龍田 天龍型のかわいい方。
(公設料理屋)居酒屋『鳳翔』
「提督、そろそろ起きていただけませんか?」
「んー....あと一時間」
「そんなに寝ていたらお店開いちゃいますよ?」
「......いいんじゃない?」
「ダメですよ、ほら、シャキッとしてください」
温かみを感じることのできる落ち着いた室内。
檜のカウンターに、一人の男が伸びていた。
というよりも、寝ている。
「もう、そんなんだから威厳もでないんですよ」
「威厳なんていらんよ、みんなが自由にやってる方がいいさ」
「はぁ.....まったく」
そんな男に世話を焼かせられる若い女性。
淡くすすけた暖色系の和服に身を包み、後ろに纏めた髪をゆらりゆらりと揺らしている。
「鳳翔なら、別に俺が寝てても大丈夫でしょ?」
どうやら、『鳳翔』という名前らしい。
女性の名前としても、名字としても随分と珍しい名前ではないだろうか?
「今日は私だけじゃなくて龍田ちゃんも来るんです、怒られちゃいますよ?」
龍田、その名前が出た瞬間に、男の顔が『ゲッ』という感じで歪んだ。そこからの行動は素早い、先ほどまでまるでガムのように『べたぁ...』と机にくっついていた人物の行動とは思えないほど素早かった...。
「さてさて、仕事しようか」
「はい、頑張りましょうね」
余程苦手らしい....
「鳳翔の女将!今日のオススメは!?」
店内に響渡る若い男の声。
彼はからからからと音をたてる昔ながらの引戸を開けると同時に叫んでいた。
ここは艦娘と提督が経営する居酒屋、居酒屋『鳳翔』だ。
居酒屋といっても、お酒やそれに付随する一品物がメインというわけではなく、普通の大衆料理屋みたいなものなのだが、店側の気分で居酒屋とつけているらしい。
「あら、宮原少佐」
「いらっしゃいませぇ」
「ゲッ、龍田さん」
宮原少佐と呼ばれた年若い彼は鳳翔ではない女性の声に悲鳴を漏らす。
しかしそれは最悪の悪手だ。
「.......その『ゲッ』ってどう意味かしらぁ~?」
ほら見たことか、龍田という女性が妖しい笑みを浮かべながら、カウンターから入口の彼を見る。
背筋に寒気が....。
「いや、その、なんと言いますか....」
「ふふっ?なにかしら~?」
ドSだ。というか鬼だ。さらに言うならば龍田だ。
「提督?何を考えているのかしら~?」
「いや?特になにも」
相変わらずの怖さだ。口に出してすらいないこっちの思考を読んでるよ。
「龍田その辺にしてやれ、宮原が可哀想だ」
「そうねぇ、うふふふ~」
ゾクリ、と背筋に冷たいものが通る笑い声をあげながら彼女は手元の作業へと戻る。
客数が今はまだ少ないからいいが、増えてくるとちょっとした作業の時間も惜しくなってくる。だからこそ、今のうちに用意できるものはしてしまおうという魂胆なのである。
「あ、相変わらず古賀さんところの龍田さんって怖いですね....」
「まあな」
それなりの付き合いがあるから多少慣れたとはいえ、この妖艶な女性に恐怖を感じることは少なくない。単に怖いというのではなく、彼女に睨まれると身体が芯から冷える感覚を味わう羽目になる。今のように冗談半分の時はいいのだが、本気で怒っているときには...。そうはいっても根は優しい女性であり、下手なことをしなければ優しい彼女の一面を見ることもできる。
「先ほど宮原少佐がお訊きになった今日のオススメですが、龍田ちゃんが居ますし、龍田揚げ定食ですね」
いつの間にかカウンター席に座っていた宮原に鳳翔はオススメを告げる。
「あ、えっとじゃあ今日は龍田揚げ定食・軍人盛りと......、いえ、やっぱりそれだけで」
「珍しいな、宮原。今日は呑まんのか?」
いつもは呑んでいく宮原が呑まないのはかなり珍しい。これまで此処によって呑まなかった日はないというのに。
「えぇ...まあ、ちょっとありましてね」
彼はそう憎々しげに呟くと、俯いてしまった。
何かのいざこざだろうか?
酒が入っても文句なしの酒豪である彼が前後不覚になるほど酔ったところを見たことがなかったのだが、酒に絡む問題だとすれば彼らしくないことだ。心のそこからそう思った。
「龍田揚げ定食・軍人盛り入りました!龍田ちゃん、お願いね?」
「はぁい」
鳳翔のキリッとした声と龍田の間延びした声。
そして調理が始まったことがわかるカラカラという金属のぶつかり合う音。
ここから彼女達の戦場だ。
酒屋『鳳翔』のプライド、というよりは鳳翔自身の意地として、作りおきはしない。
その場で作ると言うものがある。
だから、お客様を待たせないように、素早く手際よく美味しい食べ物を出すために、無駄な動作は省いている。
流石にご飯は炊いてあったり、カレーなど長時間の調理時間を要するもの、下味が肝心なものは作ってあったり、味付けがすませてあったりするが...。
それはともかく、早くよそってしまって龍田揚げが盛り付けられる頃には冷えていたなんてお話にならない。
ご飯をよそるタイミングも大事だ。
こればっかしはどうしようもなく、事前に特性タレに着けてある鶏肉を再度しっかりと深くタレにくぐらせて片栗粉をまぶす。
ここで、小話を挟もう。
『龍田揚げ』だが、どうして、龍田と言うかご存知だろうか?もちろんのごとく、諸説はあるのだが、その内の一つとして大日本帝国海軍天龍型軽巡洋艦二番艦龍田にて作られたのが始まり、という説がある。
さて龍田の手元に戻ろうか。
先ほど片栗粉をまぶした鶏肉をさっと煮えたぎる油の中へと通した。
揚がるまでの僅かな時間も無駄にしない。
椎茸を包丁でその柔らかい身に少しの切れ目を入れた。彼女はそこでチラリと油に浮かぶ鶏肉を見た。まだらしい。
そのまま先ほど鶏肉にしたのと同じように椎茸を特性のタレにくぐらせ、染み込ませる。先ほど入れたばかりの切れ目からもよくタレが染み込んでいく。
...1、2、3。
パッと箸の先に掴んだ椎茸を持ち上げ、片栗粉をまぶす。おや、まだまぶす作業の途中なのにやめてしまった...。
そう、音が変わってきたからまぶす作業をやめたのだ。はたしてなんの音か?
