銀子ちゃんを可愛い可愛い×5するだけの話(+短編集) 作:銀推し
「で? なんの話?」
そう尋ねる私を前にして、八一は先程からずっと硬い表情をしている。
こうしてベランダに出る前から、その表情を見た時から私はもう嫌な予感がしていた。
これはきっと、楽しい話ではないわね。
あんまり聞きたくはないけど、しかし聞かない訳にもいかない。きっとそんな類の話だろう。
「──ごめんなさいっ!」
そして案の定、八一は謝罪の一声と共に土下座の体勢へと移行した。
ほらね、言った通りでしょ?
八一は私に謝るのが目的だったようだ。まったくこのバカ、何をやらかしたんだか。
……と、私はそんな軽い気分でいたから、ろくに身構えぬまま次の言葉を聞く羽目になった。
「銀子ちゃん、俺は、俺は……! 俺は浮気をしてしまいましたっ!!」
……え?
……うわ、き? ……って、なに?
「……ほう?」
そう相槌を返せたのが奇跡だったと思う。
謝罪を受ける立場として、ここは毅然とした態度を貫いていたかった。
けれど駄目だ。身体に力が入らない。
目の前がふっと真っ白になって、膝から崩れ落ちそうになってしまう。
まって。おねがい。止めて。
だって、浮気なんて、そんな。
ここで八一に「他に好きな人が出来たから別れて欲しい」なんて言われたら、私、もう──
「俺、銀子ちゃんと浮気をしてしまったんです!」
銀子ちゃん?
なにそれ。一体どこの女よ。浮気相手なのにすでにちゃん付けだなんて生意気な。
……ってあれ?
銀子ちゃんって私の名前じゃなかったっけ?
私と浮気? なにそれどういう事? もしかしてそもそも私が本命じゃないとか──
……って、あ。
「……それ、どの銀子の話?」
「……じぇ、JC銀子ちゃんです」
……あぁ、その銀子、か。……なんだ。
気が抜けた。力が抜けた。八一が土下座したまま顔を上げないのを良い事に、私はベランダの柵にぐったりと寄りかかってしまう。
なぁんだ、そういう事かぁ……そうならそうと早く言ってよね、もう……良かったぁ……。
……いや良くはないわね。良くはない。うん、決して良くはないんだけど……。
……でも、良かった。八一の浮気相手が別の銀子だというのは不幸中の幸いだ。
だってそれなら八一の気持ちは、八一の想いは「空銀子」から動いてないって事でしょ?
ここで例えば小童とか黒い小童とか、何処ぞの山城桜花とかその辺の名前が出てきた場合、私は意識を保っていられる自信が無かった。失神して倒れていたと思う。
けど……。
「……なるほど。お相手は中学生の私、ねぇ」
「はい……」
「……ふぅん」
そうかそうか、JC銀子か、やっぱりあの子か。
実のところ、私も前々からあの子はマズいんじゃないかな~……とは思っていた。
JCは他の銀子達と比べても危険度MAXだ。なんて事を以前に考えたりしたけど、どうやらその読みは大当たりだったようだ。別にこんな読みが冴えていた所で嬉しくはないんだけど。
「それで? 浮気というからにはそれなりの事をしたんでしょうけど……一体何をしたの?」
「……その」
少しの躊躇の後、八一は言った。
「……き、キス、を」
「……ほう」
……キス、か。なるほどそれで浮気か。
こやつ、私という恋人がいるにもかかわらず、JCとキスをしおったのか。
私以外の人間の唇に、八一の唇が重なったと……そーかそーか、なるほどなるほど?
……うん。率直に言ってイラっとくるわね。
胸の内からグツグツしたものが湧いてくる、ドス黒い何かが溜まっていくような感じがする。
ていうかなに? やっぱりあれなの? こいつってロリコンなの? 空銀子は若ければ若い方が良いとでも言いたいの? そういう事なのねぶちころすぞホンマに?
