土方、いつも肩に力入れてると辛いぞー?ほら、坂本見てるとわかるだろ?あいつ普段は力抜いてんぞ?」

「いえ、自分はこういう人間ですから」

ちょっとお堅いタイプの人でもある。

「まあありがとな。お陰でこっち(肉屋)まで回れたよ。メニューを減らさなくて済みそうだ」

「お役にたてて光栄です」

いいなぁ、と思って土方を見る。

彼は、土方は古賀よりも坂本よりも若い。

確か齢は16だったな、若いっていいなぁ....。まっすぐで純真で、純粋だ。俺たちみたいに変なもんや黒いものを抱えてない。羨ましいな、こういう力強さが。

彼自身若いはずだが、古賀も坂本も経歴が経歴だ。若さとは裏腹にヤバイものを抱え込んでいる。坂本はともかく古賀は.....。

まあ今はそんなことはまったくもって関係がないが。

「また坂本と一緒に食いに来な?」

「そうさせていただきます」

「うちで告白すんならその時に言えよ?貸し切りにしてやるから」

「はっ!?えっ!?」

さらっと落とす爆弾。土方がお堅い人間であるのとは違い、古賀はこういうお茶らけた人間である。

「バレてないと思ったか若僧め、気づいてないのはお前と坂本本人ぐらいだ」

あとは時折坂本のとこに遊びに来てる宮藤軍曹とかか?とニヤニヤしながら彼は言う。土方が何やら言っているようだが彼はまともに取り合わない。

こういうのはあんまり邪魔すると馬に蹴られるからなぁ、と思いつつ。

「ほら土方、帰りの運転も頼むよ?」

「えっ、りょ、了解であります」

土方の車の助手席に乗り込んだ。

ちなみにだが、今の土方の車の後ろには古賀が青果店で借りた荷車が結びつけられており、二両編成の電車のようになっているのは余談である。

時折ガタガタ揺れて果物の類いが落ちかけているが関係ないのだ.....きっと。

「あ、魚市場いくの忘れてた」

「...えっ!今から行きます?」

「いや、無理でしょ。時間的に開店に間に合わないわ、だから今日は魚系列無しで」

古賀はお茶らけているのではなく、ずぼらなのかもしれない...。

「はぁ....」

強く生きろ、土方。

「まあいいや、最悪雷や飛龍にお願いするからさ」

「分かりました、じゃあ目的地は居酒屋『鳳翔』でいいですね?」

土方は少々この大佐大丈夫か?と疑問に思いつつも口に出さない。出す言葉は業務連絡のような確認だけだ。

それに対して古賀は苦笑いをこぼしていた。もっと肩の力抜いて楽しく生きようぜ、と言いたげな彼の表情だが、彼もまた土方を煽るようなことは言わず

「違うな、今日から鳳翔が退院するまでは居酒屋『古賀』だよ」

冗談で返した。

 

 

 

 

 

「えっ!?提督居た!?どこですか!」

魚市場からの帰り道。

飛龍は今さらになって艦載機からの連絡を受けていた。可能な限り多くの魚を持ち帰るために一部の艦載機を呼び戻して彼らに魚介類を入れた袋を吊るしている状態なのだが、それでも残りの艦載機で古賀をなんとか発見できたようだった。

見つけたのは烈風の妖精だった。

そしてその場所は.....

「嘘、肉屋の方!?車に乗ってる...?運転手は...土方さんですね、それは」

あちゃぁ....本当に想像の斜め上に行っちゃう人ですよね。提督は、運が妙にいいですし、気がついたら想定以上の結果だしてますし、なんだか今さらながらすごい人ですよね。あの『バカ二人』なんて称される二人だってあの最強戦力とも言われる横須賀鎮守府に応援戦力として呼び出されてる訳ですし、本当に自分がここにいていいのか悩みますよ。まあ提督のことだから「ここに居ろ」といってくれるんでしょうけど...。

「あ、じゃあみんな戻って来てください。できれば私を吊るして帰ってくれるとそっちの方が早いから嬉しいなって...え?戻るのに時間かかる?あ、じゃあ歩いて帰りますから大丈夫」

帰ったら勝手に買い出しに出たこと怒りますからね、提督。

 

 

 

 

おおぅ!?なんか寒気がしたんだが。

「土方、なんか寒気がしたんだがお前感じたか?」

「いえ、なにもありませんが....」

「そうか...」

一体なんだって言うんだ。

 

 

 

古賀は寒気を感じてからさほど時間がかからずに居酒屋『鳳翔』、いや居酒屋『古賀』へと戻ってきた。

土方に手伝ってもらいながら食材を店内へと運び込んだが、すでに龍田や、雷、時雨に夕立、とどめに飛龍の姿はなかった。さらに加えて『今日の当直』からご丁寧に自分たちの名札をはずしているほどだ。

「あいつら...」

基本的には温厚である古賀も少しだけ頭になにか来るものがあったのだろう、すこし声にドスが効いているが気にするほどのことでもない。それに彼はすぐにひとつの事実に気付いた。

「あれ、飛龍の名札は外れてないし」

そう、飛龍の名札ははずされていなかった。

そして、彼女の名札の横に自分の名前、『古賀』と書かれた名札が吊られていた。

「古賀大佐ぁ、これってどこにしまえばいいですか?」

「ん、あ、すまん。ちょっと待ってくれ、すぐ行くから」

今日は色んな人に助けられてるな。

八百屋のじいさんはどこかふざけてたが、俺をすこしでも元気づけようとしていたんだろう。

青果店のおばちゃんは「鳳翔さんへのお見舞い品と雷ちゃんたちへのお土産」と言って買ったものとは別に林檎や梨を持たせてくれた。これはきっと喜ぶだろうなぁ、と俺でも思う。それに俺が荷物が多くて大変だろうから、と荷車まで貸してくれた。返すのは明日でいいし、無理そうなら鳳翔さんが復帰してからでいいから、という言葉まで。

途中で前を通った花屋の娘さんからは待ってと引き留められ、「これ、鳳翔さんにプレゼント。ローズマリーだから、花言葉は『再生』だよ」とローズマリーを一株もらった。「今度お礼するから」と言えば「じゃあ渋谷生花店をご贔屓に」と返された。実際この泊地には彼女の家である花屋しかないから贔屓も何もないのだが、と思いそれを口に出しかけたら「何もいいよ、私が好きでしたことだし」とかっこよく言われた。

そして土方に車に乗せてもらい、開店準備まで手伝ってもらっている。

思い出すだけでも吐き気がするし殺意が沸くが、全てが全て安藤のような人類ではなく、こういった優しい人たちもたくさんいるのだと思うと胸が熱くなり、つられて目尻に何か込み上げてきた。

「っ!?古賀大佐どうかしましたか!お怪我ですか」

「いやなぁ、人って優しいな、とな....」

改めて、ありがとな土方。

古賀は泣きながら彼にそう告げた。

 

 

居酒屋『古賀』

 

一体どこからこんなものを持ってきたのだろうか。

普段は居酒屋『鳳翔』と書かれた赤色の暖簾がかかっているところに、青色の居酒屋『古賀』と書かれた暖簾が垂れ下がっていた。

古賀が用意したわけでも、土方や飛龍が用意したわけでもない。彼らが気がついた時にはすでにかけられていた。

「あと五分で開店時間だ。最後の用意にかかるぞ」

「了解しましたー」

飛龍の朗らかな返事が返ってきた。

土方はこれ以上は付き合わせられんから坂本とでも遊びに行ってこいとお小遣い程度のお金(とは言え一晩中遊ぶくらい)を持たせて帰した。

別にお代のつもりで渡したのではなかったし、ただの善意だったのだが、土方はバイトのつもりではなかったのですが、と呟いていた。

肩の力を抜いておけとは言ったもののまさか自分に憎まれ口を叩くとは思ってもいなかった古賀はそれを聞いてキョトンとしたものだ。

上手くいくかどうかはわからないが、とりあえず飛龍と二人で店を回す。龍田もそのうち帰ってくると信じるしかないだろう、帰ってきたら仕事ガンガン回してやるから覚悟しとけ、と呟きつつも、古賀の手は止まらない。

一応味噌汁ぐらいは作っておいても問題が無いだろうと思っての行動で作っていた。

定食や、単品で、どうしても味噌汁は多く食べられる。

だから作っておいて無駄になることもない。

「提督、開店時間です」

「おっし、開けてよーし」

 

ここに、一週間限りの居酒屋『古賀』が開店した。

 

 

「こんにちは、古賀さん」

一人目の客が現れた。

長い黒い髪をゆらゆらと揺らして。いわゆるストレートというやつだろうか?古賀は生憎そういったものには詳しくないので判別できないが....。彼女は年のわりに落ち着いていて、カッコいい。クールなところが彼女の売りだろうか?

「渋谷ちゃん来たのか」

「うん、古賀さんが厨房に立つって聴いたからね」

ちょっと食べてみたくなった。

彼女はニコニコとしながら言う。いや、ニコニコと言えるほどニコニコともしていないのだが、彼女は彼女なりに笑顔を作っている。

「それに渋谷ちゃんはやめてって言ったはずだけど」

「かといって名前で呼ぶわけにもいかんだろうよ」

特に君みたいな子を、とは古賀も続けない。

今はこの子は仕事を休んで実家に帰ってきているが、高校一年生という若さで有りながら単身東京へ勉強しに飛び出ていて、アイドルにスカウトされたらしい。

そしてそのままアイドルになったらしいから、無駄なスキャンダルは生まない方がこれからの生活的にもいいだろう。ただでさえ俺は、下の名前は知っていても呼ばないこの業界(軍属)の人間であるし、そもそも女性の下の名前を馴れ馴れしく呼ぶべきものではないと思う。

ましてやアイドル。

スキャンダルなどほしくないだろうに...。

「そんなに気にしなくても大丈夫だよ、まあいいけど」

彼女はカウンター席に座ると、ペタンと机に顔を載せた。何を考えているのだろうか?知ったところでどうでもいいことかもしれないが、いつも強気の彼女にしては妙に弱々しく見えた。

「注文は?」

「んー.....古賀さん、なに作れるの?」

「適当に言ってみろ」

「塩釜」

「鳳翔さんに言え」

「龍田揚げ」

「龍田に言え」

「酒蒸し」

「おーい飛龍注文はいっ」

「ごめん、やっぱり嘘」

何かあったのだろうか?

先ほどローズマリーを貰ったときは元気に見えたが。

「適当に言えって言ったの古賀さんじゃん」

「担当者の居るメニューは作れても作らん」

どっちが上手く美味しく作れるか上下ができちまうだろうが、とむすっとした顔で古賀は渋谷に言う。ついでにペチり、とでこぴん。

「痛い....」

「あのなぁ、じゃあ適当に作るぞ?」

「うん、お願い...」

でこぴんしたときに指先から伝わった体温は至って普通。熱が出たわけでも、身体が冷たくなって具合が悪いわけでもないようだ。友人に何か言われたとか、親と喧嘩したと言ったところだろう。

まだ有ったかな、あのバカの私物だけど...と古賀は考えながらも厨房の奥へと入っていく。

カウンター席の前で普段なら調理を行うが、物によっては奥にある設備を使わなければ調理できないものもある。だが、今回古賀が中に入ったのは奥で調理をするためではない。

「飛龍、お客さんきたらしばらくよろしく」

「ああっ!?またどっか行くんですか?」

「違うって、ちょっとバカ1号の部屋を漁るだけだから」

古賀がそう言うと飛龍は顔をしかめた。

ものすごく嫌そうに....。

「えっ...入るんですか?」

「あいつの私物に確かハーブあったよな、セントジョーンズワート少し分けてもらう」

「勝手にですか!」

「いや、アイツならいいだろ。さすがに鳳翔やお前の部屋に入るのも物持ってくのもはヤバイけどさ」

そこまで彼が言うと、飛龍も言われてみれば、顔をしかめたままうなずく。

「あの子相手なら何しても提督許されそうですよね」

もはや盲信に近いかも、と飛龍は考えながら古賀を止めることを放棄する。どうせ私的な利用ではなく渋谷ちゃんのためでしょうし、最悪私もフォローに回ればいいか、なんておもいつつ。

「というより提督、セントジョーンズワートって更年期の沈んだ気分を上げるためのものですよね、渋谷ちゃんまだ若いですけど」

「更年期のその効果だけでなく不安で落ち着かない気分を落ち着かせる、そのための効果もあったはずだが?」

「そうでしたっけ」

「そうだった気がする・・・」

飛龍に不安げに尋ねられて少しばかし自信が失せたのかもしれないが厨房からさらに奥へ、そして居住区画へと彼は足を進めた。

目指すはバカ一号(と称される艦娘)の部屋。若い女性らしい置物などもあふれているが、どこか落ちついた雰囲気もあり、臙脂色のカーペットが懐かしさを感じさせる。そんな部屋の端にある小さな棚に幾種かのハーブティー用のハーブが入っていることを彼は知っていた。何故知っているのかはいまいち覚えていないが大方彼女の部屋で飲んだときに覚えていたのだろうと古賀は自分を納得させる。

「お、あった」

古賀のお目当ての品、『セントジョーンズワート』は随分とあっさりと見つかった。

ハーブ以外の物も色々入っていたが、この部屋の主もハーブの中ではよく飲むのだろうか?

手前に入れてあったからだ。

「えっと・・・淹れ方は・・・」

さすがにそこまでは古賀も知らなかったので袋に書かれている淹れ方を見ながら必要なものをついでに借りて行く。

「あんまり特殊なものはないみたいだが」

ブレンドして飲むやり方もあるようだがさすがにそこまで古賀に求めるのは酷である。

彼は元々こういったことには詳しくないのだ。普段ハーブティーなど飲みやしないし紅茶もコーヒーも飲まない。誘われれば遠慮なく飲むが・・・・。緑茶か酒か、飲んでいるものはこのあたりだろう。

古賀は小さめなティーポットとティースプーン、ティーカップをとると、また厨房へと戻って行った。

お昼の時間帯であるし、渋谷は冗談ではあってもしっかりとした食べ物を求めた。

だから彼女がお昼ご飯を食べに来たのであろうということは古賀も分かっていたが、用意しているのはお茶である。頭大丈夫か?と少し心配にもなるが、古賀は大まじめだ。気分が悪い状態でご飯を食べてもおいしくなんかないだろう、まずは心を落ち着かせろ、ということだ。決して古賀の頭がおかしいわけではない・・・・筈、多分。

紅茶にしても、沸騰させたお湯で淹れるよな、ハーブティーも紅茶もそんなに差はないよな?と彼はひとまずお湯を沸かす。

この工程は早い。

そもそも使っているコンロの最大火力が一般家庭の物とは違うのだ、当然と言えるだろう。

ピイイイイィィィィィと汽笛のように音を鳴らすヤカンを黙らせてからティーポットにティースプーンで二匙ほどの『セントジョーンズワート』を淹れる、そして乾燥しきったそれをふやかすようにゆっくりとお湯を注ぎこむ。良い香りだ。こういうのがハーブティーのいいところだろう。紅茶やコーヒー、それに緑茶もいい香りがするが、ハーブティーはさらにその上を行く。日常的に飲む気には古賀もならないが、時折この匂いを嗅ぐとたまには飲んでもいいかなと思ってしまうのだ。

「はいよ」

古賀はことりと音を立てて渋谷の前にそれらを置いた。

綺麗な白色のティーカップとティーポットそこから漂うハーブの香りは居酒屋には不似合いなものではあるが高級感を魅せた。

「んー・・・・・え?」

ようやく何か食べられると思って顔を上げた彼女の前にあるのはティーカップとティーポット。

思わず「え?」と言うのも仕方がないだろう。

「『セントジョーンズワート』、心を落ちつかせる効果のあるハーブティーだ。まあ、ただのサービスだよ。なんだかお前辛そうだしな」

カラカラと笑いながらそう言う古賀だが、どこか『してやったり』というのも表情に出ていて・・・

「なんか悔しい・・・・、でも、ありがと」

少しだけ可笑しかった。

 

 

 

渋谷ちゃんはきっと提督の作った料理が食べたくて来てるんでしょうね・・・。だから私が作ったら多分ダメ。飛龍はカウンターで恐る恐るハーブティーに口をつける渋谷とそれを眺めつつ何を作るか悩んでいるのであろう古賀を見ながら考える。はて、自分が作った方が次の客、というよりもこれからのお昼休みラッシュが来たときの回転も考えれば効率がいいものだが、彼女は満足しないだろうし・・・・。

「もう提督に任せるしかないですよ」

飛龍は取りあえず次の客のことを考えて先に用意しておくと楽な料理を始めた。

 

 

対して古賀は飛龍が想定した通り渋谷に何を出すかで悩んでいた。

渋谷はなんでも良いと言ったがその注文が何気に一番難しいのだ。全ての客の好みや好きな食べ物など覚えていられない、ましてや滅多に来ない人物の物まで。本当はそれができれば一番いいのだがなかなか難しい。古賀にいたっては普段は厨房に立たないから余計に覚えていない。

鳳翔や龍田ならば多少は話も違ったかもしれないが・・・。

「嫌いな食べ物とかあるか?」

「ないよ、でも特に好きなものもないかも」

「マジか・・・」

これはまた難易度が上がったようだ。

好きな食べ物があった方が作りやすいうえに、嫌いな食べ物が分かっていればそれを使わないメニューと言うことにできたのだが。それすらも封じ込められてしまった。

「古賀さん、無くなっちゃった」

なにが、とは言わない。

それだけで通じるだろうと彼女は思っているから。

「そのハーブティーはあんまり飲むのも体に悪い」

「えー・・・」

彼女の思った通りに古賀はその言葉を理解したが、残念ながら彼女の求めるものは出ない。ハーブティーは物にもよるが飲み過ぎは飲み過ぎでよくないのだ。ちなみに今回渋谷が飲んだ『セントジョーンズワート』は妊婦にはお勧めできない。

「パスタでいい?」

「いいよ」

ひとまずパスタに、にしても相変わらずだな、と古賀は渋谷を見る。

渋谷も古賀から何を思って視線を向けられたのかは分かっているらしく

「私、愛想ないから」

「少しは努力しろよ」

「うん、分かってる」

まったく、と古賀は嘆息するとパスタに取り掛かる。

 

何気なく、普通にパスタでいいか?と渋谷に尋ねた古賀だが、実は言うと古賀はそんなにパスタのレパートリーはない。

むしろ苦手とする料理だ。イタリアンは時雨に、と言いたいが渋谷が以前やって来たとき(ちなみにその時は家族で来ていた)にパスタを頼んでいたのを思い出したのだ。さてさて、ただそのパスタが何だったかは覚えていないのだ。ちなみにパスタの麺までは自家製といかず、製麺店から買っているのだが....。時雨も麺が美味しいと言われたときは少々苦笑いしている。

「トマトベースでいいな?」

「うん」

ちなみにパスタ=スパゲッティというのが日本人の多くの考え方だろうし、ファミリーレストラン、いわゆるファミレスでも○○と▲▲あえのパスタ、などと言った表記が使われているが、パスタと言うのはイタリア語では麺類と言う意味に近い。だから、マカロニ(マッケローネ)やペンネなどもパスタに含まれるのだ。ちなみにだが、日本のパスタでうどんや蕎麦を指すことになる。

トマトベースのスパゲッティ、皆さんなら幾つぐらいの名前を揚げられるだろうか。これもまた色んな豆知識があるが、それは興味を持ったならば調べてもらいたい。

古賀は渋谷に出すトマトソースのスパゲッティに取りかかる。先にこの料理の名前を挙げておこう。『ペスカトーレ』だ。古賀はニンニクをとりだし、みじん切りにしていく。ニンニクは玉ねぎと違って目から涙がでそうになることもない。まあ、慣れていると耐性ができてくるのか玉ねぎのせいで涙が!なんてこともなくなるのだが.....。鳳翔といい、飛龍といい、そして古賀といい、聴いていて心地のいい包丁とまな板の音をたてるものだ。テンポは決して崩れず、トントントントンとリズミカルに鳴らす。一種の芸術にも思えるほとだ。

切り終えたそれをフライパンへ投入。さらにそこにオリーブ油を入れる。

火がついた。

古賀は少しそこから手を離す。入れたニンニクを焦がす訳にもいかないが、軽く芳ばしい香りがするまで待たなければいけないのだ。その間に他の作業をしても何ら問題もない。

古賀は今回作る『ペスカトーレ』にあうスパゲッティの麺を選択し、取り出す。だが、今すぐこれをどうこうすることもなかった。

古賀が続けて取り出したのは大鍋だ。

底が深く、大きい。古賀はこの鍋の八分目ぐらいまでだろうか?お湯を入れる。そして、ニンニクを焼いている横のコンロにこの鍋をおいた。

火がつけられた。パスタを茹でるときにその茹でるお湯は多い方がいいとされる。間違いない事実で、大量のお湯で一気にパスタをゆで揚げてやらなければいけない。

古賀も知識として、また経験からそれを知っていた。

お湯を沸かすときはもちろん蓋をしておいた方が早い。早いだけでなく熱効率も上がる。お金はあるので代金などを気にしなくても良い分熱効率までは気にしていない古賀だが、調理に時間を掛ければかけるほどお客(渋谷)を待たせることとなるので、無駄な時間はかけないためにもこの大鍋に蓋をする。

ずいぶんと久々にスパゲッティも作るものだ、イタリアンならば俺ではなくて時雨が作るし....。そもそも普段は自分で作らないからなぁ。えっと、確か茹でるお湯は塩を入れるんだったな、それは沸騰してからでいいはずだから次はニンニクか。

古賀はニンニクをヘラを使って軽く混ぜる。

全く混ぜずに放置していれば火が通っていないところと焦げている場所が発生してしまう。均等な方が都合がいいのだ。

仄かに香り出すニンニクの香り。

よし、と古賀は呟くとまた、これから手を離す、

そしてまたリズミカルなトントントントンという音を鳴らすのだ。今度切っているのは玉ねぎ。古賀は玉ねぎで涙が出たりはしない。古賀の手元を覗き込んでいた渋谷はどうかは知らないが。

みじん切りにしたそれを、先ほどのニンニクと同じフライパンへ。玉ねぎはしっかりと炒めると色が変わる、時間はかかるものの変わったあとの方が美味しいのも事実だ。今の玉ねぎの色は白色、まだまだ先は長い。古賀はニンニクと玉ねぎが混ざるようにヘラを動かす。チラリと大鍋を見て何かを判断してまたフライパンへと視線を戻した。

「よっ、と」

玉ねぎとニンニクが宙を舞う。一度、二度、三度。

色が似ていながらも少し違うそれらが空中でキレイに入り乱れる。何かの輝きのようであった。

ピクリ、と渋谷は眉を動かすがそれだけ。雷たちのように歓声をあげることはない。これなら行けると思ったんだけどなぁ、ダメかぁ。古賀はちょっとばかしショックだった。渋谷が鳳翔にと言ってローズマリーをくれたのは嬉しかった。お礼をすると言ってものらりくらりと煙に撒かれてしまい、それも残念だったが、今は渋谷をなんとか元気にできないかと画策しても上手くいかないことがショックだったのだ。