鶏肉の揚がる音だ。彼女は作業をしながらもずっと油の音を聴いていた、油の音で大体の状態を把握しつつ、チラリと流し目で鶏肉の現状を把握してどのタイミングで引き揚げるかを見計らっていた。
そして『用意されていた』水菜の葉先の盛られた白い器に盛り付けていく。
そう、用意されていたのだ。忘れていた方もいるだろうか?ここにいるのは彼女だけではなく、鳳翔もいるのだ。鳳翔が付け合わせとなる漬物や、水菜、味噌汁等を手際よく準備していたのだ。
龍田だがこれで終わり、ではなく、まぶしかけの椎茸に再び取りかかり、これまた先程と同じように煮だつ油の中へといれた。
しかし...どういうことだろうか?
衣が黄金色に成ると直ぐに揚げてしまった。
先程の鶏肉は黄金色になっても少し油のなかのままだったのだが....。
答えは簡単なものだ。
この椎茸、軽くではあるが茹でてあるのだ。
いつの間に?と思うかもしれない。
これもまた鳳翔の支えによるものだ。
阿吽の呼吸でお互いのサポートをする彼女達は、何気ないように動きつつも相手の次の行動を読んで、相手の手間を減らしている。
「相変わらず、すごいっすね...」
「鳳翔と龍田だからなぁ 」
宮原少佐も思わずと言った感じで感嘆の声をあげる。
たびたひだ見ているはずの彼でもこの感想だ。それにたいして男も嬉しそうに、そして誇らしげに答えている。
「ふふ、ありがとうございます」
柔らかい鳳翔の微笑み、お母さん
お艦
などと言われるのもこれが所以かもしれない。
彼らが無駄話を続ける間にも龍田の手は止まらない。
椎茸を先程の皿に盛り付け、鳳翔からよそられたご飯を受け取り、御膳に載せる。
出来上がりだ。
「お待たせいたしました~、『龍田揚げ定食・軍人盛り』です」
ゴトリ、と音をならして一般的な定食の三倍くらいはありそうな盆が置かれる。がわが大きいだけでなく、当然盛られている量も並みではない。
それにしても今日もいい出来のようだ。美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。匂いで誘われる食欲のせいで少しなにか口に入れたくもなるが、残念ながら古賀は勤務中である。今何か食べ出せば間違いなく酒にも手が出るので少々我慢しなくてはならない。いくら早々酔わないとはいっても勤務中の飲酒はあってはならないことである。まあ、彼が酒を飲まなければいいだけの話なのだが....。
「いただきます」
そう言い、早速竜田揚げを口に放り込む。
-じゅわっ- と肉の脂が溢れだす。
衣に染みた油
雑味
ではなく、肉の脂
旨味
だ。決して濃すぎず、薄すぎず、嫌味を感じさせないそれ。宮原の口のなかで旨味が泳ぎだす。何度食べてもこれには慣れることも、飽きることもない。
「旨いっすねぇ...、うちの子達もこれぐらい料理上手だったらなぁ」
「練習すれば上手くなるもんさ、お前んとこのは磯風とか比叡じゃなかったはずだろ?」
「ええ...うちのはそういった料理が壊滅した子じゃないんですけど」
それでもこれはうらやましいです。という言葉を宮原はぐっと飲み込んだ。本来なら調理は艦娘がする仕事ではないのだ。自分の分も作ってもらっているだけでもかなりの幸運である。艦娘を抱えた提督は自炊や、食堂、近場の食事処を利用することが多い。艦娘たちの食事事情もだいたい同じようなものだ。
そして黙々と進む食事、流石は若い軍人男とでも言うべきか、丘のようになっていた竜田揚げは氷が溶けるように無くなっていく。竜田揚げだけを先に食べているならまだしも、他の味噌汁や付け合わせの漬物などにも手をつけながらであるから大したものだろう。
そして最後の一つ。ご飯を一口放り込み、宮原の夕食は終わる。
「ごちそうでした」
両手をあわせ、きっちりと頭を下げる。
彼は決して厳格な人間ではなく不真面目な人間だが、こういうことをしっかりとするから誰にも愛される。
「お粗末様でした」
微笑みそう声をかけるのは鳳翔。いい食べっぷりを見させられて少々嬉しそうである。
「それじゃ...」
と立ち上がり、カウンターに懐から出した夏目漱石
1000円札
を置く。
「はい、確かにちょうだいしました」
また来ますと一言だけ言うと彼は店内から出ていった。
ここは居酒屋『鳳翔』。
艦娘とその提督が営む、人類が制海権を失った今となっては比較的安価でたくさん食べれる下町風味の公設食事処である。