「八一」
「は、はい!」
「一応聞いておいてあげるけど……その件について何か弁明の余地はあるの?」
「……ええと、ですね……弁明と言うか、あの、言い訳にもならないような事なのですが……」
「はっきり言え」
「はいっ! はっきり言います! えーつまりですね、浮気をしてしまったのは確かなのですが、ただその、なんと言いますか、一応どんな成り行きだったのかを説明しますとですね……」
はっきり言う気あんのかこいつ?
と思わせる程にあーだこーだと要領を得ない八一の説明を聞く所によると──
どうやらそれはつい先程の事。JC銀子は私の制服を着て八一の前に現れたらしい。
それで目の前に居る相手を高校生の空銀子だと勘違いしてしまった八一は、JC銀子からねだられるままにキスしてしまったという事だそうだ。
要約すればこんな簡単な話なのに、八一はこの話をするのにぐだぐだと5分以上も掛けていた。
「……つまり、あんたはこの私と中学生の私を見間違えたって事よね」
「……はい。その通りです」
相変わらずの土下座で顔も上げないまま、八一は項垂れるように答える。
「普通中学生と高校生を見間違えるかしら。あんたの目玉は飾りか何かなの?」
「返す言葉もございません……」
八一の声は随分と弱々しくて、その声を聞くだけで深く反省している事が良く分かる。
たとえここで私から何を言われても、どのような制裁を課されたとしても全てを受け入れる。きっと八一はそんな覚悟をしているんだろう。
……ただ、そんな八一の覚悟とは裏腹に、私の心中は大きく揺らいできていて……。
……う~ん、難しい局面ね、これは……。
これ……これって私は叱るべき? やっぱり八一を叱った方が良いのかな? どうなの?
そりゃあ恋人に浮気をされたというなら、一も二もなく当然そうすべきだろうと私も思う。
けれど話を聞く限りだと、この一件は不可抗力の面もある、八一だけに非がある訳じゃないような気がするし……なんて事を考えてしまう。
ていうかね? これは例えば他の女性との不可抗力だったら、それなら不可抗力であろうとも私は多分キレていると思う。
怒りのままに八一の事を八つ裂きにしている……とは思うんだけど。
でも、今回の一件は……この私と、高校生の私と中学生の私を見間違えたって事でしょ?
だとすると八一は、この私にキスをするつもりでJCとしちゃったっていう事な訳で……。
そ、れは……なんていうか、そう考えるとちょっと怒り辛いっていうか……。
「……私から『キスして?』って求められて……それで言われるがままにキスしちゃったんだ?」
「……はい。そうです。あの時の俺は目の前に居る銀子ちゃんの存在に疑問を抱く事すらありませんでした。ただ銀子ちゃんとキスがしたい、それだけしか考えられなかったんです」
……ん、んんー?
「……でも、相手は中学生だったのよね?」
「はい。けど俺がそれに気付いたのはキスし終わった後の事で……キスしている最中はもう銀子ちゃんの唇に夢中で、銀子ちゃんの事だけしか考えられなくなっていたんです……っ!」
ん、んんんー!?
そ、そんなに!? そんなになの!?
八一ってば、やいちってばそんなに私の事が好きなの? もぅ……ばか♡
……いや、ばか♡ じゃないわね。浮かれている場合じゃないでしょ私のバカ。
ここは恋人として、そして姉弟子として、八一にビシッと強く言わなければ。
「八一」
「……はい」
「……いいえ、九頭竜八一」
「は、はいッ!」
「………………」
「…………あれ?」
「……八一」
「は、はい!」
「……ちょっと待って」
「え?」
ビシッと……なんて言えばいいんだろ?
フルネームで呼んでみたまではいいものの、そこから先の言葉が何も出てこない。
まず大前提として……八一は自分が浮気をした事実を隠さないで全て正直に話している。
そしてこの通り謝っている。この冬の寒空の下、ベランダの冷たい床におでこを押し当ててまで謝罪の意を示しているのだ。その気持ちは汲んであげるべきだろう。
そして次なる問題として、やはりその浮気相手が他ならない空銀子だという事。
なんせお相手がこの私自身だという事は、八一の心がブレたという訳でも無いという事で。
私じゃない他の女性に目移りしたとか、心変わりしちゃったっていう話でも無い訳で……。
「……八一。一応聞いておくけど……他の女は居ないわよね?」
「……他の女、というと?」
「だから空銀子以外の他の女よ。私以外の女に手を出したりはしてないわよね?」
「そ、それは勿論! 俺は銀子ちゃん一筋です! それだけは絶対に変わりませんッ!」
ほ、ほらぁ~! こうも言ってるしぃ~?