「I'm a thikerとぅーとぅーとぅーとぅー」

考えろ、と自分に発破をかけるつもりで歌う。厨房に立つ人間が歌うだなんて非常識かもしれないが、それが古賀クオリティだ。三倉がもし居ても仕方がないで見逃されることだろう。

「それ、何の歌?」

「戦場の華だった傭兵たちの、そして彼らの相棒の歌」

「ふーん....」

玉ねぎの色が変わりはじめたなと思っていたところで渋谷が自分の歌に興味を持ったのを意外に思った。

古賀は自分が歌が上手い方だとは思っていないし(ただし下手だとも思っていない)、ちゃんと歌詞を歌っていない鼻歌レベルのものに本物である渋谷が興味を持つなんて考えてもいなかった。

「訳なんてみんな自分勝手につけてるけどな、特に決まった訳が無いからな。

俺は勝手に

-私は思想家--私は全てを破壊できる-

 

-私は破壊者--ただ倒すのみだ、レイヴン(傭兵)-

って感じでつけてる」

「......」

えー....というジト目で見ている。

ほとんど鼻歌で彼女が歌詞を聞いたのはアイムシンカーだけ。それならこんな反応も仕方ないだろうし、そもそもこれは戦場を知っているからこその訳でもあるのだろうと思う。

「歌詞なら見せてやるし、曲も聞いてていい。後でお前も歌詞を訳して見るといいさ」

英語の歌だから文法なんてめちゃくちゃだがな、と笑いながら古賀は渋谷に告げる。渋谷も一応高校生だ。ある程度の直訳はできるだろうし、自分なりの意訳をしてみせるだろう。

「飛龍、Thinker流して。できれば歌詞もとってきてくれると嬉しい」

「無理言わないでくださいよ!そもそも夜ならまだしもまだ昼ですよ?曲流していいのって夜だけじゃ....」

「いいからいいから」

知りませんからね、と飛龍がいっているが古賀は気になどしていない。そもそも曲を流すこと自体が珍しいのだが。ごくまれにパーティーなどが行われる時などに流す、そんな程度のものだ。

とまあこんな無駄話をしている間に古賀の料理は大きく進んでいた。彼は会話をしていてもしっかりとては動かしていたのだから。

古賀は沸騰した大鍋のお湯にたくさんの塩を入れていく。だいたい海水と同じくらいの塩からさを感じるぐらい入れてもいいそうだが、古賀はさすがにそこまでは入れない。対して、玉ねぎはすでにべっこう飴のような飴色に変わり、いい香りをさせている。溢れてくる唾液を思わずごくりと飲みこむ渋谷。本当にこの人たちの料理は凄いと彼女はいつも思う。待っているの人を楽しませつつその人の食欲を増進させるし、食べているときも楽しめる。自分が料理を作っているときは余計にそう思った。

渋谷に関心されているとは露知らず、古賀の手は休みなく動き続ける。飛龍が気を回して作っておいてくれたらしいトマトを多少の果肉を残しつつすり潰した物。これを古賀はフライパンへと入れていた。そこへ肉でだし汁を取ったコンソメを加えて再び放置していれば、古賀と渋谷の耳に曲が聞こえてきた。

Thinker....。文法はめちゃくちゃ。何を伝えたいのか妙にはぐらかす。比喩もなぜそれが出てくるのかわからない。わからない、おかしい尽くしのその曲だが、渋谷の心に妙に染み込んでいった。

「あいむしんかーとぅーとぅーとぅーとぅー」

古賀は少し楽しそうに歌う。けれども、その顔にはどこか影もかかっている。実に矛盾した表情だ。楽しそうにも、辛そうにも見える。それがどちらなのか、両方とも本心なのか、それともどちらも違うのか渋谷には判別できないが、古賀がこの曲に思い入れがあるのは分かった。

「あいむしんかーとぅーとぅーとぅーとぅー」

古賀の声にもうひとつ、彼の声より澄んでいて高い声が混ざる。渋谷の声だ。いつの間にか渋谷の前に歌詞が書かれたプレートが置かれていて、彼女はそれを手に歌っていた。飛龍が艦載機を使い出しているようだ。艦載機を搭載できる艦娘は手が足りなくなるとすぐにそれを応用して使い出す。それは飛龍も同じことだ。ブーンブーンとレシプロ機特有のプロペラの音が奥の方から響いてくる。

「今度、ライブで歌えるように頼んでみる」

「Thinkerをか?無理だと思うぞ」

「無理かもしれないけど、やるだけやる分には悪くないでしょ?」

おいおい、いつの間にか元気に成ってるし。どうしたらいいかと考えていたのがバカみたいじゃないか。と古賀は心のなかで嘯く。

本当は渋谷がいつもと変わらない様子に戻っていることが嬉しくてしょうがないのだが。

塩と、胡椒。最早古賀が料理をするときの必須アイテムかのように毎度描写されていたこれらだが、今回も活躍を見せた。

先ほど入れたコンソメや、トマトが持っていた水分が大分と飛ばされてドロッとしてきたところでぱっぱっぱと振りかけられた。ヘラで均等な味付けになるように注意しつつ混ぜて、小匙で1掬い。

「ん、いい感じだ」

薄めだが、これでいい。まだトマトソースは完成でないのだから。

古賀はもうひとつフライパンを取り出す。『ペスカトーレ』は魚介類を使ったスパゲッティだ。魚介類なくしてそれは『ペスカトーレ』とは呼べない。

「あとちょっと待ってな」

ちょっととは言ったもののあと何回渋谷がThinkerを歌うやら、とため息をつく。自分で勝手に料理を選んでおきながら手間のかかるものを作りはじめてしまったものだと思う。手早くできるものの方が、あまり人手が居ないときはいいのだけど、と。

イカを食べ安い大きさに切り、切り込みを入れていく。×を書くような切り込みを入れてもいいが、パスタでそれをやるとどうも見た目が悪くなる。だから、長方形に近い形でカットしたそれにⅢのような切り込みを入れるのだ。

イカだけでは物足りないだろう。彼は手早くエビの外骨格である殻をはずしていき、足、そして頭をもぐ。本当はムール貝を使用したかったが、さすがの飛龍もイタリアンのことまでは頭が回らなかったので、代用品としてアサリを使う。それら用意した魚介類を取り出したもうひとつのフライパンへ入れていき、イタリアンには必須アイテム、オリーブオイルをたらりとかける。これ以上ダラダラと待たせる訳にもいかないので火は強火だ。

更に白ワインに香り付けのレモン果汁を加えたら後はアサリがパカリと口を開けるまで蓋をして待つのみ。

待っている時間もやはり惜しい。

先ほど塩を入れた大鍋に、ようやく『ペスカトーレ』の主役が登場する。麺だ。乾燥パスタではなく、しっかりと生パスタ。古賀にもさすがにそれぐらいは、とこだわりがある。ほとんど一般的な家庭でできることと変わりがないのだ、少しぐらいのこだわりは持ちたい古賀の意地だった。

こちらも、パスタのゆで上がりを待つまで放置となる。

「I'm a Thinker. -私は思想家-、ダメ、私らしくない」

渋谷は古賀が言った自分なりの和訳に挑戦しているようだ。のっけから座礁に乗り上げたようだが....。

「固く考えるな、先に自分なりの意訳を俺が言ったせいで、思い込みというより先入観がある。一回それを捨ててみろ 」

なに言ってるんだかな、と古賀は思う。

自分はただの軍人、相手はこう言ったものの本職。自分のアドバイスなどむしろ邪魔だろうに心配になってついつい口を出してしまう。娘を持つ父親とはこんな感じだろうか?

麺が浮いてくる。

ゆで上がりまであとわずからしい。

ならばもう問題ないということだ。

古賀はお玉で一掬いほどの茹で湯を取る。何に使うのかと疑問に思うかもしれないが、たいしたことじゃない。ただトマトソースに加えるのだ。パスタの茹で湯はパスタのソースに多少加えることで、ソースのパスタにたいする絡みを良くできるのだ。茹で湯は塩をたくさん入れるので、茹で湯を入れる前のパスタソースの味付けは少し塩味薄めでなければいけないが....。

アサリも閉じていた殻をパカリと開けており、もう丁度よさげだった。

古賀は茹で湯を加えたトマトソースを全て魚介類のフライパンへと移しかえる。オリーブオイルで焼かれたアサリやイカ、そしてエビの香りが漂う。苦手とするパスタにしては上出来であろう。古賀は自分自身を褒め、頷く。

「美味しそうな匂い」

「空腹が最高のスパイスだからな」

「......」

別に腹ペコキャラじゃない、と渋谷は顔を逸らして言う。本当に美味しそうな匂いだったから言ったのに、とため息。古賀はこういう人だったと今更ながら思う。自分は無愛想で、古賀は非常識、というより変なところでデリカシーにかけているのかもしれない。なんて考えているとやはりいい香りが自分の心を揺らす。

ほぼ『ペスカトーレ』は完成しているのだ。

後は何か?

パスタのゆで上がり。

トマトソースと魚介類の具をあえる。

盛り付け。

たったこれだけだ。

長い道のりだった。食べる分にはいいが、作る分にはやっぱりパスタは嫌いだ。面倒だし。誰とは言わないがそんなことを考えている男もいるが。

彼は先ほど列挙させた最後の過程のひとつ、トマトソースと具を絡ませ始める。まだ火が通っていない場所もあるはずなので、ヘラであえさせながら、まだ生であるところを見る。しゃっしゃっしゃっ。別に夜戦のカットインの音じゃない。ただ、古賀がトマトソースを完成させるためにあえている音だ。

ちょんちょん、とイカをヘラで押し、還ってくる弾力のある感触。トマトソースはこれで完成。パスタもあと少しだったので、このトマトソースを作る間にゆで上がっている。

しばらくはパスタは断ろうとか考えながら、古賀は盛り付け、いまだに歌詞に悩む彼女の前に置く。

「できたぞ、渋谷」

「ThinkerってSingerに似てるかも、ってうわ!?」

相当集中していたらしい。目の前に置かれたことに気づいていなかったようだ。

「まあとりあえず食ってから続きは考えな?『ペスカトーレ』、始めて作ったからロハでいいよ」

カチリ.....空気が凍った。

 

「提督!初めてつくったって、どういうことですか!」

「いや、そのまんまなんだが」

「........」

古賀の発言が普段は甘い飛龍に火をつける。

古賀が生半可な物を出すわけがないこともわかっているが、生半可な物を出したがらない彼らしからぬ行動だった。

少なくとも一回は練習してから出すものだろう。

一回でも足りないぐらいだ。試行錯誤して、失敗して失敗して失敗を繰り返して、ようやく出せるものになるのだから。鳳翔や龍田ですら新メニューを出す前には何度も何度も繰り返し練習をしている。

それは古賀の生半可な物を出させたくない、というこだわりにしたがってのことだ。

それを言い出した本人が堂々と.....

「えっと、なんと言うか....美味しいんだけど」

渋谷のその言葉で飛龍は燃え尽きた。

「嘘...でしょ..」

飛龍、残念だがこれが現実である。

諦めて仕込みにかかるといい。

真っ白になっている飛龍を見て、渋谷は自分の言葉、そして古賀の料理の破壊力を思い知る。にしても...

「古賀さん妙に手慣れてたよね 」

そう、実にテキパキとしていて手慣れたように見える調理だった。初めて作ったなど嘘に思えるかのように。

「『ペスカトーレ』もトマトソースベースのパスタの1種でしかないということだよ」

決して間違ってはいない。

彼の言うことも間違ってはいないのだが...

飛龍はともかく渋谷とて認めたくはなかった。

「レシピはスマイリーから教えてもらったのにアレンジいれてあるだけだ」

スマイリーって誰!?と渋谷が戸惑い、飛龍があの人かぁ!と頭を抱える。決して悪い人ではないのだ。むしろいい人なのだが....。今回のように古賀の変な行動の遠因となることがしばしばある。

かといって彼女が悪い訳ではないのでケチはつけられない。

「うん、美味しいよ」

ニンニクや玉ねぎを最高の状態一歩手前にしてからトマトソースを完成させたため、焼きすぎということもない。だから、だからこその食欲を誘うニンニクの仄かな香りに、玉ねぎの甘さが最大限に発揮されている。

もちろんそれだけではない。トマトソース全体がうまくミックスされていて、絶妙な味を生み出していた。

ムール貝などの貝の代わりに入れたアサリ。海外でも普通に入れられるイカやエビ。これらは日本人にとっては口になれたもので寧ろ慣れないものより食べやすく、これもまたおいしく感じられる要因でもある。

渋谷はくるくるとフォークを回す、銀色のそれは居酒屋の温かみのある光を反射しながらペスカトーレを絡めていく。

くるくるくる、すっー。

くるくるくる、すっー。

くるくるくる、すっー。

渋谷の手はもう止まらない。

飛龍と古賀がなにやら言い争いをしているがどうでもよかった。まああんまり古賀が可哀想な目にあっていたらフォローしよう、とは考えていたが、目の前にある絶品を食べることが優先だった。

それに、冷えるのがもったいなかった。

渋谷は冷めたスパゲッティはあまり好みではない。もちろん冷えていても美味しいものもあるが、やはり温かい時の方が美味しい。

「ごちそうさまでした」

手をあわせて彼女はそう言った。

まだ飛龍と古賀は言い争いをしている。

なにやら痴話喧嘩のような言い争いだった....。渋谷はやれやれ、とでも言いたげに頭を押さえつつ、左手をぷらぷらとさせる。

まあ、仕方がない反応かもしれない。先ほどまで真面目に言い争っていたはずが、痴話喧嘩に変わっているのだ。

ふと、彼女はあるものに目がいく。

 

『色紙』だ。

名店と言うものに行くとたまにあるだろう、芸能人やスポーツ選手のサインというものが。たしかにここは名店ではあるけど....有名じゃないのに、どうして?と彼女はサインをしている少なくはない人々の名前を見る。

『坂本美緒』、確かに彼女は海外でも知られる程の猛者で、ヨーロッパの多国籍部隊でも副長だった。有名人であるような無いような微妙な人だと思う。

『有澤隆文』、何で....?古賀が初めて作った物を出してきた、ということにも大して動揺しなかった彼女が動揺を声という形で出しかけた。一体どんな接点があったのだろうか...。変態企業の一角として名を馳せる有澤重工の社長がどういうわけだか食事に来たことがあるらしい。

『羽島幽平』、本当になんで!?と疑問が電光のように頭のなかを駆け巡る。芸能界の新人ながら大物でドラマへ映画へバラエティーへと引っ張りだこの人物だ。なにゆえこんな辺境の地に来てこんな居酒屋に立ち寄っているのか....。

『渋谷凛』、私のも態々飾ってくれてるんだ...。

彼女は古賀がまさか自分のも飾ってくれているなどと思ってもいなかった。それに、色紙にサインしたことすら正直に言えば忘れていた。ちょくちょくこの居酒屋『鳳翔』に来たことがあったとは言え、いつもそんなに色紙のことなど気にしていなかったから見てもなかった。今になってそう言えばアイドルになってすぐに書いたなぁ、なんて思い出している様だ。

『天☆皇』え・・・・・・・・?最早渋谷の理解の範疇を超えていた。というよりも自分が東京に行っている間にこの店には何があったのだろうか・・・。そしてその『天☆皇』と書かれた色紙の横を見ると国家の象徴と握手しているしかめっつらの古賀の写真が・・・・。

渋谷は声を出すことも許されず頭を痛めた・・・。

他にも聞いたことのある名前が列挙している。くるくるくると単調にスパゲッティを絡めていく作業に渋谷は没頭することにした。

考えるだけきっと無駄だから・・・と思いこみながら。

 

古賀はちょっと茶器を仕舞ってくる、というと洗ったそれらを手にすたすたと奥へと入っていく。当然残されているのは飛龍と渋谷のみ。

「ごちそうさまでした・・・」

「あれ?渋谷ちゃんさっきまで元気だったのにどうしました?やっぱり提督のそれおいしくなかったんですか?」

「いや、そうじゃなくて」

あれ、なんですか?と言いたげな目線と一緒に色紙群を指さす。

飛龍からしてみれば見慣れたものであるし、たいしたものに思えないのだが、目の前の少女からしたら謎の群体だった。

「色紙ですよ?ほら、渋谷ちゃんだって頼まれたことあるんじゃないですか?サインぐらいなら」

「あるけど・・・・『天☆皇』って・・・」

スッと飛龍の目が細まる。

あくまで一瞬だった。

そう、あくまで一瞬だったがそれを見てしまった渋谷の背中に何か冷たいものが走った。

汗がツツッーっと滑り落ちる。

死ぬ?なぜか渋谷はそう思った。

そして・・・・・

「ああ、あれですか」

飛龍がくしゃりとした笑みを浮かべていた。

「そのまんまですよ、一回だけお忍びでいらしたことがあるんです。その時に提督がちゃっかりとサインと写真撮影をお願いしましてねぇ・・・。後で三倉中将にこってり絞られてましたけどね」

あははは、と笑う飛龍からは先ほどの冷たさは感じられない。

見間違えだったのではないか?と思えるほどに「やれやれ、しょうがないですねぇ」と請け負ってくれる飛龍のぬくもりがあった。

「そう、なんだ。でも古賀さんあんな表j―――」

「―――踏み込んじゃいけない領域ですよ、それ以上は」

見間違いでも勘違いでもなかった。

獲物を狙う肉食獣なんてものじゃない。

それ以上の何かだ。

渋谷の背筋にびりびりと痛みが走る。叩かれたわけでもないのに――、と彼女は思うが一定以上の艦娘にとってこれぐらいできて当然の技能だ。そしてそこまでされて先ほど、そして今飛龍が自分に何を向けているのか悟った。

殺気だ。

信じたくなかった。だけれども今向けられているこれは敵意なんてものではない気がする。彼女は職業柄から人から妬まれたり、敵意を浴びせられたりすることなどザラである。だが、そんな生半可なものと比べてはいけないほどのプレッシャー。

呼吸すら許されていないのではないかと感じた。

「あ、ごめんなさい」

ふっと重圧が消える。

同時に背中に走っていた痛みも消えていく。

「でも、あれは提督にとって触れちゃいけない場所だから、提督には絶対に訊かないでくださいね」

顔は笑っていても、目は笑っていない。

渋谷はガクガクガクと首を勢いよく縦に振っていた。

「御代も提督があんなふうに言っちゃったからとらないから」

「じゃ、じゃあ帰るね、また来ます」

ガラガラガラガラと引戸が音をたてて、ピシャリ。

外と中とか隔絶される。

渋谷の後ろ姿も戸に遮られて見ることはない。

ふぅ、と飛龍はため息をついていた。やっちゃいましたね....、つい、ついだったのですが...,と彼女は思う。

思わず熱くなってしまった、というよりも思わず冷たくなってしまったというのが的確だろうか?

あれは、古賀にとっても彼女にとっても最大の過ちであり汚点でもあり、思い出したくない、されど決して消えることのない事実なのだから。

「ずいぶんと派手に追い出したな」

「げっ・・」

「おい・・・・」

やれやれ、と普段であれば飛龍が言いそうな言葉が古賀の口から洩れる。

客に対してあんなのは駄目だろう、という意味を含ませての言葉なのだが、もちろんそこそこ付き合いの長い飛龍には通じているようで、彼女の癖っ毛がどこかしぼんで見えた。

「まあ、渋谷ならあのせいで二度と来なくなるとかそういうことはないと思うけどさ・・」

古賀の声に覇気がない。

というよりも、どこか彼の声は落ち込んで聞こえた。顔色も悪い。

「・・・・思い出していたんですね?」

「大丈夫だ、問題ない」

「フラグ立てないでください」

「心配するな、一時的だ」

それに、と彼は戸口を見る。

昔懐かしの曇りガラスのそれの向こう側には小さな人影

「たっだいまー!」

「帰ったよ」

「帰還っぽい!」

「あらあらぁ~お邪魔でしたかぁ?」

居酒屋『鳳翔』の残りの仲間たち。とはいえ鳳翔は救護棟で入院中なのでいないが・・・。

「な?」

「あちゃぁ」

龍田は知っているから問題ないが、他の三人には

「知られるわけには、いきませんもんね」

「そういうことだ」

『はぁ、やれやれ・・・・』

飛龍と古賀、二人の声が重なる。

ふっとこぼれる笑い。そんな二人につられて四人も笑う。

今日も居酒屋『鳳翔』は平和です・・・・

「ところでお前ら、どこ行ってた?」

「えっと・・・」

うろたえる雷、

「て、提督には内緒だよ」

あからさまに何かを隠している時雨

「あ、あはははは」

笑ってごまかそうとする龍田

「鳳翔のとこっぽい!」

もはや隠せてすらいない夕立。そしてそんな彼女をバカぁぁぁ!とでも言いたげに驚いたような表情で睨みつけるが、もう遅い。彼女らが面しているのは泊地一の変人かつ長門型をビビらせる男、古賀である・・・

「そこへなおれぇぇぇぇ!」

叱られてもしょうがない、そうしょうがないのだ・・・・。

ところで古賀、開店時間中にそんなことをしていていいのか・・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「提督オーダーが入ったよ、何でもいいから熱燗とおつまみだって」

「あいよ、わかった」

しゃっしゃっしゃざざざ、空中をエリンギが飛び交う。

どうも彼は艦娘たちに食べさせた一品料理と同じものを出すよう――と考えるのは早計、古賀はさりげなくアレンジを加える。黄金一味をフライパンへと振り掛けていく。

この時間(昼間)のおつまみだ。具材(エリンギ)はそれなりの量を使っている。それに対して黄金一味はほんとに少量しか振り掛けていない。それでいいの?と他の客のオーダーをとりながらちらちらと横目で古賀の調理を見ていた時雨は思う。

その程度の黄金一味では味を付けることなんかほぼ不可能。

精々軽くピリッとした刺激を持たせる程度、だがそれは胡椒で十分できること。古賀のやりたいことがよくわからなかったが・・・・、古賀の横で熱燗を用意していた雷が顔を青ざめさせている。

雷が顔を青ざめさせていた理由、それは黄金一味なのだが、ただの黄金一味ではないことが問題だった。京都のとあるお店で売られているそれは日本一辛いとして知られているのだが、これが少量であっても結構辛い。

何と言えばいいのだろうか、普通の黄金一味ならば「辛いな、ピリピリする」でいいのだが、これは「うわ!?」となる。その辛さは辛い物好きの人でも初めて食べるときには注意しなければいけないほどだし、口に入れてはいけない危険物の類じゃないかと錯覚するほど。

普通の黄金一味であれば明らかに少なすぎる使用量。

だが、この場合はおおすぎる使用量だった。

作るカレーも甘口である雷が顔を青ざめさせるのもしょうがないことと言えよう。

「し、司令官?」

「ん?」

「大丈夫なの、それ・・・」

「問題ない、コジマじゃねぇし」

それ信用ならないんだけど、と雷が思ったところで後の祭り。

古賀はすでに雷が用意していた熱燗と調理し終えたエリンギのおつまみをを戻ってきていた時雨に渡しており、それは自然な動作な彼女によって客のもとへと持っていかれる。

「おつまみと熱燗だよ」

「おーう、時雨ちゃんありがとうなぁ」

「僕じゃなくて提督に言ってってば」

くだらない掛け合い、でもしっかりと彼女たちは応じる。これもまた居酒屋『鳳翔』の人気の秘訣なのかもしれない。

まあ、今日の客は古賀が本当に調理をするのか、おいしいのか、という冷やかし目的もあるのだろうが・・。

「おお。いい辛さ、いい辛さ」

「じゃあ、追加があったら呼んでね」

「おうおう」

何気ないやり取りだが、このやりとり何気に恐ろしいものである。

というよりも客のおっちゃんが怖いのだが・・。

「司令官、もしかして一人一人の味の好みとか覚えてるの?」

「んなわけないだろ」

え、でも?と雷は思う。

明らかにあの黄金一味の量は多かった。だというのにあの男性客はなぜあんなに少し辛いか、といった程度で済んでいるのだろうか?

「実はだが、さっきのには片栗粉を軽くからませてある」

「?」

「片栗粉の衣を軽く表面に這わせて、その上にあの一味を振り掛けた。というよりも片栗粉の衣が一味を吸着させた感じか」

と古賀が言う。だが、それだけで納得できるものではないし、それだけでできることでもない。

「胡椒と塩の量も減らした。そうすると味が弱まったところにあの辛さだ。片栗粉のおかげで辛みが弱まっている分もあるしちょうどいい辛さだろうさ」

まあ、たくさん食べると口の中がおかしくなるだろうがな、と心の中では付け加えておく。辛さというのは食を誘うのだ。そしてなぜか辛い物を食べた後には辛い物が食べたくなったりする。これもまたちょっとした古賀の術。まあ人に褒められるようなものではないが・・。

「雷、提督、オーダーだよ。雷カレー中盛り一杯。提督には、『「車懸」で思いつくもの』だって」

「はーい、まっかせなさい」

時雨のちょっと不安そうな声もしょうがない。

まさか古賀にこんなオーダーが出るとは思ってもいないのだから・・。いくら提督でもこれは無理があるんじゃ、と彼の顔を見るが、逆に古賀は少し楽しそうだった。

あいつか・・・、と彼は左へ右へと客席を見渡す。

居た。他の客に紛れ込むようにしてボックス席についている。一緒に来たのは大方隣に座っている駆逐艦電だろう。

そう、自分の横でカレーをよそる雷の姉妹の。

―やあ―

こちらが気が付いたことに向こうも気が付いたのだろう。

席についている彼は手を振ってきた。

「なんで来てんだか」

文章で見るとちょっと突き放す感じがするが、彼の声ははずんでいた。

「ん?どうしたのよ提督、なんか楽しそうじゃない」

「まあな」

―馬鹿野郎―

と声に出さず口を動かす。もうあの男の方を古賀は向いていないが、向こうはこっちを見ているだろうと思っての行動だった。いくら同期とはいえこういう注文出すなよな、と思う。以前お題に答えて軽く手料理をふるまったから、だからこその注文の仕方なのだろうが、難しいものを出してきたものだ・・・。

じゃあちょっと派手に行くか・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう、私も馬鹿ですね。不知火ちゃん」

彼女の言葉に返事はない。

ただ、彼女が操る艦載機のように大きく開いた窓から海へと向かって飛んでいくだけ。

「斬られる必要も、依頼を受ける必要もなかったんですけど」

―気が付いたら受けてました―

「提督のため、だからですよね」

あなたも、私も。

そして龍田ちゃん、飛龍、夕立ちゃん、時雨ちゃん、雷ちゃん。みんなみんなバカばっかりです。でも、間違ったことをしたっていう後悔はないんですよ?

「あなたもそうだったんですか?」

彼女はそういうとゆっくりと窓を閉めた。

普段の和服姿ではなく、白い服を着て「痛っ」と言いながら、窓を閉める鳳翔の姿はとても弱弱しかった。

 

鳳翔にとって、彼女は先達だった。

彼女が持ち合わせていたのは小さな身体と戦艦や第二水雷戦隊旗艦の眼光と同じく鋭く獲物を探す猛禽類のような目であった。

必殺の酸素魚雷を引っ提げて、小さな主砲を轟かせる。

武名は泊地の駆逐艦の中ではトップだった。そして海軍全体的に見ても上位に位置するほど....。

---だからこそ巻き込まれたんでしょうね---

今さらだった。

この泊地は実質中央の者たちにとって扱いにくいもの、邪魔な者が送られてきて構成されている。厄介払いなのだ。

だが、その厄介払いの鎮守府から頭角を表して全体にその名を轟かせる駆逐艦、不知火と言えばあの泊地の古賀の不知火こそ一番。こんなことが平然と回りに言われるようになれば中央の者たちは......

「約束、破っちゃってますよ?不知火ちゃん」

-帰るって言ったじゃないですか-

今日の鳳翔は弱々しく、えらく感傷的であった。

それは三倉中将が訪ねてきたからなのか、それとも別のなにかなのか、それは鳳翔にしかわからないことだ。

彼女にとって、今回の一件は失態だった。

三倉中将から依頼されていた内容は、恐らく安藤元中将は古賀にキレるだろうから、『注意を引いて攻撃されろ』である。居酒屋『鳳翔』に向かうまでは三倉中将やほかの泊地首脳陣の綿密な打ち合わせや策略、古賀同期や数人の一般市民の協力による、誘導。着いてからはは恐らく狙い通り安藤元中将は古賀にキレるだろうからそこからは鳳翔が受け持つ。そしてその後に安藤元中将を罰し、彼の悪事を世間の目に晒す、それだけの話だったのだ。

忘れているかもしれないが、艦娘たちはみな、やろうと思うことで元々の軍艦としての能力をも発揮できる。つまるところ装甲の厚さや硬さも再現して発揮できるのだ。

能力発揮時であれば安藤元中将程度に艦娘の身体に傷つけることすら叶わないだろう(これまで安藤元中将に斬られた艦娘たちは斬られる直前に命令で能力の使用を禁止されていたことがこれまでの取り調べの中から分かっている)。

三倉中将は鳳翔がまさか能力を発揮しないとは思っていなかったのだ.....。

当然のごとく安藤元中将の刀の刃をへし折り、安藤元中将が艦娘を攻撃したとして現行犯でその場の兵たちに捕縛される、と考えていたのだ。艦娘に対する暴行は禁止されている。とは言っても未だに彼女たちの地位は確立されていないし、その法律を守らない将兵も多い。「国家の象徴である、さる御方からだされた法律であると言うのに、嘆かわしい」とは三倉中将の弁だが、彼の悲しみに同意するものもあれば反論するものもあり、ここにも艦娘に対する扱いのそれぞれの思いが出ていると言えよう。

ちなみに艦娘を殺そうとした場合は職を解雇され、10年ほどの禁固刑となる。加えて出所後も以前と同じ職に着くことを禁じられるなど、なかなかに厳しい刑ではあるが、それでも罰せられる人物が減らないのも、鎮守府内にて謎の死を遂げる艦娘が減らないのも事実。

「『古賀の鳳翔』さん、いらっしゃいましたら返事をお願いします」

「あ、はい」

彼女の思考は打ち止められる。

聞いたことのない声だが敵意は感じられない。

警戒することもないだろう、

「中に入ってもいいですか?」

病室の扉の向こうから聞こえる男性の声は入室を求めるものだった。

「かまいません」

誰だろうか?心当たりなどないんですけど、と考える。

「じゃ、失礼しますね」

カラカラカラという乾いた音を立てて扉は開く。白い扉の向こうに立っていた男はスーツを着こなし、黒渕の眼鏡をかけていた。

「はじめまして、『渡鳥』と申します」

スーツ姿のその男は懐からベッドで半身を起こしてにこやかに微笑む彼女に名刺を渡す。

『【海軍広報課】渡鳥修斗』、海軍広報課であることが偽りであることはないでしょうね。海軍広報課などとは偽ったところでそもそもの利点がありませんし、下手に偽っては後で痛い目にあいますから、と考えながら目の前の男を見る。敵意を感じられなかったがゆえににこやかに微笑んで迎えはしたが、その微笑みの下で考えていることは意外と恐ろしい。

「本日はなんのご用事ですか? 」

大体のことはわかっている。だがしかし、彼女が下手に出る必要はない、なぜなら彼は頼みごとに来ているはずだから。

「ええ、『古賀の鳳翔』さんにお願いがあってきました」

ほら来た、と思っても表情は変えてはいけない。

まだ三倉中将や自分の策はなっていないのだから、気取られてはいけない。非があるのは向こうでも、権力があるのも向こう(本営)なのだから。

「今回の件ですが、黙っていていただけませんか?あれでもそこそこ有能な男でして、今欠けられても困るのですよ」

「......」

「あなたの同意がいただければ、三倉中将や古賀大佐も同意していただけるでしょう」

単刀直入だった。堂々と黙っていろ、つまり無かったことにしろと言っているのだ。これにはさすがの鳳翔も面食らう、それでも回りくどい方法を使ってくると思っていたらまさかの正面突破できたのだから。

「あなたも艦娘であるし、あなたと同じく古賀大佐を上官とするあの二人の艦娘も参加している現在の合同戦線ですが、あそこに彼は投入される予定だったのです。ですが、今回の件が公のことともなれば彼は罰せられてしまいます」

だからどうした、と叫びたかった。

有能な男?どこがだ?過去の戦歴も散々だというのに。

叩けば叩くほど埃がたつというのに、どうして庇おうとするのか!と....。

「今回の一件ですが、上はあなたにも非があると考えています。能力を使用すれば防げたものを使用しませんでした。わざと今回の事件大事にしたのではないかという考えも出てきているようです」

まあ、引き起きるまですべて自分達の誘導でもあるのであながち否定できない事実ではあるが、彼女とてプライドがある。

「ふざけないでくださいね?」

「はい?」

とぼけたような声を渡鳥が発するが、鳳翔は続ける。

「お店で戦うための能力

チカラ

は振るえませんお客のみなさんを守るため、提督を守るためならば使うでしょう」

「言ってることがよくわかりませんが?」

「民間人や仲間である軍人に戦うための能力

を向けろとおっしゃるのですか?」

「まさか、そうは言いませんよ。私もこの日本の軍人、守るためのチカラを同胞に向けろなどと」

「ですが、貴方の言っているのはそれです。戦うための能力の使用。平和的な利用のためならまだしも、護身のために使うなど....。銃を向けているのと何ら変わりません」

守らなければいけない、守るべき存在に銃は向けない。

だから、だからこそ、守らなければいけない存在に艦娘としての能力は向けない。恐らく居酒屋『鳳翔』の全員が思っていることではなかろうか。古賀は指揮下の艦娘を守ることが第一で、案外向けてもいいんじゃね?などと考えているかもしれないが....。

「ですがね、安藤さんを解任させられても困るんですよ、本営の看板にも傷がつきますし」

困るんですよねぇ、ホントに、と渡鳥がにやついて言うが、鳳翔は気圧されることはない。無駄だ。

「私の預り知らないところですよ」

勝手に傷をつけていてほしい、古賀や自分を、飛龍を、あの子を、不知火を傷つけた者のいた場所なのだから。そもそもなくなってほしいぐらいだ。

「まあ、かまいませんけどね。あなたが下した判断があなたの友である二人にどのような影響を与えるかは知りませんが」

敵意、いまだにそれはない。だが彼は確実に、鳳翔のそして古賀の敵であった。-ごめんなさい-黙って勝手に行った行為であの子たちを苦しめるかもしれません。心の中で彼女は古賀に謝る。だがそれは決してあの変人には届くことのない謝罪だ、そして鳳翔が届かせるつもりのない謝罪でもある。

「大丈夫ですよ、あの子たちなら。むしろ.....」

--あの子たちの回りが危ないでしょうね--

少なくとも鳳翔はあの二人に勝てる存在が見つけられないのだから.....

「お帰りください、私は誰かに自分から話すつもりもありませんが、無かったことにするつもりもありません」

それに、と鳳翔は続ける

「もう遅いと思いますよ?」

彼女はそう言いながらテレビをつける。

映されているそれは----

 

 

 

 

車懸と言われて何を思い出すだろうか?

日本の戦国時代に使われた戦法であり布陣、これもまた正解だろう。剣道や相撲で勝ったものに次々と相手が当たっていくこと、これもまた正解だ。

どちらにせよ、次々と一番手、二番手、三番手、四番手と当たっていくこと。

これが車懸だ。

ならば古賀はどのようにして車懸を表すのだろうか。

参ったな、ダメとは言えんし。この『車懸』というのに意味があるのだし.....。あんまり創作料理は得意じゃないんだけどな、俺は。

古賀は楽しそうな表情をしたわりにはずいぶんと弱気だった。車懸なんて料理はない。

そうこれは創作料理となるだろう。

古賀はあまり創作料理を得意としていないのだ....。

「提督、断ってこようか?」

時雨が不安げに尋ねるが、古賀は「いや、いい」といいながら彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。

「むぅ」

頬を膨らませて髪型を崩すことに抗議するが、顔を赤らめている上に、目に力が入っていない、無意味だ。

「あれに言っといてくれ、少し遅れるとな」

「わかったよ」

古賀はささっと手を洗う。決して時雨が汚い、時雨が嫌いという意味ではないが、当然のこと。料理をするときに、髪の毛や、顔の肌、汚れたものなどに触れたときは再度手を洗うのが当たり前だ。ましてや人様にお金を払ってもらって料理をだしているのだ。しなかったらだめだろう。

「司令官、本当に大丈夫?」

雷がカレーをよそりながら古賀に尋ねる。古賀がまずいなこれは...と思っているのを彼女もまた感じ取っているからだ。

「大丈夫だ、問題ない。ヤバかったら手伝ってもらうかもしれないが」

「司令官なら、もっと私を頼っていいわよ!」

「あはは、ありがとう」

小さな彼女だが、懐の大きさ、そして器は大きい。雷のその言葉に鳳翔の姿を重ねつつ、古賀は苦笑していた。

鳳翔が居なくても、俺が居なくても、もしかしたら雷一人でも運営できるかもしれないな。まあ、まだまだこの店丸々任せられるほどではなさげだけど。

とりあえず、今はお題『車懸』を解決しよう。

『車懸』はやはり連続して押し寄せるものにつきるだろう。決して足がキャタピラでタンクなんて言われるもののことじゃないはずだ....。

連続して押し寄せることから、やはり味の変化で表現するべきか。

もしくは、陣形としての、戦法としての『車懸』の形状を表現してみるべきか...。

いや、待てよ。それなら両とりしてやればいいじゃないか。味も、形も、どちらも車懸にしてやればいい。味の車懸.....、違う素材を用いて地の味から変えていくのがやはり分かりやすい変化で見た目にも出てくる。

しかし、この組み合わせというのが実に難しく、人それぞれ嫌いな組み合わせ、好きな組み合わせがあるのもまた事実だ....。

落ち着け、とりあえず落ち着け。

何を作るか落ち着いて考えよう。

どこの国の料理だったかは覚えていないが、野菜やオブラートを重ねるものがあったような気がする。

だがこいつが求めているのはそんなものではないはずだし、定かではないレシピで、自信の持てないレシピで出すのも気に入らない。

渋谷に出したあれはトマトソースベースのパスタは安定して作れると言う自信があったからこそできたんだ。よくわかっていないものを挑戦するほど俺はがさつではない、はず。

「はい、雷カレー用意できたわよ」

「持ってくっぽい」

「頼むわね!」

「ぽいっ!」

古賀の動作が悪くなったのを見かねたのか、会計をしていたはずの夕立がいつの間にか給仕の手伝いを始めているらしい。普段の彼ならば気がつきそうなものだが、今の古賀は....

どうもどこか上の空で気がついていないようだ。

一度、数種類の肉に手を出しかけるが、いけないいけない、とかぶりをふってその手を引っ込める。

今度は野菜に手を出しかけて、やはりかぶりをふってその手を引っ込める。

考えがまとまらないようだ。古賀の同期のあの男はずいぶんと古賀を困らせているようだ。彼の横の駆逐艦娘『電』は姉妹である雷の手によって作られた甘口カレーに舌鼓を打っている。カレーは一度に大量に作っているから、よそるだけ、とはいっても同時に注文しておいて片や既に食べ始め、もう片方はまだ調理に取りかかってすらいないともなればずいぶんな差がついたと言えよう。

客たちも古賀がずいぶんと悩んで一体何を調理して見せるのか、少々気になりだしているようで、先ほどまで「じゃあ帰りますか」と話していた者たちがつまみや酒を追加注文して時間を稼ぎつつ彼の動向を見つめている。

楽しみであり、面白そうだと感じているのだ。

古賀の悩んでいる顔など滅多に見れるものではない。普段はだらけながら酒を飲む、飲んだくれのヒモにしかみえない。

そんな古賀が珍しく厨房に立って悩んだ顔をしているのだ。今回、古賀に面白半分で注文して出てきた料理に驚かされたものだが、それに対する反撃、というわけではないが困った顔を見たくなるのもまた人のさがというものだろう。

それに、古賀がどんな料理を出してくるのか、という興味もあった。

「司令官、司令官、手が止まってるわよ」

「あぁ、すまん」

やはり車懸を表すには味だろうか。

見た目での表現は二の次だ。ともなればやはり何を使うかだけだが....

古賀の手が動き出す。考えはどうやらまとまったようだ。彼が取り出していくのは、豚肉、木綿豆腐、生姜...色々出てくるが主なものはそれだろうか。

さっと生姜を洗い、薄く切っていく。薄切りだ。

キレイなものだ、厚さにばらつきはなく揃っている。彼などをはじめとする料理人にとって意識せずともこの程度は楽々とできるものであるが、一般の人が見ると唖然とすることもなくはない。

この生姜を切りながら彼はひとつのことを思いつく。

そうだ、『生姜』だけではなくて『ニンニク』も入れてみよう。単なる思い付きだが、こういった思い付き、つまるところのひらめきというのは創作料理においてなかなか重要である。このひらめきのせいでの失敗が怒ることもあるが、ある程度の料理の経験さえあればこういったひらめきがいい味を出させることも多い。

古賀は自分の直感を信じる。

生姜と同じくニンニクを薄切りにしていく。あまり多い量ではない。古賀のイメージの中でこのニンニクは香りづけの意味合いが大きいからだ。

取り出すのはフライパン。

薄くサラダ油を敷いてそこに生姜とニンニクを入れていく。

どちらも小さく薄く切ってあるからいい香りをたたせるまで時間はかからないだろう・・・・・・ほらきた。

香ばしいような食欲を誘う香りが広がっていく。生姜や、ニンニクのどちらか片方だけ、で香りづけしている料理は居酒屋『鳳翔』のメニューとして少なくはないが、両方を用いている物はほとんどない。

異端な香りが古賀の手さばきを見ていた者たちに襲い掛かる。

もうしっかり食べたはずであるのに、口内に湧き上がってくる唾液。

広がってきた香りに食欲が増進されているのだ。

 

―――ゴクリ―――

 

誰がたてた音なのか、一人なのか、二人なのか、それより大多数の人によるものだったのか、決してわからないがその唾液を嚥下する音が響いた。

古賀は豚肉をほぐしながらそこに入れていく、決して重ならせてはならない。重なってしまうことのないようにまんべんなく広げていく。決して焼き肉を作っているわけではない....。生姜やニンニクの香りが豚肉に絡まっていく。

そして、ニンニク特有の味も・・・。

続けて先ほど取り出した豆腐に取りかかる。さほど大きくなく、食べやすい大きさにするためサイコロのような形に切っていく。まな板は使わない。さらっと手の上に載せて切っていく。危ないことのように思えるかもしれないし、難しかしいことのように見えるかもしれない。だが決してそんなことはない。案外簡単にできることで包丁で手を切る心配もたいしてしなくていい。

そのくせ、まな板を洗う必要がないことから時間短縮にも繋がるのだ、だれでも身に付けておいて損のない技能だろう。

古賀は二丁ほど木綿豆腐を切り終えると皿の上に載せる。そしてフライパンの豚肉をひっくり返していく。まだ中まで火は通っておらず表面の色が少し変わった程度なのだが---

--ミスではない、表面(両面)に焼きをいれることで焼いている最中に出ていく肉の旨味を抑えることができるからだ。

そして、そこには切った木綿豆腐も混ざっていく。

良い香りだ。

古賀は香りを吸い込みそう思った。

想定以上に食欲を誘ってくれているようだな、注文が急に増えた。

まあ俺の作るもの以外が、だけど......今調理している俺を気遣ってだろう。雷や龍田、飛龍が急に忙しくなりだした。

香りが緩やかに漂う。

醤油、みりん、料理酒を出す。

分量を計ったりなどしない。経験や勘に基づいてさらっとかけるようにしていれるだけだ。少しすき焼きのようにも見えなくもないが、すき焼きほど汁が多いわけでもないしそもそものところ牛肉ではなくて豚肉を使っているのだから似ても似つかないものだ....。

先ほどまでのニンニクと生姜の奏でていた二重奏に醤油という更なる香りのランクアップを果たすものが追加され食欲を誘う香りは三重奏だった。

熱々になっているフライパンはすぐに投下された醤油や料理酒を熱くする。シューという音をたてて登っていく湯気。同じようにして香りも登っていく。

もったいない気もするがしょうがない部分だ。

古賀は二、三度ほどかき混ぜると、どんぶりを取り出す。

「雷、お願い」

「任せなさい」

待ってましたと言わんばかりに雷が古賀の言葉に弾かれて動く。ひったくるようにしてどんぶりを受けとると彼女よりも大きな炊飯器の蓋をあける。

もわっ......湯気が彼女を襲うがもはや慣れっこのことだ。少し見にくいとは感じてもそれ以外はなにも思わない。

「雷、並」

「並、わかったわ」

「飛龍」

「ごめんなさい、忙しいです」

「龍田」

「ごめんなさいねー」

しょうがない、と彼が小さく呟くと古賀の調理は最終段階に入った。琥珀のような色をした液体を彼はかけていく、少量、少量なのだが、とてもいい香りを発している。胡麻油だ....。

古賀が使ったのは胡麻油だ。

胡麻油の芳ばしい香りはすぐに飛んでいきやすい、だから料理の一番最後にたらっとかけてやるのだ。

怒濤の勢いで次から次へと押し寄せていた食欲をそそる香り。待たされていた男はやられた!と感じていた車懸は始まっていたのだ。僕の食欲を誘うための香りの連続。押し寄せてきた香りは間違いなく僕を襲っていた、そして僕だけでなく他の客も.....商売上手なのか、後のこと--注文が増えて忙しくなること--を考えていないだけなのか、それとも本当になにも考えていないのか、それともまた別のなにかなのか僕には判別できないけど....。

くっそ、無理だと思ったんだけどなぁ、まさかの調理中に達成するとはな....。 やられたなぁ。

「お待たせしました、創作料理『車懸』です」

いつの間にか姿を子供から大人(改二)に変えていた古賀の時雨ちゃんがニコニコとしながら持ってきてくれたそれは、どんぶりになっていた。

『並』というのはご飯の量のことだったのか....。なるほど、タンク(重装甲)としての車懸をどんぶり(重)で表現か.....、何から何まで。『いい香り』だ...、ふと横を見ると電がカレーのスプーンを止めて『車懸』を見ている。欲しくなったのか?