あぁだめ、もうなんか顔がにまにましちゃう。こんな弛みきった顔を見られちゃったら彼氏の浮気に怒る彼女になれない。つくづく八一が土下座の体勢でいてくれて良かったと思う。
けれどこうして心中を吐露する八一を前にして、これ以上私がなんて声を掛けたらいいの?
浮気した事を徹底的に罰すればいいの? けれどそもそもこれって──
「……浮気、したのよね?」
「……はい」
「……そう」
八一は浮気をしたと言っている。……けれど、そもそもこれって浮気に該当するのかな?
浮気というのは恋人が居るのにもかかわらず、恋人以外の人に手を出す事。だとしたら確かにこれは浮気なんだろうけど、でもその相手が他人じゃなくて自分自身となると……ううむ。
それに例えばなんだけど、もし八一が小学生の私や中学生の私に対してなんら興味を示さなかったとしたら、それはそれで何かさみしいような気もするし……。
あーもう、ほんとにこういう時ってどうすればいいんだろ? 分からない、正解が知りたい。
こんな事になるなら恋愛事情の書かれた女性誌とかを読んでおくべきだった。世の中の女性達って彼氏が若い頃の自分に手を出したらどのように対処しているんだろ。誰か教えてほしい。
「八一」
「はい」
「……あんたはどうして欲しい?」
「え?」
困った私は八一に聞いちゃう事にした。
私にはこの局面での一手が見えてこない。なのでここは新四段の私よりも段位の高い八一に、天下の竜王様に回答を委ねてみる。
「ほら、言ってみなさい。あんたは私にどうして欲しいのよ」
「そ、それは……俺としてはやっぱり、許して欲しい、かなー……なんて……」
「……なるほどね」
そっか。許す……か。その言葉を聞いてようやく分かった気がする。
私はまだ自分の感情の置きどころがよく分かっていないんだ。八一の事を許すも何も、そもそも自分が怒っているのかどうかがよく分からない。
たとえ八一がJCの私と何をしようとも、私が怒っていないのなら許す必要すらない話。「別に私は気にしてないから」と言うだけで終わりの話だ。
やっぱりそこが問題なんだ。そこを真剣に突き詰めなくちゃいけない。
……うーん。JCの私は私以外の女ではあるんだけど……でも一応それは私でもあって……。
幼女を抱っこしたり、小学生と一緒にお風呂に入ったりするのは気にならなかった訳だし……。
だとするとやっぱりキスが問題なのかな? ハグはセーフだけどキスはアウト?
それとも年齢が問題? 幼女や小学生はセーフだけど中学生だからアウト? あるいは合わせ技? キスで中学生だからアウトなの?
そして更に言えば、そもそもこれは単なる夢でしかない。だとしたら夢だからセーフになる? それとも夢であってもアウトになる?
……あぁ駄目だ。やっぱり思考が纏まらない。こんな難局新米プロ棋士にはまだ早すぎる。
大体私はまだ八一と付き合ってから三ヶ月程度しか経ってないのに。そんな恋愛初心者に答えを出せというのが無理な話だ。全く八一のやつ、本当に面倒な事をしてくれたわね。
……それとも。
それとも……八一は八一でこの状況に悩んでいる事とかがあるのだろうか。
自分が4人も居る状況での悩みがこの私にしか分からないように、恋人が4人に増えた状況での悩みというのは八一にしか分からない事だ。
あるいは私も八一の立場を経験してみれば、何か分かる事があったりするのかな──
──と、そんな事を考えた直後だった。
「──えっ?」
瞬間、目の前が真っ白になって。
「……あ、れ?」
ふと気が付いた時、私は誰も居ない部屋の真ん中に立っていた。