「ありがとう、時雨ちゃん」

「待たせてごめんなさい、後で提督は叱っとくから」

「いいよ、僕が変な注文したからだから」

その変な注文をこうも作り上げてくる古賀は本当に軍人やめてもやっていけるよなぁ....僕はクビになったら行き先ないけど、彼は普通に仕事を手に入れるじゃないか。

「し、司令官...」

「なんだい?」

「そのぉ、一口だけ」

「ダーメ」

「なのです!?」

口癖で精一杯に驚きを表現している電かわいいなぁ。

「冗談だよ、一口だけね」

「いただきますなのです!」

 

目の前の『車懸』と呼ばれた創作料理に特Ⅲ型駆逐艦四番艦である電は手を出すことが憚られた。もちろん右に座る司令官には許可をとってある。だが、スプーンについたカレーをしっかり落としてから口に入れたかった。

何となくだが、もったいない気がしたのだ。

「どうしたの?食べないのかい?」

いらないなら食べちゃうよ?と言外に語っている司令官。

「た、食べるのです!」

電は焦った声音を隠せずに――もとより隠そうとも思っていないのだが――叫んでしまう。

一瞬だけ周りの客の目が電へと向く。気弱な彼女としてはそれもつらいことなのだが、その困難よりも、それを上回る興味の対象が目の前にあった。結局のところ駆逐艦娘というのは子供(のよう)であることが多い。そしてまた彼女もその例には洩れていなかった。

興味の対象を優先した彼女はゆっくりと自分のカレースプーンを伸ばし、その『どんぶり』の山を削る。

パクリ、とでも擬音をつければいいのだろうか。彼女は小動物のように頬を膨らませて口の中へとそれを運んだ・・・。

――味が踊っているのです!?

彼女は自分が妙な感想を抱いているのは理解している、だがしかし、これ以外の他の表現を知らない。

口の中を醤油ベースで味を付けられた食品たちが暴れまわり、彼女の下の上で味がタップダンスを踊っているかのようだった。

少しだけピリリとくる生姜の味の後に続けて、それ特有な濃厚な味、つまるところのニンニクが襲い掛かる。マイルドなようで癖のあるこれは辛くなどないのだが先ほどの生姜以上の衝撃を電の舌に与えた。当然、口内に入っても香りの三重奏は消えない。豚肉が、木綿豆腐が・・・・・

あり得ないのです、こ、こんなこと許されるのですか!?

私は今生きとし生けるものとして許されない禁断の領域に達しているのです・・・・!!

「おい?電?大丈夫かい?」

「な、なのです」

自分の司令官への返事も生返事だった。おそらく何かを言われているのは分っている物の脳内が未だにヘヴン状態でいまいち内容までは理解していないのだろう。

「おいしかった?」

「なのです?」

駄目だこれは・・・・

完全に電の脳内の回路がショートしている・・・。

「古賀・・・、なんてものを作ったんだか・・・」

彼は苦笑しながら

「いただきます」

口へとそれを運んだ。

こ、これは・・・。

電がこんなにおかしくなったのも納得がいく・・!!

口に入れる直前まで鼻まで一気に近づいた『車懸』の香りの三重奏が襲い掛かってきて、入れたら入れたでこれだ。肉からはいい具合に調整されたまろやかな味が染み出てくる。木綿豆腐が混ざっていることで触感の緩急が付いてアクセントになっていやがるのか!?

さらに加えて・・・・この味の変化。

生姜の辛さだけじゃない・・、もちろんニンニクのマイルドな味もそうだが・・・。

これはネギ!?

何時の間に入れたんだ?微妙に来る生姜とは違った辛み、完敗だな・・・。

これは、古賀のセンスを認めざるを得ないか。

「何時の間にネギなんか入れやがった・・・」

思わず彼がこぼしたこの言葉だが、何気なく聞いていた時雨や夕立も??といった表情だった。ずっと古賀の手元を見ていたわけではないが、古賀がネギを入れているところなど見た覚えがなかったからだ。

もしかして・・・・と時雨は雷の方を向く。

てへぺろ♪とでも言いたいのだろうか、完全に笑ってごまかす方向に入っている駆逐艦娘がいた。

【馬鹿でしょ!!】

【まちがえちゃったわ(笑)】

【提督さん気づいて内っぽいから黙ってた方がいいっぽい!!】

【気づかれたら大目玉だよ!!】

目だけでのやりとり、かなりの高等技術を焦りから気が付かないうちに使用していた。決して古賀には気づかれて怒られるわけにはいかない。だからこそ、彼にばれないようにこっそりと内容を伝え合わなくてはならない。

【でもおいしくなったみたいだし許されるんじゃないかしら?】

【嫌な予感しかしないっぽい・・・】

【とりあえずだまっとくよ!!】

【お願いするわね】

「お願いされたっぽい」

「ん?夕立どうかしたか?」

「な、なんでもないっぽい」

思わず口に出して返事をしてしまった夕立に、馬鹿でしょ?とでも言いたげな二人の視線が突き刺さる。うぐっ、と声にならない悲鳴を上げつつも、彼女も古賀にばれそうであったという事実で背中がぐっしょり濡れていることに気が付いた。

これは服を着替えたいっぽい・・・・。

冷たくて、ぐじょぐちょしてて、きもちわるいっぽい・・・。

内心でいろいろと文句を言っているが客足は途絶えそうにないし注文も減りそうにない。

これでは裏に下がって着替えてくる余裕もないだろう。

「もぉー、今日は厄日っぽいーー」

「いいから仕事!」

「ぽいー」

仲のいい姉妹だこと、と犬耳のようにふぉわっとした髪を持つ二人に暖かい目線が集まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『えー、緊急のニュースが入ってまいりました。正確な日付は公表されていませんが、日本海軍本営所属安藤行基中将が艦娘を殺害しようとした容疑で逮捕されました。繰り返します、日本海軍本営所属安藤行基中将が艦娘を殺害しようとした容疑で逮捕されました。被害者は一命を取り留めたものの重傷で現在入院中とのことです。また、正式な情報ではありませんが過去にも安藤行基中将が艦娘を殺害したことがあるという証言も出てきています。加えて安藤行基中将は××泊地所属三倉中将によりその任(中将)を既に解かれているという情報もあります。現場となった場所は××泊地の居酒屋とのことですが、細かい情報は公表されておりません。』

「これは・・・・・」

「既に遅かったようですね、渡鳥さん」

ぎりっという歯がきしむ音が鳳翔の病室に響く。むなしくテレビから繰り返し流れる安藤元中将のニュースをBGMとして・・・。

「いいでしょう、あなた方には相応の罰を受けていただく」

「相応の罰って、なんなんでしょうね。私は被害者なんですけど」

ふふっ、とにこやかに笑って見せる鳳翔に対し、親の仇でも見たかのように鋭い視線を向ける渡鳥。

このクソアマっ・・・、渡鳥の目がそう語っていた。だが、ここで事を荒立てたところで彼女(艦娘)に自分(人間)が勝てるわけがないこともしっかりと理解していた。

艤装がないように見えたところで彼女たちは一瞬でそれを呼び起こすことが出来るのだから・・・・。

「それに、今回テレビ局に伝えたのは私達(古賀一家)じゃないですよ」

「・・・・・三倉中将・・・」

「さあ、どうでしょうね」

彼女の受け答えははっきりしているようではっきりしていない。

「あの事件を見ていたのは不特定多数の人間ですし、憲兵に彼は確保された」

--例え金に溺れてあなたたちの手先となっていようとも--

彼女は続ける。

「心を持った憲兵が私たちの味方です」

「そのあなたたちの味方による暗躍だと?」

「知りません。誰のおかげかは知りませんが、私としてはしっかりと犯罪者が取り締まられていてうれしい限りですね」

憲兵の皆様がしっかりと働いてくれたおかげで・・・。

「働きすぎで困りますねぇ・・・、まあいいでしょう。彼女たち二人には、いや...、彼女たち二人を含めて面倒な娘たちには消えていただきましょう」

――これの引き金を引いたのがあなたたちにあることをお忘れなく。後悔して泣き叫んだところで既に遅いですがね。

そう、渡鳥は言うと来た時と同じようにがちゃ、と音を立てて去っていった・・・。

――ふう、去りましたね――

何でもない顔をしていた鳳翔だが、布団の下に隠れた彼女の手からは血が滲んでいた。

思いっきり、爪が突き刺さって皮がはがれるほど、血管を傷つけるほどに強く握りしめていたのだ。

大丈夫、あの子たちは強いですから。きっと、もしかしたら、彼女よりも・・・。

ふふっ、と笑う。何のため?なぜ?わからない。

自分に喝を入れるためだったのかもしれない。

自分に自信を与えるためだったのかもしれない。

散っていった彼女の顔を思い出したからかもしれない。

なんとなく、自分の横に彼女がいるような気がしているからかもしれない。

「---ちゃん、あの子たちは・・・」

大丈夫ですか?とは尋ねない。

強いですか?と尋ねない。

生きて帰りますか?とも尋ねない。

それは彼女たちに対する侮辱であり、自分たちの下した決断への後悔になるのだから。

「貴女よりも強いかもしれません」

戦艦と重巡、基礎的なステータスという問題だけでなく、あの駆逐艦以上の実戦経験に加えて常識の範疇から抜け出たルール違反の秘密兵器。

古賀に戦い方を教えた彼女に対して、それにアレンジを加えた古賀の戦い方を学んだ二人。もしかしたら彼女よりも強いかもしれない要素は多い。

「でも、なぜか貴女に勝つところのイメージはわきませんよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「へくしっ」

「んー?風邪?風邪ひいたの?このタイミングで」

「な訳ないでしょう!誰かに噂されてマース!!」

ありゃりゃ、いい噂だといいね。と妙な日本語を使う女性に対してもう一人の女性はクールに返す。字面だけは・・・。

実際のところ声音は跳ねていて若々しいエネルギッシュさを感じさせる言い方だった。

「日米合同の太平洋中央付近、ハワイ周辺に集結している深海悽艦の殲滅作戦、ハ号作戦.....。嫌な予感しかないけどやるしかないよー」

「マァ、私たちは増援組デース。主力は横須賀鎮守府とここ単冠湾泊地の艦隊だから危険な目には会わないはずデース」

だといいけどさー、と重巡艦娘は答える。

「いざとなったらこれを使えばいっか」

ヴィィィィンと妙な音を発てる道具を構えながら彼女はため息をついていた。

波は荒い。

一波乱ありそうな感じだなぁー.....。

「ミッドウェーじゃないから幸先はいいデース」

「米帝からすれば負け戦の場所じゃん」

「Oh...。そうでした」

「ダメダメじゃん」

何があろうとも生きて帰るっていう決意は変わらないけどさー....と彼女は呟く。

「おぉーいてめぇらぁぁ!そろそろ出撃だぞぉぉ」

殴るような衝撃をもった怒声。

いつものこととはいえ、出撃前も変わらないというのは少しありがたかった。二人はぷっ、と吹き出すように笑いながら怒声を上げた彼女の方を向く。

「すぐ行きマース」

「もう少し優しくてもいいじゃん?『浅井の利根』ー」

「それは『向井の利根』に頼みな!」

「ほーい」

いやー、うちの艦隊(古賀の艦隊)はみんな優しい人でよかったよかったー、なんて考えているうちに彼女の隣にいたはずの巫女服のような服を着た女性は居なくなっていた。

「あれ?」

「早く来ないとおいてきマース」

「あっ、ちょっ、待てぇぇぇ!」

 

 

 

 

『ハ号作戦』

本作戦は日米合同によるハワイ諸島周辺の深海棲艦の巣を破壊し、太平洋から深海棲艦の脅威を一部ではあるが取り除く作戦である。主目標はハワイ本島にある深海棲艦の巣(以降これをハ号標的と称す)。

日本海軍は主力を横須賀鎮守府また経由地となる単冠湾泊地の艦娘で編成する。

しかしながら、本作戦においてそれだけでは戦力の不足は否めない。

この不足分を各鎮守府・泊地・基地より精鋭艦を招集し、投入することで補うものとする。

尚、主力艦隊がハワイへと進撃している間は佐世保鎮守府を中心に本土の防衛を行う。

以上が本作戦の概要である。

本作戦において古賀大佐には貴艦隊より戦艦娘『金剛』、重巡洋艦娘『鈴谷』の出撃を願う。

だ、そうだが・・・・・」

時は鳳翔が斬られる事件の約二か月ほど前。

駆逐艦娘が寝静まった頃に居酒屋『鳳翔』の店内は重々しい空気に包まれていた。それもそのはず、赤紙とでもいうべきか、出撃招集がかかっているからだ。それも二人。

戦艦娘『金剛』と重巡洋艦娘『鈴谷』、古賀の艦隊は全員練度が高く、強いがこの二人はその中でも別格。かつて彼女がそうであったように他の泊地や鎮守府にも武名を轟かせるほどだ。とはいえ、最近は実戦には出撃しておらず演習ばかりなのだが・・・・・。

「はい、問題ありません。そのための『鈴谷』です」

「真面目にしろ『鈴谷』、ネタに走っている場合じゃない」

「はーい、別に大丈夫だよ」

ったく・・・・。古賀が苦々しげに彼女の顔を見るが鈴谷はどこ吹く風といったところだ。

「提督ぅ、そんなに心配してくれなくても大丈夫デスヨ、私たちは引き際はわきまえてマス」

「金剛・・・」

きっと、大丈夫なんだろうな。こいつらじゃ・・・。

多分あいつみたいに帰ってこないなんてことはない。だが、今回の作戦はあまりにも大きすぎる。万に一つが無いとも言い切れないんだぞ、今回は。

「提督、多分金剛さんも鈴谷ちゃんも大丈夫ですよ」

「恐らく今回の作戦は乱戦になる。横須賀の裏にいる本営の連中や単冠湾の連中も手柄が欲しいだろうから奴らの艦隊が前衛だろうな。となると二人や他の招集組は後方支援や残党狩りになると見ていいだろう」

だがな、と古賀は続ける。

「深海棲艦の巣、『ハ号標的』だそうだが、あっさりと落せると思うか?」

古賀の中で引っかかているものがあった。

深海棲艦によって船舶による輸送はかなり封じられている。シーレーンは壊滅状態だ。なんとか生き残っているシーレーンは内海など防衛が容易くできるところであったり、沿岸海域の一部であったりごくわずかだ。外洋へは艦娘たちが護衛についてなんとかでることができる。とは言っても、完全に護りきれるわけもなく、少なくはない被害が毎年でていく。

それに対し、艦砲射撃や艦載機の到達できない超高度での航空輸送は今でも生きている。同じように宇宙を漂っている人工衛星も生きている、まあだからこそハワイ諸島が深海棲艦の巣になっていることがわかっているわけなのだが・・・・。

「人工衛星で捕えることが出来るのは艦船状態である深海棲艦のみ。艤装状態の深海棲艦は捕えることなんざ出来やしない。最近の噂では艦娘が光っている深海棲艦と遭遇したというのもある」

一体何が待っているのか分らないんだよ・・・。

と、古賀は心の中で続ける。光っている深海棲艦と遭遇した艦娘は普段のより強かったとも証言した、と噂は続いているのだが、噂は噂。どこまでが真実でどこからが嘘なのかはわからない。だが、古賀は正直この噂を否定できないでいた。

下手をすれば今相手にしている敵は、敵からすれば末端もいいところなのかもしれない。

だとすれば深海棲艦の中枢は一体どうなっているのだろうか。

未だに発見されていない新型がいるかもしれないし、光っている深海棲艦というのもたくさんいるのかもしれない。

それらが、今現在発見されている深海棲艦よりも強力であった場合・・・・。

本営の連中は自分たちが逃げるためのしんがり(捨て駒)として召集組を使うだろう。そうなれば....

「マジでヤバかったら私達逃げてくるって」

「弱気になってちゃNо~なんだからネ?」

今確認されている深海棲艦相手ならばこの二人はまさに無双。

だが・・・・・さらに強力な敵相手ならば、それはどうなるのか

「提督、信頼するのもまた必要なんじゃないですか?」

「鳳翔・・・・それとこれとは話が違う」

決して鳳翔の言っていることが理解できないわけじゃない。だが、信頼したところで

「いいえ、違いません」

「.....何?」

「結局提督が二人を信頼出来ないから行かせたくないだけじゃないですか」

「なんだとっ!?」

付き合いの長い飛龍や龍田、そして金剛や鈴谷らからしても珍しい光景だった。鳳翔が誰かを諭すことは至っていつものこと。よくある光景だ、たとえ相手が古賀だとしても目を疑うものではない。

ではなにが珍しいことなのか?

古賀が怒鳴り返していることだ。

そもそも古賀の考えを鳳翔が否定することがめったになく、あったとしてもその鳳翔の意見を古賀が肯定して、言い争いになるかとはなかった。だが....

目の前で彼女たちの常識は覆された。

古賀は普段の温厚な彼からしてはあり得ないほど怒っている。怒気が彼の身体から音をたてそうなほどの勢いで漏れ出している。

「提督があの時のことを思って行かせたくないのはわかります。けれど、あの時とは違ってみんな強くなってます」

「あの時とは違って?あの時とて強かったさ。だが慢心していた。他との急な連携を組まされた。大規模な作戦だった。何が違う?何が違うんだ!?あの時となにも変わらない!中央の連中にとって我々など所詮ただの駒、それどころか道端に転がっている石ころに過ぎん」

お前らをロクな待遇で迎え入れるとは思えん....

そう古賀は言い切ると、口を閉じた。手を顔の前で組ませて所謂ゲンドウスタイルで下を向く。

金剛も、鈴谷も、古賀と鳳翔が口にする『あの時』というのがなんのことなのか、いつのことなのか、全く知らない。知っているのは付き合いの長い、居酒屋『鳳翔』を構える前から共にいた龍田と飛龍だけだ。そしてその二人も決して『あの時』に関してはなにも言わない。

ただ、龍田が悲しそうにそして何かを悔しみ、悼むように顔をしかめるだけだ。

「拒否権は、ある。うちが特殊な立ち居ちであるのはお前らだってわかっているだろう?」

じゃなければ軍人と軍属が出撃もせずに飲食店など経営できるわけもない。という意味を言外に含ませつつ彼は言葉を紡ぐ。

「それを利用して金剛と鈴谷の出撃は拒否する」

「....」

「.....」

「.....」

「.....」

「.....」

鳳翔も、龍田も、飛龍も、金剛も、鈴谷も、なにも言わない。いや、言えないのだ。

彼が俯いたまま、発する圧力にはそれだけの力があった。だが...それでも、彼女らにも思うところがある。特にまだまだここにきて日が浅い方である『重巡洋艦鈴谷』にとってのそれは海軍の花形たる『戦艦金剛』のそれをも上回っていた。

「提督....私はね、『鈴谷』はね、戦うために生まれたんだよ?」

「知っているさ」

声は、震えている。

「戦うために生まれたんだよ?」

「だから、どうした?」

否定されている。

「本当に分かってるの?」

「.....あぁ」

分かってない!分かってないよ!鈴谷の心の中でそんな声が大きくなる。心臓が早くなりビートを刻む。自分のことを思って言ってくれている人を否定する。そんなことが彼女の鼓動を早く、大きくしていた。

「鈴谷ちゃん...それは」

「龍田さんは黙ってて!」

「.....」

「提督は、分かってないよ!私たちは戦うために生まれてきたのに戦うことを否定するなんて、提督は今ここで私たちの存在理由を否定しているんだよ!!」

「提督はなんのために私達を強くしたの!?鍛えたの!?私達に何を求めていたの!?」

演習に演習を繰り返し、時折思い出したかのように実戦を行って、鈴谷たちは鉄の雨を潜り抜けて、鉄の雨を降らせて、実験兵装を担いで死の隣で踊った。

その意味はなんなのか。自分たちの存在は敵を倒し、死んでいくことではなかったのか?それを訊いているのだ。

古賀からの返事はない。

龍田や、鳳翔、飛龍も彼女の言葉にうつむく。

「鳳翔さんも何か言ってよ!」

俯いてしまった鳳翔に、鈴谷は発破をかけるつもりで声を掛けていた。味方だと思った彼女が何故か意気消沈しているのだ。それも自分の言葉で。

訳が分からない。

「ごめんなさい....」

鳳翔に、言えるのはそれだけだった。

「そこら辺にしておけ、鈴谷。もういい、出撃を認める」

古賀は折れた。鈴谷の勢いに気圧されて折れたのか?いやそれはないだろう。

きっと、何か思って折れたのだろう。

「........,金剛、鈴谷のお守りを任せる。二人で必ず無事に帰ってこい」

「了解デース!」

「ありがとう、提督」

ガタリ、と音をたてて、彼は立ち上がるとフラフラと歩き出した。チラリ、と鳳翔は飛龍を一瞥する。

彼女たちにとっては、それだけの行為だが充分お互いの言いたいことが伝わる。

龍田もそんな二人をみてやれやれしょうがない子達ばかり、とでも言わんばかりに苦笑する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「提督....ここでしたか」

「飛龍か....」

ススッと、盃を煽る。

口内に冷たくも熱いそれが流れ込み、勢いは衰えずそのまま喉を伝う。

擬音で表すことは不粋と思われる心地よい波の音が二人の耳を打つ。そして波の音を割くように時折響いてくる金属軋むの音。

「ここが一番近いんでしたっけ」

「あぁ.....」

飛龍は、月明かりに照らされてるとはいえ、夜の黒い海を眺めて両手を合わせる。ゆっくりと目を閉じた。

「弔いは、いいさ。あいつはそういう奴じゃない、弔えば、『私の事など気にせず生きている子達を考えてください』とでも言ってくる気がしてな....」

苦笑.....、古賀はそうとしか表しようがない乾いた笑いを浮かべながらそう言った。

「言われてみれば、確かにそんな子でしたね」

「最初に会ったときに、まだ幼かった俺に何て言ったと思う?『-------------』だぞ?」

あり得んだろう?と言って彼は喉を潤す。

「自分の方が色々詳しいくせによく言ったもんだ、あんなこと」

「彼女らしいじゃないですか」

まあな、心なかではそう答えていた。

「私たちは、何処から来て、何者で、何処へ行くのですか」

「鉄の溶鉱炉から来て、深海に棲む亡霊どもと戦う兵器、海へと消えていく」

「表向きは、ですよね」

今度は飛龍が苦笑を浮かべていた。

この日本と言う国は、そして世界は、それを真実としている。

『真実としている』のであって真実はまた別なのだ。

そして世界は、多くの人はそれを信じている。さらには艦娘や軍人でさえも。

「私たちは町から連れてこられ、深海凄艦という人が産み出した災禍と戦うために改造された女の子で、使えなくなったら捨てられる。嫌な話ですよ」

「まったくだ....」

古賀は酒を盃へと注ぐ。

とくとくとくとく、と音をたてるそれは波の音と同じく心地がいい。

「飛龍....俺は、間違っているのだろうか?」

「どうでしょうかね」

キーキーと甲高い鉄の軋む音は嫌な音だ

「まだたった一年だ。鈴谷がうちに配属されてから...。色々教えたつもりだったが、あいつを余計に苦しめたのか?俺が言っていることは間違っているのか?」

「客観的な判断を下すことが、私には難しいんですけど...」

「一般論じゃなくていい、個人としての意見を頼む」

「やれやれ....お代にそのお酒少し分けてくださいね」

「仕方がないな...」

---波の音はやはり心地がいい

そうだろう?不知火.....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パシッ

「痛っ!?龍田さん!いきなりなにすんの!?」

「提督の心が分からないお馬鹿な子に渇を入れてあげただけよ~」

まあ、貴女は|あの時≪真実≫を知らないから分からなくてもしょうがないかもしれないのだけれど。そう思っても口にはしない。Need to know、知っていいことと知ってはいけないことがあるのだから...。

「龍田さん、いいですよ。私が言いますから、ね?」

「ふふふ~、じゃあ、お願いしますね?私寝ますから~」

ええ、おやすみないませ。

ニコリと鳳翔は微笑むと、鈴谷と金剛の方へと向く。

「金剛さん、私たちって、なんなんでしょうか」

------いきなり随分と哲学的だった....

「What!?どういう質問ネー?」

「Where do come from?

What are we?

Where are we going?」

「.....蒼き鋼の残した言葉デスネ」

その言葉を口にすることは禁止されているはずデース...という思いを込めた視線を鳳翔へと向ける。誰かに聴かれたら只ではすまない。そしてその視線を向けているのは金剛だけではなく鈴谷もだった。

「鳳翔さん....いくらなんでも軍規違反は」

「ええ、よくないことです。でも、この言葉って深いですよね」

蒼き鋼、彼女らは艦娘のようでありながら艦娘ではなく、艦娘とは大きく違うようでかなり似ていた。

だが、決して同じ存在ではなかった。

台風のように場をかき混ぜるだけかき混ぜて一瞬で去っていった、いや、居なくなったというのが正しい表現だろう。

「一度だけ、彼女、蒼き鋼の旗艦である伊401、イオナちゃんと話したことがあるんですよ」

「他愛もない会話のなかでいきなり、彼女は私に向かって訊いてきました」

「『貴女たちは何故戦うの?』と」

「その時すでに私たちはこの店を構えていましたから、戦いに出ることなど殆どありませんでしたが...」

「それでも、悩んだ末に答えました。『守るべきものがあるから』と」

しかし、潜水艦の少女はそんな答えでは納得しなかった。潜水艦の少女は艦娘とは似ていても大きく違う、見ただけで艦娘たちが溶鉱炉などから生まれた存在ではないことに気がついていた。そして、鳳翔が他の艦娘たちと違い、自分自身のことを理解していることを会話のなかから感づいてもいたのだ。

『鳳翔、あなたはなぜ止めないの?あなたたちの中には戦うことしか知らない人も多い、けれどあなたたちは間違いなく生きていて自分で物事を考えることだってできるはず。ただ死ぬために、ただ戦うために生きてる訳ではないと思う。』

イオナはそう言っていた。鳳翔とて同じことを良く感じていた。身を挺して祖国を護る。字面にしてみると、声に出して見ると良くわかるがかっこよく思える言葉だ。

だが、艦娘は機械ではない。

決して人形でもない。

自立して思考し、何かを思い感じる。

それはまさに人間であった。

艦娘もメンタルモデルも根は同じ。伸びた茎から出た葉と花が違うだけだ。

だと言うのに艦娘の大多数はただただ戦うだけ。

「戦うだけが生き方じゃないですよ」

古賀も時折言っていた。

「私たちは今と言う時間を謳歌する権利と義務があります。こうやって感情を持って生を受けて、ただただ指示に従う機械とは違うんです。鈴谷ちゃん、金剛さん、どうかご自愛ください、自分を大切にして、楽しい一生を過ごしてください」

そう言うと鳳翔はスッと頭を下げた。

これは、鳳翔の心からの願いであり、古賀の思いでもある。かつて戦友を失い、事実を知った古賀の、鳳翔の、龍田の、飛龍の、たった一つの大切なこと。

「長くなりましたね....さ、早く寝ましょう。金剛さん、鈴谷ちゃん、あんまり夜更かしは駄目ですよ。おやすみなさい」

 

 

 

「うりゃぁぁー!!」

「ばぁぁぁにんぐぅぅ、ラァァァァブ!!」

鋼鉄の筒から火薬が炸裂して鋼鉄の塊が放たれる轟音。

自分を律して奮い立たせるための咆哮。

荒れ狂う海面ではそれらが飛び交い、響き渡っていた。

「おっかしいでしょ!?なんで敵がこっちにこんなに」

「『鈴谷』、無駄口たたく暇があったら一発でも多く撃ってくだサーイ」

「わかってるってば!」

ショルダーバッグのようになっている手持ち砲塔の肩掛けの紐が鬱陶しい。

ええい、ままよ、とそれをちぎり飛ばして右手の砲塔を振り回す。ドドッ、ドドッ、ドドッ、一瞬たりとてこの鉄塊を休ませてやれる暇はない。勿論自分自身が休む暇も....

「『金剛』、突っ込むよ!!」

「援護しマース」

敵、深海悽艦はこちらに向かって突撃してきている。

足の早いのは既にこちらと乱戦状態だ。

彼女の回りにも少なくない敵がたどり着いていたが、既に屍、物言わぬ骸とかしている。

だが.....

「きゃぁっ!?」

「うそっ!?直撃!?」

敵からの砲撃や近距離戦でダメージを受けている艦娘も少なくない。それに、敵の数が多すぎて敵の砲撃も雨のようになってきた。

現状を打開するには.....と考えて、脳筋的な気質のある彼女の頭の中に出てきたのは突撃してバッサバッサと敵を薙ぎ倒すことだった。

「行っくよぉぉぉ!!」

機関出力最大、後先のことは考えてなどいない。

ただ接近して薙ぎ倒すのみ。

「QB(クイックブースト)!!」

「そんな機能ないネー....」

気の抜けた呆れ声と共に金剛の36.5cm砲が火を吹く。

「気分の問題だよ」

言っていることは当然冗談だが、彼女の動きは重巡洋艦のそれとは思えぬほど凄まじく速かった。

ところで、水上スケートとも揶揄されることのある水面を滑るように動くこの移動方法だが、彼女はこれをとても良いものだと思っていた。何故なら....

「ふっふーん。当たらないよー」

かなり無茶が効くからだ。

その場でスケート選手のようにジャンプし、回転して飛んできた砲弾を紙一重で避ける。そして、回転の最中に撃ってきた敵に標準をあわせて.....

足先の着水と同時に砲撃。

砲弾は.........

 

 

------命中------

よし、次。

敵までの距離は300m。

こちらを狙ってきているのは深海悽艦の重巡洋艦複数に、軽巡洋艦。加えて加えて駆逐艦数隻が雷撃体勢に入っている。

こちらを抑えようというのだろうか?

態々敵の集団より突出して迎撃に出てきた。

「大盤振る舞いじゃん? 」

でも無駄ぁ、と心の中で嫌味ったらしい口調で言ってみる。そしてニィィと口角を上げていた。

右左右左....僅かばかし身体揺らす、だが速度は速める。しかし、そんな彼女に飛んでくる砲弾が一つ。

鈴谷の辿る航路と線が重なり

----鈴谷の身体は水しぶきと光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

----時は戻って数日前。

彼女たち二人をはじめ、各地から召集された艦娘たちは北方領土などと言われるとある土地のとある軍港の屋外にて、出撃前最後の全体ブリーフィングを行っていた。

「これより、作戦の確認を行う。此度の『ハ号作戦』だが、いくつか変更が発生した」

ブリーフィングルームなどと言うものはないから屋外でのブリーフィングとなっている。

--というのは少し誤りで、本当はここにいる艦娘たち全員が入れるほどのブリーフィングルームがないので、屋外でのブリーフィングとなっていた。

「諸君は後詰め及び後方支援の予定であったが、『前衛となり露払い』を行ってもらう」

----何?

そういったニュアンスのざわめきがどこからともなく起こり、それはどんどんと大きくなっていく。

「静かに」

指揮官たる男の声など聞こえてはいない。

艦娘たちとて突然のことへの動揺。

さらに何故自分達が前衛となったのか、という疑問があった。

「--静かに!」

ざわめきは、二度目の声でも収まらない。

「静かにしろ!!」

胡散臭い者でも見るかのような目が前に立つ男へと向けられた。

「諸君らが疑問に思うこともあるかもしれないが、これは決定事項であり、なにをしようとも変更はありえん」

釘も刺された。

何人かがチッと、小さく舌打ちをしたが、それはもちろん男には届かない。だが男はその音が届いていなくとも舌打ちをされているだろうという確証のようなものはあった。それでもこれを変えることはないのだが....。

「諸君ら前衛艦隊は、『ハ号標的』、以下これを『甲』とする。甲へ向けて進軍する間、本体より100km程先行してもらう。また、一部は本体と先行艦隊の中継として、両艦隊から約50kmを保持して進軍する」

「はい、質問願います!」

一人の艦娘がなにか疑問を感じたのか挙手をした。

まあ、あまりにも雑な指示に疑問を感じるのは当たり前かもしれないが....

「まだ説明は終わっていない、質疑応答は最後とする」

「はっ、失礼いたしました」

あれは誰だっただろうか?

鈴谷は挙手をしていた艦娘を見るが、誰なのか分からなかった。艤装から長良型軽巡洋艦だということは分かったものの....

まぁ、全員の顔を知っている訳じゃないしね....と考えるのを放棄する。当然とも言えるだろう。ここにいる艦娘な1000など大きく越えている。

もし全員を覚えていたらとんでもない頭脳の持ち主かなにかだろう。

「先行艦隊は足の速く、火力の有るものを中心とする。即ち戦艦艦娘諸君のほとんどは中継だ。駆逐艦娘も最低限の対潜水艦要員を残して中継とする。主に組み込まれるモノは軽巡洋艦娘、重巡洋艦娘、軽空母艦娘、正規空母艦娘。細かいことは現場で対処となるが、奇襲攻撃を行うために策敵機の使用、またその他各種の艦載機の使用は接敵まで禁止とする」

「ふ、ふざけるな!それは私たちに死ねって言ってんのか!?」

「質疑応答は最後である!!無駄な発言は止めて貰おうか」

「くっそ...」

あー...あれは摩耶だなー。なんて考えながら、周りの艦娘達が騒がしくなるのを感じる。はて、無謀な策略には文句を言いそうなのがそう言えば横にいたよねー。

チラりと左を見て、金剛の様子を確認してみる.....

----ちょっ!?金剛、起きてってば。

寝ていた....

遠慮のない豪快な寝入りっぷりだ------それも立ったまま。

--もう勘弁してよ、滅茶苦茶な命令だし僚艦はブリーフィング聞いてないし。

「何をざわついている、まだ説明は終わっておらんぞ」

こりゃダメだー、指揮官無能じゃん。

あーあ、どうせ散るならもっとまとも戦術のなかでが良かったなぁ...

「中継は、周囲の警戒を主とし、側面の策敵、また敵潜水艦への警戒を行ってもらう。加えて、遭遇した敵は残らず殲滅せよ。両艦隊及び部隊編成は後程各員へ個別に伝達される」

いや、おかしいじゃん、それ普通に考えれば前衛の役目だよね。

「----以上である!諸君らの奮闘を期待する」

礼!という号令がかかり、前の男がズカズカと出ていこうとする。

「待ちな!!さっき質疑応答は最後って言っただろ、やらねぇのか」

紫の髪の軽巡洋艦が食って掛かった。

あちゃぁ、と言った雰囲気が艦娘たちから漂う。

もうみんな察しているのだ。

今回の滅茶苦茶な作戦は何を言おうとも何を聴こうとも変わらないであろうことを。むしろ食って掛かかれば面倒な役回りに回されるであろうことを。

「ほう?なんだ、言ってみろ」

男もニヤニヤとしながら、応じるのみ。

まともに答える気などないことは明白だった。

「役回りがおかしいな。先行艦隊が策敵を行わずむやみに突っ込んでも被害がでるだけじゃねーか。そもそも奇襲攻撃をするために艦載機を飛ばさないってのも変だ、奇襲狙いなら俺たち自身よりも発見されにくい艦載機で攻撃を仕掛けた方が成功する可能性も高い。それに、中継が駆逐艦娘と戦艦娘で策敵だぁ?策敵を目的にするにしちゃあ策敵能力が低すぎんだろ。そもそも索敵をなんで真ん中に布陣してる奴がするんだよ。前線や右翼左翼、とりあえず外側に布陣してる奴の仕事だろうが」

誰もが思っていることだった。

あえて口にしないだけであって....。

「他にも言いたいことはあるがよ、ここら辺どういうつもりなんだ?」

意味を教えてくれよ?なぁ?と彼女は男を睨む。

----が

「極秘事項である、その質問には答えられない」

この男に質問を答える気などない。

「だったら、敵の『ハ号標的』を中心とした時の策敵範囲、そして防衛の厚くなるラインはどこら辺だ。おおよそならわかってんだろうが」

「それも極秘事項だ、答えられんな」

「だったら、アメリカのやつらの艦隊との合流はいつだ?」

「言わんでも分かるだろう、極秘事項だ。貴様、そこら辺にしておけよ?それ以上は、まあ、分かるだろうがなぁ...」

返答の代わりに、何かものが叩きつけられたような音がなる。大方、地面でも蹴ったのだろう。

「解散だ、散れっ」

憂鬱で、最悪な作戦の始まりだった。

「一旦自室へ戻るヨー」

「こ、金剛いつから起きてたの」

「What's?寝てなんかないネー」

「嘘ばっか...」

ぐっ、と金剛は鈴谷の右手を引いて、艦娘たちの中から出ていく。向かう先は、口にした通り自室。厳密に言うならば二人に貸し与えられている部屋だが。

「色々思うところはあると思うケド、突っ掛かっちゃNO!なんだからネ!」

「え?本当に聞いてたの...?」

「....鈴谷は私をバカにしすぎデース」

いや、だって....とは思うが、それよりも

「態々あのなかから抜けてきたってことは、何か言いたいことでもあるの?」

こうしている間も金剛の足はとまらない。

ズカズカと歩いている彼女にひきずられて鈴谷も早いテンポで足が動く。

「指揮官は無能じゃないデスよ、むしろ有能デス」

「えぇ!?金剛正気!?」

「Yes.正気ネ。深海悽艦の殲滅じゃなくテ、余計な邪魔者も消すことを考えてるだけの話だけデース」

「へっ?どういうこと?」

金剛が歯ぎしりしたのだろうか、嫌な音が一瞬なり、

「深海悽艦と横須賀及び単冠湾以外の供出された戦力を共倒れにさせることを狙ってるみたいデース」

なっ!?なにそれ...

「どういうこと....」

「鈴谷、そろそろ手を話しマス、ついてきてくださいネー」

「わかったけど...、ねえ、どういうこと?」

理解するのを、鈴谷の理性が拒否していた。

なにゆえ、共倒れを狙われなければならないのか。

自分達も、横須賀も、呉も、佐世保も、岩国も、単冠湾も、パラオも、タウイタウイも、ラバウルも、トラックも....全て同じ日本海軍ではないか...敵ではないというのに、どうして....と。

「それは..」

ふっと振り返った金剛が、イタズラな笑みを浮かべながら、右手の人差し指を彼女の口の前に立て、左手を腰に当てて

「部屋の中で話しマース」

金剛は、鈴谷に妖艶さを感じさせながらそう言った。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、改めて状況を確認しマース」

そう言うと金剛は、手持ちサイズのホワイトボードに、キュッキュッと何かを書き込んでいく。

「マァ、恐らくだけどワタシたちは前衛、先行艦隊に含まれるって考えでOKネ。そして、先行艦隊の中でも最前列に配属って考えて良いと思いマース」

「どうして?確かに私たちの練度は今回召集された艦娘の中でも高めだけど、それだけじゃそう考える理由にはならないよね」

その通りネー....

単純に考えれば練度の高くて、装甲の厚いワタシたちが前衛であることはおかしくないネ。でも、駆逐艦娘や軽巡洋艦娘を差し置いて最前列って言うのは中々ない話デース。

「鈴谷、NEWSプログラムは見ているネ?」

「ん?ニュース番組のことだよね?見てるけどさぁ、それが今回のこととなんの関係があるっていうの....」

関係大有りネー.....

海軍としても、政府としても無視できない状態になっちゃいマシタ。

「『鳳翔』さんの事デース.....」

ワタシが居れば....なんて思いもシマシタけど、提督が何もできなかったって事は、ワタシでも何もできなかったって事デス...。

「鳳翔さん...、あの元将校どもは絶対に許さないよ!!」

「落ち着くネー!鈴谷。クール、クールダウンするデース!もはや過ぎたこと、ワタシたちは何もできなかったし、何もできまセーン」

まったく、この娘は....。

「ワタシだって今回の事は怒っていますガ、上の人間はこの一件が国民、一般民衆にバレてしまったことに怒っているデース」

「え?なんで!?」

鈴谷は良くも悪くも純粋で、そして愚直デスネ。疑うということはマダ覚えてないみたいデス。これから先こういうのも覚えていかないと大変デース・・・・

「イイですか?大規模作戦の直前で艦娘を指揮する立場にある人間の倫理観を国民から疑われるようになるわけデス、それもよりにもよってとでも言うべき本部の指揮官のデース。ワタシたち艦娘は『人間』と全く同じ姿形をしていマス。味方である『人間と全く同じ姿形の存在』を斬った、というのは国民からの信頼を失うわけデース。刑罰でもなくただの逆怨み、コレでは言い訳できまセーン」

倫理観を疑われるだけでなく、Lastには国民からの信頼を失う、コレは彼らからしたら手痛いことデース・・・。

それに加えて、あのNEWSプログラムで泊地の軍人たちや民間人が艦娘を斬った犯人を制圧したことまで報道されてシマイマシタ。

これでは、国民の信頼は本部から末端、すなわち地域に密着する地方の泊地へと流れマス・・・。

『人型』に斬りかかる人間より『人型』を守る人間の方が信頼されるのは当然デース。

「コノ状況は本部からしたら都合がBADデスネ」

「それが、なんなの?」

「ワタシたちへの逆恨み、ヘイト、エンヴィ、エンミティ、マルィス、ヘイトリッドゥ、言いようはいくらでもアリマス」

「なっ!?」

 

たかが、逆恨み。

 

 

 

 

―――――――されど逆恨み。

甘く見れば痛い目に合うのは明白。

「恐らく、ワタシたち、そして招集されたミンナは見せしめ、そして肉壁としての役割でショウ。本部の意向に逆らえばこうなるぞ、といったところデース」

そして、碌な策も執れずに文字通り全滅した招集艦と多少の損害を被るであろう敵の、死屍累々と化した前衛艦隊と中継艦隊と被害の出た深海棲艦の戦場に遅れて無傷の本部の艦隊が到達しワタシたちごと薙ぎ払い、戦果resultは全て自分たちのモノ。

地方の艦娘は実力がない、と一般民衆に思わせて地方への信頼を無くし、本部の艦娘は精強だと思わせて信頼を回復させる、そういうことデスネ。

「鈴谷、この事は誰にも言っちゃダメデスヨー?」

「そんな!?」

「今こんなんことを話せばコンフュージョン・・・、混乱を招きマス」

そうなれば、本当に文字通り『全滅』シマスヨ?

「雌伏のタイムデース!」

「・・・・・わかったよ、金剛に従いますー」

「Thank You.デース鈴谷、愛してるネ!!」

「なんでぇっ!?」

「もちろんジョークデース」

そんな金剛の言葉に緊張の糸が切れたのか、鈴谷は大きくため息をすると椅子に座りこむ。

グダー、そんな擬音が似合いそうなほど彼女は椅子に身体を預けていた。

もしここで椅子の脚が折れでもしたらきっと彼女は床に頭を強く打ちつけるだろう・・・。

普段もよくダラける鈴谷だが、居酒屋『鳳翔』の外でここまでダラけることは彼女としてもなかなか珍しいことだった。

きっと、緊張の糸が切れただけではなくて、これまでの疲労や鬱憤が溜まった結果なのだろうと金剛は判断するとティーセットの用意を始める。

彼女とて鈴谷と同じように疲れ、辛い。

だが・・・

 

 

まだ彼女たちが出撃前にゆっくりと休むには早かった。

 

ゴンゴンッっと無遠慮なノックの音が響き、何者かが部屋への入室を願って来たからだ。

「マッタク、大事な大事なティータイム

休憩

しようとしたらコレデスカ・・・」

金剛の顔色はあまりよろしくない。自分自信の精神を落ち着けるためにも大好きなティータイムにしようとしたら無粋なコレだ。邪魔された気になり、頭にも少しくるものがある。

「どちら様デスカー?」

そのせいもあり、普通に喋ったつもりの言葉にも少しとげが混ざってしまう。

「ああ、わりい。アタシは呉鎮守府所属、常盤の『摩耶』だ」

....What?

金剛の口から素で疑問が溢れる。

なぜ、横須賀所属でもない艦娘がここを訪ねてくるのか。その理由がわからないからだ。

「急で悪いんだけどさ、中に入れてくれねぇか?」

「Ok、用件は中で聞きマース」

「サンキュー!」

入ってきた少女、艦娘は先ほど指揮官に食いついた摩耶だった----

 

 

 

 

 

 

 

 

手慣れたもので、金剛は手際よくティータイムの用意をしていく。対空番長には暫し疲れきっている鈴谷と一緒に待ってもらっているので、あんまりのんびりとはしていられない。

招いていなくとも、客をいつまでも待たせるのは居酒屋『鳳翔』で許してはもらえないし、金剛自身のプライドとしても許せなかった。

「それで、なんの用事なの?」

「いや....まぁ、な」

「歯切れ悪いな~」

「わりい」

「いいよ、別に。それに用事があるのは私じゃなくて金剛のほうでしょ?」

鈴谷は別に気にしてないから、といったニュアンスを含ませた言葉を発しながらテーブルに頭から倒れこむ。

鈴谷の髪がファサーとたなびき、

「うおっ!?」

摩耶の手へと垂れかかる。

鈴谷とて、髪が客人の手に当たっていることぐらいわかっているはずだが動く気配はない。摩耶のことをなめきっているかのようなダラけた態度である。

「にしても、よくもまあ喰らいついたね」

だが発する言葉はダラけてなどいない。

カミソリのような鋭さを感じさせる、威圧を込めた言葉が摩耶を襲う。

先程までの甘くふわふわした言葉からのギャップのせいもあってか、摩耶はその言葉に気圧されていた。

「あ、ああ。うちの提督が、違和感を感じたりしたらすぐにアタシらには言うように常々言っていたからな」

「へぇー?」

「ヘーイ、お待たせしたネー!紅茶ダヨー!」

険悪?な空気になりかけたところで金剛がタイミングよくあらわれた。紅茶のいい香りが二人の嗅覚を刺激し、落ち着かせる。

思わず、というよりも無意識に自身の左側に立った金剛の持つお盆に手を伸ばしてしまった鈴谷だが、

「Wait!!」

「痛っ!?」

金剛がその手を叩き、奪取するのに失敗した。

「It's about time you must learn to observe the proprieties!!」

「えっ?」

咄嗟にとでも言えばいいのか、金剛の口からは日本語ではない言葉がこぼれていた。

残念ながら、鈴谷の頭ではこの言葉を理解することはできなくかった上に、摩耶も頭の上に疑問符をちらつかせている。

「あっ....な、なんでもないデース」

「そ、そう?」

「気にしないでネー...」

少しばかり小さくなったようにも見える金剛が、席についている二人の前にティーカップを置いて、ゆっくりと紅茶を淹れていく。

最後に、自分のものも...。

「ソレで、なんの用事だったカナー?」

「ソレで、なんの用事だったカナー?」

ゆっくりと紅茶をいれた金剛が発した言葉で場の空気が一瞬、固まったように思えた。

「あぁ、今回の一件、どう睨んでるんだ?」

「サァ?なんのことデスカ?」

「惚けなくてもいい」

薄くはない金剛の面の皮。

「お前らは、どう思ってるのか訊きたいんだ」

金剛の眉は微動だにせず、口角も引き上がらない。

完璧な無表情とならない程度に真顔を保っていた。

「ナンのコトだかわからないのに答えようがないデス」

「アタシのことを疑っているのか?」

「Why!?どうして仲間である艦娘をワタシが疑わなければいけないんデス!?」

流石に怒りますヨォ!とでも言わんげに吊り上がった金剛の眉、クイッと上がっているそれが普段とは違う様子であることを分かりやすく表現してくれている。正直に言えば、今金剛が本気で怒っているのか演技、つまりはふりで怒っているのか私には判別することができないのだけれど....。

まあ、こんな風に分かりやすく怒ることはどちらにせよ珍しいかなぁ。

「あー....わりぃわりぃ、ちょっと無礼だったな。スマン」

「----」

お互いになにやら隠して、というよりも金剛はきっと摩耶が敵であるかどうかの判断が下せずに悩んでいて、摩耶は切り出し方に悩んでいるんだと思う。

「--腹の探りあいも面倒だな....、しょうがないか」

「ワタシは腹のまさぐりあいなんかしてた覚えはないデスよ?」

「それはあたしも覚えがねぇよ!?」

「What?」

「『え?』じゃねぇ!」

金剛のふざけた文句にツッコミ体質なのか即座に反応を返している摩耶。そんな彼女に

「カルシウムが足りてないと思いマース」

「くっそ、テンポ崩れる....」

「それほどでも」

「誉めてねぇ!」

ダメだこりゃ....と摩耶は言いながら頭をかく。

「鳳翔さんは--、鳳翔さんは無事なのか?」

「まさか....それを訊きに来たんデスカ?」

いや、それだけじゃないが。

そう言いながら摩耶は頬を指でもてあそぶ。

少しばかり、彼女の頬が赤くなっているのは間違いないが

「昔、あの人に助けられたんだよ。それでな...気になってはいたんだけど、訊いていいことなのかどうか分かんなかったしよぉ」

鳳翔さんに助けられたって...

鳳翔さんが実戦に出てたのって大分前だよね?

もしかしてこの摩耶は思ったより年とっt---

「何か変なこと考えてねぇか?」

「い、いやいや!?滅相もない」

こっ、こわぁ!?考えが読まれてる!?

「--鳳翔さんは、無事ネ。おそらく」

「おそらく?」

金剛も、鈴谷も、鳳翔について言えるのは微妙なこと

「ワタシたちはdon't knowネー」

金剛は腹をくくった。

もとより腹のさぐりあいのような水面下でのやりとりはなれてなどいないのだ。金剛は文化・芸術には明るくも、自分が戦いを生業とする武者であることは自覚していた。

もしも、この摩耶が敵だとして、こういったやりとりになれていたとしたら---隠しきったつもりであっても、軒並み情報をすっぱ抜かれる可能性もあるのだ。

ならば、と。

はじめから話す情報を決めて、全てを語らなければいいのではないか、と考えたのだ。

敵でなかったとしても、多少の情報を得ることができて安心するだろうと。

だから、伝えたのだ。

連絡すらされていなかった、と。

彼女らが鳳翔が斬られた、と知ったのもテレビのニュースでだ。古賀からも、龍田からも、被害者当人である鳳翔からもなにもなかったのだから。

「ちょ、ちょっと待てよどういうことだ!?」

「大方心配させたくなかった、といったところだろうね。心配したまま戦場にでて十全の力が発揮できなくては困る、といった感じじゃないかな」

----舌打ち。

「あー...クソ、スッキリしねぇ....」

胸のうちに晴れぬもやが残された感覚が摩耶の神経を尖らせているのだろうか。

「まあ、いいや。わかんねぇならしゃーないわ」

「そう言って貰えると助かりマース」

じゃあ、もうひとつだ。

そう言い、金剛と鈴谷を見る彼女の顔にはイタズラをする幼子のような笑みが張り付いていた。

 

 

 

 

 

客人の居なくなった部屋に残された二人。

精神的にも、肉体的にもいい加減に一息入れたかった。

所属する部隊の決定通知もよりにもよって厄介な客人が居るときに来てしまった。

きっと何を企んでいるのか、と勘繰られている頃合いだろう。企んでいるのは二人ではなく、客人なのだが.....。

「こんごー....」

「んーー?なんデスカー...?」

「どーするの?」

「ソーデスネー....」

自分達にも大きな影響を及ぼすことはわかりきっているのだから、その企みに乗っかるのか。はまたま蹴りとばすのか。

「マア、もう少しシンキングが必要デース」

疲れているから、頭が働かないのだ。

言外に彼女は鈴谷にそう告げたつもりだった。

「考えてる時間、あんまりないけどね」

「----。」

別段、鈴谷は察しが悪い方ではないはずなのだが.....。彼女もまた疲れているからなのだろう。

金剛の伝えたかったことは、彼女には伝わっていなかった。

「プロブレムは先送りしテ、今は休む時間をくだサイ」

べっちゃー、という擬音をつけたくなるほど彼女が身体を重く感じているのが目にとれた。

べっちゃー、とベッドに全体重を預ける。

「ねえ」

「...なんデスカ?」

「あれ、どういう意味なの?」

「『あれ』?デスカ?」

「『あれ』よ、『あれ』。いっつぁばうとたいむゆーますと....なんちゃらってやつ」

先程の金剛が発した英国語のことだろうか。

それ以外にないのだろうが。

何気に、鈴谷の中に先程の言葉が引っ掛かっていたようだ。さばさばしている彼女の性分からすれば、なかなか珍しいこととも言えるが、逆に不甲斐ない点を治そうとする、許すことのできないという性分からしてみれば結構普段通りと言えるのかもしれない。

「『It's about time you must learn to observe the proprieties.』デスカ....。Sorry鈴谷、ワタシもダメなところがあるのに、失礼なことを言ってマース。聞きマスカ?」

自分自身の至らぬ点が思い浮かぶ。

頭に血がのぼると冷静さが保てなかったりする。

何かに熱中すると周りが見えなくなる。

思ったことを大声で叫んでしまう。

これを言われるべきなのは自分なのに、鈴谷に言ってしまった....。

「|『It's about time you must learn to observe the proprieties!!』《いい加減に礼儀というものをわきまえられるようになれ!》。ということデス」

鈴谷の客人を気にかけない行いに飛び出た言葉はまさにブーメランだったように思えた。

「Sorry,鈴谷。ゴメンナサイ」

静かに、ゆっくりと、彼女は頭をたれた。

「- - - 別に」

緑の少女は口を開ける。

「---別に、金剛が謝らなくてもいいんじゃないかな」

「デモ」

「私は- - - 、間違いなく、摩耶さんに対して失礼なことをしてたし。客人の前でダラりと紅茶をかっさらうなんてこと、提督に知られたら怒られるだろうしね」

あ、ダメだ。

提督だけじゃないや。鳳翔さんと飛龍も怒るよね。そうなると龍田さんが庇ってくれることもないだろうし....- - - あれ?龍田さんも怒る側かな?ヤッバ、マジでマズイって。

「らしくないかもしんないけどさ、悪いことは悪いって認めとかないとね」

ポカーンと間抜けな呆けた顔を晒す金剛。

らしくない、などと口にする鈴谷以上にらしくない姿。

「で、デスガ」

「だから、もーいいって言ってんじゃん?金剛も気にしなーい気にしなーい」

「....Thank-you 、鈴谷...助かりマス」

弱気な姿を見せる金剛に鈴谷はにこりと笑いかけるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

いつまでも、こうも弱気でいられても困るしね。そう心の中で呟く。ドアの方を見る。

そして、金剛の方に目を向けるとまだ落ち込んでいるようである。面倒尚且つ厄介なものだ。数時間後には出航だというのに、全身から活力が感じられない。

士気なくして戦うなど愚行の極みであるし、自殺志願者の行いだ。死なれると嫌だだが、このままならば - - - あるいは- - - 。

「いい加減に、いい加減にしてくんない?」

私怒ってますアピール。

「Sorry.少し休ませてくだサーイ...」

しかし意味はないらしい。

「あのね、これから出航なんだよ?最終確認ぐらい始めようよ。いつぞやの演習前みたく『浅井の利根』にどやされるのは嫌なんだけど」

あの時はまさかどやされるとは思ってもいなかった。不意打ちに近い状態で殴るように放たれた怒声は、随分と心地よかった。

連携訓練のための、実戦訓練。

普段とは違う味方との連携をとれるようにするために、深海の亡霊との実戦。

訓練とは言っても。

各個が精鋭であると言っても、実戦は実戦である。幸いにもあの時は死者

スクラップ

こそ出なかったものの、怪我人

被弾した艦

はゼロではなかった。

そんな戦地へ向かうときに、いつも通り、普段と同じことをしてくれたことが、無意識に揺らぐ心を平常へと戻してくれたのだ。

一応、金剛への嫌味のためにどやされるのは勘弁と告げるも、どこかまたあの怒声を聴きたいような気もする。

だが...。

「本当にいい加減にしてよ。私も気にしてないしさ。ね?」

この状態でされるとすれば、浅井の利根の慈悲はないだろう。意気消沈している金剛はさらに沈むだろうし、こっちにもとばっちりがくるはずだ。

「だいたい、金剛は私のお守りなんでしょ?提督に言われてたじゃん?」

そんなんで私を守れるのか?と言外に尋ねる。

それでも、それでも、彼女に動きはない。

「あーあぁ、残念だなぁ。金剛ってもっとしっかりしてるって思ってたのに- - - 」

「- - - 鳳翔さんも大したことないなぁ。『金剛はしっかり者だから頼れますよ』、なんて大嘘じゃん。人を見る目がないのかなぁ?」

「....レ」

「えっ?なに?聴こえないよ?」

「..。ダ.....レ....」

鬼。

鬼のように。

鬼のような、形相。

「なにさぁ?聴こえないって、『しっかり』言ってよぉ、『しっかり者』の金剛さん?」

怒りで凄まじい形相の彼女を襲う無慈悲な言葉の槍。刃先に塩が塗られてでもいるかのように、抉った傷にさらに痛みを残していく。

「ダマレって言ってんデス!!」

「あっ.....ぐっ、あっっ、か!?」

先程まで意気消沈し、項垂れていたのが嘘のような機敏で無駄の一切ない動き。

その矛先が敵であればどれほどよかったことか、残念ながら鈴谷に向かった。首を右手で掴み、締め上げる。

眼は血走り、犬の威嚇のように歯が剥き出しとなる。美人である分、その恐ろしさは常人のそれとは比べものにならぬほどだ。

「ワタシを、ワタシをバカにするのは、カマイマセン」

But......

更に力が入る。

流石にマズイ、と判断した鈴谷がなんとか首を抑える金剛の右手をほどこうとするも、悲しいかな。金剛の腕の力は生半可なものではない。

足掻いても足掻いても、鈴谷では勝れぬものだ。

「がっ...」

鈴谷の身体が浮き上がる。

「But!!いくら鈴谷、アナタでも鳳翔さんを侮辱することだけは、赦しマセン!」

眼にみえて鈴谷の顔色が急激に悪くなっていく。

当然だろう。

先程まで以上に金剛が力を入れている、それに加え首に全体重がかかっているのだ。重くはない彼女とて、それなりの体重はあり、それらによって余計に首がしまっている。

謝りなさい。

血走った眼は苦痛に歪む鈴谷を捉えていた。

「らしく..ない...ね...」

「What?」

「らしくない..よ、金剛」

体内に残された空気を少しずつ音へと変換していく。無駄にはできない。

「普段の貴女--ならやんわりと私を叱って...それでも聴かなければ怒った...よね。実...力行使は、ゲホッ、最後の...手段」

だというのに、今の貴女は最初から実力行使。

普段の貴女が見たら愚の骨頂と呆れ果てるでしょうに、と。

「私が、鳳翔さんを、侮辱?...侮辱してるのは、金剛でしょ」

「--ダマレ」

「私達を、出したがらない...提、督を諭して今回の作戦に参加させて---くれたのは、鳳翔さん..でしょ?確かに..最後に私が駄々こねたけど..きっと鳳翔さんが一度は出撃しても、いいって言ったから...だよ。私、達を、信頼するって。それにその後、も、自分のことを大事にしろって」

力が緩む。

呼吸が、出来る。

「今の金剛にそれができるの?そのまま戦場へ出たら流れ弾にあたって死にそうだけど」

「ダマレ!」

言葉は強く、されど彼女の右手は強くない。

鈴谷の身体はもう浮いていないのだから。

「黙らないよ。死んだり

沈んだり

したら鳳翔さんの信頼を裏切るんだよ。そう、金剛が裏切るの。これから」

「----」

金剛の右手が零れ落ちる。

「信頼裏切っちゃえば、鳳翔さんの太鼓判を放り投げちゃえば、鳳翔さんのこと侮辱してんのと同意じゃん」

「---じゃあ、どうしたらいいんデスカ...」

「簡単じゃん?」

崩れ落ちた彼女を掬いあげる。自分の立っているところまで。

「普段通り、らしく行けばいいんじゃない?普段通りの金剛なら、きっと大丈夫だからさ」

「ソウデスカ....」

「そうだよ、普段の金剛なら普通に切り抜けられるから。さて、ちょっと外出てくるから」

私が戻って来るまでにさっさと普段の金剛に戻ってね?と言うと鈴谷は颯爽と出ていってしまう。

そして金剛、ただ一人が部屋に残される。

「部屋が...広いデス」

こんなにも部屋は広かっただろうか?

いまこの部屋にいるのが自分一人とは言っても、こんなにも広く感じるものだろうか。

「ワタシが....」

小さくなったのデスカ?

身体が小さくなったはずはないのだが、そう感じた。

きっと、元通りの広さに感じられるようになれば---、いや、元通りの広さ感じられるようになったときには。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と身体をはるんだな?首を掴まれるなんてなかなかない経験だろう?」

「気づいてたなら助けてくれてもいいじゃん....?」

部屋の外に居た摩耶を連れだって散歩中である。

「本当にヤバかったら助けたさ」

「ヤバかったけどね、結構」

「じゃあ死にかけてたら」

「死にかけてたけどね」

「.....冗談ともかく、本当にヤバかったら助けたぜ、本当に」

鈴谷の言葉に棘を感じたのか、言い訳、ではないだろうが、摩耶は調子を変えて口にする。

もちろん鈴谷も冗談で摩耶に棘を刺しているだけだからそんなに摩耶が助けなかったことを怒っているわけではない、そんなに。

「にしても、いつから気づいてた?」

「最初から、だけど?だから、死にかけたら助けてくれるかなぁ?なんて思って金剛に嫌味言ってみたんだけどね」

あの程度で気づかれないと思うとは笑止千万。

あっはっはー、と豪快に笑ってみせる。

「あーぁ、せっかくだからどんなこと話すのかドアに張り付いて盗み聞きしてやろうなんて考えるんじゃなかったぜ」

「まったくだよ。ま、多分金剛も協力すると思うから」

----よろしくね?

----こちらこそ

 

 

 

 

 

結局、ブリーフィングの通り、三つの艦隊にわかれたハワイ攻略の連合艦隊。

大きな変更点はなく、金剛と鈴谷は第一艦隊に配置されていた。

数にして凡そ2000。中々の数の艦娘が集まっているものだ。第一艦隊だけでこれなのだから。

第二艦隊は2500。

第三艦隊は5000ほどらしい。

各艦隊に司令船があり、それに横須賀・単冠湾の一定以上の階級の提督が乗っている。基本的には、そこからの指示で作戦は行われることになっている。

また、艤装を身に着けていれば航行ができるとは言っても長距離外洋航行は疲労が凄まじいので、艦体を召喚しての進軍だ。

「にしても----」

艦橋に腰かけた彼女は周囲に目をやる。

青い海に浮かぶ鋼鉄の城の数々。

全員が全員艦体を召喚しているわけではないが(艤装ほどではないが制御するのは疲れるので交代で艦体を召喚する)中々壮観だ。

統べてその数100と言ったところだろうか。

ある程度の艦娘が一つの艦体に同乗していること、対潜水艦哨戒班が少し離れて航行していること、あとはパッと見の目算から大体の数を割り出す。

「いつ以来なんだか、こんなに数が集まってどっかの攻略に行くなんて...」

少なくとも彼女の覚えている中ではなかった。

自分が生まれる前、グアム島(大宮島)奪還作戦の時にはとんでもない数の戦力をつぎ込んだと聞いているから、今と同じかそれ以上、ぐらいの数の艦娘が集結していたことだろうが、それは摩耶が生まれる以前の話。

「グアム奪還以降での戦力集結って言ったら...」

苦い記憶が脳裏を過る。

「だー!くそ!やめだやめ!」

思い出したくもない。

これまでで最大の汚点だ。調子にのって突出しすぎて大破、危うく沈没というところを彼女に助けられた。

「にしても、あの人もなかなかおかしいよな」

旧式の艦の艦娘であるはずなのになぜか普通に一航戦や五航戦よりも強い。艦載機も特別性能が高いものを使用している訳ではなかった。

だというのに...

「摩耶ぁぁ!」

「お?なんだ?」

「司令船から連絡きたよ」

えっこらせっ、とでも言いそうな動きをしながら鈴谷が艦橋をよじ登ってくる。

というのも、今摩耶は艦橋の上に立っているからだ。

「連中はなんだって?」

「明後日の突入に備えよ。また、敵への警戒を怠るな。だってさ」

そんなことわざわざ言われなくてもやっている。

というより出航してからずっとそうだ。

「ま、言われなくてもって感じだよねー」

同じことを思っていたようである鈴谷に適当な相づちを打って、また周囲の大艦隊へと目を向ける。自分と同型の艦娘も多い。

自分と同型でない艦娘もたくさんいる。

自分より経験の長い手練れもいる。

自分より経験の浅い新人もいる。

果たして--

「一体何人

何隻

が生きて帰れるんだろうな」

「さあ?」

「....軽いな」

「だって、私と金剛は生きて帰るし。あ、摩耶もね?」

こいつは

「お前は怖くないのか?」

「なにが?」

戦場を知らないのか?

「今から行くのは戦場だぞ?」

「知ってるけど」

何もかもを知っていて

「死ぬかもしれない」

「鈴谷も、金剛も死なないよ、摩耶も連れて帰る」

怖くないのか?

「なぜそこまで言い切れる」

「だってさ--」

彼女はそう言うと摩耶と同じように周りの大艦隊へと目を向け

「--提督と約束しちゃったから守るしかないじゃん?」

生きて帰らないと、怒られそうだし。

そんなのは嫌だ。

きっとあの提督のことだから墓前で静かに激しく怒るに違いない。きっと墓の供え物は全て納豆やクサヤ、花はバラの茎だけ、水の代わりにニガリ、と考えつく限りの嫌がらせをされそうだ。

流石に死んでからまでもそういった嫌がらせにあうのは勘弁願いたい。普段はおどけてふざけて嫌がらせをする側の鈴谷だが、されるのは嫌なのだ。

自分のされたくないことを人にするな!とでも言いたいところだが、この少女に言ったところで馬の耳に念仏だ、まったくもって意味がない。

「約束したからって生きて帰れるとは限らn」

「関係ないよ、自分で自分たちのこと言うのもあれだけどさ、鈴谷も金剛も強いから。摩耶が鳳翔さんに助けられたことがあるっていうなら、摩耶も他人じゃないから守る。悪いけど、他のやつらは知らない」

最善はここにいる全員が生きて作戦を達成し、帰還すること。されどこれからあるのは戦争。

死者ゼロ

撃沈ゼロ

なんてことはあり得ないし、自分達とてその危険に晒されるのだ。

救えるものなら救おう。

だが、最優先で助け合い救うべきなのは自分の手の届く範囲にいる身内であることは分かっている。

だから、取り敢えず身内だけ助ける。

鈴谷にとって今手の届く範囲にいる身内は金剛そして摩耶だけだ。

だから最優先はその二人と自分。

「これじゃ本当はダメかもしれないけど、多分、私たちがお互いを助けるために暴れるだけで全体にとっても助けになるじゃん?」

「.......お前は」

「鈴谷はねー、本当は死にに来るつもりだったの」

「は?」

「でもねー....提督が死んじゃダメってうるさくてさー」

訳がわからないよ、と鈴谷は呟くが、それ以上に摩耶は訳がわからなかった。

先程まで、死なないだのなんだのと言っていたヤツの言う言葉だろうか?死にに来た、なんてこと。

「好きなように生き、好きなように死ぬ。そんな生き方をしてたつもりだったけど、私の我が儘は提督がなんとかしててくれただけだったわけだし、鳳翔さんも、龍田もなにか隠してるっぽいし...、まあ色々あって死ねなくなって...。だったら、意地でも生き残るしかないじゃん?」

本当に訳がわからない。

目の前にいるのはあの気だるげにしていた鈴谷なのだろうか?

姿形は同じだが実は中身が入れ替わってしまっているのではないか?

あり得ないことを本気で考えてしまうほど今の鈴谷は異質で纏う空気までもが変化していた。

そんな彼女になんと返せばいいのか、なんと言えばいいのか、それがわからずに摩耶の口はまごまごと音がないのに揺れ動く。

それでも、なんとか言おうとして喉が音を発っそうとしたとき、それはきた。

「『-緊急通信-緊急通信-』」

「『ハワイ近辺の敵に動きあり、3000以上の深海棲艦が南下を開始』」

「『第一艦隊及び第二艦隊をもってこれを撃滅せよ』」

「『以上-緊急通信終わり-』」

敵に動きあり。

座して待っているかのように動かなかった深海棲艦がついに動き出したのだ。

「動いたね、まあ動かない筈もないし、こっちに気づいてないわけもないしね」

「....衛星が動きをとらえたってことだよな...」

「それしかないでしょ。まあ、嘘のほうがありがたいけど」

「....嘘?」

「そ、嘘。偽情報」

横須賀の連中が手柄欲しさに他の鎮守府所属である第一第二艦隊を嘘の上方でよそに追いやり、第三のみで米艦隊と共同してハワイを叩く。現実的には不可能な話だがやりかねない、というのもあった。

とは言っても鈴谷も今回はそれはないだろう、と感じてはいたのだが。

「それは....ないだろ...」

「だろーねー」

ふらっと空を仰げば雲ひとつ有りはしない。

----快晴だ

「もう、こっちの数ぐらいは把握してんのかなぁ?」

「....さあな」

一瞬、目に光が刺さった。

「2時の方向、距離凡そ9000、高度約1000、数1 」

やる気の無さそうな鈴谷の目はしっかりとそれをとらえていた。昼間っから一等星が見えるなんてことはあり得ないし、あってはならないことだ。

一等星のように見えるもの

航空機

なら見えることもあるが。

「.....当たんねぇよ?」

「そこをなんとか」

主砲とかならいけそーじゃん?と笑いながら摩耶へと声をかける。

「無理に決まってんだろ?けど----逃がすのも勿体ないな」

 

 

 

--こちら摩耶、こちら摩耶。2時の方向距離凡そ9000、高度約1000、数1。可能であれば撃墜されたし--繰り返す、2時の方向距離凡そ9000、高度1000、数1。可能であれば撃墜されたし--

 

 

 

青空に赤色のススキが靡いた

 

 

 

 

 

そろそろであると、覚悟はしていた。

覚悟はしていたが、できれば遭遇したくはなかった、のかもしれない。

おびただしい数の敵艦載機を電探がとらえた。

「始まるね...」

「あぁ、そうだな」

戦艦金剛の上の二人が言葉を交わす。

計画は本隊と別行動となったことで最初の予定通り、とは行かなくなった。

だが、敵を倒さねばならないというのは最初からなにも変わっていない。

「二人とモー!そろそろ準備するデース。もうこの外洋艤装はしまいマース」

「はーい」

「おう」

もう始まるのだ。

最大級の戦いが。

周囲でも次々と外洋艤装が光を放って姿を消していっている。

それに対して増えているのは海を行く艦娘の数だ。みんな外洋艤装から降りて海を行くのだ。

『・--敵情報を更新、敵総数凡そ3000。航空戦開幕まで約4分。砲撃開始まで約15分。進路そのまま、正面衝突となる。殲滅せよ』

開戦前、最後の通信だろう。いよいよ、後がなくなった。隣に立つバカを見る。こいつは、きっと生き残るだろうな...。生きて帰って、どうするかきっと決めてる。だから生きて帰る気がするぜ。あたしは....どうなんだ。生きて帰れんのか?

生きて帰ってなんかすんのか?

なーんも決めてねぇや...。

「摩耶、大丈夫だよ」

「あ?」

「大丈夫、摩耶は私が、私たちが守るから沈まない」

「......」

「帰ってからのこと、考えたんでしょ?」

なんでわかる....。

「なんでわかる、って顔してる。まあ、なんとなく分かったってだけ」

なんとなくでわかるほどあたしは分かりやすいのか...。それはそれで、なんか嫌だな。

「いいじゃん、帰ってから考えれば」

「--は?」

「決まってないならとりあえず生きて帰ってから何するか考えよーよ。それでいいじゃん?」

そんなんで、いいのか?

「いいんだよ、気楽に行こー」

........。

...........ははっ。

「ノッてやる」

「ん?」

なんだよ、そのどや顔みたいなニンマリした顔は。

「その提案、ノッてやるって言ってんだよ。帰ってから何するかは終わった後で考える」

「うん、それでいいじゃん」

「ナンカ私ハブられてませンカ?」

「ハブってないよ?」

「話に混ざらないお前が悪い」

およよよよ、理不尽ナ。などとふざけている金剛は見なかったことにしておく。

「四分たったよ」

.....始まったか?

 

 

そう、始まっていた。

こちらの部隊はハワイ本島に攻め込む訳ではないから隠密性はいらない!むしろこっちで大騒ぎすればハワイの敵も釣れて本隊が楽できるかも!?などと言った暴論でなんとか部隊の指令部に敵部隊との接触前の艦載機の出撃許可を得ていた。

だから、航空戦がもう始まっているのだ。

第一次攻撃隊、というよりはお互いに制空権を競り合っている感じだ。

右へ左へ上へ下へと揺れる黒いソレを機銃が襲い、炎をあげて落ちる。その機銃を撃ったゼロを黒いナニカが撃ち落とす。それの繰り返しだ。

そしてその中をこっそりと通り抜けていく攻撃隊がいる。

 

 

 

 

「来たぞ!!」

「斉射!!」

海に怒声が飛び交い、空に赤色のススキが穂を垂らす。一つではない。いくつも、いくつも、たくさん赤いススキが穂を垂らす。

そしていくつかススキの中で少し大きな爆発が。

「三式弾ガ想定より効いてマスネ」

「ああ、だがこうも三式弾装備してるやつばっかだと....」

「火力不足が怖いデスカ?」

ある程度、装備は上からの指示があった。

直接、何を装備しろ、という指示がある者もいれば自由でいいと言う者もいた。そんななかでやけに三式弾が多いような気もするのだ。

周りを見ると三人に一人ぐらいが撃っている気がする。

「まあ、な。金剛や鈴谷は持ってきてないのか?」

「エエ、持ってないデス」

あの娘モと金剛が指差す先の鈴谷もポケーっとしていて対空戦闘をする気配はなく、持ってきていない逃れなんとなく察っせた。

「いくら最前列じゃなくて、やってきたのも三式弾で結構やられているとはいえ...」

重低音が鳴り、腹のしたの方で響くような感覚を受ける。

「全部落とせてるわけじゃないんだぞ。こっち来たらどうする」

「大丈夫大丈夫、避けるから」

避けれんのか、そんな気を抜いてて....。

「それに、さ」

すっと右腕を挙げて、轟音。そして放たれた鋼鉄の砲弾が飛んでいた敵の艦載機を撃ち抜いた。

「はっ!?」

「別に砂る

狙い撃つ

から問題ない」

グッとサムズアップしてくる鈴谷だが、正直わけがわからない。まるで訳がわからんぞ...!?

「いや、お前....え?」

対空番長などと言われる摩耶だがそんな芸当とてもじゃないができない。同じ摩耶の誰もきっとできないだろう。

「いやー....、対空番長の摩耶ならできると思うけどさ、うちの提督となんか面白い一発芸ないかなー?って話してたらさ、主砲で対空狙撃、ってことになってさ」

どうしてあたしならできるだなんて思われているのか理解できない。理不尽だ...。

それにその発想に至るこいつとこいつの提督は頭がおかしいのではないだろうか。

「練習してたら出来るようになった」

「普通は練習してもできないけどな」

「......まあいいじゃん」

そっぽを向きやがった....。

「押し込めぇ!」

「落とせ落とせ!」

「突貫!」

いよいよだな....。

そろそろ、ぶつかる。多分、周りの連中もそれを悟っているからこそ今発破をかけてる。

できればぶつかるまでに飛んでるやつらを落としきりたいもんだが....多少は残るだろうな。

「摩耶、行くよー」

「Hey!摩耶、Go ahead!ネ!」

「あぁ...分かってるっての!」

出力を上げて勢いよく前に飛び出る。

右左と体を揺らして敵機に狙われにくいようにしながら、一気に前線へと向かう。

最前列には水雷戦隊と空母艦娘とその護衛郡しかいない。誰かが前に出てその娘らを守る必要があった。

そして、もうひとつ。

考えていたことを実行するにはそれ

前に出ること

が一番よかったというのもある。

「続けぇ!」

海にたつ白い航跡。

いくつものそれらが摩耶たちに続く。

前に出ること、すなわちそれは死に近づくということ。

前に出ること、すなわちそれは命懸けの戦場へと至ると言うことであった。

「すわっ!?」

ひょんな悲鳴が鈴谷の口から漏れる。だが彼女は止まらない。例え銃弾が頬を掠めても止まるわけにはいかない。

「チッ...」

ドッドッドッ、と音をたてて後ろに続く艦娘の対空機銃がその牙を突き立てる。一機二機と落としていく。

「無視しろ!気にしていたらキリがないぞ!」

「そうは言っても...」

気にしていては前に進めず、無視すれば多少の被害は免れられない。だから、彼女は悩んでしまったのだ。

そして、悩んで足を止めて

・・・・・

しまった。動かない的に攻撃を当てるのは容易いことである。黒い機体が彼女の上でナニかを落とし颯爽と去っていく。

「あっ...」

「避けろ!」

いざ、身の危険を感じると動けなくなる。

車に轢かれるときに直前に気づいてしまうと身体が硬直して大ケガをおいやすい、という話はご存知だろうか?彼女は、硬直していた。

ナニかは彼女目掛けて急降下していき

 

 

 

 

「はっはっ~ん。ピンチじゃん、鈴谷にお任せ!」

 

 

----当たる前に炸裂した。

 

 

 

「へ?」

「ほらほら!行くよー!」

器用にも後ろ向きになりながら摩耶を追走する鈴谷。

彼女の持つ手提げ型の主砲からは煙がスーっと一筋ほどたっている....。

「器用デスネー....」

「たいしたことないよ」

金剛の言葉にえへへ、と笑って答える彼女が何をしたのか。理解できた者はそう多くなかった。

「普通、振り替えりざまに爆弾の狙撃なんか無理デス」

「努力あるのみだよ」

「Good!努力は大事ネー」

そうして彼女たちは最前列へとたどりつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、しぶりん」

「なに?」

未央はいつも元気だ。私たちのデビューが決まって、初めてのライブがあって....、落ち込んで、私達が解散、というよりも引退しかけたなんて騒ぎもあったけれど、あれ以降、未央が暗くなる、なんてこともなく、アイドルとしての生活も謳歌してる。

レッスンにも常に積極的で、正直、どこからその元気が出てくるのかなって少し呆れてしまうくらいには元気。

「しぶりんってさ、実家が大宮島(グアム)なんでしょ?」

「うーん....家族はグアムにいるけど、元々はこっち(本土)の東京、つまりはここに住んでたよ」

「あれ?そうなんだ」

「まあ、ちっちゃい頃の話だからそんなに記憶はないけどね」

「へー」

いきなりどうしたんだろう?

これまでそんなに興味を持って家族のことを訊かれたこともなかったのだけれど....。

「あれあれ?二人とも、何のお話ですか?」

「卯月...、私の家族の話だよ」

「ああ、凛ちゃんの家族のお話ですか。え?でも..」

「大丈夫、私の家族は普通に生きてるよ」

このご時世、そして私の家族のいる場所、卯月は少し聞いていいことなのか心配に思ったのかも知れない。

でも大丈夫だ。私の家族はみんな普通に生きてる。

「なんかあったら、古賀さんたちが逃がしてくれる筈だし」

職権乱用....はしないはずだけど、古賀さんも、鳳翔さんも、民間人を巻き込むような人じゃない。

確かにあっちでは緊急時に民間人の協力が求められることもあるけど、そんな大したことじゃなくて、避難誘導や、緊急脱出設備の確認程度のものでしかない。

運用訓練もしたことがあるから、いざとなったら使うかもしれないけど...。

「そう、その『古賀さん』って誰なのかなぁ?ってさ」

「あっ、私も気になってました。よくむこうでの話をしてくれた時に出てくる名前でしたけど、誰なんだろう、っていつも...」

「誰って、言われても...」

誰なんだろう。というよりなんて答えればいいんだろうか。軍人さん、って答えるには少しあの人は軍人らしからぬ気がする。

「まさかとは思うけど...」

「凛ちゃんの...」

「「彼氏!?」」

「いや違うから」

「なーんだ」

「いたらいたでどうしようって感じですけど」

卯月のはまだしも、未央....なんて言いぐさ...

「近所のお兄さん、って感じかな」

間違ってないはず。

あの人は近所に住んでる昔からの知り合い。

小さい頃には遊んでもらったりした気もするけど....。あの人よりも鳳翔さんや龍田さん、飛龍さん、それに....

「で、イケメンですかな?」

「どうなんですか?凛ちゃん」

「さあ?」

どうなんだろう。

昔から接してるせいであんまりそういうことを意識したことはなかったのだけれど....。

「写真とかは?」

「持ってないよ」

持ってない訳がないけどね。

なんだかんだで付き合いは長いのから、ツーショットぐらいは何枚もある。けど見せたら見せたで.....

「あれ?凛ちゃんに料理教えてくれるのもその人でしたっけ?」

「違うよ、それはお姉さん」

「あ、そうでした」

どのくらいまで喋ってもいいのかな。

私が知っていることの中には機密情報とかもあるんだろうし、あの人たちが気にしなさ過ぎて気が付かないうちに結構コアな情報まで知っちゃったりしてるから。

「ねーねー、お姉さんはどんな人なの?古賀さんとの関係もあるの?」

なんて答えるべきなのかな....

「うーん....」

「あ!もしかして説明しにくかったりしますか?」

「まあね」

卯月がうまい具合に助け船を出してくれた。

このまま流せるかn--

「じゃあ!似てる人!似てる人教えてよ!」

未央....流せるって思ったのに

似てる人、似てる人かぁ。

鳳翔さんは優しそうな垂れ目なんだよね、少し垂れ目っていう程度だから、極端なほどではないけど。髪は青みががかっていて、身長はそんなに高くないかな。どれくらいだっけ。声まで優しげで.....

「あれ...?」

「どうしたの?」

「似ている人がいましたか?」

「美波?」

「「?」」

そうだ、美波だ。

美波の声にそっくりなんだ。

というか、全体的に鳳翔さんに美波がそっくりなんだ。

美波に鳳翔さんがそっくりなのかな?

あれ?...あれ?私が初めて美波に会ったとき....、そう、鳳翔さんに似てるって思った。

美波が頑張ってるとなんとなく鳳翔さんを思い出した。

あの優しげな垂れ目、どことなく感じ取れる上品さ。

耳障りのいい、ころころとした柔らか声。

身長は、美波の方が高い。多分5cmから10cmくらいは。

髪の色ももちろん違うものの、本当にそっくりだ。

でも、どうして

「こんなに雰囲気が似てるの...?」

なんでこれまで気がつきもしなかったの?結構鳳翔さんと美波は似てる....目の大きさとか、睫毛とか、全然違う部分もあるけど、なんとなく似ている雰囲気を持ってる。

「どういうこと?」

「凛ちゃん...?」

「大丈夫...?」

二人が凛を心配そうに見つめていた。

「う、うん、大丈夫。優しいお姉さんだよ。古賀さんと一緒に働いてる。誰に似てるとかはちょっと分からないかな」

嘘はついていない。全てを話す気には、全てどころかこれ以上はなぜか話す気にならなかった。

「へー?」

「にしても、いきなりどうしたの?」

「えっ?なにが?」

「いや、私の家族のこととか、古賀さんのこととか、これまでは聞いてこなかったのに急にだったから」

「あっ、えっと、ね?そ、そーそー、なーんとなく、なーんとなく気になったってか、聞きたくなったー、ってだけだから」

......絶対に嘘だ。

未央の目があからさまに泳いでいるし、卯月も目からハイライトを消してる。というか卯月のその誤魔化しかたはなんなの....。

「ふーん....まあ、いいけど」

「うん、うんうん!だから、気にしないでね?」

「わかった」

気にしておこう。

 

 

 

「プロデューサー、今週の土曜日から次の木曜日までの休みって結局大丈夫そう?」

「はい、渋谷さんが大分前に言ってくださったので入っていた仕事はほとんど処理しきれていますし、そこに仕事もいれていませんので」

「そっか、ありがとう」

アイドルとなってからも、たまにグアムへと帰省を繰り返す。というよりも、ある程度まとまった休日がとれれば帰省を繰り返している感じだった。

決して、ホームシックになっているという訳ではないのだが、顔を見に行かねば不安になるのだ。

「じゃあ、今日はあがるね」

「お疲れ様でした」

「お疲れ様」

元気にしてるかなぁ...お父さん、お母さん。

鳳翔さんに古賀さんも.....。

「あ、渋谷さん、少し待ってください」

「?」

「休日の予定ですが、グアムであってましたか?」

「....そうだけど、なにかまずかった?」

「いえ、そうではありませんが...」

なんとも煮え切らない言い方であった。

最近、少しずつではあるが前よりもピシッとしっかりと物事を言うようになったプロデューサーらしからぬ言い様であった。

「すいません、ただの確認でした。一応、担当のアイドルがどこに行っているのかぐらいは確認しておきたかったので」

ストーカー...ではない。決して。

姿が怪しくて警察に職務質問されたり、不審者と勘違いされたりもするが、下心など彼には以前からいっさらなかった。

そして、彼はいたって真面目であった。

「....少し、ストーカーっぽいよ?」

「......気を付けます」

「ま、私はそんなに気にしないからさ。お疲れ様でしたー」

「お疲れ様でした」

そう、プロデューサーと言葉を交わして帰ろうとすると他の少女たちからも声がかかる。

「えー!?凛ちゃんもう帰っちゃうのー?」

「今日はね。そろそろあっちに持ってくものの準備しないと」

「ねーねー!凜ちゃん、いつかみりあと莉嘉ちゃんも連れてってよー!」

「あっ、行きたい行きたい!ねぇ、いいでしょ?」

子どもは、元気だ....。少しばかり凛の口元がひきつって見える。

「それは、私は何も言えないかな」

彼女たちの親の意見もあるし、それぞれデビューしてしまったアイドルだ。仕事もある。

適当に日にちをあわせてはい休み、グアムまで行ってきます、という訳にはいかないのだ。

(とはいえ、あんまり連れていきたくないのも本音だけど)

「えー!?」

「なんでー!?」

「わっ、ちょっ」

若い二人のエネルギーは行動に現れた。

二人が飛びつき、凛はバランスを崩してしまう。

飛びついた二人が思わず

「あっ....」

と言葉を漏らすほどに彼女の身体は二人の少女ごと傾いていた。後ろに。

「凛ちゃん!」

だが彼女はためらわない。

躊躇わないし、頭の中で考えたことを実行できるぐらいの能力があった。

左足を引いて身体を支える....のは無理、だったら

凛はみりあと莉嘉を右腕で抱え込むと、身体を左にひねり、左半身から床に向かって倒れていく。

そして....,

 

 

 

パシィィ

 

という軽い乾いた音がシンデレラガールズの事務室に響いた。

「痛たたた....」

組体操の扇の端の格好と言って通じるのだろうか。

今の凛の格好はまさにそれであった。

左手を一直線に伸ばし、身体を支えている。

右腕ではみりあと莉嘉の二人を抱え込んでいるので随分と変則的で変わってはいるが...。

「まったく....」

「「...」」

とんでもない格好ではあるが、頭を打ち付けることも、背中を打ち付けることもなし。

左腕と足で三人分の体重をささえ、衝撃も上手く吸収している。

「きらりさんならまだしも、私じゃ二人が思いっきり抱きつくと支えきれないから。少し自重してね」

「「は、はい...。ごめんなさい」」

ちびっこ二人を床にゆっくりと下ろすと

よっ、っと声を漏らして、彼女は立ち上がる。

「凜ちゃん、大丈夫ですか?」

「卯月、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

「でも」

「見てたでしょ?頭も打ってないし、背中も売ってないよ」

でもでもぉ、と食い下がる彼女をあしらって、また明日、と部屋から出ていく。

寮の自室でさっさとグアム行きの用意をしてしまわねば、と。

「準備っていっても、着替えとかは全部家にあるんだけどね」

どうせ持っていくものは大したものではない。

Walk manやスマートフォン、そこそこのお金、グアム行きの航空チケット、なんかあったときのための裁定の道具。その程度でしかないのだ。

「あー...でも鈴谷に頼まれてたのあったっけ」

『凛ー、お願い。提督にはちょぉっと頼みにくいじゃん?ここだと買えないし、本土からの輸送を頼むにも記録残っちゃうから恥ずかしいし~...。お金はちゃんと後で払うからさ。』

なんだったかな。

なんか、色々細かい注文があった気がする。

あのときは面倒に感じてしまって、買いたいものをメモしといて、って言って書かせたままだったから...

「確認して買いにいかなきゃ...」

今更だけど、古賀さんにバレたり記録が残るのが恥ずかしいものって.....

「なんか怖いかな」

嫌な予感しかしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇプロデューサー、本当に言わなくていいの?」

「ええ。というよりもテレビ局、番組スタッフの方から知らせないで欲しい、と」

「そうは言ってもさぁ.....」

普通、こういうのは知らないふりをさせるんじゃないのかなぁ?こんな番組出たことないからなんとも言えないし、分からないけど。でも、これまでテレビとか見ててもなんとなく態とらしさを感じたし、やっぱり知らせてたんじゃないかなぁって思うんだけど。

「本田さんの心配も分からないでもありませんが、新番組の初回です。渋谷さんを切欠に本当に知らせないという流れを作ることもできるのではないか、というテレビ局側の意向と、もうひとつ」

「なになに?何があるの?」

莉嘉も不安を少々感じていた。

アイドルとしてクールで大人な凛の日常生活も、やはりクールで大人なのだが、やはり普段の生活の中では気を抜いている部分もある。

下手に弱点となるところを撮られてしまったりすれば、放送はされずとも妙な噂が流れて失脚に繋がりかねない。せっかくみんなで努力して築き上げた立場だ。

自然に引退するまでに、誰かの意思で妨害されるのは気に食わない。

二人だけではない。

「杏もさすがに教えた方がいいと思うな」

テーブルの下からにょきっと身体を出した人物からも声がかかる。

「うわっ!?居たの!?」

「.....酷いなぁ、杏はずっとここにいたよ」

「ごめーん気づかなかった」

「まあいいよ」

「双葉さん、この時間はレッs―――」

「『杏ちゃぁぁん、レッスンサボっちゃダメ~だよ~』」

外からの声で、本気を出さない少女に視線が突き刺さった。

 

 

 

 

 

――三週間前――

 

346プロダクションのアイドルたちの事務室には、備え付けの来客室がある。もちろん、シンデレラガールズの事務室にも用意されていた。

そこに座るのは、熊のような雰囲気で長身な男と、気の良さそうな朗らかな男である。

「新番組、ですか」

「ええ、番組名は『一般人、アイドル!』です。その初回を346プロダクションのシンデレラガールズの一人、渋谷凛さんにお願いしたいと思いまして」

「....」

普通に考えればいい話である。

全国ネットのテレビ局の新番組初回に新人アイドルが出られるなんてことは早々ない。

だから、受けるべきではあったのだが....

「なぜ、渋谷凛なのでしょうか」

美味しすぎる話であるがゆえに裏があるのでは?

と疑問を抱かずにはいられない。

「当プロダクションには、シンデレラガールズ以外にも多くのアイドルが所属しております。例えば高垣楓、渋谷凛よりも知名度は高いかと思いますし、そちらの方が視聴率もとれるのではないでしょうか?」

「いやぁ...。私らだってもちろん高垣さんや、城ヶ崎美嘉さん、彼女たちの方が視聴率はとれると思いますよ」

アマチュアじゃないですからね、とにこやかに告げる男から少し嫌味が感じられるが、熊のような男は動じない。

「でしたら--」

「頼みにくいんですよ。この仕事」

というか、あちらの担当プロデューサーに断られると思うんですよね~。

ならばこちらは断らないとでも思ったのだろうか。

いくら新人ばかりだからメディア露出が必要とはいえ、変な仕事を受けさせたりは--

「アイドルの日常を撮りたいんです」

「自然な日常です」

「普通の番組だったら、いついつからいついつまでカメラ回してます、とか」

「密着取材します、隣でカメラ回してますんでとか」

「日常生活を撮ろうとしてるのにそんなことしてるから態とらしさがあるじゃないですか」

「つまらないと思いませんか?」

「私はつまらない。つまらない。つまらない。つまらない、だからこそこの番組なんです」

「視聴者だって求めていると思います。アイドルの素顔を。偶像崇拝をするだけではなく、実像も眺めたい、と」

演説は、止まらない。

彼の舌車は拍車をかけていく。

「アイドルには、最初は一切知らせません」

「遠くから、近くから、こっそり撮影します」

「バレたらバレたで構いません。そこからは堂々と撮りますから」

「我々、スタッフだけではなく仲間のアイドルの皆さんにもホームビデオ感覚で撮ってもらいたい」

「番組は意地でもゴールデンタイムに捩じ込みます」

「アイドルが、アイドルとしてではなく、ただの人、一人の少年少女、青年、大人として過ごす姿を、撮らせてください」

「お願いします」

彼の言葉は、美しかった。

言葉使いが、ではない。

嘘偽りなく、本心を話しているのが感じられたのだ。

そして、それを実行したいという思いが、身体に突き刺さってきた。素直に下げられた頭に好感を覚えられた。

「頭を...」

「頭をお上げください」

果たして、この仕事を受けて利はあるのか。損となるのか。はたまたなにも変わらないのか、そんな勘定がプロデューサーの頭のなかで行われていく。

「確かに、こういった仕事、大物ともなれば受けにくいでしょう。それに、間違いなく嫌がります、アイドル本人も、プロデューサーも、プロダクションも」

失脚の恐れは誰にでもある。

だが、大物であればあるほど、その恐れが大きくなる。

だから高垣楓や城ヶ崎美嘉のプロデューサーたちは受けないだろうとなんとなく察した。

他プロダクションなら、765プロなんかはさらっと受けてしまう気もしたが。

「ですが、渋谷凛もこれから間違いなく羽ばたきます。今以上、間違いなくさらなる大舞台へ」

「私も、そう思っています」

頭を下げたままの男もそう返す。

彼にも彼なりの確信があってここに来ている。

ただ、受けてくれそうだから、というだけでなく将来性にも長けているからこその渋谷凛なのだ。

他のシンデレラガールズも素晴らしい素質の持ち主だから、誰でもよい、というのも嘘ではないのだが、渋谷凛なら間違いなく...

「彼女は弱味を見せることはないでしょう」

(後々のウィークポイントを作らない筈です)

----両者の意見が一致した。

「しかし何があるかはわかりません」

「なので、もしもこちらとして不都合があると感じた部分があった場合、放送しないでいただきたいです」

「もちろんです、私としても彼女のこれからを見たいですし、こんなところで潰れるには惜しいアイドルだと思います」

それに

「笑いとなるようなものならまだしも、アイドルたちの今後の芸能活動の足を引っ張るようなところを放送する番組なんて、誰も出演てくれなくなりますからね」

この番組の最初の数回が成功して、出演アイドルの人気や名を上げたともなれば、大物たちも引きずられるようにして出てくれるようになるだろう。

大物も出て当たり前の番組へ、番組も進化できるだろう。。

そして、大物たちが出演する番組の初回は未来の大物。

「彼女のためにも番組を、必ずや成功させてみせます」

「お願いします」

「こちらこそ」

 

 

 

「あった」

引き出しをがさごそとあさって出てきたのは鈴谷の頼みごとがこと細かく書かれているメモ。

小さなメモを折れめすらつけず、綺麗に保管しているあたりにも凛の真面目さが出ている。

「えっと、

『物品識別商標 強襲用興奮剤 いやぁ、ここじゃ売ってないし、そもそも一般的に売られている商品でもないから、容易には手に入れられないんだけれど、本土、特に東京なら案外あっさり手に入ったりするんだよね。海軍工廠科学研究科第三棟、薬学部購買で「検体を見つけた」って言ってね。そしたら「場所は?」って聞かれるから「鉄底海峡

アイアンボトムサウンド

だ」って答えると出してくれるから。じゃ、お願いねー』

 

...なにこれ」

合言葉が必要となる時点で怪しさが滲み出ている。

こんなものを買いにいかされるのか、と思うと彼女は思わず眉間を押さえていた。

「ん......あ、追伸がある」

『追伸 凛が買いに行ったことがばれると問題になっても怖いから、確りと変装すること!じゃないとマジでやばいから!

本来なら日本じゃ売れないような薬品

媚薬

だから見つからないように。上手く効いたら今度凛ちゃんにも貸してあげる』

 

 

 

「買いに行くのやめよう....」

渋谷凛はそう決断した。

きっと、おそらく、多分、彼女の判断に間違いはなかったことだろう。

 

 

 

 

 

--二週間前--

 

ちょっと出掛けてきます、と担当アイドルたちには声をかけ、1人別室にこもった彼は先日知り合ったばかりの男性との電話に勤しんでいた。

「はい、渋谷の帰省を撮影するということになります」

『ええ、むしろありがたいですね。渋谷さん本人には悪いですが、私からしたら初回から美味しい展開です』

「そうですか」

『ええ、それとですが、撮影や聞き込みとして向かうアイドルはどの方を出していただけますか?』

「それは、本田と島村、新田、アナスタシアを考えていますが、どうでしょうか?」

『.....私の思考読んでます?』

電話相手の言葉を理解しかね、トントン拍子ですすんでいた会話がふと止まる。

「...,それは、どういう意味でしょうか?」

『いえ、このメンバーだといいなぁ、と私が思っていたメンバー通りでしたので』

「そうでしたか」

プロデューサー、彼にも考えはあった。

渋谷凛はニュージェネレーションズというグループの一員であり、彼女により近づき安いのは同じグループのメンバーだろうと、そしてせっかくのメディア露出なのだからグループ単位で出た方が良いだろうと言う考えから本田未央と島村卯月を。

ニュージェネレーションズもシンデレラガールズの一角であり、シンデレラガールズ自体をまとめる新田美波と彼女の相方であるアナスタシア、つまりはラブライカの二人をまとめてメディアへと出す。現時点でラブライカは一歩リードしているので視聴率を取るという役割を担うことにもなる。そして、本田未央と島村卯月が暴走したときのストッパー役というのも期待していた。

「彼女たちなら、上手くやってくれると思います」

『ええ』

にこやかにな声が

『私もそう思います』

--出演者を決定した。

 

 

 

 

 

「みなさんに集まってもらった理由ですが」

熊のような男性は席につい四人を見る。

「今度EASTテレビの『一般人、アイドル!』という新番組の初回ゲストとして出ていただきます。その打ち合わせです」

ラブライカとニュージェネレーションズ。

シンデレラガールズプロジェクトの現時点での1,2である面々が揃っている.....ようで揃っていない。

「ねぇ、プロデューサー。なんで凛ちゃんはいないの?この顔触れだと『ラブライカ』と『ニュージェネレーションズ』ってことだよね?」

「そうですよね、私も気になってました。どういうことですか?プロデューサーさん」

案の定、とでも言うべきか。

ハブられた格好となった凛はどういうことか?と尋ねる声がかかる。彼はこの質問が出たことを嬉しくも思っていた。彼女らは競争するだけでなく、お互いを気遣い、心配できる仲間であること。

「お二人のご指摘通り、出演ゲストは『ラブライカ』と『ニュージェネレーションズ』です。間違いはありません、でs」

「えっ?じゃあなんで凛ちゃんはここに」

「ウヅキ、подождите

パダディジーチェ

....少し、待ってください、プロデューサー、まだなにか言いかけ、でした」

「あっ、ごめんなさい」

いいチームが出来上がっている。

仲間を気遣う思いは誰も忘れていないし、ストッパーにまわる余裕も誰かが持てている。

周囲を見ることも、近くを見ることもよくできるだろう。

「では、続けます。今回の番組のコンセプトはアイドルの素顔に迫るというものです。よくありがちな話ではありますが、本当に知らせないで、こっそりと撮影していきます。そして、初回のそのアイドルが渋谷さんだということです」

「えっ?それ大丈夫なんですか?」

「大丈夫でしょう。渋谷さんならば、尚更」

あぁ...と、四人からも音が漏れる。

なんとなく、理由はないのだが納得できてしまった、

「撮影は番組はスタッフだけでなく、みなさんにも参加いただき、普段の顔も撮っていただきます。また、彼女の関係者へのアプローチをしますが、それもみなさんに行っていただきます」

「えっと、凛ちゃんの素顔を撮るって、結構難易度高いって思うんですけど....」

寮住まいである彼女のもとに寮住まいではない彼女らが突然訪ねようものなら一瞬で察せられる可能性もある。そんなことできるはずもないのだが、なぜか出来てしまう気もするから恐ろしい。

「風は、追い風です。撮影期間は二週間後~三週間後まで、一週間あります。そしてその中で」

「凛ちゃんの休暇申請....?」

「許可、既におりてますよね?」

「えっと、凛ちゃんは四日ぐらい休暇があると」

「いつも、グアム、です」

「「「「まさか!?」」」」

「そのまさかです。彼女の実家帰省を狙います」

バンッと机が音をたて、垂れ目な彼女が明らかな怒気を纏う。珍しい光景でもあり、彼としては非常に嬉しい光景であった。

「どういうつもりですか!凛ちゃんの休日に知らないうちに仕事を放り込むなんて」

「非常識さは把握しているつもりです」

「してるなら何故!」

「ハイリターンです。確かにリスクも高いですし、彼女の信頼に背く形にもなるかもしれません。ですが、私はこの番組がみなさんの翼に成ってくれることを確信しています」

だからといって、認められるものではないし、誉められた行動、判断ではないことも理解はしている。だがここで手を打つことは悪手にはならないはずだ。

この話を持ちかけてきた男はこう言った

『笑いとなるようなものならまだしも、アイドルたちの今後の芸能活動の足を引っ張るようなところを放送する番組なんて、誰も出演てくれなくなりますからね』

 

ただ、こちらのことを立てることだけを述べる相手など信用できない。だが彼は自分たちの利益も明確に提示した。だから、信用はできるのだ。

渋谷凛にこの番組で悪評はたたない。

たつとしたら今後の彼女の行い、他人からの悪意によるものだ。

「先方は信用のできる方です。彼女の不利益にはなりません」

「ここは、どうにか信じてもらえないでしょうか」

先方がやったのと同じように、心のそこから彼も頭を下げる。博打のようなものかもしれない。やってはならないのかもしれない。

だが、ここで一世一代の勝負にでても悪くないと感じていた。

「やりま、しょう...。ミナミ、ミオ、ウヅキ、プロデューサーを、信じてみましょう」

「けど...」

「リンなら、Да ладно, всё будет в порядке.えと、大丈夫、心配ない、です」

「渋谷さんの休日は、また後程取ります。今回の休暇申請は休日返上して仕事をしていた、という風にカウントさせますので」

「心配はそこじゃなくてさ...、凛の私生活、映して大丈夫なの?」

怒るよね、きっと。それに、悲しむと思う。と明るい彼女もぼやく。

「――ですから、みなさんに積極的に撮影に参加していただきたいのです。みなさんなら、ここまでは大丈夫、ここから先はいけない、という線引きもしやすいと思います。ある程度は番組側の意向にも従う必要がありますが、みなさんが自由にやっていいのです。みなさんの手で、渋谷さんを守り、紹介して、そして、彼女とみなさん自身を輝かせてください」

この日、四人の少女のカレンダーには新たな仕事が書き込まれた。

仲間の実家までロケ、と。

 

 

それから、彼女たちは時折ハンドカメラを持ち歩くようになった。いつだったか、シンデレラガールズの紹介PVを撮った時のように出歩いては、一人のシンデレラの生活の姿を撮る。

--お弁当を食べているとき

「凛ちゃんっていつも自炊なんですか?」

「うん、そうだよ。自炊した方が安いし美味しいから」

「へー....あれ?みくちゃんは」

「買ってるよ、たまにお裾分けにいくけど、リーナとかぶる時とかあるから、しばらく持つものにしてる」

そう言いながら、カボチャの煮付けを口に運んでいく。

彼女のお弁当は色彩鮮やかで、いい香りを発していて食欲を誘う。

おかげで、卯月は持ち込んだお弁当以外にも少し買ってしまうこともあり、それが原因と思われる体重増加に悩まされていたりもする。

「凛ちゃん....いいですか?」

一口、一口だけ!と懇願してしまったりも....

「まあ、いいけど」

凛は箸をふらふらと漂わせてから、適当に大根を掴み、

「はい」

卯月の方へと差し出してみる。

いわば、あーん、の格好だ。

「あ、あーん」

大根を噛めば染み込んだ出汁の味が適度に出てくる。

決して濃くはない味付け。されど、冷えたお弁当でも美味しいようにすこし濃くされているのがわかる。

歯ごたえがないわけではないが、噛めば、繊維が裂けるように簡単に砕けていく大根。

煮しめとはシンプルだからこそ難しい。

いや、簡単にでありながら難しいとでも言うべきか。

誰にでも作れるからこそ、極めやすく。

誰にでも作れるからこそ、各々の個性が現れる。

そして、味の優劣もつけやすい。

「ん~~!やっぱり凛ちゃんの作るおかずは美味しいです!

「そうかな?」

--まだまだなんだけど、

「ありがとう」

 

実家を離れ寮やアパートで暮らす学生、独身生活を満喫する社会人、家族のために台所に立つ者、はたまた自慢の腕をふるって生計をたてるもの。

料理をするのは多種多様な人々だ。

だが、料理をしなれている人にとっても毎日料理をするのは意外と大変だ。実に重労働だ。

めんどくさいなぁ.....なんてよく感じる。

台所に立つだけで憂鬱だったりする。

外食をするのはその場は楽だけれども後々食費がかさみ、自分の身を苦しめる。

そんな彼らのために、ここ居酒屋『鳳翔』は月一で簡単な料理講座を開いてるのだった。

「さて、今日は本当に簡単なお料理を紹介しますね」

まあ、料理なんて呼ぶのも烏滸がましいんですけどね、と心のなかで鳳翔は付け加える。

「「「はいっ!」」」

厨房に立つ鳳翔の手元を見るために、ズラリと並んだ学生や大人たち、中には居酒屋『鳳翔』の常連客も混ざっている。

「いくつか紹介しますけど、まず最初は、本当に簡単な物ですよ」

そう言いながら彼女は青々としたキャベツを手にする。今朝取れ立てのそれは水分をしっかりと含んでくれているだろう。

「こちらのキャベツを普通に水洗いします」

肘で掠めるようにしてハンドルを上げ出てきた水で、本当に軽くキャベツを洗い流す。

勿論外側の要らない葉を数枚剥ぐのも忘れない。

とりすぎても無駄だし、とらなすぎても見栄えが良くない。ここら辺は慣れの問題になってくる。きっと毎日料理をしている人にはよくわかるだろう。

「殺虫剤などが気になるときはしっかりと洗い流してあげてくださいね?」

じゃないと健康によくありませんから。口にしなくても伝わることまではわざわざ言わない。

鳳翔がキャベツを置いて次に取り出したのは、ガラスのボウルだった。いや、ボウルといってもサッカーボールや野球ボールのような物とは違うが。

「では、次に先ほどのキャベツを手でちぎっていきたいと思います」

「えっ?」

誰かが声をあげる。

「あの、さっき洗ったキャベツ、すごい濡れてますけど、いいんですか?」

あら?しっかりと見てますね。

若い学生さんだからこその視点でしょうか?

「いい質問ですよ?」

「あ、ありがとうございます」

「今回は濡れていて構いませんよ。むしろそちらのほうが都合がいいんです」

バリパリと音をたてながら鳳翔はキャベツをちぎっていく。

「ちぎったのは全部ガラスのボウルに入れちゃってください。もし、ご家庭にガラスのボウルがなかったら大きめのどんぶり茶碗なんかでも構いません」

カキカキカキカキ..,.,

何人かがメモをとる。

「あの、アルミのボウルとかでもいいんですか?」

「そうですね......あまり金属製のボウルはよくないです。危険なので控えてください」

危険!?

ワッと場が湧く。

金属製のボウルだと危険とはなんかのか、察しがいい何人は気づいたようだが...多くの人は驚いたようだ。

今回は本当にいい質問が飛び出ますね、そろそろ私もお役ごめんでしょうか?

「後程わかりますよ、一つずつ進めていきましょう」

キャベツの葉は一口サイズよりも少し大きめを意識しつつ、全てちぎってしまった。ガラスのボウルにはもっさりと言う擬音が似合いそうなほど、キャベツの葉が山積みになっている。

「本当にこの料理はすることが特にありません。後はこのキャベツを入れたボウルにラップで蓋をして電子レンジでチンしてあげましょう。目安としては、キャベツ一玉五分から十分です」

「これで、キャベツの温野菜が出来ちゃいます。キャベツにゴマドレッシングをかけたり、味ぽんや、醤油、その他にも皆さんのお好みのドレッシングをかけて食べてください」

「出来立ての温かいのも美味しいですけど、冷蔵庫なんかで冷やした物も美味しいです。朝作っておいて、1日分のおかずとして活用してくださいね」

え?もう終わり?と言った声がちらほらと上がるが、これで本当に終わりだ。一般的な電子レンジで作る温野菜といたって同じ製法だが、キャベツでやると楽なのだ。

ニンジンなんかのように皮を剥く必要はないし、カボチャのように細かくするのが大変なものでもない。

いろんなドレッシングに合うため様々な味で楽しむことができる。

「あのー、水がびしゃびしゃしたままにした意味って、キャベツを蒸すためですか?」

「ええ、そうです。勿論キャベツ自体にも水分は沢山含まれていますが、キャベツの含む水分を使いすぎては今度はキャベツがしなれてしまいますよね。だから、多すぎない程度の水を残したまま電子レンジでチンしてあげます」

ちらり、と時計を見ると案の定とでも言うべきか...

始まってからまだ数分しか経っていない。

折角ですし他にも色々紹介しておきましょうか。

変化する料理の方がいいですよね...、バリエーションが多く見えるほうがみなさんにとっても、食べる側の人にとっても楽しいでしょうし。

「南蛮漬けにしましょうか」

「待って、鳳翔さん」

あら?凛ちゃん....

 

 

 

 

 

 

 

そっか、電子レンジで簡単にキャベツの温野菜....。

これなら他の料理をしながらでも簡単に作れちゃうのか。生活の知恵、というよりも長年の経験からくるのもあるのかな....。

やっぱり鳳翔さんは凄いなぁ....。

あ、でもキャベツの『温野菜』ができるってことは他の野菜でも出来るのかな?

「南蛮漬けにしましょうか」

え?もう次の料理に入るの?普段だったらここで試食とか私たち生徒が作ったりとか....あ、電子レンジでチンするだけだからやらないのか。

「待って、鳳翔さん」

私が鳳翔さんに声をかけると周りのおばさま方や、学生さんがこっちをちらりと見てきた。嫌な感じのする視線・・・。

「あの、キャベツの温野菜と他の温野菜での違いってあるんですか?」

でも、こういった視線にも少し慣れてきた。

そこそこメディアにも出るようになってきたし、学校でだってみんなから変な視線、何かを含んだ視線を向けられたりもするし・・・。

「そうですね・・・、凛ちゃん、いい質問ですよ」

じゃあ少しだけ解説しますね、といった言葉とともに鳳翔さんはガサゴソと何か袋をあさりだした。

 

 

 

 

 

 

なんで普通の色んな種類ごったな温野菜ではなくてキャベツの温野菜なのか・・・・。

それは鳳翔なりの考えあっての事であって、なんとなく教えたわけではない。

まあ、大した理由でもないのだが・・・・。

「じゃあ、例えばこの人参で温野菜を作るとしましょうか」

彼女が取り出したのは根菜の一種である人参。意外とこれが嫌いな人もいるんじゃないだろうか?まあ、朱色で色鮮やかであることからサラダなんかの色付けや、多種多様の料理にわたって利用されているが・・・・。

「人参って普段料理をなさっている方ならわかると思いますけど結構火が通り難いですよね。ちゃんと火を通したつもりでも芯が残っちゃったり・・・なんてこと経験ありませんか?」

実はいうと私もそんな経験あるんです、なんて首を少し傾け微笑みながら彼女はそう話す。

「温野菜っていろんな野菜をごった返しにしてやるときってすべてにちゃんと火が通るようにすることを考えなきゃいけないじゃないですか。でも、それって大変ですよね」

食してみたらやたらブロッコリーはふやけてて人参は少し固い。

もやしなんかは本当に一瞬で出来てしまうけどじゃがいもも人参と同じでなかなかの曲者。

じゃあ、今度はすべてが同時に火が入るようにしてやることを考える。

人参は小さく薄くカット、短冊切りにする。

じゃがいもは一口サイズ程度の大きさに切る。

なんてことをするのはなかなか手間だし、忙しい時にはすごくウザったく感じられる作業だ。最近では冷凍物の温野菜なんかも売っていて、そのままレンジで温めれば食べられるものもあるのだが、毎日毎日それを使用するとなるとなかなか高価だ・・・。

「だから、そんな面倒な作業をしなくてよくて、すぐに火の通ってくれるキャベツは忙しい時にはとてもありがたい食材なんですよ」

 


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